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「あの時の殿下は、それはもう、月の妖精と見まごう程の美しさで……!!」
リリウムはうっとりとした表情を浮かべる。
「……そ、そうですか」
「リトスさんにもお見せしたかったです!! まさに地上に舞い降りた天使ですよ!! なのに殿下ったら自分の事にはまるで無頓着で……。勿体無いと思いませんか!?」
「――え? ……そうなんですか?」
「そうですよ!! 殿下はその……。ちょっと服のセンスが独特で、自分で選ぶと大変な事になるんです。本人は『着られれば何でもいいじゃない』とか言ってますけど、私からすればとんでもない話です!! 宝の持ち腐れとはこのことですよ!! この前お忍びで街へ出掛けた時なんか……」
リリウムは、リトスが相槌を入れる間もない程夢中になって話を続ける。
リトスは暫くは大人しく耳を傾けていたが、一向に話の終わりが見えないので「こほん」と、一つ咳払いをする。
「あ……。す、すみません!! つい話しすぎちゃいました……」
「……いえ。妃殿下について教えて欲しいと言ったのは私ですから。お陰でよく分かりましたよ」
「それなら良かったです! 殿下は困っている人を放って置けない性分なんです。それで何度か冷や冷やさせられた事がありました」
「――そうですね。……あの人はいつもそうです。人の世話ばっかりやいて、厄介事に自ら首を突っ込んで……。恩を仇で返す様な奴らにさえ、手を差し伸べる様な天性のお人好しなんですよっ。こっちの心配なんかどこ吹く風で……!」
「へ?あ、あの――」
「残された側がどんな気持ちになるかなんて、これっぽっちも考えちゃいないんですよっ!! まったくっ……。ちょっとはこっちの身にもなれってんですよっ!!!」
リトスは鬼気迫る表情で力いっぱい肉を捏ねる。
リリウムはリトスの言い知れぬ迫力に気圧されブルッと体を震わせる。自分の発言の何が気に障ったのか分からないが見た所物凄く怒っている。
「……あのー、リ、リトスさん?」
「――なんですッ!?」
「ひぃっ!! あ、あの私また何かやらかしてしまったようで……すみませんでしたっ!!」
リトスははっと我に返り、バツが悪そうな表情をみせる。
「…………。いえ。こっちの話です……。貴方に怒っている訳ではありませんから」
リリウムはほっと胸を撫で下ろす。
「――それなら良かったです。私少しでも殿下のお役に立ちたくてここまで付いてきたんです。……初めは断られたんですけどね。何があるか分からないからって……」
「…………」
「でもそれなら殿下だって同じですよね? なのに自分は強いから大丈夫だって言って……。ロサさんに説得されなければ、一人でここへやって来るつもりだったんですよ? 殿下は確かに精神的にも肉体的にも人並み以上にお強い方ですが……傷付かない訳ではないんです。人の痛みが分かるお優しい方ですから」
「……よく見てらっしゃるんですね。妃殿下の事を」
「はい! ロサさん程ではありませが。だから私は殿下に頼ってもらえる様な立派な侍女になるって決めたんです!!」
「――そうですか。…………貴方の様な方が側にいてくれて本当に良かったです」
そう呟くリトスの表情は、これまでの彼の印象からは想像が付かない程に穏やかで優しいものだった。
リリウムはその表情に、何か見てはいけない物でも見てしまったような心地になった。それと同時に、リトスは自分が思っている程冷たい人物ではないのかもしれないと思った。人間が嫌いだと言ってはいるが、嫌々ながらもこうして自分に料理の手解きをしてくれる。自分のみっともない過去の話を聞いても、馬鹿にしたり蔑んだりする事もない。それに何となくだが、リトスはスピラを嫌っている訳ではないような気がした。寧ろスピラの事を知りたがっている節さえ感じられる。
(話してみないと分からない事もあるものね……)
などと感慨に耽っていると――
「ちょっと待ったっ!!」
突然、怒気を孕んだリトスの声がリリウムの鼓膜を揺らす。それとほぼ同時に、リトスは包丁を握るリリウムの手首を鷲掴みにする。
「危ないじゃないですか!! そのまま切ってたら指が落ちてましたよっ!!」
「――はっ!! あ、あの、すみません……!! ちょっと考え事をしていて……」
「…………まったく。包丁を持ちながら考え事をするのは禁止です!! そんな事では立派な侍女への道は程遠いですね」
「……うぅ。すみません……」
「今度から気を付けて下されば結構です」
「はい! 気を付けます! ――それと、庇って下さってありがとうございます」
リリウムは柔らかな微笑みをリトスに向ける。
するとリトスは、ほんの一瞬瞠目する。それと同時に自然と肉を捏ねる手が止まる。
「あのー、リトスさん? 何かありましたか?」
「………………。いえ。何でもありません。――そんなことより、その玉葱をさっさとここに投入して下さい!!」
「はっ、はい!! ――あの、これで大丈夫でしょうか……?」
リリウムは緊張した面持ちで、玉ねぎのみじん切りを差し出す。
「――さっきよりは良いと思いますよ」
「あの、それってつまり……合格って事ですかっ!?」
「……まあ、オマケの合格です」
「――本当ですかっ!? やったーー!!!!」
リリウムは両拳を天に突き上げ、全身で喜びを表現する。その右手には包丁を握ったまま。先程注意したばかりなのにこの有様だ。しかし、あまりにも嬉しそうなリリウムの姿に、水を差すのは気が引けた。リトスは、溜息一つでで突っ込みたくなる衝動を抑える。
「殿下!! 待っててくださいね!! 私、リトスさんにも負けない位、美味しい牛肉のパテ作ってみせますから!!」
そんなリトスの内心など知る由もないリリウムは、遠いルクルムの地にいる大好きな主人に思いを馳せながら、高らかにそう宣言するのだった。
〇
商館を出て市場にやって来た二人は、まず食品売り場へと足を運んだ。道の両側にはびっしりと露店が軒を連ね、多くの人々が行き交っている。客の呼び込みをする店員や、常連客と親しげに会話する店主、商品を値切るお客など……。
様々な様相を見せる街の雰囲気に、スピラは心を弾ませる。暫らくその通りを歩いていると、果物屋の店主が声を掛けてきた。
「ちょいと!! そこの美人なお嬢ちゃん! 良かったらこれ、食べてみなよっ! 甘くて美味しいよ?」
そう言って店主が差し出したのは、皿に盛られた真っ赤に熟れた果実だった。その強烈な見た目に一瞬たじろぐが、好奇心が勝ったスピラは恐る恐る手を伸ばし、一番小さい一切れを口へと運ぶ。――すると、じゅわーっと口内に甘い果汁が広がる。とろっとした舌触りで、種は多いが小さいので食べ易い。見た目は強烈だが、味は中々に美味だ。
「これ、甘くて瑞々しくてとっても美味しいですね! 何の実なのかしら」
「美味いだろう! それはサボテンの実さ! この地域では一般家庭でも良く食べられてる代物だよ! 外から来たお客さんにも人気さ」
「まぁ! サボテンの実って食べられるのですね! 知りませんでしたわ。 しかもこんなに美味しいなんて」
「初めて食べたお客さんは、皆お嬢ちゃんみたいな反応をするよ! そこの男前の旦那も一切れどうだい」
「ああ。頂こう」
魔王は皿に盛られた一切れに手を伸ばし、豪快に口へと放り込む。
「――うん、美味い。店主、これを十個頂こう」
「まいどあり!!」
店主は慣れた手付きで、あっという間に商品を包み終え魔王に手渡す。
魔王はそれを大きめの買い物袋に入れ、店主に礼を言って立ち去る。
それからいくつかの曲がり角を抜け、暫らく進むと潮の香りが一段と濃くなってくる。辺りを見回すと見た事がない程、様々な種類の魚介類が店頭に並べられていた。魚は腐敗が早いので、基本的に内陸では塩漬けなどの既に加工処理された品物しか手に入らない。せっかくなので、店主おすすめの魚介類をいくつか購入することにした。後でリトスが美味しく調理してくれる事だろう。
「へいか……じゃなかったっ! ハーディス様!! そろそろ留守番組のお土産を選びに行きたいのですが」
「ああ、そうだな。この先に日用品が一通り揃う路地があるからそこに行こう」
そう言ってやって来た通りには、家具店、食器店、書店、宝石店、文具店などの様々な種類の店が密集していた。その中でも一際、客の出入りが激しい店が目に止まった。吸い寄せられる様にその店に足を踏み入れると、見事なガラスの工芸品が店内のいたる所に飾られていた。特にグラスのデザインはどれも繊細で美しく、職人の洗練された仕事ぶりが窺える。
「ハーディス様!! このお店は本当に素敵ですね! 特にこのグラスは見惚れてしまう程に素晴らしいですわ」
「そうだな。商館長が言っていたルクルムグラスとはそれの事だろう。気に入った物があれば何でも言ってくれ」
「まあ! 宜しいのですか!! では、これとこれはロサとリリウムに……あとリトスは――」
「リトスの分も選んでくれるのか」
「ええ、勿論です! リトスが好みそうなデザインの物ってお分かりになりますか」
「んー……。リトスはあまり持ち物に拘らない質だからなぁ」
「……そうなのですか。――なら、料理本なんてどうでしょうか」
「ああ! それなら喜びそうだ」
「では、後で本屋さんにも行きましょう!」
「ところで君は何か欲しい物は無いのか? 人の物ばかり選んでいるが……」
「わたくしですか? んーー…………」
スピラは顎に手を添え、難しい顔をする。
「そんなに悩む事か? 人間の女性はドレスや宝石なんかを欲しがるものだろう」
「そうですわね。でもわたくしはあまり着飾る事に興味が湧かないのです。そんな時間があったら魔物の生態観察をしたり、魔物に関する書物を読んでいる方がよっぽど有意義に過ごさせますわ」
「…………。君はどうしてそんなに魔物が好きなんだ? 人間は魔物を恐れるものだろう」
「……信じて頂けるか分かりませんが。わたくしは幼い頃から魔物に好かれる体質でしたの。命を救われたこともありましたわ」
「そんなことが……」
「ええ。――仰る通り、人間の多くは魔物を恐れます。それだけの力と攻撃力を兼ね備えていますから。でも、実際接してみて気付きましたの。彼らがとても純粋で優しい子たちだという事に。ですから、わたくしからすれば、魔物も、人間やその他の動物と変わりないのですわ」
スピラはにっこりと微笑む。
「――……そうか。やっぱり君は、君のままなんだな」
魔王は長いまつ毛を伏せ、ほんの少し口角を上げる。
その表情は、笑っているのに泣いているかような、どこか切なげなものだった。
(――何だろう……。この、胸がぎゅうっと締め付けられるような感覚は……)
それから、殆ど無意識に自然と自分の右手が持ち上がり、魔王の頬に触れる。すると魔王は、はっと気が付いたように顔を上げる。――束の間、二人の視線が重なる。
(――はっ!! わっ、わたくしは一体何を!?!?)
漸く自分の大胆な振る舞いに気が付いたスピラは、光の速さで右手を引っ込める。
すると魔王は名残惜しそうに、下げられた右手に視線を向け、再びスピラに視線を戻す。
「残念だな……。もう少し君に見つめられていたかった」
魔王は少し寂しげに笑う。――するとスピラの顔が途端に朱色に染まる。
「あっあの、これはその……!! わたくしの意志であってそうでなくっ!! 体が勝手に動いたと言いますか、何と言いますか……!!」
本当の事なのだが、焦っているせいか我ながら言い訳がましく聞こえる。どうすれば上手く伝わるのかと、あたふたしていると――魔王がそっとスピラの片頬に触れる。
「ふふっ。――真っ赤だ」
魔王は極上の微笑を浮かべる。
するとスピラの心臓がドクンと跳ねる。それと同時に、ふわふわとした浮遊感に襲われる。まるで、自分だけ時の流れに置き去りにされたかのようだ。
それから魔王は、会計を済ませるため、人混みの先にある勘定場の方へと消えて行った。
スピラはぼーっとしたままの頭を切りかえる為に、軽く首を左右に振る。心臓の方は、未だにバクバクと煩く、収まるのに時間がかかりそうだ。
(――わたくし、どうしちゃったのかしら……)
自分の身に起きた人生初の異常事態に、スピラは戸惑っていた。
先程からやけに動機が激しいし、何だか頭もぼーっとする。――そういえば、最近妙な頭痛や眩暈に襲われる事もある……。もしかすると、何かの病なのでは……。などと見当違いな考察を繰り広げていると、何やら店の外が騒がしい事に気が付いた。




