島と鬼
「ところで、どうして私の父の助言を知っていたのですか」
桃はましらの顔を、肩越しに見上げた。
「当たり前だろうが。
俺はお前を、生まれた時から今の今までずっと見てきたんだからな」
ましらとその肩の上に乗った桃を除いた全員の足が、呼吸を合わせたようにぴたりと止まった。
ましらは尚、声を大きくして話を続けた。唖然とキギシと犬はましらの背中を目で追っている。
「全部知ってるさ、お前が生まれた時の親父さんとおばさんの嬉しそうな顔も、お前が初めて体を這った時のことも、お前が初めて両足を地面に付けたこともな」
桃の目に次々と過去の記憶が鮮明によみがえった。桃がどうしてなのかと訊ねたが、ましらはただ「さあな、知らねえよ」と切なげに笑みをこぼすだけだった。
犬とキギシにはその答えがわかったようだが、敢えて言葉に出さないのはましらのためであろう。
嫌気が差すほどに、壁、壁、壁だった遠くの景色が突然に変わった。
白い海鳥が空を舞うのが見えた、海がきらきらと光って見えた。
それが小さな島だと、皆は思った。
「人が居ます、お元気そうです。
こちらに手を振っています」
肩の上で桃はぶんぶんと手を振った。
そんなことは他の皆も十分承知だが、何も答えずに走った。
「どうやら歓迎されているようであるな」
「はい、そのようですね。
あらあら、ご馳走まで用意して下さって」
こちらへ手を振る住人の手には何れも餅が握られていた。
『人だ!人がやってくるぞ!』
『我々の島に人がやってくるのはいつぶりか!」
一行が歩いてきた道から島までの間隔は、桃の大股一歩でも渡れるぐらいだった。
岩道と島の間に真っ青な海が見える。
「よういらっしゃった、
餅、お食べなさい」
この島の住人は人を疑うことを知らぬようだ。長い髪を結んだ若い女が、海苔を巻いた餅を桃達に押し付ける様に渡した。
「いいんでしょうか、こんなにたくさん」
一個で充分というのに、女は手から溢れるほど餅を乗せた。
遠慮を知らぬ男達が食らいつくように餅を頬張る中、桃だけが餅を口に運ぶことを躊躇っていた。
そんな桃を見てなのか、女は不安げな顔を見せた。
「あらね、餅嫌いなのかね。それともお腹いっぱいかね」
眉を下げる女を見ると、桃は慌てて首を振って否定し餅を口の中に入れた。遠慮がちに口に入る餅が海苔と絡まる。
「あらま、美味しい」
桃の顔が自然と綻んだ。もらった餅は、甘く、それに巻かれた海苔はそれを一段と引き立たせていた。
餅を出した女と、密かに横目で様子を見ていた島の者が安堵のため息をこぼした。
「それはのう、鬼さん達がついてくれた餅なんじゃ」
打倒鬼軍団を囲む者達を掻き分けて、白髪を生やした長老らしき人物が顔を出した。
鬼、その言葉がようやく餅に夢中になる男達を呼び覚ました。
「鬼」
キギシが、さらりと放たれたその言葉をもう一度確認するように呟いた。隣にいた犬がその長老の元へ、風をも切る勢いで走り、震える顎を動かした。
「鬼、鬼がこの餅をついたというのか。
鬼がこの島へ足を入れたというのかっ」
殺気、まさにその二文字が似合う空間が生まれた。それを生んだ主は、犬だけではない。キギシは、相変わらず静かだがその目は島の者を震え上がらせるのにはぴたりという具合だった。桃は、三人の男の中で唯一殺気を漂わせないましらを不思議に思った。
「おい、そいつらは関係ないだろうが。
離してやれ、犬ちゃん」
ましらは、口は悪いが三人の中では一番冷静な男だった。ましらに感じるこの違和感に、桃だけが気づき始めて居た。
犬は、あまりにも鬼が憎いのであろう。わなわなと震えるその手は無意識にも長老の胸倉を掴んでいた。はっとしたように犬は渋々腕を下ろす。長老はやれやれというように、咳払いをした。その場の張りつめられた糸がわずがに緩んだ時、桃がさっと出てきた。
「私のものが、失礼いたしました。私達はあなた方が憎いわけではございません。 お許しください」
島中の者が真ん中に立つ長老に目を向けた。長老はしばし桃達を見渡す。
「 皆の者、どうやらこの人たちは悪い人ではないようじゃ。
村奥の家へ案内するわい、話はそこで聞かせてやろう」