第1部-34話「知っていること」
一言で言えばカエルムの訓練はかなり苛烈であった。今までアウローラが騎士の訓練所でやって来た数年分の訓練をぎゅっと圧縮した感じである。まず日が昇る前にやってきて、日が完全に昇り切るまで基礎体力造りの走り込みを続け、その後少しの休憩を挟んで剣の基礎練習、状況把握の訓練、戦術の勉強、奇襲された場合の対応などなど・・・それが日没まで食事休憩以外ずっと続けられていた。
アウローラは手伝うと意気込んでいたものの、やはりカエルムは優秀であるので手伝うことなどほぼほぼなかった。
しかし驚くべきはレウィスの才能である。
流石中ボスであるということだろう。さらに元々身体能力も高かったために7日も経たないうちに実戦訓練を開始していた。ちなみにアウローラは実戦訓練前に組手としてレウィスと軽く戦ったのだが、正直言って敵として対峙しなくてよかったと安堵した。それほどまでに彼の戦闘能力は高いのである。このような成長スピードであるが、これもカエルムの予想通りだったらしく、実戦訓練を始めるその日に助っ人がやって来た。
その日の朝、レウィスの訓練の準備をしていると不意に後ろから抱き上げられてアウローラは小さく悲鳴を上げた。その声に反応したのは勿論カエルムで、少し離れた場所で準備をしていたというのに血相を変えてやって来たのだが、抱きかかえて来た人物を見るなり表情がぱあっと明るくなる。
「思ったよりも早いお着きですね。ファンス御爺様」
「え?お爺様!?」
後ろから抱き上げられたために人物の姿が見えないアウローラは驚きの声を上げる。すると後ろから陽気な声が聞こえて来た。
「久しぶりだなァ!孫たちよ!」
アウローラは降ろされて正面から再び抱きかかえられる。もうそんな歳ではないような気がするが、抗い難くてムズムズしながら笑顔を彼に向けた。
「お久しぶりです!学園のお仕事はよろしいのですか?」
「おう!ウィオラに任せた来た!」
「それは大丈夫とは言えないのでは・・・?」
彼の名はファンス・フェッルム。家名は違うがれっきとしたアウローラ達の父方の祖父である。なぜ家名が違うかというと、元々ファンスは現在のアルスと同じ第一騎士部隊隊長であったのだが、アルスが武勲をあげてファンスとのタイマン勝負に勝った直後に「引退する」と笑いながら言って本当に引退し、更にアルスをプラティヌム伯爵家の当主にするとさっさと自分は貴族の任務から退き、元からやりたかったと言っていた学園内の騎士学校の教師になったのだ。現在はウィオラ、彼の奥さんの家名を名乗っている。
ちなみにウィオラも学園内にある救護班の先生である。
白髪交じりのチェリーレッドの髪は前よりも短く切りそろえており、グレーの瞳は優し気に細められている。孫の前では優しげな顔を見せるのだが、学園内では鬼教官とまで呼ばれる程厳しいことをアウローラは知っている。
細身だが筋肉質な腕は、安定感がある。
助っ人というのはファンスの事であり、適任であるとアウローラは思う。ということはだ、アウローラはもう手伝いをしなくてもいいのではないかと思いつく。
というのも、最近アウィスの動きが怪しいのだ。何やら調べごとをしている。彼に限って裏切るとか、そういうものはないと思うのだが、それでも用心するに越したことは無い。今日はプルヌスも来るし、皆も来る日である。勘ぐるには今日しかないだろう。
ゆっくりとアウローラは降ろされて、地面に足を付けた後に地面の有難みを感じた。
それにしても、カエルムに頼まれたからというだけで屋敷にやってくるなどあるのだろうかとアウローラの頭の中に疑問が浮かぶ。その彼女の表情を察したのかファンスは大口開けて笑い、アウローラの頭をわしわしと撫でた。
「もうすぐお前の誕生日だろう?だから色々準備があるついでにカエルムの手伝いをするわけだ。15歳の誕生日は特に大事だし、アウローラの場合は色々とあるからな!」
そう言えばと思い出す。
あと一か月もないくらいにアウローラの誕生日であるのだ。15歳の誕生日は成年となる歳であり、クラースとの婚約を周知させるように親交のある貴族を多数招く。正直クラースとの婚約発表は気乗りしないのだが、これは仕方がないことである。なぜ、気乗りしないのかは恐らく、これから起こるであろう本編においてクラースはフロースに恋をしてしまう。それは別段構わないのだが、大好きな二人の恋路を邪魔するようなこのような肩書は・・・
ふと、アウローラは微かな胸の痛みに驚き手を当てる。
何故、チクリと胸が痛むのだろうか。
クラースの顔が、笑った顔が脳裏に浮かんで、フロースと隣で笑っている彼の光景が浮かんで胸が痛む。
―いいえそれは違う。
アウローラは無言のまま首を左右に振って、その根底にあるだろうその想いを否定する。そもそもアウローラは途中退場をする定めであり、それを乗り越えた先の未来について、自分はイレギュラーな存在なのだ。それを頭の中にしっかりと入れておかなくてはならない。未来のその先、皆の背中を見守るのが自分の役目なのだ。
「アウローラ?」
ファンスに名を呼ばれてはっと我に返る。
心配そうにのぞき込むファンスとカエルムにアウローラはぎゅっと胸に当てていた手を握りしめて、笑う。ちゃんと、笑う。
「何でもないです。パーティー楽しみだなって。あの、カエルム兄様」
「何かな?」
「今日はお爺様のいらっしゃるので、私、今日は少し部屋の方に戻ってもよろしいですか?少し、体調が悪くて」
アウローラに言葉にカエルムが慌てふためき「大変だ!」と言いながらアウローラを抱きかかえて部屋に連れていこうとするので、はっきり断る。
「いえ、一人で歩けますので大丈夫です」
「そ、そうか?ミールスには俺から言っておくよ。部屋でお休み」
「女の子なのにハードワークだからな。しっかり休みな」
「はい。ありがとうございます」
深々と頭を下げて、レウィスがやってくる前に退散する。なぜか、胸が痛む中彼の顔を見たくなかった。ゲームの本編を思い出させるような彼の顔を見たくはなかったのだ。
疲れというものは確かにある。早朝に起きて、カエルムの手伝い、そのままレウィスと共に訓練、その後もプルヌスとの勉強、騎士と共に訓練、ハードワークであることは確かだ。だが、まだ足りないのだ。これでは、2人を守れるのか怪しい。
ステータス画面でもあれば、安心するのだろうが、そのようなものはこの世界に無い。
アウィスは昨日もどこかに出かけていた。どこに行ってきたのかと尋ねても、適当にはぐらかされてしまう。もし、アウィスがなりふり構わず闇の大精霊を助け出そうとしたらどうしよう。闇の大精霊を助ける代わりに協力しろと言われていたらどうしよう。他の皆はどうだ。
真犯人が誰かに接触しないとは限らない。
もしそうなった場合はどうするべきか。ぐるぐるぐるぐる考えてもいい考えなど浮かばない。
真犯人は誰だと考え、身近な人たちだったらどうしようと思いつき、攻略対象以外の人たちの顔を思い浮かべる。自分が光の大精霊ルートをしっかりと攻略していれば、もう少し行動がしやすかったのにと舌打ちをする。
適当な言い訳であの場所から退散したものの、段々と考え事をしているうちに気持ちが悪くなっていく。これからのことを考えると、段々と悪い方向へと考えが向かっていく。
自室に辿り着き、まだ薄暗い部屋の中慣れた足取りで本棚へ行き、一冊の本を取り出した。装丁はダミーでその中には、前世で覚えている事、前世の記憶、ゲームの事を書き記した夥しい量の紙束がぎゅうぎゅうに詰められていた。しかもそのダミーはそれ1つではなく、他にも二つほどあった。
紙紐で纏められていたその束を捲っていく。薄暗い部屋の中で読めるはずなく、机の上にあるライトを点けた。
直後、扉をノックする音が聞こえて、返事をする。
「ミールスです。お加減はどうですか?」
彼女の心配する声が聞こえて来た。
中に入ってもいいという返事をする直前に、仄暗い感情の奥底から声が聞こえた。
彼女は信じて大丈夫?
全身の鳥肌が立った。
その声は紛れもない聞き飽きた声。
前世の声。
魚の様にパクパクと口が動いて声が出ない。すると、更に心配そうな声でミールスが尋ねてくる。
「アウローラお嬢様?」
彼女は信じていいとアウローラの頭の中が叫ぶ。しかし、その奥底の昏い声はしきりに囁いてくる。もう、黙ってほしいと苛立つ気持ちを拳に込めて思いっきり机をたたく。
痛む拳と、低い音が部屋に響いて静まり返った。
「・・・お嬢様?」
何事かと思いながら、部屋に入ろうか考えているようなミールスの声に、アウローラは平常を取り繕って声を掛けた。
「大丈夫。心配しないで。虫がいたの。ごめんなさい、少し具合が悪いから寝るわ。何かあれば声を掛けるから少し一人で寝かせて」
「・・・はい。では隣で作業をしておりますので、何かあれば声を掛けてください」
「うん。ごめんね」
扉からミールスの気配が消えて、隣の扉が開く音が聞こえた。その後に再びアウローラは机をたたいて、ぐしゃりと前髪を掴む。
「何で、今更そんな考えが浮かぶんだよ・・・」
両手で顔を覆い、小さく呻く。
アウローラは光の大精霊ルートをクリアしていないために、真犯人が誰かが分からない。そのため、誰が犯人なのか、手引きしている人はいるのか、真犯人の仲間はどれほどいるのかなど現在進行形で推理しながら過ごしていかなければならない。攻略対象者なら大丈夫だろう、とも言えない。もうすでに定められていたルートから逸脱してしまっている。強制力があると言っても、それでもその強制力がアウローラの知っている筋書き通りに進むとは限らない。さらに言えば、ゲーム本編で脇役だった人たちもこの世界ではしっかりと生きている人であり、何かあれば敵に転じることだってありうる。
誰が敵で、誰が味方か。
毎日を過ごす中で、段々と不安が大きくなっていく。
毎日が楽しい分だけ、大きくなっていく。
皆の事を信じたいのだけれど、いろんな人に裏切られて、いろんな人を利用してきた前世の自分がそれでいいのかと聞いてくる。
何でこんな考えが浮かんでくるのだろうかと自分を殺したくなる。
アウィスが最近隠し事をしているから?
本編開始が迫っているから?
「隠し事」
ポツリとアウローラが呟く。そして、机の上に散らばる紙を見た。
それは、仲間だと言いながらも皆に見せていない隠し事。乾いた笑いがこみあげてきた。
「なんだ、私。アウローラとして守ると言いながら、変わってないじゃない」
前世の癖は、アウローラとして誕生しても消えることは無い。友人であろうと、同僚であろうと、手の内を晒さないで自分の思い通りに事を進ませるようにする。十代半ば、全てを失ってしまった自分が社会に出て会得した世渡りの術。一番自分が嫌いな部分が残っている。
「仲間って言いながら、全然信じてないじゃないか」
隠し事の山に涙が零れ落ちる。でも今更この隠し事を皆に言ってどうなるのだろうか。
嫌われてしまうのではないかという考えが脳裏に浮かぶ。それは嫌だと心が叫んでいる。
実は全部知っていました、2人が聖女であることも知っていました、聖女と知っていたから友達になりました、ゲームの登場人物だから一緒に居ました、助けました、そう捉えられても仕方がないくらいの隠し事の山に涙が落ちる。それに、このことを話したら前世の事も話さなくてはならないのではないかと体が震えた。
弟のことは話しても言いだろうが、前世での自分のなりふり構わなかった人生を話すのは嫌だ。それに前世で犯した、今もなお償わなければならないと離れない重い罪。
「くそったれ」
自分自身への罵倒。しかしその声に力はない。そして彼女は涙ながらに問いかける。
「君なら、アウローラなら、こんな時どうするの?」
ゲーム本編の彼女は完璧な人間だった。自分のような浅ましい人間ではない。
強く、美しく、仲間想いで優しく、勉強もできて、皆をサポートする凄い人。
彼女の背中が前にあり、自分はそれを目指そうと頑張っている。しかし、追いつけもしない。彼女の様になろうと、彼女の様に友人達を守れるようにと頑張っても前世の自分が足に絡みつく。記憶が、経験が、絡みついてくる。
目の前の紙を順に見つめていく。
全部頭に入っているため、これは確認、反芻でしかない。
「アウローラなら、どうする?」
もう一度、言葉を出した。
現在はゲームのアウローラなど存在しないし、2人は会ったこともない。今は、彼女がアウローラなのだから。だけれども、彼女は問いかけずにはいられなかった。年齢を重ねていくにつれて前世の彼女が段々と顔を出していく。それは死した年齢が近づいているからなのか、何なのか、彼女自身は分かっていない。
恐らく、彼女自身は心の奥底で無意識のうちにこう思っているのだ。
“ここには私がいるべきではない。彼女が、いるべきだったのだ”
ゲームの彼女。志半ばで死んでしまった彼女の事を、誰よりもこの人物は憂いていた。存在のない彼女の事を。
日が昇った後も、彼女は淡々と紙を眺め続けた。ぺらりぺらりと紙を捲る音が部屋の中に木霊する。
「信じる。信じるってどうするんだっけ」
「考えたところでどうしようもないだろう」
声がしてアウローラは振り返った。窓が開かれて、そこにはアウィスが立っていた。しかし、驚いた様子もなくアウローラはただただ呆けている。アウィスは小さくため息をついてアウローラに近づくと、その瞳から次々と零れ落ちていく涙を持っていたハンカチーフで優しく拭っていく。幼子の様に成すがままのアウローラを見つめながら、彼はぐっと何かを堪えたように眉間に皺を寄せてアウローラの両頬を思いっきり摘まんだ。
「ちょ・・・痛い痛い!」
我に返ったアウローラが叫びながら、アウィスの手を思いっきり外す。勢いが良かったために頬が伸びて一瞬強烈な痛みがあったが、手を離されたことによりじんじんとした痛みは徐々に引いていく。アウローラは両頬を摩りながらアウィスを睨み付けた。
「普通女の子の頬をいきなり摘まむ?」
ぶつぶつと文句を言うと、アウィスは少し笑い、アウローラの手ごと両頬を包み込んだ。あまりの真剣な面むちに少しだけ心臓が高鳴ったが、しかし、恐らく今はそういうシーンではないし、この人は将来フロースに恋をする立場の人物だ。万が一にも自分とはあり得ないと考える。
「少し、話がある」
いつもよりも静かな声に、平静を装いながらアウローラは微笑んだ。
「何かしら?」
するとパッとアウィスは手を離して、ふいっと顔を逸らした。顔を近づけたり逸らしたり忙しない人だなと思いつつも、その後何も言わない彼に再びアウローラが尋ねる。
「それで?一体何の用なの?というか、普通に扉から入ってよ・・・びっくりするじゃない」
アウローラは呆れ声で立ち上がり、窓を閉める。いつの間にか日はすっかりと登ってしまっていて、鳥のさえずりが聞こえて来ていた。
「この紙は―」
アウィスの言葉にアウローラは血相を変えて机に急いで戻り、紙束を焦った様に笑い入れ物に閉まっていく。
「あはは、ごめん。これ日記なの。見ないでよ、恥ずかしいから」
取り繕って笑い、アウローラは急いでそれらを抱きかかえて本棚に仕舞っていく。その彼女の行動にアウィスは自分の考えに確信を持ち、本を仕舞い終えた彼女の肩を掴んで向かい合わせになる。視線を泳がせながら笑うアウローラの顔を無理矢理こちらに向かせて、話す。
「ここ暫く、お前について調べさせてもらった」
「!?」
アウローラは逃げようとするが、アウィスが肩を抑えつけているため逃げられない。彼女の視線は泳ぎ、どうやって逃げようかと考えているようにも見えた。面と向かってアウローラと戦えば、負ける可能性もあることを考え、アウィスは早足で続けた。
「周囲の騎士、使用人、王城の関係者、宮廷魔法士、記録書、様々なものに目を通した。君は、まるで未来を知っているような言動や行動をしていることが分かった。フロース、ルミノークスとの接触、早い段階での剣の鍛錬、属性検査での行動・・・」
もしかして怪しまれているのかとアウローラは冷汗をかく。確かに、疑われてしまうのも無理がない行動を起こしていたと自覚はしている。だが、それよりも、アウローラは今にも泣きだしてしまいそうだった。
あぁ、アウィスは信用してくれていなかったのだと。
自分が彼等に対し確かな信頼をしていたわけではないことを先程自覚したばかりで、皆から信頼をして貰っているという虫のいい話だと思うが、これは流石に堪えてしまう。止めた涙が溢れてしまいそうだったが、ぐっと堪える。
自分にはこれがお似合いだと、自嘲気味に笑みがこぼれてしまう。
ふっと顔を上げて、アウィスを見た。
アウローラの表情は悲し気な、今にも泣きだしてしまいそうだが強気に微笑みであり、アウィスもなぜか悲しそうな表情になる。なぜ、アウィスがそんな表情になるのかアウローラには全く分からなかった。
自分は沢山隠し事を抱えている。疑われるような行動もした、未来を知っていながらも詰めの甘さで聖女達を危険な目に合わせてしまった。疑いの目、攻撃対処になってもそれは仕方がないこと。
もし、この場で疑いが晴れなければどうなってしまうのだろうか。
まだ、皆の傍にいられるだろうか。
すると、アウィスは先程と同じように優しく両頬を包み込んだ。いつの間にかアウローラをゆうに追い越したその背、見下ろされる形で彼は悲しそうにしている。
「君は、何を知っている?」
泣きたかった。全て話したかった。
自分は君たちの未来を全て知っている。起こりうる可能性を知っている。そのような荒唐無稽な話を信じてくれる程、自分は彼等からの信頼を獲得しているのだろうか。言って、彼等は嫌わないでくれるだろうか。
嫌いにならないで、傍にいて。
得たかったものを得た世界。本来いるはずない自分だけれど、借り物のような人生だけれど、確かに欲しかったものを得た世界を壊したくない。
恐怖と、言いたいという欲求、楽になりたいという思い。
様々な感情が混ざり合う。
「私は―」
アウローラは震える唇を開いた。




