巫女の真実
礼拝所の裏手、洗礼用プールへと続く古い石階段。
ひび割れたステンドグラスの隙間から、青白い月明かりが差し込んでいる。
3人は口数少なく、慎重に足を進めていた。
「……この通路、地下牢っぽいわね」由紀が鼻をつまむ。「消毒液と、なんか……血の匂いがする」
「正式には“罪人の浄化通路”だそうだ」千代が端末の光を頼りに壁の彫刻をなぞる。「生贄が運ばれた跡もある。……それにしても、この地下空間、音が吸われすぎてる」
「音響設計されてるな。たぶん……盗聴対策だ。通信装置があるぞ」雷蔵が低く言った。
薄暗い廊下の先、鉄格子の扉が一つ。
千代が静かに開ける。軋んだ音が夜に溶けていく。
そこにいたのは――一人の少女だった。
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髪は白金に近く、肌は病的なほど白い。
目を閉じて、ロザリオのようなものを握り、無言で座っている。
周囲にはモニターが並び、政府軍の暗号通信や、複数の周波数が絶えず流れていた。
壁には奇妙な文字列――日本語、ラテン語、そしてアラビア語とギリシア文字が混ざったコードがびっしりと刻まれている。
少女がふと、目を開けた。
「やっぱり来たね。外から来た子たち」
その声は、少年とも少女ともつかない――だがどこか透き通っていた。
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「……あんたが、“巫女”か?」雷蔵が一歩前に出る。
「うん。ここじゃそう呼ばれてる。でも本名は――ミナミ・アマカドっていうの。日本人とアメリカ人のハーフ」
「日本語……喋れるの?」由紀が目を細める。
「もちろん。5歳までは京都にいたから。でもそれより先に……あなたたち、ここへ来た目的は“情報”でしょ?」
千代は答えず、壁の暗号を見つめていた。
「“密輸ルート”のデータ……もう知ってるのね。カナダへの抜け道。北部の山岳地帯を通る非武装ルート」
ミナミは苦笑する。「でもそこはもう、封鎖されたわ」
「……は?」雷蔵が顔をしかめる。
「カルト神政州が情報を漏らしたの。政府軍の内部に、私たちの“祈り”を監視する者がいて……通信を逆探知された。3日前にルートは潰されたのよ」
「じゃあ……私たちは無駄足?」由紀が呟く。
「違う。別のルートがあるの」
ミナミはそう言って、壁のコードを一部指差した。
「これは“第三ルート”の鍵。かつてCIAが極秘に使っていた軍用バンカー。そこからメキシコの地下トンネルに繋がってる。でもね、それを動かすには……**“鍵”が必要なの」」
「物理的な?」千代が問う。
「違う。遺伝子キー。ある人物のDNAが必要」
「誰の?」
ミナミは一瞬だけ口ごもる。
「――あたしの、父のものよ。かつてアメリカ政府が開発した“生体認証兵器システム”の設計者。いまは……神政州の中枢に、教主としている」
沈黙が落ちる。
「……あんたの父親が、この狂った州のトップ……!?」由紀が言う。
「正確には“預言者”と呼ばれてる。“神の声を受けた科学者”。でも……ただの狂人よ。私をここに閉じ込めて、自分の“霊的増幅装置”として使ってるの」
「増幅装置……」千代が壁の電線を確認する。「確かに、あなたの脳波は特殊なエンコードを生んでる。通信と予測アルゴリズムを“祈り”に見せかけてる」
「だからお願い。私を、ここから連れ出して。父の元に連れてって。直接“鍵”を取らせて」
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そのとき。
廊下の奥から、警報が鳴った。
「侵入者だ!地下に入った形跡あり!」
「……まずい!」雷蔵が銃を構える。
ミナミが奥の壁を押す。「こっちに抜け道がある!でも急がないと……!」
3人とミナミは、地下のトンネルへと走り込んだ。
その背後で、神の名を叫ぶ兵士たちの声が迫っていた。
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地上に出たとき、夜はすでに明けかけていた。
ミナミは息を切らしながらつぶやく。
「教主がいるのは、神政州の最奥――“箱舟要塞”。外敵からの攻撃を想定して建てられた、最後の防衛ライン」
「そこに行けば、脱出の手がかりが掴めるんだな」雷蔵が確認する。
「ただし……そこへ行くには、**神に選ばれた者しか乗れない“列車”**に乗らなきゃいけないの。一般人は、片道で“処理”される」
「また無理ゲー……」由紀がつぶやく。
「でも、方法があるわ。一つだけ。――“預言者の娘”である私を“連れ戻す任務”として、あんたたちが偽装するの」
千代がわずかに頷く。「潜入はできる。問題は、“出る”方ね」
「出られるかどうかは、父次第。あの人が、“まだ人間だった頃の記憶”を持っていれば……」
風が吹く。朝焼けの空に、黒い列車のシルエットが走っていた。
それが――神の箱舟。
地獄への一等席だった。