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 少年はスピラの細い首を片手でぐっと鷲掴みにして、強引に自分の許まで引き寄せる。

 その痛みと、気道が塞がれている息苦しさで、スピラの顔がくしゃりと歪む。

「ぐっ……。離し、て……!!」

「離して欲しければ僕の目を見ろっ」

 少年は無表情のまま、しかし怒りを含んだ冷たい声音で言い放つ。


 魔法を使えばこの危機的状況下でも、簡単に少年を弾き飛ばす事が出来る。しかし、この距離で使えば、どんな魔法でも相手に怪我を負わせてしまう。それに、おそらく彼も魔法使いだ。一度でも攻撃すれば、その後の戦いは避けられない。それだけは何としてでも回避したかったスピラは、渋々少年を睨み返す。「見ろ」とは言われたが「睨むな」とは言われていないのだから問題はない筈だ。

 数秒間――少年と視線が重なる。長いまつ毛に縁取られたその瞳は、黒曜石のごとく美しく底が知れない。そのあまりの美しさに、自分が今置かれている状況も忘れて見入ってしまう。――すると次の刹那、彼の瞳がきらりと金色に輝く。

(――今確かに、この子の瞳の色が……)

 そう考えたのも束の間、今度は少年の瞳が、徐々に大きく見開かれる。それと同時に、首を圧迫していた指の力が弱まり、鼻と鼻がくっ付きそうな程近かった顔の距離がどんどん離れていく。

 やっとまともに息が出来るようになったスピラは、目一杯肺に酸素を取り込んで、深い呼吸を繰り返す。突然解放された理由は見当もつかないが、取り敢えず最悪の状況は脱したようだ。――それから、ふと少年の顔に視線を向ける。

 すると何かに驚いたような、愕然とした表情を浮かべ、片手で口元を抑えている彼の姿が視界に映る。その手元は、微かに震えている。

 スピラはその不可解な姿に、目を見張る。何が何だか分からず、ただじっと少年から視線をそらさずにいると――……彼の頬をすっと雫が零れ落ちる。

「――……ペル……ネ……。 ほんとうに、ほんとうに君なのかっ……!!」

 消え入りそうな声音でそう呟くと、少年は突然スピラに抱き付いた。それも、背骨が折れてしまうのではないかというくらい強い力で。

 スピラは、その子供のものとは思えぬ恐ろしい腕力にがっちり捉えられ、その場に硬直する。と言うのも、先程から振り解こうと必死に足掻いているのだが、身じろぎ一つ取れないのだ。十歳前後の少年のどこからこんな力が溢れてくるのかは分からないが、この状況は非常にまずい。先程首を掴まれた時も窒息死しかけたが、今度は圧死しかかっている。

「あぁ……。どれ程この日を待ち望んでいた事か……。ペル。僕の愛しいペル――……」

 少年が何か独り言を呟いているのはなんとなく聞こえているが、スピラは今それどころではない。このままでは息がもたない。

「……ちょっ……い、息っ!! ……息が……っ!」

 スピラは絞り出すような声で訴える。すると少年は、はっと我に返り、慌てて背中に回していた腕を離す。


(はぁぁぁーーーー。し、死ぬかと思った……)

 と、呟きながら、スピラは再びスーハーと深呼吸を繰り返し、息を整える。するとその様子を気まずそうに眺めていた少年が気遣わし気に口を開く。

「――――その……すまない。……君を苦しめるつもりはなかったんだ」

 先程とは打って変わってしおらしい態度を見せる少年の姿に、スピラは困惑する。

「――――貴方……。本っ当に、訳が分からないわ……」

「その……あまりに嬉しくて、つい……。まさか君だとは思わなかったんだ」

(……は? 嬉しい? 君って、誰の事なの――)

 ただでさえ、この状況に付いていけていないのにこれ以上混乱することを言わないで欲しい。

「貴方何か勘違いなさっているのではなくって? わたくしが貴方に会ったのは、今日が初めてよ。――それとも何処かでお会いしたかしら?」

 その言葉を聞いた途端、少年はしゅんと肩落として俯き、口を閉ざしてしまった。

 その捨てられた子犬の様な頼りない姿に、スピラは失言をしたのだと気が付く。それとほぼ同時に、殺されかけたのに、何故自分がこんな罪悪感を感じなければならないのだ、というもっともな主張が脳裏を過る。――が、庇護欲をそそるその姿を前に、スピラの主張は何ともあっけなく敗北した。

「――あの、えっと……。ごめんなさい。記憶には無いのだけれど、よければ何処で会ったのか教えて下さらない? 思い出すきっかけになるかもしれないわ」

 スピラがそう問うと少年は、項垂れていた首をゆっくりと持ち上げる。――次いで、感情を押し殺すように眉根を寄せて、僅かに微笑む。

「…………いいんだ。君はそのままで。――僕が必ず取り戻してみせるから」

「取り戻す? あの、それってどういう――」

「僕の妻になって欲しい」

「…………は?」

「悪いが君に拒否権はない」

 ぽく、ぽく、ぽく、チーン。

「えーーーーーーッ!?!?」

 スピラはおどろきのあまり、腹の底から絶叫する。

 無理もないだろう。さっきまで自分に対し、敵意剝き出しだっ少年から今は求婚されているのだ。

 一方、混乱の只中にいる彼女の反応をどう捉えたのか、少年は訝しげな表情を浮べる。

「まさか……。婚約者でもいるのか」

 そう問いかける少年の声は、先程よりも一段低い。

「え? 婚約者? い、いえ。おりませんわ。候補はおりますけれど……」

 頭が追い付かないスピラは、突拍子もない質問に至極真面目に返事をする。

「――候補か……。まぁ、いい。このまま連れて帰りたいところだが、手順を踏んで進めた方が君も納得出来るだろう」

 そう言うと少年は、スピラから四メートル程距離を取る。すると少年の足元が瞬く間に金色に光始め――徐々に魔法陣が構成されていく。


 通常魔法使いが魔法陣を構成する際に用いる手段は、以下の三つの内のどれかだ。

 ㈠ 構成呪文を詠唱する

 ㈡ 既に魔法陣が書き込まれた構成札に魔力を流す

 ㈢ その場で地面に書き込む


 だが、どう見ても少年はただ突っ立っているだけに見える。

 スピラはあり得ない事態に口をあんぐりと開けて、ただ茫然と成り行きを見守る。

「すぐに迎えに行く」

 少年はそれだけを言い残し、一瞬にして何処かへと消えてしまったのだった。






「――……と言うことがありましたの」

 スピラは三日前の奇妙な出来事について、その一部始終を語り終えた。

「スピラ。何故そんな大事な事を今まで黙っていたんだ。それに、北の森に通っていたなんて聞いていないよ」

「そ、それはその……。申し訳ありませんでした」

「――まぁ、それについては後だ」

 目下の重要案件は、北の森で出会った不思議な少年の事だ。国王は顎に指を添え暫く思案した後、真っ直ぐにスピラを見据える。

「おそらく、その少年が魔王だろう」

「……え!? ま、まさか。そんな筈ありませんわ。だって、彼はまだ十歳位の子供だったのですよ?」

「容姿を変える魔法を使っていたんだろう」

「そんな事出来る筈がありません! ――いえ、正確に言えば、魔法理論上は可能ですけれど……。膨大な魔力が必要です」

「魔王は魔力を無尽蔵に生成する事ができる。だからテオス王国は脅威なんだ。近隣諸国はどこも手が出せない」

 それを聞いて、スピラは顔面蒼白になる。

 確かに魔力に限界がないなら、少年が起こした不思議な現象は粗方説明がつく。しかし自分に求婚してきた理由だけは、いくら考えても分からない。

「――ですが……何故わたくしなのですか。五百年もの間、テオス王国は諸外国と断絶状態にあります。政治的観点からみても、わたくしと結婚するメリットは皆無です」

「そうだね。最早、あまりにも愛らしいお前の姿に、心奪われたとしか思えないね」

「……お父様。真面目に答えて下さいませ」


 実際のところ、魔王がスピラを娶るメリットは無い。

 魔王が治めるテオス王国は、ここリーベルタースの国土の二分の一にも満たない小国だ。しかし魔王は五百年間、その強大な魔力で他国の進軍を返り討ちにしてきた。いつしか諸外国からは、難攻不落のテオス王国と恐れられるようになり、無闇に手出しする国はなくなった。近年になってもその情勢に変わりはない。


「私は結構、真面目に話しているんだが。お前はこんなにも可愛いし。話を聞く限り恋に落ちたとしか思えないしね」

「こ、恋に落ちた……? 魔王がわたくしに? あり得ませんわ。というか願い下げですわよ! あんな乱暴な男」

「――そうか。ならこの話は私が何とかしよう。お前は何も心配しなくていい」

「お父様。それとこれとは話が別です。この申し出、勿論お受けいたします」


 この申し出を断れば、どんな報復を受けるか分からない。魔王の能力は未知数だが、簡単に一国を亡ぼせるだけの力を持っている、というのが各国の共通認識だ。故に、初めから「断る」という選択肢は存在しないのだ。

 それにこの申し出は、この国にとっても悪い話ではない。寧ろメリットの方が大きい。というのも、リーベルタースの東に隣接するインサニア帝国が、この国を属国にしようと密かに画策しているからだ。インサニア帝国は近年急速に勢力を拡大しており、その力はリーベルタースの軍事力と肩を並べる程にまで成長した。その国と戦争にでもなれば、国内に齎される被害は甚大なものとなるだろう。しかし、如何にインサニア帝国とて、テオス王国と姻戚関係になれば無闇に手出し出来なくなる。


「そんなに結論を急がなくていい。何か方法がないか考えるから、とりあえずお前は――」

「お父様。この申し出は我が国にとっても悪い話ではありませんわ。――わたくしはこの国の王女です。いずれは、こうなる運命でした」

「いや、しかし――」

「わたくしの心を汲んでくださって、ありがとうございます。――ですがもう決めました! 女に二言はありませんわ」

 スピラは椅子から、すくと立ち上がり胸を張る。それから、不安げな表情でこちらを見上げる父王ににっこりと微笑み返す。

「ご安心くださいお父様。わたくし、魔王だろうと何だろうと愛してみせますわ!!」

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