5.二人だけの昼休み
今日は六月二十四日の水曜日。山下に弁当を作るようになってから、もう一週間が経った。
「ここなんだけど……」
弁当を食べ終え、俺は山下に現代文の勉強を見てもらっていた。それが山下に弁当を作らせてもらう口実にかわしたもう一つの約束だったからだ。
そのために二千円くらいの現代文ワークを買ったが、得られる対価に比べればあまりに安すぎる買い物だった。
「この問題は……ここの文章を見るの」
並べた机をくっつけて、山下と同じ問題集を覗き込む。山下の表情は真剣そのもので、自ずと俺の気も引き締まる。
「ん? ……ああそういうことか」
なんで現代文の文章はこうも回りくどいんだよ。ラノベみたいにキャラの心情をもっとわかりやすく書いてくれよ……。
山下の教え方は丁寧でわかりやすい。そのおかげで俺は、美少女と密室で二人きりという状況でありながらも勉強に集中できた。
「うん。正解。お疲れ様、町川くん」
「山下さんもお疲れ。……今日は少し早く終わったな」
「そうだね……」
壁掛け時計を見ると、針は一時十五分──昼休み終了の五分前を指していた。
気まずっ……。
俺は陰キャで、山下もあまり人と話すタイプではない。そんな俺たちが用事も共通の話題もなしに会話できるはずもなく──。
空き教室を埋め尽くす沈黙に、俺はどうしていいかわからなかった。
「あの……町川くん。ちょっといい?」
「なに?」
「えっと……その……」
言い淀む山下。彼女の絹のような黒髪が、窓から吹き込むそよ風に踊る。山下は少し躊躇うように視線を逸らし、何秒かが過ぎた。
山下は口を開きかけ、また閉じる。それからまた何秒か経って、山下は左手を胸に置き、右手で耳の裏を触った。
いや天使かよ……かわいすぎだろ……。
「……町川くん。今日の放課後って時間ある?」
「……あるけど」
俺はなんとか無表情を装い、「かわいい」と言いたくなる衝動を抑えて返事を絞り出した。
「じゃあ、その……わたしとカラオケに行ってほしいの……」
「……カラオケ?」
山下の意外な提案に、俺は変な声になる。
「うん。……実はね、今度メイフィーで、歌うイベントをやることになって……」
山下の話をまとめると、最初メイドカフェの先輩たちがカラオケで練習しようと誘ってくれたが、その時はカラオケ代が無くて断った。それから一人で歌の練習をしていたら、メイドカフェの店長にカラオケ代をもらって、
「音源に合わせる練習もしないとリズムがずれる。それと一度、誰かに聞いてもらった方がいい」
と言われたらしい。だが一度断った以上先輩たちには頼みづらく、唯一山下がバイトしていること知っている俺に頼んだということらしい。
「ああ、わかった。俺なんかでよければ付き合う」
俺が頷くと、山下は一瞬ほっとしたように表情を緩め、ボソッと呟いた。
「ありがとう……」
……それは俺のセリフだ。
ここであからさまに喜んだら山下にキモがられる。そう思った俺は、踊り出したくなるほどの喜びを抑え、チャイムを待った。
***
「……よってここの化学反応式は──」
六時間目、化学基礎。担任でもある初老の教師──森田先生が練習問題の解説をする中、俺は机の下でメッセージアプリ──ロインを開いていた。
スクロールできないほど少ない友達アイコンの中から、アイコンが初期設定のままの「鈴」という山下のアカウントをタップする。
山下とのトーク画面には、俺が送った「よろしく」と、山下から送られてきた「よろしくお願いします」の文章。そして、カラオケの情報リンクだけが表示されていた。
まさか俺が、学年トップの美少女とロインを交換する日が来るとはな……。
「今日はここまで。質問あるやついないか?」
授業時間も終わりに差し掛かり、クラスメイトたちは勉強道具をしまい始める。放課後が迫り、教室内の雰囲気が浮足立つ。そんな中、俺の目の前に座っている山下は真剣に教科書を読んでいた。
「よし、今日は連絡事項もないし帰りのホームルームはなしだ。解散!」
森田がパンッと手を鳴らし、解散の合図を出す。同時に、教室中から歓喜の声が沸き上がり、カバンを手に友人同士が集まっていく。
俺も今日ばかりは早く帰ろうとカバンを持ち上げ立ち上がる。だが──。
やばっ……!?
どうやらカバンのチャックを閉め忘れていたらしい。何冊かの教科書類がカバンから落ちた。俺は慌てて教科書を拾おうと手を伸ばす。すると目の前には、感情の読み取れない山下の整った顔があった。
……っ!? 近すぎる……!
「どうぞ」
動揺を隠せない俺とは正反対に、山下は平然と教科書とノートを拾い、俺に渡してくる。山下が他人行儀なのは、俺と山下の関係がクラスメイトにバレれば面倒になると、お互いにわかっているからだ。
「……あ、ありがとう山下さん」
俺が教科書類を受け取ると、山下は立ち上がり教室を去る。俺は山下が教室の扉をくぐるまで、その場から動くことができなかった。
***
同時刻。町川春馬が所属する一年Cクラスの教室中央。
「愛希は今日どうすんの? うちらは駅前のパフェ食べに行くけど愛希も来る?」
「行く行く! あたしもあのパフェ食べたかったんだー!」
三人の友達に囲まれた金城愛希はパフェへの誘いを快諾し、天真爛漫な笑顔を湛えていた。
山下と並び春歌高校一年の二大美少女と呼ばれる金城は、山下とは正反対の明るい印象を持つ人物だった。
いつも明るくて気さく。笑顔が似合う垢ぬけた美少女といった容姿でスタイルもよく、同年代の中でも胸が大きい。そんな金城は茶髪の巻き髪を肩甲骨辺りまで垂らし、腰にはいつも学校指定のカーディガンを巻いていた。
「そうと決まったら早く行こうよっ! 駅前のパフェって人気だし、売り切れそうじゃん」
「オッケー行こうっ!」
「楽しみだわーパフェ。早く食べたーい!」
三人の友達が立ち上がり、金城も立ち上がろうとしたその時──。
ドサッ……と、教室の後ろで町川が教科書類を落とした音が聞こえた。教科書類を拾う町川に、金城は何気ない視線を向ける。そして、山下が町川の教科書類を拾い、手渡す姿を見て、金城は目を細めた。
「町川……」
金城は椅子から立ち上がる途中で動きを止め、誰にも聞こえない小声をポツリと漏らす。そんな金城に、友達の一人が首を傾げた。
「どしたん愛希? 早く行こーよ!」
「んー……なんでもない」
そう言って金城は何事もなかったかのように立ち上がり、友達に追いつく。
その間、教室を去る山下の表情を見やると、教室ではいつも無表情な山下はほんのりと顔を赤らめていた。
「……っ」
金城は己の中に湧き上がる醜い感情に、顔を顰めた。




