1-A.2
桜子の家は、学園とはだいぶ離れていました。県外から通う生徒もいるので一概には言えませんが、生徒の中では通学に最も時間が掛かる部類に属するでしょう。必然、朝も早くなりますし、折角寮のある高校なのですからそちらに入ることも考えてしまいますが、桜子が住まなくなったら朝倉宅はいよいよ空き家になってしまいます。
それはともかくとして、家に帰りつくころにはすっかり日も暮れ、約束した待ち合わせの時刻が迫っていました。上級生、それも生徒会長及び副会長との約束です。一分でも遅れてはいけない、むしろ時間前であろうと一分も待たせてはいけない、と早足で自室に駆け上がり、ハードを起動しました。起動にかかるほんのわずかな時間で制服を雑に脱ぎ捨て、ヘッドギアを装着します。そして、そのままベッドに寝転がりました。
次の瞬間、桜子は霧の立ち込めるサイバーパンクな街の広場に立っていました。身長は十センチ以上伸び百七十センチ程度に、少し茶色がかったショートヘアは、今は闇を塗りこめたような長い黒髪に、そして愛嬌のある少女らしい顔立ちは、美しくも鋭く引き締まった歴戦の女兵士のそれになっていました。そう、彼女こそがあの、デザートエリアでソロ狩りをしていた戦車乗りAKOだったのです!驚きですね。
服装は以前と同じく暗褐色の迷彩服の上からゴツいベストというもの。昨夜のヘルメットとフェイスマスクはつけておらず、バックパックも背負っていません。細い背中に、一つにまとめた長髪が流れています。路上に突然出現したアコは、周囲を見回すように首を振り、安堵の溜息をつきました。
広場には、彼女と似たような格好をした強そうなマッチョや非マッチョが何人もたむろしていました。アコが突然魔法のように現れたというのに、彼らに驚いた様子は特にありません。それもそのはず、ここはゲーム「パンツァーブリッツ・オンライン」のフロントロビー。腕に自信のあるプレイヤーの多くがホームタウンとして設定している霧の街フォグバーグの大広場です。街全体にかかる霧の向こうで黄色い無機質な光が灯り、周囲を照らしています。
待ち合わせ場所はこの大広場です。頭上の時計台の針は、待ち合わせの五分ほど前を指しています。そして、今ここに聞いた情報に一致するアバターがいない以上、アコは間に合ったと考えてよいでしょう。なにせ、話によると二人のアバターはかなり特徴的のようです。
すっかり油断して噴水の縁に腰かけようとしたアコの、目の前の空間が人型に発光し、瞬きの後、筋骨隆々の女性アバターが出現しました。肩にかかる銀髪、浅黒い肌、そしてアコのアバターよりさらに頭一つも二つも高い背丈。
間違いはないように思われましたが、一応プロフィールを確認してから話しかけました。
「……副会長、いやウドミさん……ですね?」
するとそのマッチョ女性は、同様にアコのプロフィールを確認したようで、その厳つい顔面に花の咲いたような笑みを浮かべ、小鳥のさえずりのような声で答えました。
「あらアコさん!ご機嫌よう、お待たせしてしまったかしら?」
「いえ、今来たところ……です……」
話には聞いていましたが、アコは御堂副会長改めウドミの体躯に圧倒されていました。ゲーム内で巨大な戦車やモンスターと対峙することは多々ありますが、それらに遜色ない存在感です。アコのアバターも筋肉質ですが、こちらが無駄をそぎ落とし研ぎ澄まされた筋肉とすれば、ウドミは搭載可能重量ギリギリまで武装を積み込んだ重戦車。アコが着ればきっとブカブカになるでしょう戦闘服は、その大胸筋に今にもはちきれそうでした。体の厚みの違いを見て、アコは生物として勝てないことを悟りました。
身体がゴツいためか、心なしかウドミというプレイヤーネームまでゴツく聞こえます。そんなアバターの彼女が御堂椿姫の可愛らしい声で喋るので、アコはかなり当惑しました。
アバターの生成時にランダムで割り振られていると噂される隠しパラメーターであるSIZの、ほとんど最大値を引いていると思われます。アコは、絶句気味にそんなウドミこと御堂副会長のアバターとしばし向き合っていました。
そこに、背後から声がかけられました。
「ご機嫌よう、二人とも。私が最後でしたのね」
アコは咄嗟に振り向きましたが、そこには誰もいません。
「下ですわよ、下」
少し笑いを堪えているような声が、確かに下から聞こえてきて、アコは言われた通り視線を下げました。そこには、およそ世界観に似つかない可憐な金髪美幼女が、そのグレーの瞳でアコを見上げていたのでした。
ウドミが、現れた幼女にアコの肩越しにあいさつします。
「ご機嫌よう、LiASch様」
「ええ、ご機嫌よう」
リアシュと呼ばれたこの美幼女の正体は、生徒会長リーゼロッテ。ウドミのアバターのSIZが最大値とすれば、彼女のそれは恐らく最小値にほど近いと思われ、そんな二人が会話している様子は、母娘を通り越して巨人と小人のようでした。
それにしても、リアシュ、LiASch……?どこかで聞いた、あるいは見たようなプレイヤーネームでしたが、アコはどうしても思い出せません。気のせいのような気もしてきました。
「可愛いアバターですね」
「申し上げた通りでしょう?」
デジャブを頭から追い出して口を開いたアコに、ウドミがにこやかに同調します。
「やめてくださいまし、二人とも……」
照れているようで、その服装を見ればリーゼロッテ会長改めリアシュがこのアバターを満喫しているのは一目瞭然でした。言うまでもなく、ミリタリーというジャンルのゲームであるPBOにおいて普段着やおしゃれ着は戦闘服と比べると圧倒的に種類が少なく、運営の趣味要素としか思えない程度にしか存在ません。リアシュの纏うフリフリの白いドレスは、数少ないその一着でしょう。
当然、戦闘に向いた格好ではありません。
「まあ、楽しんでいないと言えば嘘になりますわ。昔から周りよりも背が高く、こういった格好をする機会はあまりありませんでしたもの……きっと、ウドミはいつもこんな景色を見ていますのね」
「そこまで小さくはありませんわよ」
キャッキャウフフと笑い合うマッチョ女と金髪美幼女プラス全身黒づくめ女は、大広場の注目を集めつつありました。