スタンピード(5)
「良いスキルを持ってるようだね。自己加速系のスキルかな?」
茸上は自身を中心にドーム状の障壁を張ってそう言う。
「でも、いくら速かろうと、全方向を防御すれば関係ない」
茸上は芹矢のスキルを速さに特化した加速系のスキルだと読んだ。
人間が出せる限界を超越した速度での移動が可能になるスキル。
それだけの加速なら、少なからず身体にも負担がかかるに違いないと茸上は考える。
「僕の見立てでは君がスキルを使えるのは、後二、三回ってところだろう」
茸上は声に力を込めて言った。
しかし、芹矢からの反応はない。
「どうやら図星みたいだね」
それを図星を付かれて言い返せないのだと捉えた茸上は、唇の端でニイっと嗤う。
「さっきから、何の話をしてんだ?」
芹矢の姿が消え、茸上の背後に現れる。
「……は?」
障壁の内側に突然現れた芹矢に動揺する茸上。
彼が何が起こったのか理解する間もなく、芹矢の膝蹴りが茸上の脇腹に突き刺さる。肋骨がボキボキと音を立てて折れる。
苦痛に顔を歪めて膝を折る茸上。そこに芹矢の蹴りが入り、折れた肋骨が内臓を傷付ける。
「ゴホッ……!」
茸上は脇腹を抑え、血反吐を吐いてうずくまる。手から遺物がこぼれ落ち、彼を中心に展開していた障壁が消える。
「こいつは貰っとく」
芹矢はしゃがんで遺物を拾い上げると、それを上着のポケットに押し込みながら、茸上の後ろ髪を掴んで勢いよく地面に叩きつける。
鼻から勢いよく血を吹き出しながら、茸上は憎悪のこもった目で芹矢を睨み付ける。
「おいおい、そんな顔で睨むなよ」
芹矢はニヤリと笑みを浮かべて茸上の髪を掴んだままグッと持ち上げる。
「虐めたくなっちまうだろ」
芹矢は平手で茸上の横っ面を叩く。暴力を楽しむかのように拳ではなく平手で何度も叩き続ける。
◇◆◇◆
「エミさんを助けるのが本来の目的なんだけど、少しくらいは寄り道してもいいよね」
誰でも魔法が扱えるようになる遺物。そして本気で殴り合えそうな相手。日に二つも輝夜の欲しいものが出てきたとあれば、それに飛び付いてしまうのは仕方がないというもの。
輝夜はエミに少し悪いと思いながらも、自分の欲を抑えることが出来ず、フョードルと対峙しながら軽くストレッチをする。
「カグヤ・アカツキ。お前の首には莫大な賞金が懸かっている。裏社会の人間が絶えず、お前の首を狙っている」
フョードルは親切に英語で輝夜にそう話す。それも聞き取りやすいようにゆっくりと。
しかし、英語の単語がわからない輝夜に、いくら丁寧に話したところで内容が理解できる筈もなく、輝夜は困ったように眉尻を下げて首を傾げる。
「……日本人は外国語がダメと聞いてはいたが、本当にダメのようだな」
英語も分からないなら、わざわざ英語で話す必要もないと感じたフョードルは、首を横に振りながらロシア語で呟くように言う。
「何言ってっか分かんないから、拳で語り合おうか!」
輝夜はブーストで身体能力を強化し、フョードルに殴りかかる。
軽くジャブで距離を計りつつ、ステップでサイドに体を揺らす。輝夜の動きを目で追いながらも、一切の防御をせずに真正面からジャブを受ける。
この程度では牽制にすらならないかと思った輝夜は、突き出した拳で相手の視界を覆い、その隙に体を捻って真横に回り込む。フョードルの脇腹に強く握った拳を叩きつける。
しかし、フョードルからすればいきなり輝夜の姿が消えたようなものだが、ハンターもしくは野生の勘か、超人的な反応速度で輝夜の拳を掴んで受け止める。
「噂程の実力ではないな。この程度で持て囃されるとは、最近のハンターは生ぬるいな!」
フョードルは大きく腕を振るって輝夜を投げ飛ばすと、息を吸い込んで雄叫びを上げる。筋肉が膨れ上がり、全身を灰色の毛が覆っていき、獣のような姿へと変貌する。
「それ、獣化のスキルってやつだろ」
スキルシードの中には使用者の姿を変える類いのものも存在する。その最たる例が獣化と呼ばれるものである。鳥のような羽が生えたり、虎のような鋭い爪や牙が生えたりと、動物の特徴を色濃く反映しているものが多く、身体能力を強化できるスキルの中でも最上位に位置するスキルである。
フョードルの変身した姿は、さしずめ狼といったところだろう。
フョードルが再び雄叫びを上げる。咆哮で獲物を威嚇し、竦み上がる弱者の肉を切り裂かんとするがごとく、輝夜に襲いかかる。
鋭利な爪の生えた腕を振り回し、部屋の中を破壊が荒れ狂い、硬い岩盤が引き裂かれ、地面が砕かれる。
「これが本物の強さだ!」
フョードルの姿が消えた。
次の瞬間、フョードルは輝夜の背後に現れて、右腕を振るった。
「ブーストスクエア」
輝夜は後ろを向いたまま、肘でフョードルの掌を受け止める。
鈍い音が響き、二人を中心に大気が震える。
「よく防いだ! だが、その判断が誤りだ!」
フョードルが力任せに押し込もうとするが、輝夜は微動だにしない。
「ブーストより強化倍率は高いけど、スクエアは越えられないか」
「……っ!?」
素の体格ではフョードルのほうが有利。その上、獣化のスキルまで使っているにも関わらず力で負けている。
獣化を越える身体強化が出来るスキルはない筈だと、フョードルは理解が及ばず困惑する。
「スクエアは超えられないか」
輝夜はゆっくりとフョードルに視線を向ける。
えもいわれぬ恐怖を感じたフョードルは、反射的に後方へと飛び退く。
「……バカな、この俺が視線を向けられただけで、後ろに下がっただと!? ふざけるな、そんなわけあるか!」
たかが小娘に視線を向けられただけで恐怖し、後ろへ退かされた事で、元プロハンターとして、強者としてのプライドに傷を付けられたフョードルは、目の前の現実を必死に否定する。
「獣化のスキルで力負けするなど、俺が恐怖することなど、あり得るものか!」
フョードルは咆哮と共に駆ける。
そして、振り下ろされた鋭い爪が輝夜を襲う。
しかし、それは輝夜の頭を割る直前で逸れた。
骨の折れる鈍い音が響く。
フョードルの右腕は、輝夜の拳によって粉砕され、あらぬ方向に曲がっていた。
フョードルは痛みに顔を歪めながらも、左手で輝夜の喉を引き裂かんとする。
「はいお疲れ」
しかし、その左腕は輝夜に掴まれる。
振りほどこうと力を込めるも、微動だにしない。
焦るフョードルに輝夜の拳が襲い掛かる。
「ぐはっ……ガッ……」
目で追うことすら敵わない打撃が浴びせられる。腕を掴まれたフョードルは反撃はおろか、逃げることもできずにその身を血で汚していく。
力勝負で負け、腕は折られ、牙も折られ、逃げることも、抵抗することも出来ずに一方的に殴られる状況。
「や……やめてくれ……もう……やめてくれ……」
フョードルの心はあっさりと折れ、うわ言のように許しを乞う。
しかし、輝夜は殴るのをやめない。ロシア語で許しを乞うたところで、輝夜に言葉の意味は通じない。
何か言ってるけど、何て言ってるか分からないから気絶するまで殴っておこう……輝夜はそう考えていた。
輝夜も芹矢も無抵抗な相手を一方的に殴り続ける。その光景を見た夕香達はドン引きする。
「あれは、確かに日の当たる世界じゃ息苦しいでしょうね」
芹矢程の力がありながら、なぜ彼が裏社会で活動していたのか。なぜハンターとして名声を得ようとはしなかったのかを理解した夕香は呟くようにそう言う。
芹矢は暴力が好きなのだ。ハンターはダンジョンといった限られた状況下でしか力を振るう事ができないが、彼はただ気の向くまま、無秩序に力を振るいたいのだ。
「銀の弾丸は容赦がないな」
周防は後退りしながら、思わず声に出す。
暴力を楽しむ芹矢と違い、輝夜は戦いを楽しんでいる。だからこそ相手が完全に倒れるまで力を振るう事をやめない。
殴られているのが犯罪者とはいえ、流石にこの状況を黙って見過ごす事は出来ないと思った三人は、新見と周防が芹矢を、夕香が輝夜を止めに入る。
「時間が惜しいですから、それくらいにしてください」
「仕方ねぇな」
芹矢はそう言うと顔中血まみれで気を失っている茸上から手を離して立ち上がる。
「輝夜さん。もう勝負は付いています」
「そうなの?」
獣化で肉体が強化された分、打たれ強くなっており、フョードルはグロッキーになりながらも意識を失うことが出来ず、ただ無抵抗に殴られ続けること七十八発。
夕香が止めに入ったことで、ようやく解放されるという安心感から、フョードルはようやく意識を手放す事ができる。
「結構タフだったな」
最初の十数発で勝負は着いていた事など知らず、気絶したフョードルから捨てるように手を離した輝夜は芹矢の方に視線を向ける。
「ほらよ」
芹矢は上着のポケットから遺物を取り出して輝夜に投げる。
満面の笑みでそれを受け取った輝夜は、さっそく試したくなりウズウズとする。
「落ち着いてください輝夜さん。本来の目的は戸塚エミの救出です」
「あ、そうだった」
「だが、ここに居なければ何処に居るんだ?」
「ダンジョンだろ。ここ以外に人は居ないのであれば、残りはそこしかない」
ダンジョンと聞くや否や、輝夜は来た道を戻りダンジョンゲートのある方へと走っていく。




