幕間「とある聖騎士の記憶➀」
彼女がいなくなったと騎士から話を聞いて、真っ先に思い浮かんだのはこの場所だった。
聖域と呼ばれるこの場所は、魔物の侵攻が激化している中、魔物が一切近寄らない場所だった。ならば、ここに国民を避難させればよいのではないだろうかととある騎士が具申したのだが、それは許されないと陛下が一蹴した。この場所は、誰にも侵されていないからこその聖域であり、穢れていないから魔物が血寄らないのだと。この場所の本当の意味を知っている人以外ならば、そう言われれば納得せざるおえないだろう。
陛下に許可を貰って、聖域に足を踏み入れて数十分。案の定、彼女は聖堂の中で、ステンドグラスへ祈りを捧げていた。
初代聖女、今この世界を蝕んでいる“厄災”を初代聖騎士の青年と一度消滅させたという存在で、どのような魔法も使うことができ、魔力の量もかなりのものであったらしい。とはいえ、記録はほとんど残っておらず、水の国の巫女から話を聞いただけだが。
青く澄み渡った空を後にし、聖堂へと足を踏み入れると、中も外と同じくらい明るい。
静かに祈りを捧げる彼女の背を、ただその場に立ってじっと見つめた。
彼女の髪は、肩で切りそろえられている。つい先日までは腰ほどに長く、陽光に照らされれば、まるで煌く小川を思わせる白銀の艶やかな髪だったのだが、先の戦いで倒れた拍子に魔物の血と人間の血が髪に染み込んでしまったので、その場で切ったのだ。その時は乱雑な切り方でぼさぼさになっていたのだが、その後切りそろえられ今ほどの長さになってしまった。
だが、その髪の美しさは変わらない。
扉のない聖堂の入口から風が吹けば、風に触れてキラキラと輝いている。
祈りを終えて、彼女は私がそこにいるのを分かっていたようで、振り返って寂し気に微笑んだ。
幼い日の、あの快活な笑顔の面影はもうない。
「ここにいらっしゃったんですね」
そう、私が言うと彼女は静かに胸の前で手を組むと、僅かに俯く。
「・・・敬語は、やめていただけませんか?寂しいです」
私は首を左右に振った。
「いいえ。この場で誓ったあの日から、私は貴方と同等の立場ではなくなりました。私は貴方の剣であり盾。付き従う者として、上には敬意を払うべきですから」
私の頑固さは彼女もよく知る所だ。小さくため息をついた彼女は、再びステンドグラスを見上げる。
厄災たるあの生き物たちとの戦いが激化する中、暇があれば彼女はこの場所に祷りを捧げている。いや、彼女が捧げているのは恐らく祈りではなく、自らの罪を赦して頂くための懺悔だと私は知っていた。
あの日、彼女は罪を犯した。
だが、その場にいた全員はあの場ではそうするしかなかったと口を揃えて言うだろう。だが、彼女の罪の意識は消えず、今もなお自らを痛めつけるようにして戦いに身を投じている。
今の姿を、あの方が見たらなんと言うだろうか。気高く、自信家のくせに寂しがり屋なあの方は。
私もその場にいたので、あの日の光景は目を閉じると思い出されるが、決してその日の事は口にしない。誰もが、それを傷としているからだ。
沈黙が続く。だが、重苦しいものではない。
ふいに「彼は」と彼女が口を開く。
「彼は、何といっていましたか?」
彼とは彼女の夫であり、前線で指揮官を勤めている司令官の事だろう。そして恐らく、彼女が再び何も言わずにどこかへ行ってしまったことについて何か言っていなかったかと問うてきているのだろう。
「いいえ、特には」
「―そう」
司令官には彼女がいなくなった際に報告をした。だけれども、彼は机に広げられている地図から一瞬だけ顔を上げて、その後すぐに地図へと視線を落として「そうか。頼む」と言っただけだった。
数年前までは、仲睦まじい二人であったというのにすれ違いが続いている。
「あの日から」
彼女はステンドグラスへとゆっくりと近づいてそれに触れる。その声は、微かに震えていた。
「あの日から、全てが変わってしまいました。皆も、あの方も、世界も。あぁ、やはり、私は間違ってしまったのでしょう。聖女であるというのに、間違った選択をしてしまいました」
いつも彼女は過去を嘆く。過去の選択を嘆く。
「いいえ、間違っておりません」などと声を掛けることができれば、と思うがそれは出来ない。恐らくそれは、私が見て来た過去が間違っていないと断言できないからだろう。
両手で顔を覆い、すすり泣く。私は近づいて彼女の背を撫でると、彼女は私の胸に飛び込んで泣きじゃくる。金属で造られた胸当ては固いだろうに、と思いながらも私は振り払うことができない。この場面を見られれば、誰であれあらぬ噂を囁かれるというのに。戦があるこの世では、どのような事も噂になってしまうのが私は溜まらなく恐ろしい。
抱きしめようとした手が空を彷徨い、ゆっくりと両肩を優しく掴んでそっと引き剥がす。彼女は潤んだ瞳でこちらを見上げてくるが、私は腰を落とし彼女を見上げるように膝をつく。
「あらぬ噂を流され、司令官のお耳に入っては大変です」
「でも今は私達二人しかいないですよ」
人のぬくもりを求めている彼女はそう食い下がる。だが、私は首を振って立ち上がって一歩後ろに下がる。
「人の目はどこにでもあるものですよ聖女様。それに今は戦乱の世、同性であれ異性であれ、慰め合う人を私は幾人も見ております。それを奇異の目で見る者もおりますし貴方様は司令官の妻で在らせられます。戯れはおよし下さいませ」
私の言葉で彼女は押し黙ってしまう。だが、すぐに納得して「そうね、そうよね」と寂しげに呟いて微笑んだ。
「ごめんなさい。困らせてしまいましたね」
「いいえ」
「―あの方とは、今は?」
「彼は―」
彼、私の婚約者の事だ。とはいえ、元、であるのだが。
「婚約を解消いたしました。彼の心にはもう既に私はありませんので。話し合った結果、そうなりました」
「・・・そう」
目の前の彼女は、申し訳なさそうに俯いて指を組んだまま胸に手を押し付ける。
私も、婚約者である彼も、彼女には言っていない。
彼の想い人は、目の前にいる彼女なのだ。長い間傍で見ていたので、彼が彼女を好いていたのは学生時代からよくわかっていた。だが、彼女の婚約は学生時代に決まってしまい、想いを告げることは叶わなかった。なので、てっきり自分と結婚をするのだろうと思っていたのだが、その数年後にこのような状況となり、彼女は戦いに身を投じることとなる。彼は、彼女の力になりたがっていた。だから、私からはっきりと婚約解消を告げた。
彼は驚いていたのだが、やはりあっさりとそれを承諾した。
彼女を怨んではいないし、嫌いにならなかったが、それでも少しだけ怒りを抱いた。
長い間傍にいたのに、こんなにもあっさりと解消するほどの思いだったのかと。
意趣返しをしてやろうと思い至り、私は聖騎士に志願した。元より剣の腕や魔法の腕はいい方であったし、私は彼女の友人であるので彼女は喜んで陛下に進言してくれて聖騎士となったのだ。経緯は不純であるが彼女を守りたいという想いは確かにある。とはいえ、あの時の彼の顔は胸がすく思いだった。
その時は既に彼女は戦いをしていたので、婚約解消をした話も全くしていなかった。恐らく噂にはなっていたのだろうが、恐らく彼の友人である司令官が彼女の耳に届かないようにしたのだろう。
黙った彼女は何度か言いたげに顔を上げた。恐らく理由を聞きたがっているのだろう。彼女の目には、私達は仲睦まじく映っていたらしい。
「―ここは冷えます。戻りましょう」
私が手を差し伸べると、彼女は「はい」と力なく返事をして私の手に触れる。その時、ふと彼女は私の顔を見上げた。そして、少し背伸びをして、私の髪に触れた。
「お互い、短くなってしまいましたね」
自嘲するように笑う彼女に、私も同じような笑みを浮かべた。私の髪も、彼女のそれと比べてかなり短い。聖騎士になる際に邪魔になると思い切ったのだ。髪に飾りを付けて、ふわりとしたドレスを身に着けることは恐らくもうないだろう。これからは戦いに身を投じるという決意も含めている。
「―ええ」
私は短く返事をした。
・・・もう、あの頃には戻らない。
2人で聖堂から出ると、明るい外の光に目がくらむ。だが、それもすぐに慣れて前へ歩いて行くと、ふいに彼女が足を止めた。名前を呼んで彼女を見ると、ただじっと泉の向こう、木々が生い茂っているその向こうをただ眺めていた。その視線の先あるものを、私は知っていた。なので、彼女の手を握ってこの場から離れようとするが、彼女は動かない。
「生きているのに、自分のお墓があるのは、不思議な感覚ですね」
平坦な、何の抑揚のない声で呟く彼女の顔はこちらからうかがい知れない。
視線の先にあるものは、今出て来た聖堂を小さくしたものである。白く輝く外壁に、内部も同じように白く輝く床や天井。教壇があり、長椅子が少し並んでいる。奥には、彼女が描かれているステンドグラスが飾られているのだ。完成したときに内部を見たので覚えているのだが、これほどまでに嬉しくない竣工というのも始めてだった。
―この聖域にあるものは、歴代聖女の墓標である。
陛下が、そう言った。
聖騎士となった私ならば知らなければならないと、彼は言ったのだ。これは王族と聖女のみ告げられる真実だ。では、何故聖騎士である私にその事実を言ったのだろうか。それは、聖女が死んだ場合に遺体をこの場所に運ぶ役割であるからだ。だから、聖騎士は聖女より早く死してはならないと釘を刺された。
恐らく今のように戦いが激化していなければ、まだ、学生であったのならば、まだ秘匿しておくべきことだったと苦しそうに陛下は言った。恐らく、この戦いにて聖女が命を落とす可能性が高いことを見越して彼は私に言ったのだろう。
私に言ったときには既に、彼女の耳には入っていたようだ。彼女は何も言わなかったが、日が経つにつれて作られていく自分の棺を見つめることが日に日に多くなっていった。
歴代の聖女の中には遺体が殆ど紛失した人もいるが、その場合は体の一部や身に着けていた装飾品などが埋葬される。そして、この聖域を死してもなお浄化し続けているのだという。聖女の祈り、聖女の力は、体の全ての魔力が枯渇するまで永続的に世界に影響を及ぼす。
陛下が言った人がここに押し寄せれば聖域と言えなくなるというのは、聖女達が眠っている墓標を静かなものにしたいという願いもあるだろうが、人というものは邪なものを抱えている者が殆どであるために、地に眠る聖女達の微々たる浄化では浄化しきれないというのもあるだろう。
人の立ち入りが赦されているのは、初代聖女の聖堂だけである。この聖堂には初代聖女の墓標であるが、ご遺体は眠っていないが自分の魔力を全て体の一部に込めて切り離し、地中に埋めたと言われている。詳しいことは記録がないためにはっきりとは分からない。初代聖女は歴代聖女の中でただ一人、母なる大精霊マーテルと直接契約したために世界とのつながりが強く、彼女の体の一部が埋まっているこの場所は浄化の力と守りの力が強い。そのため、大精霊に関する儀式はここで行うという。
彼女は自分の墓を見ながら、何を思っているのだろうか。
「あんなもの壊しましょうか?」
ついそんな言葉が出てきてしまう。しまったと思いながら口を押えると、彼女は目を見開き振り返り、ゆったりと微笑む。彼女は私の手を取ると、依然と同じような快活な笑顔を浮かべる。
「えぇ、この戦いが終わったら、壊しましょう。私達の時代で、アレを倒すのですからもう必要ないでしょうし」
周囲の人々は恐らくこの戦いで聖女は死ぬだろうと思い、彼女はこの戦いで生き残ると思っている。
あぁだからこそ、彼は彼女に惚れたのだ。
―敵わない
あの日の事を見ているようで、彼女はその向こうの未来を見つめている。彼女がいなければ、恐らく私達は死を待つのみだっただろう。あの日から、彼女に手を引かれて私達の時は動いている。
時を止めないために、彼女を守らなければ。
剣を持ち、固くなった私の手とは違い、柔らかく温かい手。
私はその手に引かれて、司令官がいる城内の会議室にやってくる。忙しなく武装をした人が行きかう中、宮廷魔法士の少なさに首を傾げる。宮廷魔法士はあの災厄の日以降、数日で王城を中心に強固な城壁を作り、中心部たるこの場所から防御魔法を展開している。それは負担が大きく、半日もしないで交代するのでいつも王城の中に待機しているはずだ。
王城の中でも一際大きな一室、現在は前線会議室となっている部屋の前に彼女は立つが、どうやらノックをするのに躊躇っている様だ。私に触れている手が、震えている。
私が扉をノックしようと思ったとき、会議室の扉がギイっと軋む音を立てて開いた。
「何をしている」
会議室の扉を開いたのは司令官だった。彼女よりも遥かに背の高い彼はちらりと彼女を見て、その後私を見た。
「ご苦労だった」
「はっ!」
司令官の短い言葉に私は彼女の手からするりと抜け出して敬礼をする。その後、何か言いたげな彼女の方を一瞥しため息をついて踵を返して振り返らずに言う。
「戦況が変わった。中へ」
「はい」
「・・・」
私は返事をしたが、開かれた扉を見つめながら彼女は何も言わずに室内へと入る。そこには、手の空いている騎士や志願兵、宮廷魔法士、私達の友人達と元婚約者もいた。友人達と元婚約者は私の短く切りそろえられている頭を見てぎょっとした様子だったが、すぐに目を逸らした。
私は司令官の左隣に、彼女はてっきり司令官の右隣りに来るかと思いきや私の右隣にやって来た。つまり、司令官と彼女の間には私がいるということになる。正直気まずいが彼女の心理としては受け入れねばならない。
「集まったな」と司令官が言う。数年前は可愛げのある口調であったのだが、全ての命を背負う者として厳しい口調へと変わった彼は、司令官として信頼はされているのだが、昔からあった冷徹な部分が表出るようになってきた。
彼の言葉は、周囲の皆を委縮させる。
「先日の戦いにより“獣”、“胎”、“器”は撃退したために、残りは“厄災”本体である奴の身となったのは皆も知っている通りだろう。そして先程、斥候部隊より連絡があり大精霊達が“厄災”への道を開いたらしい。リミットは48時間。以前から話していた通りの作戦で行く。聖騎士」
「はい」
「異論はないな?」
「・・・あれは狡猾です。いともたやすく恨みの対象である大精霊の攻撃を受けたからと言って道を開くでしょうか?」
「つまり罠だと?」
「その可能性は否定できません」
「ではどうする?この上ない好機を見逃すと?」
司令官の低い声に、話を聞いていた騎士達が怯えだす。これ以上怒らせれば士気にかかわると思ったのだが、これでは死にに行くようなものだ。だからと言ってこれは好機である。ならば、と以前司令官が言っていた作戦に物申してみる。
「司令官の以前指示していただいた作戦は殲滅作戦。“魔物”の元となる“厄災”を徹底的に消滅させるというもの。ですが、今までの戦況報告を見るとこれは犠牲者が多すぎます。そして、癒しと強化を与える宮廷魔法士と聖女に負担が大きい。なので、周囲の騎士や宮廷魔法士は防御に徹底してもらい、少数精鋭で“厄災”の中心である彼の元へ赴き、聖女の力で滅するのが一番かと」
産まれでる魔物は騎士達でも倒せるのだが、“厄災”は聖女の力のみでしか倒せない。
司令官は舌打ちすると、机を指で叩く。
「では、“厄災”の肉片から産まれた魔物を放置しろと?我らが戦っているうちに海を渡り、他の国や自国の民を害する可能性もある」
「その国々の守護はその国の大精霊に任せるのがよいでしょう」
ふいっと、私は視線を落としてとある国を見る。
「・・・今は全ての大精霊が揃っていますし」
私の言葉の含んだ意味を皆が読み取り、押し黙る。
「大精霊との交渉は私が行います。聖女の務めですから」
彼女がやっとで司令官をまっすぐに見た。司令官がたじろぐが、ため息をついて額に手を当てる。
「その意味が解っているのか?大精霊の力無しで、奴に挑もうというのだぞ」
「えぇ、分かっています」
「聖女が死ぬ可能性の方が高まる」
「いいえ、聖女は死なせません」
きっぱりと私は答える。胸に手を当てて、ふっと笑う。
「私は、聖女を守る剣であり盾、聖騎士なのですから、聖女は死なせません。この命に代えても」
司令官が何か言いたげに口を開くが、何も言わずにふいっと視線を周囲で黙って聞いていた騎士達に向ける。
「では、聖騎士殿の作戦で行く。1時間後に城門へ集合し転移魔法で移動する。皆、準備に取り掛かれ」
周囲の騎士達が「はい!」と返事をし、散り散りに去っていく。残ったのは旧友たちのみ。
「命を懸けてとか言わないでください」
彼女がボロボロと涙を流しながら呟く。私は腰を落とし、彼女を見上げて微笑む。
「いいえ。命を駆けますとも。貴女は聖女であり、私達の切り札です。私の命より遥かに重い」
「でもっ!」
「優しい私達の聖女。今、貴女が泣いているだけで、私は貴方を命をとして守る理由になるのです」
「っ!」
彼女は私の首元に抱き着く。
彼女が涙を流す理由も、命を落としてほしくないという理由も、それを強く否定しない理由も、全て知っている。知っているからこそ、私は命を懸けるのだ。聖女は何を犠牲にしても“厄災”を終わらせなければいけない。この幾年にも続く不毛な争いを。
彼女の背中を優しく撫でると、徐々に落ち着きを取り戻していった。離れた彼女の目からはまだ気を抜くと涙が零れ落ちてしまいそうになっているが、彼女は腕でそれを拭い笑顔を浮かべる。
「私、廊下で大精霊達とお話してきます」
彼女は逃げるようにして会議室を飛び出して、足音は遠ざかっていく。王城内ならば危険はないはずだが、心配であるので司令官と騎士団魔法部隊隊長に目くばせをすると、司令官はため息をついて、魔法部隊隊長は表情乏しく外に出ていった。残ったのは、元婚約者の彼だけだ。
追いかけると思ったのだが、彼は動かない。
「髪、短くなったな」
ふいにそんなことを言われて私は目を丸くする。そう言えば、ここまで短くした後に彼の前には姿を現してはいない。「あぁ」と私は息を漏らすが、その後の言葉は続かなかった。
重い沈黙が流れる。
堪えきれなくなって私が部屋を出ていこうと扉の方へと歩いて行く。
「何で、聖騎士に志願したんだよ」
扉に手をかける寸前、そんな言葉を投げかけられて沸々と怒りが湧いて出てくる。無くしていた感情が、溢れそうになって来た。ただ黙っていると彼の方から話を続け始めた。
「聖女である彼女に側近はいない。だからと言って、お前が志願することは無かったんじゃねぇか?だって、死ぬ可能性だって高―」
ダンっと思わず扉を叩く。
叩いた拳がじんじんと痛み、扉にはひびが入っていた。
「死ぬ可能性が高いのは、何処だって一緒でしょ」
「だが―」
「私が志願することは無かった?ならどうして戦いが始まった時に誰も志願しなかった!!」
彼に振り返り、もう一度扉を叩く。パキリと日々が広がる音がする。
彼女に愛を囁きながら何故皆彼女の傍で守ろうとしない?聖騎士と呼ばれる明らかに聖女を守るという役色があるというのに誰も志願しない?それはそうだ、誰も彼女を守れる自信がなく命を懸ける度胸がない。誰もが死が恐ろしい。死の化身たる“厄災”を前にして、戦意喪失していった者は遥かに多い。
彼女だって戦いたくないはずだ。目の前に積みあがっていく死体を見て、人知れずに涙を流し怖いと身を震わせていることをみんな知っているはずだ。だが、聖女は戦うしかないと誰も彼もが視線を逸らしている。
だが吐いても泣いても彼女は死を前にしてひるむことなく前に進んでいく。ただ生きたいというだけで。
生きるために戦う彼女の傍は、いつも死が付きまとう。だから、誰も志願しない。
私は彼を睨みつけながら、会議室を後にする。その時彼が何かを言いかけたが、私は無視をして廊下をあてもなく歩いて行く。ふと、聖域が見える窓辺で立ち止まり、それを眺めた。
「あの子の聖堂はないんだね」
あの日犠牲になったあの子の墓はない。それがどんな意味をするのか、知りたくもない。
ふいに先程の会話が思い起こされ「もし私が志願しなかったら―」と呟く。
誰かが、志願しただろうか?
ふいに肩を叩かれて、振り返るとそこに立っていたのは司令官だった。敬礼をすると、楽にしていていいと手でジェスチャーをして顎をくいっと上げる。
「そろそろ時間だ」
「あぁ、もうそんな時間だったのですね」
ずっと聖域を眺めていたようで、そんなに時間が経っていることに気が付かなかった。先導する司令官の後を静かについていく。彼も武装をしているので、鎧の金具の音が廊下に響く。
「これは、司令官としてではなく友人としての言葉だが」
城門の近くで足を止めて、彼は言う。
「どうか、死なないでおくれ。あの子が悲しむからさ」
昔に戻ったような口調だった。振り返る彼は、遠い記憶と重なる様な悲し気な笑顔だった。私はふっと笑い、司令官の隣に歩み寄り肘で小突く。
「あの子にその顔を見せればいいのに」
「・・・それは無理さ。俺にも立場というものがある。でも―」
ふいっと彼は天を仰ぎ見るように上を見上げた。
「全て終わったら、笑い合えるよな」
「―うん。全て終わらせましょう。皆で」
私は腰に携えている光の剣を数回叩く。一瞬彼は笑みを浮かべたがすぐに司令官の顔に戻り、城門へと向かっていく。まだ集合時間前だというのに殆どの騎士達がそこにいる。元婚約者の彼がこちらを見てから視線を逸らした。私は近寄って彼の額を軽く叩いた。
「何だよ」
「さっきは怒鳴ってごめんね」
彼は首を左右に振る。私は眉を下げて笑って小さく周囲に聞こえないように言う。
「今生の別れが喧嘩別れとか嫌だしね」
それだけ言い残して私はそこから離れた。集合した皆の前には司令官と聖女が立っている。私も、その場に立たなくてはならない。司令官の騎士達を鼓舞する言葉と作成を伝える声が聞こえ、頭上には光の大精霊も現れ皆に強化魔法を付与してくれた。そして宮廷魔法士の協力の元、“厄災”の元へと転移した。
巨大な獣の体は海に半分沈み、痙攣するように所々動いているが大きく動く気配はない。体に降り立った人間の事が分かったのだろうか、体からは次々と魔物が産み出されていく。
彼女は周囲の騎士に強化魔法を与え、中心部たる彼へと歩を進めていく。
強大な魔物達に屠られていく騎士達、四肢のいずれかが飛んでいく音、血の匂いを背に私達は進んでいく。
数多の犠牲の上、私達は―
―勝利したのだ。




