幕間「約束は守るものだろう」
ひとつ、ふたつ、みっつ。
男は暗い部屋の中で数える。
手にはすでに酸化した血がべたりとついていて、乾いて所々ひび割れてしまっている。
男の目の前には、調理場のような大きな台があり、その上にはまるで調理を待つかのように幼い少年が横たわっていた。
口は既に糸で縫われ、必死に声を出そうとしている少年の血で濡れて元の色は分からない。
恐怖で涙が溢れている瞳で男を震えながら見ている。
このよう場現場にいる男の表情は、無だ。笑っていないし、悲しんでもいない、可哀想とか、そういった感情が一切ない、ただ、少年をそこに在るべきしてあるものとして認識している。それこそ、まな板に乗っている食材の様に。
男は少年の腕を手から二の腕に向かうように人差し指でなぞりながら、何かを数えている。指は腕から首へ服の上からなぞって、目の横を通り頭の頂点へと指は到達した。
じゅうに。
しっかりとした瞳でそのなぞった指を見つめて、小さくため息をついた。
あぁ足りない。
男の言葉に少年はびくりと体を震わせた。
それはなぜか。
少年はその言葉を聞いた後に何か薬液を注射されて動かなくなった母を見ていたからだ。死というものを間近で見たことがない少年は、初めて触れる死の感触に体が震え、台を濡らしてしまう。それを男は一瞥したが、特に咎めることもなく何かを考え始める。
「んー!んー!!」
暗がりの中から口を布で塞がれたような声が聞こえてくる。少年は初めて、暗闇の中の父親の存在を認識した、が、大好きな父を呼ぶことは叶わない。涙をいっぱい溜めて、ボロボロと台に縫い付けられた手足で拭うこともできない。
何を思ったのか、男は静かに父親の声をした方を見てから、そっと少年の顔に顔を近づける。
お父さんを呼ばないと約束できる?
少年は頷く。
助けてと言わないと約束できる?
少年は何度も頷く。
男は微笑んだ。まるで自分の子供に向けるような、愛しむような微笑に少年は目を丸くする。
男が少年の唇をなぞると、糸は消えて、糸が抜かれた後の痛みすらない。
息を大きく吸い込んで父親を呼ぼうとしたが、口噤む。
約束できる?という男の優しげな声が頭の中をぐるぐると回って、約束を破った後を想像して身を震わせた。
いい子。
男はそう言って少年の頭を撫でて、暗闇の中に消えていく。
少年の父親がいたのは、黒く塗りつぶされた牢獄の隣。牢獄の中ではない。だって、彼は罪人ではないのだから。
椅子に座らせられている父親の口に付けられた布で巻かれた轡を優しく外して、男は問う。
大丈夫?
男の言葉に父親は睨み付けた。
大丈夫なわけがあるかと思いのままに叫んでしまいたかったけれど、彼を怒らせて子供に何かあったらと思うとぞっとする。妻の声は聞こえなくなってしまったことに、最悪な事を想像しながら父親は言う。
「どうか・・・あの子だけは救ってはもらえないだろうか」
自分たちにこのような仕打ちをしている男に対して頼みごとをするとは何と屈辱か。父親の表情にその思いが溢れてしまっていることを自覚はしていない。
いいよ。
男はあっさりと承諾した。あまりの呆気なさに父親は驚き目を見開くと、男は微笑む。
君達に才能はない。だから、才能を作ることにした。
男が取り出したのは、白いような銀色のような虹色のような瞬きするたびに色が違って見える不思議な糸。どこかで見たことがある様な気がしたが、そんなことはどうでもいい。
「本当か!あの子は見逃してくれるんだな!」
微笑んで男は頷いた。そして、人差し指を立てて小首を傾げる。
いい?これからすることはとても痛い。声を出さないと約束できる?
見た目に反した秘め事をするような少年の仕草。
父親は頷いくと、にっこりと満足げに彼は笑った。
ただ張り付いた様な微笑ではなく、安堵しているようにすら見えるその笑顔。
縛り付けている太い縄を外して、手足を動けなくされた父親の首を掴んでずるずると台へと運ぶ。その際父親は、ちらりと黒塗りの牢獄を見た。静かだから気が付かなかったが、そこには人影があった。女性の様だが、妻ではない。
男は台の下に父親を転がすと、先程の椅子を台の傍に持ってきた。その後台の少年を優しく抱き上げて、その椅子に座らせた。
牢獄と反対側、暗がりの向こう側に何かが転がっているように見えたけれど、それが何かは分からない。
人形だろうか。
男は父親の体を抱き上げて、台の上に乗せてからにっこりと笑ったまま説明を始めた。
君達には才能がない。けれど、才能を植え付けることは出来る。それで、君達の魔力が流れる管の強度を確認していたんだけれど、君の子供には脆い箇所が32か所、君の奥様には脆い箇所が42か所、君には27か所見つかったよ。これは普通だよ。でも、才能を植え付けるのにとある場所に脆い箇所があるとダメなんだ。頭、頭だよ。頭にあると、壊れやすいんだ。君の子供と奥様にはあった。でも君にはない。よかったよ。徒労で終わらずに済んだ。
男は台のすぐそばに置かれた銀色の小さな棚から次々と物を出す。それは、見たことがある。人の体を切り開く道具だ。
何をされるかは、そこで理解した。
男はため息をつく。
痛みを除くような薬もあるけれど、それを使うと魔力の動きが鈍ってしまうんだ。そうすると、少し時間がかかる。ごめんね。
男は台の上の灯りを付けて、名前の知らない小さなナイフなような物を片手にじっと父親を見た。まだ、話していいはずだと父親は男を睨む。
「貴方様のような人間が狂っているとは思わなかった。露見したら騎士団や賢者プルヌスを筆頭とする宮廷魔法士が黙っていると思うなよ」
男はその言葉を聞いて、ぴたりと動きを止める。
怒ったかと男を見たが、ただ、悲し気に手元を見ているようだ。
騎士団と宮廷魔法士が殺しに来てくれたら嬉しい。
男は泣きそうな表情で微笑んで、ゆっくりと父親の腕にメスを入れた。
父親は声を出しそうになりながら、目の端にいる少年をちらりと見てから声を抑える。声を出すなと言われた少年も、目の前で繰り広げられる父親が切り開かれる光景から目を逸らすことができなかった。両手で口を押えて、涙がボロボロと手を伝って落ちる。
男は彼の腕を骨が見えるまで切り開き、骨の傍にある血管によく似た細い管に触れると近くに置いてあった糸を掴んだ。その先端には、まるで縫いものをするように細い針がつけられている。
男は針をその細い管に入れた。そう、入れたのだ。そして手早く腕の傷を閉じると、治癒術でその傷を塞いでしまう。だが、傷があった場所からは糸が見えている。
父親は声を出さないが、その痛みに悶えている。
管を、魔力が流れている管を勢いよく針が流れているのだ。
父親が痛みで朦朧とする中、男は言う。
これは糸。特別な糸で、魔力の伝達がとてもいい糸でね。これから、聖女を殺すために君に闇の魔力を流して操作をする時により精度の高い動きをするために必要な事。君達には、闇の魔法の才能が全くないから、鍛えるにも時間がないし、これが一番早い。
あぁ、人を操作できるのかという目をしているね。うん、出来るよ。操作魔法はその属性を操るだけではない。魔力を持っている物を操る力だから。でも、困ったことに、生きている物に操作魔法をかけると対象者に激痛が走ってしまう。
男が張り付けた笑顔でにっこりと笑う。
痛みで死なないように、我慢して。
いつしか、父親の体は動かなくなる。
生きてはいるが、その体は何度も痙攣し口からは涎が垂れている。体を巡り終わった針が彼の左腕から出てきてそれを引っ張った時も、痙攣するばかりで声も出さないし眼球も動かない。
生きていれば別にいい、と男は糸をさらに引っ張る。
その時、腕が灯りに触れてしまった。
揺れた灯りに照らされて、少年は台の向こう側が見えてしまう。
約束を忘れて、少年は悲鳴を上げてしまった。
暗がりにあった人形、それは、紛れもない自分の母親で恐怖に歪んだ顔で絶命していた。それだけではない。比較的綺麗な母親の遺体の向こう側で、今の父親のように体のいたるところが切り開かれた人達の遺体が積み上げらえて、地面は真黒な血だまりができている。
少年は浅く呼吸をして椅子から転げ落ちる。そして、こちらを見つめる男の視線に両手で口を塞いだ。
約束、破った。
男のその言葉に少年は震えて逃げようとする。しかし、足は動かない。泣きながら足を叩いて少年は言う。
「動けっ!動けっ・・・動けぇ・・・!」
足は動かない。男の手がぬっと少年に伸びる。
『やめてっ!やめてくださいっ!お願いです!やめて・・・やめてぇ』
黒い牢獄から綺麗なそして優し気な女性の声が聞こえてくる。少年がそちらを見ると、白い肌、美しい黄金の瞳が少し長い漆黒の前髪の隙間から見えている。よく見れば、後ろの髪は床に広がるほど長い。座り込んだまま、彼女は漆黒の檻を両手でつかんで涙を流している。その頬には、涙の跡がくっきりの見えている。
『もう・・・もう・・・見たくない・・・あたしは、皆を救うために大精霊になったのに・・・お願い・・・あたしには何でもしていいから・・・お願い・・・お願いします』
泣かないでと言いたくて、少年は腕を使わないで体で女性の元へと動く。それに気が付いた女性が泣きはらした目で、少年に触れようとしたとき、空を切る音が聞こえて、首から少年の頭が落ちた。
女性の絶叫が、部屋の中に響く。
両手で頭を抱えて、彼女は悲鳴を上げる。
それを見て、男は牢を勢いよく蹴る。
檻が歪んでしまったのではと思うほどに大きな音が部屋に響き、女性は体を震わせて牢獄の隅へと小さく座る。
うるさいうるさいうるさいうるさい!何度言えば分かるんだ!彼女はそんなことを言わない!彼女なら、この研究に快く手伝ってくれるはずだ!貴方が選んだことなら喜んでって!必ず言う!必ず言うんだよ!!泣き叫んだりもしないんだ!黙れ黙れ黙れ黙れ!!!
ガンガン牢を蹴飛ばして、その度に彼女の体は震えて、小さな声で謝り続ける。
「もう少し静かにしたらどう?」
この部屋唯一の出入り口の階段から、赤いマントを纏った人間が現れる。フードはしっかりと被っていて、顔は良く見えない。男は牢を蹴るのをやめて、にっこりと笑いながらその人間に近づく。
やぁ!何か?
「材料が無くなっちゃって。これ、貰って行っても?」
えぇ、勿論ですとも。
「そ。ありがと。あ、そうそう。暫く静かにした方いいよ。騎士団と遠征してた宮廷魔法士プルヌスの一団が戻って来たみたいだし。あと何年かで聖女達も入学だからねー警備が強化されると思うよ」
そうですか。弱りましたね。聖女暗殺は難しそうですか・・・
「刃物とか使うと難しいかもね」
そういうと?
「んー?毒とか?出来れば身近なやつで、誰かに罪をきせれるようなやつとかいいんじゃない?」
なるほど。良い考えですね。あぁ貴方様が来てくださってよかった。
「褒められると嬉しいなー♪それじゃ、貰って行くねー。応援してるから、頑張って」
赤いマントの人間は人を抱えながらひらひらと手を振って階段を駆け上がっていく。
騎士団と宮廷魔法士が戻っているとなれば、聖女の警備は固くなる。本当は台の上で気絶している彼を使って襲撃をしようと思っていたのだが、それでは少しばかり骨が折れそうだ。
先程毒というアドバイスを貰った。
男は気絶している男を見る。襲撃がしやすいようにセレーニーティ男爵家の人間を誘拐してきたが、彼は確か厨房の人間だったはずだと男は思いだし、更に、セレーニーティ男爵家に侵入した際に近々セレーニーティ男爵家主催の聖女二人のお茶会があるという記録を見た。それを有効活用しない手はあるまい。
男は一気に機嫌を良くする。そして、男はポケットにあった黒い何かの生物の皮で造られた手袋を両手にはめて牢屋の扉を開いた。女性はびくりと体を震わせて、恐る恐る男を見た。
仕事だ。
嫌がる彼女の髪を掴んでずるずると引きずっていく。
彼女が悲鳴を上げる度、嫌だと口走る度、頬を、頭を殴られる。
何度も殴られ、痛みと寂しさ、そして誰もを救えない虚しさに虚ろな瞳で彼女は暫く見ていない青い空に思いを馳せる。
『助けて。―さん』
大切な人を呼ぶ声は木霊することなく掻き消え、彼女は瞳を閉じて考えることを止めた。




