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明け方――小鳥の囀りがこだまする静かな室内に、扉を叩く音が響く。
ギィという鈍い開閉音と共に入室した侍女は、天蓋付きの豪奢な寝台の上で大きな欠伸をする主を認めて口を開く。
「おはようございます。スピラ様」
少女はその姿を横目でちらと確認し、ぐっと体を伸ばす。
「おはよう、ロサ。――あら、でもどうしたのこんな朝早くに。今日は休校日よ?」
艶やかな白銀の髪にペリドットを想わせる美しい瞳。この国の第一王女スピラ・リーベルタースの朝は今日も今日とて慌ただしい。
「はい、存じております。国王陛下がお呼びです。急ぎ執務室へ来るようにと」
(――お父様が? こんな朝早くにどうなさったのかしら。何かとてつもなく嫌な予感がする……)
「わかったわ! 手伝ってちょうだい」
スピラは支度を他の侍女らにも手伝ってもらい、素早く済ませる。
それから足早に執務室へと向かい、辿り着いた重厚な造りの扉の前で足を止める。――一旦深呼吸で心を落ち着かせたら、ぎゅっと表情を引き締め、扉を叩く。
「お父様。スピラが参りました」
「――ああ。入りなさい」
恐る恐る入室すると、ソファーの肘掛けに片腕を乗せながら、こめかみを揉む父王の姿が視界に映る。眉間には深いしわが刻まれ、どこか疲れた表情をしている。それから国王に、デーブルを挟んで向かい側のソファーへ目で促され、腰を下ろす。
「それでお父様、こんな朝早くに一体何事ですの」
「スピラ……。お前今度は、何をしたんだい」
「――は? 『何を』と言われましても……」
スピラは、そのと突拍子もない質問に首を傾げる。すると国王は、真意を見抜こうとするかのように、スピラの瞳を深刻な表情で覗き込む。
「ほんっっとうに、心当たりは無いんだね!?」
(心当たりって――……。はっ! まさか!! お父様が異国から持ち帰ったお気に入りの壺を割ってしまったことがばれたのかしら!? それとも猫と偽って飼っているミーヤが実は魔物だとバレた!? それでもないとすれば……)
何やら難しい顔で独り言を呟く娘を眺めつつ、国王は深い溜息をつく。
心当たりはいくつかある。しかし先に白状して的外れだった場合、更に面倒な事態になる事は目に見えている。ここは無難な返事をしておくのが良いだろう。
「あの……お父様。わたくしには、どうも何を仰りたいのか分からないのですけれど」
「――今朝、私の執務机にこれが……」
国王は一通の封書をスピラに差し出す。
スピラは赤い封蝋で綴じられたそれを開き、ざっと目を通す。するとみるみるうちにスピラの表情が険しくなり――……。最後に文末を締め括っているハデス・テオス・ウラノスの名前を認めると、盛大に頭を抱えた。
「お父様……。これは一体どういう事ですの!? 魔王がわたくしを妃に迎え入れたいなんて……!! きっと何かの間違いですわっ!」
「いいや。それは間違いなく魔王からの正式な書状だよ。――文末の国璽を見ただろう?」
国王の問いに、スピラは慌てて書状の文末に視線を向ける。
するとそこには、茨に取り囲まれた龍の模様が刻印されていた。それは、スピラが幼い頃、家庭教師に教わった魔族の紋章そのものだった。だが、理由が分からない。仮にこれが本物の請願書だとしても、何故自分を妃にしたいなどという話になるのか。何しろ魔族は五百年もの長きに渡り、世界との繋がりを断ち、沈黙を貫いてきたのだ。
「――今になってどうして。それにわたくしを妃にしたいなどと……。お会いした事さえありませんのよ」
「その事なんだが、本当に心当たりは無いのかい? 魔王は同族以外は認めない。人間や魔法使いを心底嫌っている。ただの気紛れでこんなバカげた書状を寄越す筈がないんだ。ここ最近何か変わった事は無かったかい?」
国王の問いにスピラは思案顔で顎に手をやる。
何か変わった事……変わった事――……と、内心で呟きながらここ数日の出来事を振り返る。
(――あっ。そういえばあの時、妙な少年に……)
「……でもまさか……いやそんな筈ないわ……」
国王はぼそぼそと呟くスピラの声を目敏く拾い上げる。次いで勢いよく身を乗り出し、バンッとテーブルを叩く。
「やっぱり何かあったんだね!」
「あら、わたくしったらまた独り言を。――関係がある様には思えないのですが、それ以外変わった事はありませんでしたし」
そう言ってスピラは数日前の出来事について語り始めた。