第1部-54話「倒れる、触れる」
魔物が斃れていく。その度に黒い血が大地を染め上げるが、その血は光の大精霊であるアウィスの力によって大地を汚すことなく世界へと還ってく。だが、その血の匂いは消えることがなく漂い辺り一帯に充満している。
悪くないと思えるのは、何故だろうか。
懐かしいと思えるのは、何故だろうか。
アウローラは赤い外套の猛攻を剣で受け流しながら、自身の口元が歪んでいるのが分かる。触れずとも分かる。自分は笑っている。楽しんでいる。心の底から、命のやり取りが楽しい。
赤い外套の攻撃は先日の物とは全く違って、ただ叩き付けるだけの感情的な物だ。故に簡単に次の行動が分かる。剣の切っ先は赤い外套から覗く白い頬を引き裂き、その服を裂く。だが、そのフードが下りることはなく奴の顔半分を隠したままだ。楽しむようなアウローラの表情とは違い、獣の物と似た鋭い尖った歯を食いしばり息が荒い。
アウローラの剣が赤い外套の体を弾き飛ばして、奴は後方に下がり距離を取る。アウローラはその隙にちらりと周囲を見やる。怪我をしている者はすぐ後方へと下がり、倒れている人間はおらずアウローラの視点からしてもかなり優位に事が進んでいることがわかる。そして、少し離れた位置に先程赤い外套が腰掛けていた大きな魔物が咆哮を上げながらノヴァとクラースと戦っている。そのさらに奥では、的確な指示を出しながらアルスとカエルムが自身の部隊と共に他の魔物達を一掃している。その中には、クラースの父親の姿も見える。
肩で息をしながら、消耗しきっている赤い外套を見据えながら自分の仕事を心の中で再確認する。
アウローラの目的は、赤い外套の足止め兼意識をこちらに向けて他の魔物達への指揮を疎かにさせることだ。
現在アウローラがいる場所は魔物軍の正面。つまり、学園の森を背にした前線である。前線位置にいるのはアルスが指揮する騎士団、カエルムが指揮する騎士団遠征部隊の一部、ノヴァ、クラースである。その後ろ、後方援護射撃部隊としてプルヌスが指揮している宮廷魔法士一軍。更に後ろ光の国の守護内にある森には防御魔法を張り後方支援部隊・救護部隊としてストゥディウムが取り仕切っている宮廷魔法士救護班、ルミノークス、フロース、護衛としてレウィス、アウィス、そして学園の先生方も加わってくれている。アウィスは護衛としているが、その殆どは周囲の浄化魔法へと当てているため、補助としてロサも手伝ってくれており、他の大精霊については別の事をお願いしている。両側から魔物を攻め込んでいる騎士団所属の魔法士の右陣はインベルが指揮、左陣はアルメニウムが指揮を、後方の遊撃部隊はソルバリアが指揮をしてくれている。
空を見ると、緑色の煙が再び空に上がっていくのが見える。緑は“状況優勢戦闘継続”だ。用意した煙の色は、緑、黄、赤、黒、白の5種類だ。残りの黄は“状況膠着状態、防御陣形へ”、赤は“状況劣勢、後退”、黒は“戦闘継続不可、撤退”、白は“敵方撤退、戦闘終了”だ。あまり色を増やしても混乱してしまうためにこの5種類となった。
アウローラは息をフーっと吐いて、赤い外套を見つめる。すると、赤い外套はぐらりと立ち上がりながらこちらを指さしてくる。
「お前は、お前たちは何なんだ!」
「うるさいわね」
怯えているようなその姿は、まるで幼い子供のようである。チリっと胸の奥が痛む気がしたが、押し殺す。
「どうして、完璧だったはず。完璧だったはずなの!」
頬に涙を伝わせ怯えた赤い外套は戦うそぶりを見せない。隙ありと一気に距離を詰めて剣を振りかざすと赤い外套はそれを避けない。斬れる、と思い剣を振り下ろした。が、アウローラが斬ったのは赤い外套ではなく横から飛び出してきた狼の姿をした魔物だった。胴体が真っ二つに切れ、その体は黒い血共に大地にべちゃりと音を立てて落ちた。だが、確かに赤い外套を捕らえていたはずだとアウローラが前を見ると、虫の形をした魔物が赤い外套の裾部分を咥えて奴を転ばせたらしい。が、その虫の魔物も体の半分は切られ、何故動いているのか分からないほどに黒い血を流している。
赤い外套はそれをちらりと見ただけで気にする様子もなく、魔物の体をぞんざいに引き剥がす。その光景にアウローラは顔を顰めて思わず声を出してしまう。
「君にとって魔物は仲間ではないの?」
赤い外套は高名に溜まった赤い血を地面に吐き出すと、口から垂れている鮮血を拭う。
「仲間?これ等が?そんなわけないでしょ」
黒い血を流している魔物を赤い外套は躊躇うことなく踏みつぶすと、魔物は小さな声を上げて絶命した。靴に付いた粘りつく体液を草で拭うとアウローラへと向き直る。
「我に仲間なんていない。いるのは―」
赤い外套は何かを言いかけた瞬間にぐらりと体が揺れて倒れるかと思いきや、頭を押さえて踏みとどまる。
「いる、のは・・・?えっと・・・・?」
戸惑うようにして顔を動かし、空を見上げたと思いきや急に笑い出した。
「そんなことより、もっと面白いことしようよ」
奴は何かを引っ張る様な仕草をすると、突如として魔物達が雄たけびを次々と上げ始めた。耳を塞ぎたくなるような不協和音が辺り一帯を包み込んでいく。それが終わると、魔物達が次々と倒れていく。そしてどろりと溶けると、それが平原の中心に集まると腐りかけたようにどろりと腐肉を落としている四足歩行の生き物へと変貌した。3,4メートルほどの巨躯を持ったその生き物は、爬虫類のようで、哺乳類のようで、黒い触角のような毛を纏い赤い血走った眼をこちらに向けて背筋が凍りつく様な声を上げている。一歩それが歩くたびに体が崩れ、地響きが鳴る。
圧倒的な今まで見たことのない魔物が目の前にいる。
「ヴィトニル!」
そちらの方にアウローラが視線を向けていると、赤い外套が叫びノヴァとクラースが相手をしていた魔物が赤い外套に向かって腹部から血を流しながら疾走し、赤い外套とすれ違う瞬間に奴を咥えて背中に乗せ走り去ってしまった。「待て!」と叫ぶがその後ろから「アウローラ!」というクラースの声が聞こえて足を止める。赤い外套は一番近い林に向かっている様だ。
アウローラはクラースに振り返り、後ろで雄たけびを上げて前に進む魔物を交互に見ながら意を決したようにぐっと息を詰める。
「こっちは任せるよ。クラース」
「アウローラは?」
「赤い外套を追う。行った方向は見えた。行ってくる」
早く行こうと踵を返そうとするアウローラの腕をクラースが掴んだ。その表情には不安がにじみ出ている。
「俺も行く」
クラースが来てくれれば有り難いが、魔物の力が分からない以上この場から戦力を削ることは避けたい。アウローラは首を左右に振って、優しくクラースの手を引き剥がす。そしてその掌にそっと唇を寄せて、目を閉じる。
数秒唇を触れ、離れるとクラースを見ると彼は今にも泣きだしそうな表情でアウローラを抱き寄せて「終わったらすぐ向かう」と静かに言って離れ、魔物の方へと駆けていった。アウローラはそんな彼に背を向ける。
正直、アウローラ自身も体の限界は近かった。戦っても、勝てる見込みは半々といったところだ。だけれど、ここで赤い外套を逃がすわけにもいかない。
あれは倒さなければ、と心の奥で何かがアウローラを駆り立てる。
林に着くと、やけに中は静かでどこか寒気を感じる。警戒しながら前へと歩いていると、奥に赤い外套が見えた。そこはぽっかりと気がない場所で、小さな広場のようになっている。赤い外套の後ろには、息が荒い赤い外套を連れて行った魔物。アウローラは剣を向けて、攻撃態勢になる。
直後、ドスンと大きな音を立てて後ろの魔物は倒れ横に倒れてしまっている。あと少しの命だろう。
「決着をつけましょう」
アウローラの言葉に赤い外套は笑う。
「決着?決着だって?もしかして、これは決戦か何かだと思っているの?」
横になっている魔物に無遠慮に赤い外套は腰掛ける。
「正直驚いたよ。人間がここまでするなんてびっくりした。お陰ですっかり取り乱しちゃった。駒も思ったよりたくさん死んじゃったし。いやぁ、アイツの言う通り正面衝突なんてするもんじゃないね」
警戒を強めて自分に強化魔法を使う。一瞬、隙を見せれば赤い外套に一閃入れることは出来るだろう。
「アイツがお願いして来たことは二つ。あぁよかったよ。お前が生きていたから失敗したと思っていたが、今それを叶えられそうだ」
ゆっくりと赤い外套は口元に笑みを浮かべて、首を傾げる。
「これは決戦でも、戦争でも、戦いでもなんでもない。これは、我が君達に対する―」
アウローラは見落としていたことに気が付く。なぜ、この林は昼間だというのにこんなに暗いのだ。
木々の間から、赤い光が無数にこちらを見ている。
「―素晴らしい蹂躙だよ」
赤い光が一斉にこちらに向かってきていた。
※
俺が魔物元へと向かうと、ノヴァがこちらに気が付いて振り返る。
「どうだ?」
「どうも何も、この魔物未完成だ」
「は?どういうことだ?」
魔物を内に入れるようにして防御魔法を宮廷魔法士と騎士団所属の魔法部隊が抑え込んでいる。それを支持しているのはプルヌスとストゥディウム、ウェールだ。ソルバリア率いる遊撃部隊は周囲の警戒をしながらアルスとカエルムと何やら話をしている。周囲に魔物の姿は一切ない。
「兄さん!クラース!」
インベルの声が聞こえてそちらを見ると、ウェリタスと一緒にこちらに走って来ていた。
「あの魔物他の魔物の集合体なんだけれど、強度がおかしいんだ」
「腐っている肉を避けれるアタシ達斥候が近づいて調査したところ、あと数分足らずであれは自己消滅するわ」
「自滅するのにあんな姿に変身ってのか?」
「まぁそういうことになるね」
一体魔物、赤い外套の目的は一体なんだったのだろうかと考えた瞬間嫌な予感が湧き上がる。
自己消滅する魔物を産んだ理由として周囲の目をこちらに集中させようとしているのではないだろうか。なら、何から視線を逸らそうとしている。赤い外套の目的、成せなかったこと、恐らく一つはフロース達聖女を殺すこと、もう一つは恐らく、アウローラを殺すこと。
「おい!」
ウェリタスに詰め寄る。
「フロース達は無事か!?」
「へ?アンタがそんなこと気にするなんて―」
「私がどうかしましたか?」
後ろから現れたのはフロース達後方組だ。教師たちも着ているようで、真っ直ぐアルス達の方へと向かっている。
フロース達は無事だ。ということは。
「ロサ!」
『え、え?何』
ロサの腕をつかむ。
「俺に速度強化をありったけかけろ!早く!」
『あ、うん。いくよ』
ロサが俺の頭に触れると温かいものが流れ込み足に集まっていく。
「一体どうした?」
アウィスの言葉に俺は短く返答する。
「アウローラが、危ない」
俺は大地を蹴ってアウローラが去っていっただろう方向へと駆け出していく。
※
肩で息をしながら剣を何度も握りしめる。もうすでに腕の感覚もないし、魔力も底を尽きかけているのを感じる。だが、約束を守らねばと、生きて未来に進まねばと剣を構える。それを見て赤い外套はケタケタと笑い声をあげる。赤い外套が背にしている魔物が咆哮を上げる。次の瞬間赤い単眼の小さな狼のような姿をした魔物がこちらに飛びかかってくる。それを防御魔法で防ぎながら剣を振るい切り落としていくが、鋭い爪は腕に足に顔に掠めて血が流れだしていく。足元には夥しいまではいかなくても血が草木を濡らしてアウローラが足を踏みしめる度に僅かにずるりと滑る。
だが、倒れるわけにはいかないと僅かな隙まで自身に回復魔法をかける。
ぐらりと眩暈を我慢し、赤い外套を真っ直ぐに見つめる。そのアウローラの表情を、息も絶え絶えになっている魔物に腰掛けて赤い外套は笑みを崩さない。
「頑張るね。でもさ、諦めたら」
「嫌よ」
赤い外套の甘言のような言葉を一蹴する。
「何故?」
アウローラは体力を振り絞り、にっと笑みを浮かべる。
「約束したからよ」
剣を握る手に力を込めて、構える。
「皆で生きて未来を掴むんだ。大切な友達がいない君には分かんないだろうけど」
乱雑な昔の言葉遣いが自然に出てくる。
昔と決別したわけではなく、昔の自分と向き合うと決めた。前世の彼女も今の私も全て私だと手を掴んでくれたみんなと一緒に、手を伸ばすともう決めている。ここで以前のようにして死を望み、手を離すわけにはいかない。
アウローラの言葉に赤い外套は立ち上がる。その口元からは笑みが消えて、右の手を掲げる。
「もういい。死んでよ、聖騎士令嬢」
赤い目がこちらを覗く。構えるが、アウローラの体は既に限界であった。視界は歪んで、正直経っているのがやっとだった。
口ではそう言っても、死はもうすでにすぐそばまでいて足を掴んでいる。死ぬわけにはいかないという声と、ごめんなさいという自らの死を認め友人達に謝る声が心の中で混じり合う。
赤い瞳が咆哮を上げ、赤い外套が手を振り下ろすと魔物が襲いかかってくる。
「・・・あぁ、だめだ」
アウローラは小さく呟いた。もう駄目だと、瞬間的に悟ったのは自分の手がもうすでに戦うことを止めていた。剣は大地に落ちていく。嫌だと心の中で叫び、涙が零れ落ちる。あの日のように、痛みが来ることを覚悟した。
だが、横からの衝撃と共にその痛みは来なかった。
誰かが自分を倒したのだと理解したのは完全に背が大地に着いた後で、木の隙間から見える空をまっすぐ見つめている。何が起こったのだと上半身を起こすと、アウローラを助けたのがクラースだと分かった。
「クラース!・・・?」
彼の名前を呼んでも返事は帰ってこない。アウローラはただクラースの体を左手で揺さぶるが、ぬるりとした感触と共に温かい液体が自分の手についたことに気が付いた。それを自分の顔に近づけると、それは赤い、手が全て染まるほどの大量の血だった。
両手で彼の体を起こそうとするが、あるはずのものがそこに無い。
アウローラの右ひじから下が食いちぎられて無くなっていた。だが、アウローラはそれを見ただけで痛みに叫びだすことなく短くなったその右腕と共にクラースの体を起こそうと必死になる。
声はない、でもまだ温かい。
もうすでに力を入れることすらできないはずのアウローラはクラースの体を自分から引き剥がして彼を寝かせる。彼の左脇腹がまるでパンを齧った様にその部分の肉が抉れている。
「クラース?ねぇ?クラース?」
必死のアウローラの呼び声は、虚しく消える。赤い外套がそれを見て笑いだした。
「あっはっははははは!!こりゃ何というタイミングだ!最っ高っに我は運がいい!!」
アウローラがそちらの方へと顔を向けると、赤い外套の傍には今までアウローラが相手をしていた小さい魔物ではなく、先程から赤い外套が腰掛けていた魔物が3体寄り添うようにしている。そして、赤い外套がその3匹を見ると死にかけている魔物を指さした。3匹は声を上げることなく突如としてその死にかけている魔物を食べ始める。
肉を引きちぎる音と骨をかみ砕く音が聞こえ、魔物の力がだんだん増しているのが肌で感じる。だが、アウローラはそんなことを気にしいる場合ではなかった。
残り滓ほどの魔力で必死に涙を流しながらクラースへと治療魔法をかけている。段々と血は止まっていくが傷が回復していくことはなく、アウローラが手を止めたのは彼女の口から大量の血が吐き出された頃だった。それでも、アウローラは手を止めなかった。
「お願い。起きて、起きてよっ・・・私達、結婚するんでしょ?一緒に生きていくんでしょ?だから、お願い、お願い」
それを退屈そうにして赤い外套はそれを見つめる。
「あーあ。なんか、アウローラってやっぱり人間だね。つまらない」
必死な彼女を指さして、魔物を平らげた彼等に言う。
「あれとあれ、食べていいよ」
魔物達は嬉しそうにして喉を鳴らして、ゆっくりと近づいていく。アウローラはクラースを守るようにして剣を構えようとするが、近くに剣は落ちておらず、手を伸ばしても届かない。それでも、彼女は彼を守ろうと魔物を睨み付ける。
それを“私”は見つめていた。
クラースはアウローラの頑張り虚しくあと数分で死んでしまうだろう。まだ意識はあるのだが、声は出せず「逃げろ」という彼女を案じた言葉は届かない。
だが、恐らく彼女はその彼の言葉を聞いても彼を残してこの場所から逃げることはしないだろう。たとえ両脚を失っても、もう片方の腕を無くしても、彼女は諦めることはしない。
諦めることを、彼女は止めたのだ。
“私”はそれだけを見れて満足であり、それは“私”が手を貸す理由となる。
“私”の中にいる大いなるあの方は「いいの?」と問いかけてくるが、そんなの決まっているだろう。
―それは勿論、いいに決まっているわ。
“私”は彼女から沢山貰って来た。一緒に屋上で同じ煙草の匂いを纏っていたあの時も、アウローラとして生きていた彼女からも“私”には到底手が届かないものをたくさん見せて貰った。
あの方は静かに、悲しそうにして「わかった」と呟いて消える。
ごめんなさい、ありがとう、マーテル。
“私”は手を伸ばして、彼女に触れる。今まで触れることができなかった彼女が触れるということは別れが近い証。
彼女は突如感じたその感覚に振り返りそうになるが“私”はそっと彼女の目を後ろから両手で塞ぐ。
―友よ。私が少し手を貸してあげるわ。




