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「卜伝は粥を食っている」マクラ


 講釈・卜伝は粥を喰っている、の段でごさいます。

 我々小説家かたりべというものは、突き詰めれば、面白い噺を「知りたい」という需要があって、そいつをあたらしく作って供給する職能でございます。

 この需要あるからこそ、我々は口を糊することができるわけです。

 ありがてえことにこの需要は古今絶えることなく、ヒトには「面白い話を求める」気持ちが本能にまで備わっているのではないか? と勘ぐりたくなります。

 例えば、講談はそのひとつ。「面白い話を売る」供給源でありました。

 講談は落語と同じく、こうして口頭で語りますが、連続ドラマに近いものでございます。

 今みたいに週刊漫画誌や月刊文芸誌があるような時代ではございません。

 寄席は娯楽を求めるヒトに沸きかえっております。

 連続ドラマですから、ここにヒーローが出てまいります。東西、活劇物語の魅力は主人公の命運や心情を共感するものですから、人気のヒーローが語られれば、賑わいが増します。

 むかぁしむかし、それこそ徳川家康が幕府をひらいた昔、この頃の講談師である、とある琵琶の弾き語りが、軍記「源平合戦」つまり平家物語を演っておりました。

 しかし込み入った源平の政争の噺が長引き、一ノ谷の合戦までに客の数が減ってまいりました。

 そこで寄席コヤのほうも考えましてね。

「つぎなる語りは、一ノ谷の合戦。ひよどり越えのまッ逆落とし、若き大将、源九郎判官義経が、さっそう野山を駆け下る!」

 そう浮世絵といっしょに予告編を出すと、客入りが戻ったって話があります。

 さて、こうした軍記物語、武芸譚つまりバトルストーリーの講談で、人気のある主人公は、いまも名高い宮本武蔵でございまして。

 彼のものした武芸録「五輪書」に「六十余たび試合を決し、未だ負けを知らず」と著しております。これが講談師の格好のネタになるものです。

 武蔵の生涯において人を最もたくさん斬ったのは、肉体からだの盛りの三十代前みそじまえ

 吉岡道場という京都の武芸の一門を、単身ひとりで叩き潰してしまったころで、実はそのあとしばらく目立った戦績がありません。

 そのかわり、吉岡一門との戦いは、講談師にとっては、吉岡兄弟ふたりと跡取り息子にまたがる、武蔵の青雲時代最大の大ネタというわけで。

 もっとも著名なエピソード「巌流島の決闘」に比肩する、「武蔵」の語りどころというやつです。

 で、これを話してしまった後は、「武蔵伝」は話が中だるみ、話を作るほうもつらく、聴くほうはひと段落しちゃって次の回に通ってこなくなります。

 すると寄席はまたまた考えて、こんな看板を出しました。

「宮本武蔵の次なる相手は剣聖塚原卜伝! 老いたる身体で武蔵の剣を受けられるか?」

 塚原卜伝。これ、つかはらぼくでん、と読みます。

 彼は1498年生まれというから、鎌倉時代末期の人ということです。

「1492年、いよォクニが見えた、アメリカ大陸到達」つまりクリストファー・コロンブスの、まァ同年代の人ということになります。

 いっぽう武蔵は、17歳で関ヶ原の戦いに足軽として参戦、という記録がありますから1600年の時点で17歳。1583年の生まれと逆算できます。これは織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた翌年です。戦国時代真ッ盛りの生まれですね。

 しかし83歳で塚原卜伝は亡くなっている記録があります。

 その翌年に武蔵が生まれる。

 てことはこのお話は全くの作りごとと言えますが、ね。

 ではなぜ、塚原卜伝をここに持って来たのかってぇ話になります。

 塚原卜伝といえば、無手勝流の噺が小気味よく、今でも語られております。

 講談で有名な噺では、卜伝が武者修行の旅の途中、川の渡し舟の上で、テングになった若いのにケンカを挑まれ、閉口した塚原卜伝が

「よし、中洲に船をつけてくれ。そこで決着をつけてやろう」

 と切り返して、船頭に舟を中洲につけさせました。

 血気にはやる若いチンピラと、すわ火事だケンカだとはしゃぐ物見高い舟客が、中洲に一緒に降りちまったのをみはからって、卜伝すばやく舟に戻り、中洲の淵を櫓で推して、流れに戻してしまいます。

 みんなを川の中洲に残したまんま、つういと流れはじめる舟をみて、あわてふためくチンピラや自業自得の野次馬に、

「みたか、これが卜伝の無手勝流じゃ」

 この高笑いが見せ所。

 塚原卜伝は、つまり、宮本武蔵その人が講談で聴いて憧れた剣の達人であり、いわば先代の主人公、という存在でございました。

 だからこの講談はいわばドリームマッチ、ホームズ対ルパンみたいな夢の共演であり、塚原卜伝は宮本武蔵をどうしのぐ? と観客はワクワク胸おどらせてやってきます。

 それでつくられた噺はまた有名でして。

 武蔵が、卜伝の住む山小屋を訪ねていきます。

 先代の英雄を斬って経歴に花を添えようという魂胆である、というわけです。

 卜伝は骨と皮ばかりに老いさらばえて、寝床に座ってぼんやりと、おとなしく囲炉裏の鍋をつついています。

 武蔵は卜伝に不意をついて斬りかかりますが、無気力なふりをしていた卜伝は、サッと鍋の蓋をかざして武蔵の剣をいなします。さらに、ふところにはいって武蔵の袖をとり、無刀どりのワザで、ずでんどうと投げ飛ばしてしまいます。

「これぞ、無手勝」

 武蔵は這々のていで卜伝をのがれ、本当の強さとは何かを考えはじめる、という筋立てになっております。

 ここが面白い細工でして、先ほど申しました通り、武蔵はこのあと、巌流島の決闘まで大きな武芸譚が掘れないわけです。

 強さとは何かを考えはじめたから、無闇に人を斬らなくなった。「それからの武蔵」のエピソードは、子供の敵討ちの助っ人や放浪、狼退治など、武蔵当人の切った張ったが減ってゆくので、「五輪書」を読んでもウソとは言い切れないお話になるわけです。

 放浪の孤剣、戦いの哲人宮本武蔵、というヒーローは、この講談から生まれてきたってわけです。

 この鍋蓋試合と呼ばれる講談、やはり今の目で見ますとアラがあります。

 まず卜伝の存命が間違っている。もし生きていたとして百五歳で、若さ凜々の巨漢、宮本武蔵の前で立ち回ることはできないでしょう。

 鍋蓋で受け止められたからどうだというのか、奇襲の達人だった武蔵です。すぐに気持ちを切り換えて攻め潰してしまうのではないでしょうかね。

 ではなぜ「本当の強さとは何か」という考えに取り憑かれてしまうほど、強く打ちのめされたのか。

 つらつらと考えてみますと、こちらもすこぅしうすッ気味が悪くなってきました。

 どう、うすッ気味が悪いのか? ってお話が、こちらの「卜伝は粥を喰っている」ってえあたくしの噺になります。


 ながいマクラの最後の蛇足に、小浜島で暮らす友人から聴きましたお話を加えて、マクラのシッポにさせていただきます。

 沖縄は長寿で、しかも健脚な方が多いといいます。この沖縄県小浜島という、本州よりよほど隣の国の方が近いという、珊瑚礁ウルマの果ての島々では、サトウキビ農家が主要産業ですが、小島ゆえに後継が帰ってこないため、畑の世話を老人になっても続けていなくてはなりません。

 マツバラのおじい、という農家のかたの話でしたが、90近くなってもサトウキビを植え付けるトラクターに乗って毎日畑に行くという。

 敷地が広いからトラクターも大きなものでして、操るのも並大抵じゃあ追っつかない。ほとんど重機であるということで、モウロクもしているからと、心配された家族のかたが、トラクターの鍵を隠してしまったそうです。

 しかし、どこに隠してもマツバラ老は鍵を見つけてしまい、日課を変えることなく、毎日トラクターで畑に行っているというのです。おまけに運転も達者なものであるといいます。

 若い頃から日常であったことというのは、不思議にも身体が体得しているもんでしょうかね。噺家のなかにも、ボケちゃっても噺はピシッとおさめる人がいましてね。あれそういう人に限って前々からボケてたんでしょうね。


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