32.朝活
昨日の日曜日。夕食後もしばらくガンドランの練習をしていった山下を家まで送り届けたのは九時頃だった。
「もう朝か……」
俺は目を覚まし、スマホで時間を確認する。映し出された時間は、六時三十分。
「ヤバッ!? もう山下さんがくる……!」
時間を確認した途端、俺はベットから飛び起き、急いで支度した。
「一度もガンドランに触らない日があるのはまずいからな」
そう言って俺は、山下のバイトがある日──月、木、金、土曜日は学校やバイトに行く前にガンドランの練習をしようと山下と約束したのだ。
弁当は昨日の残りプラス玉子焼きを詰め込めばいいよな……? 朝食はパンを焼いて食う。
山下が来るのは七時。俺は月曜の朝からドタバタと部屋中を駆け回り急いで学校に行く準備をする。そうして全ての準備が終わったのは、六時五十八分だった。
……なんとか間に合ったな。
俺がほっと一息つくのとほぼ同時。ピンポーンと、インターホンが鳴る。
俺は一直線に玄関に向かうと、ドアを開けた。
「おはよう山下さん」
「うん。……おはよう。町川くん」
白のセーラー服に薄灰色のスカート。見慣れた制服姿の山下を部屋に招き入れ、俺たちは早速ガンドランの練習を始めた。
***
「山下さん。時間ヤバい!」
「えっ……!? あっ……ごめんなさい……」
「いや、俺も時間見てなかったからお互い様だ。とにかく学校まで走るぞ」
「うん」
ガンドランに熱中していたせいで、俺たちが家を出た頃には時刻が八時十八分になっていた。俺の家から学校までは歩いて十五分。始業は八時半ジャストだから、歩ていたら遅刻する時間だ。
間に合うかこれ……?
マンションの階段を駆け下り、学校への道を山下と並んで走る。途中、隣を走る山下の様子をうかがうと、サラサラの長い黒髪を靡かせる彼女と目が合った。
「大丈夫か?」
「うん」
バイトを掛け持ちしていたからなのか、山下は意外と体力があるらしい。朝とは言え、七月中旬の暑さの中を五分以上走っても息を切らした様子をまったく見せない。むしろ山下は、どこか楽しげに頬を持ち上げた。
「山下さん。なんか楽しそうだな」
「えっ……!? そう、かな……?」
「ああ。だってほら、山下さんの顔、笑ってるぞ」
言われて自分の頬を触る山下は、そこでようやく自分の口角が上がっていることに気付いた。
「本当だね……」
恥じらうように目を逸らした山下は、声を小さくして話を続ける。
「わたし、こうやって友達と遅刻しそうになりながら走るっていうのが新鮮で……ちょっぴり楽しくて……変、だよね?」
「いや、変じゃないだろ。……俺も、この状況が楽しいからな」
最後口ごもりながら言い切ると、俺は顔を上げて声を飛ばした。
「山下さん。学校見えてきたぞ」
「うん。……あっ、でも、一緒に入って大丈夫?」
「あー、確かにな」
春歌高校一年の二大美少女である山下鈴と、チャイムギリギリに教室に滑り込む。どう考えても俺と山下がクラスの連中から根掘り葉掘り聞かれる流れだ。
そう言う面倒ごとが嫌で、俺たちは教室で関わらないという暗黙の了解を交わしていた。山下はそのことを気にしているのだろう。
それに、山下さんとの関係はクラスの連中にバレたくないんだよな……。
それは、美少女との秘密の関係という甘美な響きを手放したくないという、完全なる俺のエゴ。そのエゴを貫くために、俺は決断した。
「じゃあ俺が全速力で走るから、山下さんは今のペースで学校まで行ってくれ。それでいいか?」
「わかった。……またあとでね。町川くん」
「ああ。また昼休みにな」
そうして俺たちは時間差で登校した。もちろん、後に着いた山下も始業のチャイムには間に合った。
***
昼休み。俺と山下は、空き教室の椅子に並んで座っていた。
「なんか、一週間しか空いてないのにすごい久々に感じるな」
「うん。……やっぱり、町川くんと一緒の昼休みは落ち着く……」
自然体でとんでもないことを言う山下に、俺は動揺を隠せなかった。
「……そ、そうか。……俺も山下さんと一緒に居られてうれしい」
山下の言葉を聞いてから感じている変な緊張感を誤魔化すために、俺は二人分の弁当箱を机に並べた。
「食べるか」
「うん……」
会話が途切れ、心地よい沈黙が俺たちを包み込む。空き教室には、弁当箱を開ける音と、時計の針の音だけが木霊する。肩が触れそうな距離に山下がいるのに、何の緊張も感じない。
……食べるか。
時間を忘れてしまいそうになる空間の中。期せずして俺と山下は、同時に玉子焼きを口にした。
***
「……ほとんど正解だね」
弁当を食べた後、俺は今まで通り山下に現代文の勉強を見てもらっていた。
「けど、ここだけどうやって解いたらいいかまったくわからない」
「えっと……この問題はね──」
同じ問題集を覗き込む山下の顔が、お互いの息遣いを感じられるほどの距離にまで迫る。それなのに不思議と俺も山下も特段反応を示すことはなく、勉強を続けた。
「お疲れ様」
「ああ。山下さんもお疲れ」
勉強が終わり、一週間ぶりの二人きりの昼休みは終わりが迫っていた。
「もう、終わっちゃうね……」
「そうだな……けど、明日からもあるから」
「そうだね……」
明日もある。その言葉に、山下は幸せを噛みしめるように唇を結んだ。そんな時──ピロリンっと俺と山下のスマホから同時に着信音が鳴った。
「悪い」
俺がスマホを確認すると、金城愛希からのロインメッセージが届いていた。
『放課後十分でいいから時間ちょーだいっ!』
それを見て、俺は隣でスマホの画面を見つめる山下に聞く。
「もしかして、山下さんも金城さんからロイン来たのか?」
「うん」
「ならやっぱり、金城さんは俺たちが仲直りしたことを確認したいんだろうな」
「そうだね……。愛希には、すごく助けられたから……」
ん? そう言えば山下さん、いつの間にか金城さんのこと愛希って呼んでるな……。
「山下さんって、金城さんと仲良くなったのか?」
そう聞くと、山下はうれしそうにはにかんだ。
「……うん。愛希は、わたしの二人目の友達」
山下が大事そうに「友達」と発音したとき、俺は心の奥で何かドロドロしたものがうごめくような不快感に襲われた。
なんで……山下さんに友達ができるのはいいことだろ。
俺は不快感の正体に半ば気付きつつも目を逸らし、無理やり呑み込んだ。
「……そうか。……じゃあ、オッケーって返信するぞ」
「うん」
俺は山下の返事を聞いて、金城への返信を打ち込む。そのうち、不快な泥は消えていった。
『わかった。山下さんもいいって言ってる』
『場所はどうするんだ?』
俺がメッセージを送信してから五秒と経たないうちに、金城から返信が来た。
『じゃ、学校が終わったらすぐ校舎裏に来てねっ!』




