8 時代劇のヒーロー
俺は蕎麦屋2階の座敷に連れて行かれた。既に5人の男が集まっている。浪人、町人、職人と、身なりは様々だ。句会なのか、筆と紙が用意されている。
「遅くなりました」
「弥兵衛殿はいかがなされた?」
「おい、安兵衛」
って、俺のこと?
「お前なんだか痩せたな」
「若くなったような気もする」
「さては良い女でも出来たのか?」
「そんなことはお内儀殿とお父上が許すまい――」
「あの、みなさん」
年上の男達の軽口を、智紘に似た若侍が遮った。彼は下世話な話が苦手なようだ。一緒になって軽口をたたき合うには若すぎるのだ。
「すまんな、右衛門七。今度お前にもいい目を見せに連れて行ってやろう。一度は覚えた方がよい」
「結構です、赤垣様」
右衛門七と呼ばれた智紘似の若侍は、頬を染め、怒ったように言った。
「さて、それでは始めるか」
「待て!俺たち抜きで――」
!!
一同唖然。俺とそっくりな男が老人と二人で入ってきた。
「一体こりゃ、どういうこった?てめえは一体誰だい!!」
威勢のいい江戸弁。
「隠し子か?安兵衛」
「義父上、どうやったらこんなに大きな隠し子が出来る。俺はまだ33だ!」
俺は33歳の男と間違われたのだ。
「兄弟?」
「そんな奴がいるなんて、聞いてねえ!てめえ!なんなんだこいつぁ」
安兵衛は俺の胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。俺の方がずっと背が大きい。が、彼の腕の力は凄まじく強かった。
「申し訳ございません。人違いで、私が連れて参りました」
右衛門七は土下座をして謝っている。
「謝って済む問題じゃねえぜ。どうやって落とし前を付ける?」
叩き付けられるように座らされた俺は、腰抜け状態。恐怖、ではなく、会ってみたいと思っていた江戸時代のヒーロー8人に取り囲まれていたからだ。
「なぜ、人違いだと言わなかったのだ!?」
智紘に似た声。
「あなたに会えただけでよかった。少しでも長い間、あなたの傍にいたかった」
俺は、自分でも信じられないような言葉を吐いていた。
「なんだ?安兵衛殿の影武者は男色か?右衛門七は女と見まごう美少年だからな」
「右衛門七、てめえが始末を付けろ。ちょうど良い練習にならぁ」
「その前に、望みを叶えてやったらどうだ?」
物語では意味のある会話しかしない彼らも、日常ではこんなくだらないことを言い合ったりしていたのだろう。
「くっ、お許しください。みなさま、お許しください」
と、右衛門七。
「許す訳にはいかねえ。お前が出来ねえなら、俺がやる。……大事の前の小事だ、悪く思うなよ。付いて来い」
安兵衛は、右衛門七が被っていた深編み笠を俺に被せると言った。
俺は無言で付いて行く。逃げればいいだろうって?そんな気を起こしただけで瞬時に切り捨てられるだろう。どうせなら彼が思う場所がいい。これ以上迷惑を掛けたくないのが本音だ。
暗い川の畔に着いた。
「ここでいいだろう。なんで、逃げなかった?斬りかからなかった?」
「あなたに叶うはずがない」
「虫酸が走るぜ。おめえみたいな根性無しにゃ」
「俺もです」
「親兄弟は?」
「いません」この時代には。
「どこに住んでる?後で知らせてやる」
「言いません。みんなに迷惑がかかる」半次やお春の顔が浮かんだ。
「後ろを向け!」
毎年12月になると必ず親父が見ていた時代劇。つまらないと言いながら一緒に見ていたものだ。この、目の前にいる人は、俺たち親子共通のヒーロー、忠臣蔵赤穂浪士47士の一人‘堀部安兵衛’なのだ。この時から8年前の元禄7年、安兵衛は高田馬場で伊予西条藩士菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀して有名になった。その一件を見ていた堀部弥兵衛|(安兵衛と一緒にいたじいさん)に望まれて養子になったのだ。生涯で2回の敵討ちをした男としても有名だ。18歳で江戸に出てきた彼は江戸に精通していたはずだから、江戸中の畳職人を集めて一晩で畳替えをした話などが生まれたのだろう。だから俺はこの人達の修飾された物語を知っている。近い将来に起こる事実を知っている。
歴史を変えるつもりはない。名もない男がここで命を落としても、何も変わりはしないのだ。
「笠をとってもいいですか?あなたとそっくりだったなんて、親父に自慢出来ます」
月明かりに照らされた安兵衛の顔は、確かに俺とよく似ている。だが、中身は顔に表れるものだ。面構えというものがまるで違う。今の俺は半次が言ったように、ネジが2,3本弛んだ顔だ。10年後、俺もこんな顔になっていたい。
安兵衛が刀を振り下ろすのが見えた。
暗転。