2 貧乏長屋
「で、このお方をここにお連れしたのは半次なのじゃな」
「へえ」
「なぜ番屋に届け出なかった」
「いくら何でもお武家さんがざんばら髪で素っ裸じゃ、みっともねえだろうと思いやして」
さっきは儲け話に俺を利用しようとしていたくせに、話が違う。
男は半次という名前らしい。背は小さいがハンサムだ。半次だけではなくみんな小柄だ。190センチの俺が馬鹿みたいにでかく思える。目撃者全員が、半次の狭い長屋に押し掛けてきている。ぼろ屋の床が抜けないか心配だ。司会進行は年の功、長屋のご隠居さんだ。
俺は、お春ちゃんが持っていた土鍋の中身のお粥を平らげて、布団を肩から掛けて話に混ざっていた。
ふと気付く。これは芝居じゃない。夢?夢じゃなければタイムトリップ……んな訳がない。夢なら夢でこの状況を楽しむ事にした。もしかしたら凍死寸前、最後の楽しい夢でも見ているのかも知れない。
マッチ売りの少女か?俺は。
「何をニヤニヤしていなさるのです?我々は貴方のこれからの事を話し合っているのですぞ。――ところで、まだ貴方様のお名前も伺っておりません」
「広木稲作と申します」
「ほら、名字がある、やっぱりお武家だ」
「半次さん?」
「へえ、半次っていうケチな野郎でござんす」
「名字は?」
「ありやせん」
「焼津の、じゃ?」
地元に‘焼津の半次’という名の居酒屋があった。マグロ料理がうまかったのだ。
「あっしは焼津の出じゃありやせん。相模でして」
「相模の半次?」
「いえ」
「ただの半次?」
「へえ、仲間には‘ピンぞろの半次’と呼ばれていやす」
テレながらいった半次に、一同は笑ったが、俺には何が可笑しいのかわからない。
さっきから、お春ちゃんの視線が気になっている。彼女は俺のブリーフが気になってしょうがないらしい。目が合うと、真っ赤になって両手で顔を覆った。可愛い娘だ。
「えっへん。ところで広木様、貴方様はどちらからおいでで?」
どう答えればいいのか。21世紀?平成時代?群馬県?行き倒れた所は何県だっけ?
「生国ですよ、旦那。お生まれはどちらで?」
「群馬県です」
「ぐんまけん?」
全員が顔を見合わせて首をひねっている。
「いえ、上野です」
「上州ですかい?ダチに上州新田郡の野郎がいるんです」
「紋次郎?」
と、いっても、羨ましいのか恐ろしいのか14万頭もの子孫を残す、俺たち農家で名高い天下の名種牛‘紋次郎’の事ではない。上州新田郡三日月村出身の渡世人‘木枯らし紋次郎’の事だ。彼は架空の人物だが、群馬には三日月村というレジャー施設があるのだ。今でいうテーマパークのはしりだ。
「いえ、佐太郎ですが――」
どうも話がかみ合わない。そうこうしているうちに大工の熊さんが息を切らして飛び込んできた。
「ご隠居、一番寸法がでかいのがこれだ」
俺は、ふんどしを締められ、洗いすぎて黒が茶色になってしまった小さい古着の着物を着せられ、お春ちゃんに髪を束ねてもらった。見慣れているからなのか、お春ちゃんはふんどしなら気にならないらしい。俺は大いに気になる。尻がスースーして風邪をひきそうだ。
「旦那、言っときやすがこの刀は竹光ですからね。十分お気を付けになってくだせえよ」
と、半次。
持つ者を狂わせるという村正のような妖刀なのだろうか?
「広木様、もちろん今すぐにとは申しませんが、締めて1両と2分かかりましてな」
「立て替えてくれるのか?」
「はい」
「わかった。後で返す」
「旦那!何がわかったです。……ご隠居、そりゃいくら何でも非道すぎる。このお方は何もわかってねぇんだから」
半次の抗議で借金は2分に負けてもらった。俺の借金は3分の1に減ったらしい。それでもご隠居さんは満足そうだ。
「なんだか、坂本龍馬みたいだな」
鏡を見ながら呟くと、
「友達か?」
と、お春ちゃん。
彼女は龍馬を知らない。
「ところで、今は何年なんだろう?」
「旦那は面白いお人だね。元禄15年だよ」