海を越えて、ただいま
三人を乗せた戦艦アイオワは、ゆっくりと東京湾に入港した。
甲板から見えるのは、整然と並ぶコンテナ群と、がらんとした空。見慣れたはずの景色が、どこか異様に映る。
「……帰ってきたんだな」
梶原雷蔵が呟くと、隣の佐藤千代が無表情のまま頷いた。
「GPS座標でいえば間違いなく“日本”だね。でも精神的には、まだ中間地点だよ」
「なんだその哲学っぽいの。酔ってるのか?」
「酔ってないし、由紀さんじゃないし」
「はいはい、呼んだか?」
二宮由紀がポケットから小瓶を取り出して口をつける。
「なぁ、税関って船の上から密輸酒持ち込んだらバレんのかな?」
「……やめろ。国際問題になる」
雷蔵が頭を抱えた。
その直後、甲板に待ち構えていたのは陸上自衛隊と政府関係者だった。拍手でも感涙でもない、武装と無表情と沈黙。
「三名の身柄を確保。移送開始」
乾いた命令とともに、三人はそれぞれ黒塗りの車両に乗せられた。
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◆ 取り調べ:この国は、ただいまを笑わない
移送されたのは、都内某所の防衛庁関連施設。
由紀は個室に通され、薄暗い蛍光灯の下で待たされた。
「未成年者でありながら密造酒の常習犯であり、またアメリカ合衆国内戦下での銃器携行……二宮由紀さん、君は帰国子女じゃなくて、“戦争帰り”だ」
目の前の担当官は、彼女を明らかに**「危険人物」**として見ていた。
「じゃあ、こっちも質問していい? この国に“帰ってきた”ってだけで、そんなに咎められるわけ?」
「君のしたことは正義ではない」
「じゃあ生き残るのは悪なの?」
担当官は無言になった。
雷蔵は別室で、軍事知識と行動歴を細かく訊かれていた。
「君はどこでM4を入手した? 米軍残党との接触歴は? 民兵組織への協力はあったか?」
「うーん……銃はねぇ、現地調達で。弾は地元のドラッグストアと五分五分で手に入ったかな」
「五分五分……?」
「比喩だよ。こっちも何とか生きたかっただけだ」
調書を取っていた担当官のペンが一瞬止まった。
千代は、書類上の性別記載をめぐって担当官と小競り合いになっていた。
「男女どちらとも書けません。しかもこの旅券、渡航時点では“性別:未記入”ですが?」
「僕は生物学的に問題があるとは思ってない。ただ、法律が僕を受け入れていないだけだ」
「では“性別不詳の天才”として報告します」
「なんだその肩書き。アニメキャラか」
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◆ 日本という異国
三人は数日間の“隔離”の後、ようやく解放された。だが、そこに待っていたのは懐かしさよりも違和感だった。
街は普通に動いていた。コンビニには弁当が並び、駅前では若者がTikTokを撮っていた。
「……なあ、俺たちがいた世界って、ほんとに現実だったんだよな?」
雷蔵がぽつりと呟く。
「さあね。そっちが夢だったのかもよ」
由紀は缶チューハイを開けながら答える。
「夢ならとっくに覚めてるはずだけどな」
千代はそう言って、ノートにびっしり書き込まれた医学の勉強メモを閉じた。
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◆ それぞれの明日
由紀は、地元の更生プログラムに参加することにした。
「飲まないわけじゃない。ただ、“理由なしで飲む”のはやめてみようと思う」
そんな彼女に、支援者の若い女性が「応援するよ」と言って笑った。
雷蔵は、自衛隊と民間企業が共同運営する技術開発ラボに顔を出している。
自作ドローンを見せたところ、担当者に本気でスカウトされていた。
千代は大学の特別枠で入試を受け直し、再び医学の道を歩み始めた。
性別や過去を問題にする者もいたが、彼は飄々と答える。
「治療に性別関係ないでしょ? 患者が人なら僕は医者だよ」
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◆ 夜の公園と“ただいま”
ある夜、三人は久々に公園で顔を合わせた。
ベンチに並んで座り、由紀がそっと缶ビールを差し出す。
「一口だけ。今夜は祝杯ってことで」
「帰国祝い? それとも生存祝い?」
千代が訊いた。
「両方だな」
雷蔵が缶を受け取り、トンと乾杯の音を鳴らした。
由紀がぽつりと呟いた。
「“ただいま”って言える場所って、簡単にできないんだな」
「でも、こうしてまた会えたってことは、案外ここがそうなんじゃないか?」
雷蔵がそう言うと、千代も微笑した。
「確かに。少なくとも今の僕は、ここにいる。それでいいよ」
夜風が吹いた。蝉の声が少しだけ遠くに響いていた。