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故郷に別れを告げてから約六時間。
馬車の窓から覗く黄金色の麦畑が次々と視界を流れていく。アウィスと北の森に訪れた時、馬に揺られながら眺めた麦畑は、まだ緑色だった。この三カ月間は、輿入れの為の準備で忙しなく過ぎていったので、北の森に訪れたのがついこの間の事の様に感じる。
懐かしい思い出に浸りながら、スピラは早くもマリッジブルーに陥っていた。
「ミャー! ミャッ、ミャーッ!」
「そうね。駄目よね、今からこんな事では。――しっかりしなくては……」
「ミャッ! ミャッミャーッ!」
「――貴方がいると心強いわ。貴方は優しい子ね」
「ミャッ!」
スピラの膝の上にちょこんと座っているのは魔物のミーヤだ。頭を撫でてやると、気持ちよさそうにスピラの手に擦り寄る。妙に息の合った一人と一匹の掛け合いに、向かいの席に座る侍女のロサが苦笑する。
「スピラ様、その……前から気になっていたのですが、ミーヤが何を言っているのかお分かりになるのですか」
「――全然分からないわ」
「えっ!? そっ、そうなんですか!? とてもそうは見えないんですがっ!?」
「あらそう? ――でも、何となくわたくしを励ましてくれている事はわかるの」
「何となくで、ここまでテンポのいい掛け合いが出来るものなんでしょうか……」
疑問は拭えないものの、本人がそう言うのだからそうなのだろう。ロサからしてみれば、スピラが少しでも元気を取り戻してくれるのなら何だって構わないのだ。
「それはそうと、ミーヤを連れてきて大丈夫なんですか? 怪我が治ったら北の森に返す予定でしたよね」
「……そうね。だけどここ最近慌ただしくて、北の森に出向く暇も無かったでしょう。――それに推測だけど、この子の住処は北の森じゃないと思うの」
猫にそっくりな容姿をしたミーヤが魔物だと気付いたのは、治癒魔法を施している最中だった。繊細な魔力操作を必要とする治癒魔法は、大雑把な性格のスピラには不向きだ。学院でも一二を争う治癒魔法師のシルワに診てもらうのが一番いいのだが、取り敢えず応急処置を行っていた。傷の深さからしてスピラの力量では完治に至らない筈だったのだが、処置が終わると何故かミーヤの傷は殆ど治っていた。一瞬何が起きたのか分からず、もしや眠っていた治癒の才能が開花したのでは、とも思っが……そうではなかった。
魔物はその他の生物よりも回復力が高く、生命力も強い。加えて治癒魔法は魔力を内包する生物に、より高い効果を発揮する。スピラの拙い治癒魔法でミーヤの傷がほぼ完治したのはその為だ。
それからスピラは、ミーヤが何者なのか突き止める為に、古い魔物図鑑や文献を読み漁った。そもそも魔物オタクのスピラが検討も付かない時点で、ミーヤは珍しい種に間違いないのだ。しかし、どれだけ探してもミーヤの特徴に該当する魔物は見付からなかった。つまりミーヤは新種の魔物である可能性が高い。だがそんな珍しい魔物が北の森で生息している筈がない。何故なら北の森に生息する魔物は、ここ数百年で研究者達に調べ尽くされているからだ。――となると他の生息領域からやって来た事になるのだが、それも腑に落ちない。ミーヤは大人の猫よりも肉付きがしっかりしていて、爪や牙も大きい。体格も一回り大きいが、まだ子供だ。北の森から遠く離れた他の生息領域からたった一匹でやって来たとは考えづらい。
「ですが……北の森でないとしたらミーヤは何処からやって来たんですか」
「――そこなのよ。わたくしも色々と調べたのだけど、見当も付かなかったわ。だからもう直接魔王に聞いた方が早いと思ったのよ」
「そうですね。全ての魔物を統べるお方ですもんね」
「ええ。――わたくし、ちょっとわくわくしているの。だってこの子が新種の魔物なら大発見ですものっ!」
「……ス、スピラ様らしいですね。お元気になられたなら良かったです」
「――ところで貴方、本気でテオス王国まで付いて来るつもりなの?」
魔王は人間嫌いの為、輿入れに伴う付き人の数を二人までに制限した。それを聞いたスピラは逆に安心した。テオス王国内がどの様な状況か分からない以上、最小限の人数で向かうのが無難だろう。魔王がどんな場所に住んでいるのかさえ、分からないのだ。流石に無いとは思うが、過酷なサバイバル生活が待ち受けている可能性もゼロではない。そんな環境下に大事な侍女達をぞろぞろと連れてはいけない。侍女といえども皆殆どが高位の貴族だ。その様な環境下では即刻野垂れ死ぬだろう。
「当たり前です!! スピラ様お一人をテオス王国に放り込むなんて考えられません!!」
「でも、もしかすると地獄のサバイバル生活が待ち受けているかもしれないわよ? わたくしは貴方に無駄死にして欲しくないのだけれど」
「――そのとんでも話、やけに気に入ってらっしゃるんですね……。仮にそうだとしても私は引きませんよ。脅しても無駄です。何が何でも付いて行きます。スピラ様に拾って頂いたあの時から、私の命は最後までスピラ様の為に使うと決めてるんです」
スピラはがくっと肩を落とし嘆息する。
「――……貴方もアウィスに負けない位頑固者よね」
「何とでも仰って下さい。例え地獄だろうとご一緒しますよ」
ロサに出会ったのはスピラがまだ八歳の頃。王都の平民街にお忍びで訪れた際に、行き倒れているところを保護した。ロサは貧乏伯爵家の三女で、魔力が無い訳ではないが魔法を殆ど使えない。ロサの一族は代々魔法使い至上主義だ。特に今代の当主は魔法を使えない者は人ですらない、という極端な思想の持主だった。その為ロサは、実の家族から奴隷同然の扱いを受けていた。
魔法使いの素質は遺伝する。そして優秀な魔法使いの多くは、王族や貴族から生まれた。古い貴族社会において、こういった差別思想を持つものは珍しくなかった。魔法を使えないものを「ニヒル」と呼称し、揶揄する者達も多くいた。
貴族による迫害行為に耐えかねた国民は反対運動を起こし、国内では小さな内紛が絶えなかった。その状況を見兼ねた先王アモルは、国内に差別禁止令を発布した。それから徐々に内紛は沈静化し、今では差別用語を使う者は少数派となった。しかしロサの一族の様に、未だに根強い差別思想を持つ者達も一定数いる。
「……分かったわ。一緒に行きましょう。――ただし! わたくしが危険だと判断したら貴方だけでも帰国してもらうわよ」
「出来ません!! スピラ様を置いて自分だけのこのこ帰国するなんっ……」
「駄目です!! それが出来ないならば同行する事は認めません。――お願いだから約束してちょうだい……」
スピラは深刻な顔つきでロサを見つめる。
「…………分かりました。約束します……」
少し厳しい言い方になってしまったが、ロサの身の安全の為だ。スピラにとってロサは家族同然に大切な存在だ。貴族の頂点に君臨するスピラが、弱音を吐いたり本音をこぼせる人間は限られている。堅苦しい宮殿での生活において、ロサの存在は常に心の支えだった。だからこそ、危険な場所へは極力連れて行きたくない。
「――よろしい。……なんてね。――本当は貴方が付いて来てくれて凄く心強いわ。ありがとうロサ」
「……スピラ様っ!! 勿体無いお言葉です!!」
感極まったロサは瞳を潤ませながら、スピラの両手を掬い上げる。
スピラはロサの大袈裟な反応に圧倒されつつも、破顔する。
さっきまではマリッジブルーで鬱々としていたが、ロサとミーヤの励ましの甲斐あってかすっかり元気を取り戻したようだ。
そうして一行は途中何度か休憩を挟みながら無事、目的地である修道院に辿り着いた。今晩はここに宿泊する。
村一番の立派な造りをしたその建物は、小高い丘の上に立っている。黄白色の重厚な石造りの正門をくぐると、修道院長が出迎えてくれた。軽く挨拶を済ませ、侍女と護衛を引き連れてアーチ形の通路を進む。通路からは手入れの行き届いた中庭が見え、夏の花がほのかに夕日色に染まっている。院長案内の下、院内を一通り見て回った後、漸く用意された部屋へ案内してもらった。
白を基調とした壁紙に、木製の寝台と机が一つづつ。修道院内の一室なので、内装は控えめだ。夕食の時間にはまだ少し早いので、仮眠を取ることにした。一日中馬車に乗っていた疲れが出たのか、寝台に横たわるとすぐに睡魔が襲ってきた。――そのまま重たい瞼がゆっくりと閉じらる。
――……暫くして目が覚めると辺りはすっかり暗くなっていた。
ロサに夕食を運んでもらい、食事を済ませたら早々に寝支度を調える。眠るにはまだ早いので、院内の書庫から本を数冊借りて読書をすることにした。寝台に寝そべりながら本のページをぺらぺらと捲っていると、ふいに扉を叩く音が聞こえる。
すると戸口で警護をしているアウィスに、ロサが要件を訪ねに向かう。
「スピラ様、リリウムがお話したい事があると申しておりまして……。お通ししても宜しいですか」
「――リリウムが? ええ、勿論よ」
リリウムは、五人いる侍女の内の一人だ。ロサに促され、おずおずと入室する。
「リリウム。――どうしたの突然」
「――あ、あの……っ!! 私、姫様にお話があって参りました!!」
リリウムは普段よりどこか緊張した様子で口火を切った。
「――ええ、それで何のお話かしら」
「……あ、あの!! ――私もテオス王国に同行させてほしいんですっ!!」
「――! 気持ちは嬉しいのだけれど……連れていけないわ。貴方を危険な目に合わせたくないの」
「……それでも、お願いします!! 国王陛下や家族には既に許可をもらってきました!!」
「えっ!? ――貴方……初めから付いて来るつもりだったのね! ――でも駄目よ。貴方の身の安全を保障してあげられないの。陛下がどういう人物か分からないし……人を喰らうなんて噂もあるのよ?」
リリウムは俯き、小刻みに震える両手でスカートをぎゅっと握りしめる。――寸刻ののち、意を決した様に唇を引き結んで勢いよく顔を上げる。
「それでもっ!! 私も同行させて欲しいんです!!」
「――貴方……どうしてそこまでして……」
「私……周りの貴族にいつも影でニヒルだって馬鹿にされて……全然自分に自信が持てませんでした。でも、姫様が私を侍女として認めて下さって……。こんな自分でも誰かの役に立てるんだって、自分に自信が持てる様になったんです」
「リリウム……」
「だから……少しでも姫様のお役に立ちたいんです。――お願いします。私も同行させてくださいっ!!」
「………………」
スピラが返事に困った様に沈黙していると、二人のやり取りを黙って聞いていたロサが口を開いた。
「スピラ様。どうかリリウムの気持ちを汲んでやって下さい。――貴方様はお優しすぎます。私もリリウムもその優しさに救われた身ですから、偉そうな事は言えませんが……。もっとご自分の事を考えてください。こういう時こそ私達を頼って下さい。――でないと私達、何の為にスピラ様のお側にいるのか分からないじゃないですか」
「ロサ…………」
「何も、嫌々付いて行く訳じゃないんです。自分の意志でスピラ様のお側にいたいと思ったからリリウムもこうして訪ねて来たんですよ」
「はい!! 自分でも不思議なんですけど、姫様のお側にいると力が湧いて来るんです。今だって怖くて体が震えてるのに、それでも側にいたいって気持ちが私に勇気をくれて……。私ドジだし、ロサさんみたいに要領がいい訳でもないですけど、これまで以上に精一杯頑張るつもりです!! ――ですからどうかお願いします!!」
スピラは暫く思案したのち、諦めた様に溜息をつく。
「――分かったわ。……リリウム、貴方の同行を許可します」
「――姫様っ!! ありがとうございます!!」
リリウムは興奮した様子で答える。
「まったく、……危険な目に合うかもしれないのに喜んでどうするの。貴方達そんなんじゃ命がいくつあっても足りないわよ……。――でも……ありがとう。貴方方の忠誠に感謝します」
それを聞いた侍女二人は互いの顔を見合わせ、瞳を潤ませている。……次の瞬間――二人は揃ってスピラに抱き着いた。
「姫様ぁあーっっ!! 好きですぅっっ!!」
「――こらっ、リリウム!! 抜け駆けは許さないわよっ!! 私の方が好きに決まってるでしょうがっっ!!」
唐突に、侍女二人によるスピラの取り合い合戦が始まってしまった。
スピラは突っ込む気力も失くして、されるがままになる。しかし、このままではいつまでたっても眠りに付けそうにない。
「――そこまでですっ!!」
スピラの一括に二人ははっと我に返る。
「――貴方達、今何時だと思ってるの!! 明日も早いのだから、さっさと寝る準備をなさい!! 寝不足だと体が持たないわよ!!」
言うや否や、スピラは二人の背中をずんずん押して、無理矢理部屋から追い出した。少し荒っぽくなってしまったが、寝不足で二人が体調不良になるよりはいいだろう。
侍女達が退室してすぐ、寝台に潜り込む。二人の身の安全は何としてでも守ってやらねば、という新たな決意を胸にスピラは眠りについたのだった。




