16
――翌日。
スピラは昼食後、リトスの案内で城内を探索していた。
ロサとリリウムは掃除に洗濯、夕食の仕込み等色々と忙しいので、今は二人切りだ。
「ここへ来た時は、直接玉座の間へ飛ばされたから分からなかったけれど……崖の上に立っていたのね」
「ええ。ここは昔、人間が使っていた城ですから。侵入者対策の一環ですよ」
「――そうなの。だから礼拝堂があるのね!」
「はい。私達魔族には必要ありませんが、人間には必要なものなのでしょう」
「そうね。私はあまり信心深い方ではないけれど。リーベルタースでは信仰の自由が認められていたから。――ところで、陛下は今どちらにいらっしゃるの?」
「陛下は地下倉庫におります。納品間近の商品を確認しているところです」
「…………え? ちょ、ちょっと待って! 『納品間近の商品』って……もしかして陛下は商いをなさっているの!?」
「はい。陛下は各国の商人ギルドに加盟しています。店舗は設けておりませんが、直接ギルドに納品しています。ギルドは問屋も兼ねているので」
商人ギルドとは、主に商人同士の相互扶助を目的として組織された組合の事だ。ギルドが存在する国家や自治都市では、ギルドに加盟していないとその土地で商売をする事が出来ない。またギルドは問屋業や仲介業といった商人同士の橋渡し的な役割も担っており、市場の活性化に大きく貢献している。
「全然知らなかったわ。珍しいお茶や果物がここにあるのはそういう事だったのね。――だけど、どうして商いをしようと思ったのかしら……」
「一番の理由は各国の国内情勢を把握する為です。この国を他国の侵略から守る為にも、世の中の流れを把握しておく事は必要不可欠です」
「つまり内偵のついでにお金儲けをなさっているのね。――だけど、陛下は人間離れした美しいお顔立ちをされているでしょう? あれじゃ目立ち過ぎるんじゃないかしら」
「容姿を変える魔法を使っていますから。勿論ギルドの登録名もでたらめですよ」
「……なるほど。わたくしは、てっきりこの国から一歩もお出にならないのだと思っていたのだけれど。違ったのね」
「ええ。出来る限り人間と関わらない様にはしていますが」
「やっぱり、陛下も貴方も人間が嫌いなのね……」
「そうですね。出来れば関わりたくないですね」
(……うっ。ど直球できたわね。でも、隠されるより全然いいわ)
「だけど貴方は嫌々ながらも、こうしてわたくしを案内してくれているわよね。それは何故なの?」
「……陛下のご命令だからです」
「そこがひっかかるのよね。そもそも陛下は何故わたくしを妃に娶ったのかしら」
「それは………………」
リトスはそれっきり口を閉ざしてしまった。
せっかく会話が続いていたのに残念だが、リトスの反応から察するに、やはりこの婚姻には何か裏がありそうだ。今のところ魔王は自分達に良くしてくれているし、これといった問題はない。リトスは人間を嫌っている様だが、だからといって危害を加える訳でもない。寧ろ慣れないこの土地での生活に困らない様、色々と配慮してくれている。
疑いたくはないが、自分には侍女達をこの国へ連れてきた責任がある。今のところは様子見だが、用心するに越したことはない。
そんなふうに今後の身の振り方について思案していると、前を歩くリトスが足を止めた。
「こちらが図書室です。この部屋は自由に使っていただいて構いません」
リトスの後に続き、室内に足を踏み入れる。
その部屋は二階まで吹き抜けの造りになっており、大量の本が四方の壁を埋め尽くしていた。部屋の中央スペースにはテーブルと数脚の椅子が用意されている。
内装は他の部屋より幾分か控えめなので、静かに読書を楽しむには良さそうだ。
「凄いわね。これだけ大量の本を集めるのは大変だったでしょう」
「私達は長生きですから。生きていれば自然と集まる数です」
「そうだったわね。貴方もここへはよく来るの?」
「いえ。ここへ来るのは調べ物がある時くらいです」
「そう。――ちょっと見て回ってもいいかしら」
そう言ってスピラは近くの本棚を物色し始めた。芸術、音楽、歴史、童話、小説、魔法、哲学、宗教……。ざっと見ただけでも、色々なジャンルの本が揃っているのが分かる。読書は好きなのでこれだけの種類が揃っているのは有り難い。ここでの生活は退屈せずに済みそうだ、などと考えていると棚から出っ張って今にも落っこちそうな本が視界の端に映る。慌てて手に取ると、背表紙には「絶品! 肉料理辞典」と記されていた。ページの隙間からは幾つかの付箋が飛び出ており、そこを開いてみると「牛肉のパテの作り方」のページに辿り着いた。所々走り書きで、注意点などが書き込まれている。
牛肉のパテといえば昨日の夕食に出てきたメニューではないか、と思い至った所で側にいたリトスが慌てて本を取り上げる。その珍しく焦った様子に、スピラは悟ったようにくすくすと笑う。
「ふふっ……。そんなに慌てる事ないじゃないの」
「……べ、別に慌ててなどいません!」
「あら、そうなの。……その本で勉強して作ってくれたのよね。考えてみれば、貴方達は肉を食べないのだから作る機会もないわよね」
「………………」
「ありがとう、リトス。とっても美味しかったわ」
「……貴方の為ではありません。私はただ陛下の命に従っているまでです」
「分かっているわ。それでも、ありがとう。貴方はわたくしが嫌いなんでしょうけれど、わたくしは結構貴方が好きよ」
「……なっ! 貴方に好かれても嬉しいことなどありません!」
「あら、照れなくてもいいのに……」
「照れてません!! だいたい貴方は、これだけ私に嫌いだと言われて、腹が立たないんですか!? 何故そんな風に笑っていられるんです!?」
「……それは多分、貴方が本心で話してくれるからではないかしら」
「…………それは、どういう意味ですか」
「……わたくしの周りにはね、心にもない麗句をまるで息をする様に口にする者達が沢山いたわ。――それは仕方のない事よ。貴族として生まれたならば王家との繋がりを欲するのは当然の事。わたくしを褒めこそすれど、貶そうとする者はそうそういないわね。それを羨む者もいるでしょうけれど……それらは所詮ハリボテよ。どんな賛辞も麗句も簡単に心をすり抜けて行ってしまうわ。少しでも気を抜けば寥々とした荒野の様に心が荒んでいってしまうの。幸いわたくしには心を許せる友人や侍女がいてくれたからやってこられたけれどね。――だから嫌いだと言われても、それが貴方の本心なら悪くないわ。わたくしにとってそれは貴重なものなのよ。……あ、でも勿論貴方とは仲良くなりたいと思っているのよ?」
「…………人間は、本当にくだらない」
リトスは僅かに俯き、眉をしかめる。
その表情からは人間に対する侮蔑と底の知れない憎悪が見て取れた。スピラはその姿から、リトスの暗然たる過去を垣間見た気がした。リトスがこれ程までに人間を拒絶するのには、それ相応の理由があるのだろう。それが何なのかを聞くべきか迷ったが今ではない気がした。それにこのままだと空気が重すぎる。悪気がなかったとは言え、自分の話がリトスの古傷を抉る形になってしまった。
「えっと……。暗い話をしてしまってごめんなさいね。自分でこんな話をしておいて何だけれど……人間は確かに強欲で浅ましい所があると思うわ。だけど、物事は常に表裏一体よ。コインに裏と表があるように、悪い部分があれば、必ず良い部分があるわ。わたくしは、そのどちらも欠けてはならないと思っているの」
――その言葉を聞いた瞬間、リトスの黒の双眸が大きく見開かれる。
『リトス。人間を憎むなとは言うまい。お前は多くを失ったのだから。だが、闇に魅入られるな。それは真実の断片にすぎない。その裏にある光を決して見失うな』
それは懐かしい記憶の欠片。暗い水底に沈んで忘れ去られていた大切な思い出。たった一人生き残った寄る辺のない自分を、我が子同然に愛してくれた人――。
何かに驚いた様子でその場に固まってしまったリトスの姿に、スピラは自らの度重なる失態を悔いる。リトスにこれ以上人間を嫌いになって欲しくない一心で、人間の明るい側面にも目を向けて欲しいと思い話してみたのだが……どうやら逆効果だったらしい。この状況をどうにか挽回しようと考えを巡らせるが、こんなときに限って気の利く言葉が出てこない。不甲斐ない自分の有様に辟易しながらもとにかく何か話しかけなくては、と言葉を繋ぐ。
「あの……リトス? わたくし何か貴方に失礼な……」
スピラがそう口にしかけた次の瞬間――向かい合うリトスの背後、数メートル先の床が何やら金色の光を放ち始めた。何とかしてリトスを元気付けようと一点に注がれていた意識が一転、背後の光に移される。
不自然な場所に注がれるスピラの視線に、ようやく我に返ったリトスが体ごと後へと振り返る。――すると、転移魔法でこちらへやって来たらしい魔王と視線がぶつかった。
魔王はすたすたと目の前までやって来て、向かい合う二人を容量が得ないといった様子で見比べる。少しの間思案した後、リトスの方へ首を捻る。
「リトス、何かあったか」
「…………いえ。何でもありません。――それよりも、何用でこちらに?」
「ああ、ちょっと在庫が合わなくてな。ペタルーダのところへ行ってくる」
「まさか明日納品の分ですか? でしたら私が行ってきます。直接飛ばして下さい」
「ああ、頼んだ」
魔王がそう言うと、リトスはもう見慣れた転移魔法でスッと何処かへ消えてしまった。