3
その森は王都の北の外れにり、苔むした背の高い木々が乱立する鬱蒼とした場所だ。
多種多様な魔物が生息するこの場所は、国から保護区域に指定されており、王立魔法学院から派遣された国家魔道士や国家魔道騎士が交代で警備を担当している。また、ここは多くの魔物が生息する貴重な場所であると同時に、危険な場所でもある。故に一般市民や許可のない者は立ち入りを禁じられている。
入り口の目の前までやってきた二人は、馴染みの警備員に二人分の許可証を見せる。
「お久しぶりね、ラピス。最近学院で全然会えてないけれど……。さてはまた研究室に引きこもっていたわね」
「――ええまあ。研究発表会が近いですから。そういえば寮にもしばらく帰ってませんね」
スピラより拳一つ分小柄な少女は、ずれた丸眼鏡を直しながらそう答える。
彼女は頭に大きめのとんがり帽子を被り、緑色のローブを纏っている。これは学院の指定服だ。着用義務は無いが、魔法使いの伝統的な装いから逸脱する格好は認められていない。また、平民や金銭的余裕が無い者の多くは、指定服を着用している。
「集中するのも程々にしなくては駄目よ。貴方こないだもそうやって倒れたのではなかったかしら」
「えっーと……。そうでしたっけ? 気を付けます」
ラピスは全く身に覚えがないといった様子で、ぽりぽりと頭をかく。
彼女は魔法道具の製作や、研究を行う学院内でもトップクラスの魔法道具技師だ。好きな分野に対しては、ずば抜けた集中力を発揮するのだが、興味のない物事に関しては極端に覚えが悪い。研究熱心なところは彼女の長所だが、自分の事には全く頓着しないところがあり、放って置くと食事にすら手を付けない日もしばしばある。当然、その様な不摂生な生活を続けていれば体は衰弱していく。学院で倒れていたラピスを偶然通りかかったスピラが発見して介抱した事もあった。
ラピスには他にも色々と言いたい事があったのだが、今日の目的はこの森に生息する魔物の生態調査及び、生息環境調査を行う事。許可を得ているとはいえ、時間には限りがある。
「貴方らしいわね……。――とにかく!! 無理は禁物よ」
スピラは言いたいことをぐっと飲みこんで、先へ進むことに決めた。
・
・
・
・
・
「さっきのご学友に対するお言葉を、貴方様にそっくりそのままお返ししますよ」
歩き始めて暫く経った頃、アウィスは不満げな表情でそう呟いた。
「まぁ! わたくしはラピス程ではなくってよ。確かに魔物の事となると、後先考えずに行動してしまうところがないとも言い切れないけれど」
「『ないとも言い切れない?』」
アウィスは半目でぎろりとスピラを見遣る。
「――……そうね。多少は……あるかもしれないわね」
どうやら自覚はあるらしい。
スピラは魔物の生態や特質、生息領域等を独自に調査し研究している所謂、魔物オタクだ。一度は研究者への道も志したが、王女としての役割や義務を放棄出来る筈もなく、こうして趣味の範囲で楽しんでいるのだ。
スピラは定期的にここへやって来る。しかしアウィスはその事を国王に報告していない。何故なら彼女が自由に過ごせる時間は、残りわずかだと理解しているからだ。仮に娘を溺愛する国王に報告すれば、ここへ通う事は即刻禁じられてしまうだろう。スピラがどれだけの才能を有していようと、他の誰よりも魔物の知識が豊富であろうとも、彼女は一国の王女なのだ。この時代、各国の王女は国力の維持や強化の為に、諸外国の王家に嫁ぐのが一般的であった。国の為に生き、国の為に死ぬのが王家に生まれた彼女の運命。
研究者には決してなれないのだと悟った幼い姿のスピラがふとアウィスの頭をよぎり、胸がチクリと痛む。
「……自覚がおありなら結構です。今日は雲行きも怪しいですし、早めに切り上げ――」
「しっ!! 静かに! 今何か聞こえなかった?」
スピラは慌ててアウィスの口元を片手で覆う。
突然口を塞がれたアウィスは、一瞬驚いた様子だったが、直ぐに耳を澄ませて辺りの様子を窺う。すると、子どもの笑い声のような甲高い音が微かに耳に入る。よくこんな小さな音を拾ったものだと感心していると、横にいるスピラが何やら難しい顔をして地図と方位磁針を見比べている。
「――この鳴き声は、……多分ハルピュイアね。――方角は北東。 急ぎましょう!」
自分の聴覚だけを頼りに、魔物の大まかな居場所を見当づけたスピラは、足音を最小限に抑えて北東へと歩みを進める。しかし手付かずの原生林は足場が悪く、なかなか前に進めない。更に、数日前に降った雨の所為で足元はぬかるんでおり、いつも以上に体力を消耗する。軍で厳しい訓練を積んできたアウィスでさえ、きついと感じる道程だ。それにも関わらず、スピラの歩く速度が衰える気配はない。寧ろ、少しずつペースアップしている。――すると、少し先に開けた場所が見えてくる。スピラは、そこに吸い寄せられるように更に速度を上げて前進する。
辿り着いたその場所には、一際大きな一本の木が立っていた。二人は出来る限りその木に近寄って、改めて下から上まで観察する。――どうやら複数本の太い幹が絡まり合って一本の木になっているようだ。所々剥がれ落ちた樹皮と、幹を覆うように全体に生えている苔が、その大木の生きた長い年月を物語っていた。その荘厳な佇まいに、自然と畏怖の念が湧き起こる。
「――なんて美しいのかしら。ここに来たのは初めてね」
「そうですね。こんな場所があったなんて……」
二人して暫く見とれていると、生い茂った葉の影から先程の鳴き声が今度は、はっきりと聞こえてくる。
「ククッ、ニンゲン、イル」
「クククッ、チガウ、イイニオイ、ククククッ」
どうやら二匹のハピュイアが隠れているようだ。