②章[京都の粋人グラデーションカラーの権化、超難関テストVS運命の魔神バレイヤージュ]
えっと、青玉は6等ですね! ――おめでとう御座います! 景品の万能スポンジです!
グラデーションカラーとは――グラデーションとは色の濃淡法、あるいは徐々に変化事を意味します。グラデーションカラーはヘアテクニックの一つであり、今若い女性を中心としてかなり人気が高い施術です! 意図的に色味、明度の段差をつけることで出来あがった髪色の感じが平面的ではなく、『動き』『立体感』を与える事が狙いのテクニックです。
グラデーションカラーの売りを簡単に説明すると、根元から毛先までいくにつれて段々色が変わる訳だから一色塗りではなく、複数の色を楽しめるというファンタスティックでワンダフルなカラーテクニックという感じなのである。また、技術者のテクニック次第で、個性的にもコンサバにもできる為、その美容師のカラーセンスとカラートレンドの知識、そして腕がもろに試される為――その美容師が上手いか下手か、ハッキリ分かる技術なのである。
山さんと初の出張で、僕は『グラデーションカラーの権化』の異名をもつ美容師、京街 空さんにカラーテクニックの連載企画を頼む為に東京から、ここ食の世界の名店ひしめく魅惑のエリアである、京都祇園界隈に来ていた。
なんでも、京街さんの美容室はこの辺りにあると言う。東京では二分歩くと美容室があると言われるくらい美容室だらけの世の中だが、ここ祇園界隈ではそんな事はないらしく、美容室の数は相当少なく思える。その逆に料理店はあちらこちらに多く、とても熾烈な競争争いがあるんじゃないか? と、思ってしまう犇めき具合だ。
「着きましたね~京都! いやぁ~、料理店だらけですね、山さん。京街さんのサロンを見学する前に何か食べて行きませんか? ほら、腹が減っては戦ができないっていいますし!」
「うむ、そうだな。まぁ、京街さんと交渉できるのは美容室の営業時間が終わってからだろうし、適当にどこかに入ってみるか!」
けして僕達の取材は、食に関するものではないのだけれども、ここら辺のお店はどこも美味しそうでいて、京の雰囲気薫る店ばかりで、僕達はウキウキしながら昼食を食べる店を決めて中に入った。
お座敷で食べられる麺処の老舗を僕達は選んだ――そこで一番人気の『おかめうどん』を注文する事にした。湯葉に椎茸、ほうれん草、かまぼこ、のり、具はヘルシーなものが沢山入っていて、さらにゆで卵も添えられており、それはおかめのほっぺのデコレーションとして可愛らしくのっていて、椀の中に具でおかめの顔を表現する遊び心が溢れるクリエイティブな一品と見て取れた。
「美味い! そして上品な味ですね、山さん! 湯葉って初めて食べました。あまり味がしないのですね! でも何でしょう、この触感最高です! ほっこりする味で癒されますね」
「そうだな! しかし、来てみてから言うのもあれだが、こんな祇園界隈にヘアセット専門美容室や舞妓さん達が使う様な美容室以外に本当に美容室があるのは驚きだなぁ……。しかも、京街さんは予約を取るのが大変なくらいの人気美容師だ、サロンもいつもお客様でいっぱいで、飛び込み出とまず入れないそうだ!」
「へぇ~、さすがにグラデーションカラーの権化と言われるだけありますね。あ、うどんご馳走様でした! さてじゃあ、いよいよ京街さんの美容室に行って、そのカラーテクニックを見学させて頂きましょうか! 楽しみだなぁ~」
「うむ、じゃあ行くとしよう! ここは私が払ってやるから、今日はしっかり働いてくれよ。京街さんにうちで絶対連載してもらってこそ、今日来た意味があると言う事になるのだからな! 必ず口説き落として、一緒に最高の仕事をするんだ!」
「ご馳走様です! ありがとうございます。任せてください、僕も力になる為ここに来ました!」
まあ、僕は力になる為にここに来たなんてカッコイイ事を言ってみたものの……全くもって、京街さんに対して、ノープランである……。
今日が美容師の人に交渉や取材を仕掛けるのは初めてだ、上手い事展開をもっていくノウハウなんてものは、僕にはまだ身についてないのだから当たり前と言ったら当たり前なんだろうけど、ここは是非とも山さんのなんらかの力になって、東京へ帰りたいものである! と、昼食をゴチになった僕はそんな事を思いながら、会計をする山さんを店の外で待った。
暫くすると、山さんが何故かスポンジを握りながら、店を出て来てそのスポンジを僕に渡した。
「お待たせ、行くか。あ、そうだこのスポンジ……お前にやろう。万能スポンジらしいぞ、6等だ」
「えっ……あ、はい。ありがとうございます……万能ですか? スポンジ、6等? え、な、なんですかね……これ?」
腹ごしらえが済んで、いきなり万能スポンジをプレゼントされた。僕の頭の中に沢山の『?』が飛び交い、僕達の京都へ来た目的がスタートした。
そもそも万能スポンジとは何なのだろうか? 一見して何の変哲もないただのスポンジだ……。万能そうなところが全く見当たらない! このスポンジの正体を知るには、山さん曰く、会計をしている時まで話を遡らないといけない。
「お会計ですね、ありがとうございます! 合計で2000円になります。今、当店ではキャンペーンをしていまして、2000円以上お食事して頂いたお客様に一回ガラガラくじを回して貰っています。どうぞ、一回お願いします」
山さん曰く、甚平を着た若い女性の店員さんが、どうやら一回ガラガラくじをすすめてくれたらしく、それを回したと言う。
「うん? ああ、ありがとう。では」
と、山さんはガラガラガラガラガラっと! くじを回した。
ガラガラガラガラガラガラガラガラチャリ~ン! とガラガラくじの中から青玉が飛び出てきた。
冷めた目で店員のお姉さんが、それを見てレジに置いてあった鈴を手にして、カランコロ~ン、カランコラ~ン! と、鳴らした。
「おっ! 何か当たったのか!」
山さんは一瞬喜びの表情を浮かべて、それから店員のお姉さんの顔を見ると、店員は冷めた顔で結果を報告した……この凡庸な結果を。
「えっと、青玉は6等ですね! ――おめでとう御座います! 景品の万能スポンジです!」
そう言いながら、店員はにこやかな作り笑顔に切り替えて、スポンジを山さんに渡したと言う。
「あ、ありがとうございます……。ご馳走様でした。美味しかったです」
「ありがとうございました。また、お願いします」
と、一連の流れを両名は大人の対応でこなし……山さんは会計を済ませて外にでた。
そんな事があって今に至ったと、僕は京街さんの美容室へと向う道中に、山さんから伺った――この万能スポンジが、僕達の運命を握っている事などこの時、僕と山さんはまだ知らずに……僕は鞄に万能スポンジを放り込んだ。
祇園界隈に突如現れた威風堂々としていて、それでいて煌びやかにも感じ取れるお屋敷の様な美容室――そのサロンの名前は『キスメット』昨年、京街空が独立して構えた美容室だ。
開店するやいなや人気となり、今は京都で一番予約が取りにくい人気店となった。
その看板に掲げる『キスメット』と言う店名は――運命を意味する。
「すごい店だなぁ、本当に美容室なのか? まるで料亭や老舗旅館の風格だぞ! でも『キスメット』と看板がでているし……時蔵、ここで間違えなさそうだ!」
その威厳漂う外装に、僕達は少し委縮した。恐る恐るゆっくりと、美容室の中へ踏み出した。
「ア、アハハハハ……。す、凄いですね。山さん、こんな建物の美容室があるなんて、世界には知らない事だらけです。流石にグラデーションカラーの権化と呼ばれるだけありますね。だって……ほら、この中って……なんだか権化ぽいのが居そうじゃないですか? ハハハハハ、ね? 山さんもそう思いますよね?」
「な、何を言っているんだ、時蔵。ハハハハハ……へんな奴だなぁ、お前は……権化ぽいのってなんだよ……。よし! お前から中に入る事を許そう! 特別に許可する」
そう言いながら山さんは僕の背中を無理やり押した。中の様子は全くこちらからは分からない仕様の店内へと入る為、入口に構えた大きな門をビビリながらくぐった……というか、押し込まれたに近い!
僕はビビっていたとしても、権化ぽいのって!? 何を言っているんだろうか自分は……。何だか強そうだけど、訳が分からない――そんな訳が分からなくなるまで、緊張していた僕達が店内にはいると、店内はゴージャスな世界が待っていた。
「いらっしゃいませ~! こんにちは、ようこそキスメットへ!」
光沢のあるツヤツヤの床がサロン一面に艶やか広がり、薄いパープルな輝きを放っている。店内のインテリアは僕が勤めていたアンティーク家具中心のランプとは違い、豪華極まりのない各国の有名ブランドの家具や、よく分からないけど高い事だけはなんとなく分かる様な豪華な家具で揃っていた――そして、雑誌の表紙のモデルを飾っていそうなSランク級美人がレセプションを勤めていた。お辞儀をして微笑みながら、僕達に挨拶をし、迎え入れてくれた。
「こんにちは、凄い! 外も中も、まるで家庭画報に載っていそうな、セレブな建物だ……」
僕も山さんもこの美容室の優雅さに見惚れていると、山さんが名刺を出し、レセプションの女性に挨拶をした。アポは取ってある為か、話しはすぐに伝わった。
「うむ、そうだな! とても素晴らしい美容室だ! おっと、ごめんなさい。つい見惚れてしまっていました、初めまして私達は東京にある美容業界誌を扱っています出版社、美容スータビリティから参りました――月刊美容スータビリティの編集者の銀山と、こっちが時蔵です! 今日は京街さんに折り入って仕事の依頼と、お仕事の見学をさせて頂きたく、参上司りました! 今日はよろしくお願いします」
レセプションの人が名刺を受けとると、インカムを通して、誰かと連絡を取っている様子で「はい、はい、分かりました」と言うと、何らかの指示を受けたらしく、僕達を誘導してくれた。
「はい、京街の方と連絡を取りまして2階で接客中なのでどうぞ、2階に上がって、見学をしてくれとの事でした! では、こちらからエレベーターでどうぞ、2階にお上がりください」
入口に入ってすぐのところにエレベーターまであった――どんだけこの美容室は施設に金をかけているんだと思いながら、僕と山さんはレセプションの女性に案内され2階へと上がった。
それにしてもこのレセプションのお姉さんの髪型、それに下でちょいちょい見かけたアシスタントや、スタイリストのスタッフの髪型――皆髪型に素敵なグラデーションカラーが施されている。それも明らかなグラデーションカラーの進化系デザインのものだ! 色選びに工夫をこなし、そしてなお且つカットとのバランスがとれたカットデザインがより際立つカラーデザインとなっていた。まさに進化系デザインと言える素晴らしい完成度の色の出し方である。
色は落ち着いた色を使っている部分が多いが、その中に段々クレイジーカラーというパンチの効いた色を落とし込んでいる。エメラルドグリーンや、バブルガムブルー、キャナリーイエロー、ファイヤー、ピンキッシモ、キャンディーフロスにマシュマロと、様々な色味をカラーテクニックで落とし込んでいるのが分かった。とても素晴らしい色身がでている。
ますます僕は京街空さんという美容師と会う事が、楽しみになっていた――その時を待ち望んで胸が高鳴っていた僕と、京街さんのファーストコンタクトがいよいよ現実になろうとしていた。
エレベーターを降りて案内されたとおりに、奥のVIPルームに進むと……そこにはお客様を接客する京街空さんの姿があった――その光景を見て僕は、瞳孔と口が全開に開き、鞄を落して、声も漏らせずに静かに驚愕した……。
シュッと、して引き締まった身体をしていて、顔の肌がツルツルで綺麗な顔立ちをしている眼鏡をかけたイケメン。優雅な雰囲気を出していて、上品なグラデーションカラーが落し込まれている長めのツーブロックの髪型が好印象で、キレイめファッションの高級感溢れる高そうな服を着ているから……と、言う理由で僕は京街さんに驚愕したのではない――僕が京街さんに驚愕した理由それは、京街さんは今カットの施術を行っていた……そのカットをする姿が、僕の師匠である頭さんのカット姿と重ね合ったからだ……。その見事な京街さんの鋏捌きは、僕が魅了された頭さんの『魔神の美容』の技術にそっくりであり、僕の理想に限りなく近いカット技術だったからである。まるで、魔法の手だ! こんな事が本当にあるのだろうか、頭さんの技術に通じるものがある人間を僕は初めて目にした……。
これは頭さんが創ってくれた運命の出会いだとは、この時まだ僕は気づいていない、これが僕と京街さんの衝撃的なファーストコンタクトであった――キスメット……運命は突然なり……。
「ああ、あなたが銀山さんか、美人だね! 俺好みだ! ハハハハ、今日は沢山見学して帰るといいですよ! お話は営業終わり聞いてあげますけどね。まぁ、貴方があまりに熱心に頼むから、俺はあなたをここまで来る事を許しましたけど、仕事は多分一緒にはできないと思っていてくださいね! 生憎ですが俺は忙しいし、美容業界誌で小銭を稼ぐ趣味も持ち合わせていないのでね! ハハハハ、うん? そこのお茶坊主小僧はお仲間かな? なんか悟りを啓いた様に、何かを感じている様だけど……まぁ、いい。お前も見ていくといい! 俺の技術を!」
僕達の存在に気づいた京街さんは、軽快に鋏を動かしながら少し毒がある言い方で言った。
「はい、お仕事中に申し訳ありません京街さん! 今日はありがとうございます。営業が終わるまで静かに見学させて頂きます。おい、時蔵! なんで悟りを啓いてしまった様に茫然と突っ立てるのだ! 失礼だぞ! 早く京街さんに挨拶をしろ!」
バチンと、山さんにビンタをされて、僕は正気を取り戻し、京街さんに挨拶をした。
「ごめんなさい、見苦しいところをお見せしてしまって! 僕の名前は時蔵叡智と申します。京街さんのカット姿が知っている人のカット姿にあまりにも似ていたので……つい見惚れてしまいました。素晴らしいカット技術ですね、魅了されてしまっていました! 今日は見学宜しくお願いします」
僕がそう挨拶すると、京街さんは不思議そうな顔をして、鋏を動かす手を止め、僕に尋ねた。
「分かるのか? お前は、このカットの良さが……知っている人って誰だ? 答えてみろ」
京街さんの気分をもしかしたら損ねてしまったかも知れないと焦り、すぐに回答した。
「あわわ、生意気な事を言ってしまってごめんなさい! お気を悪くしないでください! このカットは凄いと思います。知っている人とは、実は僕もこの前まで美容師で、その時に僕に全て教えてくれた師匠がいまして……。いや、小さい美容室なのですけどね、そこで僕は尊敬する師匠と二人で六年間やっていたのです。花形頭さんという美容師なのですけど、その……」
「分かった。なるほどなぁ……もういい! 後は静かに見学していてくれ、また後で話そう」
「え……あっ、はい! よろしくお願いします!」
頭さんの名前を出した途端、京街さんは話しを途中で中断し、少し納得した様子を見せ、仕事にもどって、また鋏を動かし始めた。
「いったいなんだったのだろうな……まぁ、いい時蔵! 京街さんの仕事を見て、美容師目線で素晴らしいと思った事をどんどんメモしといてくれ!」
「分かりました! 気づいた事をガンガンチェックしていきますね!」
山さんと僕は、営業の邪魔にならないようお店の隅に移動し、そこに立って京街さんの仕事風景を見学した――暫くするとカットが完成し、京街さんがカラーの準備を始めた。いよいよ、『グラデーションカラーの権化』のその仕事を見られる瞬間が訪れるのであった。
グラデーションカラーを作る塗布テクニックを簡単に言えば、カラー剤を分けて使う為、根元、中間、毛先と明るくなるにつれて、不自然な境目が出来ない様に塗布する事がキモと言う事になる! 色が明るくなる境目は髪をねじりながら、薬を調節して塗ることで自然に馴染み、境目がくっきりでなくなるのである。境目を自然にぼかす『ねじり塗布』と言う技法が一般的だ。
勿論、他にも沢山塗布方法はあるのだが、他は応用になってしまう為、この塗布方法を完璧にできた者だけが、できる様になる技術ばかりなので、そうした応用技術は極めてレベルが高い施術になる。
まずは一旦髪を脱色する為、アシスタント達が基本に忠実に、そして素早く丁寧に京街さんが指示した通りにお客様の髪の脱色をした――それが終わると、薬の選択を済ませた京街さんがゴム手袋をしてそのまま、お客様の後ろに立った……。
今から施術するのだろうが、驚く事に京街さんはカラー剤以外にはなにも手にしていなかった。カラーを塗布するのに必要な刷毛もコームも、彼は手にしていない。そして施術に入る寸前に僕達……いや、僕に向って京街さんは笑いながらこちらを見て言った。
「ハハハハ! よく見ているといい、天才の美容ってやつを見せてやる! 頭さんの弟子よ、俺のカラー技術は頭さんをもすでに凌駕している……――俺のグラデーションカラーは手でつくる!」
この時僕は確信した――いや、本当はと言うと、少しだけだが頭さんと京街さんが重なった時そうではないのかと思っていた。間違いない、京街さんは花形頭さんの事を知っている。
そして、京街さんはお客様の髪を掴むと施術に入った……。魔神のアシスタントの僕にも予想がつかなかった、思いもよらぬ方法で。
『バンドデジネ』と、いうフリーハンドで行うカラー塗布方法がある――僕も知ってはいたカラー応用超ド級施術法ではあったが、実際に営業でお客様に対して、この施術法で施術をしている人を見るのは初めてだ。
ゴム手袋にカラー剤を取ってから髪を掴んで、挟む様に塗布していく施術方法なのだけれども、僕の知っている『バンドデジネ』の基本は本来、その人の地毛の色を全体のベースにする為、事前にブリーチなどで脱色は行わずに、手に付けたカラー剤の色と、予めの地毛の色とをミックスさせ、頭の上と下で塗布する角度の違いを出し、グラデーションをつけていく方法である。
簡単に言うとその人のセンスをフルに使って手で髪をペタペタ触り、グラデーションカラーを作る事である。この施術は上手い人でも、かなり失敗する確率が高い施術だ!
だから『バンドデジネ』をする時は必ず脱色されていない地毛の髪を使うのである。そうすることにより脱色されていない髪はそこまで明るい色味がでない為、少しぐらい思っていたのと違う場所を染めてしまっても、逆にそれが味となり自然な仕上がりとなっていくのである。
だがしかし、驚くべき事に京街空の『バンドデジネ』はその常識とは違った――脱色された髪で、しかもカラー最高明度のクレイジーカラーを数種類と、その他にもカラー剤を使って施術しているのであった!
ブリーチで脱色した髪は一番色味が出やすく、一度場所を間違えて塗布などをするというミスがでると取り返しがつかない! ムラになってしまったり、他の色と混ざる事で色味が濁ったりする原因になる。でも京街空はこの恐ろしいリスクの中、己の腕を信じてその施術を行い……そして、見事な完成度を出して沢山のお客様や、大会の審査員達の心を掴み絶大な評価を受けている。
『バンドデジネ』で施術する一番のメリットは、カットのデザインの動きと軽さを、効果的に表現出来ると言う点だ――だけど、その素晴らしいメリットがあるとしても、膨大な失敗のリスクがあるこの技術を完璧使いこなし、そして綺麗にブリーチされた毛にいくら完璧にこの施術をマスターしているとはいえ、お客様にお出しできる美容技術を持った美容師はどのぐらい世界でいるのだろうか?
多分殆どいないであろう……もしかしたら、日本では京街空ただ一人かもしれない――勿論、僕もそして、恐らく頭さんでさえも無理であろうこの技術をやってのける京街さんは、出場した大会、全てにおいて伝説になっちゃうぐらいの天才美容師なのだと、納得できるだけの天才的なテクニックを持ったまさに、『グラデーションカラーの権化』の称号を持つのに相応しい最高の美容師だと僕は思った。
「ふむ……すごいな。バンドデジネと言うのか、あの塗り方は……それに素晴らしいできだ! 手で塗っているのに、なんであんなにも正確で自然な仕上がりになり、華麗な明度が出ているんだ! すごいな、やはり京街さんは……」
「はい、山さん。正直僕もこんな方が世の中にいるのだと知って、かなり驚いています……。多分僕のカラー技術の何倍も上にいっているでしょうね、史上最高のカラーテクニックでしょう。絶対にこの人にカラーテクニック連載をして貰いましょう! 僕は京街さんと仕事がしたくて堪らなくなりました!」
手でカラー剤を塗っているのにその仕事姿は優雅で美しく、そして神々しいもので、そこから創りだされたお客様の髪は、とても綺麗なグラデーションカラーが施されていて、デザイン一つ、一つに想いが込められた様な、強い芸術性を感じるクリエイティブなものであった。
京街さんは今日一日、そういった素晴らしい施術を繰り返し、沢山のお客様を笑顔で帰していた――そんな仕事姿に僕達は見惚れていると、あっ! と、言う間に夜になりキスメットの営業時間が終了した。
「折角来て貰って悪いけど、雑誌の仕事とか俺は受ける気ないんだ~、つまんねえからな。今日営業で俺の技術を見ていたろ? 俺はこの技術を深く分かってくれて、お互いに尊敬し合える奴としか仕事したくないんだ! ほら、訳分からねぇ奴と仕事しても、ストレスが堪るだけだろ? ストレスは美容の敵だからね!」
営業が終わってスタッフミーティングが始まり、そこに僕達も参加した。山さんが熱心にうちの雑誌で連載をしてほしいと頼んだが、それに対する京街さんの答えは厳しいものだった。
「そこをなんとかお願いできませんか! 私達も京街さんの技術の素晴らしさは素人ながら理解しているつもりです! ぜひともお願い致します!」
ここで諦める訳にはいかない僕達は、必死に頭を下げて京街さんにお願いをした。
「理解しているか……う~ん、無理かな! そんな言葉は誰でも言える事だし、カラーに関して俺が評価できるほど熟知している奴とじゃないと、俺は一緒に仕事をしない! 勿論、机上論だけじゃ駄目だ。ちゃんとそれを実践できる技術を持った奴じゃなければ俺は認めない――だから俺はこの店に居る選ばれたクリエイティブなスタッフ達以外とは、仕事したくねぇんだよ! 自分の目で見て決めたこいつ等としかね! 俺は安目は売らない絶対に」
スタッフの前でそう宣言した京街さんを見て、キスメットで働く十人のスタッフが「京街さん、ありがとう! 一生ついていきます!」と言う尊敬の声や「兄貴さすがどすぇ! 安目なんて売らないでいいです! 兄貴の凄さは雑誌なんて媒体使わんでも、全世界にやがて広がります!」と言った讃える声「京街最高マジリスペクト! レペゼン祇園!」と叫ぶ声など、中には号泣するスタッフもいた。
どうやら京街さんを口説き落とすのは難しそうだ。そんな中、僕は営業中に中断した頭さんの話しを切り出した。
「あの、京街さん! 花形頭さんの話しなのですけど! ご存じなのでしょうか?」
そう切り出すと場が静かになった。京街さんは僕の前にゆっくりと近づくと、昔話を語った。
「ああ、勿論だ。俺は今二十九歳だが、忘れもしねぇ――俺は二十一歳から京都でスタイリストとして働いていたが、カラーは天才だったけれど、カットはあまり得意じゃなかった……。そこでカット技術を磨く為、一年間東京に武者修行に出た。そこで俺が弟子入りしたのが……いや、弟師って言う立派なものじゃなかったかもしれないんだけど、俺にカットを教えてくれたのが頭さんだった」
そして京街さんは語った――一年間の武者修行の日々を。
「かぁ~! 勢いで東京に来たものの……ロクな店がねぇな! 有名店は俺みたいなまだ若い無名スタイリスト採ってくれねぇしよぉ~……。酒がねぇ~と、やってらんねえなぁ! オヤジもう一杯! ついでにどっかカットが上手い美容師教えてくれ! ちくしょう……え?」
目黒の権之助坂で飲んでいた俺は、そこの居酒屋の亭主に生中と一緒に美容室のショップカードを差し出された。そのカードの店が頭さんの美容室である『ランプ』だった。
翌日、俺は『ランプ』を尋ねた――そこで、頭さんに今の自分の状況を伝え、技術を見学させてもらえる事になった――俺は頭さんのカットテクニックを見て、武者修行するならこの人のところしかないだろうと、直感した。
「凄い、頭さん! ぜひここで一年間俺にカットの修業をさせてください! 勿論、タダで働きます! だから、あなたのカットを教えてください! お願いします」
「あはははは、ありがとう……。でもいきなりそんな事を言われてもねぇ。それに私は君の技術のレベルも知らないし、ごめんよ、安請け合いはできない」
一度はそう言われ断られた。でも俺はどうしても諦められなくて、生意気な事を言ってしまった。
「じゃあ! 弟子じゃなくていいです! 俺はカラーの天才です! 頭さんに俺はカラーを教えますよ! それならどうでしょう? お互い成長できます。お願いします。どうか俺にカットを教えてくださ……って、あれ? ごめんなさい! 俺、今とんでもなく失礼で生意気な事言いましたね……ハハハハ、最低だな、俺。出直してきます……」
俺が落ち込み帰ろうとすると、頭さんはこんな若者の失礼な発言を吐かれたにも関わらず俺を引き止めて、こう言った。
「ちょっと待ってよ! 京街君。君カラーの天才なの? なら少し君の技術も見せてくれないかな? 私もカラーを色々勉強したいと思っているんだ! どうだろう? 店の道具を使っていいから、モデルハントしてきて私に見せてくれないかい?」
無法者の若者に対して、頭さんは偏見を持たずに、プロとしての俺の腕前を求めてくれた――そして俺にチャンスをくれたのだ! それに俺はしがみつき、頭さんの前で作品を作った。我ながら見事にチャンスをものにした。
「すごいよ! 京街君、君はカラーの天才だ! 私も長年この仕事をしているけど、君ほどのカラーリストは初めて見るよ――君は一流だ」
「ありがとうございます! 俺みたいな赤の他人にこんなチャンスをくれて、俺は頭さんの技術を尊敬しています。だから、改めてお願いします! 一年間修業させてください!」
俺は必死で頭を下げ頭さんにお願いした――そして頭を上げた時に見えた頭さんの笑顔が今でも目に焼き付いている。そして俺の武者修行がはじまった。
「ああ、私も君を尊敬する。君と私は対等だ、お互い厳しく一年間君はカラーを、私はカットを教え合おうじゃないか! 私は君のカラーを勉強してみたい。来てくれてありがとう、これは何かの縁だ! 一緒に仕事をしよう。勿論、働いた分の給料は払わせてくれよ!」
一年後――俺は頭さんとの修業を終え、カットが上達し京都へ戻った。
この時に受けた恩を結果で帰そうと、俺はそれからカットを活かすカラーを研究し、沢山の大会で優勝することができた。『グラデーションカラーの権化』と呼ばれ始めたのもその時ぐらいからだ。
「だから、俺は頭さんに死ぬほど感謝している。今の俺があるのは頭さんのおかげだからな! で? お前は何で俺もなるのに苦労した頭さんの弟子になっておきながら、美容師をやめて出版社で働いているんだ? おい、頭さんは元気か?」
ギロリ! と、鋭い目で京街さんは、衝撃的な運命の縁を感じる昔話を聞き驚いていた僕に尋ねた。
「実は、今……頭さんは意識不明で入院しています……――」
と、僕は事故の事を伝えた。さらに、僕は頭さんの技術を『魔神の美容』と呼び尊敬している事、そしてその美容技術を美容業界に広めると言う『希望』のもとに今、美容師をやめて出版社で働いている事を伝えた。
するとその事に京街さんはとても驚いた様子をみせ、椅子に座り項垂れた。
「入院しているとは知らなかった……。今度お見舞にいくから連れて行ってくれ、頼むな」
「はい! 勿論です。僕は殆ど毎週行っていますので、東京に来た時にでも連絡ください」
僕がそう言うと、京街さんは小さく頷いた。そして、項垂れた顔を上げて話を続けた。
「で? お前は頭さんが目覚めた時、美容業界に頭さんの技術が広まっている事を希望として叶えようと、美容師をやめたのか? ふ~ん。面白いかもしれないな、自分で気づいているかしらないがその発想は中々異端だぞ? でも気にいった! いや、と言うか俺はお前の事がさっきから少し気になっていた」
「気になっていたといいますと、どういう事でしょう?」
京街さんが僕の目をじっと見た――その真剣な眼差しに、僕も今真剣だという事を伝える為、目線をそらさないで京街さんの瞳を覗いた。
「お前は俺と頭さんの姿が重なって見えたと言ったな、その観察力に俺は少し驚いた。そんな事が透けて見えるって事は、お前がよく頭さんのカット技術を理解し、日々見て覚えようと努力を重ねて来たからなのだろうな。だからお前の中では頭さんのカット姿のイメージが沁み込んでいたんだ、そう言う勉強の仕方ができていたお前は、若干だが見込みがある! それに、お前は実にいい目をしているな! 戦う男の目だ。俺はお前を評価しているから特別にテストをしてやってもいいと思っている。俺と仕事をするに相応しい人間か――俺にお前を尊敬させてみせろ、時蔵叡智」
その言葉を聞いて、僕より山さんが先に驚いて飛びついた!
「それって……もし、うちの時蔵がそのテストに合格できた場合うちの雑誌で連載してくれるということですか京街さん! おい、時蔵! でかしたぞ! 頑張ってくれ……」
「ああ、そう捉えてくれて結構。男に二言はないから安心しな。時蔵……お前が抱いた『希望』は素晴らしい、きっと美容業界の宝になるだろう。だが、実際に叶えられるかは別の話だ! お前が本当にその『希望』を実現できるに足りん技術の持ち主か、俺が確かめてやる! 頭さんが俺にくれたようにお前にもチャンスをやる! だけど、もしこのチャンスをお前がモノにできなかったら、その時はこんな出版社やめてもらうぞ! そして何処かの美容室でまたアシスタントからやり直せ! それが俺の条件だ。俺が今、頭さんにできる唯一の恩返しだ、分かってくれ、俺は厳しくお前をテストするぞ、一切の妥協を無しにな! 頭さんが残した最後の弟子の腕前は俺が判断する――賭けろよ、時蔵叡智、お前のプライドとその『希望』全てを」
僕は京街さんと絶対に仕事がしたい……。そして自分の『希望』を現実にしたい、恐らく京街さんのテストは相当厳しいものであろうが、大丈夫だ! 僕には『魔神の美容』がついている。このチャンスをものにしたい、僕の初めての大仕事であるこのチャンスを必ずものにするんだ! その為に僕は今日ここに来たのだ。
「どんなテストでも構いません! 絶対に合格してみせます! やらせてください! お願いします」
「うん、良いやる気だ。良い美容師の条件として、やる気はかなり重要なファクターの1つだ! テストは明日の営業時間後に行う事でいいか? 内容は単純明確だ、銀山さん!」
突然、京街さんが山さんの名前を呼んだのでビクン! と、山さんが驚いたのが分かった。
「は、はひぃ!? な、なんでしょう京街さん!」
「明日は君にはモデルをやってもらうから! もう分かったかな? この意味をね、時蔵叡智。このモデルを使って明日俺が90点以上の点数を出すグラデーションカラーを作ってみせろ! 参考までに教えてやる、ここのスタッフで俺が出した最高得点は副店長の85点だ! それを肝に銘じておくのだな! それにモデルがこれだ、どうする時蔵?」
「90点ですかぁ……確かに厳しそうですね。山さんがモデルだと言う事は、実にアレですし……。相当難しい施術になるでしょうが、やらせてください! なんとかします!」
「私がモデルだと、なにか都合が悪いのか? 教えてくれ! 時蔵!」と、山さんが言いながら僕の片腹を突っついてきた。地味に痛かったが今は熱い展開なので、無視をした。
「よく言った! それでこそ、頭さんの弟子だ! 見せてくれ……魔神の美容を! 明日はここにある道具や薬を使ってもらって構わない! 何があるか見て帰るといい、テストの時間はブロー込みで180分だ、グラデーションカラーであればどんなデザインでも構わない。 それじゃあ、明日見せてみろ、お前の『魔神の美容』をな! 今日は解散! お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした!」と、スタッフ達の声が店の中を響き渡り僕達はその後、少しだけ明日テストに使えそうな薬剤と道具をみせてもらい、今日はお暇する事にした――これから明日の作戦を僕達は立てなければならない。
キスメットを後にして、ビジネスホテルに帰る道すがら、昼には目がいって虜になった料理店達にも目をあてる暇もなく、僕は山さんの髪を見つめていた――そして……溜息がでた、さすが『グラデーションカラーの権化』だ、頭さんに一流だと若干二十一歳で言わせただけある……。随分とえぐいテストだと、山さんの『カラス色』の髪を見て、独り思った。
僕が悩ましい顔で山さんの髪をあまりに見つめるものなので、山さんが「???」という感じの混乱した様な表情で、僕にさっき無視された疑問を再度、尋ねた。
「なぁ、時蔵。私がモデルだとなにかまずい事があるのか? 思いっきりやってもらって構わないんだぞ! なんでもいってくれ……」
不安そうに僕の顔を見つめる山さんに若干萌えつつ、僕はこのテストの一番難関な部分を山さんに説明した。その説明が伝わったのかは、分からないけど……。
「山さんの髪の毛、黒染めしていますよね? それがこのテストでの最難関部分なのですよ! この黒染めを京街さんは見抜いていたのです。僕もすぐに気づきました、鬼畜ですよこのテスト! 相当性格が悪い……」
「な、なんでだ! 元々日本人は黒髪なのだから、逆にこの方が施術はやり易くないか? 大丈夫か時蔵? 私をあまり不安にさせるなよ、頑張ってくれよな!」
僕の発言を聞いて何が問題なのかと言う重要点が、山さんには伝わらなかったのであろう――山さんが分からなかった事が僕には透けるように分かった。
その時、彼女は時蔵の不安視していた部分はそんなことかよ! と、言わんばかりの安心しきった笑顔なっていた。そこから僕は彼女が分かっていない事を察することができた。
さっきまでは彼女に萌えていた僕であったが、今は若干その可愛らしい笑顔に対して、ムカつきすら感じてきた……。
「いいですか! 黒染めしていますよね? 山さん」
「だから! しているが、それがどうしたんだ?」
「いや、どうしたもこうしたもありませんよ! 黒染めした髪が世の中で一番染まりにくい髪の毛なのですよ? しかも、お題はグラデーションカラーです!」
一旦、ビジネスホテルに帰り荷物を置いた後、僕達は夕食を食べようと、ビジネスホテル近くにあったこってりラーメンの老舗に入った。明日おこなわれるテストの作戦会議をしながら、ラーメンを啜ろうとしていた。
僕達は二連チャンで麺を食べている――山さんが明太ごはんと、チャーシュー半熟卵ラーメンを頼んだのでがっつりではあったが、昼間はヘルシーなうどんを食べた訳だし、僕も「同じものを」と、言い注文した。
「そうなのか? これは丁度、三ヶ月前に美容室で染めて貰ったんだ。でもよく見て見ろ、時蔵! この黒髪は少し青みがかかっているだろ? 『カラス色』だから何とかなるんじゃないか? ただの黒って訳じゃないのだぞ?」
段々と理解したのか、冷や汗をかいてきた様子の山さんの髪の毛先を、僕は優しく掴んでカラー履歴を見極めながら、問題点を山さんに説明した。
「いや~、山さん落ち着いて下さい。丁寧に説明しますね、青みがかかった『カラス色』を別の言い方をすると、『どす黒い』と言う事なのですよ、黒はその黒が濃くなればなるほど青みが増してきます。だから、山さんがしている黒染めは通常の『アッシュブラック』とかの落ちやすい黒染めと比べると、色が入りにくい黒染めをした髪の中で完全に上位互換が成立してしまうほど、次に色を入れるのが難しい格上の色なのですよ! 大袈裟に聞こえるかも知れませんが――山さんの髪の毛は恐らく世界で一番色が入りにくい髪の毛に今なっています……」
「そ、そんなぁ……だ、大丈夫なのか? そんな髪で90点のデザインなんて施せるのか? しかも、評価するのは、グラデーションカラーの権化みたいな人だぞ? 相手にしてもらえるのか、私達はこのテストどうなってしまうんだ……」
そう言いながらしょぼくれ「ハァ……」と、今頃になって溜息を漏らす山さんに、僕は自分覚悟の気持ちを伝えた――このテスト合格以外は考えていない事を声に出したのである。
「大丈夫です! このテスト必ず合格してみせます! 僕には魔神の美容がついていますし、 それに現に僕は勤めていた美容室でグラデーションカラーのテスト時、頭さんから98点を貰っています。それは大きな事です! さっき京街さんの話から汲み取ると、頭さんのカラー知識の中には京街さんのカラー知識が入っている筈なのです! その人から僕は98点もぎ取っています!」
「そ、そうか! なら少し安心だな。お前を連れてきて良かった。よし、頑張れよ!」
「ありがとうございます、頑張ります! 絶対に期待に答えます。まぁ、そう言う事ですから多分僕は90点以上を取れる気はするのです。でも、実は他に不安要素が二つありますね……」
僕がそんな意味深な事を口にし、考えた様な素振りを見せるものだから、山さんが息をのんで、その不安要素を聞いてきた。
「ゴクリ……。時蔵、その二つとはなんだ? 教えてくれ!」
「はい、一つはさっき説明した通りなのですが、このぐらいの黒染めだとまずは完璧にブリーチを二~三回して完全に脱色しないといけません。それにかなりの時間が掛かります。毛先と中間だけをブリーチするのもいいが、それじゃあデザインが弱い、やるならしっかり黒の色素を殺してベースの色を作りたい、その様にブリーチをした場合それだけで試験時間180分の半分もしくは、半分以上がゆうに経過するでしょう、そのあと色を被せるので、二回染めるとしたら、時間がかなり足らなそうです! まぁ、これらをなんとかクリアしたとしても、もう一つ未知な要素があります――二つ目の不安要素それは、京街さんが頭さんとの修業を終えたのが二十二歳の時です。その後の七年間、勿論頭さんもカラーのレベルを上げていたでしょうが、それで僕は98点だったんです。でも、この七年間でもし、京街さんがカラーでそれを遥かに凌駕するぐらい進化していたら、僕がとった98点なんて何の意味もなくなり、このテスト……未知のテストになるということです!」
その恐ろしい不安要素に肝を冷やして薄ら笑いを浮かべていると――山さんが立ち上がり、不安の一切ない笑顔で僕の手を掴んで言った。
「な~んだ、そんなことか! 驚かすな、時蔵! 大丈夫だろ? だって――お前も進化しているのだろ? 『希望』を叶える為、誰よりもお前は魔神の美容を磨いてきたのだろ? なら、大丈夫だ! 京街さんの度肝を抜いてやろうぜ!」
この時、救われた気分になった。この人は僕に期待をしてくれている……。山さんの期待を絶対に裏切りたくない! 「そうですよね!」と僕が立ちあがり、山さんの手を握り返そうとした瞬間――ここはラーメン屋だという現実を思い出した……。
「おまたっせしやしたぁ!」
と、二人分の明太ごはんとチャーシュー半熟卵ラーメンを置いて、店員が去っていった。何というアオハルシーンデストロイヤーであろうか、僕達はクレバーになり静かに座り、ラーメンを食べる事にした……。
アオハルのシーンをデストロイされて、少し恥ずかしくなり淡々と僕達は食事を始めた――山さんが食べる前にラーメンにのっているチャーシューと半熟卵を明太ごはんの上に移し、素ラーメンをテーブルにある薬味をのせながら食べた後、チャーシューで明太ごはんを巻いて食べたり、半熟卵を明太ごはんの上で崩してラーメンのスープをその上に少しかけて食べたりと、かなりの『通』みたいな食べ方をしているのを見て「うわ、滅茶苦茶美味そう!」と、声が漏れた。そしてその食べ方を見て盗み、真似した。見て盗んで技術を真似するとは、なんとも美容師らしくはなかろうか。
ホテルに戻ると、「時蔵の分の明日予定していた仕事を今日、徹夜で私が片付けておくから貸せ!」と、山さんがキリッと言いに――僕の部屋に訪れた。
「え! な、何で山さんが? こ、これは明日僕がしっかりやりますから、大丈夫ですよ」
「いいから、貸せ! こんなものは私がやっておいてやるから、お前は明日に備えろ! それと、明日私が他の仕事を全部やっておくから、お前は朝から『キスメット』で京街さんの技術をまた見学させてもらえ! 何か良いヒントが見つかるかもしれないからな! ほら、美容師は技術を見て盗んで覚えるのだろ? 私はその時間を作ってやる事ぐらいしか、協力してやれないけど、そのぐらいは手伝わせてくれ! 私もお前と同じで京街さんと、どうしても仕事がしたいと思っている。代わりのいない素晴らしい技術の持ち主だ、あの人は!」
僕達は京街さんの連載企画が取れる唯一のチャンスであるテストを明日の夜に控えているが、当然勤め人の僕達には、他にも明日までに終わらせてメールで本社に送らなければならない仕事などが山ほどあった。その為、明日はテストがある夜までホテルの中で昨日の見学の報告書や、記事の編集作業に追われる予定だったが……――僕は明日の夜のテストにもし落ちた場合、編集者をやめると言う厳しい約束を京街さんとしているし、それに京街さんに連載企画をして貰える可能性は0になるだろう……。
それらは僕の『希望』が絶たれると言う事だ、だからこのテストに落ちる訳にはいかないという状況なのだ。山さんがそんな状況の僕を応援すべく、僕が明日やる筈の仕事を全て引き受けてくれるとの真心ある申し出だった。正直、山さんに迷惑が掛かるので悪い気持ちがしたが、山さんの目は僕に絶対に勝てよと、訴える様な熱い目だった為、僕はこの真心に答える事にし、明日は山さんが作ってくれた時間で再度『キスメット』を見学する事にし、そして京街さんから何かを得ようと考えた。
「山さん、申し訳ないです。ありがとうございます! じゃあこれ、お願いします!」
ザッザザと、僕は明日する筈だった仕事の資料などを全て山さんに渡した。
「おっ、結構ガチな量あるな……私はこれと自分の分の仕事が片付き次第、合流する! その時は電話をするから、頼んだぞ。ハハハ、なるべく早く終わらせて合流するぞ。じゃあ、今日は明日のデザインを考えたらすぐ寝るのだぞ、そして明日『キスメット』を見学して色々ヒントを掴んできてくれ! じゃあな、おやすみ」
と、言い残す山さんはふらふらっと、した足取りで自分の部屋へと戻って行った。
山さんの心意気に感謝し、僕は明日、山さんに施すカラーデザインを練った後、すぐに眠りにつき――翌日の朝を迎えた。
単身で僕は『キスメット』に乗り込むと、京街さんに昨日、山さんが僕の仕事を引き受けてくれた事を話した後、今日の夜のテストまで見学させて欲しいとお願いした。すると、クスッと、笑い快く答えてくれた。
「ふ~ん。あの女の子、銀山さんだっけ? 中々やるね~、いいぜ! 彼女に敬意を表し、俺の技術を見て盗む事を許可する! まぁ、お前もよく知っての通りだが、技術っていうのはそう簡単に盗めないんだけどな、ましてや一日でなんて無理だぜ!」
「はい、分かっています。それでも僕は、ヒントを見つけに今日ここに来ました! 改めて、今日一日お願いします。必ず何か掴んでから夜のテストに臨みます!」
「なにか掴むねぇ……。言っておくが、付け焼刃の技術じゃぁ、今日のテスト点は取れないぜ? 沁みついてねぇ技術は小細工とみなし大きな減点対象だ! よし、少しお前に教えてやるか、付け焼刃と沁みついた技術の違いってやつを! そうだなぁ……時蔵、お前の髪、右襟足だけなんで脱色しているんだ? あ~待て、答えは言わなくていい、俺は分かっている。それは――お前基準にハイブリーチしたチャートだろ?」
「え、なんで知っているのですか? た、確かに……これは僕が普段施術する明るさに合わせて右襟足を長くして脱色しているオリジナル即席チャートです。カラー剤を扱う会社が出しているチャートより本物の髪に入れた色味をお客様に見て貰った方がいいと考えて、自分の髪を利用し、お客様が気になった色味をここに入れてすぐ『こんな色になりますよ!』と、見せられる様にと思って、この髪型にしています……。まぁ、今は美容室で働いてないのでそんな事はしていないのですけどね……ハハハ」
僕は照れながら、そう答えた。しかし、流石の京街さん! この脱色している部分の襟足がカラーの色味を見る為だと気づいていたなんて、つくづくこの人は天才なのだと、思い知らされる。
「やっぱりな! そこに色を入れて色味をすぐ見るには、指で入れたいカラー剤をつまんでその襟足に擦って摩擦で熱を与えて色を見たんだろうな、少量ならそれだけで色味を見る事ができる。それは、簡単に言うと小規模な『バンドデジネ』だ、だってそうだろ? 手で塗り、さらにこの入れ方だとグラデーションがつき易い! だけど、そんなのが出来るからって、今日のテストでお前が、それの応用だと勘違いして、俺の技術を見よう見まねの付け焼刃で取り込んで身につけた俺の『バンドデジネ』の真似ごとなんかをやりだしたら、俺は時蔵に失望するだろうな。やるなら俺と同じクオリティか、俺を超えるぐらいのものを見せてもらうしか『バンドデジネ』はありえないぞ、そして今日一日でこの技術をものにできる事は絶対にありえない! これが付け焼刃ってやつだ! 他の方法か、お前ができて俺に勝る施術法で挑むんだな! それと、沁みついた技術はこういう事だ……ほれ!」
そう言いながら京街さんは僕にカラー剤を二本投げた――カラー剤を僕はキャッチした。1本はウェルンカラーの14/00、2本目は12/11であった。
「これを1対1で配合し、2剤6%を2倍でクリスタルトリートメントを混ぜてお前のそのチャートに入れたらどうなる? 5秒で答えろ!5、4、3、2、1!」
京街さんはドヤ顔で僕にQを出してきた――なにかの適応検査だろうか……? 僕は慌てずに、いつも通り答えた。僕はこの手の問題が得意であり、沁みついていた。
「黄ばみが綺麗に霞み、明るめのグレーになりますね! しかも、クリスタルのおかげで髪はツヤツヤにコーティングされ脱色しにくくなります! 答えは、エレガンスアッシュです!」
そのQに僕はウキウキと、自分の経験を基にして答えた――パチパチと、京街さんは手を叩きながらハハハと、笑い僕を眺めた。
その時――僕は気づいたのである。沁みついている技術とはこれの事か!
「エクセレント! 時蔵、それがお前に沁みついている技術だ! まあ、今日頑張ってくれ、もしかしたら今日、お前のおかげで美容業界誌に革命が起こるかもしれないんだぞ? 俺は幾度となく雑誌の企画や作品作りを断ってきた! それは美容の事を何も分かってない陽気な大学生みたいな奴らが美容業界誌を作っている事に反吐がでていたからだ! 美容師の雑誌なのに美容師と関係ない奴が作っているんだぜ? そんな尊敬できない奴らに俺のカラー知識が養分にされるのはごめんだ! しかも、美容業界誌の作品もたまに意味の分かんねぇ美容学生に毛が生えたみたいなザコが作った様な作品を、平然と有名店のスタッフだからか知らないけど、なんちゃってカリスマ美容師達が作って載せていて、実に滑稽に感じていた! まぁ、その程度のレベルの美容師がこんなクソ雑誌にはお似合いだなぁ!? って、思っているんだ。だけど今日、もしかしたら……俺は変われるかもしれない、頭さんの弟子のお前を俺は――尊敬できたなら、今日俺の世界は広がるだろうな」
そう言いながら笑顔で僕に気持ちを伝えると、京街さんは他の従業員とのミーティングに入り――そして笑顔で『キスメット』の営業を開始した。
見学をさせて貰い、改めて『グラデーションカラーの権化』京街空の『バンドデジネ』など、技術力の高さを実感する一日となった。
「やはりすごいなぁ、京街さんのバンドデジネは! たしかバンドデジネはバレイヤージュと言う技術の中の一つだ。僕も沢山過去に練習してきたが、バンドデジネは京街さんみたいには出来ない、やはり基本に忠実にそして、薬剤選定をしっかりしよう! うん?」
僕がふと、そう呟くとスマホがバイブモードで震えた――電話だ、山さんからの電話だった。
「ぜぇ……はぁ……もしもし……? 時蔵、やっと片付いた……。今から向うから途中まで迎えに来てくれ、今ホテルを出てキスメットに向っている……」
その疲れきった声の山さんからの電話で、今がもう夜だと言う事に僕は気がついた。 それほど集中して京街さんの技術を見ていたのだと実感した――「お疲れ様です! そして本当にありがとうございました! すぐいきます!」と、僕は急いでこの時間を提供してくれた立役者である山さんのもとへと向った。
外に出ると、空は真っ暗で時間が経つのはあっ! と言う間なのだと思い知った――ランプで働いていた時も一日がとても充実していたからか、時間がすぐに過ぎていく感覚があった。それはこの仕事でも全く同じだ。僕はなんだか嬉しくなってテンションが上がってきた! 恐れる事は何もない、山さんという心強い仲間もいる! 僕は今日好きな事をするんだ。だから、恐れずクレバーに行こう。
そう誓いを道中に立てていると、疲れ切った山さんが見えて合流に成功した。山さんが疲れた顔を上げると、そこには充実しきった顔の僕がいて、何か掴んでくれたかと、自分の努力が無駄になってなかった事に山さんは安堵してくれたのか、気合を入れ直しキリッ! と、したいつもの顔つきに変わった。
そして、その時がきた――美容室『キスメット』僕達はその店の前にいる。前日はこの美容室が放つ神々しいオーラに恐る恐ると、足を踏み込んだが、今日は違う! 堂々と、そして京街さんと一緒に良い仕事をしたいと、胸に強く思いを持って、熱狂すべき熱い気持ちを大切に、そんな心構えで真夜中になり営業時間が終了したにも関わらず、紫色の色気のある色を放ちライトアップされて輝いていた『グラデーションカラーの権化』いる屋敷の中へ入って行った。
六年間で頭さんに沢山の美容技術のテストをして貰っていたけど、今回のテストは今までと違い、一種趣が異なるテストだと土壇場で実感した――まずは、自分にとって都合の悪い施術が難しい髪の毛を持つモデルで施術を行うと言う事、これは通常の美容室のテストでまずあり得ない事である。自分の大事なテストに、そんな分が悪くなるモデルをハントする美容師はいないからだ。
美容師のテストは基本的にテストを受ける本人が自分でモデルハントを行い、モデルを調達する。自分がそのテストに受かり易い髪の毛を持つモデルを選ぶことが出来るのである。だが、今回の僕は違う! モデルは指定されているし、その上モデルは最難易度の髪の毛をもつ――さらに、このテストを行う場所は僕の慣れ親しんだ美容室でない、これも中々珍しい事だ。
通常、だいたいのテストは自分が勤めている美容室で行う――まぁ、今回の場合、ランプがない今、僕に勤めている美容室はないし、テストを行える美容室はないのだけど、過去僕が頭さんから受けたテストは全部ランプの中で行っていたから、他の美容室ではテストどころか施術をするのは今回が初の事であり、恐らく最初で最後になるのではないかと思うぐらいの貴重な体験だ、そして負けられない戦いが今から始まる。
「薬剤や、道具の用意はいいか? それじゃあ、時蔵。俺の合図と同時に施術に入れ、祖手と同時に時間を計る。言っておくが出来あがりだけを審査するんじゃなく、施術過程も、薬剤のチョイスも全て評価の対象にさせて貰うからな、適当な仕事はするな! では、開始しようと思う。何か質問はあるか? 時蔵叡智」
営業が終わり、静寂に満ちた店内のセット面を借りて、僕は京街さんのグラデーションカラーテストに臨もうとしていた――僕の前にはモデルの山さん、そして京街さんがストップウォッチと、チェックシートを手にして僕の背後にあるソファーに掛けていた。
「まぁ、質問と言う事ではないのですが僕は今後、うちの会社と京街さんで仕事できる事を楽しみにしています! それはきっと僕の『希望』に繋がるから、このテスト必ず90点以上叩きだしてみせます。僕よりカラー技術が何倍も優れている京街さんに……僕は認めて貰いたい――よろしくお願いします! 僕に沁み込んだ魔神の美容でこのテスト、勝ちます!」
まだ捕らぬ狸の皮算用だが、僕は京街さんと必ず仕事をすると宣言した――自分が誇る頭さんから貰った『魔神の美容』を信じている。だからどんなテストだろうと、必ず取る!
「ハハハハ! 正直昨日あんな事を言って、こんな無理難題のテストをお前に仕掛けてしまった事がそもそも間違えだったんじゃないかと、少しだけ思っていたが……。それを聞いて安心した。お前はこのテストを受けるに値する人間だ――まぁ、頑張ってくれ。俺はいつも通りに手は抜かず厳しく点数を付けさせてもらう! このテストを甘く見てない様だから大丈夫だとは思うが、一応教えておいてやる。生半可な美容師じゃあ、うちのテストで5点を取るのも至難の技だぞ、それでは始めようか! キスメットのままに……始め!」
こうして『グラデーションの権化』と言われる京街さんによる『月刊スータビリティ』で京街さんがカラーテクニック連載をするのに、僕達が共に仕事をする仲間として相応しく、尊敬できる者達かを見極める――僕の今後の編集者として、そして『希望』を叶えるのに相応しい知識と技術を持ち合わせた人間かを試すテストが始まった。
まずは髪の脱色からスタートする――このテスト第一の鬼門! 美容師の基本中の基本であり、一番リスクがある施術それが、ブリーチによる脱色だ! 失敗をすると取り返しがつかない故に失敗が許されないのがブリーチの脱色だ。色が抜けていない場合は他の色を被せた時の色ムラの原因になるし、逆に色の抜け過ぎが原因で髪が極度の損傷を起こしたあげく、さきイカの様なチリ毛になってしまい抜けていく、そんな最悪なシナリオを迎えるリスキーな技術である。
経験と薬剤知識がものをいう技術である。僕は90点をもぎ取る為、髪のダメージを極力抑えながら、それでいてかなりのハイトーンまでこの『黒染めをしてある髪』を脱色していかなければいけない! しかも山さんの髪型はロングヘアーであるので、ブリーチ剤を塗布する時間は最低でも13分はかってしまう、それに合わせてチェックが2分で、計塗布時間だけで15分は時間が掛かる事が確定している。
通常だと、この程度の黒染めをしてあるロングを完全に脱色して色を被せる場合、美容師はとても慎重に作業を行う為、全部で6時間はかかるコースである――それを僕は3時間で行わなければならない! 故に大事なのはカラー塗布後の放置時間と、塗布回数である。
この場合、調整も兼ねて三回以上はブリーチが出来ると楽なのだが、僕は時間の兼ね合い上二回のブリーチ塗布で完璧な脱色をしなければならない! もし、脱色後の髪に色素が抜けていない場所や、黄色みが残っている場所があった場合、その時点で僕の敗北は決定する。
京街さんは作業過程も評価の対象とすると言っていた、なのでこのようなミスがあった時はがっつりと減点されるであろう、従って脱色に掛ける塗布時間は二回全部で30分! それにここ『キスメット』は僕の居たランプに比べて、美容道具が充実している! 加温気に、薬の反応を促すトリートメント、さらに艶を追加するトリートメントなど、僕が扱う事のできる最高級トリートメントが充実しているのでそれをブリーチ剤に加えて、最高のオリジナルブレンドブリーチを作り最新型加温気で熱を入れ浸透を早める事ができる! これのおかげで一番ネックな通常30分以上かかるだろう放置時間を短縮できる! 一回目は長めに20分、二回目はダメージを計算しながら15分程度というところであろう事から、僕の魔神の美容を持っての計算だと、今回の二回の脱色にかかる合計時間は塗布で30分、放置時間が35分、ブリーチを取り除くためにシャンプートリートメント二回10分、それと二回目を塗布する前に髪をドライするのが5分! 以上をもって机上論では1時間20分で脱色作業が終わる計算になっている。
「さーて、山さんいきますよ! 最初は基本の脱色作業ですけど、これは『黒染めしてある髪』です! それなので、基本だけでは到底太刀打ちできません――黒を殺す技術を応用で知っていなければ、ここで負けます」
「黒を殺す技術……それは、いったい?」
銀山がそう時蔵に尋ねた時――すでに施術は始まっていた。それは、銀山の知らない顔をした時蔵の姿であり……職人の顔つきであった。
テキパキとした手際で毛先に魔神の美容特製オリジナルブレンドブリーチを次々とセクションを取りながら塗布していく、その彼の動きは銀山にはまるで乱舞する吟遊詩人の様に華麗で優しい音色を放つような、美しい姿に見えた。
黒を殺す技術――それはこの美しいセクション取りにあった。髪についたカラー履歴を見る為、細かくセクションを取り一つ一つ黒の濃さを店の照明の光に照らしながら解析していき、予め違うブリーチ剤を二種類作っておいた特製オリジナルブレンドブリーチをそのセクション毎に、どちらが相応しいか瞬時に選択していき塗布するという、超ド級の高技術を時蔵はやってのけている……だが、この技術も時蔵が学んできた魔神の美容では当たり前の技術であった。
黒染めをした髪は一番髪に色素が残る――これを素早く色素が無い髪に変えるには、この位の技術は当然持っていないといけない事になる。それは勿論、このテストのチェック項目であった。
京街空は、時蔵のその技術を見てチェックシートに加点しながら「ふ~ん。この位はやってもらわないとなぁ……さて、一つ目の鬼門は突破か」と、呟き不敵に笑った。
塗布と、チェックが終わり、熱を入れている放置時間の間に時蔵は二回目の脱色に備えて、実際に塗って感じた事を踏まえて、また特製オリジナルブレンドブリーチを作った。
根元が明る過ぎてしまう失敗が多い作業なので、それを十分意識し気を付けて、いっぺんには塗らずに、部分、部分を分けて丁寧に塗り一回目、そして放置時間が終わり、シャンプーをして、濡れた髪が乾いた後、二回目の脱色に入り一回目の脱色具合をよく確認して、最前の注意を払って――銀山の『黒染めをしてある髪』ロングヘアーに対して完璧な脱色を施した。
「凄いぞ、時蔵! 完璧なプラチナカラーになった! 色がつくのが楽しみだ!」
「はい、ここからが本番です山さん! 残り時間あと半分! ここからが魔神の美容グラデーションカラー作りの始まりです! まずはベースを作ります、このラベンダーカラーで!」
脱色をなんとか予定通りの時間で成功した僕は続いてはグラデーションカラーの土台になるベースの色を、ブリーチ独特のくすみを消しながら入れる奥義を試そうとしていた。
複数のカラーバターとカラートリートメントとカラーマニュキュアから落ち着いた色のラベンダー色を選択し、全くのムラを消す為に特製ラベンダーカラーを調合して作り、今回のベースの色に使う事にした――ラベンダー色をチョイスした目的としては、日本人の黒髪ではブリーチでのメラニン色素の脱色はどうしても完璧な白まで脱色ができにくく、尚且つ欧米人と違い痛んで見えてしまう! それを打破すべく、僕がチョイスしたのはラベンダー色と髪をコーティングする力があるカラー剤のヘアーバターとヘアートリートメントカラーとヘアーマニキュアなのである。
これを濡れた髪に刷毛ではなくコームを使い細かくコーティングするように塗布し、加熱することで、全体が透明感のある優しく、そして『ツヤツヤ』の髪になるのである! なぜそうなるか、その秘密を教えよう!
僕が考えた今回のグラデーションカラーの全体のベースとなる色、それがラベンダー色だ、この色には特殊な効果があった――それは黄色味や、赤味を消す効果があるのである! 一見では綺麗なプラチナカラーに見える山さんの今の髪の毛であるが、欧米人のブリーチをした髪と比べると、全然プラチナカラーと言うまで真っ白ではないのである。これが日本人の髪の限界であり、欧米人と比べると色が抜けにくく、損傷が目立つ日本人の髪の脱色だ。
そこでチェス盤をひっくり返す! ブリーチで欧米人ように明るく、そして損傷せずにできないのであれば……色を被せた時に欧米人と同じ仕上がりになる色味は何色なのだろうかと、僕は考えた――そう! それが落ち着いたラベンダー色だったのであった!
これは科学的な話だ。色彩効果で落ち着いたラベンダー色を、この日本人の脱色した髪に入れる事で黄色味や、赤味が消える為、欧米人の真っ白に脱色された髪に入れるのと全く同じ色味が完成するのであった!
さらにヘアーバターとトリートメントカラーとヘアーマニキュアにトリートメント効果により、髪の損傷部分をケアしてくれる為、仕上がりが他のカラー剤で染めるより断然良くなるのである! これらの知識と技術は全て、僕が頭さんから学んだ魔神の美容の『究極! 修正日本人髪殺しの外国人ベースカラーケア』である!
このカラー剤の難点は地肌につくとなかなか落ちにくく、コームで『0テク』と言う地肌につかない様に塗っていくテクを使い施術を行わなければならない。
髪にカラー剤がちゃんとコーティングされる様に20分間加熱して、シャンプーをして流した! ロングヘアーの為、時間はかかったものの……全体を透き透るような爽やかなラベンダー色になった。その質感も『ツヤツヤ』で申し分ない出来だ――この施術時間は約50分、残り時間は40分強程度あるが、これからグラデーションカラーを作り仕上げる為、時間のなさに僕自身も焦りを感じるかと思ったが、実際は実にクレバーで、それでいてこの状況を楽しめていた。
「きゃわわわ! こ、この透き透ったラベンダーの髪色……これが私なのか! すごいぞ、すごいぞ! 時蔵、お前は魔法の手の持ち主だ! まるで私はお姫様みたいに素敵じゃないか! これからどんなグラデーションがつくのかとても楽しみだ!」
「山さんありがとうございます。時間が残りわずかです! ここまでは計算通りです。次で完成です。いきます!」
そんな良い状態でグラデーションカラー作りに入ろうとした時だった――京街さんがおもむろに、僕の前に現れ吐いた言葉が……僕を突き刺して、思考の闇に落した。
「おい、時蔵……確かにここまでのお前は基本に忠実にそして、その中にある難しい問題を次々応用技術で解決してきた、文句のつけようがねぇ! だけどよぉ……時蔵、俺はお前に90点の作品を作れと言ったんだぞ? そのやり方で本当に90点叩けると思うのか? そんな面白くねぇやり方じゃあ……――お前なら分かるだろ? このままじゃ、未来見えてんじゃねーか? 何点が見えるか言ってみろ! このやり方じゃよぉ……つまんねぇよ」
未来……あ、あああ!? アッーーー! ――駄目だ、これじゃあ、完成させても……及第点には届かない。こんな基本に忠実で問題を解決するのだけに応用技術を使う様な、面白味のないお利口さんの様な技術じゃぁ……グラデーションカラーの権化から点数はとれない……。
「良くて、良くて僕が見えた未来では……80点です……。僕の詰みです、ごめんなさい……う、ゔー! ゔゔーー! ごめんなさい、山さん……僕の負けです」
僕が歯を喰いしばり、涙を流しながら、現実に絶望し、京街さんにそう答え――そして山さんに自分の状況を告げた。
「おい……な、なんだ! 時蔵! いきなりどうした!? 未来ってお前……何の事だ! おい! 時蔵しっかりしろ! どう言う事だ、これは!」
山さんがこの不可思議な状況を理解できずに僕を見て慌てると、京街さんがゆっくりとソファーに戻り腰を下ろして、俯きながら僕が答えた点数に対して呟いた。
「正解だ……。さすが、頭さんの弟子だな、惜しかった。正直、俺はお前を尊敬したかった……残念だ、時蔵叡智……ここまでだな」
その言葉を聞いて僕は手を止めて立ち尽くした――残り時間は40分をもう切っていた。
見えてしまった――京街さんのどこか冷めた目、僕に対する大きな期待が失望へ変わったのであろうか、僕の技術が京街さんをヒリヒリさせるものではなく、つまらない真面目な努力だけで作りあげたクリエイティブとは言えない精々教科書の応用ぐらいの作品だったからだ。
あろうことか僕は自分の個性を出すことなく、ただただ綺麗な作品作りをしてしまったのだ。だからと言うべきなのだろうか? こんなお利口な作品を作った僕だからイメージできるテストの結果……それが僕にはこの時点で見えてしまったのだ。
運命が見えてしまった――絶望的な運命が……。
美容師とは、常に客観的に自分の作品を見て他者が下すその作品の評価をイメージする事が大事である。そのイメージする能力が優れているものがやはり、他者に評価されるテストや大会などで優秀な成績を残すのである! 従って僕もそれに倣い今回のテストを組み立ててきた……だがしかし、この能力には致命的な弱点があるそれは――マイノリティな作品が生れにくく、個性的な技が出しにくい事である。
面白味のある作品より、つまらないが技術力が光る教科書通りの作品が出来上がり易いのである。要はこの能力を主体として作品を作ると言う事は……『必殺技』みたいな技術が出せないのである! 京街さんの『バンドデジネ』みたいなカッコイイ必殺技術が出せないのである。それはイコール、僕が学んできた必殺技だらけの『魔神の美容』を自ら否定する……悪手の作品作りとなってしまったのだ……。
通常、僕の考えでは少しぐらい辛口の試験官からなら90点は堅いであろう作品が出来る筈だった――いや、できていたのだ! だけど、今回の試験官は『グラデーションカラーの権化』である……当然、万人受けするような面白くない作品では及第点には届かない……。なぜなら京街さんはそう言う教科書通りの作品を好まないから、美容業界誌を毛嫌いしていたのだ、そこを汲み取れなかったのか? 僕は? いや、気づいていた筈なのに、このザマである……。全くもって詰めが甘いとしか言い様が無い。
「悪いな、時蔵……お前にはその『魔神の美容』まだ身についてねぇようだな。その力の使い方は悪手だったな、80点だ……さようなら」と、言うテスト採点後の京街さんの姿を僕はイメージ出来てしまった……。
だから、僕には分かる……僕は――ここで終わる。
このままじゃどう足掻いても、後10点取る事は不可能だ、そして……ここで、京街さんの技術『バンドデジネ』を僕が昨日今日とで、見て盗んだ知識だけで繰り出すのは……あまりに無謀だし、駄目だ! 京街さんにそんな付け焼刃は通用しないと、あらかじめ強く言われている……。やるなら京街さんの技術を超えられる技術だ、でも僕にそんな技術、なにがある? 後40分しか時間が無いという状況なのに、どうすれば……頭さんどうしよう! あれ、何を言っているんだろうか、僕……。そうだ、頭さんはここにはいないんだ……僕は孤独だ。そうか僕はもう詰んでしまったんだ……。
気がつくと立ち尽くしていた僕の瞳には、涙が溜まっていた。
涙? なんだ、これは? こんなものが出てくると、いうことは……僕は――まだ諦めたくないんじゃないか! ここで、終わるわけにはいかない!
「山さん、僕はこんな……こんな所で、終われないんです! でも、どうしよう……イメージした未来を変えないと……。けど、時間がない! デザインも変えないと、できるか? 駄目かもしれない……ゔー! ゔー!! ぅ……ゔ―! 僕は――ここで終われないんだ!」
大丈夫だ、思考を止めるな、時蔵叡智! 泣いている場合か! 考えろ、諦めるな……なんの為の六年間だ! 思い出せ、そして取り戻すんだ! 頭さんから伝授された僕の『魔神の美容』を――ここで取りに行くのは……もうテストの点数じゃない、僕が頭さんと過ごした六年間の誇りと、そこで得た技術だ!
今から何色も色に幅を利かせたグラデーションカラーにデザインを大幅に変えるのは不可能だ! 施術回数に対し、時間が足りな過ぎる! 残りできて一回の施術だ、僕は捻り出せるのか? それともこんな所で終わってしまうのか、僕の『希望』……。
「時蔵! いい加減にしろ、何がイメージだ!? そんなものはクソ喰らえ! 終わるかよ……こんな所でお前の希望が! 私はお前が90点を取ってくれると信じている……頼む時蔵、ここ一回でいい! なにか京街さんを超えるお前しかできない技術をみせてくれ! これは上司命令だ、お前の六年間の中から捻りだすんだよ! 目覚めろ、魔神の――美容!」
そう言うと、山さんが近くに置いてあった僕のくちが開いていた鞄の中から、恐らくランダムで選択し、何かを掴むと……僕の顔めがけて、ていっ! と、投げつけてきた!
どうにもできない事をどうにかする為に……僕の中にある『魔神の美容』の目を覚まさせる為の――それはとても優しい物理攻撃だった。彼女の手から僕の顔に柔らかなスポンジが飛んできたのであった。
このスポンジは……昨日、山さんがうどん屋さんのガラガラくじで当てた『万能スポンジ』だ……――そのスポンジを手に取って、僕は見つめながら……朝から山さんが作ってくれた時間で今日見学した京街さんの『バンドデジネ』がバレイヤージュ技術の1種だと気づいた事を思い出した。
バレイヤージュとは――①髪の表面を箒で掃く様にカラーを入れる技術、②毛先全体に色を入れたり、明るさの濃淡をつけたりするカラー、③髪表面に太陽光線のような明るい線状のカラーを入れる技術、④ショートスタイルに入れるカラーで、立ちあげた毛先に明るくアクセントを付ける技術の4つに分類する技術だ!
フランスではとてもメジャーな技術であり、日本ではあまり親しみのない技術であるのだが、この技術は素晴らしい――髪の流れや明るさが欲しい所に、箒でサッとはく様に、京街さんの様にクシャと、などカラーを入れる技術がスピーディである事が大きな特長である! そして何よりこの技術はやっていて技術者が面白いのである。
そんな面白い技術を僕は今日、山さんが作ってくれた時間で思い出していたのである。そして今、まさに『キスメット』の名に相応しい運命の様に今――このスポンジを見てまた、バレイヤージュという技術を思い出したのである。
スポンジ……バレイヤージュ……。
目を軽く瞑ると頭の中深くで、昔覚えた技術の記憶が走馬灯のように蘇ってくる……――気づくと、僕の頭の中の記憶はある場面で停止し、その記憶は僕に語りかけてきた。
「叡智! 今日は意外な物を使った面白いバレイヤージュ技術を教えよう――叡智はこの技術が好きだと私は思うな! あまり実践するサロンはないのだけれども、私は叡智に私が知っている技術全てを伝えたい! だから、今日はこれを勉強しよう――」
――と、その声は僕に語りかけた。ここで僕の深く潜った集中が途切れ、自分自身が今ここで一番光る事のできる技術を身につけている事に気づいた。
語りかけてきた記憶の中で聞こえたこの声は頭さんの声だ……。そして、この記憶の時に教わった意外な物を使っておこなうカラー技術を僕は覚えていた! 僕の記憶の中で眠っていたこの戦況をひっくり返せるかもしれない逆転の可能性を秘めた個性の塊の様な『魔神の美容』をここで目覚めさせる事に成功した。ありがとうございます……頭さん、いや……魔神! これで勝てます! と、僕は深く噛みしめて目を開け、声を高らかに上げた。
「あっ……あ、あああああ! アッーーーーー!!」
いきなり閃き、叫びを上げた僕に――山さんが驚き、でも、とても充実したその僕の表情を見て、逆転の一手を見つけたのだと悟ってくれたからか、山さんは僕に期待を込めた声で聞いてきた。
「ど、どうした!? 時蔵! 何か思い浮かんだか!」
「こ、これなら! 届くかもしれない……僕の渾身のバレイヤージュ、山さん! そして頭さん……ありがとうございます! 僕の『魔神の美容』が目覚めました、届け!」
頼む、これが僕の『必殺技』だ……届いてくれ。攻めの魔神の美容の矛! いざ!
「おいおい、マジかよ……時蔵叡智! さっきまで自分の未来を見つめて、絶望していた奴が、とんでもない事考えやがる……最高じゃねぇか! 面白い! おい、スタッフ全員集合! 集まれ! 時蔵の奴、この土壇場でどうやら『スポンジバレイヤージュ』をする気だぞ、皆で見よう! 俺達の美容室『キスメット』にはない技術だ……さぁ、お手並み拝見といこうか」
「京街さんが言っていた通り、この時蔵という人は薬の選択は完璧だった。そこまでは京街さんが予想していたとおりでしたね! だがスポンジを使うなんて……これは……」
「ああ、副店長。これは完全に俺の想像を遙かに超えた行動だ! しかも、見る限り付け焼刃じゃない、しっかり沁みついている技術みたいだ。流石だ、頭さんの弟子……時蔵叡智、こいつは――魔神が沁みついてやがる!」
京街さんは、さっきまで冷めた目をして僕に失望を感じていたが、また期待に胸を膨らませたのか、元気でワクワクした姿に戻ると――集合を掛けて従業員全員を呼び、副店長と話しながら、僕の手に握る物に注目した。
僕は手で握っていたスポンジを二つに割って、グラデーションカラー用に用意していたカラー剤二つをスポンジに浸した! そしてまずはウルトラマリンブルーのカラー剤がついた方のスポンジを持って、山さんの髪へ施術に入ろうとしていた――僕の『スポンジバレイヤージュ』が始まろうとしていたのだ! それを見て山さんは笑みを浮かべ言った。
「お前はうちの出版社を今、背負っているんだ! 見せてやれ――お前の魔神の美容を!」
「はい! 山さん、あなたがいたから閃きました! ありがとうございます。京街さん残り35分! 面白いものを見せますよ、これが僕と頭さんの『魔神の美容』だ! くらえ!」
僕も山さんも覚悟を決め最後の施術に入った――それを『キスメット』従業員一同、そして『グラデーションカラーの権化』京街空が喰い入るように『魔神の美容』の世界へと、誘われ入って行った。
鰯の頭も信心からと言う様に――僕が手にした何の変哲もないつまらないスポンジが、店長もとい、頭さんから教えて貰った技術を信じて扱ってやれば、何とまぁ! 驚くほどギャラリー達を魅了する尊い物に早変わりするのである! 刷毛やコームなどの優秀な美容道具達にも引けをとらない、素晴らしい美容道具にこのスポンジは今、変貌を遂げ皆に見えている筈だ! 滑らかに髪の表面を泳ぎ渡るそのスポンジは、華麗でいて優雅なマーメイドの如く、この『キスメット』と言うステージに相応しい美しい輝きを放ち、『魔神の美容』の不思議な力を感じる様な素晴らしい美容技術を施す『魔具』へとスポンジは昇格している、魔神のスポンジバレイヤージュの美技に皆を酔いしれさす為に……。
スポンジバレイヤージュとは――スポンジを使ったカラーテクニックで、おもにフリースタイルなカラーに適しており、カラーの欲しい箇所にスピーディに塗布する事が可能である。手でスポンジを握るだけで行う施術なので、カラーで何を表現したいかのイメージをあらかじめしっかり持っているかが大切であり、尚且つ、そのイメージ通りのパフォーマンスができる腕の技術者なのか重要な高技術だ。毛束の量を見極め、調節して取り出し、自分がどうカラーを見せたいかを常に意識して、根元のほうから毛先に向って明るくなるように、滑らせていき、毛先に行くにつれ、スポンジ全体を使うようにして、毛先にしっかり薬剤がつくように手の平を使って綺麗に塗布していくのである。
バレイヤージュ技術で京街さんの『バンドデジネ』と同じく最難易度のカラー技術であり、日本のサロンでは滅多に使わない意表をつく事のできるマイノリティな特殊技術であるので、まさにこのテストの試験管である京街空が好みそうな面白味のある技術と言えるだろう。
僕はこの技術が……頭さんから授かったこの『魔神の美容』スポンジバレイヤージュが、京街さんに届く事に賭け、渾身の施術に入った。
中間にはウルトラマリンブルーを、毛先にはとっておきのもう一つ用意していたカラー剤であるバーミリオンレッドとファイヤーを合せて調合したカラー剤その色は――真っ赤なルージュの様な美しい赤のカラーで、またブロー中の仕上げにはとっておきの仕掛けを施そうと考えている! そのカラーを毛先にデザインしながらたっぷりとスポンジで塗布をした。誰もがキスをしたくなる様な髪にする為……君に届け!と、思いをこめて!
スポンジバレイヤージュの優雅でありながらスピーディな施術を駆使して塗り終わると、15分間加温気の最火力温度で温め――放置時間が終わると、シャンプー押してブローに入った。
素早く髪を乾かし、髪の根元から毛先をマジックカラーで緩く巻いて最後に、ワックスとスプレーで形をつけて――そして! 仕上げにとっておきな仕掛けを施した。毛先に染まる真っ赤なルージュにキラキラ光るラメスプレーをつけて、赤く輝くグロスの様な艶々でキスをしたくなる様な唇をデザインシタ毛先が誕生した!
スポンジバレイヤージュで作った表面に色が放つ艶が映え、スポンジバレイヤージュでしか作れない表面のカラーの色味と、滑りでできる質感が面白い仕上がりのデザインになった。
花の香り漂いそうなラベンダーの根元から、段々濃くなるウルトラマリンブルーが中間で爽やかに波をうち、最後に毛先に光る魔法の赤いルージュカラーがキラキラと輝きを魅せる演出! これが、僕の――魔神のグラデーションカラーだ! そしてこのテストの回答である。
『グラデーションカラーの権化』京街空がその作品を見つめると、僕の方を見つめ言った。
「なぁ……時蔵、この作品には――作品名はあるのか?」
僕は完成した余韻に浸りながら、ゆっくりとその問いに答えた。
「この作品名は――『キスメットキス』です。僕にキスしたスポンジ……いや、山さんが僕の顔に投げつけたスポンジがくれた運命のキスに賭けました、その事に掛けた少しトンチがきいた作品名となっています!」
「な、なんだ! 時蔵こんな時にダジャレか!? でも良い名だな、運命のキスか……」
モデルの山さんが自分の髪にうっとりとしながら、噛みしめる様にそうつっこんだ! 噛みしめながら……――微笑み、この作品は間違いなく90点を超えられたと確信しながら。
そんな彼女と僕を見て京街さんが、報われた様な表情で天を見ながらしみじみと口を開けた。
「キスメットキスか、良い名だ……。素晴らしい作品だ、95点と言った所だな。ありがとうな、合格だ! 俺はお前を尊敬するぞ、時蔵叡智! 一緒に仕事をしようじゃないか」
京街さんが僕に手を差し出して、強く握手を交わした――この瞬間、『グラデーションカラーの権化』京街空の業界紙初登場にして、カラーテクニック連載企画が『月刊美容スータビリティ』で始まる事が決定した!
美容業界誌嫌いの京街さんが僕達を認めてくれて、この『月刊スータビリティ』の目玉連載を手に入れることができた! これがこの会社で僕が初めてあげた功績となった。
僕を拾ってくれた会社の役に立てた事、そして京街さんに認めて貰えた事にほっとして、なによりも僕の『希望』に近づいた事に心の中で歓喜し、一喜一憂はいけないと思えども、この時ばかりは嬉しくて舞い上がった……。
僕に身についている『魔神の美容』が確認できた事も知れてよかった。そして、今回一番の僕の支えであった山さんに感謝をし、途中一瞬諦めかけた事に関して、土下座をすると――山さんは「以後、気をつけるように!」と言った後すぐ、「キャハッ! よくやったなぁ!?」と笑いツンデレをかまし、僕を褒めてくれた! そして一緒に喜んでくれた。
京街さんのテストを無事にクリアした僕たちは、今後の連載の流れをその夜、僕と山さんと京街さんで話し合った――そして、なんと僕が京街さんのカラーテクニック連載企画の担当編集になる事が決まった!
その後『キスメット』従業員の皆も合せて、京街さんの奢りで――京街さん行きつけの深夜も営業しているという大人のうなぎ屋さんに連れて行ってもらい楽しい夜を過ごした。
そして次の日の早朝――あまり寝る時間はなかった僕と山さんはそれでも気合いで飛び起き、朝一番の新幹線に東京に帰る為に乗った。
色々あった京都での仕事――手ごたえを掴んだけど、僕は編集として少しぐらい成長できたのだろうか? いや、できた筈だ! 僕は『希望』に近付いている! そう実感しながら新幹線の中、京街さんと昨日の夜決めた東京での撮影と打ち合わせの時を楽しみに思いながら、イメージを膨らませていると、すぐに東京に着いた。
会社に僕と山さんが戻ると、『どす黒い黒髪』から『キスメットキス』にイメチェンした山さんを見て、会社の皆が最初は驚いていたものの、「その髪型のほうが良いよ! ありだよ、それあり!」と言う様な言葉が飛び交った……。可愛いけど、奇抜な髪色だったからどうなるものかとおもっていたが――高評価の様で何より、一番僕がホッとした、有り難いことだ……。
後日――京街さんが連載の打ち合わせと作品作りに東京へやってきた。その前に僕たちは頭さんの御見舞いに行くことにした。
僕が案内をして一緒に頭さんの御見舞いに行くと、京街さんが目を覚まさない頭さんを見ながら小さく呟いた――僕の『魔神の美容』を広める『希望』を深く理解し、それを励ます様に。
「頭さん……あなたの弟子の時蔵は、ちゃんと頭さんの魔法様な技術を受け継いでいます。きっと頭さんが目を覚ました時、時蔵が『希望』を叶えていて、新しくなった素晴らしい美容業界を見せてくれますよ、楽しみにしていてください……俺も楽しみだ」
そして京街さんは僕に「いくぞ、時蔵。時間は有限だ、やるからにはこの雑誌一番人気の連載にするぞ! さぁ、早く取りかかろう――お前の『希望』に……魔神が目覚める前に!」と、言うと病院を後にし、いよいよ僕たちは連載企画の準備に取り掛かる為、美容スータビリティ本社へと向かった。
『グラデーションカラーの権化』京街空――僕が編集者として、初めて担当する『バンドデジネ』を得意とするその美容師の顔は生粋の粋人である。