第2部-6話「落陽」
「・・・何故・・・どうして?なんで・・・そんなことを言うの?」
涙が零れ落ちていく。涙を見てミールスは私の頬へと手を伸ばそうとするが、視線を彷徨わせた後にその手をぎゅっと握りしめて眉を下げて微笑みを浮かべる。
今私達はたがいに触れることができない。今彼女がここにいるという存在証明は触れることではなく、ただ彼女の姿をこの目で捉えることしか証明できない。当たり前にいた彼女が確かにここにいると言えないのは、何と苦しいことか。
ミールスは既に殆ど透けてしまっている掌を天に向けて、透かして空を見つめる。
「本来、私の体の活動限界は超えていたのです。今は私を創り上げた人に無理を言って延命をしていたのです」
「・・・創り上げた・・・?ミールスは、人間でしょう?」
私の言葉にミールスは口元に笑みを浮かべたまま首を左右に振った。
「人間ですが、人間ではありません。でもどうか、私の口から誕生の話をお伝えするのは出来かねます。最期のこの瞬間に、貴女に嫌われたくないの」
「何を・・・」
ぴしりと何かがひび割れる音が聞こえる。恐らくミールスが作った防御魔法が割れかかっているのだろう。だが、それよりも今大切な人が消えそうになっている事実が私にとっては大切なのだ。
「私はね、お嬢様。遥か昔、最初の光の大精霊として初代聖女ピケアと共に旅をし、彼女が最後に見たという未来視、原初の厄災が力を取り戻す時代に肉体を得ました。それはその時代に産まれる聖女達と原初の厄災に立ち向かえる人材を引き合わせること。仲を取り持つこと。一番の候補は、伯爵家の人間だったのでプラティヌム伯爵邸にお仕えすることとなりました。聖女達の剣となる人たちを引き合わせたら、私の力を当代の光の大精霊へと引き継ぐ予定でした」
そこで、私は何故こんなに有能な使用人であるミールスがゲームに出てこない理由を理解した。
脇役だからというわけではない。彼女は、ゲーム開始当時にゲーム内で死んでいるのだ。恐らくそれはゲーム内ではただの使用人の死として語られることはない。ミールスはミールスで自身が初代光の大精霊だということはない。ピースがかちりとはまる音がする。
「アウローラお嬢様」
透明な、触れられているという感覚がない手が私の頬に触れる。
「一番最初に貴女を抱いたときに、何と美しい人なのだろうと思いました。でも、どうせ貴女はただの一使用人としてしか私を見ないのでしょうと思ってしました。でも、それは違った。貴女は、私に声を掛けて笑いかけて大切だと言ってくれた。人として生きたこともない、人でなしの私に愛情を与えてくれた。使命を捨ててでも、貴女と一緒にいたいと思った。できれば、貴女は戦わないで欲しいと普通の少女としての人生を歩んでほしいと思いました。そして何より」
ミールスの瞳から涙が零れ落ちていく。
「貴女の花嫁姿が見たかった」
「―!」
声が出なかった。
ミールスがこんなにも私の事を想ってくれていたこと。だというのに、私はミールスがいなくなるはずがないと現実から目を背けて彼女の不調を見て見ぬふりをしていた。怖いものを視ないように目を逸らした。
「アウローラお嬢様、一つお願いしてもいいですか?」
最期の頼みのように聞こえたその言葉にとめどない涙を零しつつ「聞かない」とそっけなく答え、ミールスは僅かに声を出して笑う。困ったようなミールスの声。彼女はひるむことなく小さな声でお願いしてくる。
「抱きしめさせてもらっても?」
何というささやかな願いに私の涙が止まることはない。子供の様に拳で涙を拭いながら、ミールスを見つめる。
「いつでもいいのに、そんな、さよならみたいなお願いしないでよ」
「ふふ」
ミールスはこそばゆそうに声を漏らすと私を包み込むようにして抱きしめた。でも、いつもの少し高いミールスの体温は感じることがない。たがいに触れたくても触れることができない。
「やっとで貴女を抱きしめられた」
「ふぐっ、ひっく」
「大切な、大切な私のご主人様。貴女の笑顔があったから、いつでも頑張れた」
「うぅぅ」
「大好きです。これからも、ずっと、愛しています」
するりとミールスが離れてそっと私の額にキスをした。小さく手を振り、ミールスはこちらに背を向けた。私は叫びながら彼女の傍へと駆け寄ろうとしたが、ノヴァとクラースに止められる。
「いやぁ!お願い!!行かないで!!ミールスぅ!!」
「アウローラお嬢様。恐らく精霊教会の方々がロサと共にこちらに向かっております。彼女等は聖女達の味方であり、決して貴女を裏切ることもなくきっと道を示してくれるでしょう」
ミールスは振り返り、後ろにいる皆の姿を見る。
「クラース様、ノヴァ様、インベル様、フロース様、現代の光の大精霊よ。私は光。原初の光。ミールスは消えても光はそこにある。いつでも見守っています。光が愛した人をよろしくお願いね」
「あぁ、あぁ、勿論だ。勿論だとも」
アウィスが何度も力強く頷く。それを見てミールスは満足げな笑みを浮かべると「ばいばい」と手を振り、防御魔法の外側に出ていった直後、
「いやぁああぁぁぁあぁ!!」
私はノヴァとクラースの制止を振り切ろうとするが、彼等に力で敵うはずもない。
神は一矢を防いだミールスを冷たく見据える。
『たった一度の矢を防いだくらいでいい気になるな。木偶人形如きの分際で』
「では、木偶人形が貴女を休眠状態まで追い込んだのは覚えていないのかしら?」
ミールスは胸元から下げていた物を神へと見せるが、私達からはそれが見えない。だが、それを見た瞬間さあっと神の表情から血の気が引き、険しくなる。
『それは!?』
「“弾丸”は一発だけだとお思いで?これくらいの距離ならば、“銃身”が私だけでも届く!!」
『くっ!息子よっ!』
神がプルヌスに声を掛けると、プルヌスは一瞬のうちに防御魔法をかけるが、今まで見たことがないほど彼は焦っているようにも見えた。いや、何処か怯えている様な気もしてくる。
「神はもうすでに隠居しろ。この世界は、人と精霊の世界だ!!!」
ミールスが叫ぶと彼女の体は白い光となって消え、チュンッという風を切る音とガラスが砕け散る様な音と共に防御魔法が砕け散り七色に光り輝く弾は神の右腕と右翼を消し飛ばした。その傷口からぼたぼたと肉片と血が大地に落ち、光が収まることろにはミールスの姿は跡形もなかった。
「あ・・・あ・・・」
先程までいた彼女が消えてしまったことに私は声を漏らし、魔法の主がいなくなったために消えてしまった私達を守っていた防御魔法が消えてしまった瞬間彼女がいた場所へと這うようにして走っていく。そこには、彼女がいた痕跡、彼女が身に着けていた服だけが散らばるばかりだった。それを掻き抱き、私は嗚咽を漏らす。
神は負傷した右腕を抑えながら声を荒げた。
『おのれっ・・・おのれおのれ!!殺す!!下等な生物ごときが2度も我が肢体に傷を付けるとは!!殺してやる!!』
神が左でを差し出して、先程と同じ攻撃を使用とした瞬間「お母様!!」という声と共にプルヌスが彼女の腰へと手を回すと大地を蹴った。神が先程までいた場所に、緑色の光を放つ魔鉱石で造られた半透明な美しい槍が大地を抉った。
「あららぁ外しちゃったですねぇ・・・う~ん、気配消していたはずなんですけれどもぉ」
のんびりとした少女の声が聞こえてくると、今度はプルヌスの上に無数の先程と同じ半透明の槍が現れて赤い光を帯びながらプルヌスへと襲い掛かった。それを小さく舌打ちをしながらプルヌスは半分避け、残り半分は防御魔法で防ぐ。
「考えている暇あったら攻撃を続けなさい!のんびり屋!」
「あははぁそうですねぇごもっともですぅ」
気が抜けてしまいそうな言葉が交わされると同じ攻撃がプルヌスを襲う。どうやら魔法の主は屋根の上にいるようだが、逆光で姿を見ることができない。猛攻をプルヌスは華麗に避け、防御し、神を守っている。だが神は私達への恨み言を何度も繰り返すだけで、自分の身を守ろうとしない。
「一回撤退しましょう。御身を直す方が先決です」
『いいや殺してやる!今ここで!!四肢を捥ぎ、その血肉を喰らい糧としてやる!!』
「はぁ・・・・」
プルヌスは隠すことなくため息をつくと、神の後頭部を殴るやいなや天井に向けて数秒で作った強大な炎の矢を放つと天井が崩れるが声の主らしい少女の姿は確認できない。
「それじゃ。またね」
なんてことのない一日の別れのように軽い口調でプルヌスはこちらに手を振りながらそう言うと、空気に溶けるようにして消えて行く。後ろからインベルとアウィスが魔法で攻撃をあてようとするが、それは片手でプルヌスに防がれる。
『プルヌス!!』
怒号のような声と強い風と共にロサが突如現れた。ロサの姿を見てプルヌスは一瞬動きを止めた。
『君は、やはりあの時・・・』
「いいや。何があってもこうなっていたよ。じゃあね。お師匠さん」
プルヌスは再び手を振ると、その姿を神と共に消した。
辺りに静寂が訪れる。彼がいなくなったと同時に魔物の姿も消したようだ。
肩に誰かが触れ、顔を上げるとそこには悲し気な表情のロサがいた。美しい中性的な顔立ちでいつもならば穏やかな笑みを浮かべているのだが、今だけは暗い悲しみの中に沈んでいる。私は思わずロサの手を縋りつくようにして掴む。
「ねぇロサ!貴方凄い賢者様でしょう?ミールスを、ミールスをっ」
私の必死な声にロサは小さく息を呑むと、首をゆっくりと振った。それでもあきらめることができなかった。
「ねぇ!ロサ!お願い!!大切な、大切な友達なの!ねぇ!」
『・・・ごめん。これだけは無理なんだ。無理なんだよ』
悔しさの滲む声に、これ以上私はロサの手を掴むことができなかった。そこで私はミールスとロサが時折親し気な雰囲気を漂わせていたことを思い出した。きっとロサにとってもミールスはかけがえのない大切な友人だったのだろう。
クラースが「アウローラ・・・」と悲し気に私の名前を呼ぶ。後ろを振り返ると、皆が今にも泣きだしてしまいそうな表情を浮かべている。
私はもう一度、ミールスの服を抱きしめる。
「ごめん・・・ありがとう・・・ごめん、ごめんなさい・・・」
私は立ち上がり、ぐいっと涙を乱暴に拭う。目元がひりひりと痛むが、今はその痛みがある事でしっかり立っていられるような気がしている。彼女が、ミールスが私達を助けてくれたのは、今ここで絶望し涙を流すためだったのか。それが違うと断言できる。ミールスがいなくなって悲しい。彼女が自らの命を使って神たちを退ける以外に、私達ができる方法があったかもしれないと思うと悔しくてたまらない。でも、それでも時間は戻ることがなく、彼女から貰った時間を私達は前に進むための時間に使わなければいけない。
遠い昔、ミールスが大切に想っていた聖女が守った世界を守るために。
やっとで自分の足で立ち上がった私をどこか心配そうにノヴァは見つめていたが、何処か辛そうに視線を逸らしてから気を取り直してロサを見る。
「・・・危機が去った今、取り敢えず、負傷者もいるようだから、まずは、帰ろう。お父様・・・国王陛下にもこのことを話さなくては」
「そうだね・・・じゃあ僕は負傷者の手当てと被害の確認をしてくるよ、兄さん」
「よろしくたのむよ」
「あ、私も行きます!」
フロースがインベルと共に騎士達がいる方向へと走っていく。私も何か手伝うことはないかと彼等が走り去った方へと歩き出した直後、ふらりとよろめいてしまう。ノヴァとクラース、アウィスにも支えられて転ぶことはなかったのだが、皆に一様に心配されて少し気恥ずかしくなり苦笑いを浮かべる。
「あはは、ごめんごめん」
少しお茶らけて行ってみたものの、彼等の表情は暗く曇っている。再び涙が溢れてしまいそうになるのを堪え、彼等の腕からするりと抜ける。
「大丈夫。大丈夫だから。今は、泣いている場合じゃないんだ」
私の姿を見てロサが誰かの影を重ねているように遠くを見ていたが、すぐに首を振って私の肩を叩く。
『無理はしないでね』
頷くだけで返事をして、もう一度目を擦る。そして、横になって気絶しているアルスお父様の元へと歩いて行く。そっと彼の胸に手を当て、呼吸がしっかりしていることを確かめた。安定した呼吸にほっと胸を撫で下ろして、彼を持ち上げようとするが突如として目の前に遭われた小さな影にその役目を取られてしまう。
「んもぅ。こういうのはぁ力持ちにまっかせなさいですよぉ」
彼女の周囲だけ時間がゆっくりと流れている様な雰囲気を纏った少女が目の前にいた。白と緑を基調とした帯の多い法衣を纏っているが、法衣というには下半身の丈が短い。細くしなやかな足にはぴったりとしたベージュの薄いタイツを身に着け、その見た目に反してベルト式のごつくヒールの高いブーツを身に纏っているからか背が高いように感じる。その顔をまじまじと見て、驚いた。
「フォリウ先生?」
幼さの残る顔立ちに、目が覚める様な赤い炎のような髪。美しい深緑を思わせる宝石のような緑の瞳。そっくりというものではない。全く同じだ。1つだけ違うと言えばいつもフォリウは首元で乱雑に髪を結っているが、目の前にいるその人は少しふわりとした髪を三つ編みにきつく結っている。
一呼吸目を丸く驚いた様子を見せたが、すぐに頬に手を当ててころころと笑う。
「ん?うふふ。残念ならが違うんですよぉ。でも妹がお世話になっておりますぅ」
「え?あ?お姉さん?」
変な声を上げて私が尋ねると、先程よりも大きく目を見開き動きを止めると突如破顔した。暫く笑い、ひーひー言いながらも収まるとアルスお父様を軽々と持ち上げてこちらにウィンクをする。
「うん。お姉ちゃんに任せて!それじゃ、せんせっまた後でね!」
フォリウの姉を名乗るその人はロサに向かって親し気に手を振ると、何処か上機嫌に外へと走り去っていった。出ていった直後、先程のフォリウの姉と同じ声、恐らく今度こそはフォリウの声でよく聞こえなかったが、その人を呼ぶだろう声が聞こえて「はぁい」と声がした方へと走り去っていく。
『アウローラ、皆』
ロサは私が抱えているミールスの服を何処か辛そうに見ていたが、意を決したようにしていつになく真剣な面むちで私達を見る。
『全て、これからのことを戻ったら話そうと思う。遥か昔、初代聖女はどう過ごしどう戦ったのか。先程の神や原初の厄災とは何なのか。包み隠さず。世界の、そして、これから君と共に戦う精霊教会の話を』
ロサの声はこれから始まる長い長い戦いの始まりを知らせるには、とても静かすぎるものだった。
※
音が聞こえて、振り返る。だが、そこには何もない。
隣に立つ彼が、どうしたの、と尋ねてくるので、私が得た感覚をそのまま伝える。彼の表情は、悲しそうであるが安堵している様な表情にも見えた。
この音は約束を守ってくれた音。そして、見たものが実現してしまった音。
穏やかな風がふわりと吹きここに来るまで嗅いだことのなかった、何とも言えない甘いいい香りが煙と共に漂ってくる。これはとある木の匂いだということを聞いて最初は驚いたものだ。来週は、名前を忘れてしまったが砂糖菓子のような花の匂いにしようと彼は言う。それは、彼の大切な人が好きな花だったそうだ。
甘いお菓子を食べる様な顔で、彼は思い出を語る。彼にそんな表情をさせることができた彼女とお話をしてみたいけれど、私の力では無理な話。でもいつか、話せればいいなといつも思う。
美しい夕陽が私達と眠っている者達の証を照らす。
陽が落ち、夜が訪れる。あちらも長い夜が訪れるだろう。
でもどうか、絶望はしないで欲しいと切に願う。
散りばめた星や月が、そして始まりの閃光が貴女をきっと導くでしょう。
大丈夫です。きっと陽は登る。
貴女の名は、朝を迎える名前なのだから。




