第一章(2)
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戦はわがムラの勝利に終わった。
きっかけはなわばり争いだった。ムラより少し南に行ったところに、よく魚捕りに使われる川がある。ある日、そこへ隣のムラの人間がやってきて、ここは自分たちの場所だと主張してきた。これまでにも隣のムラの者たちが、ここいらに来ることはたまにはあったが、今までは揉めることなく、場所を分け合ってきた。しかし、そのムラは最近、作物が不作で、食糧不足に悩まされているらしかった。そこで、安定して魚が捕れるこの川を自分たちのものにしたかったのだ。
もちろん、こちらとしてもそれを認めるわけにはいかない。ムラ同士で度重なる話し合いが行われたが、やがて両者は決裂し、争いに発展。勝った方が川の権利を有することとした。
争いといっても、大きなクニどうしの戦争と比べれば、小競り合いのようなものではある。しかし、互いに武具をもって攻め合ったり、飛び道具を投げ合ったりする以上、多少なりとも死傷者は出た。尊い犠牲者を出しながらも、見事相手を退け、ムラの兵士たちは意気揚々と帰ってきた。
ムラでは、戦の後には勝敗にかかわらず宴が開かれることになっていた。疲れて帰ってきた兵士たちを労わり、犠牲になった者たちを弔うため、ムラ総出で一晩中行われる盛大な会である。
若い男たちが戦に出ている間、ムラに残った女や老人、子供は宴の準備を整え、帰還した兵士たちを迎え入れる。
マオは宴が行われる広場へと来ていた。マオは自身の役職上、普段は人々の集まる場所には顔を出さない。マオが壇上に立つと、「もしかしてマオ様?」「どうしてここに!?」と人々の声が飛び交った。彼らの声を遮るように、マオは大きな声を出した。
「戦に出た者たちよ、ご苦労であった。神の啓示より、わがムラの勝利をわらわは確信しておった。そもそも、此度の戦、正義は我らの方にある。負ける理由などない。しかし、悲しいことに、戦により少なからず犠牲者も出てしまった。これより、わらわは祈祷場に戻り、彼らの栄誉ある死を称え、魂を弔うべく、夜明けまで神に祈ろう。皆は、勝利の美酒に酔いしれるがよい。宴のはじまりじゃ!」
マオの号令に従い、一同は雄叫びをあげる。宴がはじまるのを見届けると、マオは壇上を降りた。松明で昼のように明るくなった景色と、楽し気な喧騒に背を向け歩き出す。
「マオ様」
その背中にイチコが声をかけた。
「宴には参加しないのですか?」
マオはしばし立ち止まり、横目でイチコを振り返る。
「ああ。あまりこのような場所に長居するわけにはいかん。それに、早く祈祷場に戻って、亡くなった者たちを弔う儀式を始めないといけないからの」
「ここから祈祷場まで結構遠いですよ。こんな夜更けに大丈夫ですか?」
「かまわぬ。通い慣れた道じゃ」
「私もご一緒します」
「よいよい。そなたはここにいよ。ムラの一員として、このような場に参加することも大切なことじゃからな」
そういって、マオは再び歩いていった。イチコはひとつため息をついて、小さくなってゆく彼女の背中を見送った。
イチコは宴に戻った。会場では男どもが豪快に酒を飲んだり、女が隣にかしずいてお酌をしたりしている。料理もたくさん振舞われていた。総大将を務めたイゾウも、戦勝の美酒を満悦顔で煽っていた。広場の片隅では、太鼓を叩く者、笛を吹く者もおり、その伴奏に合わせて歌手が伸びやかな歌声を披露している。
イチコはそのなかをあてもなくぷらぷらと歩いていた。マオに言われてこの場に残ることにしたが、どうにもなじめそうにもない。声をかけてくれる人もなかった。マオの付き人として常に彼女と一緒にいるため、ムラの人たちと関わり合う機会があまりなかった。それに、イチコにはもともとムラの人間ではなかったという負い目もある。
「イチコ」
ふと声がして、その方を見ると、イチコと同じくらいの年頃の少女が座って、にっこりと彼女の方を見ていた。少女の名はミノカといった。イチコにとっては、唯一といえる同い年の友達である。
「こっち来ない?」
「うん!」
イチコは顔をほころばせて、ミノカの方へと歩み寄る。だが、それを大人の女性に止められた。ミノカの母親だった。
「イチコちゃん、ごめんね。いまはうちの家族だけで過ごしているの。ほら、ミノカのお兄ちゃんも、今回の戦に出ていたでしょ。家族みんなで無事帰ってきたことを喜び合ってるところだから。ね?」
そのように言われては仕方がない。イチコは諦めて、その場を去った。後方からうっすらと、「あの子と遊んじゃいけないって言ってるでしょ!」という声が聴こえてくる。
(やっぱり、私って、皆の厄介者なんじゃん)
ふてくされた顔で歩きながら、イチコは思った。もう祈祷場に戻りたい。でも、戻ったところで、マオは祈祷で忙しくしているだろう。儀式が行われているところ、部屋に入るのは忍びない。彼女の気をそぐことにもなり得ないからだ。
イチコは人々の集まる場所から少し離れたところに座った。明るい火の光と音楽、人々の騒ぎ声から遠ざかり、まるで自分だけ切り取られた世界にいるようだ。あちらは大勢の人が集まる賑わいの世界、こちらは孤独の世界だ。
(私ってば、ずっとこのままなのかなぁ――)
何気なく空を見上げる。無数の星が瞬いていた。ふいに、あるイメージが浮かんだ。今よりも少し成長した自分が、今と同じように夜空を見上げている。視線を移すと、傍らには見知らぬ男子がいた。まだ生意気盛りな幼さを匂わせながら、未来を信じるような希望に満ちたまなざしをたたえた横顔――。一瞬、イチコの胸が高鳴る。
(これは、何? もしかして、未来の場面――?)
まさか、そんなはずはないだろうと思い直す。きっと、ただ自分が自分にみせた想像の産物だ。そもそも、イチコにはマオのような未来を予見する力はないのだから――。
「イチコ」
聞き慣れた声に意識が戻された。見上げるとミノカが立っていた。両手で、例の川で捕れたアユの塩焼きを2つ持っている。
「隣、いい?」
「私と遊んだらダメなんじゃないの?」
「いいの。親の言うことなんか無視したら」
ミノカはそういって、イチコの隣に座った。手に持っていたアユを一つイチコに差し出す。「ありがと」と、イチコはそれを受け取った。ひと口食べる。ミノカがここまで運んできたとはいえ、皮はともかくまだ身の方はその熱を失ってはいない。塩加減も絶妙で美味だ。
「みんな、イチコの良さを分かってないんだよ」
「私にいいところなんてないよ」
「自分に向かってそんな言い草、このミノカ様が許さんのじゃ!」
突然、ミノカはそういって、片手でイチコの頭をむんずと掴みぐりぐりと回しだした。
「ちょっと、やめてよ!」
と、イチコは抵抗する。ミノカはすんなりと手を止めた。イチコは少しほっとする。アユの塩焼きを落としでもしたらもったいない。ミノカはにんまりとした。
「いまの言い方、マオ様っぽくなかった?」
「ぜんぜん違うよ」
イチコはうんざりしたように言う。
「イチコって、マオ様のこと大好きだもんね」
「大好きなんてもんじゃないよ。私のすべて」
呟くように言うイチコの横顔を見ながら、ミノカはアユをひと口齧った。
「――さっき、お母さん、お兄ちゃんのことを労わるとか何とか言ってたけどさ。本当は呆れて、口もきいてないんだよ。戦に出たはいいけど、怖くて隊の後ろの方でずっと隠れてたんだって。だっさいよねー」
「そりゃ、争いは誰でも怖いよ」
「でも、誰も攻撃することなく、無傷で帰ってきたんだよ。何もしてないってことじゃん。もちろん、死んじゃうのはイヤだけどさ、勇敢に戦って、顔に傷一つでもつくってくれたらいいのに」
自分の実の兄に対して、なかなか辛辣な言い方をするものだ。だが、そんな豪快なところがあるのが、ミノカだった。
「そんな兄貴と比べたらさ、ちっちゃい頃からマオ様への想いが変わらず、ずっと仕え続けてるイチコって、すごいと思うんだよね」
「そんなことないよ」
ムラの重要人物として長年務めを果たしているマオならともかく、たかが付き人風情の自分のどこがすごいのか、イチコには分からない。
「すごいって。だって、こう言っちゃなんだけどさ、マオ様って結構ワガママでしょ?」
「確かに」
そこはミノカに反論はできなかった。マオは慈悲深い一面もあるが、一方でこだわりが激しく、気に入らないことは一向に受け入れない頑固さも持ち合わせていた。
――今日は虫の居所が悪いから会合には出ぬ!
――この寝巻きの布はざらざらして気持ち悪いから着るのは嫌じゃ!
――この漬物は辛すぎる、わらわは食わん!
他の人々がいる場ではみせないが、ことイチコ相手になると如実にその顔を出すことがある。そんな彼女をなだめ、説得するのもイチコの役割ではあった。
「でもミノカ、よく分かったね」
マオはムラの人々の前にあまり姿を見せない。なのに、なぜマオの性格をミノカが言い当てたのか、イチコは不思議に思った。
「ひと目見たら分かるよ。凛と構えたお嬢様、って感じだもん」
「あはは」
イチコは笑ってしまった。仕えている相手の悪口を言っているようで、後ろめたい気持ちもあったが、ミノカにマオの隠された一面を、一瞬で見抜かれてしまったことを純粋におかしくも感じたのだった。
「マオ様ひとすじ――ってのもいいけどさ、少し見る世界の幅を広げてみても私は良いと思うの。イチコってさ、もっともっと高くに羽ばたける素質があると思う」
「そうかな」
「もっと、色んなものに触れたりしてもいいのかな、って。こういう場に参加するのも、経験の一つなんじゃない? そりゃ、邪険にしてくる人もいるかもしれないけど、仲良くしてくれる人もいると思うし」
イチコは思う。これまで、ムラの中で自分を認めてくれる人は、マオやミノカ以外にはいないと思っていた。けれども、それは自分が自分をさらけ出してこなかったからという要因も、あったのかもしれない。時には、勇気を出して、もっと人々と関わってみるべきなのかもしれない――。
そこへ、ドン、ドン、とひときわ大きな太鼓の音が鳴り響いてきた。
「踊りがはじまるよ」
ミノカが言った。兵士たちをねぎらう意味をこめて、会場中央の松明の周囲を、ムラの女子供が踊りながら回る。ミノカが立ち上がり言った。
「イチコも行こう」
「うん!」
ミノカに続いて、イチコも立ち上がる。ふたりして踊りの儀が行われる方へと走った。
駆けている時、ふとイゾウのもとに、一人の男が駆け寄っていくのが見えた。男はイゾウの足下に跪き、頭を下げたまま言った。
「申し上げます!」
「何事だ。せっかく人が気分よく呑んでおる時に」
面倒臭そうに顔をしかめるイゾウ。しかし、男の言を聞くと、その表情を変えた。
「なぁにぃー!!」
と素っ頓狂な声を上げて立ち上がり、酒の入っていた椀を地面に叩き割る。
その様子を、イチコとミノカは立ち止まって、何事かと眺めていた。