決別と旅立ち
戦艦アイオワは、太平洋を南へと進んでいた。
古く巨大な船体は、エンジンを吹かすたびに軋みを上げるが、それでも確かに**「生きている」**という実感があった。
甲板に立つ者の多くが、その音に耳を澄ませていた。
その音だけが、「まだ死んでいない」と証明してくれていた。
⸻
ブリッジの下、通信室。
由紀は酒を断って三日目だった。
もっとも、ミアコが意識不明のまま昏睡しているとあって、飲む気になれなかった。
「……私、酔っぱらってたんだな。ずっと」
誰に言うでもなく呟いたその声を、背後から雷蔵が聞いていた。
「何の話だ」
「全部だよ。アメリカに来たことも、自分を“変えられる”って思ったことも。アル中のままで通せるって信じてたことも」
「じゃあ、今はシラフか?」
「そう見える?」
雷蔵は肩をすくめた。
「俺はむしろ、酔っぱらってた方がマシだったと思ってる。今のお前、真面目すぎて怖い」
「……ほんと、あんたそういうとこ変わんないよね」
「お前が変わっただけだ」
⸻
艦内医務室。
千代は、ミアコの容態を確認していた。
「血圧正常、反応少し……脳の腫れもおさまってる。たぶん、数日で意識戻る」
「本当か?」
佐伯レンジが立っていた。
「……でも目が覚めても、記憶が全部戻るかは分からない」
「あと、彼女の左腕はもう動かない」
レンジは黙った。
「それでも、彼女が『生きる理由』をまた見つけられるなら、それでいいと思ってる」
「君は、なぜそうも冷静なんだ?」
「冷静じゃないよ」
千代は答える。
「冷静に見せないと、世界が崩れるから」
⸻
数時間後、艦内で作戦会議が行われた。
目的地は――硫黄島。
そこに自衛隊の緊急連絡基地がある。
「最短のルートで日本の艦艇に引き渡すには、そこが最適だ」と千代は言った。
「だが、問題がある」
レンジが言った。
「俺たちは、もう“日本に帰れない”連中だ。ほとんどが無国籍。中には国際指名手配もいる。日本に行けば、逮捕どころか強制送還もありうる」
「分かってる」
雷蔵がうなずいた。
「だから、俺たち三人は“帰る”けど、君たちは“残る”しかない」
「選べる者と、選べない者がいる」
由紀は静かに言った。
「だからこそ、私たちは選べる側として、精一杯の責任を持つべきなんだと思う」
⸻
その夜、三人は甲板で星空を見上げていた。
「ねぇ、帰ったらどうする?」
由紀が聞いた。
「日本? ……うーん。まず飯を食う」
雷蔵が言う。
「カツ丼?」
「いや、味噌ラーメン」
「ダサい」
「じゃあ由紀は?」
「うちの実家、まだ残ってるかな。酒蔵だったけど、戦争中に潰れてなければ……」
彼女は空を見た。
「作り直したいな。今度は“密造”じゃないやつ」
「それ、絶対ニュースになるやつ」
千代が笑った。
「千代は?」
「……国家試験受ける。医師免許が正式にあれば、どこでも人を救える」
「お前、それで高校卒業できんのか?」
「卒業……?」
千代は首をかしげた。
「それ、必要か?」
⸻
翌朝。
目的地・硫黄島が視界に入った。
艦内放送が響く。
「到着まで約20分。乗員は必要な書類を準備し、下船準備を始めてください」
レンジが三人に歩み寄る。
「君たちは、もう俺たちの仲間じゃない。だけど――同志だった」
「ありがとな」
そう言って、彼は敬礼をした。三人も、静かに返した。
⸻
ミアコは目を覚まさなかった。
それでも千代は、何かを彼女の手にそっと握らせた。
それは、小さな紙で作った「千羽鶴」の欠片だった。
「また、どこかで」
⸻
戦艦アイオワは硫黄島沖に到着。
三人は小型艇に乗り込み、日本の護衛艦へと向かった。
それが「終わり」か「始まり」か。
まだ、誰にも分からない。
けれど、確かに――
彼らは、生きていた。




