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――――ドスンッ!
大きな物音と共に、全員が尻餅をつく。どうやらあの魔法陣は転移の為の物だったらしい。
「貴方達、怪我はない!?」
「いたた……はい、なんとか」
「……はい、私も無事です……」
「ミャー!」
皆の無事を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
ドレスがクッションの役割を果たしたのか、豪快に落ちた割にそれ程痛くはなかった。いつもよりボリュームのあるドレスを着ていて良かったと心底思った。
とにかく現状把握が先だ。ここは一体どこなのだろうか、と辺りを見回す。
長方形の大きな一室。天井には見事な金細工のシャンデリアがいくつもぶら下がっている。格子模様の大理石で出来た床は、ひんやりと冷たい。通路の中央には、赤い天鵞絨の絨毯が部屋の奥の方まで伸びている。
「遠路ご苦労だったな。リーベルタースの姫君よ」
艶やかな声を発したその男は、部屋の一番奥の玉座に腰かけている。長い足を組み、肩肘を肘掛けに預け頬杖を付いている。腰の辺りまで伸びた艶やかな漆黒の髪が、はらりと肩から滑り落ちる。瞳の色は黄昏時の麦畑を彷彿とさせる美しい黄金色。縦長の瞳孔が印象的だ。
狙った獲物を見据えるかの如く鋭い眼光がスピラの瞳を真っ直ぐ射通す。
その視線にスピラは既視感を抱いた。
(そうだ……あの森で出会った少年の瞳……)
あれは気のせいではなかったのだ。ならやはり、あの少年が魔王だったのだろう。国王から教えられた時は半信半疑だったが、今確信に変わった。
尻餅をついたままの体制を急いで起こし、スカートの埃を素早く払う。髪型を手櫛でささっと整えたら、すっと片膝をついて頭を垂れる。
「偉大なる国王陛下。ご竜眼を拝し奉り恐悦至極に存じます」
「面を上げよ。――随分と畏まったものだな。森で出会った時とは大違いだ」
「――偉大なる国王陛下とは露程も知らず……。働いた狼藉の数々、この場で手討ちにされても詮方ないと存じます」
「そんなに畏まる必要はない。寧ろ僕の方が君に無礼を働いただろう。あの時はすまなかった」
(――今この人『すまなかった』って言ったわよね……!?)
意外とすんなり自分の非を認めた魔王の態度に拍子抜けする。あの森での魔王の印象はとにかく最悪に尽きる。出会い頭に「魔物を誑かした女」のレッテルを貼られ、首を鷲掴みにされて窒息死しかけた。かと思えば今度は、急に物凄い腕力で抱きしめられ圧死しかけた。一日であんなに死にかける経験をしたのは生まれて初めてだ。てっきり傲慢不遜などうしようもない男なのだろう思っていたが、そこまでではないらしい。
「畏まる必要はない」とお許しも出た事だし、ここは今後の為にも出来るだけ仲良くなっておく方がいいだろう。
「いえ。怪我もしておりませんし、構いませんわ」
そう言うと、後ろに控えていたロサの腕の中からミーヤがすぽっと飛び出した。どこか興奮した様子で魔王目掛けて勢い良く駆け出す。玉座への階段を飛ぶように駆け上がり、激突しそうな勢いで魔王の胸に飛びついた。
「ミャー! ミャ、ミャー!」
ミーヤは嬉しそうに何やら魔王に報告している。魔王はその愛らしいミーヤの頭を撫でながら慈愛に満ちた表情を向ける。
「そうか……。随分大冒険をしたらしいな」
あんな表情も出来るのか、と内心で驚く。乱暴な印象が強いせいか、一挙一動にいちいち驚かされる。だがそれよりも気になるのはミーヤの事だ。
「あの……陛下はその子の言葉がお分かりになりますの?」
「ある程度はな。大まかな事しか分からないが」
(う、羨ましい!! 魔物の言葉が理解できるなんて……! 凄いわ。魔王の名は伊達じゃないという事ね)
魔物オタクのスピラからすれば、喉から手が出るほどに欲しい能力だ。
「……そうですか。その子は森で怪我をして倒れているところをわたくしが保護しましたの」
「そうらしいな。すっかり傷も癒えているようだ。君の慈悲に感謝する」
「いえ。わたくしの力は大したものではありませんわ。その子の驚異的な生命力がそうさせたのです」
「随分と謙遜をするんだな。だがこの子は君を大層気に入ったらしい」
「ミャ、ミャー!」
ミーヤは元気よく返事をして、再びスピラの元へ駆け寄って来た。擦り寄るミーヤの頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を細める。その愛らしい姿に、張り詰めていた緊張の糸が緩んでいく心地がした。ミーヤの顔を眺めていると、魔王にあったら一番に尋ねようと思っていた質問を思い出した。
「ところで陛下。お伺いしたいのですが、この子は一体何者なのですか。いくら調べてもこの子の容姿に該当する魔物が見付からなかったんですの」
「ん? ああ、そうか。この子はまだ幼いからな。ケルベロスは外に出さないようにしているし、分からないのも無理はないな」
――今、聞き捨てならない単語を耳にした気がする。
「…………い……今、な、なんと仰いましたの……?」
「ん? 外には出さないようにしている、と」
「そこではなくて!! その前です!! ケルベロスと! 仰いませんでした!?」
「ああ。そう言ったが……。それがどうかしたのか」
(やっぱり!! 聞き間違いではなかったのね。古い文献や壁画の中にしか存在しない伝説の魔物ケルベロス……まさかミーヤがそのケルベロスだったなんて……)
驚きのあまり暫く言葉を失い、呆然としていると魔王が不可解そうに口を開く。
「何をそんなに驚くことがある? ケルベロスは君たちの間でも知らぬ者はいないだろう」
「勿論です! ですがその姿が記されているのは、五百年以上も前の古い文献や壁画の中のみです。おまけに現存する資料は保存環境が劣悪だったせいで、その大半が解読できておりませんの。実際に目撃した者もおりませんし、殆ど伝説上の存在なのですわ」
文献の記述によると、ケルベロスは犬の容姿に三つの頭を持つ魔物だ。壁画には人の頭を見下げる程の大きさで描かれているので、ミーヤも成体になればそれ位になるのだろう。ミーヤの正体が判明したのは良かったが、スピラの中で新たな疑問が生まれた。
(ミーヤは猫ではなかったの……!?)
鳴き声や仕草から、てっきり猫系の魔物だと思っていたので面食らった。それに疑問はまだ残る。ケルベロスの頭は三つある筈なのだ。しかし、ミーヤの頭はどこからどう見ても一つ。道理であれだけ魔物図鑑や文献を漁っても見つからない訳だ。
魔物の事となると、我を忘れて探求心に引っ張られてしまうスピラは、魔王を怒涛の質問攻めにする。
「それに、この子は犬というよりも猫に近いのでは? 頭も一つしかありませんし、現存する資料との整合性が取れませんわ」
「君は随分と魔物に興味があるらしいな。そもそも犬だの猫だのという分類分けは、君たち人間が勝手にし始めたことだ。魔物は他の動物とは違う。ケルベロスは幼体期は猫に近い姿をしているが、成体に近付くにつれ犬に近い姿になる。頭が一つしかないのはその子がまだ幼いからだ。ケルベロスの寿命は大体、四百二十年~六百年だ。その間に徐々に他の頭が生えてくる」
「……そうだったのですか! 全然知らなかったわ。というかこんな貴重なお話をわたくし一人が独占してもいいのかしら……」
何やらぼそぼそと独り言を呟き、自分の世界に入ってしまっている。こうなったスピラは周りの事が全く見えていない。またいつもの悪い癖が出たらしい。
その姿を見兼ねたロサがスピラの元までやって来て焦った様に耳打ちする。
「スピラ様!! 国王陛下の御前ですよ! 戻って来てください!」
(…………はっ! そうだったわ! わたくしとしたことが!)
「失礼しました。その、大変興味深いお話だったものですから……」
「ふっ……。君は面白いな。構わないよ。今日は疲れているだろうから、もう休むといい」
「お心遣いありがとうございます。……ですが、結婚式はどうなさるのですか」
「ああ、それなら明日でも構わない。ここでは特に形式に拘る必要性がないからな」
「では、お言葉に甘えさせていただきますわ」
「ああ。――リトス、ここへ」