1-B.1
5月25日13時ちょうど。第十九回ブロウル・チャレンジ・シリーズは静かに始まりました。
万が一に備え、五分前からカヴェナンターに乗り込んでいたCRSTの三人の身体を一瞬の浮遊感が包み込み、しかし一瞬後には三人は湿っぽい空気を肌で感じていました。車内にわずかに差し込んでいた蛍光灯の明かりも無くなっています。すでに、フィールド上です。
十数秒間、緊迫した沈黙が続きます。息をひそめるように、戦車の周囲を窺う時間です。まずは、音に耳を傾けます。
「……雨、ですわね」
リアシュがそう言って、他の二人も首肯しました。カヴェナンターに響くのは、機関銃で豆でも撃たれているのかというような軽快な音。激しい雨粒が、鉄板を叩く音でした。
「問題なさそうです。外に出てみましょう、アコ」
「了解です」
「お気をつけて」
アコがハッチを開くと、車内に薄暗い自然光と雨風が流れ込みます。リアシュがヘルメットを被った頭をそっと出し、車内を振り返って頷くのを見てアコも続きました。
過去には、火災現場にスポーンさせて車外に出ていたプレイヤーを全員焼死させるという最悪の初見殺しをやってのけたBCSのこと。用心してし過ぎるということはありませんが、それでもフィールドの地形を把握しないことには何も始まりません。
はたして、周囲に広がっていたのは見上げるような大木の森でした。その幹や葉に横殴りの雨が叩きつけ、まさに音の嵐といった状況です。そんな景色の中に、森林迷彩の施されたカヴェナンターはなかなか溶け込んでいました。
「アコ、これを」
「あ、ありがとうございます」
リアシュが差し出したフード付きの迷彩ポンチョは、迷彩というよりも雨合羽として使えということでしょう。リアシュとお揃いになったアコは、内心で大変喜びつつも外面にはおくび程度にしか出さず、地面に下りて状況確認を始めます。
「うわっ、グチャグチャです。視界も最悪ですし……今回のBCSはずっと雨が降ってるんでしょうか」
「そう、かもしれませんわね」
ハッチから頭を出した格好のまま、数十メートル先も見えない雨の森を見回して険しい顔をしていたリアシュは、「ともかく、」と呟いて操縦席のウドミに指示しました。
「ウドミ、エンジンを点けて構いませんわ」
「かしこまりました」
カヴェナンターの身震いが空気を揺らし、「ギュウィイーーーーーーン、ボンッボッボッボッボボボボボ」という盛大な爆音が響き渡るも、すぐに降りしきる雨音にかき消されました。
「今回のフィールドは森林と平野、とのことですわ。恐らくここが森林。都合の良い場所に下ろされたと思って良いでしょう」
「では、しばらくここにいますか?」
「いえ、それはできませんわ。これはタグ・ゲームです。タグ・ゲームに現れる『鬼』は毎回、一定のプログラムに従って自動で行動しますわ。これをいち早く読み解くのが勝利の鍵となります。そして、過去の『鬼』のプログラムの中には停滞しているチームの元に向かうというものもありました。移動はすぐにでも開始するべきでしょう」
問題は方向です、と述べたリアシュは、地面から見上げるアコと、操縦席ハッチから顔を出したウドミに向かって、上を指し示しました。
「アレをご覧ください」
「アレって……木のことですか?」
「ええ。幹の上の方まで泥がついていますわ」
確かに、薄暗いのでわかりにくいですが、その幹はハッチから顔を出しているリアシュの頭よりも随分高い位置まで泥で覆われていました。アコは、こういう現象に心当たりがありました。
「……水没する、ってことですか」
「ええ、私はそう考えていますわ。海か、川かはわかりませんが、終盤には少なくともこの一帯は水没し、フィールドが狭まるのでしょう」
二人の推理にウドミが目を丸くして感嘆していますが、BCSに慣れ親しんだ者ならば当たり前の発想でした。フィールドが徐々に狭まっていき、最終的には限られた空間で少数での決闘となるのはBCSにありがちな展開。BCS熟練者は、炎に巻かれたり、徐々に閉まっていく隔壁をくぐりぬけたりしながら、時には崩れ落ちる空中都市で、熾烈なバトルを繰り広げてきたのです。それが今回は水だということでしょう。むしろ分かりやすい部類と言えました。
「本当は13時10分のマップ公開まで待ちたいところですが……」
リアシュは、胸元まで持ち上げた支給品の板状情報端末に視線を落としますが、残念ながら画面には『Now Loading』の文字が表示されているだけ。何をロードしているのか知りませんが、向こう七分はこのままでしょう。
ちなみに、マップ公開が開始十分後なのは毎回恒例。他にも恒例な仕様としては、開始一時間後にチームの一覧が、そのさらに一時間後からは生存チームの位置情報が公開される、などがあります。これらはBCSが長引きすぎないための対応でしょう。
「どうせなら、なるべく高所に移動しておきましょう」
「水は低きに流れる、ですわね」
ウドミの格言の引用は本来の意味を成していませんでしたが、実際にその通り、今回のBCSで最後まで残るのは高所だと考えられます。いわゆるメタ読みではありますが、正しい思考です。幸いにして足元にはちょっとした丘程度とは思われない勾配がありました。
唯一車外の地面に立っているアコが、カヴェナンターに対して八時くらいの方角を指しながら言いました。
「あっちが高そうです」
三人は視線を交わし、全員戦車に乗りこむと、緩い地面を履帯でがっちり掴みながら前進を開始しました。




