第1部-59話「彼女」
短めです。
ウェール学園長と私達の間に緊張が走る。お互い表情を変えずに無言のままにらみ合いが続いているのだ。本当は今すぐにでも動いて彼の動きを封じたいのだが、目の前にいる人たちを盾にされたら大変だ。
どうする、と視線を動かしながら状況を観察しているとウェール学園長が小さく「あぁ」と漏らす。
「もしかして“これ等”を心配しておられるのですか?ご安心を」
するとウェール学園長は右手に持っている指揮棒のような杖を中年男性の首の後ろにぴたりと付けると、それを斬るようにして横に動かした。ひゅっという短い風の音と共に男の頭は胴体から切り離されてごとりと地面に転がった。私の後ろでルミノークスが短く悲鳴を上げていたが、パニックを起こしてはいないようだ。
男の顔は虚ろのまま床に転がり、体も追うようにして地面に倒れていくが血が吹き出すことはなかった。頭の上に倒れた体はまるで潰れたトマトのような音を立てて人の形を失い、頭と合わさり服を纏った肌色の塊へと変わった。前世の仕事帰りに大通りに歩いていた時に目の前を歩いていた女の子がソフトクリームを落としたことを思い出してしまう。あの時のソフトクリームと同じような形だ。目の前の光景と辺りに腐った肉の臭いが漂い吐き気がしていく。
顔を歪める私達に反し、ウェール学園長は人の好さそうな笑みを浮かべる。
「全て既に腐っているので」
毛が逆立つような感覚が私の体を支配する。これほどまでに怒りを覚えたことは今までなかった。
この人間は、同じ人間を道具としか見ていないのだ。
剣の柄を握ったまま足を踏み出そうとした瞬間、ウェール学園長の頭上に幾数の掌ほどの光の槍が現れて、次の瞬間周囲の人たちをうまく避けて彼へと襲い掛かっていく。だが、ウェール学園長はそれを軽々と横に避けた。まるで糸で引っ張られるように虚ろな人々は彼の後を追って先程と同じく彼の前に盾のようにして並んだ。
一体誰がやったとのかと私は目を見開くと、横を誰かがゆっくりと歩いて行く。
「人が人を物として扱う権利など許した覚えなどない」
前に出たのはアウィスであった。彼の体は光を帯び、歩くたびにそれが散り周辺を照らす。彼が歩くたびにそれが強くなり、そして肌にビリビリと感じるほどに魔力が周辺に漂い始めている。その光が彼を包み、次の瞬間彼は人間の姿ではなく、あの日、泉で初めて出会ったときと同じ姿となったのだ。
透けるような白い肌に、美しい銀色の髪。輝く様な金色の瞳、そして滲み一つない法衣。人間の姿よりも数個成長したような姿である彼を久しぶりに見たからか、その美しさに思わず見とれてしまう。
『我が妹と我等が愛する人を愚弄した罪、贖ってもらう』
他の大精霊達と同じ響く様な声音に変わり、周囲に強い光の魔力が溢れる。その魔力は温かく、雪のように週に降り注ぐ。ウェール学園長は「妹?」と首を傾げて、ルミノークスの方へと視線を動かした。彼女の後ろには怯えたように隠れている闇の大精霊がいる。彼女の姿を捕らえた瞬間、明らかに学園長の顔色が変わる。驚き、そして、何より怒りが露わとなった。
「何故お前がここにいる!!」
『ひっ!!ごめんなさい!ごめんなさいっ!』
怒号に闇の大精霊は守るようにして頭を抱えて縮こまる。その体をルミノークスは抱きしてめて、ウェール学園長を睨み付けた。だが、ルミノークスの視線を彼は意にも返さず叫ぶ。
「クーエナはそんなことをしない!!私の前から逃げようなどしない!!彼女は私から去るとき泣き、離れたくないと縋りついた!!誰かに手を引かれたからと外に出るようなことをしないはずだ!!」
息を荒げて彼は言う。
私は首を左右に振った。
「当たり前よ。彼女は、貴方の恋人のクーエナじゃないんだから」
「はっ!そんなわけないだろうさ!!」
喉で笑いながらウェール学園長は言う。いつもの物腰柔らかな姿は既になく、笑顔は歪んでいる。
「クーエナは闇の大精霊になったんだ。だから、闇の大精霊はクーエナだろうに。何十年、何百年経とうとクーエナだ」
『違う!私の名前はアーラなの・・・クーエナ様は、前の闇の大精霊の名前。私は、クーエナ様じゃない・・・』
必死に泣きながら闇の大精霊は否定するが、ほれ見ろと言わんばかりの視線でウェールは笑う。
「クーエナは闇の大精霊だった。だから彼女もクーエナなんだ。きっと彼女はお前の奥底で眠っているんだ。あぁやっぱり、一度お前を壊さなければ彼女は目を覚まさないんだ。もっともっと壊さなければ。早くクーエナを起こさなければ。きっときっと泣いている。会いたいと泣いているんだ。あの美しい青い瞳を潤ませて、滑らかな空色の髪を地に触れされて。そのために“原初の厄災”様から力を貰ったんだ。ふふふふ」
背筋が凍りそうなほどの気味の悪い声で笑いながら彼は顔を両手で覆う。徐々に彼から溢れる力が周囲を飲み込み始める。周囲は闇で覆われ、ただ黒一色の世界へと変貌した。いいや、もしくはどこかに転移されたのか。先程まであった地面も後ろにあった扉の感触も何もなくなった。
ウェール学園長の声はぴたりと止み、動きが止まる。
『―来るぞ』
アウィスの低い声と共にぐらりと体を揺らした男性達がこちらに襲い掛かって来た。先程までは人間の姿だったというのに、その姿がまるで異形の怪物のように顔は肥大し、大きく広げた口の中は赤黒く変色している。魔物とも違う、ただただ“人ならざる者”として姿を変えた彼等に思わず怯みながらも、その攻撃を躱す。
その刹那ちらりと見えたウェール学園長は静かに笑いながら指揮棒のような杖をひょいと動かした。
「インベル!!2人を頼むよ!」
「うんアウローラ!任せて!」
後退したインベルはルミノークスを中心にして自分と共に防御魔法を展開する。異形の人たちからの攻撃を躱しながら、状況を把握する。
ここは恐らく彼の魔力の中。つまり、彼の体の中と言っても過言ではないはずだ。だとしたら上下左右どこから攻撃が来るか分からない可能性が高い。自分に強化魔法をかけるべきだ。
「アウローラ!!」
風を感じて後ろを見ると、黒い狼のような姿をしたものの牙をクラースが剣で抑え込んでいる姿が見えた。クラースはそれに押されているが、そこへアウィスが光の槍を放ち大地に縫い付ける。言葉に聞こえない叫び声を上げてじたばたとそれはもがくがすぐにどろりと溶けて地面と一体化した。
「すまん!助かった」
『気を付けろ。周囲から多数の生物反応を感じる』
「分かりやすく言うとどういうことかな?」
『簡単に言えば囲まれているということだな』
「まじかよ」
クラースはわざとらしく肩を落とす。
余裕というわけではない。だが、少しでも悲観すれば付け込まれるような感覚がある。頬に伝う汗を拭うこともできずに周囲を経過し続ける。
指揮者のようにウェール学園長が杖を振ると異形は雄たけびを上げて襲い掛かり、黒い狼のようなそれが後ろから襲い掛かる。アウィスの補助もあり何とか防ぐことができているのだが、それもやっとである。私も二人に強化魔法を使おうとするが、その隙もありはしない。ウェール学園長から見れば恐らく私達が押されているように見えるだろう。いや、実際押されているのだが。
「アウローラ!」
後ろからルミノークスの声が聞こえてくる。声には疲弊の色が滲んでいた。
「私が力を―」
「ダメだ!!」
ルミノークスの言葉を私は遮る。
ルミノークスはもう一度聖女の力を使おうとしているのだろう。だが、彼女の回数はあと1回。ゲームではただの回数制限としか見えていなかったそれは、現実である現状では命取りになりかねない。彼女が力を使って倒れた場合に、助けられる保証などどこにもないのだ。
他の大精霊も呼ぼうかと思ったが、光の属性であるアウィスだからこそこのように自由に戦えるのであり、濃い闇属性が渦巻くこの場所に彼等を呼んで悪影響が出てしまうと他の国に迷惑がかかる。それにこの空間は特殊であり大精霊を呼んだ途端彼に取り込まれるということは避けたい。
「でも」
泣き出しそうなルミノークスの声に、私は笑顔を向ける。
「大丈夫!私達と、フロース達を信じて」
私達が無理やりにでも攻勢に転じないのには理由があった。
もう一つの鍵を待っているのだ。
私達は肩で息をしながらただ防ぐ。
信じて、ただ防ぐ。
だが猛攻は収まることがなく、徐々に体が引き裂かれていく。すると、突如体がふっと軽くなり腕を見ると、先程裂かれた腕の傷が治って行っている。
『わ、私が補助します!!』
震える声が後ろから聞こえて来た。
闇の大精霊だ。
『僅かな補助しかできないのですがっ!い、一応私も大精霊なので!皆様に任せっぱなしというわけにはいきません!』
強がったような言葉にふっと肩の力が抜ける。クラース達と頷き合って、後を見ずに力を込めて言う。
「ありがとう!」
私達の言葉に応えるように闇の大精霊の補助が増していく。補助があるだけで先程より体が動き、体制を整えることができた。どうにか時間稼ぎをと踏ん張りながら、私達は剣を振るっていく。
「面白くない」
そんな呟きがウェール学園長の口から発せられて、周囲の黒い一面からいくつもの赤い目がこちらを睨み付けていた。流石にやばいとクラース達と背中を合わせて剣を構える。ウェール学園長が指揮棒を振り下ろそうとした瞬間だった。
「うんうん。決戦がこれでは面白くないと俺も思うさ!」
突如として響いた聞き慣れた声と共に周囲の闇が晴れていく。霧が晴れるようにして周囲の景色が戻っていく。ウェール学園長はあからさまに狼狽えて「どういうことだ!」と叫ぶ。ほっと胸を撫で下ろして、声がした方を見るとノヴァが呑気に手を振っている。
「丁度よかったかい?」
「えぇ、とっても」
ノヴァに頷くと、彼はどこか申し訳なさそうにして笑った。
「動け!何故動かない!!」
悲鳴のような声が聞こえてそちらを見ると地面に倒れこんでいる男性達がいた。先程の空間で歪んだ姿ではなく、普通の人間の姿で崩れることなく倒れている。よく見ると、最初にぐしゃりと潰れてしまった人間も形を取り戻していた。
『これは魔法を解くついでに形も直しておいたよ』
ノヴァの後ろからロサが現れてウェール学園長に言う。すると彼はロサを睨み付けて叫ぶ。
「これは闇の大精霊の力だ!!他の大精霊と言えど簡単には解くことなどできないはずだぞ!!」
『ふーん。やっぱりキミ何も知らないんだね』
「は?」
『風の大精霊は特別製なので。それじゃ』
含みのある言い方をしてロサは風となって消えてしまう。呆気に取られているウェール学園長はすぐに我に返ると悪態をつきながら立ち上がり、杖を構えた。
「やはりお前たちは邪魔だ!!あと少しで彼女が戻ってくるはずだったのに!!聖女と闇の大精霊を混ぜればクーエナは蘇るとあの方が言っていた計画を邪魔しやがって!」
「ウェール学園長」
私の行動に、ウェール学園長は動きを止める。そして、目を丸くした。
私が、剣を鞘に納めたからだろう。
「私は、貴方がしたことは絶対に許せない。許されてはいけないと思っている。けれど、全てを知ったからには、私は貴方が何も知らないままいてほしくない」
「は?私が何を知らないと?」
「貴方は何も知らない」
私の言葉にウェール学園長は勢いよく杖を振るう。私の頬を風の刃が切り裂き、頬に一筋の血が流れていく。
「何を知らないというのだ!お前こそ私の苦しみを!悲しみを何も知らないだろう!」
彼の手に力が入り、杖がしなる。
「突如として恋人を世界に取られ、1人きりになった私の寂しさも。必死に探して彼女の元へたどり着いたそこにいたのは、彼女と全く同じ顔をした存在が他の大精霊と笑い合っていた悲しみも。世界が彼女を変え、私が知る彼女を殺した憎しみも。あの方から彼女を取り戻す術を教えてもらった喜びも。何もかも知らないだろう!全てを得ているお前なんぞが、知り得ることなどありはしない!!」
「ウェール」
静かな声がして、ウェール学園長の動きが止まる。
よかったと安堵して私はそちらの方を見る。向こうから歩いてきたのは、フロースとウェリタスに連れられてきたステルラだった。その後ろにはミールスも付き従っている。
ウェール学園長が一歩後ずさり、声を震わせる。
「何故、ここにいるのですか。ステルラ」
いつものウェール学園長の声音に戻り、ただ怯えるようにしてステルラを見ていた。フロースとウェリタスは私に駆け寄ってくる。
「ごめんなさい。少し遅くなってしまったわ」
「ご無事で何よりです」
「えぇ。皆、ありがとう。ここからは、彼女達の問題よ」
私は、彼等の姿を見つめた。
ステルラはいつものおどおどした姿とは違い、背筋を伸ばしてゆっくりとした足取りでウェール学園長へと近づいていく。どこか吹っ切れたような姿にも見えるが、微かに体が震えていた。彼女が近づくたび、恐怖するようにして後退る彼に、ステルラは小さくため息をついてミールスへと振り返る。
「ミールス。お願いします」
「・・・本当に、よろしいのですね?」
「はい。大丈夫。貴女達の言葉で、向き合う覚悟ができました。幼い頃、事情を何も聞かずにこの魔法を使ってくれていて、ありがとう」
「いいえ。では」
二人は幼い頃同じ場所で育った幼馴染のようなもので、その時ステルラはミールスにある魔法をかけて貰っていた。本来ミールスは大精霊の権能の一部を受け継いでいることを誰にも言わずに隠す予定だったのだが、彼女の剣幕にこの魔法をかけたのだという。ミールスはステルラの髪に触れて、何かを呟く。すると、ステルラの髪が頭頂部から徐々に色を変えていく。栗色の髪は、徐々に空色へと変化していったのだ。
全ての髪が空色へと変化した後、ステルラは眼鏡を外してそれをポケットに入れた。そしてウェール学園長へと振り返り、言う。
「久しぶり。愛しいあなた」
いつものステルラよりも僅かに低く、だが優しい声。ウェール学園長は膝から崩れ落ちて、呆然と彼女の顔を見る。
「クー・・・エナ」
ステルラの正体は、ウェール学園長の昔の恋人であり追い求めていた存在。
クーエナ・カルブンクルス、その人だったのだ。




