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朝の目覚めと床下男

初投稿です。よろしくお願いします。

 ギシギシと木張りの天井が鳴いているのは階上の住人が今日も寝起きのストレッチをしているからだ。朝ニワトリが鳴くのと同じように、俺の部屋の天井も鳴くのだ。まあ目は覚めるけれど気分良くとはいかない。しかし文句を言う筋合いでもない。別にそこまで非常識な時間でもないし、そもそも目覚まし時計を買わずに済んでいるのだから助かっているとすら言える。それに俺だってこうして床を歩けば軋む音を立てざるを得ないわけで、それは階下の人の迷惑になるのだ。つまりお互いさまだ。誰もが誰かに迷惑を掛けている。大事なのはそれを時々でいいから思い出すことだ。忘れないのが一番だが、それは無理なので妥協する。


「クーさん、クーさん」


 床下から俺を呼ぶ声がする。クー。クーリア。俺の名前。呼ぶ声は若い男の声だ。床下の住人。階下ではなく、床下の。

 隙間だらけの木張りの床、暗がりの奥に光る眼がギョロギョロと動いてそして止まる。俺を見て止まる。一見ホラーだが、慣れればどうということもない。こいつが床下に住み着いてからもう二年は経つ。


「クーさん。おはようございます」


「……あいよ、おはよ」


 一応、挨拶は返す。礼儀だ。大事なことだ。とは言え見返す俺の目がゴミカスを見るような目になるのは仕方ないことだと思う。だって俺は、一応、これでも、『女の子』なんだ。


「クーさん。今日もカワイイですね。寝癖もばっちり、きまってますね」


 寝癖は決めるもんじゃない。まだ顔も洗ってないのに、こいつは本当にデリカシーというものがない。そういうレベルの話でもない気がするが、今更だ。とにかく、顔を洗わねば。目ヤニだってついてるだろうし、寝癖も直さなければならない。

 俺は床下男に返事することなく、洗面台に移動する。曇って反射の鈍い鏡で朝一の俺の顔をチェック。眠そうな目は緑で、爆発している髪は茶色。肌は白。総じて日本人には見えない外見だ。まあ、日本人じゃないから当たり前。


 日本人だったのは大分前――そう、いわゆる前世という奴だ。前世の俺は日本人だった。あとついでに、男だった。しかし何の因果か、記憶を持ったまま生まれ変わってしまった。しかも日本どころか地球ですらない場所に。性別まで変わって。

 最初は戸惑ったが、すぐにそれどころではなくなった。前世どうのを考えるよりも、今を生きるのに必死だった。何だかんだあったわけだ。そして今に至る。


 今。このクソ狭いオンボロの部屋が俺の城だ。足掻いて足掻いてここまで来て、ここから這い上がる為に、今日も足掻くのだ。取りあえず、寝癖を直してから。


「クーさん。ネズミがいました。食べますか?」


 食わねえよ。



 ◇



 十数分かけて、寝癖を直した。俺の髪は丁度肩の上にかかる程度の長さで切りそろえられている。ショートにしても良いんだが、すぐ伸びるので維持するのが面倒で止めた。

 寝間着代わりの大きめのシャツを脱ぎ棄て、一張羅に着替える。丈夫な革のジャケットに、揃いのズボン。そしてテンガロンハットによく似た帽子。そこに黒いステッキを持てば準備完了。フル装備だ。


「クーさん。僕も準備完了です。デートしましょう」


 聞いてねえし、デートもしねえし。


 床下男は放っていおて、硬くなった黒パンに齧りつきながら、外に出る。びゅう、と強い風が吹いて髪が乱れた。帽子を押さえながら、目の前の景色を眺める。そこにあるのは『穴』だ。巨大な『穴』。おざなりな柵に手を掛け、下を覗き込めば、吸い込まれるような闇がそこにある。

 穴は何も地面に出来ているというわけじゃない。ただ、結果として穴になっているだけだ。建築物の話だ。建物を積んで、積んで、積み上げて行って、真ん中だけ開けておいたら、最終的には『穴』になる。そういうことだ。


 穴を越えて向こう側には、同じように建築物が積み上がっている。あまりにも無造作に、適当に、乱雑に、それでも奇跡的なバランスを保って、それは積み上がっている。見ていて不安になるけれど、今自分が立っている場所も全く同じような状態であることを思えば考えるだけ無駄どころか損だ。心を病む。だから見て見ぬふりをする。きっと誰もがそうだ。もう今更どうしようもないから。

 俺は穴から目を逸らして、上を望む。ポツリポツリと設置された光石灯がぼんやりと照らす建築物の壁は延々と続いていて、空は見えない。一体どこまで続いているのか、誰も知らない。そもそも誰が積み上げたのかすら。誰も。


「クーさん。今日は良い天気ですね」


 いつの間にか隣に立っていた床下男――いい加減名前で呼ぶか。こいつ、床下男、本人言うところのディンなる男は、歳は一見十代半ばに見える優男で、身長は俺よりは高いが、まあせいぜいが百六十センチちょい程度。金髪碧眼で、柔和な顔立ちが幼さを際立たせていて格好いいよりは可愛いと言われる見た目をしている。灰色のコートを着込んで手には革のグローブを嵌めていて、首から上しか素肌が見えない恰好だ。

 そんな男が、隣で微笑んでいる。俺がまともな女なら、そしてこいつのことを何も知らない状態なら、もう少し思うところもあったかもしれない。でもこいつは床下男だ。騙されてはいけないのだ。


「天気ねえ……」


 先述の通り、空は見えない。つまり、天気など窺い知れないわけだが。ディンの言う『天気』はそういう普通の天気とは違うものであることを俺は知っていた。

 空気の質、とでも言えばいいのだろうか。呼吸をした時の鼻や喉の通りとか、肌を撫ぜるときの感触とか、酷い時には視覚にも影響が出ることもある。湿度などとは違う、もっと特殊な、特別なものがここの空気には混じっている。

 それらの影響が少ない日を『天気が良い日』と表現するのだ。


「稼ぎ時かね」


 呟いて、俺は身を翻した。穴に背を向け、壁と壁の間、積み上がった建築物の隙間に身を滑り込ませていく。光石灯の灯りを頼りに、突き出したパイプや濡れた正体不明の布を避けながら先へと進んでいく。時々段差があって、少し登ったり、降りたりする。舗装されている場所もあれば、まるっきり家の屋根が剥きだしの場所もあって、でもそれは一応、道なのだ。穴が開いていることすらあるけれど、歩けるのだから、道と言って差し支えない。

 そういう道をずんずんと進んでいくと、少し開けた場所に出る。ここまできて、ようやくディン以外の人間を見ることが出来た。


 壁に寄りかかって、床に広げた風呂敷に得体の知れない商品を並べている者や、屋台で得体の知れない食べ物を売っている者もいる。要はそういう場所だ。

 今は特に用もなし、全て無視してさらに奥へと進んでいく。通行人の肩を避けながら奥へ奥へ。すると再び人がまばらに、そして誰も居なくなる。


 光石灯の数も減り、薄暗い道を歩いて行く。誰も居ない。誰も居ない。だけれど、視線は感じる。


 居る。

 奴らはそこに居る。


 影が、のっそりと、じんわりと這い出てくる。そこらの隙間から、暗い影が。それは形を持った影。『階異』とも呼ばれる生き物ならざる生き物。一説には、光石灯の灯りすら届かない隙間の奥深くで、錆と埃を糧にして生まれてくると言われている。真実は分からない。興味はあるけれど、自ら調べる余裕はない。

 ただ、分かっているのはこの階異、倒すと『儲かる』。それだけだ。何とも不思議なことに、錆と埃から生まれると言われる割に、死ぬと光石を落とすのだ。この薄暗い世界で、光石は常に需要があるが故に安定した価値を持つ。


 そして天気のいい日は階異の動きが鈍る。つまり倒しやすい。よって稼ぎ時、という寸法だ。


「クーさん。後ろには僕がいますよ」


 ある意味では不安極まりない台詞を言って、当然のように付いてきていたディンが俺の背後を守る。別に頼んじゃいないが、カバーしてくれるなら楽が出来る。それだけのことだ。


 俺はステッキを構えて、階異を迎え撃った。



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