1-A.1
朝倉桜子は、さる私立のお嬢様学園にて、割かし普通の一般的なスクールライフを送る高校一年生です。中学生時分には狭き門である特待枠を掴み取る程度の勉学の才能を発揮した彼女ですが、高校に入ってからはすっかりゲーム三昧の堕落した生活を送っています。今から三年後が危ぶまれるようです。
「ご機嫌よう、桜子さん」
「ごきげんよう」
桜子の席に集まってきたいつもの数人の級友と、ようやく慣れてきた挨拶を交わします。
九割九分の同級生が中等部、あるいはなんなら初等部からの持ち上がりという環境に身を置いても、桜子は異分子の誹りを受けることも無く、二か月ですっかり溶け込みました。金銭感覚の違いにギョッとさせられることは多々あるものの、比較的庶民派なグループに混じって以来変に気を使うこともありません。なまじ地頭が良いため学業で苦労することも無く、今のところその高校生活は順風満帆と言えました。
「朝倉さんはいらっしゃるかしら?朝倉桜子さん」
この瞬間までは。
歴史を感じさせる木製のドアを勢い良く押し開いて、教室に目を見張るほどの美少女が入ってきました。色違いの赤スカーフが、二年生であることを示しています。彼女の名前はリーゼロッテ・安芸・シュタウフェンベルク。ドイツ人実業家の父と日本人の母を持つ、かの巨大財閥の一人娘です。日本人離れした長身とスタイル、光を束にして編んだかのようなブロンドの長髪、神から贔屓されたとしか思えぬ整った顔立ち。学問、スポーツ共に秀で、文武両道才色兼備とはまさに彼女のためにある言葉。中学三年間をドイツで過ごした経歴を持つ帰国子女でもあります。高校一年生の前期から三期連続で生徒会長を勤め上げている、この学園で知らぬ者はいないだろうお人です。入学早々にあった生徒会長選挙での、そのカリスマ溢れる演説は未だに記憶に新しいです。
その後ろに付き従うように入ってきたのは、どこか小動物のような愛嬌に溢れる小柄で可憐な少女でした。赤スカーフが示す学年はリーゼロッテ会長と同じく二年生。可憐でありながら、その抜け目のない眼差しが彼女がただものでないことを物語っています。彼女の名前は御堂椿姫。生徒会長であるリーゼロッテの片腕、副会長を務める秀才です。天才たる会長を支える彼女もまた非凡の人。古くからの名家である御堂家に生まれ、幼いころより勉学において類を見ない功績を築き上げてきた才女なのです。好物はうどん。そんな二人の馴れ初めは初等部時代まで遡り……」
「桜子さん!?誰に向かって喋っていますの!?」
「しっかりなさって、桜子さん!口調が変ですわ!?」
桜子を心配するクラスメイトの声を耳ざとく聞きつけた生徒会の二人が、ナレーション気取りでブツブツとつぶやいている遠い目をした桜子に目を留めました。
そして、教室の後ろの方にたむろしていたグループに、つかつかと歩み寄ってきます。人波は自然に割れ、ついには周りの友人たちもサッと身を引いてしまいました。
それを恨めしく思う暇もなく、桜子は長身の生徒会長に見下ろされていました。視線を外そうと見た先では、にこやかに微笑む副会長と目が合いました。
「あなたが朝倉桜子さんかしら?」
「は、はぃ!」
桜子は立ち上がるのも忘れ、返事をしていました。
「お初にお目にかかりますわ、朝倉桜子さん。私はリーゼロッテ・安芸・シュタウフェンベルク。この学校の生徒会長ですわ」
「副会長の御堂椿姫です。よろしくお願いいたしますわ」
「こ、こちらこそよろしくお願いいたします……?」
状況はまるで飲み込めませんが、どうやらこの二人の先輩はやはり、桜子を訪ねて一年生の教室までやってきたようです。
「あなたに用事があるのですけれど……時間もありませんし、お話は後ほどゆっくりと」
リーゼロッテ会長が、桜子の目を真っすぐに見つめながら告げます。何とか盗み見た掛け時計によれば、時刻は8時18分。早いところご自身の教室に行かれた方が良い気がしてなりません。
「放課後、生徒会室でお待ちしていますわ」
桜子に選択の権利はありませんでした。
生徒会室のソファは、桜子にとって人生で最も座り心地の良いソファでした。続けて、御堂副会長が淹れてくれた紅茶を飲んで、自分が今まで飲んできたものが葉っぱを茹でただけも同然のものだったと悟りました。道理で紅茶を苦手に思っていたわけです。
その床のタイルの一枚一枚に至るまで感動して眺めていた桜子に、副会長が話しかけました。
「お口に合ったみたいで何よりですわ。会長が帰省の折にご実家から持ってきてくださった茶葉ですの。とっても美味しいでしょう?」
「あら、そんなに大層なものではなくってよ。椿姫が淹れるから美味しいのですわ」
「会長ったらそんな、謙遜なさって」
「椿姫こそ」
アハハウフフと笑い合う上級生二人を前に、しかし、桜子の心中はまるで穏やかでありませんでした。冷や汗の分の水分補給くらいのつもりでゴクゴク飲んでいましたが、今まさに食道を落ちていくこの液体はグラム当たりいくらするのでしょうか。
震える手でカップをソーサーに戻した桜子は、ティーカップの持ち方をよく分かっていません。そんな、ガチガチの桜子の様子を見て何を思ったのか、リーゼロッテは口元は笑顔のまま姿勢を改めて桜子に向き直りました。
「それでは、さっそくですが本題に入らせていただきますわ」
「そんなに緊張なさらずに、どうかくつろいで聞いてください」
「は、はい」
口角を精一杯上げながら、桜子は、無茶をおっしゃる、と思いました。
「桜子さん、あなたはパンツァーブリッツ・オンラインというゲームを遊んでいらっしゃいますわね?それもかなりやりこんでいるとか」
「ええと、まあ、はい」
「『AKO』さん、でしたわね?名声はかねがね伺っておりますわ」
表情を変える余裕はありませんが、桜子は心の底から驚いていました。
「少し調べさせていただきましたわ。安心なさって、私と椿姫以外にまで知れ渡っているわけではありませんわ」
桜子は濃厚な犯罪臭を嗅ぎ取っていました。が、口に出すような勇気は持ち合わせていなかったので、返事は別の言葉になりました。
「えっと、お二人もパンツァーブリッツ・オンラインを?」
まさかという思いでの質問でしたが、上級生二人の反応はそのまさかなものでした。
「ええ、嗜む程度ですが」
「私は、会長に誘われて」
「なんだか意外です……」
目の前の煌びやかな二人は、砂埃にまみれたハードでニッチでアサルトでパンツァーな世界とは無縁に思われました。
「それで桜子さん、放課後はお暇かしら」
「今日、もしよろしければこの後にでもゲーム内で落ち合いませんこと?」
「それは……構いませんが」
桜子は基本的に時間を持て余しています。断る理由はありませんでした。
「そう言ってくださって嬉しいですわ」
「詳しくはその時に話したいと思っていますけれど、要するに一緒にゲームをする友達になって欲しい、というだけのことなのです」
眩しい笑顔でそう言われては、納得するしかありません。そういうことなら、と桜子は頷き、待ち合わせ場所などを決めて下校したのでした。