愛など要らぬ!!
「君と結婚はしたが、愛するつもりはない。それを念頭に置いて過ごせ」
初夜の花嫁に言う言葉だろうか。一瞬で少しあった緊張が吹っ飛んだし夫となった目の前の男も吹っ飛んだ。気付けば拳を振り上げていた。仕方ないだろ、ムカついたんだ。
「な、なにを」
おお、我が拳を受けて立つか。まあまあ頑強ではないか。
「貴様、それでも貴族か」
仁王立ちで説教をする。
「私は貴様の住まうこのラヴィ国の友好国、ライガ国の王女!私と貴様の結婚は政略!」
「そうだ!だから無理やり結婚させられた!俺には好きな女が」
「黙れ小僧!!」
「ひぇっ」
手近にあった燭台を彼奴の足元へ投げて突き刺す。ライガの女は強いのだ。ラヴィの貧弱な男など比べ物にならんくらいな。
「貴様の気持ちなど知るか!そして私も国に好いた男がいた!!」
「え」
「逞しい体に勇猛果敢な戦士だった!あの腕に抱かれたいと何度も思った!」
恋した相手を思い、涙を流す。我が国の戦士長。私は王女だ。いずれ政略結婚が待つと理解していた。故に想いは胸に秘め、こうして友好国に嫁いだのだ。だのにこの男、私の覚悟も理解出来ぬか。
「私はお前などどうでも良い。友好国として、和平の証となりに来たのだから」
「そんなの……」
「だから今からお前を抱く」
「なんだと」
驚愕に目を見開き後退る男を一息に捕まえベッドへ放る。うぐっと情けない声で息を詰める軟弱さ、とてもじゃないが愛など芽生えん。しかも覚悟も矜持もないなど有り得ん。父王を恨めしく思う。
「貴様は好きな女の顔でも思い浮かべていろ。直ぐに済ませる」
「ちょ、待っ!」
服を引き裂き叫ぶ男を組み敷いて媚薬を飲ませる。即効性だからすぐに効いてきたようだ。自分も飲み、熱に浮かされるままに夜を過ごした。
胎に数度、熱を受けてベッドを降りる。服を脱ぎ捨て全裸で今日から自室となった部屋へ向かう。待機していた侍女に寝ると告げ、自室の寝台で腕を伸ばして寝入る。これで義務は果たした。あとは子を成したら自由になる。二人も産めばよかろう。さて、どこに行くか……この国を巡るのも楽しそうだな。ここはライガと違い気候は穏やかで農業が盛んだ。美味いものを食べ歩くか。くく、何年後かは分からぬが良い目標が出来た。
次の日、その次の日も夜を共に過ごす。会話はない。夫たるこの男は一言も話さんし私も話す気は無い。ただ子を授からねばならんから仕方なくしている。不本意だがこれが我が役目。国の為、自身の誇りの為にも成さねばならん。そんな日が続き、ひと月も経てば流石に絆されたのか男が話しかけてきた。
「君は嫌じゃないのか」
「嫌に決まってるだろうが」
ベッドから降り、自室に戻る私の背に小さな声で問う。即答すれば更に問うてくる。
「なら国へ帰ればいい」
「私の矜持を汚すか。ならばこの喉を突け、死すれば国へ帰されても文句が言えん」
「……何故そこまで」
「私はライガを愛している」
首だけを振り向かせ力強く言い放つ。
「国のためならこの身この命、喜んで捧げようぞ」
そう言い捨て扉を開け放ち自室へ戻る。慣れ親しんだ侍女に着ていた服を渡しベッドへ寝転ぶ。早く、早く孕め。この胎へ子よ宿れ。そしたらしばらくあの男と会わなくて済む。楽になる。
またひと月が経ち、体に違和を感じるようになった。医者にかかればおめでとうございます、ご懐妊ですと言われた。目出度い。父王へ義務を果たしたと手紙を送る。義父母も喜び、もう赤子の服やら玩具やらを買い揃えたらしい。気の早い事だ。だがいい方達だ。あの男の両親とは思えぬ。
子を産み、しばらく経つとまた夜を共にするようになる。苦痛の日々。媚薬を飲ませようとすると止められた。
「要らない」
「そうか、なら私が飲もう」
開けた媚薬を飲み、何故かもう準備の整っている男と夜を過ごす。胎に熱を受けさっさと自室へ向かう。
「まだ俺が嫌いか」
「当たり前のことを聞くな」
振り向かずに言い、一人で寝る。
「かあさま」
子が私をそう呼ぶ。頭を撫でれば嬉しそうに擦り寄る。これが子、可愛いものだ。二人目も順調に育っている。後どのくらいだ。何歳になれば解放される。
「母様」
「母さん」
上の子は学院に入学する年になった。頭がいいらしい。下の子ももう剣を握り振り回している。こちらは強い子に育ちそうだ。頭を撫でて送り出す。そろそろいいか。
「明日、ここを発つ」
「何故だ!まだ子は小さい、君が必要な年だ!」
「乳母がいる。私は義務を果たした。もういいだろ」
端的に告げ、部屋へ戻るために扉を開く。背に気配を感じ身を翻す。男が至近距離に立っていた。
「俺では君を留め置く理由になれないのか」
「なれるわけがない」
「どうして……何故、俺を愛してくれない」
泣き出す男が何を言っているのか理解が出来ない。
「愛さぬと言ったのは貴様だろうに。何を言っているのやら」
「それは!」
「自分を愛さぬ者になぜ愛など与えられようか。私は聖人ではない、ただの女だ」
「俺は君を愛している!」
男が意味のわからない事を言い出した。私を愛しているだと?
「初夜での言葉を忘れたか」
「今、俺は君を愛しているんだ!初夜での言葉は取り消す、謝る!済まなかった、俺が浅慮だった。だからここに居てくれ!」
「私は忘れない。貴様が何年も私の矜持を傷つけ続けたことを」
泣く男を睨みつけ告げる。
「私は忘れない。貴様が国よりも自身の感情を優先したことを」
震える男に更に告げる。
「私は忘れない。貴様が私以外の女と寝た事を」
「知っていたのか」
私が知らないと思っていたのか。なんて浅はかな男だろうか。
「もういいか」
「嫌だ、行かないでくれ!」
泣き縋る男をぶん投げ、歩き出す。明日、私はここを出るんだ。旅に出る。美味しいものを食べ、美しい景色を見に行こう。きっと楽しい。口角が上がる。この家へ嫁いでから初めて、私は笑顔を浮かべた。
「離縁したいなら応じよう」
「……君は、どうしたい」
「どうでもいい。好きにしろ」
これで終いだ。夫であった男とこれで永劫にお別れだ。ああ自由とは素晴らしい!さあ寝て起きたら私はもう縛られない。王女ではなく一人の女として旅に出るのだ。
「嫌だ……」
小さな呟きを耳は拾うが気にしない。私はもう未来しか見ていない。貴様のいない自由な未来を。
数年経ち、私は少し肥えた。美味しいものを食べ歩くのは楽しくて幸せだ。ついつい勧められるままに食べてしまった。幸せ太りというやつだな。良きかな良きかな。
また数年が経ち、私は久しぶりに子に会った。二人とも良い男に育った。頭を撫でてやると照れながらも嬉しそうにしていた。可愛い子らだ。良きかな良きかな。
父王が倒れたと聞きライガへ向かった。城に着くと父王の部屋へ通される。久方ぶりに会った父は痩せ細り、昔の面影がなかった。
「父上」
「……何しに来た」
「顔を見に。葬儀には出ません」
「……我を恨んだか」
「はい」
頷けば顔を伏せてしまった。嘘はつけぬ。
「それでも義務は果たしたか」
「当然の事をしたまで」
「そうか……」
もう行けと言われ部屋をあとにする。もう会えぬ父に特に言うことは無い。一礼して城を発つ。またラヴィへ戻り旅を再開する。次は北へ向かおうか。
また子に会った。嫁を貰い子も出来たと言う。孫が生まれたと聞いても特に何も思わなかった。良かったなと言い頭を撫でてやる。戻って来て欲しいという言葉には頷かなかった。
「ああ、満足だ」
ラヴィは良き国だった。ライガが戦士の国ならここは農業の国。私には合わないと思っていたが存外性に合った。楽しい旅だった。楽しい人生になった。もう足は動かぬ。最期は美しき湖を眺めていた。ここはライガを思い出す。国にいた頃、戦士長を伴ってよく湖に出掛けた。輝かしい思い出だ。
「愛しい人が幸せであれば良い」
思い出すのは戦士長だけだった。夫だった男も、子も、私の胸には何も残さなかった。
「眠いな」
目を瞑る。落ちていく。待つのは安寧。怖くない。私は生きた。