③章[鬼バングス! 鬼パンクス! 鬼ブラント! 鬼ブランド! 鬼は一切りあればいい!]
これほど美しいブラントカットを見た事あるかい? 魔神? ――これを切ったのは鬼だよ。
「おい、時蔵! タイムカードをちゃんと切れとあれほど言っただろ? 京街さんが東京にいた間、全然切って帰ってないじゃないか! 作品撮りと、原稿は終わったみたいだけど、駄目じゃないか! たるんでいるんじゃないか、お前?」
「いや、山さん。タイムカード切ってないんじゃなくて……――僕、帰れてないんですよ……京街さんのこだわりが尋常じゃなくて、膨大な仕事量を片付けていたら……何日も、何日も経ってしまい、この通り会社で暮らしていました……。そうだ、終わらないならここで暮らそうって感じで、そこのソファーで仮眠をとりながら生きていました」
京街さんの連載企画の準備を整わせた満身創痍の僕は久しぶりに、家に帰る為にタイムカードを切った――他の仕事を担当していた山さんは、僕が満身創痍な事なんてつゆ知らず……僕のタイムカードの空白を見て叱りに来ていたのだが、すぐにボロボロの僕の姿と、そのデスク周辺の生活感を見て事態を把握したようであった。
「ごくろうだったな、今日はもう帰ってゆっくり休んでくれ、お疲れ」
と、僕を帰してくれた。本当に自分の不甲斐無さに恥ずかしさを感じた僕は山さんに軽く会釈をして、逃げるようにすぐ立ち去った。
全くもって……メリハリのない事をしてしまった――いくら仕事に慣れてないとはいえ、仕事とはベストコンディションで臨むモノである。今後はもっと進め方のリズムを掴んで、緩急のメリハリをつけ、仕事をするべきだと反省しながら僕は会社を後にした。
疲れた眼を擦りながら外に出ると、空はまだ明るくお昼を過ぎたばかりだった。
久々にこんな早い時間に仕事を上がれて嬉しい半面、不安もあった―― 八月の記念すべき『月刊スータビリティ』創刊日まであと一ヶ月に迫り、それに伴い編集部の皆は個々に多大な仕事を抱えていた。
最近の僕の激務は、その仕事量にまだまだこの出版業界の編集者としての経験が浅い未熟者がゆえに。自分の抱える仕事に遅延を生んでしまったせいでのこのザマであった。
経験豊富な山さん達でさえ、このところは残業続きで仕事に覆われていると言うのに、このまま本当に僕は帰っていいのかと、苦悩しながら家の方向へと歩いていった……。
僕がこんな疲れの中、帰る事を躊躇し苦悩する理由は編集部の皆が抱える大きな問題が一つあるからだ。京街さんとの企画連載に手一杯だった僕はその問題に殆ど関われてなく、力になれていない状態である――その問題とは! カット技術の連載企画の枠が一本残っているという事だ! 後ほんの僅かな時間で僕達は妥協せずに適任者を探し、カット技術の連載をしてくれる人を決めて、お願いをしに行かなければならなかった。
勿論、カット連載をして頂こうと思う美容師の目星はついている! 候補を五人ほどにすでに絞っているし、僕以外の編集部の皆で手分けしてそれぞれサロンを見学させてもらい、技術を間近で見させて頂き、お話を聞かせて貰っていた――だがしかし、折角新しく創刊される雑誌だ、だから僕達は新しいモノを作りたい! と言う気持ちが強い為か、中々決められずにいた。
妥協を許されない中で編集部は既に候補の中から四人の美容師と会っている――だが、会いに行った美容師さん達は他社の雑誌にも載っている様な有名な美容師さんばかりであり、どうしても、他の雑誌と連載内容が、かぶってしまいそうな人達ばかりだった。
そして、あろう事かと言う事態も起きている! 我ら編集部が一番期待していた五人目、まだ他社の雑誌でも連載経験のない銀座のカリスマ女性美容師である――鬼頭 直さんは今、最も銀座セレブ達に愛され支持されて、店の予約が取れないほどの多忙である為、電話で取材交渉を断られてしまい……見学すら、させてもらえない悲しい結末となってしまっている。
鬼頭直はブラントカット――所謂直線切りのスペシャリストであり、最大の魅力は前髪を作るバングスカットの際に見せる鬼の様な直線切りだと言う……。
その出来あがりの直線の前髪は、俗に言う『前髪パッツン』であるのだが、他には出せないほどの美しい直線ラインを画きその人にベストマッチする誰にでも似合わせる事ができる魔法の様なテクニックを有しており、高級感を漂わせていることから一目で鬼頭直の作った組み型だと分かる為、彼女が持つ異名の『直線切りの鬼』と言うところから取り――その前髪は『鬼の直線ブランド』と称され、その高級感溢れる名前のカットを前髪に施させる事は銀座セレブ達の間で、一種のステータスとなっている。
ブラントカットの『ブラント』と鬼の直線ブランドの『ブランド』がかかっているのが乙なところである。流石は銀座のカリスマ美容師と言ったところか……。
山さんに聞いたところ、山さんは前に一度だけなんとか予約を取り鬼頭さんにカットをしてもらった事があるようで、その時のカットに感動して、今回カット技術の連載候補の一人に名をあげたのであるとの事であった……。しかし、残念な事にまさかの取材拒否である。
山さん曰く、鬼頭さんの技術は素晴らしいものであったが、施術する姿は余りに集中していて、こちらが声をかける隙もないぐらい鋭く神経を研ぎ澄まさせていて……その顔は鬼の鉄仮面をつけているように見えるほど、鋭い牙を研ぎ澄ますような顔つきをしていて、それは施術が終わるまで変らず、まさに『鬼』のそれであったと言う――そして、最後に前髪を一切りで切り『鬼の直線ブランド』が一瞬で施術完了し、圧巻して終わったと言うのであった。他の部分は丁寧にブラントカットで仕上げて、前髪は瞬きをする暇もなく完成していた、それが鬼頭さんのスタイルである。
前髪を一切りで切ると言う事が僕には驚きだ、だから是非とも会ってみたかったので非常に残念である。
普通前髪を切る時は、細かく縦に鋏を入れて切るのがセオリーだが、鬼頭さんは一切りで決めるのである……いったいどんな風にやればそんな事が可能なのだろうか?
何かきっとそこにはテクニックがあるのだろう……。ブラントカットで前髪に対し横に鋏を入れたとしても、一切りじゃ指が届かないから二切りは必要な筈だ、物理的に無理な筈だ……。
鬼頭さんは可愛らしく小柄な女性だと山さんは言っていた――それでいて施術では人が変わった様になるのだと言う、ふむ。面白そうな女性だ! ちなみに、そのヘアスタイルは持ちがとてもよく四ヶ月ほど格好がつき、乾かすだけで内巻きになり形になって楽だったと、山さんは喜んでいた。
「あ、そう言えば……僕――」
カットの上手い美容師――そしてその美容師に髪を切って貰った山さんの昔の感想を思い出しながら歩いていたら、中目黒駅の辺りで僕は自分の身だしなみの変化に気がついた……。
「――最近いつ髪切った? え!? あ、頭さんが入院してから一度も切ってないわ……」
長く伸びきり、ボサついてきた自分の髪を触りながら、自分が暫く髪を切ってない事に気がついた! 社会人にとって身だしなみはとても重要だ、その中でも髪型は最重要だと言えるだろう――折角早く仕事を上がったのだし、今日は何処かに髪を切りに行こうかな。今までは頭さんに切って貰っていたが、もうそうはいかない。頭さん以外の人に髪を切ってもらうのは本当に暫くぶりだな、どこに行こう? と、そう思った矢先に……昔の記憶が蘇った。
それは頭さんと、三年前ぐらいにした会話だった――僕がまだカットの練習に入っていない頃、頭さんは何処かで自分の髪を切りに行っていた。そしてその髪型は美しく高級感漂う魅力的なものであった。頭さんのカットに劣らないぐらい素晴らしいモノに感じて僕は尋ねた。
「店長! 店長の髪型素敵ですね! 誰が切っているんですか! 店長のカットみたく魔神の魔法の様な、魅力溢れる技術を感じますよ! 特にその前髪、憧れます!」
僕があまりにギラギラした目で聞くものだからか、その姿が可笑しくて店長はフフフと、笑いながら答えた。
「フフフ、これはちょっと縁があった銀座の美容師さんに切って貰ったのだよ! 私もすごく素敵な技術だと思うよ! 特にこの前髪ね。これは私も見習はなければいけないね! これほど美しいブラントカットを見た事あるかい? 魔神? ――これを切ったのは鬼だよ」
「鬼ですか! いやいや、店長の魔神の様な美容のブラントカットも負けていませんよ! 鬼の美容ですか、僕も学んでみたいです! その方は誰なのですか?」
「そうだね、叡智! よし、今日はじゃあ、私とバングスカットの練習をしよう! 素晴らしい指を持つ可愛い鬼の技術だ! 心して学ぼう! この技術の発案者の名前は――」
懐かしい記憶が、その名と技術を僕の中から呼び醒ました――前髪を一切りで切るその美しい方法。そして彼女の苦しみと、店長との縁を、僕は思い出した。その鬼の名が告げられた。
「――鬼頭直ちゃんだ! 今や銀座のカリスマだよ、彼女の直線ラインは凄いよ! まさに『直線切りの鬼』だね。彼女のバングスカットは一瞬あれば十分さ――鬼は一切りあればいい!」
予約は取れないと分かっていても、思い出してしまったからには電話を掛けられずにはいられなかった――銀座美容室『ソニック・ローゼス』鬼頭さんがトップスタイリストとして君臨する今、銀座界隈のセレブに大人気な『鬼の直線ブランド』をステータスに反映させる事ができる唯一のサロンだ。そこに、無謀にも当日予約をしようと、僕は目論んだ。
「もしもし、こんにちは! 新規なのですが、鬼頭さんを指名で予約をしたいのですが、えっ! 一ヶ月待ちですか? しかも良い時間帯は中々取れないと……わ、分かりました――」
案の定、当日予約はおろか、一ヶ月先まで予約が一杯である事の説明を受けた僕が電話を切ろうとすると、申し訳程度だろうか電話先のスタッフに誰の紹介かを尋ねられた。
「――最近は行っていなかったと思うのですが、花形頭さんから聞いてお電話致しました」
そう答えると、スタッフが少し黙り込んだ後、「貰った電話で申し訳ありません! 少々お待ち下さい」と言うと、電話を保留し何処かに行ってしまった――暫くすると、保留時間中にスマホから聴こえていた気になる不協和音が放つハーモニーの保留音が止み、電話先の相手が代わっていた、女の人の声がした。
「もしもし、お電話代わりました鬼頭です――頭さんの名前がでた場合、私に代われとスタッフに言っていたもので、いきなりすみませんね! えっーと、頭さんが復帰するまでお客様も私が責任を持って担当させて頂きたいのですが、とは言うものの……中々予約が一杯でありまして、少し先のご予約になってしまいますね、申し訳ございません」
電話の相手はなんと、恐らく施術中であった鬼頭さんであった! どうやら、手を止めて電話に特別に出てくれたらしい!
頭さんの状態も知っている様子から察するに、『ランプ』で切っていたお客様達が僕と同じで、昔頭さんの髪型が気になり頭さんにもしもの事があった場合の為に、銀座美容室『ソニック・ローゼス』の鬼頭さんの名前を教えて貰っていたらしく、頭さん復帰まで『ランプ』のお客様が何人か電話を掛けて問い合わせていた様である――そんな丁寧な対応をしてくれていた事などつゆ知らずの僕は、うちのお客さん達が鬼頭さんに電話をしているとは知らなかったとは言え……元ランプのアシスタントとして、鬼頭さんに電話越しにだが、頭が下がった。
「は、初めまして、お忙しいところ申し訳ありません! 鬼頭さん、申し遅れました! 僕は頭さんの美容室ランプでアシスタントをしていました時蔵叡智と申します。この度はランプが迷惑を掛けているようで申し訳ありません! そして――ありがとうございます! 頭さんも凄く助かっていると思います! 僕も今、初めてこの状況を知りました……。頭さんに鬼頭さんの名前を聞いておいて良かったです! 今、僕は美容スータビリティで編集者をしています!」
「あ、君が頭さんのアシスタント君かぁ~。こんにちは、初めましてなのだが、私は実は君の話は頭さんに昔、私の事を聞いたという『ランプ』からやって来てくれたお客様達から聞いて知っていた。皆が口を揃えて『良いアシスタントの子がいたんだよ!』と言っていたぞ、だけど、君が何処で今何をしているか誰も分からなくて気にしていたぞ?」
「え、そうだったんですか!? そう言えば店が稼働できなくなってお客様にお知らせで送ったDMには、頭さんの事だけで頭が一杯で、僕の事を書くのを忘れていました!」
「まぁ、でも元気そうで何よりだ。今日これから店に来るといいわ、待ってしまうけど空いた時間にカットしてあげるから、それで良ければ来てくれて構わないわ。サロンも見学するといいわ、美容スータビリティの編集者って言葉で私が察するに、今の君の仕事は私を口説いて仕事を取りたいんじゃないかな? なら取りあえずサロンを見に来ればいいわ、私の技術と、銀座一の美容室の仕事風景をね! 君がいた『ランプ』とは大きく違う仕事風景でしょうから楽しいと思うわよ」
「ありがとうございます! 本当にいいんですか? そんな特別扱いしてもらっても!」
「頭さんに免じて特別に忙しい私が職権乱用で君を優遇してあげようじゃないか! おっと、いけない、久々にテンションが上がって喋り過ぎちゃった。私は仕事に戻らなければ、じゃあまた後でね」
鬼頭さんはそう言い残すと、電話を切ってしまった――僕の事を『ランプ』のお客様から聞いていたとは言うものの、なんだか忙しいのに特別に時間を作ってくれるみたいで申し訳ない……だけど、これは頭さんと鬼頭さんの関係が僕に与えてくれた大チャンスだ! ぜひ、良い出会いに繋げたいものだ。
僕は『直線切りの鬼』の技術を楽しみに、このまま家に真っ直ぐ帰るのをやめて丁度、今いる中目黒駅から日比谷線で日本屈指のセレブの街である――中央区、銀座に向った。
銀座に着くと、地下ダンジョンかと思うほど沢山ある地下鉄の出口に悪戦苦闘しながら迷いつつも攻略し、あの電話から25分ほどで『ソニック・ローゼス』まで辿り着いた。
さっきまでこの出会いにウキウキしていた僕だったが、いざ店を前にしたこの土壇場で少々浮足立っていた。察しがよい鬼頭さんなら僕から湧いた気持ちをすぐ見抜くだろう――もしもの話しになってしまうのだが、もし僕のスタイリスト試験が行われていて頭さんから合格を貰い試験に受かっていたら、頭さんのお客様を預かるのは鬼頭さんでなく、僕であった……。そして『ランプ』でこのまま営業できていたんじゃないか? と、考えると僕が抱く鬼頭さんへの頭さんのお客さんを受け持って頂いていると言う感謝の気持ちの反面、少しだけ僕のプライドが傷つき彼女を羨ましく感じ、悲しくなってきた。
だが、今はそんな悲しみや不安を抱いている暇は僕にはない。今の僕は美容師じゃないのだ、『希望』に向い真っ直ぐに進むだけだ! そんな小さなプライドは編集作業にとっておこう! 今は目の前のチャンスを掴みに行こう。そんな、甘ちゃんの僕は他の銀座にあるセレブ美容室とは雰囲気がまるで違う、店の周りから薔薇の香り漂うハイセンスな全面ガラス張りのサロン『ソニック・ローゼス』の中へと足を踏み入れた――『希望』に向い真っ直ぐ進みたい今の僕には、鬼頭さんの『直線切りの鬼』の異名は何だかとても縁起が良い気がしてきて、僕の胸の高鳴りが再びやってきた。
美容室の中は優雅な戦場だとはよく言ったもので――中では一線で戦うスタイリスト達をサポートするアシスタント達が美容室内を飛び回っていた。その動きに無駄は殆どない。
「これが、有名店のアシスタント達か……!? たしかに、ランプにはなかった光景だ! 参考になるなぁ……うん? 待て!? な、なんか……この美容室、皆容姿が綺麗な人多過ぎないか?! モデルみたいな人達ばっかりだぞ?」
勿論アシスタントだけじゃない、そこに君臨するカットを行っているスタイリスト達も美男美女だらけだし、雑誌の読モで見たような顔の人が何人かいる……そしてその中に――僕は彼女を見つけた。異彩を放ちながら明らかに一人段違いの鋭い動きを繰り出す美しい鬼。
鬼頭 直――そのブラントカットは素晴らしい直線を奏でる。そして彼女が作る前髪は『鬼の直線ブランド』と評され、セレブ達のステータスとなっている。その前髪は一切りで作る。
鬼は一切りあればいい――髪のパネルを掴む左手の人差指と中指だけが異様に長く、通常の人の指の2倍の長さをその二本だけが異常な発達をしてみせていた……。この二本のおかげで髪を長い距離挟む事ができる彼女は、一切りで切れる髪の量において、完全に他を圧倒していた。
小柄な体系にその左指のチャームポイントを加えた彼女はかなり目を惹く存在だ。またメルヘンチックな服装をしていている為、まるで絵本から出て来た妖精かの様で――今僕がいる場所の角度からだと、後ろ姿と動きしか見えていないので顔は見ていないのだが、異名についているような『鬼』とは、ほど遠いいのではないか? と、単純に感じてしまった。それぐらい後ろ姿の彼女をチャーミングに感じた。
「あの~? お客様……お客様! ご予約のお客様ですよね? お名前よろしいでしょうか?」
「ハッ!? はひゃ!? あ、ごめんなさい! えっと、時蔵です! 時蔵叡智です!」
鬼頭さんに見惚れていると、立ち尽くしていた僕にレセプションのお姉さんが声をかけてきた。お姉さんは予約表を確認して、「時蔵さんですね、どうぞこちらに!」と、席に案内してくれた――そして鬼頭さんが僕の席に来るまで暫く掛かる事を伝えられ、その待ち時間の間で店の中を見学していいとの言付けを鬼頭さんから預かっていると、説明をお姉さんから受けた。
鬼頭さん仕事の邪魔にならず、かつ彼女の顔が見える位置に僕は移動した。そして――初めて彼女の顔を拝む事が出来た。
『鬼』まさにその名が相応しい、さっきまで僕が抱いていた妖精の様なイメージなど、意図もた易く吹き飛んだ。前評判で聞いていた通りの鋭く研ぎ澄ませた牙を光らせながら真剣でいて、集中しているように錯覚して見える彼女は、鬼鉄仮面を付けている様な変動のない力強い表情をしている。まさに『仕事の鬼』そのものに思えた。
周りにいた彼女に鍛えられたのであろうアシスタント達が、鬼頭さんのお客様にパーマやカラーを施しカットをする彼女をサポートするチーム連携は見事で――このくらいレベルの高いアシスタントが揃っていれば、彼女もかなりカットに集中する事ができるだろうと、すぐに理解した。
そしてその時がきた、そう! 『鬼の直線ブランド』の施術に鬼頭さんが入ったのだ――前髪をその長い二本の指で挟み、鋏を一切り迷わずズバッ! と、彼女は直線を生んだ。
僕はこの技術を知っている――三年前に頭さんから教わった『鬼の美容』バングスカットである……。でもその時学んだ技術はこう『ホンモノ』を目の前にすると、限りなく近いのであるが『ニセモノ』だったと実感する。こうして本物の『鬼』が繰り出す『鬼の美容』の美しい直線を目のあたりにした僕は、この人と仕事がしたいと心から願いながら本家本元の技術を学び記事にしたいと思うのであった。
頭さんが認めたこの『鬼の美容』に僕は――潜る覚悟を決めた。三年前、頭さんに『鬼の美容』を教わったあの日を、過去の鬼頭さんの話をしてくれたあの日を、僕は改めてよく思い出す事にした。
美容の仕事を支える『技術』とは何か――頭さんは三年前、僕にこのバングスカットを教える際にそう前置きを置いた。
「叡智、さてさて美容の技術をより魅力的に見せる事ができ、お客様に支持される面白い美容師になるにはどういう『技術』が必要だと思うかい?」
「ふむ~、そうですねぇ……コミュニケーション能力ですかね? 『情報を引き出す技術』が大事ですので、お客様の理想の髪型を白紙から作る仕事ですから、お客様の悩みや今の髪の状況それにお客様の個性などをコミュニケーションの中から引き出していきたいですからね!」
素晴らしいデザインの作品を施すにはその美容師の観察力や感受性、社会生活に関する知識そして対人コミュニケーション能力の高さが重要だ――それらを駆使して仕入れた情報からデザインを創造し、理想的な髪型を造るのが美容師だ。
「うん。それはすごく大事なことだね! お客様との最初の僅かなカウンセリングで『美しい設計図』を自分の知識や経験から創らないといけないからね。そしてそのプランをお客様に伝えてお客様が納得いく提案をし、満足してもらう事が重要だ! プロフェッショナルの立場から誠心誠意を持って説明を行い、啓発して納得してもらう『技術』はとても大事だ――臨機応変に対応して、お客様の信頼を得るのが良い美容師ってモノだよ! 『形を作る』プロセスを準備する事においてコミュニケーション能力は、美容の仕事を支える『技術』として、とても重要なファクターだと言えるでしょうね! 良い位置にカメラが付いているようだね、叡智は!」
僕の回答が中々的を射ていたのか――頭さんは上機嫌で机にクランプを取り付けてウィッグを挿し、ウィッグのバングスを梳かしながら僕にそう言った。
美容師において、『カタチ』を作る行為――それがその美容師の『商品』だと言う事になる。
「どの仕事もそうなのでしょうけど、『困っている人を助ける』っていう事が仕事の目的だと思いますから、その困っている人の話をよく聞き、どんな事でも一度受け入れてあげられる様なコミュニケーション能力が欲しいですよね。この仕事は髪型の事で困っている人からニーズが生まれる仕事です! それを肝に銘じて仕事に打ち込むのが当り前ですから、僕はそう答えました! これが正解と解釈してよろしいのでしょうか?」
僕は『そしてこのドヤ顔である!』のお手本みたいな顔をして、そういいながら頭さんに尋ねた。
「うん! それも正解だ。だけど答えはまだまだ沢山あるよ! どれも美容の仕事を支える大切な『技術』だから私が知っているものは全て叡智に教えたいと思っているよ! で、だね……今回教えたかった美容の仕事を支える『技術』とは――鬼頭直ちゃんの専売特許である『エキセントリック』であると言う事だ! これの魅力と、面白い美容師であると言う事の大切さを今回、バングスカットを学ぶ前に叡智に是非とも伝えておきたかったんだ!」
「えぇ!? 『エキセントリック』ですか……」
「そう、『エキセントリック』な人間になると言う事は、つまり面白い人間と言う事なんだ。ヘンと言う事は別に悪い事じゃない! ユニークな人は人を惹きつける! 私達の様に『自分を1つのブランド化』しなければいけない美容師と言う職業において、これほど心強い牙は他にはないよ、それのスペシャリストが鬼頭直ちゃんだ! 『鬼の直線ブランド』なんていう『エキセントリックな必殺技』を持っているから彼女は鬼と呼ばれているんだ、『必殺技』とは牙であり、その人の技術が最高のブランド商品となる素晴らしいものだ! ――」
そう言いながら頭さんは自分の人差指と中指に自分で作ったのであろう、指の長さが2倍ぐらいになる指サックを装着し――その手でウィッグのバングスを掴み、一切りで見事な直線を前髪に生み出した。
その姿を目にして僕は『エキセントリック』である事の素晴らしさをすぐに理解した――ああ、これが鬼頭さんの美容なんだ。なんて美しいのであろうか、その『エキセントリック』に惹き付けられる……。これが『必殺技』と言うものなんだ。
一切りで『鬼の直線ブランド』風のバングスカットをかました頭さんが、話を続けた。
「――『必殺技』は『カタチ』を商品とする美容師にとって最高の自分ブランドになる! そして、この『必殺技』を編み出すには、『エキセントリック』な面白い美容師でなければいけない! じゃないとけっして最高のブランド商品になるような『必殺技』は生まれない!」
美容の仕事を支える『技術』――自分が生み出す『カタチ』と言う商品をブランド化して魅力溢れる商品にする『技術』それは『エキセントリック』だと言う事、面白い美容師だと言う事。人を惹きつけるユニークな武器を……『必殺技』を持つような面白い人間に人は魅力を感じるのだと、ブランド力が増して、お客様に支持される魅力がでるのだと、頭さんはそう僕に説いた。
美容師が売る『カタチ』と言う商品は基本的に全てがオーダメードである――一つとして同じ商品が無い事が、美容業界ならではの『カタチ』と言う特殊な商品なのである。
それは他の美容師同様に、鬼頭直も例外じゃなく皆が同じなのである――彼女は『鬼の直線ブランド』と言うバングスカットの『必殺技』を持っているが、バングスの見事な直線ラインは同じでいても、全体的のデザインであるネープ、トップ、サイドとしっかりとそのお客様の個性を活かしつつ、尚且つ『鬼の直線ブランド』が映える『美しい』デザインを丁寧に施している。だからこそ彼女はカリスマなのである。違う素材を使い――『美しい』オーダメードの唯一無二な商品を提供し、皆が皆違う『美しい』デザインなのに前髪の直線をみれば、違うデザインでもセレブ達は『鬼の直線ブランド』だと分かる。それはとんでもないクオリティの『必殺技』だと理解できる。
そして、『エキセントリック』であったから――ヘンであったからこそ、彼女はここまでの『必殺技』を編み出せたのだ! 左手の人差指と中指が長い事は勿論であるが、彼女が『エキセントリック』である最大な部分は『ハート』と、その『パンクな性格』なのだと頭さんは話しだした。
パンクな性格? バングスとパンクスって字面は似ているが、まさかバングスカットのカリスマがパンクスな性格をしているとは、実に面白いではないか! と、僕は興味が湧いた。
頭さんが言う彼女の『エキセントリック』である部分その『パンクな性格』についての話を聞きたいと、僕は頭さんに頼んだ――人はヘンなことが大好きだ! さらに言うと美容師は個性や、奇抜、マイノリティが大好物である! 勿論、僕も頭さんも『エキセントリック』を愛している。
「店長、直線切りの鬼のその『エキセントリック』な『パンクな性格』の話しを教えてください! 僕すごく気になりますっ!」
「そうだね、叡智には聞いておいて欲しい話だ。それが全てこの直線切りバングスカットの『必殺技』ができるまでと、彼女が銀座のカリスマ美容師になるまでに繋がっている。まぁ、成功談みたいな話だ、一人の人間が成り上がる話し、しいて言えばストーリーテリングみたいなものに近い話を今からしよう、メモを取れよ! 技術以外の話を叡智は忘れやすい事がしばしあるからな! では、話を始めよう、私が彼女に初めて出会ったのは――」
頭さんは語り始めた――魔神と鬼の出会いの話を、そして僕はメモの準備をした。
今から七年前、僕が『ランプ』に勤める様になる丁度一年前ほどで、京街さんが丁度頭さんとの武者修行を終わらせて京都に帰った頃――頭さんと鬼頭直は出会った。
「ガッデム! あー、あー! 躁鬱になっちゃうぺこ~……。あ~、あ~、私……躁鬱になっちゃうペコよぉ~、ウザにゃん……ウザにゃん! な、なんで……私のやり方が一番じゃん! 指があーだのこーだの関係なくない? 指があーだのこーだので、私が美容師諦めないといけないとかおかしくないか? ガッデム! 私が一番あの美容室で上手いのに、どうして誰も……私を評価してくれないの? 美容師は一番技術がある奴が偉いんだよお!? ――いや、それは違うか、偉いとか偉くないとかそんなの関係ない……ただ私は、認めて欲しいだけだったんだぺっこ~、ガッデム!」
鬼頭直は元々権威にツバを吐き生きるパンクロッカーな女の子だった――彼女は七年前、勤めていた原宿の有名な店で美容師をしていた。
この日、アシスタントからスタイリストに昇格をした彼女だったが、その昇格直後に彼女はその店で思いもよらない仕打ちを受けた。
とある仕打ちに嘆く彼女が頭さんと出会い変っていく話――リアルパンクロッカー美容師が、居場所を作り銀座のカリスマになるストーリー、頭さんが僕にしてくれたその話しを思い出す前に……。僕は一つ現時点で過去この話で抱いた鬼頭さんの印象と、今僕の目の前にいる鬼頭さんとは、まるで別人だと言う事に気づいた!
まず回想出だし、鬼頭さんの台詞から読み取れるエキセントリックな語尾からして違う。今僕の目の前にいる鬼頭さんはそんな喋り方をしていない! そうだ、僕が頭さんから聞いて知っている鬼頭さんは全くの別人だ!
カット連載企画の候補に挙がっていた人が、頭さんと縁のある鬼頭さんだったと言う事にだから、僕はすぐに気づけなかったのだ! なぜなら、頭さんのしてくれた話で出てきた鬼頭直という女性は――癖まみれの女性だったからだ!
昔の彼女は、自分の直という名前にも、異名についている直線という単語にも、全く合っていないほど――癖まみれで、曲がりくねった様な、パンクな女性だった……。
そう今、僕は理解をし――改めて今、目の前にいる鬼頭さんの『鬼の美容』を見つめながら、頭さんが昔、僕にしてくれた鬼頭さんの話しを思い出した。
「よし、鬼頭さん。スタイリスト試験は文句なしの合格だ、だが君は――今日をもって俺の店を解雇とする。アシスタントだから大目に見ていたが、お前は俺のサロンイメージに合わない! それに、お前はまだアシスタントだったのに……なぜか、ここにいる誰よりもカットが上手い。しかしそれは、うちの店の切り方じゃない! 悪いな、キモチワルイはお前、出て行け」
店の中にいたスタッフ一同がここの店のオーナーのその言葉を聞き凍りついた――そして、その後すぐに鬼頭直は地獄の業火の様に燃え上がって喰ってかかった。
「はぁ~!? ガッデム! なんだにゃん? それ、どういう意味だぺこ~? ええ!!」
「その統一性のない語尾もキモチワルイんだよ、兎に角スタイリス試験は合格だ! だけど、鬼頭、お前は田舎にでも帰れ、この店ではお前のキャラと『その指』ではやはりやっていけない! と言うか俺がやらせたくない! 田舎でやれ! ハイ、お疲れ――明日から来なくていいから!」
サロンにあった荷物を強制的にまとめられ、鬼頭直はその日――サロンを追い出された……。
文句を嘆きながら夜道を歩き彼女は泣いていた――そして、無作為に歩く彼女の体と精神はやがて心身ともに疲れきっていった。追い出された店の文句を言いながら、ボロボロな状態で適当に歩いて、代官山の辺りをたまたま病ながら歩いていると、汚いラーメン屋に辿り着いた。
「あ~あ、躁鬱になっちゃうぺこ~……。お、お腹すいた! 私のあの店にいた三年間はなんだったんだろう、ガッデム! うん? こんな所に汚いラーメン屋さんがあるな。ちょっとラーメンでも食べて頭の中を整理するにゃん……。ラーメン屋は古くて汚い店の方が美味しかったりするぺこ~、ここで一度ラーメンを食べてクレバーになるべきにゃん!」
鬼頭はその汚いラーメン屋に吸い込まれる様に入っていった――まずは腹ごしらえをして落ち着こうと、自分に言い聞かせながら、そのボロボロの体を引きずり店の中に入ると、早速注文をした。
「チャーシュー麺を一つお願いしますぺこ~……。麺の堅さはアルデンテで!」
「おっ!? 癖のある御嬢さんが入ってきたなぁ!? チャーシュー麺ね、あいよ」
と、言いながらガラガラの店内へと厨房からオヤジが気だるそうにでてきて、テレビを見ながら厨房にまた入り、暇そうにラーメンを作り始めた――お客は鬼頭以外に一人いるだけであった。
5分も経たないうちにラーメンが着丼した――たった今、着丼した1300円のチャーシュー麺にはチャーシューの形も影も見当たらず、ラーメンの上にのっている具はネギにメンマにナルトそして……100円均一ショップの10枚100円で売っているサラダハムが8枚ふんだんにのっていた……。さらにこの負の連鎖に追い打ちをかけるような……生温いラーメンであった……。
「あ~あ……これは……な、なんだぁ!? ぺこ~……オヤジ!? これ、チャーシューじゃなくてサラダハムじゃん! なんて、オヤジだ……ガッデム!」
鬼頭がいつの間にか腕組をして仁王立ちする亭主のオヤジに向ってありのままに発言すると、オヤジは得意げな顔で、すかさずカウンターを入れてきた。
「せやで! こりゃあ、紛れもないサラダハムやで、だけどなぁ嬢ちゃん! 思っているだけならまだしも……それを口に出したら戦争やで? ええんか? サラダハムやで、でもそれがどうしたちゅーねん! 鯛焼きに鯛は入っとるか? きつねうどんにきつねが入っとるか? それが世の中ってヤツやで! 名前なんて飾りや、そんな概念この店にはないんや、ハイ! 論破! とても含蓄が込められたラーメンだろぉ!? どや!」
「ファーー!? な、なんでそんな屁理屈で今この店のチャーシュー切れを、ここ一回凌げると思ったにゃん! ガッデム! 凌げる訳がないぺこ~!」
「かぁー! 無理だったか……御嬢ちゃんなんだか辛そうに見えたからなぁ、多分今、思考回路が回らないと思ってオジサンはギャンブルにでちゃったやないか! せやけどやっぱり無理やったか! ハッハハハ!」
「いや、どう考えても無理にゃん! 凌ぎきれないぺこ~! ガッデム! このチャーシュー切れの緊急事態……チャーハンならまだしも、チャーシューメンの中のチャーシューをサラダハムで偽装するのは……ギャンブルしすぎだにゃん! 絶対にバレるにゃん! ハァ……ダメだ、こういう日は何をやっても上手くはいかないもんだなぁぺこ~……。あ~、今日、本当は念願のスタイリストになった記念すべき嬉しい日のはずなのに……何で私ばかりこんな酷い目にあっているんだろぺこ~……。あ~あ~、躁鬱になっちゃうぺこ~誰か、助けてにゃん……」
凹んでいる鬼頭を見て、ラーメン屋のオヤジは悪びれる素振りも見せずに茶目っ気たっぷりな態度でポンと、拳で自分の手の平を打ち、鬼頭の他に居た、たった一人の店内のお客を巻き込み、ここで自分の都合の悪い話しを止めて、ラーメン屋のオヤジは他の話題を鬼頭の会話から探し切り返した。
「おっ! 嬢ちゃん、今スタイリストって言ったねぇ? まさか美容師さんかい? しかもなんかめげているようだからだから! お節介焼のワシが良い人を紹介してやろう! お~い、頭さん――この女の子、美容師みたいなのだけど、なんか落ち込んでいるみたいだから相談にのってあげてくれやせんか! 若い人を助けるのは我々渋いオヤジの務めだからなぁ!?」
鬼頭は――私が今落ち込んでいる理由には、小さじ半程度だがこのサラダハムラーメンも入っているのだけれども……それを棚に上げて私の相談に乗ろうなんて、まさに黒を白に変える発想をしているラーメン屋のオヤジに驚いた。
『そこでチェス盤を引っくり返す!』みたいなスタンスなオヤジだなぁ……と思いつつ、でも、このオヤジは妙にユーモアがあり、そして髪型が中々渋く綺麗に整えていたこともあり、渋いオヤジと自分を美化する言動もなんとなく、嫌いではないと本能が感じ取っていた。
「ハハハ、ごめんね、可愛い御嬢さん! オヤジは久しぶりに私以外のお客さんが来て嬉しくて『ヘン』な事を仕掛けたみたいだね……。本当は気の良いただのお節介焼きの江戸っ子なんだ、悪く思わないでやってくれたまえ! 代わりに私が詫びよう、ここのお代は私に持たせてくれ。おっと、申し遅れたね! こんばんは、君も美容師なのかな? 私は花形頭と申します。よろしく……うん? 君、指が――」
オヤジと鬼頭の会話は店内全体に響く会話であった為、当然オヤジに呼ばれたこの――小奇麗で、素敵なオジサンは話しを全部把握していていた。そして鬼頭に近づき花形頭は彼女に挨拶をした。
『指』たしかにこの人は今、鬼頭の長い『指』に触れて来た。そうか、このオジサンは美容師だから直ぐに、同業者の『指』に視線がいったんだ……。その事に鬼頭はすぐ敏感に反応した――あ~あ、私はここで確実に躁鬱になる……。『指』の事に触れられ、それがトラウマになる。今日はそういう一日なんだ、ここで『指』をディスられる。
何度も、何度も、気持ち悪いと人に言われ続けたこの『指』を――私の唯一の武器であるこの『指』を、オーナーに言われた様にまた否定されるんだ……。そうだ、田舎に帰ろう! お父さんとお母さんがいる田舎に、私は東京ではやっていけないんだ。
私はここで終わりなんだ――救いなんてないんだ……。
客の男のその言葉で視線は、鬼頭の『指』集まった――そして男は続けた。
「――理想的だね! 美容師の理想的な指をしているよ、それも理想なんてもんじゃない……神だよ! 唯一無二! 君は誰よりもブラントカット、直線切りに向いている! いいな! 羨ましい! 私に君の今までの美容人生を聞かせてよ! 君ほど魅力的な指をもつ美容師を私は見たことない! きっと、君は一流だ! 誰も持っていない牙を君は持っている! 君ほど鋭い牙を持っている人はそうそういないよ! 君のその牙はきっと君を――直線切りの鬼にしてくれる! 私に君の話しを教えてください! 私は君から学びたい!」
鬼頭は震えた――気持ち悪いと皆に言われ続けた鬼頭の指を、花形がそう言った事に対して。
花形は鬼頭のその『指』だけを見て、すでに絶大な評価を一瞬で下してくれた……。それが彼女にとってどれだけ救いを感じられる嬉しい事だったのだろうか、腕があっても認められなかった彼女……。ニセモノ達に自分を否定されていた彼女……。その苦しい苦悩の中に突然、射した光。
そして花形はラーメン屋のオススメメニューを鬼頭の為に注文し、彼女と同じテーブルに座って、彼女のスタイリスト昇格の話しを聞き一緒に祝った――ああ、救いはあったと、彼女は自分を認めてくれたこの人と、話しをちゃんとしようと、心から安らぎながら思った。そう思った時、もう彼女からは今まで受けたニセモノの達の言葉や、これからの事への不安は全てなくなっていた。
きっと技術を磨いていれば、私の事を皆が分かってくれるなんて幻想だと知るべきだったのだ! そしたら私は傷付かなかった――周囲に何の期待もしなければ、私が病む事はないのだ! 私は美容師だ、他人に頼らず、店に期待せず、自分自身を一つのブランド化する事に徹するべきなのだ! 鬼になるべきなのだ! さすれば、この先の未来にできる私の大事なお客さん達を皆笑顔にできる。今までの考えを改め彼女はそう考える事にした。
絶賛開催していたネカティブキャンペーンは終わりにして、ポジティブに哲学する事に意味を見出した――その方が人生は楽しい、美容は楽しい、人を好きになれると思うから。
「へぇ~、鬼頭直ちゃんと名前なんだ! 中々ユニークな語尾をつけて話すね、鬼頭ちゃん! でも、大変だったね~まぁ、良い機会だと思うべきだよ! そんな店はやめて正解だし、今後廃れていくと私は思うよ、三年間アシスタントで頑張った君にそんな仕打ちをしたのもそうだけど、遠まわしにそこの店のオーナーは田舎を舐めているよね? 自分が東京の真ん中でやっているからって、田舎を見下しているのかね? 私からしたらそのオーナーの方が気持ち悪いよ……ニセモノの美容師だ。でも、そこで育った君もニセモノになる事はないのだよ、君はホンモノだ!」
先程あった出来事や、鬼頭が美容にうち込んできたこれまでの人生を花形に鬼頭は語った。花形は親身に相談にのる事にした――この美容業界に舞い降りた才能を無駄にしない為に、彼女はここで腐っていい美容師ではないと、頭さんには直ぐに分かった。
「そうなんだにゃん! 頭さん! ガッデム! 私に田舎に帰って美容をやれって言う言葉は私も田舎も見下しているすごい感じが悪い言葉だったぺこ~、あんな店こっちから辞めてやるにゃん! さて、でも取りあえず明日からどうしよう……とりま、田舎に帰るかにゃん! かぁー!? それじゃあ、あいつの言った通りか! よし、ここら辺でやっぱり店を探すぺこ~!」
「その意気だよ! 田舎に戻って態勢を整えながら新しい技術を習得するのもいいけど、そうするとまたこっちに戻る時に何かと面倒な事があるよ! 東京のサロンだと、そのオーナーみたいに中には田舎からでてきた美容師を田舎切り(ダサイ切り方)と勝手に判断して、面接すらしてくれないつまらない美容室も少なくない、だからじゃないけど、田舎には帰らない事を私はお勧めするよ、これは君の技術を僕がまだ見た訳じゃないから本当はあまりいい加減な事を言ってはいけないと思うんだけど、あえて言おう――恐らく、君の技術は何処に行こうが通用する! だから、自分の好きな場所で働いてほしい! 私も美容に長年携わって来たけど、君ほどデフォルトでいいブランドを持っている人を僕は知らない! その指はそれだけ素晴らしい、神様が与えてくれたブラントカットをする為の指だ! 君は誰にも負けないブランドを作れるだろう、そしてそのブランドはブームを起こすだろうね、楽しみだ」
「神が平等で安心したぺこぉ~……頭さん、今度ぜひ私の美容を見てください! あなたに私の技術を見て欲しい、そして頭さんの技術も私見て見たいにゃん!」
直ぐに二人は意気投合し、お互いを尊敬した――そして話しのテーマは花形が「鬼頭ちゃんはどんな提案をお客様にするの?」と聞き、美容においての『こだわり』、お客様に自分を売りだすセールスポイントの話しになった。
「そうでぺこねぇ~、私はあえて『ハズシ』をお客様に提案したいにゃん! 特にこの長い指を使って切るバングスカットにこだわりがあるにゃん! 慎重にタテに何度も鋏を入れるより、重さを活かしつつ、一切りで作る直線ラインを生やす『ハズシ』の技術、これが私の拘りであり、私しか作れない唯一無二の自分ブランドだと思っているぺこ~」
彼女のその発言を聞いて頭さんは、興味深そうに「ふ~ん」と、少し考えてから答えた。
「『ハズシ』という技術はどれだけ場数を踏んで尚且つ、技術を深堀できているのかが重要だと私は思うんだ。技術で抜け感を提供するなら、その美容師に美容の知識が深堀され備わっていなければ、それはホンモノの技術とは呼べないと考えているよ、私はね。ニセモノの技術はもろく嘘であり、お客さんはすぐに気づく! だが、ホンモノの技術は素晴らしい――ホンモノは備わっているその深堀された知識をあえてハズして、『カタチ』を作りホンモノの『ハズシ』をスタイルに落し込める! 鬼頭さんの技術を見てみたい、ホンモノ技術を見せてくれ!」
「ふぇ……よ、よろこんでにゃん! では、明日頭さんのサロンに伺わせてもらうぺこ~! 就活の前に一緒に勉強会して頂けると、私も自分の武器をもっと磨けてそれが自信になるにゃん!」
「うん、勉強会を開こう! 僕も君のその指を使ったブラントカットを見てみたいよ! 差し詰め――君の唯一無二な指で切る『ブラント』カットは君と言う『ブランド』の看板商品であるから、その技術を使った『バングス』カットは君の『パンクス』な性格が奏でる最高にハートがきいた鬼の牙と言うところだろうか、私は明日が楽しみだ! はい、これ名刺! ここへ来て下さい、そこに書いてあるお店が私の店『ランプ』です」
こうして、名刺を受とってラーメン屋を後にして今日は解散となった。すっかりご馳走になり不安も解消されて帰る鬼頭のハートの中で花形がさっき言った言葉が心地よく響いた――『ブラント』と『ブランド』、『バングス』と『パンクス』それは彼女にとって今まで自分がしてきた練習の証であり、大好きな美容を深堀してきた自分の魂であり、誇りであった。
だからその言葉は優しく、そして心地よく彼女のハートに響き渡った。
明日、『ランプ』の営業終わりに鬼頭が訪れる形で――魔神と鬼の勉強会が始まった。
お互いウィッグを切り、自分の自慢のスタイルを作った――花形はアシンメトリースタイル、そして鬼頭はご自慢のバングスカットを活かしたセミロングのスタイルを完成させた。
「すごいよ! 君のカットは最速に理想的な直線美を出している……どうやら本当に君はブラントカットを極める為に、神様がその指を授けた様だね! そして君は今、鋏を握っている! それは素晴らしい事だ、歯車が噛みあっている!」
「本当かにゃん! やったぺこ~! 頭さんも私が今まで見た中で一番素敵なスタイルですにゃん! こんなに計算されたアシンメトリーを意図も簡単に作るなんて、尊敬にゃん! 私に手ほどきしてくださいぺこ~!」
照れながら喜ぶ鬼頭がそう言うと、花形は謙遜しながら彼女に自分が伝えてあげたい事を話し始めた。
「ハハハハハ、ありがとう。私なんてそんなたいした事ないですよ、手ほどきですか……そうですね――少しだけ鋏を入れる時、鬼頭ちゃんは迷いがある感じを私は感じ取りましたが、どうでしょうか?」
「え? ガッデム! まぁ、頭さんに初めて私の技術を見せるので少しばかり緊張していたにゃん!」
「うん、そうでしょうね。でも、新規のお客様を相手にするとした時、そのお客様に自分の技術を見せるのは初めてだよね? そういう時に緊張して迷いを出すとお客様は、最後に出来が良くても不安になってしまうものなのですよね。それは大変勿体無い事なのですよ、プロとして、そして最高の武器を持っている君には妨げにしかならない。だから私の言葉を聞いてほしい――君の技術は間違いない! 君の美容はおもいっきりのよさを武器にして身につけてください! 他人がどう細かく鋏を入れる切り方をしてようが、初見の人が見ていようが、他人を真似る必要はないし、良いところだけ盗めばいい! 知らない人が審査員だろうが、お客さんだろうが、講師だろうが、君はおもいっきり『自分のブランド』を見せつけてあげればいい、だって君にはその指があるのだから! 君は……いや、言い変えよう! 鬼は――一切りあればいい」
「鬼は一切りあればいいか……にゃん? なんだか、すごいパンクでかっこいいぺこ~! 私頑張ります! ありがとうございます! ガツンと私のオススメをおみまいして、かっこよく切ります! おもいっきり――私のハートを誰にでもぶつけます! そりゃもう最速でにゃん!」
「先制して上から殴るスタイルを貫いて、お客様にまずはガツンとアピールして、美容を楽しみながら提案してあげよう! さすれば君はホンモノだ。君のバングスカットは『鬼の直線ブランド』とでも呼ぼうか? 素晴らしい商品になる筈だ――それと、色々苦労して、傷ついてスタイリストになった君だから、きっと人の苦しみが分かる素晴らしい指導者にもなれると思うよ、もし私に弟子でもいればその子に絶対に学んで貰いたい技術に挙がるぐらいだよ!」
鬼頭さんとのこんな出会いの話を――昔、花形は時蔵叡智に語った。
そして今、銀座にはそれから成長に成長を重ねた鬼頭が、カリスマ美容師として銀座のトップに君臨している。
時蔵は鬼頭がこの後、どうやってここまで成り上がってきたのかを花形から聞いていない――時蔵の目の前で繰り広げられている鬼頭の優雅な鋏捌きをみながら時蔵は思った。
ああ、頭さんありがとうございます。頭さんから聞いていた癖まみれの鬼頭さんのイメージと僕の目の前にいる鬼頭さんのイメージは違うけれども……技術は頭さんに聞いていた通りに紛れもなくホンモノです。だから僕は絶対に――この人の技術を雑誌に載せたいと、強く思います。そしてこれからホンモノの鬼からここまで成り上がった経緯を探れる事が楽しみで胸のワクワクが止まりません。
「やぁ、時蔵君。初めまして、私が鬼頭直だ。私は君の師匠には昔たいへん世話になった。だから、君を特別扱いさせてもらったよ! さぁ、時間がないので早速カットに入ろうか。こちらへどうぞ!」
「初めまして、お初にお目にかかります鬼頭さん、時蔵叡智です。今日は無理を聞いて頂きありがとうございます。鬼頭さんとお会いできて光栄であります! よろしくお願いします」
お客様のカットを仕上げ終えた鬼頭さんがテクテクと歩きながら、手に持つ鋏を器用に回転させ、見学に励んでいた僕の前やってくると、挨拶をしながら僕をシャンプー台に移動するように誘導してくれた。アシスタントの人に髪を僕は流してもらって、鬼頭さんが待つセット面へと、通してもらった。
「今日はどんな感じにしようか? 君の理想を私に教えてくれ、なんでも応えようじゃないか!」
「えっと、そうですねぇ、スタイルはですね~……え、じゃあ今日は――」
いざ、鬼頭さんを目の前にしてガチガチに緊張している僕を見て、鬼頭さんは薄らと微笑んだ――そして僕は鬼頭さんにカットの注文をつけた。
「――頭さんが作る様なアシンメトリースタイルをお願いできませんでしょうか?」
僕はあろうことか――『鬼』に『魔神』の美容を提供して欲しいと、つい……注文してしまった。頭さんが作るようなアシンメトリースタイル言っても様々あるし、いくら鬼頭さんが銀座のカリスマで尚且つ、頭さんを知っているといっても、無理なことを口走ってしまって、僕がこの微妙な空気を作ってしまったことに後悔しながら、ふと鬼頭さんの顔見ると……。
『鬼』は――自信に満ちた顔をして、歯を光らせ笑っていた。そして僕に言った。
「わかりました。なんとかします!」
なんだ! そのレスポンス! 鬼頭さん……鬼カッケェー! 人を助けるにはまずは、『受け入れる』と、いうことが大事だと言うけれど――なんとかすると、銀座のカリスマに言われるというのは何とも頼もしい気持ちになる。僕は単純に嬉しくなった。
「あ、ありがとうございます! 僕、楽しみです! こんな注文まさか、受け入れてもれえると思わなかったので、びっくりで……って、え?」
ジャキジャキジャキバッザ! ――快く僕の注文を受け入れてくれた鬼頭さんに、感謝の言葉を述べていると、何の前触れもなく……鬼頭さんが僕の髪に鋏をバッサバッサと入れて、鋭い動きで、おもいっきりのいいスピーディなシザーリングを始めた。あまりにも突然だったもので、僕は驚いた。
そして、自分の立場を理解した、散々鬼頭さんが言っていた特別扱いの意味を――そうだ、 僕はお客さんとして、今日混んでいるこの美容室に予約できた訳じゃないのだ! 頭さんの弟子として、言うなれば知人という理由でここに来ることができたのだ! お客さんなんて偉いものじゃないのだ! だから鬼頭さんからしたらカット前に声をかける必要もないし、時間は有限だから、僕達はもっと他にする話があるんだ。
そして、お客さんではなく僕は何者かというものが、もう一つ……編集者だ! 編集者としての僕に鬼頭さんはこの時間を、このチャンスを僕に与えてくれたのだ! 元々ない時間を特別に作ってくれたのだ……だから、カットなんてオマケにすぎないんだ! ここから僕はチャンスをもぎ取る為、鬼頭さんと話して、連載をして貰えるよう口説かないといけないのだ。タイムリミットは恐らく、次の鬼頭さんのお客様が来るまでだ……時間はあまりなさそうだ。
「時間がないからねぇ、時蔵君、急いでカットさせて貰うよ! 大丈夫、君の望む通りにちゃんと切ってあげるから、これでも私は銀座のカリスマだからね! 大船に乗ったつもりでいてくれたまえ!」
鋏を器用に動かし、巧みにカットをしながら鬼頭さんはそう言った。
「はいっ! 頭さんが認めた鬼頭さんなので勿論、心配していませんっ! 自分が無理を言ってこの時間を頂いたので、次の鬼頭さんのお客様に迷惑が掛からないよう、施術してください!」
僕がそう返すと、ジャキジャキと髪を切る鬼頭さんが小さく呟くように僕の耳元で囁いた。
「時蔵君、君は良い子だね。とても賢いし、実に好感が持てるよ、頭さんが君を弟子に迎えた事にも納得できる。さて、じゃぁ……編集者としての君はどうかな? あいにく、カットの最中はあまり喋らずにキビキビ動く事にしているんだ。だから――ここから先は君が一方的に話してくれ、私はそれをただ聴いている。それに私が興味を持てるか、ただそれだけの話だ、編集者としての君に私が興味を持てたら一緒に後で話そう、持てなければ、それまでだ……」
試してきた――ここまでは頭さんの人脈というのか、なんとか運良く鬼頭さんと会えたが、ここからは違う。ここは、僕がこの忙しい鬼頭さんが時間を割くに値する編集者かを試してこれからを判断される! 自分が時間を投資して使ってでも、僕という人間に会いたいと思わせなければならない、僕はこのチャンスを逃す訳にはいかないのだ!
でも、いったい、僕は何を喋ればいいのだろうか!? ちょっと、ガチで分からないのだが……いや、鬼頭さんはヒントをちゃんとくれている! そうだ編集者としての僕の事を――鬼頭さんは聞いているのなら……。
僕が編集者になった理由である『希望』の話を――頭さんから聞いた昔の鬼頭さんの性格をよく思い出しながら、今は面影を感じられないがパンクな『ハート』と『性格』に届くような、全身全霊を込めたソウルをのせた話を僕はしなければいけない筈だ! 時間はほんの僅かだし、鬼頭さんは僕の髪の施術中だ、それでも僕はここで鬼頭さんのハートに響く言葉をあびせて、僕は『希望』に近付くんだ! 『希望』を叶える為には、鬼頭さんの力がぜひ欲しい!
「分かりました。僕のお話に耳を傾けて頂きありがとうございます。このチャンス無駄には致しません! では、僕の思いを聞いてください。編集者になってから、おかしな話ですけど、ランプで美容師をしていた時の僕では知ることができなかったであろう――僕の知らない頭さんを沢山知れました。やっぱり、僕の叶えたい『希望』を誇れるほど、すごい人で、すごい技術を持っていた美容師だったのだと、分かって……僕は嬉しくてしょうがないです。この人への恩返しを自分の今の『希望』として生きられていることに、僕は満足しています。それにこの仕事はとても楽しいです。この仕事では色々なスキルを持っているスタイリスト達と会うことができます。若者の面白い夢のある考えを持ちながら修行するアシスタント達の話も沢山聞くことができます。皆さんにうちの会社の雑誌が良いものになるよう、協力をして貰う事ができます。それはとても両者とも充実した仕事になり、完成するときっとものすごい達成感を得られると思います! 僕はまだ、経験がありませんが、そうなると信じています! 僕は今まで頭さんのもとのみで、修行していました。だから、編集者となって世界が広がっている今の状況がとても新鮮で、とても美しく編集のしがいがある夢の様な毎日を送っています。それは全て僕の『希望』がポジティブに働きモチベーションを支えているからでしょう。ウキウキする毎日です! 一日中仕事して、死ぬほど残業して、それでも死ぬほど仕事に熱狂して、良い企画を考えて良い雑誌を作る! 営業して、宣伝して、皆で作った雑誌をじゃんじゃん読んでもらえる喜び、その為なら寝食を忘れて僕は働けるかまえです! 僕の事を動かしている『希望』を聞いてください――」
エレベタートークの様に要点をまとめて三十秒以内に短く簡潔にまとめたかったが、胸の中で伝えたいことが沢山込み上げてきてしまった。僕の頭の中で溢れ返った言葉を上手く編集出来なかった……。僕が、一番伝えたかった『希望』についてこれから差し掛かろうとしたところで、タイムオーバーが来てしまったようだ――鬼頭さんが鋏を置いて、声を出したのだった。
「完成だ、我ながら良くできたかな! 頭さんのカット履歴が髪に残っていたから切りやすかったぞ、良いアシンメトリーだ! じゃあ、後はシャンプー台でシャンプーしてもらってセットしてもらってくれ、なんなら時蔵君が自分でしても構わないぞ? スタッフにそう伝えておくから、好きな方を選んでくれ。さてと、丁度次のお客様が見えたようだ! では、私はひとまずこれで失礼するよ! 今日はありがとうねっ!」
美容室の入口から、次の鬼頭さんを指名できているお客様が入ってきたのが見えた。話は途中になってしまったが、ここで鬼頭さんを止めるのは仕事の邪魔になってしまうのでよろしくない……。自分の力が足りないから話を終えられなかったのだと、心の中で自分を責めながら僕は、鬼頭さんに失礼がないよう、今日のお礼を言った。
「鬼頭さん、今日は本当にお時間を作ってカットして頂きありがとうございました。話が途中までになってしまいごめんなさい……。鬼頭さんからチャンスを折角頂いたのに、無駄にしてしまいました。編集者として、そして人間として僕は鬼頭さんの事を尊敬します! だってこんなに僕の注文通りの髪型にしてもらったのですもん。大満足です」
「そうか、気に入ってもらえてよかった。時蔵君、話を聞く限り君は編集者になって美容師の時とは変わったようだな――それは悪い意味ではなく、変化してその仕事に対応したという意味でね。臨機応変の変化だから、根本的に根っこの部分は変わっていないのだから自分を見失っていない! だから君は戻ろうと思えば、いつでも昔みたいにも戻れるのだろうな……さすが頭さんだ、よく育てたよ」
「あ、ありがとうございます! 鬼頭さんにそう言って頂けるなんて、光栄です」
「どういう人間と働きたいかって、突き詰めていけば、その人の人間性というか、人柄だからね。良い時だけじゃなく、悪い時、苦しい時にどう前向きに頑張っていける人間か、一緒に仲間として働きやすい人か、それが重要なのだ、だから人柄に小細工は通用しない。君は場面で変化できるし、そして変わらない筋あるぶれない根っこを持っている人間だ……でも、私は――昔とは根っこから変わってしまった……。私の中に、昔の私は全く残せなかった。君みたいに変わらずにいれた部分がないのだ……私はいったい、ナニモノなんだ……」
張りつめた顔をして、今でも張り裂けそうな声で鬼頭さんはそう言った。もし、鬼頭さんが昔のパンクスな自分と、今の普通な自分の変わりように悩んでいるなら、それは大きな悩みなのだろうと僕は思った。なぜなら、僕が頭さんに聞いていた鬼頭さんと、今の鬼頭さんでは何度も言うようだけれども、全く違う人間だからだ――否、全く違うとは語弊がある……。
「技術は、昔のまま成長できていると思いますよ! 鬼頭さん!」
ありのままに、僕が頭さんから聞いた話で唯一、鬼頭さんだと分かる頭さんも認めた鬼頭さんの素晴らしい技術は昔も今も変わっていないと、思う事を告げた。
「ハハハ、ありがとう……そうか、私はこの地位を守る為に全てを捨てたと思っていたが、当り前だが……この技術だけは守れていたのか。そんな事も気づかないぐらい私は悲劇のヒロイン気取りで、働いていたのか……。パンクする前に君に会えてよかったよ、時蔵叡智君。それに私の変化なんて――君の変化に比べたらとてもチープなものだな、君は美容施術がお客様にできる美容師という立場も、何もかも変化させて……『希望』だけを抱えて編集者にダイブしたんだからね、私は君を無下にはしたくない」
「いやいや、僕はそんな大した奴じゃないですよ! 鬼頭さんの方が凄いです! ブラントカットを極めるために神様がくれたその指で、今美容師をしているんですもん! こんなカッコイイ美容師いないですよ!」
僕がそう叫ぶと、鬼頭さんはさっきまでしていた浮かない顔を真っ赤に染めて小声で僕に言った。
「私は君が気にいったぞ、十九時半までの営業が終わってから一段落する二十時にここへまた来たまえ、どこかで話をしようじゃないか。その時君の『希望』についての話の続きを聞かせてくれ、そして私からも――君に頼みたい事ができた。おっと、私は急いで次のお客様の施術に入らなければ! では、また後で。二十時丁度に来てくれ、出られるようにしておく」
僕の返答も聞かないまま、鬼頭さんは急いで次のお客様のもとへ――ウキウキと向かった。それを見てなんとかチャンスを無駄にしないで、次の話にもっていけた事を確信し、一気に緊張が解れた。鬼頭さんの連載がもしかしたら取れるかもしれない、また話せるチャンスをもらえた! しかも今度はプライベートで! こんな嬉しいことはない。
それにしても、鬼頭さんの頼みたいこととはなんだろうか? 鬼頭さんが僕に頼みそうな事とは……なんだろうか、全く心当たりがない――でも、僕もこれだけ鬼頭さんにお世話になっているので、ぜひとも鬼頭さんを喜ばせてあげたい! そんな事を思いながら、アシスタントの人に誘導されてシャンプー台へと向かった。
「いやぁ~、鬼頭さんがあんなに喋っているところ初めてみましたよ! 珍しい、珍しい、あのいつも怖いうちのカシラがねぇ~、いつもお客さんと喋るのはカウンセリング中と仕上げの五分ほどですよ! 施術中は絶対に喋りませんしねぇ~、うちのカシラ本来は鉄仮面なんですけどね、今日はどうしたんでしょうかね!」
「か、カシラ!? カシラって……鬼頭さんの事ですか?」
アシスタントのシャンプーボーイが、シャンプーをしながら気さくに僕に話しかけてくれた。
「あっ! ごめんさない……つい癖で鬼頭さんの事をカシラと呼んでしまいました! お客様の前で失礼しました。 お客様の前では鬼頭さん、お客さんがいないときは――カシラと呼ぶように、俺達スタッフは言われているんすよぉ~」
衝撃的な事実だ! なんだろう……頭さんが僕に『店長』と呼ばせていたノリなのだろうか……いや、違う! カシラとは、その場の頂点つまり、頭の事――ここの首領、トップを意味している……勿論お客様の前ではマフィアでも何でもないので自重すべき言葉だから、言わないように教育しているみたいだけれども、美容室においてスタッフだけの時にでも通常は呼ばせるような言葉じゃない! 鬼頭さんなりのコミュニケーションのとり方なのだろうけれども、実にパンクで……癖まみれの一面だ。
癖まみれか、鬼頭さんまだ変わっていないパンクな部分もちゃんとあるじゃないですか!
「ハハハ、鬼頭さん面白いですね。このことは絶対誰にも言わないここだけの話にしますから、もっと面白い話はありませんかね?」
「いやいや、カシラって呼べって言われている話はもちろん内緒にしてもらいますが、スタッフからしたら全然面白くないですよ! 怖いですよ、鬼頭さん! カシラは厳しくて怖い人です! うちのスタッフでもカシラが怖くてやめた人が何人もいますよ! まぁ、技術は一流ですし、教え方も分かり易くて良いものが学べるので、今いる皆は頑張っていますし、スタイリストの人は一生モノの素晴らしい技術を鬼頭さんから学べたと、カシラを崇拝していますからねぇ~、宗教の匂いがしますよ! まるで教祖ですよね、身嗜み、技術、生活態度、健康管理、すべてにおいて『鬼』がつくほど、厳しいですよ! 異名につく『鬼』の字は、指や、切っている姿なんかより、性格から来ている様な気がしますよ! カシラは性格が鬼そのものなんです」
そうアシスタントの人に鬼頭さんは評価されていた……。僕の知る頭さんから聞いた鬼頭さんの性格はユニークなパンクスに溢れたものだった、けっして鬼なんかではなかった筈だ……何が彼女を大きく変えてしまったのだろうか? カリスマ美容師の彼女が抱える闇みたいのがあるのだろうか――鬼の歪みは終わらない……。でも、僕は知っている! あの異名に付く『鬼』は性格のこと何かじゃない! 彼女が研ぎ澄ませていた牙であるカット技術をする姿からきているんだ、カシラとスタッフに密かに呼ばせるユーモアはまだある……それも癖まみれなパンクなものだ! きっと鬼頭さんは何かを悩んでいるのだ、もしかしたらそれが僕に頼みたいということのヒントかもしれない、そう思い始めた。
「なるほど……。僕も鬼頭さんの技術は一流だと思います。お互いめげずに目標に向かって頑張りましょう……って!? ごめんなさい、なんか生意気いってしまって!?」
色々内部情報を教えて下さったアシスタントさんに失礼な、どこから目線の立場で僕は発言をかましてしまい、僕が謝罪すると――アシスタントの人は嫌な顔一つせずに僕に言った。
「ハハハ、気にしないでください。お互い頑張りましょう! 俺はカシラから逃げ出す気は微塵もありませんし、残った人たちも、み~んなそう思っていますよ! ほら、だってうちのスタッフみんな美男美女でしょ? 美容師じゃなくてもなんかで稼げそうな人たちなのに、ここに残っているってことは是が非でもカシラに技術を教えて貰って身に付けることが、今後の美容人生で大きな宝になると、信じているんですよ、カシラは厳しいですが、そんなの吹き飛ぶぐらい魅力的なんすよ」
ランプしか知らずに生きていたら知ることの出来なかったサロンの様子を今日知る事ができた。このサロンに来なければ、けっして知ることのできない師弟関係の在り方を僕は鬼頭さんと、アシスタントの人から学ぶことができた――『ソニック・ローゼス』という有名サロンと、『ランプ』という隠れ家小規模サロンの師弟関係と、サロンの立ち回り方の違いを知る事ができて、編集者として、美容師として、人間として、良い勉強になった。
「ありがとうございます。そう言う明るい言葉で返して貰えて本当に嬉しいです。シャンプーとても気持ち良かったです!」
僕が笑顔でそういうと、シャンプーを終えてセット面に移動して、そのアシスタントの人が僕を仕上げてくれた――さすが銀座有名サロンと言うべきだろうか、お客様を触るレベルのアシスタントの技術力はかなり高く、綺麗に仕上げて貰えてとても満足した。
鬼頭さんが厳しく鬼のように指導した結果が、スタッフの技術一つ一つに沁みわたっているのが分かった。メンズのブローだろうと技術においてけっして手を抜かない、そういう美容室は意外に少ないのである。でもどんな技術だろうと、たとえ速さが追及されようとも、技術において妥協せず、自分の力を120%出してくれる様なお客様思いの美容室が、僕は一流だと思う――場所や、スタイリストが有名だなんて関係ない。お客様に恥じることない美容を誰にでも実践する事ができる高いプロ意識から生まれる美容の仕事を支える『技術』、それを学ぶことができた。
美容の仕事を支える『技術』――ランプで頭さんから聞かれて僕が答えた『コミュニケーション能力』でも、頭さんが鬼頭さんの専売特許と言った『エキセントリック』でもなく、今日学んだ美容の仕事を支える『技術』は、カリスマ美容師が率いる有名店ならではの厳しい修行から生まれた『店のメンツ』を汚さない為、下手な仕事は絶対にしないという有名店の『プライド』と、厳しいチェックで誰もが憧れる容姿の端麗さと、美意識の高さを身に付ける高い『プライド』、それが『鬼』が束ねる有名美容室、『ソニック・ローゼス』に築かれていた。
この『プライド』を店に築く為に、鬼頭さんは昔のパンクスで『エキセントリック』な自分を変化させて、厳しく自分なりに真面目に皆と接して、そして築き上げた。そんな『プライド』からできたこの美容室が鬼頭さんの大切な居場所なのだろう。
自分を厳しく変化させて生きた鬼頭さんだから、昔みたいな『エキセントリック』な鬼頭さんに戻ると、今まで築き上げたもの――世間体が崩壊していってしまうのではないか? なんて馬鹿げた事を、思ってないでいてほしい。鬼頭さんは、鬼頭さんなのだ、変われるし、隙に戻れるのだ、そう切に願って、僕は『ソニック・ローゼス』を後にした。
時計の針が二十時を示す五分前――僕は鬼頭さんに会いに、再び『ソニック・ローゼス』へとやってきた。
営業は十九時半までなので、今は終礼や片付けが終わって、練習の準備に取り掛かっているころだろうか、五分だけ早かったが、僕は『ソニック・ローゼス』の中へと入った。
「だから! 考えて練習しなさいっていつも言っているでしょ!? サノバビッチ! 闇雲に何回も同じ動きを機械の様に繰り返して練習しても、効果は薄いのよ! 何がダメだったのか何が良かったのか毎回考えてやるのが一番伸びるのよ! あんたみたいに思考停止して手を動かしているだけなんて最悪よ? 人間は考えることをやめた瞬間終りなのよ! あんたは人間をやめるの? ふゃぁ!!」
「かぁしぃらぁ……ごめんなさい! ぐぬぬ、グハッ!」
僕が中に入った瞬間――鬼頭さんが大きな声で、ウィッグを持った先ほど僕をシャンプーブローしてくれたアシスタントの男の人を怒鳴っていた。
考えて練習しろかぁ……――考える事それは即ち人間の限界だ、人間は考える事のできる生物だ。考えて練習するのと、闇雲で何度も練習するのでは成長速度が全く違うと、よく頭さんに言われたものだ。
怒られているアシスタントの人は、恐らく朝練で作ったのであろうウィッグを鬼頭さんに見てもらう為に持ってきたのだろうが、技術の悪かったところが前と同じだったのか、そのせいで厳しく叱られていた。彼はその言葉がそうとう効いたらしく、魂が抜けかかっているかの如くヘロヘロになっていてHPはもう殆ど残ってないようだ! 僕にベホマが使えたら即かけてあげたいほどだ!
その瀕死間近の彼の後ろにはまだ、何人か鬼頭さんにウィッグを見せようと順番待ちをしていた、鬼頭さんは次々とスタッフ達の作ったウィッグをチェックしていき――先ほど同様厳しくアドバイスをしていた。これだけ厳しいチェックを受けているスタッフ達だ……上手くなるのは納得できる。
こう毎日アイロニー溢れる言葉を鬼頭さんから貰えるからだろうか、レセプションを除けば女性スタッフは三人で、内訳は鬼頭さんを合わせてスタイリストが二人、アシスタントが一人である。残りは全て男性スタッフである。イケメンドMの集まりだと予想する……。
僕が頭目から見学を暫くしていると、スタッフ達を捌き切った鬼頭さんが両手を上げて背筋を伸ばして、う~、と背伸びをしながらやってきた。
「いやぁ~、待たせたね、時蔵君。うちのスタッフ達は勉強熱心で頼もしい限りだ、私はこの環境を大事にしていきたいと思っている。『ソニック・ローゼス』が銀座だけじゃなく、日本一のそして、世界一の美容室になるまで、私はこの環境を崩すわけにはいかないのだよ。これから何人かは練習をして帰るだろうから、先に出させてもらおう、行くぞ、時蔵君」
「お疲れ様です! 鬼頭さん。さすが有名店のスタッフさんです! やる気が違いますね。『ソニック・ローゼス』は場所も設備も申し分ないですし、なにしろ鬼頭さんがいる環境なのでとても学ぶには良い環境だと、僕も思います! じゃぁ、行きましょうか! 皆さんお疲れ様でした! お先に失礼致します!」
そう挨拶して、店を出ようとすると――スタッフの人達が皆さんその場でお辞儀をして、大きな声で挨拶を返してくれた。
「お疲れ様です! 時蔵さん。カシラ! 練習を見ていただき有難うございました! 明日もよろしくお願いします!」
礼儀も上下関係も厳しい、有名店の挨拶に僕は感心した――こう、キリッと揃えて挨拶を返してもらえるのは中々気持ち良くて、僕なんかが何かできる訳がないのだが、何かしてあげたくなる気持ちになるぐらい良いものだ。そんな清々しい挨拶を貰い「うむ、それじゃあお疲れ」と、鬼頭さんがクールに返して僕たちは夜の銀座へと繰り出した。
「時蔵君、それだ――ロン! メンタンピン三色表表裏で16000の2本場だ……」
鳴いて出てくる当り牌とはよく言ったもので、僕のピンズのホンイツ役役を見事に鬼頭さんに見透かされ、切られた役牌を鳴いてこちらもテンパイをしていたので、思い切ってサンピンを切ったら見事、真っすぐ直線的な打ち方の鬼頭さんが作った鮮やかなメンタンピン三色に捕らえられてしまった……って!
「な、なんで! 色々話そうって時に高級個室雀荘で麻雀なのですか! なんか、普通の雀荘では見たことないお通しみたいな小皿も出てきたし! ここ一時間の場代いくらなのでしょうか……ものすごい、高そうですが! あー! しかも、僕こんな高い手振っちゃいましたよ……凌げる気がしないのですが……」
「こら! 時蔵! 鬼頭さんに失礼だろ! 折角、お話をさせてもらえる機会を頂いたのだぞ! お見事でした、鬼頭さん! 見事なアガリです。さあ、次いきましょう!」
「うむ、最速でこの形に仕上げられた! 銀山さんも今日は仕事上の立場は何も気にせず気ままに打ってくださいね。楽しもうじゃないですか」
銀座の雰囲気にのまれて、成り行きで卓に着いていた僕だったが……倍満放銃で我に返った。
「まぁ、雀荘で話をするのは100歩譲っていいとして、で? ――何で山さんがここにいるんですか! それに、ランプのお客さんだった滝さんまで!」
僕と鬼頭さんの他に、卓を囲んでいる人が二人――一人は山さん、もう一人はランプのお客さんだった滝さんという年配の男の人だ! 前に接客中にお仕事を訊いたら「昔はラーメン屋をしていたんだけど、流行らなかったからアミューズメントパークを今は経営しているんだ、オジサンはねっ!」と、言っていた。まさか……。
「ああ、銀山さんをメンツ合わせに呼んだのは私だ、美容スータビリティで私が連絡先を知っている編集者の人は銀山さんしかいなくて、ご足労願ったのだ!」
「そうだったんですか! 山さんお疲れ様です。ひょんな事からこんな展開になっています」
「ふむ、話は鬼頭さんから聞いているぞ、時蔵。鬼頭さんにお話を聞いてもらえる機会を得るとは良くやったお手柄だ、私もそうとなれば飛んでくるさ」
疲れた体に鞭を打って山さんも飛んで来てくれたみたいだ、でも疲れた様子は一切見せてはいない――その姿はとてもクールだ。
「滝さんは元々、私と頭さんが出会ったラーメン屋のオヤジだ、そこを潰して今はこの高級個室雀荘のマスターだ! 私も腐れ縁でよくここを利用している。麻雀はマスターの教えてもらって最近覚えた! 頭さんが復活するまで滝さんもうちの美容室に来てくれているからな、時蔵の知っている人の方がいいと思って今回、この御二方を誘ったのだ」
「おー! 叡智君久し振り、元気そうで何よりだ! 今、編集者として働いているみたいだねぇ! オジサン応援しちゃうよーなんたって、頭さんの一番弟子だからね、叡智君は! 編集者と作家の密談の場と言えば、やっぱりオジサンの店のようなここ銀座の高級個室雀荘が一番ではないだろうかねえ!? 前に叡智君に話した通りのアミューズメントなパークでしょ!」
「アミューズメントなパークですか……ハハハ、滝さんありがとうございます。とても心強いです。滝さんもお元気そうで何よりで! いやぁ~びっくりです。頭さんに聞いた昔の鬼頭さんの話で出てきたラーメン屋さんが、滝さんがやっていたラーメン屋さんだったんですね!」
「ええ!? 頭さんはそんな話を時蔵君にしていたの!? いやだ、恥ずかしい……」
僕の滝さんへのその発言を聞いて、鬼頭さんは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにそう言った。無理もないか……ここまで昔とキャラが変わっているんだもんなぁ~。そんな鬼頭さんを見て、元ラーメン屋のオヤジの滝さんがチャチャを入れた。
「ギャッハハ! 昔、嬢ちゃんは癖まみれの子だったからねぇ~、顔を真っ赤にしちゃうのも無理ねぇ~わにゃ~。でも、しっかし……嬢ちゃんは大人ぽく変わったなあ……。やっぱり、上に立つ立場の人間はいつまでも好き放題ハチャメチャやってられねぇ~ってか? 癖まみれなパンクな嬢ちゃんがねぇ……人は変われるもんじゃいなぁ~」
「ジジイ、それだ! ロン! メンチン、親ッパネ。お喋りが過ぎるわよ!」
「ひやぁ~、こんな真っ直ぐな染め手の捨て牌だったのにぃ~振っちゃったよ! オジサン麻雀下手だなぁ~、やっぱりラーメン屋の方が向いているのかなぁ? まぁ、ラーメン作るのも下手だったんだけどねぇ~」
ジャラジャラジャラと、僕らは麻雀を打ちながら話していると――鬼頭さんのデリケートな問題に触れてしまったのか、鬼頭さんから滝さんに厳しい一撃が炸裂した。
その後は変な空気にしない様に気をつけ、僕達は他愛のない雑談をしながら局を進めていき、麻雀はオーラスに入った。点数状況は、鬼頭さんが大きくトップを独走していた。
真っすぐな打ち筋に、バランスのとれた押し引きをする鬼頭さんはまさに鬼の様に麻雀が強かった! そんな鬼頭さんがこの最終局――ここに来た理由を僕に語った。
「なぁ、時蔵君。神様っていると思う?」
「え? か、神様ですか? ハハハ、突拍子もない事を言いますね。神様ですかぁ……どうでしょう! わかりません」
「そうだよね、ごめんなさい変な事を聞いて。実はね、私はここ一回自分の魂を神様に預けてみようと思うの、要は神頼みで決断しようと思うのよ――ここに来た目的はそれなんだ、これから私はどうするべきか。自分の気持ちに素直になるべきか……それとも有名店の銀座のカリスマらしく、このまま生きていくか……。ここ一回神様に決めてもらおうと思うの! もし、後押しがあれば……私は君に頼みたいことがある! だけど、このまま終われば……今日はこれにて解散ということにしてくれ……ごめんね。さあ! 私の魂を受け取ってくれ!」
「なんですか、それ……え? ――」
そう言う鬼頭さんの目からは涙が一筋垂れていた……。なんですか、じゃねぇだろ! 鬼頭さんは全力で何かを悩んでいるんだ――それに全力で答えるのが僕の使命だろう!? ここで神が微笑まなければ、解散なのだ……。美容師は「次がある」なんて思っちゃいけないんだ! 一期一会の精神で毎回これがこの人と会える最後だと思って、悔いが残らないよう全力で臨まないとダメなのだ! 訳が分からなくても! 相手が全力であたってきたらこっちも全力で答えるべきだ、時蔵叡智!
「――いや、鬼頭さんが魂をぶつけてくれるなら……僕はその一回全力で神を味方につけます! 僕は鬼頭さんと編集者として一緒に仕事がしたいです! それを叶える為、僕に出来る事があれば何でもします! 鬼頭さんが僕に頼みたいこと教えてください!」
「そう言ってくれるか、やはり君は頭さんが認めただけの男だ! 私も君を見込んでのお願いだ、もしここで神様が私に微笑むなら……私は正直に生きる! ハハハハ……熱いな、この麻雀私をこのオーラスでまくってみてくれ! この麻雀私は、負けるが勝ちなんだ! だが、手は抜かない! もし神様がいるならば――願わくは、時蔵君に私を逆転させてみせてください。そうすれば……私は自分に素直になれる勇気を持てます」
麻雀とはまるで神が作ったゲームの様に良くできたゲームだ。偶然と、必然と、夢と、熱気、全てが詰まっているゲームだ。そんなゲームに鬼頭さんは自分の今後を賭けた――僕の運に、どうにもできない事をどうにかする為、神の後押しを求めたのである。僕との点差はかなり離れているし、親は山さんだ、そんな鬼頭さんが絶対有利の中、鬼頭さんは神に後押しされて負けたいのである……。奇跡を見たいのだ、勇気を出すために!
運を支配する人間が麻雀を制するとよく聞く――今日の僕は運が良いんだ! だって、鬼頭さんと会うことができたし、こんなチャンスに巡り合えている。
鬼頭さんからしたら、これはギャンブルなのだ――突然出会った僕に自分の思いを賭ける価値があるか……真っすぐで一直線な今の鬼頭さんでは、それが自分だけでは決められないのだ。有名店のトップになって銀座のカリスマとなった鬼頭さんは今や背負うものが、昔の鬼頭さんと段違いなのである……だから、ギャンブルで決めたいのだ! たとえ破滅しても、ギャンブルなら自己責任だ、諦めがつく! ここ一回神が微笑んで自分を貶めてくれたら、彼女は覚悟を決めて僕に頼みごとができるのだ、世間に本当の自分を曝け出せる勇気が湧くんだ!
鬼頭さんの悩み、頭さんと磨いた六年間の美容人生、若葉寮の寮長や皆の応援、美容スータビリティの皆の期待、編集者としての僕の『希望』を背負う、僕の全てを賭けた――ここ一回鬼頭さんが神に託したオーラスの僕の配牌が……安い訳がないっ!
「ハハハ……あー、あー、時蔵君ダメだ! 結果はこんなんだけど、えへへ……熱かったなぁ、久し振りに……ごめんね。私はここで君に負けられないみたい、リーチ! 流石、私の魂ぶつけた配牌だわ、テンパイしているんだもんね、びっくり」
東家の鬼頭さんからダブルリーチの発声が飛んできた――ドラは『白』で、西家の僕の配牌はピンズのホンイツを狙えそうな手牌だ……。だが、ここからトップを取るには鬼頭さんから三倍満以上直撃か、役満をツモ上がるしかない。さすが、鬼頭さんだ……。鬼と呼ばれるだけある! 本当に厳しい人だ……。
僕の手は良い手だが、まだテンパイまで遠いい……――やっぱり神様なんて、いないのかな……。
「やい、叡智君! それに、御嬢ちゃん……。てやんでぇい! なんて辛気くせえ顔しているんだ? オジサンのラーメン屋に初めて来た癖まみれだった頃の時の御嬢ちゃんと同じ顔を今御嬢ちゃんはしているぞ! そんな悲しい顔するなよ! まだ何も終わってねえよ! 嬢ちゃんのギャンブルは、ここからだ! 滾るぜ、オジサンも久しぶりになあ!? 叡智君、見せてやろうぜ! 頭さんが、おみゃあの! 師匠がっ! この嬢ちゃん昔、救ったみたいに! 弟子のおみゃあが! 今度は救ったれやっ!」
「滝さん……ありがとうございます! や、やってやる!」
弱気に成りかけていた僕を滝さんが勇気づけてくれた――そうだ、僕は……鬼頭さんと仕事がしたいんだ! これが最後のチャンスだと思え、鬼頭さんを救うんだ。
「よし、そのいきだ、ダブルリーチはチートイの確率が高い! 何でもいい、ドラの『白』以外の字牌の一点読みでいくぞ! あとはオジサンが脂っこい牌切って叡智君をアシストしたるっ! オジサンと叡智君で三倍満作ろうぜ、君は一人じゃない! 応援する!」
「わかりました! ピンズをください――後は何とかします!」
「あいよ! ほれウーピンじゃい!」
「ポン! 決めました。ドラ表の『中』以外は全部切ります! 一点読みです」
僕はそう言い前にでた――覚悟を決めたのだ。逃げ場はいらない!
「そうか、なら私も混ぜろよ、時蔵。私はお前の上司だ、必ず勝たせてやる! ほれ、受けとれ『白』だ! 時蔵、しっかり仕上げろ!」
「ポン! 山さん……ありがとうございます!」
「おっ、こっちのべっぴんさん……オジサンと同じ江戸っ子だねぇ! 仲間に入れてやるか!」
二人のアシストにより僕は九巡目にテンパイにこぎつけた――そして、けっして手を抜いて打っていない先制リーチの鬼頭さんから『發』の牌がツモ切りされた一四巡目その時、僕は勝負にでた。
「それ、カンです! 鬼頭さん……見ましょう、一緒に……皆で未来を」
「ああ、見せてくれ……。私は、もう一度……昔の大好きだった自分に――また生まれ変われるのか?」
神様が微笑んでくれるのなら、最初からこの牌はここで鬼頭さんを待っていてくれている筈だ。始まりから鬼頭さんの手牌でここまで睨めっこをしていたこの牌は、僕の手牌に一枚きてくれたこの牌は、ドラ表で僕達のこの局の物語を初めから見ていてくれたこの牌は、この王牌に眠っている筈だ――手を差し伸べて僕は、リーシャン牌で『中』を掴んだ。
「神様は……いましたよ――ツモ、ホンイツ、白、發、小三元、トイトイ、ドラ3、リーシャンカイホー。鬼頭さんの切った牌で大明カンをしてアガリだったので、鬼頭さんの責任払いです。24000点で逆転です」
「ハハハハ、そこにちゃんといてくれたんだ……私のアガリ牌。神様ありがとう、時蔵君に会わせてくれて……。時蔵君、あのね、私――変わりたいんにゃん! もっと昔みたいにぺこ~とか、変な語尾とかつけて、生活したいぺこ~。私は偉くなりすぎて……初心の頃のパンクな私に戻れなくなっちゃったにゃん! 本当の私で、『ソニック・ローゼス』で働きたいにゃん! 本当の私で、店と世間に馴染める気がしなくて……悩んでいたぺこ~。この問題を解決する手助けをしてくれるなら、月刊美容スータビリティのカット連載企画、私でよければ引き受けるぺこ~、お願いできるかにゃん?」
そのお願いは予想通り過ぎるというか、鬼頭さんは実に真っ直ぐな人で……読み易い人だ――それがゆえ、応援したくなる! 全力を尽くしてあげたくなるような女性だ。真っすぐだけど、癖まみれなしゃべり方をする彼女は、まさに僕の知っている頭さんから聞いた話の『直線切りの鬼』そのものだった。
「わかりました! 僕が必ず『ソニック・ローゼス』に本当の鬼頭さんを――ホンモノの『直線切りの鬼』の姿を馴染ませてみせます! 明日から取材に行かせてください、よろしくお願いします。僕も『ソニック・ローゼス』でお手伝いします! 鬼頭さんの技術を見て、聞いて、鬼頭さんのカット技術企画もまとめます! 忙しい鬼頭さんに迷惑があまりかからないよう、この連載企画を計画していきます! いいですかね? 山さん」
「ああ、許可する。鬼頭さんの役に立って来い! そして、連載企画の記事もしっかり作りあげてこい! それが時蔵の仕事だ、社長には事情は上司である私から伝えておこう」
「山さん、ありがとうございます。僕と鬼頭さんで必ず良い仕事をします! 鬼頭さん頑張りましょう! まずは、鬼頭さんに好きなように変わってもらいます! 連載企画の事はその後です。絶対皆受け入れてくれますよ! パンクな鬼頭さん――とても素敵ですもん!」
「な、なんだにゃん……。照れるじゃないか、ガッデム! よろしく頼むぺこ~、時蔵君……」
「おっ、こりゃいい! 昔の癖まみれの御嬢ちゃんに戻った! やっぱり嬢ちゃんはそうでないとねっ! オジサン嬉しいよ、久し振りにチャーシューメン作ってあげるから、ちょっと待ってな! サラダハムまみれのあの懐かしの味を!」
「滝さん……さっきは一瞬かっこいいオヤジだったのに! チャーシュー偽装サラダハムラーメンを出したらまた汚ねぇラーメン屋のオヤジに戻って台無しにゃん!」
こうして、鬼頭さんは神の後押しを得て――明日から本当の自分を出し、スタッフとそして、世間と向き合うことを決めた。僕はそれをサポートしていく、どうなるか分からないが僕が憧れる技術をもつ『エキセントリック』な鬼頭さんの役に僕は立ちたい。
そして、僕は『希望』に近づく為、鬼頭さんの傍に居られるこの機会を最大限に活かして――最高のカット技術連載企画の記事を作り上げる! 神様もそれを応援してくれているみたいだ。
「皆の衆~おはにゃん! 朝から精がでるねぇ~、練習御苦労、御苦労ぺこ~! あ、今日から、うちに美容スータビリティの編集者の人が取材に入るにゃん! 時蔵叡智君だ、昨日も来ていたから知っている顔だと思うが、色々協力してあげてくれにゃん!」
朝――『ソニック・ローゼス』の朝礼で、変な語尾をつけながら、陽気で明るく鬼頭さんは僕を紹介してくれた。するとその姿にスタッフ達がざわついた。
「え? か、カシラ……ですよね? あ、あれ……聞き間違いかなぁ……。今、にゃんとか、ぺこ~とか、聞こえた気がしましたが……」
「ああ、今日から私はこういうスタンスでいく事にしたにゃん! 皆よろしくぺこ~! こんなんだけど……今まで通りに『ソニック・ローゼス』を引っ張らせてくれにゃん! 世間体、立場があっても、自分の愛した『ヘン』を変化させて生きるのは、辛かったぺこ~、これが――本当の私なんだにゃん!」
「皆さん鬼頭さんは、本当にパンクで『エキセントリック』な人で……でも、この店のトップになって、銀座の頂点にたって――自分なりに、『ヘン』なしゃべり方とか、変えていかないとまずいと思って、どこに出ても恥ずかしくない社会人らしい人間にならないといけないんだ! と、自分なりに変化をして……皆さんと接していました。本当に自分が愛していた初心のころから持っていた『ヘン』を押し殺していました。カリスマだって……人間なのです! 真っ直ぐじゃない、癖まみれの一面もあります! 今日、鬼頭さんは自分に真っ直ぐ素直になったということで――」
鬼頭さんは皆の前で高らかに今後のスタンスを宣言した――鬼頭さんのこの勇気を無駄にしないべく、僕がすぐさまにフォローを入れたその時だった……。スタッフ達が声を上げた!
「か……かわいいいいいですうう! カシラアアアアア! カシラのファッションセンスと、性格に女子から目線違和感覚えていましたが……これで納得です!」
「か……かっこいいいいいいい! オ、俺……美容学生の時にカットの大会見に行った時に、その大会でカシラが優勝して、優勝コメントが滅茶苦茶パンクで鬼カッケーと思って『ソニック・ローゼス』に入社したんです!」
「俺も! 俺も! でも、入社して、カシラに付けるアシスタントになったら、あの時に見たカシラと全く違うカシラで、正直ショックだったんですよ……。でもその時は絶望したけど、辞めないで本当に良かった! 俺達の学生時代に憧れていたカシラが返ってきたっ! ソールヒーロー! 今日はホンモノのお帰りだい! 営業気合い入れるぞ! まぁ、いつも全力だけどな! 俺達のカシラは厳しいから! 付け足してパンクになったぜっ!」
僕が余計な事を言わなくても、スタッフはすぐに鬼頭さんを理解した。きっと彼らもどこかで鬼頭さんの無理な変化に気づいていたのだろう――だって、朝から晩まで『ソニック・ローゼス』で皆一緒にいたのだ、僕なんか比べ物にならないほど、スタッフ達の方が鬼頭さんの事を知っているのだ。
「――良かったですね、鬼頭さん」
「時蔵君、ありがとうにゃん……。そして……み、みんなああああああああああああああ!? ありがとうぺこ~、私……みんなに受け入れてもらえて本当に……――」
鬼頭さんが、瞳に涙を浮かべながらそう言いかけると、鬼頭さんの他にいる女性スタイリストの――黒羽 幸が声を荒げた。
「気持ち悪いのよ! なんてこと言ってんのよ!? あんた何歳? 私と同い年でしょうが! 店の秩序が壊れるからやめてくれる? サロンワークは遊びじゃないのよ! なによ、なによ、みんなして……。私の方が『ソニック・ローゼス』に勤めて長いのに、すぐ直ちゃんが、私のこと抜かして、今は皆を押さえてトップ? こんなふざけた女がよ? 私は――ずっと悔しかった。同い年だけど、サロンでは私が先輩なのに……出世したのはこのふざけた女の方! この女が入社して、大会に出場してすぐに私を抜かした時ぐらいから……その『ヘン』な喋り方止めたから、なんとか我慢していたけど……。私に気でも遣っていたのかな? ハハハハ、なんなのよ……やってらんないわ! それに、雑誌の取材って何よ? 直ちゃんばっかり……もう、私ここ辞めるわ!」
そして、黒羽さんは走って店をそのまま出て行った。
「さ、さっちゃん! 待ってぺこ~!? さっちゃん!」
「カシラ! 幸さんを追いかけてあげて下さい! 幸さんも変わりたい筈なんです!」
「そうですよ、カシラ! カシラを名前で呼ぶのはこのサロンで幸先輩だけですよ! 俺達……カシラも幸先輩も有名店の『プライド』を全面に出していて、本当にカッコイイと思います! 尊敬しています。だから、幸さんがいなくなったら嫌です」
「私も! 女のアシスタントは私一人だけど、可愛いくてカッコイイ二人の憧れのスタイリストを見て頑張れていました! こんな終わり方は嫌です! 追ってください、カシラ!」
黒羽さんが出て、引き止めようと鬼頭さんが名前を叫んだが……彼女は振り向く事無く行ってしまった――だけど、スタッフ達は鬼頭さんに黒羽さんを追いかけてくれと、後押しをした。
「さっちゃん……私、追いかけたいにゃん! だけど……もう私と、さっちゃんの予約のお客様が来ちゃう――どうしよう……行けないぺこ~、さっちゃん……」
僕は何の為にここにいるんだ? こういう時に――鬼頭さんを応援する為にここにいるんだろう! なら、僕の言う事は一つだ。
「早く行ってください、鬼頭さん! 他の誰でもダメだ、鬼頭さんがここは行くべきなんだ!」
「でも、時蔵君……。店にもうお客様がきちゃうにゃん……いつ戻れるかも分らないぺこ~」
「それでも! 鬼頭さんが行くべきなんです! ここには鬼頭さんの鍛え上げた頼もしい仲間であるスタッフと――僕がいます! 魔神の美容を熟知した僕がいます! 今朝ここに来る前に頭さんの所に行ってきて、これを頭さんの美容道具からお守りにしようと借りてきました!」
そう言いながら自分の鞄から僕は『あるモノ』を取り出して鬼頭さんに見せた。
「それって……指サックかにゃん? もしかして私の指を模した指サックかにゃん?」
これの使い方はみっちりと過去に頭さんから教わっている――僕は今日、『鬼』になる。
「今日だけ、僕は鬼頭さんのような『直線切りの鬼』になります! 鬼頭さんと黒羽さんのお客様は、僕とここにいる『ソニック・ローゼス』の残りのスタッフ達で何とかします! だから、行ってください! それがここにいる皆の願いです。さぁ、鬼頭さん! もう一ギャンブルしてください――僕と頭さんの『魔神の美容』に賭けてください! 今日は全力で美容師に戻ります!」
「ありがとうぺこ~……。私に、行かせてくれにゃん! さっちゃんがいなくなったら……私一生後悔するぺこ~、絶対に連れ戻してくるにゃん!」
「はいっ! 僕に任せてください! この指サックもあります! 鬼頭さんを応援する為に僕は今日ここにいるのです! 頭さんの名に恥じないようにランプの№2の実力見せてやりますよ!」
ここは頭さんのいなくなって僕しかいない『ランプ』とは違う――ここには『ソニック・ローゼス』の皆さんがいる! それなら僕は戦える。
「時蔵君に賭けてみるってギャンブル……のったにゃん! 皆とびっきりのサポート頼むぺこ~、私は今日『ソニック・ローゼス』を嘘のないホンモノのサロンにしたいにゃん! さっちゃん……ごめんね、苦しめて……私はさっちゃんがいないと、嫌だよ!」
鬼頭さんは走ってサロンを出て行った。大事な友達を……仲間を取り戻すために――それと同時刻、『ソニック・ローゼス』の営業が始まった。
僕は昨日、鬼頭さんのカットを見学できたし、自分の髪でも鬼頭さんの美容を体現している従って、鬼頭さんのカット姿は新鮮に脳裏に焼き付いていた。
この日は『ソニック・ローゼス』が進化する過程において重要な日になるだろう――僕と、『ソニック・ローゼス』のスタッフ達は、スタイリストが二人戻るまで、お客様の了承をとりながらこの状況を凌いでいかないといけない、このピンチをぶっ飛ばさないといけないのだ!
何故だろうピンチの筈なのに、僕は何故かワクワクしている。もしかしたらお客様の髪を切れるかもしれないこの状況をチャンスに感じるほど――血が沸き立っていた。
僕達は来店したお客様に誠心誠意謝罪をした上で、カットの準備をしてお待ち頂くか、そのまま今日は僕が施術を行う事を承諾して貰った上でやらせてもらうか、聞く事にした。
朝一の鬼頭さんのお客様が来店した――「いらっしゃいませ、ようこそソニック・ローゼスへ!」と僕が挨拶をすると、お客様から驚きの声が返ってきた。
「え! 叡智君じゃない? わぁ! すごい、ここにお世話になることにしたの?」
なんと、挨拶をした鬼頭さんのお客様は、元は『ランプ』のお客様だった高橋さんという女性のお客様だったのだ! 神様が完全に僕の味方をしてくれている! そう確信した僕は――カットをさせて頂けないか交渉をした。
「わあ! お久しぶりです。いえ、僕は今美容雑誌の編集者をやっていまして、鬼頭さんは今少し、仲間を取り戻す為に出ていまして……。ご迷惑おかけしますが、代打で僕が今お店に立っています! 高橋さん、無理を承知でお願いします! 今日僕にカットをさせて頂けませんか?」
「え、ほんと? 叡智君が切ってくれるの! 嬉しい、お願いしたいわ。私はもし、あなたが一人で『ランプ』でやっていても行くわよ! やってないからここに来たのだもの、ラッキーだわ、頭さんに仕込んで貰った叡智君なら安心だわ」
「ありがとうございます! さっそくお流しして、カットに入りますね」
お客様を一人、なんと運の良いことに早速掴めた! 後は――僕のここでの技術次第で、後続のお客様にこの技術を見て貰い『魔神の美容』を信頼して貰い、施術の承諾を得るだけだ。
高橋さんに施術する美容は頭さんのものを何度も見ていたので自信がある――再現性が高く、シルエットがスッキリしている『グラボブ』それがいつものオーダーだった。
「高橋さん、今日はどんな風に致しますか?」
「勿論、決まっているでしょ? 頭さんが作るスタイルみたくお願いね、叡智君」
「分かりました――なんとかします!」
このオーダーにこの返答は昨日の鬼頭さんと僕の様だが、まるで違う。カット技術は僕より鬼頭さんの方が高い……だけど――このオーダーに限っては僕の方が圧倒的に上手い筈だ! 頭さんが作る様なスタイルにおいて、僕の右にでる人はいない!
鬼頭さんにはカット連載の企画をお願いしているので、編集者である僕も今日、カット道具を全て持参していた――おかげで『魔神の美容』の施術に入れる。
軽やかなシザーリングで全体を三度にわたってカットをし、満足のいく『グラボブ』を施術する事ができた――それを見て説明を受けて待っていたセレブのお客様が「あの子……上手いみたいだから、あまり時間も今日は待てないから切ってもらおうかしら?」と、僕が代りに施術を行うことを承諾してくれた。
高橋さんは満足して帰ってくれた、次は黒羽さんを指名できたセレブのお客様だった。
ご希望は『おまかせで、似合えばいい』というものだった。実はこう言ってくれるお客様が一番楽なのである――その人の髪質と骨格を確かめて自分の頭の中のスタイルブックから選んで好きに選択できるからだ。その提案は楽であるが、とても美容師としてのセンスが問われる為、燃えるのである。
「燃えてきた――そうしましたら、アレンジウルフにしましょう! 気に入ると思います!」
頭さんに教わった事を全て詰め込んで、前髪と襟足の長さを活かしつつ、渋めのアッシュ系のカラーも生える躍動感溢れるキレイメウルフを作り上げた。お客様は喜んでのお帰りとなった。
お客様を二人捌いたが、まだ鬼頭さんと黒羽さんは戻らない――黒羽さんのお客様に対しての僕の施術を見ていた次の鬼頭さんのセレブなお客様も、僕にカットを任せる事を承諾してくれた。
そのセレブのお客様のオーダーは『前と同じで』だった。セレブで鬼頭さんを指名――それは即ちバングスに『鬼の直線ブランド』の施術がしてあるということだ!
スタッフの人にそのお客様のカットカルテを借りて――それを頭の中にインプットして僕は施術に入った。カットをする前にお客様に「鬼の直線ブランドできるかしら?」と、聞かれ僕は迷わず「鬼の直線ブランドつくれますよ!」と、堂々と答えた。『魔神の美容』を掲げる僕はお客様を不安にさせる訳にはいかないのだ。
私が前の店をやめて、有名店『ソニック・ローゼス』で働く様になってから今に至るまで、店を移ってなく、ここに残っている昔の私を知るスタッフは――さっちゃんしか、もういない。
有名店は弱肉強食の掟があり、腕があれば誰でも成り上がれるし、下積み時代の給料はかなり低いものの……店にいる技術力の高いスタイリストから技術を学べる――なんでも自己流では限界がある。いい指導者に巡り合って進化しようと、当時の私は思っていた。
色々な有名店があった――その中で私は名前がカッコイイからという若い理由で『ソニック・ローゼス』を選んだ。だけど、この店は私が来た時にはもう、崩壊しかけていた。
当時の『ソニック・ローゼス』の有名スタイリストは殆ど他の店に引き抜かれ、店は経営難にあって衰退していた――そこで店を支える為に急成長していかないといけないスタイリストが私と、私より前から『ソニック・ローゼス』で働いていたさっちゃんだった。
カリスマ美容師が不在していたが、『ソニック・ローゼス』は有名店だ。修業をしに来る美容師は常に集まる。それがゆえ、腕が良くなければ生き残れない事を、私もさっちゃんも十分理解していた――逆にいえば技術がものを言う世界だからこそ、店の先輩後輩、年齢などは関係なく、追い越して出世できる世界、それが有名店という戦場だ。
私はさっちゃんより多くのお客様を掴んだ、大会にも沢山出場して優勝した。良い店の宣伝となり、昇格はあっ、という間だった。
ヒエラルキーの上に登っていくにつれて私は大人にならなくてはと考えた。店のアシスタント達をしっかり育てる為、さっちゃん達が恥しくないここのトップとして相応しい人間になる為、ホンモノの自分を殺して、厳しくクールな大人へと変化することを決意した。私のその決意が実ったのかさっちゃんや周囲の皆は私をトップとして認めてくれて応援してくれた。
さっちゃんを差し置いて、ここまで出世した私を――さっちゃんは羨むこともなく、私の変化を評価してくれて、私をトップだと認めてくれ、『ソニック・ローゼス』を支えてくれた。
そして、二十七歳になった今日この頃――私が昔の『ヘン』な私に今頃になって戻ったことが原因で――この店のトップの振る舞いじゃないと、さっちゃんはブチギレ……私たちに亀裂が入ってしまった。それを私も、そして恐らくさっちゃんも、理解している。だって今まで一緒に働いてきたし、もう二十七歳だもん! ここまで一緒に『ソニック・ローゼス』を作ってきた私達だからきっと、分かち合える! そう思いを込めて私は走ってさっちゃんを探した。
「さっちゃん! 銀座広いにゃん……ど、どこぺこ~……闇雲に探しちゃダメにゃん! 考えろ私、考えることが人間の限界なんだにゃん! 私ならさっちゃんを見つけられるぺこ~」
さっちゃんが今、さっきより冷静になっていてくれて――私が店をほっぽって追いかけてきていると踏んでいてくれれば、私だけが見つけられる場所にさっちゃんはいる筈だ。
急成長を求められた時、スキルアップに明け暮れていた私とさっちゃん二人でよく息抜きで行っていた場所――交差点を渡って数寄屋橋方面にすっ飛ばして、来ていた日比谷公園のベンチで私たちは昔、二人で語りつくしていた。
そうだ! そこでさっちゃんから私は、「直ちゃんの喋り方『ヘン』だから変えた方がいいよ」と、アドバイスを受けたんだ。忘れていた……それで私が嫌々喋り方を変えていたと、さっちゃんはさっき思い込んで誤解してしまったんだ――違うんだよ、さっちゃん! 私は自分で決めて変わって……自分で戻りたいと願ったんだ! さっちゃんに誤解させてしまった事を誤らないと!
「さ、さっちゃん……」
「え……ひっく! ひっく! 直ちゃん……」
「や、やっと見つけた――って……泣いているの?」
日比谷公園の思い出のベンチで一人泣く――可愛いさっちゃんの姿を発見した。
「テヘヘ、ひっく! 私さっき直ちゃんにあんな酷い事を言っちゃったのに――それでも直ちゃんに見つけて欲しくて、このベンチに来ちゃった……。ごめんね、私のアドバイスでずっと苦しめていて!」
「それは違うにゃん! 言われていた事なんて今思い出したにゃん! さっちゃんは何にも悪くないぺこ~、私は自分で決めて自分で後悔して生きていただけにゃん! 勘違いさせてごめんなさいぺこ~、私はさっちゃんがライバルでいてくれたからトップになれたし、大人にならないとって、思って今まで頑張れたにゃん! だから行かないで、さっちゃん! 帰ろう――『ソニック・ローゼス』に!」
「帰ろうって……どの面下げて帰ればいいのよ……。きっと今頃私たちがいない店は滅茶苦茶だろうし、もう戻れないわよ。それに私はずっと直ちゃんに嫉妬していたんだ、ライバルなんて……全然レベルが違うじゃない!? 私はずっと直ちゃんのその『カッコイイ指』が羨ましかった」
「私のこの指が……カッコイイにゃん? 気持ち悪いと言われ続けたこの指を……褒めてくれる人がたまに私の前に現れるんだ――その人達はいつも必ず私の事を救ってくれるにゃん! さっちゃんが……私の指を褒めてくれる人で、う……うわーん! うわーん!」
「ちょっと! な、泣かないでよ……私たちもう二十七歳なのよ……」
「ほ、本当に……良かった……嬉しいぺこ~……私はもう自分を欺かない! さっちゃんもそうでしょ? 帰ろう! 大丈夫、私達は偉いんだよ! 有名店は技術が一番上手い人がルールだよ、だから普通に帰ろう! 下っ端の頃からの私の事を知っているのはもうあの店でさっちゃんしかいない、『ソニック・ローゼス』にはさっちゃんが必要なんだよ! 私を一人にしないでにゃん!」
さっちゃんの言葉が嬉しくて、涙が溢れた私は全力の感謝の言葉に魂を乗せ――私を認めてくれたさっちゃんにぶつけた。それを受け取ってくれたさっちゃんは優しく微笑みながら、私の頭を撫でて言った。
「ありがとう、直ちゃん。変わるとか、戻るとか……よく考えれば問題ないことよ! でも、頭の悪い私みたいなのがいるから……直ちゃんは悩んでいたんだね! 考えてみてよ! 世間はそこまで私たちの素性なんて気にしてないよ、っていうか……興味ないと思っているよ! 他人のキャラに人生使うほど皆暇じゃないよ! 使うとしたら――私みたいな気持ち悪いバカか、変態ぐらいだよ! だから、ありのままでいいんだよね! 立場なんて気にしなくても、直ちゃんの好きな自分でいるべきなんだよ! 私、帰る……『ソニック・ローゼス』に!」
「そうだよにゃん! ありがとうぺこ~……私達ならもっと『ソニック・ローゼス』を輝かせられる! 帰ろう、皆のもとへ――私達のお客様が待っている!」
二人で『ソニック・ローゼス』に戻る道すがら、沢山の話をした。こんなにさっちゃんとホンモノの自分を出して話したのは、本当に久しぶりで……急成長を強いられ、死ぬほど練習していた――そんな私たち二人の青春時代に戻った清々しい気分だった。
ギャッキン! 一切りでバングスを作る鋏の音が『ソニック・ローゼス』店内に響いた。
『ソニック・ローゼス』に戻ってきてすぐに目に入ったその光景に鬼頭と黒羽は、驚いた――鬼頭のお客様に施術をする時蔵の鋭い動きは、鬼頭を毎日見ている黒羽や他のスタッフ、そして『鬼の直線ブランド』を作るホンモノの『鬼』の鬼頭から見ても、それはニセモノとは到底思えないほど『鬼』そのもので、完成度はまさに自分の『鬼の直線ブランド』だった。
『魔神の美容』を魔神から授かった時蔵叡智という人間に、大きな借りができた。この借りは必ずこの子が危機の時は駆けつけて返そうと、鬼頭は思った。そしてこの子の『希望』を全力で応援すると、鬼頭は決意した。
「時蔵君、三人もカットして貰っちゃたかぺこ~、助かったありがとうにゃん。いつでも『ソニック・ローゼス』に来てくれ、サロンは大忙しだが――手が空いている時はいつでも君の出版社に協力するぺこ~、良いカット技術を読者に提供しようにゃん!」
「黒羽さんを連れ戻せたんですね! お疲れ様です。いえいえ、楽しかったです! やっぱり美容は直接お客様に触れて話せて、最高ですね! 僕はじゃあ、この辺で見学にさせてもらいますね。鬼頭さん後はよろしくお願いします! 良い連載企画にしましょう!」
時蔵は謙虚にそう言い、鬼頭はそれを聞くと仕事に戻った――そんな、髪と神に愛された二人が作るカット連載企画『直線切りの鬼のブラントカット』は切れ味鋭く、真っすぐ読者に届くパンクな魂溢れるカット技術向上企画連載だ! これであなたも美しい『鬼』となれる。