第2部ー4話「降臨」
ソルバリアの剣先は震えることなく私の喉元へ向けられている。もしここで私が持っている剣を数ミリでも動かせば、その剣は瞬く間に私喉を切り裂いてこの場所一面を血の海にするだろう。彼女の強さは何度も目にしてきたから、私自身彼女に及ばないことはよく知っている。皆もそうなのだろう。後ろにいる皆の緊張が伝わってくる、が、それでも私は彼女に問わずにはいられなかった。
「貴女はこの作戦に参加していなはず。今日からプルヌス先生と遠征のはずでしょう!それに、貴女が背を向けている相手は―」
「原初の厄災、なのだろう?」
ソルバリアが後ろで幼い子供の様に丸まりすすり泣いている赤い外套をちらりと見つめて、唇を噛む。恨み、憎しみという感情の表情ではなく、憐れみが見える。まるで、理不尽な定めを背負わされているがどうにもできない痛みを堪えている様な悔しささえ感じられるような表情だ。
何故、今まで人々を苦しめて来た存在にその様な表情を向けることができるのだ。赤い外套は紛れもない私達の敵であり、世界の敵だ。憐れみを向ける様なものではない。
私の表情から考えを察したソルバリアが冷ややかな目で私を見る。
「貴様らは何故、原初の厄災が世界を壊そうとしているのか、人を苦しめようとしているのか理解しているか?理解せず、ただ悪だと考え消し去ろうとしているのだろう。なんと、人間はいつまでたっても矮小で視野が狭い」
私は思わず眉間に皺を寄せる。まるで人間ではない様な口ぶり。もしかしてと私は口を開く。
「貴女は、人ではないの?貴女が、厄災なの?」
「賢いアウローラ。それは中らずと雖も遠からず。厄災そのものではなく、一部だ」
敵意は消えないがソルバリアはあっさりと隠すことなく答えた。戸惑いを抑えることは出来ないが、混乱し始める前に私は考えをめぐらす。そして、嫌な予感と今まで様々なフィクションに触れて来た経験が、一番私が考えたくないこれから起こりうる答えをはじき出してしまう。
刹那、襟首を強く惹かれ体の体勢か崩れ後ろへ倒れそうになるがすかさずクラースが私の体を受け止める。そして私のすぐ後ろに立っていたノヴァが剣を振り上げて真っ直ぐこちらへ向けていたソルバリアの剣を弾くが、剣はソルバリアの手から離れることなく彼女は大地を蹴り空中で回転すると赤い外套の隣へと着地した。まるで背に羽が生えているように音もなく着地すると、こちらをじろりと睨みつける。私はクラースへ「ありがとう」と返事をして立ち上がり、彼は無言のまま頷くと私の背を撫でた。気遣っている様な彼の仕草に糸が切れてしまいそうになるが、足に力を込めた。
ノヴァの剣先はソルバリアに向けたまま。ふと横から見えたノヴァの昏い瞳に背筋が凍りそうになる。ふと、今まで見たことがないというのにどこか遠い記憶の底で見たことがある様な気がした。
「王家に仕えてくれたことは感謝するが、厄災を名乗るのであれば切り伏せる」
低いノヴァの言葉にソルバリアは鼻で笑う。
「聖女に縋るだけの王族風情が」
明らかな王族への侮辱にノヴァの表情が徐々に怒りに歪んでいく。ふと後ろからも殺気を感じそちらを見ると、インベルの表情も怒りを滲ませて腰に差している剣を目に留まらぬ速さで抜くと声も出さずにノヴァと息を揃えてソルバリアへと切りかかる。その隙間からソルバリアが嘲笑うような笑みを浮かべて、剣を構えるのが見えた。
まずい、と声を上げようとした瞬間、長い長い金属がぶつかる音が一度だけ響き渡った。
「血の気が多いね。悪い所だよ」
突然音もなく現れたその人は静かな声でそう言う。
剣は防がれたのだ。しかも、鎧も何もない、ただの革で造られた手袋をはめた手で。
そこに現れた姿を見て、私はもう立っていることができなかった。はらはらと涙が零れ落ちて、声を上げることもできない。彼は器用にノヴァとインベルの剣を片手で防ぎ、ソルバリアの剣を空いた片手で掴んでいた。そしてノヴァとインベルの剣をポンっと押し返すような仕草をすると、その見た目に反してノヴァとインベルは勢いよくこちらへと吹き飛ばされて何とか受け身を取ったようだ。
「・・・うそでしょ」
フロースの絶望を含んだ声が聞こえる。
嘘であって欲しかった。私の辿り着いた答えが違っていて欲しかった。だが、顔を上げると現実が私の目の前に立っている。
「やぁ。我が愛しの弟子。アウローラ」
大好きで尊敬している彼の声。キラキラと煌く思い出の中だけにあったその声は、暗く淀んだ現実へと引き戻す。
「―プルヌス先生」
私が名前を呼ぶと、表情は見えないがどことなく嬉しそうに黒い仮面を被った彼―プルヌスが、頷いた。するとステンドグラスの下の板がぎっと音を立てて開き、そこから小さな影が飛び出して足を失ってすすり泣いている赤い外套へと抱き付いた。
「アルメニウム」
クラースが思わず声を出す。飛び出してきたのはアルメニウムで、彼女はこちらに目もくれず静かに赤い外套を抱きしめている。赤い外套はそれに気づかずにただすすり泣いたままだ。
「一体、これはどういうことなのだ!!」
アウィスが声を荒げた。
美しい日の光が差し込む建物の中真実を求める声が響き、真実を知る者であるプルヌスが突如として笑った。ソルバリアの剣をパッと離すと、そのままの勢いでソルバリアの腕を掴んで彼女を建物の壁に投げつける。受け身を取ることができなかったソルバリアは背中を壁に叩き付けられて血を吐き、近寄ったプルヌスに髪の毛を掴まれる。
「君、さっきアウローラ殺そうとしたよね?何で?」
「申し訳・・・ございません・・・」
「謝って済む問題かい?ちゃんとボク事前に“アウローラは殺さないように”って言っておいたと思うんだけれど?」
「すみません・・・」
「だからさ」
プルヌスがため息をつくと、まるで綿をちぎるように易々とソルバリアの腕を引きちぎりそれを適当な場所に放り投げた。彼女の痛みを堪える呻き声が聞こえるが、プルヌスは治癒魔法を使うことなく腕を組む。
「謝ればいいってものじゃないんだよ。ストゥディウム。腕、くっつけといて」
「了解した」
ステンドグラスの下にある暗がりから宮廷魔法士であるストゥディウムが現れ、私達を見ることなくソルバリアの腕を拾い上げると、状態を尋ねることもせずに人形を直すようにしてソルバリアの腕を治療した。通常、引きちぎられた腕などくっつかないはずなのだが僅か数秒足らずでソルバリアの腕は元々あった形へと戻った。だが立ち上がった彼女はふらふらで、壁に寄りかかるのが精いっぱいのように見える。治療を終えたストゥディウムはこちらをちらりと一瞥するが声をかけてこない。だが、どことなく縋る様な瞳で見てきたような気がした。
「ストゥディウム。起きた?」
「あぁ。起きた」
「よしよしよーし。それじゃあ」
暗がりの方へとプルヌスは手招きすると、リリリンという鈴の音とともにすり足でこちらに近づいてくる足音と人の気配を感じる。少しして、ぐらり、揺れるような足取りで暗がりから現れたのは、美しい陶器様な白い肌を持ち血に届くほど長い美しい黒髪を持っている若い女性であった。一瞬だけ見ればなんと美しい人だろうと目を奪われるほどの美貌であるが、その風貌は誰もが目を背けたくなり程の痛々しさに満ちていた。
肉に太い紐でに付けられた白い布で目元は覆われ、涙のように流れ落ちる黒い液体で所々染みができている。胸元と腹、下腹部ぎりぎりまで開いた白い布は死に装束を彷彿とされ、露わになっているその肌は胸下から下腹部まで赤い線を引いたように真っ直ぐ傷がある。傷には真新しい血がぷっくりと乾いてこびり付いている。腕、足に赤黒い麻紐のようなもので拘束さており、先程から聞こえてくる鈴の音はその紐に付けられている物と、首に縫い付けられている物だろう。
プルヌスは無言のままアルメニウムが縋りついている赤い外套をひょいと持ち上げると、手を差し出すアルメニウムと泣き叫ぶ赤い外套を無視して女性へと近づく。
「何をするつもり?」
ミールスが問いかけると、プルヌスはこてんと首を傾げる。
「勿論。餌にするだよ?」
「なんてことを―!」
「何を言っているの?君達精霊がさんざんやって来たことだよね?それにこれの所有者はこのボクだ。ちゃんとそれはこれ本人に了承を得ているよ。ま、記憶消したから覚えていないだろうけれど」
まるで子猫を持ち上げるように軽々と上にあげ、赤い外套は暴れる。その時、赤い外套のフードがはらりと落ちた。その姿に皆言葉を失う。赤い外套、彼女は私達とさほど年が変わらない、少女であった。あどけなさの残るその顔立ちと綺麗な黒髪。だが、その顔には横一文字に目元が切り裂かれ、白濁した目からは大粒の涙が零れ落ちている。人の言葉に聞こえない言葉を叫んでいるが、時折私達にも分かる言葉になる。彼女は「おねぇちゃん!おねぇちゃん!」とアルメニウムへ必死に手を差し出して泣いている。だが、アルメニウムは床を見つめるだけで助けようとはしなかった。
「人間なのによくも頑張ったね。お疲れ様。じゃ、お母さんに帰りなさい」
プルヌスはそういうと黒紙の女性へと赤い外套の少女を放り投げ、叫びが木霊する中女性の腹が口のように開いて赤い外套の少女をぱくりと食べてしまう。骨と肉を咀嚼する音と濃い血の匂いが周囲に立ち込める。嚥下する音が聞こえた直後女性が天に向かって叫び、腹にあるその口から夥しい黒い液体と共に魔物達がはいずり現れ、奇声を上げながら私達に目もくれずに外へと走っていく。尊敬し、大好きだった師から行われる残虐な行為にとうとう私は立っていることができずにその場に崩れ落ちた。
「インベル、アウィス!俺と一緒に外の皆の援護と退避の号令を!」
「了解した!」
「分かった!」
状況を瞬時に判断したノヴァが的確な命令を出す。そしてクラースへと近づいて肩を叩くと「すぐ戻る」と言って外へと駆け出して行った。彼等の邪魔をするのかと思いきや、誰も、彼等を追うことはない。
「プルヌス先生・・・貴方は一体何者なの?」
思わず私は彼へと問う。
「ボク?ボクはね。“原初の厄災”だよ」
いつもの魔法を教えてくれていた優しい声音で、彼は告げる。私は思わず両手で顔を覆い叫びたくなるのを必死にこらえる。私がここで取り乱したところで、状況が好転することはないのだとこれが夢であると誰かが優しく起こしてくれることなどもないのだ。
「遥か昔。最初の聖女ピケアと異世界の騎士が頭を吹き飛ばした残りがボク。ほら、この通り」
パチンと音が聞こえてて、丸い球体のような仮面を外す。恐る恐る顔を上げると、初めて見るプルヌスの仮面の下が露わになっていた。
―顎から上が、無い。
断面は人間のそれではなく、肉も見えず骨も見えず黒曜石のような滑らかで艶やかな断面がそこに在るだけだ。血も何もそこからは零れ落ちていない。息が段々と浅くなっていき、クラースが抱き寄せてくれて徐々に落ち着きを取り戻していく。
何故という言葉のみが頭の中を支配していく。その何故は、今彼が敵として目の前に立っている理由を問うものではなく、最初から敵であるのに私の事をこんなにも大切にしてくれたことに対する疑問によるものだった。しかしながら、今その答えが刃物のように私の心へ突き立てられることになれば、もう私はこの足に力を入れることは叶わなくなってしまうかもしれない。
そこで私は気が付く。私はこれほどまでに、プルヌスが好きだったのだ。
多分、初恋だったのだ。
するとすぐにプルヌスは仮面を取り付けると、嬉々として問いかけてきた。
「ねぇアウローラ?愛しい子。キミはボクが“原初の厄災”でどう思った?悲しかったかい?憎らしかったかい?」
「寂しい」
ポロリと口から零れ落ちた言葉。寂しいという言葉が出たのは、これから私と彼の先にあるのは確実な別離。悲しい、苦しい、全てを纏めてしまった気持ちはただ一つ“寂しい”というものだった。
私の表情と、言葉を聞いてプルヌスは「あぁ・・・あぁ!」と興奮しきった言葉で呟くと仮面を両手で覆い、天を仰ぎ見る。
「嬉しい。これが嬉しい!嬉しいという感情が溢れていく!」
心底嬉しそうな今まで聞いたことのない興奮しきったプルヌスの声に、肩に触れているクラースの手が震え私の肩を掴む手が強く成っていく。
「体が震えるようだ。とても気持ちいいね!」
私はここで悟る。彼はやはり人ではないのだと。
「一体何が目的だ!!」
私の事を抱きしめながら、クラースが吠える。彼の苛立ちを意に介せずプルヌスは上機嫌に答える。
「“原初の厄災”がやる事なんて一つしかないだろ?よく考えて見なよ、アルゲント伯爵家の御子息?」
「世界を壊すのか」
「そうだよ。ボクはこの世界の破壊機構。所謂世界の絶対悪、終末装置。だから、壊す。気持ち悪いこの世界をね。でも、アウローラは殺す気がないよ」
突然の言葉に「え」と言葉が出てしまう。なぜ、私だけ?
近づいてくるプルヌスに気が付いたフロースとミールスが私を守るようにして立つ。すると彼は小さくため息をついて、腕を組んだ。
「どいてくれよ。アウローラの事が欲しいんだ」
「何故、アウローラ様に固執するのですか?」
フロースの言葉に、待ってましたと言うようにしてプルヌスは手を軽く叩く。そして「知りたいよね?」と子供の様に私達に言うと語りだす。
「ボクは先程言ったようにピケアと騎士に頭を吹き飛ばされた。だから目が見えず、そこに在る魔力の流れで物を判断していた。僅か流れの差でしか人間って判断できないから、名前なんて覚えれなかったんだ。でもね、アウローラだけは他の誰とも違う。全く色が違う。気持ち悪い色がひしめく世界の中で、アウローラだけが何処にいても分かるほど美しい色をしているんだよ。一緒にいても楽しい、胸が高鳴る、美しい、ずっとずっと傍で眺めていたんだ。欲しくないというのが難しい話だろう?キミと出会った最初はね、キミが世界を愛しているから、ボクもこの世界を愛せるように頑張ってみようと思った。だけれど、キミと一緒に過ごすたび、段々君が世界を愛していることが気持ち悪くなってきた」
プルヌスが近づくたびにクラースが私を渡すまいというふうにきつく抱きしめる。私も彼の腕に縋りつく。目の前の彼の甘言で、私が私の意思と関係なくそちらに行かないように、楔として。
「ボクには破壊衝動がプログラムされている。それが存在理由だからね。でもそれ以上に、こんな気持ち悪い、吐き気がする世界にキミが愛を注いているのが赦せない。他の全てを壊せば、キミの目にはボクだけが映ると思ったんだけれど・・・」
私達を見てプルヌスは顎に手を上げる様な仕草をする。そして、人差し指を立てた。
「そうすると君はボクを怨むだろうから。1つ選択をして貰おう」
人差し指を立てた方の手をくるりとして、こちらに手を差し伸べきた。
「ここでキミがボクを選んで、ボクの隣にずっといてくれるなら、新しい世界でこの子達を再構築してあげるよ。記憶は無くなってしまうけれど、魂も性格も何もかも一緒だよ。良い話じゃない?」
「選ばなければ・・・?」
「再構築はしない。キミの心が壊れるくらい、惨たらしく世界を壊そうかな。もしかしたら選べば、アウローラが助けたいと思った人の来世を約束できるよ。選ばなければ、君の所為で来世約束できたかもしれない人が死んでしまうだろうね。君の所為で、ね」
「私の・・・?」
「そう、君の」
ぐらりと視界が歪んでいく。“私の所為”という呪いの言葉が心の中にこびりついて離れない。私達は“原初の厄災”に対する対抗手段が分からない、プルヌスに勝てる見込みも何もない。それどころか、外では魔物達と戦っている騎士達がいて、もし私がこの手を取れば皆助かるかもしれないし、壊れた世界のその向こうで安寧があるのかもしれない。私は消えてもいいけれど、私の所為で皆が苦しむのは嫌だ。
吐き気がして、気持ち悪くて、でも吐けない。吐いてもう無理だと諦めればどんなに楽なのだろうか。でも、それはしたくないと心の奥からの叫びが聞こえる。
「アウローラ」
ふとクラースの声がして、顔を上げる。鼻がくっつしてしまうほどにクラースの顔があり、驚いたが不快ではなく安心感すらあった。頭を抱き寄せられて、クラースの胸に耳を当てる様な格好になる。するとクラースの心音が聞こえて来た。こんな絶望的な状況でも、彼の心臓の音は僅かに早いが整っていることに、まだ彼等が絶望しきっていないということに気が付いた。私は顔を上げて、ミールスとフロースの顔を見る。彼女等は私の顔を見て力強く頷いた。大丈夫だと、根拠なく思えてくる表情に私は体を奮い立たせた。
「その手は、取れません」
私の言葉に、プルヌスがピクリと動く。クラースに手を借りて、私は立ち上がると真っ直ぐ彼を見つめた。すると彼は差し伸べた手を下ろした。
「ボクの事嫌い?」
子供のような問い掛けに、思わずずるいと言いそうになる。貴方の事が嫌いなわけない。それは、貴方が一番よくわかっているはずなのに、きっと分からなかったのだろう。私は首を左右に振り「いいえ」と答えるが、彼の手は取ろうとしない。
「私は、貴方の手よりも、この世界で皆と共に生きる未来を掴みたい。見てみたい」
私の言葉にプルヌスは数歩下がると、残念そうに片手で額に触れると力なく問いかけてくる。
「じゃあ、キミは世界の為に戦うの?」
「はい」
「キミはボクの敵?」
「はい。私は先生の敵です。そして」
私は落ちた剣を拾い上げて、剣をプルヌスへと向けた。
「先生は、私の敵です」
もう剣先はブレることがない。真っ直ぐに、明確な敵意を持って彼へと向けている。後ろから足音が聞こえてノヴァ達が戻って来たことが分かった。
「騎士団の撤退と魔物の掃討は完了したよ!」
「ロサに連絡を取った。増援をよこしてくるらしい」
「増援が来るまで、時間稼ぎといこうではないか」
頼もしい味方の声が聞こえてきて、私は目の前にいるプルヌスと戦うことを決意する。フロースが私の隣に立ち、そっと手に触れてくる。私はフロースの顔を見ると、彼女は力強く頷いて私も応えるように頷いた。私は一人ではない。皆がいるから、この悲しみを乗り越えることができる。
プルヌスは心底残念そうな声で「そうか」と呟いて両手で顔を覆う。もしかして、話をすればこんな戦いをせずに澄のではないかと淡い期待を抱いたが、それは彼の言葉によってあり得ることがないのだと理解した」
「なら、プランを変えよう!ボクとしては、それも中々魅力的なものだったからいいけれど」
魅力的という言葉は普段恐ろしいイメージなどないのだが、なぜか彼が言うとぞわりと背筋が凍るほど恐ろしい言葉のように感じてしまう。嫌な予感は、的中した。
「キミが僕の隣にいないというのなら、アウローラを使って世界を作ろう!」
まるで無邪気な子供の様にプルヌスは言う。
「切り刻んで、捏ねて、新しい世界をアウローラで作る。そうすれば、ずっと一緒に居られるしキミで作った世界なら、キミのようにボクは世界を愛することができる。キミと同じになれる。ね?魅力的な考えだろう?」
「狂ってる」
震えるミールスの言葉にプルヌスが動きを止める。
「人間を弾丸としてボクを殺そうとした君達に言われたくないけれどね」
プルヌス言葉にミールスは押し黙ってしまう。一体なんの事なのだろかと疑問に思ったが、質問する余裕も考える余裕もなくプルヌスは戦闘態勢に入ろうとする。来る、と皆が身構えた直後、今まで感じたことがない重圧と心の奥底から湧き上がってくる激しい恐怖に皆剣を持っていることができなくなってしまった。
プルヌスが何かしたのかと彼を見るが、彼は肩を落として戦闘態勢を解き頭上を見上げている。
「・・・お早いお目覚めで―お母様」
建物の天井が忽然と切り取った様に消え、そこから1人の女性が舞い降りた。その姿を見て、私は目を見開く。その姿はこの世界に不釣り合いであり、私の前世で見かける様な衣類でありその女性を取り巻く物は明らかにこの世界に無い者だったのだ。
すらりと手足が長く背が高い、釣り目がちな鋭いグレーの瞳は私達を静かに見下し、腰ほどの長い銀色の髪は一つに結ばれて左目は隠れている。ぴっちりとしたライダースーツのような光沢のある黒い衣類を身に纏い、その上には袖の広がった白衣のような上着を羽織っている。足元前隠れるその上着の隙間からは同じく光沢のある黒いズボンが見え、中世の甲冑を思わせる白銀のブーツを履いている。隙がない様な衣服であるが、脇腹がぱっくりと開いており肌が露出されている。
あまりにも近代的な、未来的な装いに私は言葉を失った。
『何をもたもたしている』
低く感情のこもっていない女性の声が響くたびに、体の重さが増していく。すると、女性は放心状態のアルメニウムと疲れているソルバリア、空を見上げて微動だにしない目隠しの女性、恭しく頭を垂れているストゥディウムを順番に見ると手をかざした。その女性が手をかざしていくたびに、アルメニウムの姿は消えてしまう。だが、プルヌスは驚きも何もせずただ黙ってそれを見ていた。
『お遊びが過ぎる。お前が消耗させてどうする』
黙っているプルヌスに対してため息をついた女性は『理由は後で聞く』と呟いて私達を見た。
蛇に睨まれた蛙、というのはこういうことを言うのだろう。女性に見つめられると額に汗がにじみ、今にも跪いてしまいそうなのを堪えて私達は立っている。
「これは、マジでやべぇんじゃねぇか」
「そうらしい」
半笑いのクラースとノヴァの声が聞こえるが、彼等も無理をしているのが声音から分かる。この時後ろでミールスが女性を見て、奥歯を噛みしめて睨み付けていることは、当時の私は知る由もなかった。
女性はこちらをじっと見つめると、嘲笑のような笑みを浮かべて『あぁ』と呟く。
『あの時の聖女を守れず立ち尽くしていた守護者風情がおるのか。何ともまぁ』
「黙りなさい」
体の奥底から湧き上がる様なミールスの声に、女性は鼻で笑う。
バチンという静電気のような音が聞こえ、眩い閃光が一瞬周囲を照らした。1秒にも満たないが目を開くことができないほどの光に皆が瞼を閉じ、もう一度開くと、女性の背に現れたものがあった。
それは明らかに機械である。機械仕掛けの、円環を思わせる様な大きな翼。天より照らされた光と相まって、状況が違っていたのならばこれこそ世界を救う光であると思えてしまうほどの神々しさがそれにはあった。
『ひれ伏せ、泥人形共。我こそが現在創造主と持て囃されているパテルとマーテルの制作者であり、そこにいる破壊機構の母。世界の管理人、所謂“神”と呼ばれている者である』
女性がそう、言ったのだ。




