そして日常へ(2)
「まぁ、まずは君らの実力を見せてもらうさかい。訓練用のゴーレムと模擬戦をしてもらう」
頑丈な岩石で作られたリングの上に立った氷室は、学生らを見下ろしてそう言うと、補助として付いていた教員に目配せをする。
「本当ならゴーレム相手の訓練は三ヶ月後からなんですけどね。クリエイトゴーレム」
教員がそう言って杖を掲げると、散らばっている岩が一ヶ所に集まり、人の形を形成していく。
まだ一年の学生達にとっては初めて目の当たりにする光景で、思わず感嘆の声が漏れ出る。しかし、これからそれと戦わねばならないという現実を前に、すぐに静けさを取り戻し、本当に戦えるのかという心配や不安の顔色を浮かべる。
「なんや、実戦は初めてなん?」
「ええ、今はまだ体力トレーニングや武器の扱い、ハンター同士の連携が主で、実戦と呼べるのは生徒間での模擬戦が精々です」
「まぁ、今は気軽にダンジョンに潜るとかも出来へんやろうしな」
突如としてダンジョンが出現し、各国で対応が遅れる中、なんの知識や経験もない中でダンジョンに挑み、自分の腕一本でのし上がる弱肉強食の時代。
そこからダンジョンから利益を得て、法と機関の元に管理されるようになり、ダンジョンが生活の一部として溶け込んで久しい。
ハンターへの憧れは高まると同時に、ハンターの資格を取得する難易度は年々上がっている。
昔のようにとりあえずハンターになって、とりあえずダンジョンに挑む……なんて真似はできない。
「せやけどワイも鮫島会長から頼まれとるんでな。こいつら鍛えたらなアカンでぇ、とりあえず一人づつこのゴーレムと戦こうてみぃ」
「一人づつですか? ですが、この訓練用に調整した一番弱いゴーレムでも、四人での集団戦を想定したものですよ?」
ゴーレムを生成した教師は、まだ一年生の彼らにゴーレムと戦わせるのは酷だと言い、氷室を止めようとする。
「せやからええんや。死の恐怖を知らん奴は強くなれへん」
「ですが、もし取り返しのつかないような大怪我をすれば……」
「面白ぇ! やってやろうじゃねぇか!」
止めようとする教師の言葉を遮るようにして、一人の青年が前に出る。高校の一年生にしては随分とガタイの良い、粗暴な雰囲気の青年。クラスでも中心的な人物なのであろう彼は、自信満々に腰に下げた剣を抜いてリングへと上がる。
「活きがええやん。誰やあれ?」
「彼は、体力試験をトップ成績で入ってきた三井健司です。素行に問題はありますが、戦闘訓練の成績は二年生にも劣らない有望株です」
氷室は嬉しげな表情でその生徒の名前を尋ね、聞かれた教師はため息混じりにそう答える。
「よし。ほなトップバッターは威勢のええお前からや。存分に暴れてええぞ!」
氷室はそう言ってポケットからブザーを取り出す。
「そうかよ。そんじゃ、お許しも出た事だし……」
剣を片手に軽くストレッチをする三井。
「始め!」
三井は開始と同時に一気に駆け出す。ゴーレムが左腕を振りかぶり、彼目掛けて振り下ろす。
「遅ぇ遅ぇ! 所詮訓練用はこんなもんかよ!」
ゴーレムの攻撃を容易く回避した三井は、ゴーレムの足元にまで潜り込んだ三井は、剣を振りかざして渾身の力で振り下ろす。
しかし、甲高い音と共に振り下ろした剣は弾かれる。ゴーレムの体を構築する岩に切れ目が入っただけで、切断するまでには至らない。
「なっ!」
そのあまりの硬さに驚いている間に、ゴーレムの足が動き、三井を蹴り飛ばす。体が宙を巻い、背中から強く地面に打ち付けられる。
「ガハッ」
衝撃で肺から空気が強制的に排出され、息が止まったような感覚に陥り、その苦しさから動く事ができずに地面に這いつくばる。
その間に、ゴーレムは重たく響く音を立てながらゆっくりと近づき、左腕を振り上げる。
「う……あ……」
動く事が出来ない三井は、絶望した表情でゴーレムの動きを見ていることしかできない。
迫り来る巨大な岩の拳を前に、三井はギュッと目を瞑る。その瞬間、氷室が彼とゴーレムの間に割って入り、片手でゴーレムの拳を受け止める。
「腕の一本くらいは落とせるかと思ったけど……いや、まぁ、それでもええ気合いしとるわ」
氷室は動けない三井を担ぎ、リングから降りると、ゆっくりと地面に寝かせる。
「よっしゃ次や! じゃんじゃん行くで!」
そして他の生徒達の方を振り返って声を張ってそう言う。しかし、生徒らは視線を逸らすばかりで誰も行こうとはしない。
学年でも一番強い生徒が歯も立たずに敗れたのだ。誰も彼もが自分が勝てる筈がない、痛い思いをしたくない、皆の前で恥をかきたくないと、後ろ向きな姿勢になるのは無理もない事である。
「なんや、誰も居らんのか……しゃぁないな。ほな、こいつに勝てたらワイが使うとる刀ぁ一本くれたるわ。ただし先着一名や」
氷室はそう言って腰に下げている刀を掴み、鞘ごと掲げる。
日本トップが愛用している武器が貰える。その言葉に挑戦に後ろ向きだった生徒達の目の色が変わる。
誰も行こうとしなかった学生のほとんどが、我先にと手を挙げる。
「よーし、そう来んとな」
氷室は満足げに頷く。
片っ端から挑戦する生徒達。しかし、ゴーレムに傷をつけるどころか、中には触れる事すら出来ずに次々にやられそうになり、その都度氷室が間に割って入り、生徒達を守る。
「フッ、ここで我先に挑戦するのは愚者。賢者は他の者が無様に敗北した後で、疲弊したゴーレムを悠々と倒す。それこそがスマートな方法」
退屈そうにナイフをくるくると回して暇を潰していた輝夜の近くで、ニヤリと笑みを浮かべてそう呟く男子生徒。
「……えっと」
「おっと、そろそろ頃合いか、僕の出番のようですね」
輝夜が彼の考えを訂正しておこうと声をかけようか迷っている間に、意気揚々とリングに上がる生徒。
しかし、誰一人としてゴーレムにダメージを与えられていないのだから弱っている筈がなく、当然の如く一蹴される。
「言ってあげればよかった……まぁいいや、これで全員終わったよね」
「ちょい待ち、残るはお前だけや」
これで一通りは終わったかと、輝夜がグッと背伸びをして一足先に教室に戻ろうとするのを、氷室が呼び止めてリングに上がるよう催促する。
「僕もやるの?」
「当たり前やろ。ただし、スキルと銃は禁止や」
「なんでさ」
「お前以外にスキルを使うとる奴も、銃を使うとる奴も居らんからや」
一人だけズルをしては他の生徒も納得いかないだろうと、他の生徒達と同じ条件で戦うように言う。
「ナディ」
「お前以外が戦うのも禁止や」
ナディに任せようとすのも止めさせる。
正直なところ、ブーストや銃、ナディやアリアのサポートがなくとも、訓練用のゴーレムくらいは倒せるだろうと氷室は思っていた。
それでも、輝夜をわざわざ戦わせるのは、学生達に特別な武器やスキルがなくとも、強くなる事ができるという事を理解させるためである。
「……わかった」
輝夜は面倒くさそうにリングに上がると、ナイフの刃の部分を指で摘んでプラプラとさせる。
「ほな行くで」
開始のブザーが鳴るも、輝夜は一向に動く気配はない。
土煙の中から、輝夜が飛び出してゴーレムの腕に足をかけながらナイフを投げる。風を切りながらゴーレムの胸あたりに僅かに露出しているコアに突き刺さる。
僅かによろめくゴーレム。その間に輝夜はゴーレムの腕を駆け上がり、ナイフの柄に体重を乗せた蹴りを入れる。
ナイフが根本まで突き刺さり、コア全体に亀裂が入る。
ゴーレムの動きが止まり、やがて音を立てて仰向けに倒れながら崩れていく。
「これで良い? あと、ご褒美はいらない。刀とか使った事ないし」
コアに刺さったナイフを抜きながら、そう言う輝夜。
「おう、上出来や」
氷室は満足げに頷くと、疲れて座り込んでいる学生達の方に向き直る。
「今見てもらった通り、スキルだの武器だのなくても経験を積めば誰でも強ぉなれる。んでもって、経験を積むのに実戦以上に効率がええもんはない」
「先ずはそうやな……二人組でゴーレムを倒せるようになるんが君らの目標や。次までに自分の相方を決めときぃ。もちろん一人で挑戦したって構わん」
「んでもって、三ヶ月以内にゴーレムを倒せたチームにはワイの権限でハンターライセンスを発行したる」
氷室はそう言ってリングから降りて、残りの時間は好きに組む相手でも探せと言いながら、リングの端で腰を下ろす。
ゴーレムを倒せばハンターになれる。そんな餌を前にした学生達の目はやる気に満ち、疲れも吹っ飛んだのか、さっきまでへばっていたのが嘘のように、相方探しに精を出している。
実力のある者同士で手を組んだり、仲の良い者同士で固まったり、溢れてしまい仲間に入れない者が出たりと様々。
「なんであんな約束したの?」
巻き込まれないように足早にその場から離れた輝夜は、氷室の隣に座って声をかける。
「どうせ倒せへんからな」
ゴーレムは今は一番弱いように調整してあるが、学生達のレベルに合わせてゴーレムも強くなるように調整していく。一番強いゴーレムを倒せるようになる頃には、ハンター試験をパスできる程度の実力は付く。
「ま、ほとんどが最初の一歩も進めんやろうけどな」
今の学生の実力では三ヶ月かかっても、一番弱いゴーレムすら倒せないだろう。
だが、何度もゴーレムに挑み、敗れ、その度に試行錯誤を繰り返す。それこそが強くなるためのプロセスであると氷室は考えていた。
「にしても、せめて僕に確認くらいしてほしかったな」
「なんでお前に確認せなアカンのや?」
「アレ」
輝夜はそう言いながら、生徒達の方を指差す。
直接輝夜に声をかける事はしないが、皆一様に輝夜と組みたそうに遠巻きにチラチラと視線を送っている。
輝夜と組む事ができれば、ゴーレムを倒すのは容易い。彼らにとっては、輝夜を仲間に引き入れる事はハンターライセンスを得られるも同義なのである。
「そらそうなるか」
他人におんぶに抱っこで得たものに意味などない。実力が伴わないままダンジョンに潜っても、彼らが思い浮かべるような富も名声も得られる事なく、最悪は死ぬだけだろう。
だが、彼らの頭にそんな考えを持っている者は多くない。彼らにとってはハンターライセンスを得る事がゴールで、ライセンスさえ取れば人生の勝ち馬に乗れると思っている。
「そらこうなるよ。とはいえ、実際に声をかけてくる子は居ないだろうけどさ、もし僕が本当に誰かと組んじゃったらどうするつもりなのさ?」
「……それはそれで」
輝夜がペアを組んでも良いと思えるくらいには、能力と将来性があるならば、それはそれで投資の意味も込めてハンターライセンスを発行しても良いと思う氷室。
「まぁ、そんな有望株はそうそう居らんか」
「……?」
「いや、こっちの話や……あ、そないな事より、お前に頼まれ事があるんやったわ」
「そないな事で流すなよ。まぁいいけど……で、頼まれ事って何?」
「ヴィサスが現れたダンジョンあるやろ? 学生連れて間違えて入ったところ」
「うん」
新しく出現したダンジョンに間違えて入ってしまったのが全ての事の発端だったと思い出し、アレさえなければ、こんな面倒な事にはならなかったのにと、できる事なら過去に戻ってやり直したいという気持ちになる。
「今は封鎖しとるが、いつまでもそのままっちゅう訳にはいかへんからな。ちょっと配信しながら調査してきてくれへん?」
「――それ氷室に振られた仕事じゃないの?」
「――いや? ちゃうで?」
思わぬ図星を突かれ、反応が遅れる氷室。
「今日、これからでいい?」
輝夜は人に投げるなよと言いたくなるが、氷室も今は何かと忙しいのだろうと思い、素直に引き受ける。
「ええよ。あと、それからこれ持っとけ」
氷室はそう言って、銀色の細いプレートのついたチェーンのブレスレットを渡す。
「これ、ハンターがダンジョンに潜る時につける、救難信号を出すやつ?」
ブレスレットを受け取った輝夜は、銀色プレートを見ながらそう尋ねる。
プレートを折ると、中にある救難信号を発生させる装置が起動し、近くのハンターに救難要請が届くようになっている。正式名称は救難信号プレートと、そのままである。
「その特別版や。使えば政府に救援要請が行くようになっとる。ワイも夕香もずっと付きっきりいう訳にはいかんさかいな」
「えぇ、ダサいからやだ」
「そう言うなや。それ付けといてくれたら上が安心できる」
「……わかったよ」
輝夜は氷室から受け取ったブレスレットを、しぶしぶと言った感じで左腕に付ける。
「初心者マークつけてるみたいでなんかヤダな」
救難信号プレートを付けているのは初心者。付けなくなってようやく一人前。一昔ほど前に、そんな風潮がハンターの間で流れていた事を思い出し、そう呟く輝夜。
輝夜もハンターになったばかりの頃は生真面目にプレートを付けていたのだが、ダンジョン内で他のハンターに嘲笑されたのが切っ掛けでプレートを付けなくなった。
「昔はそんな風潮もあったな。せやけど、今は装着は努力義務やし基本は皆それ持っとるで」
氷室はそう言って刀の鞘のくくりつけてあるプレートを見せる。
昔は嘲笑されていたかもしれないが、これを持っているという事はダンジョンに潜れるハンターであるという事の証明でもある。誰しもがハンターになれた一昔前とは違い、今はこれをつけているからと言って嘲笑する者は居ない。
「努力義務ねぇ。やっぱダンジョンで大勢が亡くなったから?」
時代は変わったなぁと、ブレスレットを付けた左腕を空に伸ばして、ブレスレットをじっと見つめる輝夜。
「そらそうやろ。つっても、ダンジョンで死んだ大半は魔力を持ってない普通の人間ばかりや。魔力を持っとる奴も、基本は魔法で後衛に専念するんが当たり前やったさかい、前衛が倒れたら何もできんとそのまま死ぬ……今ではありえへん事やけどな」
十年程前、氷室が高校生でハンターになったばかりの駆け出しの頃は、魔力に目覚めているのは、百人に一人居れば良い方であった。だから魔力を持たないままダンジョンに挑むのは当たり前。しかし、魔力を持たない体でダンジョンに挑むのは自殺行為に等しい。
からか、魔力を持つ者は火力源として重宝され、ダンジョンでは皆から守られながら安全に魔法を使いモンスターを倒すばかりで、懐に潜り込んでの斬り合いなど経験しない。
魔力を全身に巡らせて肉体を強化する技法も一般に知れ渡っては居らず、魔力を持っていても魔法が使えるだけで、肉体強度は普通の人より少し頑丈という程度であるため、前衛がやられたら、逃げるか死ぬかの二択しかなかった。
「せやから、ハンターの資格取得に魔力がある事が最低条件になったし、魔力があってもちゃんと使えへんとハンターにはなれへんようになった」
「あぁ、それかなり昔にニュースか何かで見たな」
魔力がなければハンターになれないという制度が導入された直後は、世論は賛否両論で意見が割れていた。とりわけ否定的な意見が多く、魔力を持つ者に対して敵対心を向ける者も現れるほどだった。
今思えば、それが反魔力主義への始まりだったのかもしれないと、輝夜はひとりでに思った。
「あそこから多少治安が荒れたからな……せやけどダンジョンでの死亡率はグッと下がったさかい、それでも遭難やら行方不明やらなんやらで、強さだけやのうて、頭も必要やっちゅう話になり、色んな知識も付けんとアカンようになったけどな」
「言うても今ではダンジョンの研究が進んで、昔と比べてかなり楽に攻略できるようになったさかい、ダンジョンで死ぬ奴はかなり減った。アイドルハンターやらダンジョン配信なんかが流行っとるんがその証拠や」
「それでも大抵は五、六年以内に怪我で引退か、ダンジョンで死ぬけど……って、なんで皆集まってるの?」
輝夜は周囲にリング周辺に集まっている生徒達に気がつき、何があったのかと声をかける。
「いや、その、とてもタメになる話だったので」
彼らは氷室の話を聞くために近くまで来ていた。学生だけではない。教師までもが熱心に聞き入っており、メモまで取っている。
「さよか。まぁ、君らが小学生に上がる年頃くらいの話や……というか、先生に関しては少しは身に覚えあるんとちゃう?」
「私がハンターになったのは四年前で、その頃にはハンターで魔力を持っていない人なんて居ませんでしたし、ポイント制も導入されて、今とさほど変わりませんでしたから、制度が整う前の話を聞けて勉強になります」
二十代半ば頃の若い女性の教師は、少し萎縮してそう答える。
「なんやそうなんか……いや、そらそうか十代でハンターになるような奴は、ワイの時でもそんな居らへんかったしな」
氷室はそう言って輝夜を一瞥する。
「少し話は逸れたが、そんなわけでや。こいつとペア組んでハンターになれたとしても、実力の伴わん君らやとすぐに死ぬ事になる。それが嫌なら自分らの力でゴーレム倒して見せぇ」
氷室の言葉を聞いた学生達は大きく頷く。
「さて、話は終いや。そんな事より、時間は有限。ペア作った奴から策を練るなり、ゴーレムに挑むなりしぃや。時間も先生の魔力も無限にある訳ちゃう。挑戦回数にも限度があるで?」
それを聞いた生徒達は、ペアを組んだ者達から我先にとゴーレムに挑戦する。学生達がゴーレムと戦っている間、他のペアもそれを見ながら自分どう戦うか作戦を考え合う。
「んじゃ、僕はそろそろお暇させてもらおうかな」
輝夜はそう言ってリングから飛び降りる。
「なんや、最後まで残っていかんのか?」
「やる事ないもん」
ゴーレム程度は軽く倒せるので別段挑む意味がない。何もしない自分が居ても他の生徒の邪魔をしてしまう。
「お前の言ってたダンジョンにでも行ってくるよ」
「一人で……いや、ええわ」
一人で行動するなと言いかけた氷室だったが、そこまで過保護になる必要もないだろうと思い、そのまま輝夜を行かせる。




