19
帯杖……杖を腰などに身に付ける事。
※造語です
空が黎明を迎え、陽光が城内の中庭を照らす。
その中央に位置する荷馬車の周りには、スピラと魔王を見送るため、留守番組が勢揃いしていた。
「スピラ様。道中盗賊にはお気を付け下さいね。陛下がおられるから心配ないとは思いますが……。ルクルムの街は帯杖禁止なんですよね?」
「ええ、あそこには魔法使いがいないから。でもそんなに心配することないわ。殆ど転移魔法で移動するらしいから。――それよりも、お土産楽しみにしていてね!」
「はいっ。楽しみにしてます!! ――ルクルムの街って色んな国の珍しい品物が沢山揃ってるんですよね!! 初デート楽しんできて下さいね、殿下!!」
「…………デ、デートではないと思うわよ、リリウム」
「まあ、デートみたいなものだな。少なくとも僕はそのつもりだ」
「ほらぁ! 陛下もそうおっしゃってますよ!」
リリウムは頬を上気させ、キラキラした眼差しをスピラに向ける。
「陛下はわたくしをからかって楽しんでらっしゃるの。もうその手には乗りませんわよっ」
「からかっているつもりはないんだが。――リトスは何か欲しい物はないか?」
「いえ。特にありません」
「お前は本当に欲がないな。偶には強請ってくれてもいいだろうに……」
「いつまでもここでくっちゃべっていたら、帰りが遅くなりますよ。――お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「リ、リトスさんて、ほんとドライですよね……」
ロサは苦笑を浮かべる。
「リトスは素直じゃないだけなんだ。今のを訳すと『お土産なんかいいから、とにかく無事に帰ってきてね』だ」
「えっ!! そっ、そうなんですか!? 分かりにくすぎますよリトスさん!!」
すると、リトスはいかにも面倒臭そうに嘆息する。
「……ハデス様。遊んでないでとっとと出発して下さい」
「――流石陛下ね……。さっきの一言にそれ程までの含みが込められていたなんて……」
スピラは顎に手を添え、感心した様子で呟く。
「君もそのうち分かるようになるさ。――さて。リトスの言う通りあまり帰りが遅くなってもいけないし、そろそろ出発しようか」
「そうですわね。じゃあ、行って来るわ」
そう言って留守番組に別れを告げ、二人は荷馬車の御者席に乗り込む。――すると、あっという間に転移魔法で森の中へと移動した。馬も転移になれているのか、特に慌てた様子はない。
魔王はそのまま手綱で合図を送り、馬を走らせる。道は舗装されていないのでガタガタと揺れ、乗り心地が言いとは言えない。
改めて横に座る魔王に視線を向ける。艷やかな長い黒髪は短く切りそろえられ、瞳の色は黒。格好は如何にも中流階級の商人といった出で立ちでだ。流石にこれだけ完璧な変装をしていれば、身元が割れる事はないだろう。
スピラも、それに合わせて控えめな装いをしている。髪はハーフアップにし、ワインレッドの簡素なワンピースを着ている。杖は持ち込み禁止の為、今日は護身用の短刀を腰にぶら下げている。
「陛下。ここからルクルムまではどれ位かかるのですか」
「大体二時間だ。この森が転移するのに一番都合が良くてね。もっと近くまで行ってやりたいところなんだが……」
「――いえ! お気になさらないで下さいませ。むしろ知らない村や町の風景を見られるので嬉しいですわ!」
「そう言ってもらえると助かる。それと、約束してほしいんだが……ルクルムに着いたら僕の側を離れないこと。君は杖も持っていないし、何かあってからでは遅いからな」
「はい! ――でも、わたくしそんじょそこらの男性より強いですわよ? 確かに杖がないと大した魔法は使えませんけど……」
「――ああ、分かっている。だが、これは絶対だ。守れないなら今すぐ転移で君だけ送り返す事になる」
「……わ、分かりました! 約束しますわ」
いつもより明らかに厳しめの口調で話す魔王に多少の違和感を感じるが、追い返されてはたまらないので、大人しく頷いておく。
そうして幾つかの村々を過ぎ、二人は漸く自治都市ルクルムの城壁まで到着した。門衛による検問を済ませ通行税を支払い、壁内へ進む。
暫らくすると次第に人々の声が大きくなり、活気に溢れる街の風景が視界に飛び込んで来た。中心の開けた場所には、大理石で出来た立派な噴水がある。一際目を引くのは、丸屋根で豪奢な造りをした寺院らしき建造物だ。その広場には沢山の人々が行き交い、賑わいを見せている。――そこを通って、白を基調とした壁の家々が立ち並ぶ住宅街を抜けると、市場の風景が見えてくる。海に面した開港都市なので、街には仄かな潮の香りが漂っている。
スピラ興奮した様子であちこちに首を振って街の様子を眺める。
「随分と楽しそうだな。――この街が気に入ったか?」
「ええ、それはもう!! だってとっても賑やかで、街の人達も活き活きとしていますもの!!」
「そうだな。ここは各国の貿易の拠点だから、珍しい品物も沢山手に入るぞ」
「まぁ!! それは楽しみですわ。――それにしてもこの街は、水路がやけに多いですね」
「ここは貿易船が頻繁に出入港するからな。運河沿いの倉庫に直接品物を運び込める便利な構造になっているんだ」
「そうなのですか……。それは素晴らしい仕組みですわね。この街がこれだけ活気に溢れているのも頷けますわ」
そうしてこの街に関する説明を聞いている内に、あっという間に目的地の商館に辿り着いた。五階建てのその建物は、一階部分が丸ごと倉庫になっている。入り口付近で警備を担当している商館員に会員証を見せ、二人は御者席から降り立つ。――魔王は顔馴染みの商館員達と品物について何やら話し込んでいる。それを少し離れた場所から暫く観察していると、話を終えたらしい魔王が戻ってきた。
「待たせたね。今から品物の検品があるから、もう少しかかりそうだ」
「そうなのですね! ――ここで待っていれば良いのですか」
「いや。この建物の上に外国人商人専用の宿泊施設があるから、その一室を借りる」
「まぁ……! どんなお部屋なんでしょう……楽しみですわ!!」
スピラは好奇心に満ちた表情を浮かべる。
「――ふっ……」
「あら、今度は何がツボに入ったんですの?」
「……いや。君は本当にいつも楽しそうだと思ってな。見ているこっちまで明るい気持ちにさせる。――それは君の美点だな」
魔王は柔和に微笑む。
その虚飾のない素直な褒め言葉に、スピラの心臓が跳ねる。自分に美辞麗句を並べ立てる者は今まで沢山いたし、それを上手くあしらう事にも慣れている。打算的な賛辞は中実のない果実の様に味気なく、簡単に心をすり抜けて行く。しかし今の言葉は、自分の内面を知った上で、自分の為だけに向けられた正真正銘の褒め言葉だった。
「………………」
虚を衝かれたスピラは、暫時言葉を失う。
「……どうかしたか?」
「――い、いえ。 何も! 何でもありませんわ」
「本当か? 今、何か変な間があった様に感じたが。――少し顔が赤い気もするし……」
魔王は気遣わし気な表情でスピラの顔を覗き込む。
「ほっ、本っ当に何でもありませんから!! それよりも、お部屋に案内してくださいませ!!」
「……あ、ああ?」
スピラは魔王の背中を押して、部屋へと促す。赤くなっているらしい顔を隠すのにも丁度いい、と思いながらずんずん歩みを進めていると、突然魔王が足を止めた。危うく背中に頭をぶつけるところだった。何事かと思い、背中越しから前を覗くと、恰幅の良い中年男性が進行方向を塞いでいた。見るからに良い身なりをしたその男は、綺麗に整えられた口髭を片手で摘んだまま口を開く。
「これはこれは、ハーディス様!! 確か、半月ぶりですかな? お元気そうで何よりですぞ」
「ご無沙汰してます。商館長殿もお元気そうで何よりです」
「ええ、ええそれはもう……っ! ――おや、後ろにおられる貴婦人はもしや……」
「彼女は僕の妻です。今日はこの後、彼女を連れてこの街を観光しようと思っています」
「なんと!! この様に美しい奥方様がおられたとは……。いやぁ、ハーディス様も隅に置けませんな。――はじめまして。私めはこの商館を取り仕切っております、商館長のバルバと申します」
「初めて、バルバ様。いつも夫がお世話になっております。お会いできて光栄ですわ」
スピラは男に向けてカーテシーをする。
「いやぁ、見惚れる程に完璧な所作ですな。まるでどこぞの王女様の様だ!」
あっはっは!と豪快に笑う商館長の鋭い指摘に、引き攣り笑いを浮かべる。流石は商人だ。この一瞬のやり取りで、自分の素性を目利きされてしまった。変装は完璧だと思っていたが、長年の淑女教育で体に染み付いた所作まで偽ることは出来なかったようだ。
「彼女は元々貴族のお嬢さんなんですよ。僕の様な一介の商人には身に余る高貴なお家柄のね」
「左様でございましたか! なるほど道理で……。お貴族様特有の高貴な雰囲気を纏ってらっしゃるのはそういう訳でしたか。――ところで、今から街へ?」
「いえ。まだ商品の検品が済んでいませんから、商館の一室で待たせて頂く事にしました」
「でしたら、私めがお部屋までご案内致しましょう! ――ささっ、どうぞこちらへ!!」
そう言うとバルバは先頭を切って歩き始めた。正直これ以上一緒にいるとボロが出てしまいそうなので早く持ち場に戻って欲しかったが、どうやら魔王は大口の取引先らしく、そうもいかないようだ。
「いやぁー、ハーディス様にご持参いただく絹糸から作った衣服は、お貴族様や騎士様に大変人気なのですよ! 着心地、生地の光沢、発色の良さ。どれを取っても、素晴らしい! 我が国では、ドレスから軍服に至るまで幅広い衣服の生地に使用されているんですよ!」
「そうなのですね。この国の皆様にそれ程喜んで頂けているなんて、商人冥利に尽きますわね」
「ああ、そうだな。――ところで、商館長殿。市場でおすすめの場所などがあれば教えて頂けませんか」
「おっと! これは気が利かずに申し訳ない! 食べ物に関して言えばやはり、魚介類でしょうな。港か近いですから、内陸では見る事のない珍しい種類も多数ございますよ。あと、ルクルムグラスは土産に買って帰れば喜ばれる事間違いなしです。我が国の伝統工芸品ですからな!」
「色々と見所がありそうですわね! これから街へ出掛けるのが楽しみですわ」
「ええ! きっと素晴らしい一日になりますよ! 観光案内でもして差し上げたいところですが、私めもこれで忙しい身でして……――あ、いや若いお二人には不粋でしたかなっ!」
バルバは豪快に笑って見せる。
どこか親しみやすさを感じる軽妙な話術には、商人らしさが滲み出ている。しかし、「若いお二人」というのはどうにも引っ掛かる。自分は確かに若い部類に入るのかもしれないが魔王は実際、バルバよりも遥かに年上なのだ。見た目が“コレ”なので、若い新婚夫婦に見られるのは当然なのだが……。色々と突っ込みたい衝動を心の内に収めて、取り敢えず笑いで誤魔化しておくことにする。
すると先頭を行くバルバが、歩みを止めた。
「さっ、着きましたぞ! ――どうぞ中へ!!」
バルバは扉を開ける。
そこは太陽の光がたっぷり降り注ぐ明るい雰囲気の一室だった。元々宿泊施設なので、大きめの寝台や、化粧台も完備されている。壁紙はモスグリーンを基調とした目に優しい色合いだ。
「落ち着いた雰囲気の素敵なお部屋ですわね!」
「ああ。いい部屋だな」
「いやぁ、気に入って頂けた様で何よりです! この部屋は運河に面しておりますから見晴らしも抜群ですぞ」
「まあ、そうなのですね! 長旅でお疲れの商人の方々も、ここでならゆっくりと英気を養えますわね」
「その様に評価して頂けると、我々も働き甲斐があるというものです!」
「案内して頂き、ありがとうございます。検品が終わるまでゆっくりさせて頂きます」
「いえいえ!! 私の方こそ、楽しい時間を過ごすことが出来ました! 麗しい奥方様にもお会い出来ましたしなっ!!」
「まあ! お上手ですわね。勿体ないお言葉ですわ」
「いやいや! ご謙遜をなさりますな! 街は自警団もおりますから、城外よりは比較的安全ですが観光の際は重々お気を付け下さい!」
「お心遣い感謝致します」
「いえ! では、私めはこれで失礼させて頂きます!」
そう言ってバルバは持ち場に戻った行った。
入国早々、国外に飛んじゃってすみません……笑