ヴィサス(3)
「夕香さん?」
椅子に座り、船を漕ぐ夕香に声をかける青髪の優男。
女木島で輝夜達と共に戦ったプロハンターの新見明である。
「……すみません。つい眠ってしまいました」
夕香は眠気を払うかのように顔をパチンと叩いて気合いを入れる。
「いえ、お気になさらず。それよりも大分お疲れのようですし、少しベッドで横になっては如何ですか?」
「そういう訳にはいきません。それに新見さんこそ会社を空けていてもよろしいんですか?」
夕香はそう言いながら鞄からタブレット端末を取り出して電源をつける。
「リモートワークで事足りますし、彼から話を聞けるのであればそれ以上に重要な事は他にないでしょう」
新見は三重に張られた防弾ガラスの向こうで眠ったまま治療を受けているヴィサスに目を向ける。
輝夜にやられた傷が深く、未だ目を覚ます気配はない。
「しかし、本当に来ますかね?」
新見はタブレット端末を眺める夕香にそう尋ねる。
彼もヴィサスの重要性は認識しているが、本当に他国が奪いに来るのかについては半信半疑であった。
「来ますよ。というかもう来てます」
夕香はそう言ってタブレット端末の画面を新見に見せる。画面には外の映像が映っており、そこには覆面で顔を覆い銃で武装した集団が見切れていた。
「ハンターではありませんね。軍人ですか? 良ければ私が片付けてきますが」
「いえ、自衛隊に任せていますから大丈夫です」
◇◆◇◆
『こちら、ヴァイパー02目標補足。いつでも射撃可能』
防衛省A棟地下三階に位置する中央指揮所オペレーションルームに自衛隊員からの無線が入る。
「了解。発砲待て、そのまま監視を続行」
現場からの無線にオペレーターが淡々とした口調で応える。
「流石は特戦群。人が相手なら頼りになるな」
無数に設置されているモニター。そのうちの一つには衛星により絶えず敵の位置を追い続ける映像が映し出されていた。
そしてそれを見ながら呟く初老の男性。防衛大臣の岡田誠である。
「耳が痛いですな。まぁ実際に高松市では自衛隊にも大きな損害が出ました。彼女の働きが無ければさらに多くの犠牲者が出ていた事でしょう」
「朱月輝夜か。まったく、小娘一人に世界中が振り回される事になるとはな」
「彼女にはそれだけの価値があるという事でしょう」
「ああ、そうだ。彼女の価値は計り知れん。そしてそれはアレも同じだ。ここで奪われる訳にはいかん」
「ええ、では作戦を開始します」
◇◆◇◆
『作戦開始、発砲許可』
オペレーターからの無線を聞いた隊員が、暗視スコープでこめかみに照準を合わせて、茂みから消音器を取り付けた銃口を少しだけ出す。
スコープに映るのは三人。衛星による情報では敵の人数は三十五名。五名づつで別れて、それぞれが散発的に施設に向かって進行中であることがわかっている。
呼吸を止めてゆっくりと絞るように引き金を引く。プシュッという空気が漏れるような音と共に銃口から放たれた弾丸は正確に相手のこめかみを撃ち抜く。
残りの四人が反応するよりも先に、別方向からの発砲により
「ヴァイパー02、標的を排除」
『了解、目標アルファ及びデルタは全滅を確認。目標ベータは損害甚大にて後退を開始。その他の目標は依然として前進中』
「半数の部隊がやられたってのに、まだ来るのか? 一体どういうつもりだ?」
無線を聞いた隊員は眉を顰めてそう呟く。
敵は作戦に当たる六部隊の内二部隊は全滅。一部隊は撤退を開始しており、半数しか残っていない。このまま散発的に動き続けたとしても、取り囲まれて四方から鉛弾を浴びる事になる。つまり事実上の全滅であるにも関わらず、部隊は撤退する様子を見せない。
「何か策があるのか、いや、完全に別の組織なのか……こちらヴァイパー02、団体旅行客の入国審査の許可を求む」
『……了解。ヴァイパー02、目標の身元を確認せよ。短時間であればライトの使用も許可する』
隊員らは茂みから出ると、ライトで死体を照らす。
「GPNVG-18って、簡単には手に入らねぇ代物だな」
「オンラインショップで買えるぞ。四万ドルするけど」
「ちょっとした高級車が買える値段だな。なんにせよ通りすがりのサバゲーマーじゃない事は確かだ」
隊員らはそう言いながら死体から覆面を剥がして顔を確認する。
「ヴァイパー02よりCICへ、目標の顔つきからして中南米、アジア人、白人の混成部隊の模様」
◇◆◇◆
『ヴァイパー02よりCICへ、目標の顔つきからして中南米、アジア人、白人の混成部隊の模様』
「という事は予想通り中国とロシアの混成部隊か」
隊員からの無線を聞いた岡田誠は眉間に皺を寄せる。
「はい、恐らく。北朝鮮あたりで二次訓練を受けた後に第三国経由で日本に入国したといった所でしょう」
「そうなると完全に別の組織が独自で動いているという線は無さそうだが……だとすると呆気なさすぎる。もっと苦戦すると思っていたんだが、連中め、一体何を企んでやがる?」
情報も地の利もこちらに分があった。ダンジョン登場以前の時代であれば確実に勝てる状況だが、今の時代はそれだけで勝てるほど甘くない。一個小隊程度なら一人で相手できる様な連中がゴロゴロ居る時代である。
「残る三部隊に戦力を集中させているのかもしれません」
それは敵も当然予想しているだろう。それでも構わず進むと言うことは残っている三部隊に強力なハンターが複数名居る可能性は高い。そう考えて居た矢先、オペレーターの緊迫した声が走る。
「ピクシー部隊との連絡途絶。続いてサラマンダー部隊より救援要請」
「やはり戦力を集中させて、他を囮に使って居たか! サラマンダー部隊は下がらせろ。後方の部隊を使いますがよろしいでしょうか?」
「無論だそのために作ったのだから」
◇◆◇◆
「どうやら、虎の子を使うみたいですよ」
夕香はタブレットの画面を新見に見せる。
「虎の子……噂は耳にしました。自衛隊内外から魔力の秀でた人間を集めた部隊。魔導科第一魔導群ですよね。私にも内密にお誘いが来ましたよ」
「私も誘われました。断りましたが、公に発表されていないですし、一応は機密事項なので他言はしないでください」
「ええ、分かっています」
新見はそう言って夕香の隣に座りタブレット端末を見る。
画面上では今まさに敵の左翼に無数の魔法が撃ち込まれていた。敵の進行を遮るかのように地面から生えた土壁が取り囲む。驚く暇もなく、そこに背後から放たれた光の槍が雨の様に降り注ぐ。突然の事で反応が遅れ、逃げ場がなく、降り注ぐ槍によって一気に半数が倒れる。
そして魔法による掃討が終われば、指揮官の指示により日本刀を抜いて雄叫びを上げながら一斉に襲いかかる。魔法により斬れ味と強度が底上げされた刀により、魔法の雨を逃れた者達を容易く斬り伏せていく。
「なんというか、野蛮すぎません?」
第一魔導群の戦いを見ていた新見は、顔を顰めてそう言う。集団で遠距離から攻撃して数を減らし、相手が怯んだ隙に斬り込んでいく。まるで弓や剣しか無い時代、侍を彷彿とさせる戦い方である。
「実際それが一番効きますから」
高松市で大きな損害を受けた自衛隊は、自衛隊内外から素質のある人間をかき集めて、対モンスター、対ハンターの為の部隊を設立した。
魔力に覚醒し、その魔力を全身に張り巡らせる事で常人離れした身体能力を手に入れる事のできるハンターの戦闘力。集団による緻密な作戦を可能とする軍隊の統率力。魔法による広範囲に及ぶ火力。その全てを兼ね備えた最強の部隊。それが第一魔導群である。
彼らの戦術は至ってシンプルである。集団で忍び寄り、四方から魔法を浴びせて近接戦闘で一気に制圧した後、速やかに撤退する一撃離脱。
これにより集団行動、個々の戦闘力、魔法による火力、その全てを活かす事ができる。
「まぁ確かに。やられた方はたまったもんじゃないでしょうね。こんな奇襲を対処できる人はそうはいませんよ」
新見は戦国時代の合戦では、敵陣の背後から奇襲を行った時点で勝ちだといった話を、以前何かの本で読んだ事を思い出す。
それ程、背後からの奇襲を対処するのは難しいのだ。
「しかし、よくもここまで統率が取れますね。この短期間でやろうと思っても中々出来ることじゃないでしょう」
「指揮官が優秀なんでしょうね。うちにもそういう人材が欲しいです」
夕香の脳裏に輝夜や氷室の顔が浮かび、日頃の苦労を思い出してため息混じりにそう呟く。
「もう居るでしょう?」
「居ませんよ。仮に氷室先輩が指揮官だとすれば全員に突撃させながら、真っ先に突っ込んで味方が来る前に全員倒します。輝夜さんは全員に撤退させながら自分は一人で突っ込んでいって、味方が慌てて戻ってくる間に全員倒すような人ですから」
夕香は何もわかっていないと言いたげな表情で淡々と説明する。
氷室も輝夜もハンターとしては右に出る者がいないほど優秀なハンターだが、両者ともやたらと単独で動きたがるきらいがあり、人を使うという事ができない。チェスの駒としては優秀な人材は多くても、いざという時に現場に出て組織をまとめる事のできる、チェスのプレイヤーになれる人材が居ないと夕香は思っていた。
「私が言ったのは二人の事ではないんですけど」
夕香がその役じゃないのかという事を言ったつもりの新見だったが、彼女にはまったく自覚がなく、夕香は何を言っているんだとでも言いたげな表情で首を傾げる。
「……しかし、連中は本気でヴィサスを奪いに来てるようには見えませんね」
新見が呟く様にそう言う。
どういう事かと夕香が新見の方を見ると、彼は少し考えてから口を開く。
「確かに第一魔導群は強いですが、それを差し引いても相手だって地の利はこちらにあることや、ハンターが投入される事はわかっていた筈です。ならばそれなりの対策をするの普通でしょう」
「……確かに少し呆気ないかもしれません」
「これは本命に見せかけた囮です。本命をどこかに潜ませている可能性が高いと、私は思います」
「とすると、そろそろ此処に」
来る頃でしょうか。夕香が言い終わる前に凄まじい魔力が空間を覆うと同時に、施設の壁を破壊して二人の中国人が入ってくる。
「表の連中と連絡が取れなくなったよ。やっぱり雑魚は雑魚ね」
一人は最もハンターになるのが難しいと言われる中国で、二年前に十六歳という最年少にしてハンターとなり、同世代では世界最強だとの呼び声が高い少女。李雲嵐。
垢抜けない高校生のような少女らしさを残す外見とは裏腹に、齢十八にして武器を持たずに魔力で強化した拳一つで上り詰めた、正真正銘の天才であるが故の、自分以外の全てを下に見るかのような横柄な態度。
「そう言うなよ。俺を送り届けるって役目は果たしたさ」
そしてもう一人は黒い長髪を後ろで纏め、鋭利な刃物のように鋭い眼光をもつ若い男のハンター。真紅のシャツと腰に下げた二本の中国刀。中国最強のハンター、劉飛龍である。
「これは、困りましたね」
予想以上の大物の登場に、夕香は額に冷や汗を浮かべる。
「さて……と」
劉飛龍は夕香達に目を向けると、そう言って中国刀を抜く。
「仕事を終わらせるとしよう」
劉飛龍がそう言ったのを聞いた夕香は、反射的に魔法で盾を張る。瞬間、彼の姿が消える。さらに次の瞬間には夕香の盾は砕け、夕香の脇腹に刃が突き刺さる。
「夕香さん!」
「あんたの相手は私」
膝から崩れ落ちる夕香を見て、助けようと手を伸ばす新見だったが、それを邪魔するかのように雲嵐が新見に襲いかかる。
雲嵐の放った蹴りが新見の横腹に突き刺さる。肋骨が折れる音が響き、新見はその激痛に顔を歪める。
「まぁ、その程度の魔力で私の相手が務まると思わないけど。日本のハンター弱いし」
横腹を抑えて片膝をつく新見を見下ろして嘲笑う雲嵐。
「中国語は分かりませんが、バカにされてる事はわかります」
魔力を全身に巡らせて身体能力強化し、痛みを無理やり押し込めて立ち上がる。
「いつまで寝てるつもりですか夕香さん」
「失礼。ここ最近、睡眠時間が削られてるものでして」
夕香は腹に刺さった刀を抜くと、傷口を凍らせて止血する。
「何? 二人とも魔法系? もう勝ち目なんてないのに何カッコつけてんの? ダッサ。才能のない人間が頑張ったって無駄なだけなのに」
雲嵐が肩を竦めてそう言う。
夕香も新見も魔法による遠距離戦を得意としている。室内では大規模な攻撃には制限がかかる上に、近接戦の距離での戦いを強いられている。加えてどちらも手負いで圧倒的に不利な状況である。
だが、夕香も新見もハンターとしての誇りがある。それ故に、ここまでコケにされて黙って引く事はできない。
二人は魔力を解放し、戦闘態勢を整える。
「はいはい。すごいすごい」
雲嵐は地面を強く蹴り、新見との距離を詰める。反射的に魔法で盾を張る新見。
雲嵐は盾の手前で身を翻し、一瞬で新見の背後に回り込むと、背中に手を置き力を込める。凄まじい衝撃が走り、肋骨の砕ける音が響く。
「はい。これで人生しゅーりょー」
新見にトドメを刺すために雲嵐が拳を振り上げた瞬間、光の刃を手にした夕香が雲嵐に斬りかかる。
見たことのない武器に驚き、雲嵐はその場から飛び退く。
「なにそれ。魔法?」
「ええ、私のオリジナル魔法、マジックブレードです」
夕香は光の刃を指先でペンでも回すかのように扱う。
魔法で作った武器であるため質量的な重さはなく、刃に指向性もないため当たれば斬れる。そしてこの魔法の一番の利点、それは。
「何言ってるかわかんないけど、魔法使いのくせに、近接戦で私に勝てると思ってるの?」
夕香はマジックブレードを逆手に持ち変えると、躊躇う事なく自分の腹に突き立てる。体を貫通し、背中から生えたブレードが雲嵐の頬を浅く切り裂く。
「っ!?」
驚きのあまり態勢を崩した雲嵐は、後ろへ飛び退いて距離を取る。
「今の当たりませんか」
雲嵐の方に体を向ける夕香。着ているスーツに穴が空いているものの、その体にはマジックブレードによる傷は一切ついていない。
マジックブレード最大の利点は、自身は傷つかないというところ。そのため、普通の武器では出来ない動きも可能となる。
「凡人がよくも私の顔に傷を」
「面白い魔法を使うな」
これまで興味なさげに動こうとはしなかった劉飛龍が、夕香の横から斬りかかる。
夕香は咄嗟に後ろに身を引いて躱す。
「雲嵐、遊びの時間は終わりだ」
劉飛龍が雲嵐に目を向けた一瞬の隙をついて、夕香は劉飛龍に斬りかかる。
夕香の攻撃を劉飛龍は中国刀で受け止めようとする。
その瞬間、夕香は内心で勝てると確信した。
自分の服に穴を開けたのはブラフ。マジックブレードは斬る対象を選択できる。
夕香のマジックブレードは劉飛龍の刀をすり抜け、彼の首筋を捉える。
しかし、刃はその首に触れる事はなかった。
劉飛龍が上半身を傾けて体勢を低くする事で回避したからである。さらに、夕香の攻撃を受け止めようとしていた刀を振り上げる。
左の横腹から左肩にかけて縦に斬られる。傷口からは蛇口にように血が流れ、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「あっ……ぐぅ……」
夕香は飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止め、傷口を氷で覆い止血を試みる。
「美人だが仕方ない」
それを見た劉飛龍は夕香にトドメを刺そうとゆっくりと刀を振り上げる。
「なるほど、外の世界も様々な思惑の中で動いているという事か」
その瞬間、全てを押しつぶすかのような魔力が周囲を包む。
「お?」
「何この魔力……」
劉飛龍は少し驚いた表情を浮かべ、雲嵐は背筋に悪寒を感じ、その場から飛び退く。
「これは……まさか……っ!」
新見はヴィサスが寝ていたベッドに視線を向ける。
強化ガラスの向こう側で佇み、こちら側を見ているヴィサスの姿があった。
「まずはこの檻? から出るとしよう」
ヴィサスは強化ガラスに手を当てると、グッと力を込める。小さなヒビが入り、そこからみるみるうちにヒビが広がっていき、やがて強化ガラスは音を立てて崩れる。
「見た目とは裏腹に、中々頑丈な檻だな」
そう言って床に散らばった強化ガラスの破片をジッと見つめるヴィサス。ただそこに居るだけであるにもかかわらず、全員がヴィサスから目を離せないでいた。
「それよりも朱月輝夜はいないのか? ならば、貴様らの中で一番強いのは……お前だな?」
ヴィサスは劉飛龍に目を向けると、笑みを浮かべる。そして次の瞬間、他には見向きもせずに劉飛龍に襲いかかる。
「おっと」
他の三人はヴィサスの動きに反応出来ず、雲嵐が辛うじて目で追えていた中、劉飛龍は当然のように中国刀でヴィサスの拳を受け止める。
「では外の戦士よ。存分に死合おうではないか」
「雲嵐、こいつは俺が捕える。お前はそっちの二人だ」
ヴィサスと劉飛龍は戦いながら施設の壁を破って外に出ると、そのまま森の方へと離れていく。
「はいはい。任せた……さてと」
雲嵐が夕香達にトドメを刺そうとした瞬間、施設の天井を破壊して一人の少女が落下する。
月に照らされて輝く銀髪。妖しく輝く黄金の双眸。
「輝夜……さん……」
◇◆◇◆
遡る事、一時間前。
『珍しいわね。アンタがスマホに齧り付くなんて』
輝夜がスマホを横にして動画を観ていると、ナディが彼女の肩に止まって画面を覗き込む。
彼女が見ていたのはダンジョン配信。ダンジョンに潜りたいという欲を少しでも紛らわせようと思っていたのだが、観ていると余計にダンジョンに潜りたくなってくる。
「別に夢中になってる訳じゃないよ。他にする事がないだけ」
輝夜はそう言うとスマホを置いてベッドから起き上がる。
「でも暇つぶしの必要はもうないみたい」
ソファの背もたれにかけてあったベルトから銃とナイフを抜くと、腕をだらんと下げたまま病室のドアをじっと見つめる。
病室のドアの外から何かが倒れる音が二回聞こえてくる。それから程なくしてドアがゆっくりと開く。
病室の中に覆面で顔を隠した二メートル程の大男が二人入ってくる。
ドアの外には病室を護衛していたであろうスーツの男が二名倒れているのが見える。血は出ていないため気絶しているだけだろう。
「цель найдена(目標を発見)」
「もはや何語かもよくわからなくて怖い」
男達の言語がどこの国のものなのかすらもわからず、お手上げだとばかりに肩を竦める。
「Я постараюсь связаться с вами больше(これより接触を試みる)」
大男はライフルから手を離して両手を上げながらゆっくりと輝夜に近づく。
「こんにちわ。私はロシアでプロハンターをしている者です。あなたと話がしたいです」
つなたいながらも、日本語で輝夜に話しかける。
少なくとも言葉が通じるという事にホッとした輝夜は、ゆっくりと頷いて本題に入るように促す。
「貴女には是非とも我が国に来てほしいのです」
「行かないのです」
「そう言わず、一度考えてください。日本よりも良い待遇を用意します。契約金も倍の額をお支払いします」
都内の一等地に建つ高層マンションの最上階にタダで住み、政府関係者という社会的立場、金もすでに一人では使いきれない程ある。今より良い待遇と言われても、現状に満足している輝夜には何の魅力もない提案であった。
「行かないよ。だって僕、ロシア語喋れないもん」
むしろ言葉が通じないというデメリットの方が際立つ。
「通訳の一人や二人、もちろん用意します。言語など障壁になりません」
「外国怖いから行きたくない」
「……治安の事を言ってるんですか? 確かに日本よりも治安が悪いかもしれませんが、国が全力をあげてお守りします。それに貴女ほどの力があればチンピラ程度は相手にならないでしょう?」
男は頑なに拒む輝夜をなんとか説得しようと試みる。
「そうじゃないよ。周りが知らない言葉ばかり喋ってるのが怖いからいやだ」
通訳があろうと関係ない。日本生まれ日本育ち、英語は常に赤点スレスレであった輝夜にとって、知らない人間が知らない言葉で話しかけてくる。それ自体が恐怖の対象なのである。
「なるほど、仕方ないです」
まるで子供の駄々のような輝夜の言葉に、無理矢理連れて行くしかないと察した男らはため息をつく。
「最初からそう来れば良いのに」
輝夜は男達が戦闘態勢を整えるよりも先に動く。側にあった花瓶を掴み、ブーストで身体強化をして、瞬きすらも許さない程の速度で右の男との距離を詰めると、突進の勢いそのまま押し倒す。
顔を殴って気絶させると、花瓶をもう一人に向かって投げつける。男が怯んだ隙をついて足を払い、尻餅をついた所に膝蹴りを喰らわせる。
「夕香さん達は聞きたい事があるだろうから、しばらく眠っててもらうよ。ナディ、アイテムボックスにロープってあったよね?」
『あると思うわよ』
後ろを振り向いてアイテムボックスに手を突っ込んでロープを探していると、輝夜の頭上に影が落ちる。
反射的に飛び退いた瞬間、大男の拳によって病室の床が崩れ落ちる。
「わわっ」
輝夜の入院しているのは普通の病院であるため、当然ながら下の階には病人や怪我人が入院している。そして彼らは自力で崩れ落ちる天井から逃れることができない。
「ブースト」
輝夜はブーストで身体能力を強化すると、崩れ落ちる瓦礫を掴んで大男に向かって投げ、足で蹴り上げ、肘で弾く。
輝夜はその場で体を翻して着地すると同時に床を蹴って大男の開けた穴から上の階へ跳んで戻る。
「んー、病院服って動きやすいけど、この格好であまり戦いたくないかも」
自分の着ている病衣に視線を下ろす。誰が見ても入院患者だとわかる服装に加えて靴すらも履いていない。それに検査しやすいように脱ぎやすい構造であるため、この格好のまま飛んだり跳ねたりすれば立ち所に脱げてしまうだろう。
「嫁入り前の体なんだし、全裸で大立ち回りってのは流石にねぇ」
輝夜は自分の顔の温度が上がっていくのを感じながら、病衣の裾を掴んで引っ張るようにして抑える。
『あら?』
「ん?」
輝夜の何気なく放った言葉にナディとアリアの二人が目を大きく見開いて反応する。そして輝夜自身も自分の言った言葉に驚く。
「……今、僕なんて言った?」
嫁入り前の体なんだし……と、自分が女性だと認識しているかの様な発言が、冗談としてではなく本心から自然と出たものであったという事、肌を見せるのを恥じらうかの様な仕草を自然としていた事にショックを受け、膝から崩れ落ちる。
『私は良いと思うわよ。可愛らしくて』
「ふむ、性癖が歪むというのはこういう感覚か。悪くない。新たな自分に出会えたかの様だ」
「慰めるならちゃんと慰めてくれない? いや、やっぱいい。慰められたら、しばらく立ち直れそうにない」
なんの脈絡もなく落ち込む輝夜を前に大男らは戸惑いを見せる。
無防備となっている今は絶好のチャンスだと思い、一瞬の目配せだけでタイミングを合わせて左右から彼女を捉えようと掴みかかる。
「今は君らに構ってる暇はないんだ」
輝夜は男らの方に視線を向ける事なく両手を広げて彼らの頭を掴むと、彼らの頭同士を勢いよくぶつける。
ゴシャっという何か潰れるような音と共に、その場に力なく倒れる大男達。
「自分でも気づかないうちに染まってたとは、ちょっと気をつけなきゃ」
気絶した男達から武器になりそうなものを全て取り上げて、ワイヤーで縛って部屋の隅に転がす。
その後、病室の前で気絶した警護員を起こして、状況を説明して後始末をお願いする。
「わかりました。とりあえず部屋を変えましょう」
警備員はワイヤーで縛られた男達を別室に運び、彼らの脈を測る。
「既に死んでますね」
警備員はそう言って首を横に振る。
「え? トドメは刺してないはずだよ」
「どうやら毒を仕込んでいたようです」
歯にでも仕込んでいたのだろう。気絶させられる前に毒を飲んでいたらしく男達は二人ともすでに絶命していた。
「任務に失敗したら毒を飲んで自殺。漫画やゲームの中だけだと思ってたけど、まさか本当に実行するとは、命は大事にしようよ……とりあえず頼りになるお姉様に連絡しますか」
一先ず夕香に連絡して状況を知らせようと電話をかける。しかし、いつもは三コール以内に電話に出るはずの夕香が、いつまで経っても電話に出ない。
「やっぱり忙しいのかな?」
また後で連絡しようと思い、スマホをポケットにしまおうとした時、夕香からメッセージが連続して送られてくる。
メッセージの内容は、地図アプリの位置情報とSOSという単語。
「アリア!」
そのメッセージを見るや否や、輝夜は切羽詰まった表情でアリアを呼ぶ。
「……なんだ? 呼んだか?」
眠たそうなアリアがあくびをしながら現れる。
「アリアの服、貸して」
「構わんが、多少汚すくらいはいいが破るなよ。お気に入りなんだ」
アリアは自身のアイテムボックスから白いブラウスにデニムのショートパンツ、そして黒のストッキングと茶色のブーツを取り出すと、輝夜に押し付けるようにして渡す。
「ありがとう!」
輝夜は短く礼を言うと、その場で服を脱ぎ始める。驚いた警護員が慌てて部屋を出るのも気にする事なく、早々に着替えを終えた輝夜は、ナディを連れて病室の窓を開けて窓枠に足をかける。
「ブーストスクエア」
指輪にアリアを戻し、ブーストで身体能力を強化して窓枠が歪む程の力で窓枠を蹴って外へ跳ぶ。
スマホで送られてきた位置情報を確認しながら、人目につくのも気にせず、ビルの屋上から屋上へと飛び移り、目的地まで一直線に向かった輝夜は、上空からナディに探させる。
「ナディ、夕香さん探して」
『ほぼ真下』
ナディの言葉を聞いた輝夜は重力に引っ張られるがままに身を任せ、真下にある施設に向かって突っ込む。




