第1部-2話「模擬戦にて」
最初に動いのはクラースだった。
ちらりと彼の瞳が緑色に発光する。恐らく強化魔法を使っているのだろう。
魔法を使うとその瞳に属性の光が灯る。そのため顔が見えている対人では相手がどのような魔法を使ってくるのかを予測しなければならない。
だが10戦もクラースと戦い、更には彼よりも数多くの騎士を相手にしてきたアウローラにはどのような魔法を使い、どのように体を動かすのかを完璧に予測できてしまう。
強化魔法をも使わずに訓練刀で流し、踊るように軽々しく避ける。
防御に徹しているアウローラにしびれを切らしたのか、クラースが腕に強化魔法をかけ剣を横から切りかかりに来た。それを知っていたかのようにアウローラは剣で流すように防ぎ、体制を低くする。すると僅かにクラースの体勢が崩れてしまう。刹那、彼女の瞳がちらりと緑色に光り右足を蹴り上げ茶色の編み上げブーツの底で剣の柄を蹴り上げて訓練刀は宙へと舞った。クラースがしまったという顔をしたが時すでに遅く声を出す前に続けざまにアウローラは左足で彼の体を横から蹴り、辛うじて防御魔法と腕で防いだクラースは周囲で輪を作っていた騎士たちの中に吹き飛ばされてしまった。
ふわりとアウローラは地に足を付け、息をついて持っていた剣を腰に付けていた鞘に納めた。
静寂、のちにどっと大きな歓声が上がった。
「アウローラちゃんまた勝ったぞ!」
「すげぇ!」
「おいクラース坊ちゃん大丈夫か?」
「・・・あー・・・何とか」
周囲の騎士が騒ぐ中クラースは受け止めてくれた体格のいい騎士に軽く礼を言い、右腕を摩りながら土を払うアウローラへと近づく。それに気づいた彼女はふっと笑いクラースの腕に触れる。青白い光がクラースの腕に集まっていく。
「治癒魔法、あのお前付きの侍女に教えてもらったのか?」
「ミールス。そろそろ名前覚えてよ。といっても彼女ほど凄いものではないけど」
「先生からは?」
「先生は治癒魔法だけは教えられないって」
「なんで?」
「苦手だからだって」
「ふーん」
会話をしているうちに光が徐々に弱まっていく。光が消えた後、確かめるようにクラースは何度か腕を触り、何度か手を握る仕草をする。
「うん。ありがとう、アウローラ」
「いいよ。怪我させてしまったのは私だから。それよりも、早くどけよう。ここでは邪魔になるから」
「あぁそうだな」
アウローラはクラースの腕を引き、彼を気遣いながら騎士の輪から抜ける。アルスの「次の者、前へ!」という声に野太い返事がどこかから聞こえてくる。
輪から抜け、アウローラが模擬戦前に立っていた所へと戻ると訓練所の入口からこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえる。そちらへ振り返ると先程窓からアウローラ達に声援を送っていた少年二人が走って来ていた。
「アウローラ!素晴らしい戦いぶりだったよ!美しかった!」
「兄さん、声量」
「いいじゃないか、インベル。ここは外だ」
「・・・ノヴァ兄さん、騎士たちもいるから少しは王子としての品格を―」
「あーもー固い固い!それよりも、だ!」
ノヴァと呼ばれたサンオレンジの彼は足を早めて笑顔でアウローラの両手を握る。
それを見たクラースの眉がピクリと動く。
「いやぁやはり君は綺麗だね!戦う姿に品があるよ!」
「あーはい、それはどうも」
彼は攻略対象の1人、ノヴァ・アウルム・アルガリータその人だ。
ゲーム内の彼はいつも微笑を絶やさない美男子で他人に優しく、自分に厳しいといった品行方正かつ優等生を絵に描いた様な人間だったのだが、アウローラが出会った頃からこのような感じなのだ。なんというか、距離が近い。それに、ゲーム内でアウローラとノヴァが幼いころからの友人だったということはなかったので、出会ったときは衝撃を受けたものだ。
彼との出会いは2年程前で、ノヴァが弟であり今ノヴァの隣に立っているインベル・アウルム・アルガリータを引き連れ模擬戦の見物に来たのがきっかけである。終了後に突然現れ笑顔で彼はこう言ったのだ。
「君の戦う姿に見惚れたよ!君の名前は何ていうんだ?」
突如としてそんなことを言われたアウローラは「はぁ?」という表情を隠すことができなかったので最初印象は最悪だと思っていたのだが、友人になろうと申し込まれるし、その日以来、アウローラの稽古がある日は毎日の様に見学に現れ、差し入れと称して菓子類を渡してくる。餌付けされているような気がするが、アウローラはありがたく頂戴し、少しずつ話をするようになっていった。
「ノヴァ!お前いい加減手を放せ!」
黙っていたクラースがノヴァの手を無理矢理アウローラから引っぺがす。「おっと」という声と共に半歩後方へノヴァは後ろに下がるが、特に気を悪くした様子もなく顔は笑みを浮かべたままだ。
「おや失礼した。そんなに束縛しては嫌われるよ、連敗くん」
「うるさいな。つかお前距離が近いんだよ。アウローラは俺の婚約者だぞ」
「そういう彼女を物の様に所有権を宣言するのはいかがなものかな」
「はぁ~?事実を言って何が悪いんですか?」
「その態度、今度の模擬戦で叩き直してやろうか?」
ぎゃんぎゃんと言い争いをしている中、のん遅れて歩いてやって来た少年、ライムグリーンのさらりとした髪で左の赤い瞳を隠し右の深緑の瞳を眠そうにしている彼はインベル・アウルム・アルガリータでノヴァと違い真面目で物静かな人間だ。弟といっても王妃の妹の子供であるためノヴァと血の繋がりは薄く王族の血は受け継いでいない。しかし、そのことを感じさせないほど家族仲はかなり良いと話しを聞く。この雰囲気が何よりの証拠だと思うが。
「・・・いつもうるさくてごめんね。アウローラ。疲れているのに」
「いいや、いつもだから大丈夫だよ」
「そう言ってもらうと助かる。兄さん、君に会うの楽しみにしているから」
「ん?なんで?」
「え?なんでって・・・それは―」
「ちょっと待って、それお菓子?」
2人の言い争いが続く中、アウローラはインベルが持っている茶色い籠を指さす。そこから微かに甘い香りが漂ってきていた。小さくインベルが「あぁ」と呟いて籠に被せていた清潔な白い布を外すと、中にはクッキーや乾燥したフルーツの入ったバターケーキが綺麗に並べてあった。
嬉しそうに顔を綻ばせるアウローラを少し可笑しそうに笑うインベルが籠の中身を指さす。
「知り合いにお菓子作りが得意な人がいて、教わりながら兄さんと作ったんだよ。美味しいかどうかわからないけど」
「へぇー凄い!君達が頑張って作ったのなら美味しいに決まっているよ。ありがとう」
弟の様に思えてきてインベルの頭を撫でると、彼は赤くなりはにかむ。すると言い争っていた二人の声が止み終わったのかと振り返ると、わなわなと口を開けている2人の姿がそこにあった。
一体何なのだ、とアウローラは首を傾げると訓練所の扉がゆっくりと開いた。
そこから出てきた人物の顔を見た瞬間、アウローラの顔は見る見るうちに明るくなり甘えるようなワントーン明るい声を出す。
「プルヌス先生!」
扉から現れたのはすらっとした長身で宮廷魔法師用の金刺繍の入った黒いローブを身に纏い立て襟の白いブラウスと黒いスラックス、茶色い革靴を履いた人間だった。首には水色のブローチを留め具にした青いスカーフを巻いている。そのブローチとスカーフは宮廷魔法師、つまりは王族直属の魔法隊の最高ランクであることを示している。しかし異様なのはその顔。本来顔があるべき場所には黒い球体がある。球体といっても、恐らく正面である部分は僅かに角ばっているため完全なる球体とは言えない。そのフルフェイスマスクの上には、黒い三角帽子がちょんっと乗っている。
彼はゲーム内に学校内の特別講師として登場し、ストーリー内で彼の部下である2人の女性と共に主人公に助言を与えてくれるキャラクターだ。攻略対象ではないのだが、その異様な見た目と優し気な低音ボイス、極めつけは主人公の危機に教師として颯爽と現れる姿から一定数ファンがおり、彼専用のグッズ展開もされていた。
アウローラにプルヌスと呼ばれた彼は彼女を発見すると両手を広げた。
「アウローラ!」
その球体から人の首が見えているため空気が入る場所はあると思うのだが、それにしても仮面であるというのにその声に籠った様子はない。
アウローラは笑顔で彼の腕の中に飛び込み、無邪気にはしゃぐ。
「見てましたか先生!どうでしたか?」
「あぁ、とてもよかったとも。ボクが教えた魔法をしっかりと覚えていたようだね。とてもいい、花丸だ」
「えへへ」
「でも一つ言うとすればだ。この前教えた防御魔法を無防備な腕や足に展開すると申し分がない。あの時避けられ腕や足を切り取られてしまえば動けなくなってしまうからね」
「なるほど。勉強になります」
「・・・あぁ熱心だねアウローラ。やっぱりボクの可愛い愛弟子だ」
プルヌスに頭を撫でられ、アウローラははにかんで笑う。するとふと、後ろから視線を感じ振り返るとジト目で見るノヴァとクラースがそこにいた。
2人の会話が終わったのを見計らって、インベルがとことこと二人に駆け寄った。
「プルヌス宮廷魔法士、こんにちは」
「第三王子殿下、貴殿と後ろの彼等も元気そうで何より」
ちらりとプルヌスが後ろの二人にも視線を向けると、彼等は軽く会釈をする。そして二人で目配せをしてから肩を落として三人の元へとぼとぼと歩いてきた。
ノヴァとクラースはあまりプルヌスが得意では無い様なのだ。恐らく彼が宮廷魔法士という王族の魔法訓練や王城内の魔法系統を取り仕切っている役職についていて、尚且つ、王族の教育係を務めている所為だろう。クラースは伯爵であるが、インベルとノヴァの友人でよく一緒にいるため、よく勉強のことを聞かれているらしいのだ。
アウローラはプルヌスのことを怖いとも厳しいとも思ったことがない。むしろ、教えてくれることは分かるまで付き合ってくれるし教え方もうまい。彼と出会ったのは5歳の時だが、その時に彼の魔法を目の当たりにして弟子に志願した時も―両親が知り合いだったとはいえ―快諾し、両親の説得にも尽力してくれた。
―正直ストーリー内でどうしてそこまでピックアップされなかったのが不思議でたまらない。
「ところで第三王子殿下、第二王子殿下、アルゲント家ご子息、ボクが先日渡した魔法基礎の勉強の提出が今日のはずだけれども、提出はいつ頃かな?」
「「げ」」
クラースとノヴァが小さく声を出し、視線を合わせてくるプルヌスから目を逸らす。インベルはしっかりとやったらしく後ろの二人の声にため息をついてから「本日の夕刻に提出します」と真っ直ぐに返答した。
プルヌスはインベルのあたまを優しく撫で、するりと2人の元へ歩いて行き頭の上に軽く手を置いた。
「基礎というものを侮ってはいけない。基礎があるから応用ができる。うぅん、そうだね。ボクには今時間がある。今魔法基礎の授業を聞いてレポートを書いてくれれば、宿題の提出期限を数日延長するというのはどうだい?」
「え?まじ?」
「さらっと宿題増やしていませんかプルヌス宮廷魔法士」
「ならば、第二王子殿下の宿題の期限は今日の夕刻で」
「もちろん授業受けるとも!えぇ喜んで受けさせていただきますとも!」
「よろしい」
「あのー、それ僕も受けてもよろしいのですか?」
「あ!私も受けたいです!」
手を上げるアウローラとインベルへプルヌスは振り返り、優しく頭を撫でてくる。
「アウローラと第三王子殿下は勉強熱心だね。とても良いことだ。授業の後にご褒美をあげようかな」
紅くなる2人に面白くなさそうに眉間に皺を寄せるクラース。ふいに彼は「ちょっと」と言いながらアウローラの腕を掴んで引き寄せる。どうしたのだろうときょとんとして首を傾げるアウローラにクラースは何か言いかけ、視線を逸らして腕を放す。
「え?何?どうしたのクラース」
彼の不思議な行動に思わずアウローラが尋ねるが、何も言わずじろりとプルヌスを睨んでいる。
クラースからの返答を諦めたアウローラは、小さくため息をついてちらりと模擬戦の時に誰かがいた茂みを見やる。だが、もうそこに人影はない。
プルヌスは小さく喉を鳴らして笑い、黒い手袋を付けた手をパンと叩く。
「さて、と。では移動しようか。幸い一階の会議室が空いているんだ。そこで授業をしようか。アルメニウム!」
「はいはーい。お呼びですん?」
がらりとすぐそばの窓が開き、幼い顔立ちであるが絵画の様な美しい黒い瞳の女性が顔を出してきた。白く癖があるが絹糸の様な髪は肩程で内巻きになり腰まで長い襟足を二つに三つ編みにしており、毛先が緑色に変色している。
アルメニウムというこの女性はプルヌスの部下であり、学園の錬成術専門の外部講師でゲーム内では武器製造の時によくお世話になるキャラクターだ。プルヌスの部下であるため、この場にいる全員が顔見知りである。
彼女は子供達に気が付くと、急に表情を明るくして手をぶんぶんと振る。
「あれあれ久しぶりー!皆背が伸びた?」
「アルメニウムさん、1週間前に全員と会いましたよね?」
アウローラのその言葉に「あれ?」と首を傾げて、数秒考える仕草をしたが、何も思い出せなかったようでにぱっと笑う。
「全っ然思い出せないわ!それ本当に私だった?」
「アルメニウムさんでしたよ勿論!ちなみにその時も私やクラース達に身長の話をしていました」
「あれぇ本当?アルちゃん最近物覚えが悪いみたいね」
アルメニウムは「困った困った」とけらけらと笑い、窓枠に肘をつく。
そっとクラースが隣にいるノヴァに耳打ちをする。
「アルメニウムさんって黙っていれば美人なのにな」
「あぁそうだね。ほら言うだろう?天才は変わり者が多いって」
「あ~確かにそうだよなぁ~」
納得したようにクラースはアルメニウムとプルヌスを交互に見る。
おほんとプルヌスがわざとらしく咳払いをすると、アルメニウムが「あ」と視線を但しプルヌスに体を向ける。それを確認したプルヌスはため息をついて呆れたように腰に手を置く。
「君はとても優秀だけれど、もう少しだけ落ち着いてくれるとボクも助かるのだけど」
「すみません。あ、ところでどのような用時ですん?あー・・・」
アルメニウムはアウローラ達を見渡してから頬を掻いて苦笑いを浮かべる。
「・・・いや、わかりました。全員分のお茶の用意ですね。りょーかいです。アルちゃん使用人ではないのだけれども。後でお給金をプラスしてくださいね、お茶代」
プルヌスの返答を待たずに「ではでは」とひらりと手を振って部屋の中に消えていった。微かに食器がぶつかり合う音が聞こえてくることから、恐らくお茶の用意をしているのだろう。
プルヌスは「行こうか」とアウローラ達の声を掛けて訓練所の中に入って行く。それに皆続いていくが、どうやらノヴァとクラースの足取りは重い。インベルとアウローラは顔を見合わせ、くるりと2人の背に回ると早く歩くように背を押し始めた。
最初は抵抗していた二人だが、ぐいぐいと押す彼女たちに観念したのか、諦めたように足を早めてくれた。