ダンジョン配信(3)
木や岩で出来た簡素な家が密集しており、その周囲が頑丈に作られた石の壁で覆われている集落。否、集落と言うにはあまりにも大きく、街と言っても差し支えない程である。
「きっとアレだね」
街のすぐ側にある丘の上で、輝夜はその街を指さしてそう言う。
「なんか、思ったより大きくありません?」
双眼鏡を覗いて街の様子を伺う二人。
街中ではコートを着込んだアイスエルフ達が忙しそうに働いていた。
「割合的には女子供の方が多いですね」
凛華は双眼鏡から目を離して、隣にいる輝夜にそう言う。
働いているアイスエルフの大半が女子供である。男手は街を守っているであろう兵士が何人か確認できる程度である。
「グレゴリオが連れてたから……にしても、街の規模を考えると、男が少なすぎるか」
グレゴリオと行動を共にして居たアイスエルフは三十人程度。街の規模を考えれば、三十人などごく一部に過ぎないだろう。
「仮に戦える者が少ないなら、ドワーフが反乱を起こしたって不思議じゃないのに、見たところ街は平穏そのものですね」
「めちゃくちゃ衰弱してて、反乱を起こす気力すら残ってないとか」
「その割には、あのアイスエルフ達がつけてる装備、かなり新品みたいに綺麗ですし、ドワーフも鍛治ができるくらいには元気がありそうですけど」
「確かにとなると、別の所に戦力が集中してるって事か」
言われれば言われるほど、どういう事かと疑問に思えてくる。
「やっぱり、ここは一度別の方法を考えませんか?」
「えー……じゃあ、なんか案だして」
「引き返してお家に帰りましょう」
輝夜に案を出せと言われ、凛華は即答する。
「密猟してた罪で捕まるけど良いの?」
「……え、輝夜さんが庇ってくれるんじゃ?」
輝夜と共に行動している時点で、凛華の中では密猟の罪は完全に許されているものだとばかり思っていた。
「戦い方を教えるって言っただけ。このまま帰れば、もうハンターは続けられないかもよ?」
優秀なハンターであれば、多少のお目溢しはある。
凛華の持っているスキルもダンジョン攻略では使い道が少なくとも、潜入捜査や情報収集の分野では非常に有用。その反面、悪用されれば非常に面倒なスキルである故に、常に監視が付き纏い、スキルの使用が制限されかねない。
しかし、それでは輝夜が困る。
輝夜は自分が男に戻れる可能性を凛華に感じている。それだけでなく、凛華自身のポテンシャルにも期待を寄せている。
凛華のスキルは様々な人物に変身できる事。今はまだ、見た目の変化しか無いが、いずれは魔力や膂力、果てはスキルまでもコピーできるかもしれない。自分だけでなく、他人も変身させられるかもしれない。
しかし、それらは全て可能性の話であって、必ずしもそうなるという保証はない。
スキルは使い続ける事で成長するが、どんな成長をするかは本人次第。スキルが成長したとしても、それが輝夜が望んでいる方向へ成長するとは限らない。それでも、賭ける価値は十分にある。
「けど、もし、ドワーフとの橋渡しができるなら、話は別だろうね。密猟の罪はチャラ。なんならドワーフとの仲介でお金も稼げるんじゃないかな?」
凛華には存分にスキルを酷使してもらわなければならない。
「輝夜さんの作戦通り行きましょう」
輝夜の言葉に、凛華はあっさりと手のひらを返す。
「オッケー、ナディ、魔法でカメラ隠して。アリア、ロープで僕の手首縛って。あ、軽くでいいからね」
輝夜はナディとアリアにそう言いながら、拳銃を服の下に隠す様にしまう。
「あ、それからアリア。万が一の事も考えて、アリアは凛華さんに付いてて。んでもって、危なくなったら守ってあげてよ」
アリアに手首をロープで縛られながら、輝夜は小声でアリアに耳打ちをする。
そうして全ての準備を終え、グレゴリオに変身したアリアに連れられてアイスエルフの里へと向かう。
◇◆◇◆
「族長!」
「お早いお戻りで……お一人ですか?」
「他の者達は? それに、その妙な者は一体なんです?」
輝夜を連れた凛華が正面から堂々と入っていくと、それに気付いたアイスエルフらが次々と駆け寄ってくると、皆一様に片膝を付き左拳を右胸に当てて頭を下げる。
「……捕虜だ。外の世界に住んでいる種族で、先の戦闘で撃ち倒し、捕虜として捕らえた。他の者らは侵攻の準備を任せている」
凛華は軽く咳払いをした後に、周囲に集まってきたアイスエルフにそう言う。
「これが外の世界の」
「森のエルフに似てるわ」
「だが耳が短い」
輝夜の事を見ながら口々に思った事を言っていく。
誰も凛華がグレゴリオ本人だと信じて疑わない。
輝夜は凛華の演技力の高さに内心で感心していた。ハンターよりも女優でもやった方が稼げそうなくらいだと。
「物珍しい気持ちもわかるが、これは人質として利用する。それまは適当に放り込んでおけ」
「かしこまりました」
凛華はそう言うと、近くに居たアイスエルフの兵士に輝夜を預ける。
「族長、偵察任務が終わったばかりで恐縮ですが、王への報告は如何なさいますか?」
「……王?」
グレゴリオがアイスエルフのトップではないのかと、内心で驚く輝夜と凛華。
「はい、それはもう、族長の帰りを首を長くして待っておりましたから」
「……あ、ああ、そうだな。少し、内容を整理してから報告するとしよう」
凛華は輝夜に視線を送って助けを求める。しかし、輝夜は周囲を物珍しそうにキョロキョロと見回して、凛華の方を見てもいない。
「かしこまりました。では宿舎へ参りましょう」
アイスエルフの女性に案内される凛華の後を何となく付いて行こうとした輝夜だったが、手首に繋がれたロープを引っ張られる。
「お前はこっちだ」
◇◆◇◆
「ふぅ……」
ワンルームしかない小さな一軒家。中も簡素な家具類しか置いていない質素なつくり。そこにあるベッドに腰掛けた凛華は、小さく溜め息をつく。
「……輝夜さん、どこ行った?」
気がつけば輝夜の姿が見当たらず、
族長と言うくらいだから、当然一番上の立場だろうと思っていた。ならば、適当に偉そうに横柄な態度をしていれば、多少いつもと様子が違っていても、下の立場の者は指摘できない。
そうやって時間を稼ぎ、あとは輝夜がなんとかしてくれる事を期待していた凛華だったが、いざ蓋を開けてみれば、想像とは違い、族長の上に王が存在している。加えて頼みの綱の輝夜はいつの間にか居なくなっている。
「一先ず、王への報告をなんとか乗り切らないと……でも、一体どうすれば? っていうか王って聞いてないんですけど、私が一番偉いんじゃないですか?」
「落ち着け小娘」
パニックを起こして考えが纏まらない凛華を落ち着かせようと、気配を消して凛華に着いて来たアリアが姿を見せる。
「っ……!?」
突然現れたアリアに驚き、大きな声が出そうになるのをグッと堪える凛華。
「び、ビックリするじゃないですか。というか、一緒に来てくれてたんですね」
一人ではない事に安堵した凛華は、嬉しそうに顔を綻ばせる。しかし、アリアは彼女の態度が気に入らず、ムッとした表情で額を人差し指で軽く小突く。
「そんな顔をするな。堂々としていろ。多少おかしくとも、これが普段通りだという態度でいれば、存外怪しまれんものだ」
「で、でもぉ」
アリアが自信を持てとアドバイスを送るが、それでも凛華は不安げな表情のまま尻込みする。
グレゴリオの顔のまま、情けない表情をするのが滑稽で、もう少し見ているのも面白いと感じるアリアだったが、あまり時間がないので早急に用件を終わらせる。
「小娘、貴様の保身が懸かっているのだろう? 金が欲しいのだろう? だから契約者の案に乗ったのではないのか? 貴様のそれはこんな事で弱音を吐く程度の覚悟なのか?」
「……」
アリアの言葉に凛華は黙りこくる。
「お金は欲しいです。ライセンス剥奪も嫌です。大金持ちになって、弟の病気を治して、家族みんなで大きい家に引っ越して、かっこいいスポーツカーとか乗りたいです」
しばらくの間俯いたままの凛華だったが、やがてポツリポツリと自分の願望を吐き出していく。
「なら、すべき事はわかっているな?」
「……わかります。なんとかします」
「期待しているぞ」
アリアは満足げに頷くと、再び姿をくらませる。
「お休み中のところ失礼いたします! 王が報告を急ぐようにとの事で、お疲れかとは思いますが、ご足労お願い致します!」
それから暫くした後、部屋のドアがノックされ、扉の前で兵士が声を張りあげる。
扉を開け、堂々とした立ち振る舞いで外に出た凛華は、兵士に案内され王の元へと向かう。
「他の兵はどうしている?」
「はっ! 兵は我々衛兵以外は全て地下にて待機しております。王の御命令でいつでも出兵できます」
地下まであるのかと、凛華は地面を見下ろした。
街からほとんどの男が居なくなる程の大規模な軍隊が集まれる程の地下。一体どれだけの敵が居るのか想像もつかない。
「……兵の士気や練度はどうだ? 中には無理やり徴兵され、不満に思っている者もいるだろう」
「とんでもございません。皆、家族や恋人の為に自ら戦う事を選んだのですから。不満に思っている者など一人居りません。士気は十分に高いかと思われます」
凛華はアイスエルフの物言いに違和感を覚えた。家族や恋人を守るために戦うなど、的に攻め込まれて後がなく、まるで窮地に立たされているかのように思える。
「……そうか」
凛華は生返事を返しながら、アイスエルフを追い詰めているものが一体何なのかを考える。
他の種族の線は薄いだろう。雪が降るこのエリアはいわばアイスエルフのホームグラウンド。そうそう他の種族に遅れを取るとは思えない。
ふとそこで凛華は思い出した。輝夜とグレゴリオが戦って居る時に、彼らが言っていた台詞を。
『……チッ、確かに忌々しい竜人が、崩壊の直前に割り込んできたことで、我々の計画に遅れが生じた。だが、それも今日までだ。力を蓄え、あの竜人を殺し、我らは晴れて楽園を手に入れる』
「竜人……は、ちょっと違う気がする……」
凛華はぼそっと呟く。
その竜人の為にアイスエルフは戦おうと決意したのかと思ったが、すぐにそうではないと思い首を横に振る。
グレゴリオは計画に遅れが生じたとも言っていた。それはつまり、竜人が出てきたのはアイスエルフが戦力を集め始めた後のこと。つまり、竜人はアイスエルフが恐れている対象ではないということだ。
そもそも、プライドが高いアイスエルフがそう易々と他の種族に大して恐れを抱くとは考えにくい。とすると結局、アイスエルフが恐れているのが何なのか、さっぱり見えてこない。
考え事をしながら暫く歩き、小さな一軒家が立ち並ぶエリアを通っていくと、やがて 城と呼ぶには少し貧相ではあるものの、他の建物と比べるて、とりわけ大きい建造物が見えて来る。
凛華は一度考える事をやめ、今を乗り切る事に専念する。
「グレゴリオ族長をお連れ致しました!」
その建造物の扉の前で止まった兵士は、中に居る人物に向かって声を張り上げて報告をする。
それから間も無く、一人でに扉が開く。
「どうぞ、中で王がお待ちです」
凛華は生唾を飲み込み、中へと入っていく。
コンビニ程度の空間の中央に椅子が一つだけ置かれ、そこには厳格な風貌の老齢のアイスエルフが鎮座していた。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
凛華は他のアイスエルフが自分にやっていたように、片膝を付き左拳を右胸に当てて頭を下げる。正解かどうかはわからないが、それがアイスエルフの敬礼だと考えた。
我ながらファインプレーじゃないかと、凛華は内心でほくそ笑む。
「グレゴリオよ。貴様の腕が立つのは周知の事実。そんな貴様がこうも早く帰ってくるとは、何があったか報告をせよ」
老齢とは思えない威圧感を放つアイスエルフの王は、凛華を見下ろしながら肘掛けに肘をついて、冷たい声色でそう言う。たったそれだけで、室内の温度が下がったかと思うほど。
グレゴリオとは比べ物にならない圧を前に、全身鳥肌が立ち背筋が凍る。
「……はっ、ダンジョンの外へ向かう途中、外の世界と思わしき者と遭遇、戦闘の末に拿捕することができました」
舌を噛み、痛みで恐怖を和らげる。静かに深呼吸をして平静を装った凛華は、顔を伏せたまま報告する。
「ほお、よくやってくれた。だが、魔力をかなり消耗しているようだが、その者は強かったか?」
アイスエルフの王の声色が幾許か柔らかくなる。
「はい」
「そうか、敬礼の所作を間違えるまで消耗する程に強かったか」
「……っ」
やらかしたと凛華は絶望する。
「(終わった。もうダメだ。初手でやらかした)」
背筋が凍る。全身から冷たい汗が吹き出す。
グレゴリオではないとバレているのか、どうやってこの場を切り抜ければいいか、必死になって考えていると、王が小さく微笑みゆっくりと口を開く。
「いや、冗談だ。そなたの敬礼は完璧だ。すまない、あまりにも魔力が弱々しいのでな。ついカマをかけた」
「……お、お戯れを」
その言葉を聞いた凛華は、心の底から安堵する。
「(耐えたー! なんか知らないけど耐えましたー!)」
「しかし、それほど消耗する程とは……外の世界の者は我々の予想以上に手強いようだな」
「はい。女子供ではありましたが、あれは歴戦の兵士でありました。我々の中にも、あれ程の手練はそうおりますまい」
敵はかなり強いと思わせておけば、敵対するよりも交友関係を結んでくれるかもしれない。そう思った凛華は、敵は強いと誇張して言う。
ただの女子供ではなく歴戦の兵士だと謳ったのは、グレゴリオの性格を考慮しての事。周囲からも腕が立つと言われるほどの彼が、ただの女子供に手を焼いたと言うよりは、歴戦の強者を相手に辛うじて勝利を収めたとした方が現実味がある。
「かなりの手練が他にも居るとなれば、こちらも策を弄さねばならぬが、我々は外の世界について知らなさすぎる」
アイスエルフ王は頬杖をつき、深いため息をつく。
「はい、そして、おそらくは此度捕らえた者も偵察でしょう。敵はすでに我々に気付いているかと」
アイスエルフはダンジョンの外を全く知らない。気せずして重要な情報を掴むことができた。
さらに、情報戦で負けていると言えば、輝夜から情報を引き出すまでは動かない。
「そうか、であれば尚更、敵を生かして捕らえたのは良い判断だ。其奴からできる限りの情報を引き出せ」
「承知しております」
「やり方は貴様に任せる。良い報告を期待している」
凛華は頭を伏せて一礼し、ゆっくりとその場から立ち去る。
「……耐えたぁ」
建物を出た凛華は、少し歩いたところにある物陰でへたり込む。
「上々だ。やればできるじゃないか小娘。密偵に向いているな」
壁にもたれかかるようにして現れたアリアは、満足気な表情で凛華を労う。
凛華の立ち振舞いにはアリアも心底感心していた。普段の様子からは想像もつかないほど、堂々としているように見えた。紛れもない凛華の才能である。
「勘弁してくださいよアリアさん。生きた心地がしなかったですよ。おしっこ漏らすところでした」
凛華は今にも泣き出しそうな顔でそう言う。
「だが、得られた成果は大きいぞ?」
「それはそうですけど……」
輝夜の尋問を一任されたことで、輝夜と二人きりになっても怪しまれることもなく、じっくりと情報交換ができる。
敵から得た情報とアイスエルフ側の戦力を比較して策を立てる為という名目で、堂々とアイスエルフの戦力を調べる事もできる。
ほとんど何もせず、凛華にとって都合の良いように話が進んだ。それもこれもグレゴリオの信頼度によるところが大きい。
「情報が一切無い敵地に斥候として部隊を任されるくらいですし、それを踏まえれば妥当な成果だと思いますよ。頭のいい人なら、きっともっと沢山の情報を引き出せます」
凛華はポツリとそう呟く。
「グレゴリオ様ー!」
遠くの方からグレゴリオを探す声が聞こえてくる。
アリアと凛華は会話を切り上げ、アリアは再び姿を隠し、凛華は深呼吸をしてからゆっくりと立ち上がると、声のする方へと向かう。
「グレゴリオ様、こちらに居られましたか。王への報告、お疲れ様です」
「ああ……それよりも、捕虜の尋問を私が自ら行う運びとなった。場所はどこだ?」
「はっ、現在、ドワーフと同じ牢に入れております」
「ドワーフと?」
それは都合が良い。と凛華は思った。
ドワーフがどれくらい居るのかはわからないが、輝夜がドワーフの抱き込みに成功していれば手勢が増える。
凛華がアイスエルフの戦力を入手し、それを元に策を練れば、反乱を起こしてアイスエルフに痛手を与えることができる。
そうすればアイスエルフは戦力を失い、ダンジョンの外に攻め込む考えを捨て、友好関係を結ぶという方に向くかもしれない。
最悪、輝夜を暴れさせている間にグレゴリオに扮した凛華が数人のドワーフを連れてダンジョンの外に逃げるだけでも目的は達成できる。
「そうか、案内しろ……それから、道すがら改めて我らの戦力を確認したい。兵士の規模、それから武装だ」
「はっ! 我々の軍は延べ八千人。武装はドワーフの作った弓、それから剣。八割型の兵士に行き渡っておりますが、なにぶんドワーフも七名と数が少ないので、全員に行き渡るには今暫く時間が掛かるかと」
「八千人か……」
予想していたよりも遥かに多い数に、凛華は頭を抱えたくなる。八千人のアイスエルフに対してドワーフはたったの八人。戦力差は千対一。
……最低限でいいですよね輝夜さん。凛華は内心で呟く。
戦いを挑んで勝てるわけがない。勝ち目のない戦いはしたくない。アイスエルフの情報と七人のドワーフ。それだけあれば密猟の罪を差し引いても十分にお釣りが来る。
ドワーフを連れて夜逃げするにはやや大所帯ではあるが、警備兵の巡回路とグレゴリオの権限を使えば何とかなるだろう。最悪の場合でも輝夜達に暴れてもらい、その隙に逃げ出せば良い。
「よし、予定変更だ。先に我が軍の戦力を改めて確認する。資料を用意させろ」
「承知しました。すぐに全ての資料を持って来させます」
凛華はそう言うと、一度グレゴリオの寝室へと戻る。
「輝夜さんの方は大丈夫でしょうか。私が情報を集め切るのはまでは目立たないようにして欲しいんですけど」
「私の契約者はモノを知らんが、頭のキレは悪くない。こちらがアクションを起こすまでは下手に動きはしないだろう」
ベッドの上に腰を下ろして休んでいると、扉がノックされる。扉を開けると、大量の資料を両手で抱えたアイスエルフが一人立っていた。
「軍の資料をお持ちいたしました」
「そこに置いてくれ」
凛華は部屋にあるテーブルを指さしてそう言う。
アイスエルフは一礼して部屋に入ると、テーブルの上に資料を丁寧に置き、再び一礼して外へ出る。
「量多いですね」
彼から受け取った資料に目を通すが、文字が読めない。
「……読めない」
「私が読み上げてやろう」
アリアは資料に書かれている内容を読み上げ始める。しかし、量が多いため時間がかかる。その上、内容も複雑で聞いたところで内容の半分も頭に入ってこない。
「やっぱり読み上げはなくて良いです。それよりも脱出に必要な情報を探してください」
規模、戦力はともかくとして、侵攻計画、兵站計画などは自分の粗雑な頭では理解できそうもない。そう思った凛華は重要そうな資料は後で頭の良い人間に見てもらえれば良いと思い、重要そうな資料は片端からスマホで写真に納めていく。
今はアイスエルフの戦力、街の巡回ルート、警備が手薄になる時間、その三つが分かればそれで良い。
「これは……」
写真を撮り続けている横で、資料を読んでいたアリアが眉を顰める。
「ありましたか?」
「いや、だがもっと面白い情報を見つけたぞ。なぜアイスエルフがダンジョンの下層ではなく、外の世界に目をつけたのかがわかった」
「……それは気になりますが、後でもいいです?」
興味はあるが、今は必要な情報を急いで集めなければならない。他の事を気にしている時間はないのだ。
「まぁ聞け。この街の下に奴らが恐れ、神と崇めるものが封印されている」
しかし、アリアはそんな事はお構いなしに、嘲笑うように笑みを浮かべて話し始める。
「コイツらはその封印されている奴らの神から魔力を吸い上げて生活をしている。だが、その神が近く目覚めるらしい」
「アイスエルフが恐れていたのはそれですか!」
アイスエルフ達が兵士志願する理由にようやく合点がいった凛華は、声を大にしてそう言う。そしてすぐに大声を出した事にハッとなって息を潜めるように背を縮め、不審がられていないかと周囲を見回す。
「神とやらが目覚めれば、魔力を吸い上げれずに生活ができなくなる。どころか、目覚めた上に真っ先に滅ぼされるだろう。新たな魔力源を探さなければならない。だが、何百年と長い間、安定し継続して得られる魔力源などそう見つかるものではない」
仮に見つけたとしても、必ず他の種族と奪い合いになる。上手く手に入れたとしても、使い過ぎればすぐに枯渇してしまう。
「そこで外の世界に目をつけたと?」
「だろうな。ダンジョンそのものを新たな神の封印場所とし、自分たちは外の世界へと逃げる……それがアイスエルフの目的だ」
「……彼らも必死というわけですね」
「愚かな連中だ。外に何があるかも知らずに……だが、そういう愚かな連中を踏み潰すのはさぞ愉快だろうな」
資料に目を通しながら鼻で笑うアリア。
ダンジョンの外に求めるのは広大な土地と、豊富な資源や水、食料。そして腐るほどある労働力。魔力を求めて向かう場所ではない。
「私も踏み潰される側なので、そういう事を言う人の提案には乗りたくないんですが……一応聞きますけど、何を考えてますか?」
邪悪な笑みを溢すアリアを見た凛華は、碌でも無い事を考えているんだろうなと思いながらも、おそるおそる尋ねる。
「封印を解き、神を目覚めさせる。そうなればアイスエルフは嫌が応でも戦わざるを得ない、アイスエルフと神が戦っている間に、我々は悠々とダンジョンから出ていけばいい」
「思ったとおり碌でも無い考えですよそれ。下手したら私達も巻き添えじゃないですか。というか、もしそれでダンジョンブレイクが起きたらどうするんですか」
アイスエルフが恐れる程の化け物。きっとゴジラのように巨大で、まさに暴力の化身のような存在だろうと凛華は想像し、身震いする。
そしてその脅威がダンジョンの外に出てしまったらどれ程の被害になるか想像もつかない。そしてその責任は封印を解いた凛華達にある。
「遅かれ早かれ封印は解かれる。なら私達がそれを有効活用してやろうというだけの事だ。それにな……」
「そうなる前に私と契約者でその神とやら、殺してやろう」
口元を大きく歪ませてそう言うアリア。
本当に出来そうだからタチが悪い……と凛華は心の中で思った。
「言っている事はわかります。輝夜さん達の強さもわかります。ですけど、私はそんなリスキーな賭けにはのれません。弱いんですよ私。正直、今でさえ一杯一杯なんです」
凛華は一秒でも早くダンジョンから出たい一心で、首を横に振る。
ただでさえ、いつ正体がバレるかわからず、この先どうなるかもわからない状況で、さらに不安要素が加わってしまうと、金と恩赦のために辛うじて折れずにいる心がポッキリと折れてしまう。
「……わかった。そこまで言うなら封印は解かん。だが、これはアイスエルフの弱点だ。もし脱出に失敗し、アイスエルフに追い詰められた時に交渉カードとして使える。調べておいて損はない」
アリアは小さなため息を吐くと、面倒くさそうにそう言う。
「……それは、確かにそうかもしれませんが、そこに書いてある事が全てではないんですか?」
「封印されている場所、そして封印を解く方法はどの資料にも載っていない。当然の事だ。そんな重要な情報をおいそれと書き記しておくはずがない。おそらくは王しか知らないはずだ」
「できればあのアイスエルフにはもう関わりたくないんですけど」
「お前以外に接触できる人物が居ない。もし成功したら、私の財宝から好きなモノを一つくれてやろう。暫くは遊んで暮らせるぞ?」
アリアの提案を前に悩む凛華。恐怖と金を天秤にかけ、わずかに金に傾く。
「……やります。ですが、あくまでも保険を掛けるためですからね? 間違っても封印をどうこうしようなんてやめてくださいね?」
凛華はやるしかないと両頬をパチンと叩いて気合いを入れ、大きく深呼吸をして恐怖を緩和させる。
「ああ、もちろんだ」
「アリアさんは兵士の巡回経路と交代時間、警備が手薄になるタイミングがあるか調べてください。それから、その資料は全部持ち帰りましょう」
せめて私が情報を集めるまでは大人しくしていてください輝夜さん……凛華が心の中でそう呟いた矢先、少し離れた場所から黒煙が立ち昇る。少し遅れて、爆発音が鳴り響き、一人のアイスエルフが慌てた声色で扉を叩く。
「ほ、報告します。外の世界の者とドワーフが脱走し、暴れ回っております!」
「……嘘じゃん」
凛華は膝から崩れ落ちた。
待たせてしまったお詫びと言うわけではないですが、今回は少し文字数が多いです




