生者の望む死 —— 業
罪とは無知の成せる業である。
俺は、常々そう思っている。
無知は罪なり,知は空虚なり,叡智を持つもの英雄なり
と、どこかの偉人が残したが、俺に言わせりゃそうでは無いのだ。
無知だろうがいいんだよ。それは罪なんかじゃない。
無知だったとしても、人に迷惑をかけたりしない限りは法に触れることは無いんだから。
でも、その逆はあり得る。
無知なものが罪を犯すんじゃ無い、罪を犯すものが無知なんだ。
知っていれば、どんな結末が待ているか予測することができた。
知っていれば、そもそもそんなことをしなかったかも知れない。
知っていれば、闇バイトに応募することもなかっただろう。
だから、犯罪に走る理由は、悉く無知が原因とも言える。
それでも、無知なものが皆、罪を犯すわけじゃない。
不幸な境遇にあっても、なお優しさを忘れない人もいる。
知らなくても、罪を犯さずに生きていける世界、というのが理想なのだから。
そもそも、知らないからと言って言い訳を並べ立てている奴は、ただ逃げているだけなのでは無いかとも思う。
それに、無知と純粋は紙一重だ。
本当に無知ならば、物事を疑う暇も無く純粋に取り組める。
そんな人は、強いんだろう。
多くを望むこともなく、目の前の幸せで満足できる人。
そんな人が多ければ、世界はより良くなっていたかも知れない。
そして、そうする為には、生きていなければ話は始まらない–−
生物であるからには、知識を蓄え、純粋に生きるしか方法はないのだ。
………それは、俺には叶わなかった、道。
無知ゆえに踏み外してしまった、大切な道…
どんなことが法に触れるのかが分からない。
目先の欲に囚われて、もっと大切なものを失う。
短絡的な思考で、安全だと考え悪事の片棒を担がされる。
これらは、本当に頭のいい人なら起こさない過ちだ。
もし悪事を働いたとしても、証拠を残さなければ捕まることはない。
そもそも、そんな人はそんなもの悪事に頼らずとも生きていけるだろう。
でも俺は違った。
名門私立大学を出て、順風満帆な人生が始まるはずだった。そう、信じていた。
でも、人生は期待通りにはいかないもので。
それまでの人生を、勉強に費やしてきた俺は働き方を知らなかった。
それなのに、人生には役に立たない知識ばっかりを身につけた俺は、おごり高ぶっていた。
だから、就職氷河期に呑まれ、気がついた時には志願した会社全てから、不採用通知が届いていた。
だからと言って家に頼ろうにも、「今まで学費を出しただろ」の一点張りで、もう一銭たりとも仕送りをしてはくれなかった。
その後は思い出したくもない。
バイトでなんとか食い繋ぎ、初めて契約した安アパートで眠る。
そんな生活を、一ヶ月ほど送った。
一つ一つのバイトは短くても、幾つも掛け持ちしていてはハードワークにもなろうというもの。
心身ともに疲弊した俺は、高額報酬に目がくらみ、ネットで見つけたバイトに応募した。
その後はまあ、予想が付くだろう。
応募したバイトというのが、いわゆる闇バイトだった。
まずは「経歴・職業の確認」とかって言って、個人情報を抜き取られた。
それに気が付いた時にはすでに取り返しがつかないことになっていて、その情報をかたに悪事に加担させられる毎日。
もう自分の個人情報はさらしてしまっているから、後戻りはできない。
もし反抗したりしたら、どうなるかも分からない。
とある日は詐欺で盗んだ金を運び。
とある日は他人のクレジットの情報を抜き取り。
とある日は運び屋まがいのことをやり。
とある日は強盗の下見と運転手をする。
そんな日々を送る中で、こんなことをしてしまう自分が嫌になった。
俺は、こんなことをしていていいのか?
毎日のように人に迷惑をかけ、いつ捕まるんじゃ無いかとビクビクしながら過ごす。
逃げ出したくても、自分の悪事が頭にちらつく。
この組織なら人殺しでもやりそうだ。逃げ出したら、殺されるかも知れない。
それは嫌だ、なんて考えに囚われる。
そんなことをグルグル考えているうちに、逃げ出せなくなる。
そしてまた、もっと酷い悪事に加担させられる。
気がつくと、自分の存在価値を見失っていた。
こんな、社会のクズみたいな自分が生きていていいのか?
人に迷惑をかけて、そのせいで困っている人がいるってのに、俺がのうのうと生きていていいのか?
俺が生きていることで、被害に遭う人がいる。
なら、俺が死んだらそんな人も少なくなるのではないか?
そう思って、ついに、自殺することに決めた。
どうせなら、自分が苦しむ元凶となった、この街から離れたところで死にたい。
そう思って死に場所を探して行くうちに見つけた。
『自殺の名所』と名高い山奥の橋。
ここから電車で少し行ったところにある、人の世界から隔絶された場所。
もう、ここしかないと思った。
そしてやってきた俺が見たのは、眼下を流れる川。
ここなら確実に助からないだろうと思えるような、急流。
そこにかかるこの橋には、手すりのようなものも何もない。
ここは確かに、こ・う・い・う・こ・と・をするのにうってつけだ。
俺はもう、ここで終わるのか。
もったいないような気もするけど、生きていたって何にもならない。
何かを成しえることもない。
こんな命、一つなくなったくらいでは誰も気が付かないだろう。
ただ、この命を絶つことで、せめて、今までの行いの、償いになればいい。
そんな思いが、胸の内に去来する。
俺は、覚悟を決めた。
……決めたはずだったのに。
実際に飛び降りようとすると足がすくんでしまう。
何でだろう?
もう、この世に心残りはない。
そんなものは、もうないんだ。
一旦後ろへ下がり、弾みをつけて飛ぼうとした時、声をかけられた。
「何を悩んでいるんだい?
……君は、今、何をしようとしているんだい?」
その声に振り向くと、俺と同じくらいの歳の、男がそこに立っていた。
「君も、自殺しようときたんだろう?
何を悩んでいるんだい?
……捨てた命は二度と帰ってこない。そんな命を、自分から断つなんて、そんな愚かしい事はない」
その声には、不思議と包容力があって、頭にスッと入ってきた。
彼の実感がこもっている言葉にも聞こえて、どんな経験をしてきたのかを知りたいとも思った。
………でも、その言葉を受け入れる事はできなかった。
「どうして、そんなことが言えるんだ?
俺ほどいらない命はない。人に迷惑をかけるしか出来ないこんな命なんて………」
俺がそう言うと、男は不思議と悲しそうな顔をした。
まるで、自分の方がそんな存在だ、と言うかのように。
そして、しばしの間の後、男は言った。
「何があったのか、良ければ教えてくれるかい?」
その声に、自然と口から言葉が溢れていった。
なぜかは自分でも分からない。
もしかしたら、心のどこかで、言って欲しかったのかも知れない。
「君は悪くないよ」、と。
そして、長い話を終えて、自分の業を再確認し、もっと命を断ちたいと思い始めた俺に、男はこう言った。
「君は、殺されたくないから仕事をしていたんでしょ?
なのに、自分から死のうとしている。滑稽だ。
でも、君のやるべきことはそうじゃないだろ?
…生きていることでしか償えない罪もある」
「………それは…」
その言葉を聞いて、胸中にさまざまな思いが去来した。
後悔、安堵、失望、自分自身への怒り。
そして、希望。
自分に、まだ出来ることがあるかも知れない、と思った故の、希望。
人にかけた迷惑は、死んでも返す事はできない。
今まで俺は、そう思っていた。
でも、違った。
人にかけた迷惑は、死んでは・返す事ができない、のだ。
だったら、今生きている俺にはどんなことが出来るのだろう?
今を生きる俺だからこそ、罪を償うことができる。
今までに背負った業は、なかったことにはできないけれど。
それでも、俺にできることはある。
その男にお礼を言って、立ち去った俺は、久しぶりに、本当に久しぶりに空を見た。
その空は、俺の記憶よりも澄んだ青色だった。
『生きていることでしか償えない罪もある』
男のその言葉を胸に、俺は街へと帰った。
そして、俺が真っ先に向かったのは、警察署だ。
そこで今までの事を自白し、今、俺は牢屋の中で裁判を待っている。
その判断に、悔いはない。
罪とは無知の成せる業である。
俺は常々、そう思っている。




