階異
階異は前方に三体、後方に二体現れた。
階異。影のように暗く、しかし実体を持って人を襲う者。その形は千差万別で、人の半分の背丈であることもあれば見上げる程の巨体を持つ者もいる。
この場所は人の住む領域から然程離れていないから、それほど強力な階異は現れない。
階異『ゴブリン・シャドー』。体長百センチから百三十センチ程度の小柄な人型の影で、大抵三体前後に群れて出現する。五体なら、少し多いくらい。一人でも捌けない数じゃないし、今はディンもいる。つまり楽な相手だ。
勿論、こちらの思惑など知らないだろう彼ら。いっぱしに数の優位を知っているのか、警戒の素振りも見せず無遠慮に距離を詰めてくる。
俺はさりげなく壁に寄って攻め手のルートを制限。すると正面、同じく壁際に一体を残し、残りの二体は俺の側面へ移動した。それを見てから、俺は正面の一体に突っ込んだ。
利き手の右に持った黒いステッキを振る。階異『ゴブリン・シャドー』は身を屈めてこれを避け、お返しとばかりに鋭い爪を突き出してくる。獣の速度。そしてそれが生み出す威力を俺は知っている。階異の中でもとりわけ強いとは言えない、むしろ弱い部類の彼らでも、爪を振るえば人の体を容易く引き裂いてみせる。俺も人である以上、その結果は避け得ない。でも、それは普通であればの話。
『ゴブリン・シャドー』の爪は俺の腹部、ジャケットに突き刺さり、否。刺さらない。貫通しない。なぜならば、俺の一張羅、革のジャケット。その素材は彼らに同じく『階異』製だからだ。
思った結果が出せなかった『ゴブリン・シャドー』は動きを一瞬止めた。その隙を付いて俺はステッキの先端を奴の頭に押し付け、持ち手に備えられたトリガーを引く。
黒いステッキ。仕込み杖であるこの武装。何が仕込んであるかと言えば、何のことはない、その正体は光石だ。
そもそも『階異』とは、光石の灯りに弱い特性を持っている。光石灯の淡い光程度ならば嫌がる程度だけれど、精錬された、高純度の光石の強力な光であれば数秒当てただけで劣化し、焼き菓子のようにボロボロと崩れてしまう。こうして直接当ててしまえばそれこそ、一秒あれば十分。
トリガーが引かれ、内部に仕込まれた高純度光石が先端へと飛び出し、同時に眩い光を放つ。目が焼かれない様、つい、と帽子のツバを指で抓まんで少し下げ遮光とする。一秒足らず。階異『ゴブリン・シャドー』の体はバラバラに焼き砕かれ、錆と埃へと還った。
すぐさまステッキを側面へと突き出す。「ギャア!」という悲鳴が聞こえた。正面の階異の死をきっちり確認した後、一瞬遅れて横へと視線を向ければ、『ゴブリン・シャドー』が二体、煙を上げて地面を転がっていた。
トリガーを放し、光石を引っ込める。あまり長い時間光らせておくと劣化が早くなるから、こうしてなるべく節約しなければならない。ああ、もっと贅沢に、ばら撒くほどの高純度光石があればと思わずにいられないけれど。無い物ねだりは空しくなるだけだ。
気負わず、転がる階異に近付いてトン、トンとそれぞれにステッキの先端を当て、きっちり一秒ずつトリガーを引いた。これで三体。
「鮮やかですね。クーさんカッコいいです!」
呑気なディンの声。振り向いて地面を確認すれば、二体分の錆と埃の山。どうやらすでに終わっていたようで。
いつもの煽てはスルーしてしゃがみ込み、階異の死骸を漁る。適当に払いのけていくと、小さく光るものが見つかった。光石だ。それを拾い上げて、同じように他の二体の分も探して、拾う。
「光石、拾ったか? 小物でも大事な収入なんだぞ」
「はい。小さいですけど、ほら」
ディンのグローブの上には、確かに小さな光石が二つあって。小指の先ほどの大きさの。うん、小さい。でもこんなものだ、雑魚から取れる光石なんて。
ちなみにこの光石。基本的に自然に発光している分にはそれほど強くは光らない。そもそも空気に触れていなければ光すらしない。まあ、そうでもなければ、光石の光に弱い階異が体内に光石を持てるわけもないのだけれど。
そして空気中にあって、発光し続けていると次第に劣化していき、いずれ全く光らなくなる。だから保管するときは空気が入らないよう密閉したものに入れておくわけだ。
俺はディンから受け取った光石二つと、俺が倒した分の三つをまとめて光石保管用のパッケージに突っ込み、それをさらにジャケットのポッケに突っ込んだ。
「さて、次行くか」
まだこのくらいでは稼ぎには足りない。俺達はそのままさらに奥へと進むことにした。
◇
奥へ奥へ。無造作に積み上げられた建築物の隙間を縫って、奥へ。
一体誰が設置したのか、誰が交換しているのかも分からない光石灯の灯りを頼りに歩いて行く。思えば不思議なことだ。殆ど人の立ち入らない区画にも、必ず光石灯は設置されている。それだけでなく、ありもしない店の看板が煌々と光石の灯りを連ねていることすらある。人の気配はないのに生活の面影だけはあるなんて、性質の悪い冗談かホラーのような光景で。
ぶるり、と背中を走るうすら寒さに震える。考えるな。考えるな。だって意味がない。益体もない。
もうずいぶん慣れたと思っていたこの世界の不条理さも、こうして時折波が返ってくるように思い起こされる。忘れるな、とでも言うように。
「……誰がさ」
思わず呟いて、ちらりと後ろに視線。当然のようにディンが付いてきているけれど、聞こえなかったのか反応はなし。まあ、別に聞かれて困るわけでもないけど。
それからしばらくは、静かな道を二人きりで散策、散策。時折最初に会ったのと同じ種類の階異を見つけてはやっつけたりもしたけれど、省略。ちなみにデートではないので、生憎。
二時間くらい、歩いて辿り着いたのがここ。珍しく天井の高い、十メートルはある、そういう開けた建物。見た感じ、前世で言う劇場のような場所で。
劇場の壁、上方の出っ張りに巨大な影が腰を下ろしていた。影、階異。鷲鼻に、巨大な口を備えて。長い腕二本と、大きな大きなお腹を持つ。
階異『トロール・シャドー』。
強敵だ。体長五メートルもの巨体、その丸太のような腕は当然のように怪力で人間なんて簡単にぺしゃんこにしてしまう。『ゴブリン・シャドー』とは比べ物にならない相手だ。
それだけに実入りは大きい。恐らく、こぶし大の光石が手に入る。
とはいえ、楽に勝たせてもらえるものか。勿論、巨体を誇る『トロール・シャドー』であっても、光石の光に弱い弱点は変わらない。俺のステッキに仕込まれた高純度光石であれば、間違いなく大きなダメージを与えられる。
ただ、時間がかかる。『ゴブリン・シャドー』で一秒。なら、その何倍もの大きさを持つ『トロール・シャドー』なら、何秒。何十秒?
「クーさん。僕が囮になりますよ」
ディンがそう言って前に出る。革のグローブの具合を確かめながら自然体で佇む姿からは、恐れや緊張は見えないけれど。
「無理だと思ったら言えよ」
お互い、こんな修羅場は何度も潜っているのだし、あまり多く言葉をかける意味もない。出来ると思うからやるし、無理だと分かったら退く。それだけだ。
そんな俺達の様子を上から眺めていた『トロール・シャドー』が、突然大口を開けて咆哮。ゴングの代わりとでも言うように拳を壁に叩きつけて、砕いて。そしてジャンプした。
地面が揺れる。周囲の密集建築物がギシギシ、ミシミシと悲鳴を上げる。とてつもない重量感。こうして同じ高さの地面に立てば否が応にも思い知らされるサイズ差だ。
だがそんなプレッシャーすらものともせず、ディンがさらに前へと行く。顔は見えないが、きっと平時のように笑みを浮かべているんだろう。こいつはそういう奴だ。
お互いの距離が近づいて、当然だけど、『トロール・シャドー』のほうが先に攻撃が届く間合いになる。大きく、高く振り上げられた拳は、これまた当然のようにディンへと振り下ろされた。
再び、地面が揺れる。ディンは、無事だ。殆どその場から動くことなく、だけどきっちり拳は避けている。あの胆力は流石としか言いようがない。普段から、俺のゴミカスを見る目をさらりと受け流しているだけはある。
お次はディンのターンだ。革のグローブを握り込み、手首の位置にあるスイッチを入れる。すると指の関節を覆う部位に仕込まれた光石が輝いて、対階異用の武装へと早変わりだ。
風のように『トロール・シャドー』の懐に潜り込んで連続で拳を打つ。『トロール・シャドー』の巨体が揺れて、苦しそうな呻き声が漏れた。うん、効いてる。
巨大な手がディンを捕まえようと動くが、その時にはバックステップで間合いの外だ。
そして俺も見物だけしているわけじゃない。ディンが気を引いている間に『トロール・シャドー』の横を大きく迂回するように走る。狙うは頭部だ。五メートルの高さにあるそこを直接攻撃するには、少し手間をかける必要がある。要はそれだけ高い場所に登る必要が。
劇場の中に入って、どうにか上に登る道を見つけさえすれば、『トロール・シャドー』が自ら開けた壁の穴から外に出られるはずだ。ディンなら上手く壁の近くまで誘き寄せてくれるだろうから、そこまでいけば後は流れで何とかなるだろう。多分。
走りながら簡単なイメージでシミュレートしつつ、劇場の中へと入っていく。するとそこは――
「…………花畑?」
一面の、花畑があったのだった。