G7サミット(8)
◇◆◇◆
ベッドに横になり、ぐっすりと眠っているヴィサスと強化ガラス一枚を隔てたすぐ側で、スマホの画面を眉間に皺を寄せ、難しい顔で見つめる氷室。
「G7サミットでテロ……」
彼のスマホの画面には東京で起こっているテロの速報が表示されていた。
「狙いは輝夜か? せやけど、一人捕まえるためだけにこないな事するとは思えんしな」
純粋に各国の首脳陣を狙ったテロだろうかと考えていると、氷室から少し離れた所の壁がガラガラと音を立てて崩れ、そこから三人が侵入する。
その内の一人は、垢抜けない高校生のような外見をした少女、李雲嵐。
もう一人は、黒い手袋をはめ、黒い長髪を後ろで纏め、鋭利な刃物のように鋭い眼光をもつ若い男のハンター。真紅のシャツと腰に下げた二本の中国刀。中国最強のハンター、劉飛龍。
そして最後の一人は仮面で顔を隠した男。風貌からして四十代前半といったところだろう。
「……何かと思えばそういう事かい。ほんまに懲りへんなぁ」
彼の姿を見て、G7サミットでのテロも含めて何となく状況を理解した氷室はゆっくりと立ち上がる。
「というか、この場所は極一部の連中しか知らん筈やのに、こっちの内部に裏切り者がおんか、それとも索敵に長けたスキルか」
後者の方だろうなと氷室は思った。曲がりなりにも内閣官房の情報機関。身内の身辺調査を怠る程、間の抜けた組織ではない。ましてや上に信用されているような人間が裏切る可能性は限りなく低い。
「まぁ、何でもええわ。どっちにしろ輝夜に邪魔されて一回失敗しとんのに、懲りもせずまた挑戦しに来るとはな。それともアレか? ワイだけやったら何とかなるとでも思ったか?」
氷室は腰の刀を抜き、軽く振るう。剣の風圧だけで空気がビリビリと震える。
「魔葬屋は俺達が相手をする。雲嵐は目標の確保を」
劉飛龍は中国刀を両手に持って前に出ると、後ろの二人に指示を出す。
「……あの女は居ないわよね?」
雲嵐は飛龍の背中に隠れるようにして周囲を見渡す。
「安心しろ。今はG7サミットだ」
輝夜との一戦が余程トラウマになっているのだろう。飛龍は連れてこなければよかったと言いたげに、ため息混じりにそう答える。
「そう、なら良いわ」
雲嵐はホッと胸を撫で下ろすと、懐から指向性の爆弾を取り出して、強化ガラスに貼り付ける。
「そら困るわ」
そうはさせまいと、氷室は一瞬で仮面の男との距離を詰め、腕を斬り落とすつもりで刀を振る。
「それはこっちも困る」
しかし氷室の刀は飛龍によって防がれ、耳をつん裂くような甲高い金属音が響き渡る。
「魔葬屋、噂に違わぬ実力だが、所詮は弱小国のトップ。お前程度のハンター、中国にはいくらでも居る」
「さよか。ほな、お前が中国で一番強い言うんは嘘になるな」
氷室は飛龍の目の前から、消えるようにして背後に回り込み、斬りかかる。
飛龍は辛うじて反応して防ぐものの、次の瞬間には氷室の姿は消えており、再び背後を取られる。
「なるほど、あのロガート・マクワイアに最強と言わしめただけはある……だがな!」
そう言った瞬間に飛龍の姿が消える。
「後ろやろ」
氷室は刀を逆手に持ち替えて、背後からの攻撃を受け流す。続く二撃目の蹴りを掴み、力任せに押し返す。
「バカなっ!」
「その動きは輝夜の配信で見た」
体勢を崩した飛龍を振り向きざまに斬り伏せようと、刀を持つ手に力を込める。氷室が振り向いた瞬間、背中に凄まじい殺気を感じ、反射的に半身を退け反らせて回避する。
直後、氷室の頬を弾丸が掠める。
「銃?」
発砲したのは仮面の男。右手に拳銃、左手にナイフを持っており、氷室に向かって立て続けに発砲する。しかし、輝夜のようにブーストで強化しているならともかく、ただの拳銃では氷室にとって何の脅威にもならない。
「なんや、輝夜みたいな戦闘スタイルしよってからに。なりきりファンか?」
最小限の動きで銃弾を回避した氷室は、怪訝な表情でそう言う。
ヴィサス奪取という彼らにとっては最重要の任務である筈にも関わらず、足手まといにしかならないような者を連れて来るとは思えない。
「ブースト」
「!?」
仮面の男が放った言葉に驚く氷室。そんな筈は無い。同じスキルが二つ以上存在している事など、今までに確認されていない。
驚く氷室を他所に、仮面の男が発砲する。
さっきの豆鉄砲とは比べ物にならない速さと威力。
首を傾けて顔を逸らして弾丸を避ける。弾丸は氷室の頬を掠める。皮膚が裂け、傷口の端から血が滲む。
「マジか……」
氷室は驚きのあまり動きが止まる。
「スキルは使うなと言ってあったのにな」
その隙を見逃さず、飛龍は氷室に目掛けて刀を突き刺す。
「っ!」
氷室は辛うじて飛龍の刀を弾き、その場から飛び退いて距離を取る。
「使っちまったもんは仕方ない。最大限有効活用させてもらう」
氷室が冷静さを取り戻す前に仕留めたい飛龍は、左手に持った中国刀を投げると同時に、スキルで距離を詰めて背後から斬りかかる。
「ふぅ」
氷室は小さく息を吐くと、体を回転させて飛龍の投げた刀に回り込んで柄を掴む。そして、回転の勢いそのままに飛龍の持つ中国刀を弾く。
「大した曲芸だ」
刀を手放しこそしなかったものの、腕が上がり胴体がガラ空きになる。
「弾丸よりデカくて遅いもん掴むくらい訳ないわ」
そのガラ空きになった飛龍の胴体目掛けて、氷室は刀を突き出す。
「大したもんだ」
飛龍はスキルで仮面の男の元まで逃げる。
すかさず、仮面の男は氷室に銃口を向けて立て続けに発砲する。
「スキルは真似できても、銃の腕までは真似できんようやな」
最小限の動きで銃弾を回避しながらそう呟く氷室。
ブーストで強化されていようとも、引き金を引く瞬間さえ見ていれば避けるのは難しくない。
「早くしろ雲嵐。あまりモタモタするなよ」
「うっさい! 起爆が面倒なのよ!」
雲嵐はそう言い返すと、強化ガラスに貼り付けられている指向性爆弾を起爆して入口を作る。
「せやから、そうはさせ」
氷室が動こうとした瞬間、仮面の男が床が砕ける程の勢いで踏み込み、ナイフを持った左手を氷室目掛けて振り下ろす。
氷室は軽く横に飛んで避ける。男の拳が空を切り地面を叩く。
地震かと錯覚するような揺れが起こり、拳の半分が床に埋まる。
「光阴似箭」
氷室が仮面の男に気を取られた隙を突いて、飛龍がスキルで氷室の死角から斬りかかる。
「ちっ、流石に手が足らんか」
氷室はその場で跳び上がり、宙返りをして飛龍攻撃を回避すると同時に刀を鞘に納める。
「先ずはデカい方からや」
呼吸を止めて着地すると同時に、鯉口を切り一気に刀を抜き放ち、斬撃を飛ばす。仮面の男の元まで地面が切り裂かれ、衝撃によって男の身体が宙を舞う。
「両断するつもりやったねんけど、硬い仮面やな」
男の仮面が割れ、カランと音を立てて床に落ちる。
「……なんや」
仮面の下に隠されていた顔を見た氷室は驚愕する。
見た目からしてロシア人だろうが、頬はこけ、目の下に凄まじい隈。唇はヒビ割れ、口の端から涎を垂らし、今にも死にそうな顔をしている。
「ブースト」
男は氷室の顔を見上げると、小さくそう呟く。そして屈んだままの体勢から両手を広げて氷室に飛び掛かる。
氷室はそれを軽くあしらう。
「……なるほど。お前、今際の際か?」
そう呟くと、氷室は男の持っている拳銃を飛龍の中国刀で破壊し、足の甲に中国刀を刺して地面に張り付ける。
「ぐああああああっ!」
あまりの痛みに男は悲鳴を上げ、その場にうずくまる。
「そうそう、そうやって安静にしといた方がええで」
飛龍の先ほどの言葉から男の状態を推測した氷室。
方法は見当もつかないが、命という代償を払い、ブーストを使用できるようにしたのだろう。一度スキルを使ったら最後、生きては帰れない。男の衰弱具合から見て後五分もすれば死に至るだろうと考えた。もしそうならば無理に相手をする必要はない。
「さて、続きや」
男を放置して氷室は飛龍に斬りかかる。飛龍は氷室の刀を受け止める。
力に任せて押し込もうとする氷室と、全力で押し返そうと踏ん張る飛龍。
「ちっ……早くしろ雲嵐!」
鍔迫り合い続く最中、飛龍は雲嵐にそう叫ぶ。
「わかってるわよ」
雲嵐は胸元から黒く四角いキューブを取り出して、ヴィサスに投げつける。
氷室が警戒する間もなく、キューブが大きく開き、ヴィサスを取り込む。そして元のキューブ状に戻り雲嵐の手元へと帰っていく。
「よし、そのまま離脱しろ!」
雲嵐はポケットから黒いガラス玉の様な物を取り出すと、そのまま何もない空間に軽く放る。空中で粉々に砕けちり、何もない空間が突如として歪み、別の場所へ続くホールが現れる。
「ダンジョンゲート? いや、違うなワープゲートみたいなもんか」
雲嵐がそこに飛び込めば確実に逃げられると思った氷室は、飛龍から離れて真っ直ぐに雲嵐の元へと向かう。
雲嵐は迫り来る氷室を見て、慌てて飛び込もうとするが、すでに氷室は雲嵐とワープゲートの間に割って入り、今にも刀を振るおうとしていた。
最悪の場合、雲嵐を殺してでも阻止するつもりで刀を振ったが、飛んできた二発の弾丸によって刀を弾かれる。
その隙に雲嵐が氷室の脇を抜けてワープゲートに飛び込む。さらにそれに続く様に飛龍もワープゲートに入って行く。それと同時にワープゲートが閉じる。
「ちっ」
拳銃は破壊した筈だったが、もう一丁隠し持っていたのか、男は手のひらサイズのコンパクトなハンドガンを氷室の方に向けていた。
だが、もう引金を引く力すら残っていないのか、銃を落とし、白目を剥いて力なく倒れる。
「イタチの最後っ屁かいな。死に体のくせに無茶しよるわ」
氷室はため息混じりにそう言うと、ゆっくりと刀を納める。
「この失態は高ぉつくわな」
男の死体から飛龍の中国刀を抜く。
「やっぱりナマクラか」
飛龍が普段愛用しているものではない。市販の安物である。最悪、武器を失ったり投棄する事になっても大丈夫な様にだろう。
「舐めた真似しよるわ」
中国刀を放り捨ててその場に座り込む。
しばらくするとエンジンのしなやかな爆音が遠くから近づいてくる。
新手かと思い、刀に手を置く氷室。
しかし、現れたのはバイクに乗った夕香と輝夜。
「なんやお前らか」
肩の力を抜いて氷室はそう呟く。
「氷室先輩! ヴィサスは!?」
バイクを乗り捨てるようにして降り、周囲の現状を見た夕香は真っ先に氷室の元へ走る。
「すまんな、中国の連中に連れてかれてしもうたわ」
「中国? 劉飛龍ですか?」
「せや。ワープゲートみたいな遺物で逃げられたわ」
「ワープゲートですか。念の為に空港を抑えるよう指示を出しますが、おそらく無駄で……あれは?」
事切れているロシア人に気づいた夕香は、氷室に何者か尋ねる。
「飛龍と雲嵐と一緒に居ったロシア人や。おそらく軍人やろうな」
「中国にロシアですか」
「そっちはどないや?」
「こっちは……」
夕香はG7サミットとテロの内容、韓国と百足旅団が手を組んでいる事について現時点でわかっている事を全て話す。
「中国とロシアが手ェ組んどるんは分かっとったが、そこに韓国も加わったっちゅーことか」
「百足旅団も与している可能性が高いでしょうね」
氷室と夕香が会話をする横で、話の内容についていけなくなった輝夜は、早々に話を聞くのをやめて、ロシア人の死体に近づいて様子を伺う。
「コンパクトハンドガン?」
死体のそばに落ちていた拳銃を拾い、訝しげな目で見つめる。
『うわ、やっぱ気味が悪いわね』
ナディが心底嫌そうな表情でそう呟く。
「ナディ?」
『アルラウネのやり方はやっぱり嫌いだわ』
「何の話?」
『こいつの心臓に寄生してる物よ』
輝夜が尋ねると、ナディは男の心臓部あたりを指さしてそう言う。
「心臓に寄生?」
『アルラウネの卵。スキルシードに少し似てるんだけど、他の生物に寄生させて、宿主が望んだスキルが使える代わりに、一度でもスキルを使えば、宿主の生命力を一気に根こそぎ奪って急成長するのよ』
「どんなスキルでも?」
『まぁ宿主の魔力次第ね。ほら孵化したアルラウネが出てきた』
男の背中を食い破り、拳大の赤い蜘蛛が現れる。
「ふーん。そういうモンスターも居るんだ。この人は運が悪かったって事か」
輝夜は手に持っていたハンドガンで、アルラウネの幼体を撃ち抜く。
「なんや!」
銃声に反応した氷室と夕香が慌てた様子で近づいてくる。
「お前、いきなり何チャカ弾いとんねん……って、何やそれ。気色悪いのぉ」
「アルラウネの幼体だってさ。この人に寄生してたのが孵化したみたい」
輝夜はナディから聞いた話をそのまま氷室と夕香にも説明する。
「なるほど、こいつがブーストを使えたんはそういうカラクリか」
「よりによってボクの真似をしてたわけか。どうりで拳銃なんて持ってたわけだ」
輝夜はそう言って納得すると、ハンドガンから弾倉と薬室に残っていた弾丸を抜き、そっと地面の上に並べる。
「アルラウネ……森林地帯のダンジョンで極々稀に姿を見せる事があると聞いたことがありますが、まさかそのような生態があったとは」
「こいつを投入してきたっちゅう事は、ロシアはアルラウネの卵について知っとる上に、おそらくはアルラウネを捕らえたかなんかで、卵を量産できるようになっとる」
「そのアルラウネの卵を兵士に服用させて、捨て駒として利用しているわけですか」
夕香はロシア人の死体を見下ろしてそう呟く。
「最初っから捨て駒にしとるわけちゃうやろけどな。最悪の場合は敵に損害を与えて死ねいう事やろうけど」
強力なスキルを使える代わりに、スキルを使えば死ぬというのは駒として使い勝手が良い。
スキルを使わずに任務に成功すれば良し、仮に失敗しても敵に損害を与えながら兵士が捕えられて情報が漏洩する事を防げる。
「スキルを使えば死ぬなんて、余程の覚悟がないと出来ないでしょ」
輝夜は氷室にそう言う。
「そんなもん。スキルを使えば体力を消耗しすぎて気絶するから奥の手として取っておけとか適当言っときゃええやろ。もっともこいつは覚悟がある方やったみたいやけどな」
「闇が深いなぁ……まぁ、何にせよ。ヴィサス取られちゃったんなら、向こうは目的を達成したって事でしょ?」
「せやな」
「それじゃあ、もうこっちに手を出してくる事はないわけだ」
結果として、平穏なダンジョン生活に戻れそうで肩の荷が降りたように気分が軽くなる輝夜。
「暫くはそうやろうけどな。こっちの損失がデカいで。他の国からも何言われるか分かったもんやないな」
反対に氷室は上司から長い小言に加えて、大量の報告書に後処理で忙殺されそうな未来を想像して、憂鬱な気分になる。
「そこは頑張ってとしか言えない」
輝夜は、普通に仕事辞めてダンジョン潜れば楽なのに……と内心で思いながらも、氷室の背中を軽く叩いて励ます。
「なんや他人事みたいにいいよって」
「他人事だからね」
「はー、ホンマ可愛げのないやっちゃなぁ。ちったぁしおらしくせんと嫁の貰い手がなくなんで?」
「中身は男だから大歓迎だね」
氷室と輝夜がやいのやいのと言い合いをする間に割って入る夕香。
「お二人とも、遊んでいないでください。今しがた、テロが完全に鎮圧できたと連絡がありました」
「お、じゃあこれで一件落着だ」
ようやくゆっくりと休む事ができると、輝夜はグッと体を伸ばしながらそう言う。
「してへんわ」
「そうなの?」
「……そうですね。テロの被害は甚大。百足旅団と共謀してテロを起こした韓国を追及するのも難しい上に、交渉の切り札であるヴィサスの身柄を中国とロシアに奪われた……正直なところ完敗と言わざるを得ません」
夕香は悔しそうに首を横に振ってそう答える。
「あーあ、氷室がヘマするから」
「やかましわ。しゃぁないやろ、護衛兼監視対象のすぐ側で本気で戦うわけにもいかへん。それに向こうかて弱いわけやない」
「あぁ、ダンジョンでも、学生さんを守りながらだと一気に面倒になるもんねぇ」
輝夜はついこの間、学生の引率でダンジョンに潜った時の事を思い出しながらしみじみと頷く。
「軽い感じで話してますけど、一応、失敗しましたでは許されない話なのは忘れないでください」
内心では氷室が守りきれなかった以上は、他の誰であっても出来なかっただろう。むしろ飛龍や雲嵐の中国トップハンター、そしてブーストを使うロシア人を相手に、戦いの最中で必要な情報を得たのだから、ヴィサスを奪われた事を指して失態だのなんだのと非難する事はできない。
「なんにせよ、一件落着はしていませんが、一息くらいはつける状況です。私も輝夜さんも結構怪我をしてますので、このまま病院に向かいます」
「じゃ、後は頑張ってねー」
「ああ、報告やら後処理はワイの方でやっといたるから、ゆっくり診てもらい」
夕香と輝夜はバイクに乗ると、そのまま病院へと向かう。バイクのエンジン音が遠のいて行くのを聞きながら、氷室はふと気づいた。
「怪我ならナディに回復魔法で治してもらったらええんとちゃうか?」
夕香が面倒事を押し付けて逃げたと気付くまでに、そう時間は掛からなかった。




