13
窓から差し込む陽光を瞼の裏に感じ、スピラは目を覚ました。
起こしにやって来たロサが勢い良くカーテンを開ける。今日は昼から結婚式を執り行うので、いつもより少し早起きだ。スピラは眠い目をこすりながら寝台から起き上がる。ロサに案内された城内の浴室で汗を流し部屋に戻って、化粧台の前に腰掛ける。鏡越しに映るスピラの髪を整えるロサは、心なしかいつもより楽しそうに見える。
「今日は忙しくなりますよ! うんっと綺麗にしてさしあげますね!」
「――何だか楽しそうね、ロサ」
「そりゃあ、楽しいですよ! スピラ様はお美しいのに、着飾る事に興味が無さすぎます。ですからここは私の腕の見せ所です!」
「そ、そう……。所でリリウムはどうしたの」
「リリウムは、厨房におりますよ。リトスさんと朝食の用意をしてます」
「えっ!? あの子料理が出来るの!? 全然知らなかったわ……それに今『リトスと』って言わなかった!?」
「それがリトスさん、どうやらお料理がお得意みたいで……。リリウムは料理なんて出来ない筈なんですけど……スピラ様のお食事に何かあってはいけないからと言って、リトスさんのお手伝いをしてます」
「リトスは料理が得意なの!? お、驚いたわ……魔族にも料理が出来る者がいるなんて……。ますますリトスが何者なのか気になるわ」
「そうですよね。料理は結構得意なので、私が担当しようと思っていたんですけど……」
料理は本来、料理人やキッチンメイドの仕事なので伯爵令嬢のロサに出来る筈はない。しかし父親に奴隷同然に扱われ、召使いの仕事もさせられていたロサは、家事全般をこなす事が出来る。ロサにとって伯爵家での思い出は、どれも吐き気がする程に悍ましいものばかりだ。しかし虐げられていたが故に身に付いた技能を、スピラの為に活かす事が出来るのなら、あの苦しい日々にも多少は意味があったのかもしれないとロサは思っていた。
「リリウムは大丈夫かしら……。リトスと二人きりなのでしょう……?」
「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですよ。ああ見えて結構図太いですから。それよりも! 陛下がスピラ様の為にドレスを用意して下さってるんですよ。見てください!」
ロサは、人の背丈ほどあるそれをスピラの近くへと運び、覆い被さっている白い布をするっと外す。すると、白のシルク生地に、金の刺繍がそこかしこに施された品のあるドレスが姿を現した。フリルは無く、シンプルなデザインなので、シルエットの美しさが際立つ。着る人を選ぶ逸品と言えるだろう。
「まぁ……! とっても綺麗! リーベルタースではあまり見ないデザインだけど、素敵だわ」
「スピラ様の白銀の髪とよく合いそうですよね! 陛下はセンスが良くてらっしゃるんですね」
「そうみたいね。会ったらお礼を言っておくわ」
「はい、きっと喜ばれますよ。それと今夜は、とっておきのナイトドレスを用意してますから!」
「………………ナイトドレス?」
「はい。ナイトドレスです。昨日はお疲れで、夕食も食べずに朝まで眠ってしまわれたでしょう? ですから今夜が本番です!」
「……………………ホ、ン、バ、ン?」
「――――スピラ様まさか……。初夜の事お忘れになってたりしませんよね!?」
(――かっ、完全に忘れてたーーーー!!! そうよ、わたくしは陛下の妻になったのだから一夜を共に過ごすのは必然……本来であれば昨日完遂される筈だったのよ……!!)
「……完全に忘れてたわ。――どうしましょうロサ!!」
「どうするもこうするも、腹を括って下さいとしか……」
「貴方ちょっと冷たすぎるんじゃなくって!?!?」
「どうしてそんなにお嫌なんですか? 陛下は美青年ですし、昨日の対応を見ている限り、そんなに悪い方には見えませんでしたよ」
「それとこれとは話が別よ!! 分かるでしょうっ!?」
「んー……。――まぁ、なんとかなりますよ! 勢いで乗り切ってください!」
「…………薄情者」
「今、何かおっしゃいました?」
「――分かりました。こうなったら初夜だろうと何だろうと受けて立ちます!! かかってらっしゃいな!!」
仁王立ちで両腕を組み、鼻息荒くそう宣言する主の姿に苦笑するロサ。
そんな戦闘態勢で臨まれては、とっておきのナイトドレスの効果が半減してしまう。夜までに何とかしなくては、とロサは決意を新たにした。
〇
――赤い天鵞絨の絨毯が伸びる中央通路をロサと共に一歩ずつ進む。
正面に見える複数のアーチ型の窓には見事なステンドグラスが嵌め込まれている。そこから差し込む光が中央通路を照らし、幻想的な雰囲気を演出する。
城内にあるその礼拝堂は、こじんまりとしているが、内装は豪奢に飾られている。ドーム型の天井には古い神話の神々が描かれ、至る所に金の装飾が施されている。
あまりに内装が美しいので、見て回りたい気持ちになるが今は神聖な儀式の最中だ。そういう訳にはいかないだろう。
通路の左手側の座席に目を遣ると、リリウムが瞳を潤ませて手巾で目元を拭っている。
辿り着いた祭壇の前には、スピラとお揃いのいデザインで作られたジェストコールに身を包んだ魔王が待ち構えたいた。
「やっぱりそのデザインにして良かった。よく似合っている」
「ありがとうございます。陛下こそ、お似合いですわ」
魔王はスピラの褒め言葉に、柔らかい笑みで返す。
笑った顔は謁見の時も一瞬見たが、やはり美しい。改めて近くで魔王の顔を観察する。――すっと伸びた鼻筋に艶のある薄い唇。少し吊り上がった大きな黄金の瞳は、陽光に照らされて宝石の様に輝いている。どうやら母国の結婚式に登場した石人形のモデルは魔王だったようだ。最初から感じていた妙な既視感の正体はこれだったのだ、と得心する。
当然の事ながらここに教会関係者はいないので、リトスが替わりに聖句を読み上げる。
「新郎ハデス・テオス・ウラノス。貴方は新婦スピラ・リーベルタースを妻とし、健やかなる時も、病めるときも、共に助け合い、その命ある限り愛し続ける事を誓いますか」
「誓います」
「新婦スピラ・リーベルタース。貴方は新郎ハデス・テオス・ウラノスを夫とし、健やかなる時も、病めるときも、共に助け合い、その命ある限り愛し続ける事を誓いますか」
「誓います」
誓いの言葉が交され、互いを正面にして振り向く。すると魔王が恭しくスピラの左手を取り、その白く細い薬指に、すっと指輪が通される。金の緻密な細工が施された台座には、見事なカッティングの黄水晶があしらわれている。その宝石の色は魔王の黄金色の瞳によく似ていた。
そのあまりにも美しい輝きに目を奪われ、一瞬時が止まる。
なぜかその指輪から目を離せない。
(――何かしら……。この指輪…………何処かで……)
――そう思った次の瞬間……
スピラの脳裏を知らない景色が駆け抜ける。
(――――!?!? ――今……何か…………………………いたっ!!!)
それからすぐ、頭を割れるような激痛が走った。同時に強烈な目眩も襲ってくる。
神聖な儀式の最中に倒れる訳にはいかないと、ふらつく足に力を込め踏ん張るが、平衡感覚を失っているせいでどうにも上手く立っていられない。頭痛も段々酷くなり、視界がぼやけてくる。――薄れゆく意識の中で耳を劈くような侍女達の声が聞こえる……――最後に視界に映ったのは自分の体をを支えやんと駆け寄る悲愴な表情をした魔王の姿だった。