36.帰り道
「──連絡は以上だ。じゃ、気を付けて帰れよー」
調理実習が終わってから三時間。放課後になってすぐ俺は席から立ち上がった。
「じゃあな長谷田」
「う、ん……また、明日……」
俺は隣の席の長谷田に声をかけてそのまま帰ろうとした。だが、遠くから聞こえた明るく弾んだ声によって俺の足は止まる。
「町川ー! それと鈴に長谷田も、一緒に帰ろー!」
その瞬間、放課後テンションで騒いでいたクラスの男子たちの視線が憎悪に染まり、痛いほど俺に突き刺さった。
やっぱりこの視線、慣れないな……。
彼らの敵意に満ちた視線に苦笑いを返しつつ、俺は金城を見やる。
「どうしたんだ急に?」
「いやー、今日の調理実習で四人でいるのもいいかなって思ってさ。鈴とももっと話したいし、長谷田も話してて面白かったし。……それに──」
金城はそこで一度言葉を切り、ニヤリと歯を見せた。次の瞬間、金城はヒョイっと俺の耳元に口を近づけると、息を吹きかけるようにこう囁いた。
「それに町川を落とすためにも、町川ともっと一緒にいたいなぁ……」
「……っ!?」
春歌高校一年の二大美少女からの耳フー。それは、陰キャ童貞の俺にとって刺激が強すぎた。俺は過呼吸を起こし、脊髄反射で金城から距離を取る。
「はぁ……はぁ……」
「もぉ! 逃げないでよー」
「う、うるさい……! 長谷田も山下さんも、さっさと帰るぞ」
「町川。照れててカワイー!」
とことんからかってくる金城から逃げるように、俺は教室を後にした。だから俺は、俺と金城のやり取りを、山下がどんな顔で見ていたかなんて、気付きもしなかった。
***
なんだろう……このモヤモヤ。
愛希が町川に耳打ちするのを見ていると、わたしは胸が張り裂けそうだった。
ううん。……わかってる。これって嫉妬、だよね……。
わたしは胸に手を当てて、自分の醜い感情から目を背けるのをやめた。わたしの視界の中では、町川が愛希から逃げるように教室を出る。
もう、町川くんと会えなくなるのは嫌だから……だから、わたしももっと町川くんに近づきたい……!
そう思った時には、わたしは愛希の横を抜けて町川の後を追っていた。
「えっ、鈴……?」
驚く愛希を置いて廊下に飛び出したわたしは、彼の名前を口にした。
「町川くん!」
わたしは暴走する感情に身をゆだねて、彼の手を握った。
「はっ!? 山下さんどうし──」
「町川くん。今日はわたしと二人で帰ろう?」
わたしは町川の返事も待たず、彼の手を引いて廊下を進む。握った手からは、ドクンドクンと町川の鼓動が伝わってきた。
あったかい……もう、離したくない。
「鈴ズルいっ! 抜け駆けしないでよー! ……ほらっ。長谷田も早く来てっ!」
頬が熱くて、わたしの顔が真っ赤になっているのがわかった。けれど、町川が愛希の言葉にどう反応するか気になって彼の顔を見上げる。すると、町川はどうすればいいのかわからないとでも言うように、気まずそうに顔をしかめていた。
それでも、愛希への嫉妬心に触発されたわたしは止まらない。このときのわたしは、不安と嫉妬に駆られてどうかしていた。
玄関……。
靴を履き替えるために町川の手を離した、その途端。冷静になったわたしの脳内に自分のしでかした行動がフラッシュバックする。
……っ!? わたし何してたの……!
思い返すと顔から火が出そうなほど恥ずかしくなって、わたしは思わず両手で顔を覆ってその場にうずくまった。
「あー……大丈夫か? 山下さん」
気まずそうに頭をかきながら、町川が声をかけてくれる。けれどわたしは、返事を返すことはできなかった。
***
「やーびっくりしたよー! まさか鈴にあんな積極的な一面があったなんて思わなかった」
「ごめんなさい……」
金城と長谷田も追いつき、俺たちは校門を出て歩道を歩く。しかし山下はずっと顔を背けたままだ。
「まあ、誰にでもやらかしはあるんだし……ドンマイ」
かける言葉が見つからずにそう言うと、山下の肩はプルプルと震え出し、また両手で顔を覆った。
「町川……とどめ刺さなくてもいいじゃん……」
「いや、そんなつもりはなかったんだが……」
ジトっと白い目を向けてくる金城に諭され、ぐうの音も出ない。
「山下さん。悪かった……」
「……うん」
真っ赤な顔を伏せがちにしながらも、ゆっくりと俺の方に振り向く山下。自然と上目遣いになる彼女の視線は、あんなことがあったばかりなせいもあって余計に魅惑的だった。
「……まあ、少ししたら落ち着くだろ」
「うん……そう、だね……」
「あー! また二人だけの世界に入ってるっ!」
「「えっ……」」
「もぉっ! そんなナチュラルに声重ねないでよー!」
腰に巻いたカーディガンをヒラヒラさせ、ハイテンションに怒る金城。俺と山下が目をパチクリさせて金城を見ているとふいに、彼女は辛そうに目を細め、遠くを見る目をした。
「やっぱ両片想いの間に割って入るのはむずかしいなー……」
俺には聞こえない音量で何かをボソッと呟いたかと思えば、金城はすぐさま両手を体の前でブンブン振って紛らわす。
「あー今のなし! ……それよりさ。あたしはそろそろ愛希って呼んでほしいなー? ね、春馬っ!」
言うと同時。金城は猫がじゃれつくように無邪気に、俺の腕に抱きついた。
「はっ!? 金城さん!?」
慌てる俺を見て、金城は小悪魔的に笑って見せる。そして俺の腕をより強く抱きしめた。俺は腕に当たる柔らかい感触に、思わず目を逸らした。
「金城さんじゃないって! 愛希って呼んでくれるまで離さないからねっ!」
「……っ。わかったから離してくれ。……愛希」
「えへへっ。よくできましたー!」
約束通り俺の腕から離れ、愛希はクルクルと回るようにして俺の前を歩く。そんな彼女に火照った顔で白い目を向けていると、後ろから誰かが俺の制服を引っ張った。
「ん? どうしたんだ? 山下さん」
振り返ると、山下が視線をキョロキョロさせながら俺の制服を摘んでいた。そして彼女は、息っぽい囁き声を絞り出す。
「わたしも……名前で呼んで。……春馬、くん」
山下は伏し目がちになりながらモジモジと、小鳥がさえずるようなきれいな声で俺の名前を呼んだ。今日は何故か積極的な山下に同様しながらも、俺は真っ直ぐに山下を見つめる。
「……わかった。鈴」
不思議と俺は、山下の──鈴の名前はすんなりと口にすることができた。




