第1部-47話「赤い外套」
少し短めです。
地を蹴りその勢いで距離を詰め、剣を振りかざし“原初の厄災”を名乗る赤い外套の頭にそれを振り落とす。渾身の力を込めたその剣はあろうことか、先程のナックルを装備している手ではなく、何も付けていない片方の手で軽々と防がれる。まるで幼子がふざけて木の棒を軽く振りかざしたものを防ぐような軽さである。
しかもその手は、異形の者ではなく、人間の柔らかい白い手であるのだ。
ふっと口元に笑みを赤い外套が浮かべると、トッとそれを押し返す。一見すれば軽い力に見えるその動作なのだが、剣を握っていたアウローラは、後頭部を見えない力で後方に引っ張られたように体がぐんっと押し返されて、受け身を取るのがやっとだった。
「実にいい。が、短絡的直情的。あと」
すっと赤い外套は人差し指を図書館の扉を指さす。何をするのか気が付いたロサが「フロース!アウローラ!」と図書館の扉の前にいる2人の名前を呼ぶ。2人が「え」と振り返った瞬間赤い外套はピッと人差し指で何かを弾くような仕草をする。
「人が多いのは、あんまり、ね♪」
『まっ・・・』
ロサが手を伸ばすが間に合わず、扉は大きな音を立てて閉まり、その瞬間キィィンという耳障りな音が響き渡り、アウローラとフローラは耳を押さえた。すると周辺には薄い膜が張った様に風景がぼやけて見える。恐らく防御魔法の一種であろう。外から遮断するものか、それ以上のものか。
だが、ロサならばすぐに打ち破れるはずであるし、大精霊なら何か干渉する方法があるだろう。心配そうに縋りつくフロースを片手で寄せて、声を掛ける。
「大丈夫。私が守る。きっとみんなも大丈夫だよ。それに、職員室には先生達もいるんだし」
「来ないよ」
赤い外套が後ろ手に手を組んで、口元に笑みを浮かべる。
「来ないよ。助けは来ない」
「何故言い切れるのよ」
赤い外套はプルヌスの実力や他の先生達の実力を知らないと言え、何故ここまで言い切れる自信があるのだろう。眉を寄せて、周囲を警戒しながら問いかけると赤い外套は小馬鹿にしたように笑う。
まさかと思い、相手を睨み付けた。
「先生達に何かしたの!?」
アウローラの言葉に一瞬動きを止めると、少しの沈黙後に腹を抱えて笑いだす。
「そんなわけないじゃないか。我は基本的に目立つ行動はしないようにしているんだぁ。だってそれじゃあアイツに対して悪いだろう?色々頑張っているのはアイツなのにさ」
アイツというのは一連の犯人、闇の大精霊を捕まえたという犯人だろう。赤い外套は「わからない?」と首を傾げる。
「そうかぁ。アウローラでもこの魔法は知らないかぁ。さっき使った防御魔法にはちょっと別の力が付与してある。どんなに激しくこの中で騒いでも、誰も、何も、聞こえない」
背筋が凍りつく。ということは、外からの救援は期待できないということだ。とはいえ、巡回はもう一度ある。それまでどうにかして持ちこたえることができればと、強く剣の柄を握りしめる。
相手の手札は見えない。フロースを守りながらだとしたらどのようにするべきかを考え巡らせていると、フロースがアウローラの袖を引っ張る。
「アウローラ様。貴女の自由に戦ってください。私だって、少しは戦えますし、魔法も使えます。2人で、戦いましょう」
静かに闘志を燃やすフロースに目を丸くしてアウローラは見つめる。ふっと口元が綻び、肩の力が少しだけ抜ける。前を向き直り、剣の切っ先を赤い外套に向けて小さく「ありがとう」と彼女にお礼を言う。
聖女の騎士であるが、聖女はただ守られるだけに甘んじるような子ではない。アウローラは傍にいる守るべきものであり、戦いを共にする友の存在の大きさを感じる。大きく深呼吸をして、赤い外套を睨み付けると相手は、いつでもどうぞ、というように両手を降ろし、口元をニヤつかせている。
ならば、と再び地を蹴り赤い外套に接近する。その途中、フロースからの援護である強化魔法がかかり、ふわりと体が軽くなる。心の中でフロースに感謝しながら勢いを殺さずに剣を振るう。先程の軽い受け流しではなく、赤い外套は力を込めて剣を受け止め弾くが、アウローラはそれを予想し弾かれた衝撃で後方に下がり、柱に足をかけて何度の斬撃を喰らわせる。すると、フロースが光を圧縮した光の矢を自身の周辺に創り出すと、アウローラが下がった瞬間にそれを赤い外套に打ち込む。
赤い外套は舌打ちをしてそれを受け止めるではなく、ひらりと避けた。隙を見せたと思い、アウローラが背を低くして薙ぎ払うが、既にアウローラの行動を予測していた赤い外套は、飛び跳ねてそれをよけて、続けてフロースが再び光の矢を放つがそれも華麗に避けた。
次に赤い外套はナックルを付けている手でアウローラの剣を持っている手元を狙い、引き裂こうとする。それを避けてアウローラは校舎側の方へと降り立つ。その瞬間、アウローラは自身の立ち位置の状況を理解した。
フロースとは対角線上、フロースが光の矢を放てばアウローラにあたる可能性があるため彼女は攻撃魔法を使えないだろう。ならば彼女はアウローラの補助に移行するはずだ。
赤い外套は、そこまで考え付いていたのだ。
アウローラが立ち位置を変えようとした瞬間、赤い外套は袖口から一本の手のひらほどのナイフを取り出して、アウローラに背を向けた。今攻撃しても、赤い外套の行動を止めることは出来ないだろう。
冷汗が吹き出し、アウローラは焦った。焦ったことで、最適な判断ができなくなってしまった。
強化魔法の準備に入ったフロースは無防備だ。
「フローーース!!!」
アウローラは大切な、守りたい人の名前を叫び、赤い外套の横を通り抜けてフロースへと駆け寄る。だから、赤い外套の思惑も、赤い外套が何処へ向けてナイフを投げようとしているかもアウローラは考えることができなかった。
ナイフが一本投げられた。
気が付いたフロースがアウローラを見て、彼女の脇に見える赤い外套の口元が嬉しそうに弧を描いたのを見てすぐに理解する。飛んでくるナイフは、フロースが動かなければ顔のすぐ脇を飛んでいくだろう。なら赤い外套の目的は、アウローラだ。
「ア―」
顔の脇をナイフが掠めて壁へと刺さる。フロースが彼女の名前を呼んで危険を知らせようとしたが、ずるりとアウローラがその場に倒れる。
「アウローラ様!!!」
悲鳴のような声を上げてフロースは駆け寄ろうとするが「あーだめだめ」という声と共に腕を掴まれて、補足されてしまう。だが、赤い外套は目の前にいる。自身を捕らえているのは何なのかと両腕を掴んでいる何者かを見ると、それは人形であった。白い磁器のようなもので造られたような、人間と同じ大きさの球体間接人形。どうやって動いているとか、いつの間に、という思考よりも倒れているアウローラの名前を何度も呼ぶ。
アウローラの背には、手のひらサイズのナイフが3本刺さっている。傷の深さはそれほどではない。しかし、アウローラは呻きながら何度も立ち上がろうとするのだがどうやら手足が上手く動かないようだ。
赤い外套がそれを「よっと」と言いながら引き抜くと、先端からアウローラの血と共に薄黄色の液体がしたたり落ちていた。
「うっふっふ。どうかな?我特製痺れ薬―。あ、毒ではないし1時間したら効果は無くなるんだよ」
楽し気に自慢してくる赤い外套は、ナイフをどこからか取り出した鞘に納めると、赤い外套の右前を開いて中にあるナイフ入れにしまい込む。すると今度は左前を開き、中に収納していた先程のナイフよりも厚く、刃渡りの大きな短剣を2本取り出すとアウローラの元へと近づく。
フロースが魔法を使ってアウローラを治療しようとするが、人形たちによってそれは防がれてしまう。
赤い外套はアウローラの背に跨ると、短剣を振り上げた。
「よっと」
短剣は深々と振り上げて、それを下ろした。
アウローラの悲鳴が渡り廊下に響き渡る。
右手は赤い外套が持っていた短剣により石でできた床と縫い付けられ、彼女が逃れようと動くたびに服を赤く染め上げていく。上に跨っている赤い外套は口元に人差し指を当て考える仕草をした後に、袖の中からもう一本の短剣を抜き取ると、左手も地面へと縫い付け、アウローラの体が大きく跳ねた。激しい痛みであるというのに、アウローラは気を失うことなく、これからどうすればいいのかを必死に考えている様だ。
「やめて!やめてくださいっ!お願いっ・・・」
懇願するフロースの声に赤い外套はピクリと反応して、そちらを見つめる。話を聞いてくれるのかと思ったのもつかの間、赤い外套はにやりと口元を歪めて、こてんと首を傾ける。
「い・や・だ♪」
愉しむようなその声に、さぁっとフロースの顔から血の気が失せる。フロースがアウローラの方を見ると、彼女の呼吸は浅く、血だまりが彼女の美しい髪を染め上げていく。アウローラの幾たびの悲鳴のたびに、図書館の扉は何度も大きく叩かれ、中にいる皆の必死な声がこちらにも聞こえてくる。
フロースは、項垂れ涙を流しながら「お願いします、お願いします」と呟いて暴れ、彼女を捕まえている人形から逃れて愛しいアウローラの傍に駆け寄ろうとするが、それは叶わない。
「あーあんまり暴れない方がいいよ、光の聖女。それ、人の骨で造ったから結構丈夫だし、それに―」
「きゃあ!!」
人形がフロースの頬を爪で切り裂いた。彼女の白い肌から赤い血が流れ落ちていく。それを見て赤い外套は「あー」と呟いて肩を落とす。
「ほら言わんこっちゃない。その人形、人間嫌いだから我の命令聞かずに無断攻撃してくるから」
彼女等が話をしている間、アウローラは止血だけでもしようと気付かれないように静かに治癒魔法をかける。だが血を流しすぎたのだろう、徐々に意識がもうろうとしてくる。だが、ここまで来て死ぬわけにもいかないし、ここで自分が死んだならフロースに危害が及んでしまう。それだけは、避けなければならないと気力を振り絞って意識を保つ。
「・・・とまぁ、お遊びはこれくらいにして」
くるりと歪んだ笑みを浮かべたまま赤い外套はアウローラに刺さっているナイフを何のためらいもなく引き抜くと、彼女の体を蹴飛ばして仰向けに寝転がし、再び短剣で床と腕を縫い付ける。その度にアウローラはうめき声を上げ、顔の半分は見えないが、それを光悦な表情で赤い外套は見つめる。そしてアウローラに跨り、そのまま彼女の顔を見下ろし、頭を掴む。ぎりっと強く掴まれているが、抵抗する術などない。何とか、横目で赤い外套を睨み付けると「あはっ」という悦ぶように声を上げた。
「やっぱりいい。やっぱりいいよアウローラ。貴女は最高に、反吐が出るほど綺麗で高潔だ。だけれど、その腹の中はなんて黒いものが渦巻いでいるんだろう。貴女の表面は吐きたくなるほど嫌いだけれど、中身は、嫌いではないよ」
「あっ・・・」
ずぷりという音が聞こえた気がした。
フロースの大きな悲鳴が響き渡り、何度も何度もアウローラの名前を呼ぶ。
何が起こったのか分からずにアウローラは視線だけを、自身の腹に向ける。自分の腹には、赤い外套の腕が深々と刺さっていた。自覚すると、そこの場所は熱を帯び、それは激痛となる。
悲鳴を上げることは出来なかった、それよりも、呼吸はさらに浅く、絞り出すような呻き声しか上げることができない。腹を搔き回される感触と、痛みと熱が意識を奪おうとしてくる。
「ねぇ、アウローラ。貴女ってとぉっても邪魔なんだよ」
腹を掻き回していた手を止めて、密やかに赤い外套は言う。ずるりと、腕が抜かれるとなぜか痛みが徐々になくなっていく。が、血が流れている感覚は無くならない。傷は、恐らく開いたままなのだろう。
「ここで殺してしまってもいいんだけれどね。それでは、今まで散々邪魔してきた貴女を苦しめられないし、それに―」
アウローラの頬を両手で包む。
「大切なものが徐々に死んでいく様を、見た方が、貴女のお仲間は絶望するでしょう?」
赤い外套がアウローラの頬から手を離すと、右手を図書館の扉に向けてくいっと指を動かした。先程まで、鍛えている全員と大精霊が力を合わせても動かなかった扉が大きな音を立てて開く。すると、中にいた全員は何が怒ったのか分からずに混乱していたが、目の前の惨状にひゅっと息を呑んだ。
「貴様ぁぁぁあ!!」
声を最初にあげたのはクラースで、惨状を見たルミノークスは涙を流しながらその場にへたり込んでしまっている。全員が動こうとした瞬間に赤い外套がため息をついて差し出していた手の人差し指を立てると、全員が動かなくなる。声すらも出すことができずに、混乱している様子だ。
「あーもーうるさいな。早く治療しないと彼女死んじゃうでしょー全く」
赤い外套はアウローラの傷がある下腹部を撫でると、一瞬にしてその傷は跡形もなく消える。しかし、アウローラの顔色は悪く、目は虚ろになっている。
「今まで邪魔されたんだもん。簡単には死なせないよ。彼女の体の中に、我の一部を埋め込んだ。これは、そこの光の大精霊が大好きな大事な闇の大精霊の力、心に干渉する力を織り交ぜて作った“種”。植え付けられたら、心に捕らえられる。そしてこれは、彼女の魔力を食べて成長する。内側から花が咲くなんて、とっても綺麗だろう?」
赤い外套が、アウローラの頬を撫でると、彼女の瞼はゆっくりと下がり、整った寝息を立て始める。生きてはいるが、確実に近くにある死に向かっている。
「助ける方法はあるけどぉー教えてあげる義理なんてないしぃ。ほら、大精霊達もいるからまぁ分かるでしょ?」
ケタケタと笑い声をあげる赤い外套。今すぐにでも掴みかかり、その顔を殴りたいというのに体が動かない。刹那、ひゅっという風を切る音が聞こえて、アウローラに跨っていた赤い外套の左腕が空を舞う。
「は?」
続けて風の切る音が2回3回と続けられ、赤い外套はそれを空中に跳んで回避をした。ぐらりと周辺の景色が揺らいで、ガラスが割れるような音が響いたかと思うと、校舎側の入口に誰かが立っていた。黒いつるりとした仮面をつけた背の高い男。
―プルヌスだった。
「何を、している?」
一言言葉を放っただけだというのに、空気が揺れる。どんなことをしても怒らない、誰も怒った所を見たことがないプルヌスであったが、表情見えずともその声に怒りがにじみ出ている。赤い外套は左腕を抱きかかえながら、たじろぐ。
「・・・宮廷・・・魔法士・・・」
「誰を、傷つけている?」
一歩、一歩プルヌスが前進するたびに赤い外套は後退する。そして、震える声で「いけ!」と叫ぶと、フロースを捕まえていた人形がプルヌスに襲い掛かる。自由になったフロースはふらりと倒れ、ノヴァがそれを優しく受け止めた。
プルヌスは人形が襲いかかってきているというのに、ゆっくりとした足取りで赤い外套に近づいていく。奇声を上げて人形は鋭利な指先で彼を切り裂こうとしたが、何処からともなく出現させた剣と杖を複合させたような身の丈程の武器を軽々と振り回し、一瞬で人形は無残に砕け散る。
「なっ・・・嘘だろ」
「再び問う。何をし、誰を傷つけている?答えろ」
切っ先を赤い外套に向けてプルヌスは問うが、赤い外套はなにも答えずにじりっと後ろ脚に力を込める。予備動作なしでプルヌスは武器を振るうが、赤い外套は左腕を持ちながら華麗に避けた。そして、図書館脇にあるステルラの薬草園内にある噴水に立つと大きなため息をついた。
「こりゃちょいと分が悪い。それじゃ、皆さん。健闘を祈るよ。大事な皆のお姫様を救ってね♪」
すぐ立ち去るかと思いきや「あ」と声を出して赤い外套は手を振る。
「多分リミットは7日くらいかな?ばいばぁい」
音もなく、そこには最初から誰もいなかったかのように瞬時に赤い外套は消える。その瞬間、体が動けるようになりクラースは一目散にアウローラの元へと駆け寄る。もうすでにプルヌスが割れ物に触れるように、優しく、静かに彼女の体を抱き起こしていた。床と縫い付けていた短剣も赤い外套の消失と共に消え、痛々しい傷跡が両手に付けられ赤く染まっている。
プルヌスは優しくアウローラの体を抱きしめると小さく「ごめん」と謝ると、クラースの方へと顔を向けた。おずおずとクラースは両手を差し出すと優しく、アウローラを受け渡された。
直後、プルヌスの後方からバタバタという足音が聞こえて先生達全員が息を切らしてやって来た。惨状を見て彼女等は絶句したが、プルヌスが見たことを話している。
クラースの後ろから「クラース」と声を掛けられ振り返ると、アウィスが沈痛の面むちで立っていた。
「とりあえず、見えている傷を治療しよう」
「・・・あぁ、頼む」
アウィスはアウローラの両手の傷や、細かい傷に治癒魔法をかける。
クラースは苦し気な表情で寝息を立てているアウローラの腹に手を当てるが、そこに傷の感触はない。服は破れて露わになっており、少し破れた個所を覗くが、やはり綺麗な肌だ。
守れなかったという後悔が、沸々と湧き上がり、何もできなかった自身の無力さに腹が立った。それは、皆同じらしく、皆一様にして表情は暗く、一部始終を見ていたフロースは未だ気を失っている。
涙は出なかった。出る、心の余裕がなかった。
「アウローラ」
頬を撫でながら、クラースは名前を呼ぶ。
「アウローラ」
名前を呼んでも返事はない。ただ、整った寝息が聞こえてくるだけ。
何度も何度も名前を呼ぶが、彼女が起きることは無かった。




