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ルーナと過ごす最後の夜が明け、とうとうやって来た輿入れの日の朝。
スピラの輿入れの為に用意されたのは三十台の馬車と、女官や近衛兵等を合わせた総勢百人の随行人。近衛兵は国家魔道士や国家魔道騎士で構成されており、その中には侍女のロサやのアウィスも含まれている。
大規模な花嫁行列の中でも一際豪奢な四頭立ての馬車の前には、スピラを見送るために家族と学友たちが集まっていた。
「やっぱお前は大物だよな。国家魔道士のお前を、どっかの国の妃にしちゃあ勿体ねぇって思ってたけどさ。魔王の妻なんてお前以外に務まらねぇだろ。俺はお前なら上手くやれるって信じてるぜ」
「ありがとう、フランマ。だけど、それって褒めてるのかしら? でもそうね、主導権は握ってみせるわ」
「ははっ! 流石だな! その意気だ。でもって御しきれねぇって思ったら、逃げ出すの手伝ってやるから連絡寄越せよ」
「ありがとう。貴方と話してると、なんとかなりそうな気がしてくるから不思議ね」
「フランマは何も考えていないだけだよ。でも逃げ出すなら僕も手伝うよ。フランマ一人で魔王を出し抜けるとは到底思えないからね」
「お前なぁ。俺を甘く見すぎだっつーの! 模擬戦じゃ、俺が勝ち越してんだろうが」
「僕は戦闘特化型じゃないんだ。それに魔王を出し抜くには知恵が必要だろう」
「あーはいはい。どうせ俺はバカですよ」
何故かシルワとフランマは、テオス王国からスピラが逃亡する前提で話を進めている。魔王の妻の座を望むものなどそうそういないので、結婚おめでとうと言うのも確かに違和感がある。だが輿入れの日に逃亡計画を練るのも如何なものか。
「二人共、喧嘩は駄目よ。なんだか心配になってきたわ。わたくしがいなくなっても、仲良くしてちょうだいね」
「あぁ。君は自分の事を一番に考えて。とにかく上手く逃げ出せるように僕らが手引するから」
「あくまでも、わたくしが逃げ出す前提で話を進めるのね。まぁいいわ。必ず立派な王妃になってやりますから。後で吠え面をかいても知らないわよ!」
意図せず、スピラのやる気スイッチを入れてしまった二人は顔を見合わせ苦笑する。
そのやり取りを少し離れた場所から見守っていたラピスが、スピラの元へ小走りで駆け寄る。おそらく、また何か徹夜で作業していたのだろう。目の下には薄っすらくまができている。
「あの、これ。良かったら貰って下さい」
そう言うと、ラピスは巾着袋から小さな楕円形のブローチを取り出した。真鍮で施された細工が、乳白色の宝石の美しさを際立たせている逸品だ。
「あら、とっても綺麗なブローチね! だけど本当にわたくしが貰ってもいいの」
「はい、その為に作ったので。それにこれ、ただのブローチじゃなくて、魔法道具なんです。その石にスピラの魔力を込めてみてください」
スピラは言われた通り、ブローチに自分の魔力を流す。すると乳白色だった宝石がみるみるうちにブルーの宝石に姿を変えた。それを確認したラピスはもう一つの巾着袋からスピラに渡した物とそっくりのブローチを取り出す。すると今度は、ラピスが手にしているブローチまで青く光り始めた。
「まぁ! これって……。魔法石ね! 魔力に反応するのよね、確か。だけど、貴方が持っている方のブローチも光っているのは何故なの」
「はい、この魔法石は元々は一つなんですが、二つに分離する際に共鳴率を調律して、互いが受ける魔振動を共有できる様にしたんです」
「……えーと。わたくしには詳しい事は分からないのだけど……つまりこのブローチを使えば、遠く離れた人間と簡単な意思疎通が出来るのね」
「はい! そんな感じです。まだ試作段階なんですがお役に立てると思います。なので、危険だと思ったらこれに魔力を流して知らせてください。それともう片方は、スピラが信頼できる方に渡してください」
「ラピス……。ありがとう。貴方は本当に凄いわね。こんなに素敵なものを生み出せるなんて。もう片方は貴方に持っていて欲しいのだけれど、いいかしら?」
「……わ、私ですか? でも、良いんでしょうか。そんな重大な役割を……」
「『信頼できる方に』って言ったでしょう。丁度シルワもフランマもわたくしが逃亡するのを手助けする気満々らしいのよ。あの二人を巻き込んで構わないわ。だからそれは貴方に持っていて欲しいの」
「……はい。分かりました。……私、スピラに出会えてなかったら、多分今よりもっと自分の世界に閉じこもっていたと思います。私はスピラの様にはなれないけど、自分に出来ることを頑張ろうって思います」
「貴方はもう充分凄いわよ。わたくしの様になる必要なんてないのよ。人には向き不向きがあるでしょう。貴方はわたくしに無いものを持っているわ。貴方は貴方らしくいればそれでいいの。あ、でも研究に集中しすぎて倒れてしまうのはいただけないわね」
「……そうですね、程々にします。スピラも体に気を付けて下さい」
「ありがとう。貴方も元気でね」
そう言ってスピラは、ラピスから貰ったブローチを胸元に付け、誇らしげに胸を張る。ラピスは普段無表情で、笑った顔は殆ど見たことがない。だがスピラの姿を見つめるラピスの口角が、微かに上がった様に見えた。
それから二人の仲睦まじい様子を慈愛に満ちた表情で眺めていた国王が、タイミングを見計らった様に、スピラの元へやって来た。
「スピラ、道中は盗賊に襲われるかもしれないからね。用心しなさい。まぁ、お前は強いからそんじょそこらの輩には負けないと思うが」
「ええ、ご安心くださいお父様。それに我が国の近衛兵は最強ですから。そこらの盗賊じゃ相手になりませんわ」
「そうだな。……それと体に気を付けて。危険だと思ったらすぐに帰って来なさい」
「お父様……。はい。そう簡単にはくたばりませんわ。必ず生き延びてみせます」
スピラの頼もしい発言の裏にある、不安や恐怖を丸ごと包み込むように、国王はぎゅっとスピラを抱きしめた。その様子を涙ぐんで眺めていたカエルムが口を開く。
「スピラ……。どうか無事でいてくれ。何よりも優先すべきは君の命だ」
「お父様もお兄様もわたくしに甘すぎますわ。わたくしの事よりも、早く素敵なお嫁さんを見つけて幸せになって下さいな。でないと、この国の行く末が心配でなりませんわ」
「……そうだな。必ず良き伴侶を見つける。この国は必ず僕が守ると誓おう。君は何も心配しなくていい。それからテオス王国へ着いたら手紙を出して欲しい」
「はい。すぐには出せないかもしれませんが……。善処します」
そう言ってカエルムはスピラを抱きしめた。カエルムはシスコンである事を除けば、完璧な王子様だが、どうしても優先順位の頂点が妹になりがちだ。この機会に妹離れして、良き伴侶を見つけてもらわねば国が危ない。それに何とかして手紙を出す手段を見つけなければ、妹命のカエルムが何をしでかすか分からない。
(……テオス王国に着いたら、まず手紙を出す為の交渉から始めなくてはならないわね……)
カエルムの腕の中で、テオス王国へ到着してからの流れを予習するスピラ。冷静なスピラとは反対に次々零れ落ちる涙を拭おうともせず、ひたすらにスピラを抱きしめたまま離そうとしないカエルム。
腕の力が段々強くなってきているし、頭頂部がカエルムの涙で湿ってきた気がする。せっかく侍女達にセットしてもらったのだが、これがカエルムとの最後の思い出になるかもしれないのだから仕方がない。でも、そろそろ離して欲しい、などと考えていると見かねたルーナが口を開く。
「カエルム。そろそろスピラを離しておやりなさい」
「は、母上……。申し訳ありません。最後になるかもしれないと思うとつい……」
そう言うと、やっとスピラを腕の中から解放する。スピラは母の助け舟にほっと胸を撫で下ろす。
「スピラ。これから色々と大変な事があるでしょう。道に迷った時は、頭で考えるよりも先に自らの心に問いかけなさい」
「……はい、お母様」
「魔王がどの様に振舞おうと、上辺で判断してはなりません。心の奥の奥に本当の姿があります。愛を持って接する事を忘れずに。王妃として、魔王の支えになっておやりなさい」
「はい。お母様の様に立派な国母になれるか分かりませんが、最善を尽くしますわ」
「貴方ならなれます。貴方は強くて優しい子。陛下と私の娘なのですから」
「はい……」
ルーナは一歩歩み寄り、スピラの片頬にそっと手を添える。愛しい我が子を見つめるその姿は、まるでこの瞬間の全てをその瞳に焼き付けておこうとするかの様だ。ルーナの優しく添えられた手に、スピラはそっと自分の手を重ねる。
「あぁ……スピラ。愛しい私の宝物。どこにいても、私達はひとつです」
「…………はい……」
今まで溢れそうになる涙を必死で堪えていたが、堰を切った様に次々と大粒の雫が頬を伝う。その姿を隠すようにルーナがスピラを抱きしめる。
スピラは人前で泣く事を嫌う。王女としての矜持が人前で泣く事を許さないのだ。一国の王女として誇り高くあれ。王族として全ての国民と貴族の手本であれ。幼い頃から家庭教師に強くそう教え込まれてきた。自分の思いや、やりたい事は二の次で、人である事よりも先に王女である事を求められてきた。それはこの国の王家に生まれたスピラの責任だ。誰かに代わってもらう事は出来ない。しかしそれらは、スピラにとってただ重荷だった訳ではない。家族と自国の民を愛しているからこそ、その役目を全うする事に誇りをもってやってこられたのだ。
一方で、心の奥底にはいつだって自由を求める自分がいた。思ったことを口にしたい。悲しい時に思いっきり泣きたい。何もかも投げ出して、自分の夢を追いかけたい。心のままに生きてみたい……。沢山の心の声が、スピラの中を空しく通り過ぎて行った。
テオス王国に輿入れすれば、今度は王妃としての役割がスピラを待ち構えている。スピラに泣いている暇は無いのだ。だけど、今だけは許してほしい。おそらく家族とはもう二度と会う事は無いのだから。
暫くして、ルーナの腕の中で深呼吸をし、そっと涙を拭う。これ以上泣けばここに集まってくれた皆に心配をかけてしまう。心を切り替えたスピラは、隠しきれない赤い瞳でにっこり笑う。
、
「お父様、お母様、お兄様。ここに集まってくれた皆様。今日は本当にありがとう。この日の事は、生涯決して忘れません。皆様どうかお元気で。――では、行ってまいります」




