第1部-24話「捕まえた」
陽が沈みかけている夕刻。
アウローラの部屋には誰もおらず、明かりすらついていない。
窓が、唐突に音を立ててゆっくりと開いて、そこから慣れた風に一人の人間が部屋に侵入する。
勿論、この部屋の主ではない。
部屋を訪れたのは、ウェリタス・コラリウムだ。
ウェリタスは足音を立てずに窓枠から降りたち、周辺を見渡す。
アウローラは今いないはずだ。ここに来る前にウェリタスは彼女の姿がアルゲント家にあることを視認した。
彼女が婚約者の家に行くことはあまりなかったのだが、今日は何やら彼に家出することがあるらしく朝からアルゲント家に滞在している。新しくやって来たアウィスという少年も伴ってなのだが、一体何の話をしているやら。
ウェリタスがアルゲント家を除いたときには、大きな紙を指さして話しているようだったが会話の内容は全く聞こえてこなかった。別段、婚約者たちの話を盗み聞きしろとは命令を受けていないため、聞き耳を立てる必要もないだろうとすぐその場を後にしたのだが、自分の判断は間違っていないはずだ。
さて、と小さくウェリタスは呟いて薄手の黒い手袋を身に着けて部屋を歩く。
真っ直ぐ向かった先は、アウローラが勉強や何やら本を書いている机だ。綺麗に整頓されたその机の上は彼女の几帳面さがうかがえる。指を差して、机に並べられた本を確認するが目当ての本は無いようで肩を落としている。
ウェリタスが探しているのは、真っ青な背表紙の厚い本だ。
何故それを探しているかというと、それは国王に命令された以外に他ならない。
国王がそれを求めている理由は、先日、王城の廊下で息子たちがこんな話をしていたらしい。
「そういえば、今日もアウローラはあの本を持っていたね」
「あの本?というとあれかい?鮮やかな青い背表紙の」
「うんそう。兄さんはあの本の中身を見たことはある?」
「いいや。ないね。この前あの本に触れたら怒られたよ」
「よほど大事な本なんだろうね」
「もしくは、彼女の秘密が書かれていたりして」
「・・・兄さん盗まないでよ」
「ははは」
「・・・否定してよ」
「ははは」
そんなたわいもない会話だけれども、アウローラの秘密が書かれているとなっては確認しなければなるまいと国王はウェリタスに取ってくるようにと命令した。
正直、物取りのようなことはあまりしたくないけれど、コラリウム家は王族には逆らえない。頷くしかなかった。
といっても、彼女の秘密とはいったい何だろうか。
結構な期間、彼女の監視を続けているが彼女は大きな秘密を、それでこそ、聖女達友人を傷つけるような秘密を隠しているようには見えないのだ。誰よりも、何よりも、友人達を愛しんでいるようにも見える。
机の引き出しを探るが、やはり目当ての本はない。
何処にあるのだろうか、とウェリタスが姿勢を正したその時、突如首の後ろがピリリと毛が逆立つような感じがし姿勢を低くする。
カンッという音が聞こえてそちらの方向を見ると、手のひらほどのナイフが机に深々と刺さっており、飛んできた方向へと顔を動かした直後、不意に机の影から何者かがウェリタスに回し蹴りをする。それを防ぐが、その力強さに体がよろけ、ベッドの縁に足が当たり、しまったと思った頃には体がベッドの上に倒れこんでしまった。
その上に、回し蹴りをしてきた人物が上に乗ってくる。
体重をかけるという感じではなく、ふわりと、まるで羽のような軽さだ。
眼前に、金糸が舞う。
いいやこれは金糸ではない、彼女の、髪の毛だ。
透けるような美しい滑らかな白い肌に、薄紅の唇、ブルーグレーの瞳にウェリタスは目を奪われる。舞ったレモンイエローの髪は、ウェリタスのネイビーブルーの髪とベッドの上で混じり合う。
目の前の人物の体は軽く、力もそれほどでもないというのに体が動かなくなってしまう。
彼女、この部屋の主たるアウローラ・プラティヌムはウェリタスを見てふっと微笑む。少女のものではない微笑だ。
「こんにちは。ウェリタス・コラリウムさん。いいえ、久しぶり、という方が正しいかな?」
びくりとウェリタスの体が震える。
突如、部屋の扉が勢いよく開かれ灯りがつけれる。
扉にはクラースとアウィスがそこにいた。アウローラはふぅっとため息をついて、するりとウェリタスの体から離れた。
「捕まえたのか?アウローラ、怪我はないか?」
「勿論。私も、この人も無事」
ウェリタスを指し、アウローラは頷く。ほっとした2人はウェリタスの姿を見て、あれ、と首を傾げる。
「あれ?ちょっと待て・・・女!?」
クラースはウェリタスの姿を見て驚きの声を上げる。
確かに彼は、黒いぴったりとした服に黒い細いズボン、茶色のブーツといった出で立ちだが、一見すると女性にも見える。髪は長くサイドを残して三つ編みにしており、何より子の整った顔立ちだ。間違えるのも無理はない。少し暗めな金色の瞳はクラースをぎろりと睨み付けている。
「いいや。男だぞ、こいつは」
アウィスがそういうとクラースはさらに混乱する。
確かにこの世界では男が女性の服を着るという文化は全く持ってない。彼が混乱するのも分かる。
アウローラはウェリタスに手を差し伸べて、体を起こしてあげるとにっこりと笑った。
「では。もう遅いし話は明日にしましょう。明日の昼過ぎに来てくれる?」
アウローラのその言葉に一同がぽかんと口を開ける。彼女は変な事を言ったかなと首を傾げて言う。
「いやだって、もう夜になっちゃうし」
「いやいやいや。ウェリタスを捕まえると意気込んでたじゃないか。何でここで帰すんだ!?」
「明日こいつがここに来るとは限らないだろう」
反対する二人にアウローラは笑う。
「大丈夫。来てくれるわよね?だって、お仕事まだ終わってないもの」
アウローラは枕の下から真っ青な背表紙の本を取り出した。それを見て、ウェリタスの表情がアウローラを睨むような表情へと変わる。
仕組まれていたのだ。全て。
ウェリタスはその本を奪い取ろうとするが、細いアウローラの腕が軽々とウェリタスの体をくるりと回転させて再び彼の体をベッドの上へと落としてしまう。もし、ベッドではなく固い地面だったのならば、骨にひびが入ってしまっていたのか知れないというほどの衝撃だ。
ウェリタスは悟る。
彼女は我々が思っているよりも一筋縄でいかない人物の様だ、と。
ふぅーっと息を吐いて、ウェリタスは身を起こさずに返答する。
「分かった。明日、伺う」
彼の返事に、アウローラは天使のような微笑を浮かべるのだった。
※
プラティヌム伯爵家の庭、その中でも一際花の多い一角がある。
アウローラが産まれた時に作った場所で、彼女自身もお気に入りの場所だ。友人達と魔法の練習をするようになってからというもの、ここでお茶をすることが習慣となっていた。
白く汚れ一つない丸テーブルの上に三段のハイティースタンドがあり、色とりどりのお菓子が綺麗に並べられている。いつもならば一番下と中心は軽食を用意されているのだが、もうすでにお互い昼食は済ませているということで全ての段を一口サイズのケーキ類にしてもらっている。隣に置かれたバスケットにはスコーンが入っており、出来て時間があまりたっていないらしくほんのり温かい。
陽は、頭上よりも少し沈んでおりお茶をするのには、いい時間だ。
ニコニコと笑っているアウローラの背には、アウィスとクラースが立ち、更にその後ろにはミールスが静かに立っている。彼女の正面にいるのは、ブルーネイビーの髪を高く結い上げたウェリタスだ。黒い首元が隠れる立て襟のスレンダーな上着に腰に白いベルトが巻かれている。袖はスリットが入っており、赤い裏地が動くたびに見え隠れする。下は先日のすらりとした物ではなく、ふわりと裾が広がっており、足元は低めのヒールが入った茶色い革靴。
男性であるがしっかりと化粧をしており、誰もが女性と見紛うだろう。
昨日、うまく釣れてくれてよかったなとアウローラは改めて思う。
数日前、ウェリタスと直に話す機会を設けるために色々と考えたのだが、公爵家と関係のない家の人間が会いたいとなると変な噂が立つという結論に至った。部屋に戻って来たミールスに事情を話して知恵を借りると、「では、アウローラお嬢様の部屋に調べに入った際に捕まえるしかないのでは」という助言を貰い、昨日のことがあったのだ。
アウローラはおおよそのウェリタスが国王に何を頼まれていたのかを予測していたために、どうすれば彼がアウローラの部屋に来るのかは簡単に思いついた。そこでインベルとノヴァに事情は話せないけど協力してと、廊下で青い背表紙の本の話をして貰った。事情を聞かずに手伝う代わりに、と言われ明日の剣術及び魔法の訓練のバディはノヴァになったわけだが、まぁそれくらいで済んでよかったとアウローラは安心する。正直、もう少し何か頼まれるかと思ったのだ。ちなみにインベルは「お礼を」というと別にいいよと笑うだけだった。
ウェリタスが部屋にいる間は、大精霊たちの力を借りて気配を感知されないように魔力の流れを変えてもらったり、部屋の中を監視してもらったり、アルゲント伯爵家からプラティヌム伯爵家まで一気に運んでもらったりと色々と手伝ってもらった。
彼等は何やらその一連の出来事が楽しかったらしく、また呼んでと嬉々としながら帰っていった。勿論後でお礼はする。
さて、目の前のウェリタスはジトっとアウローラを見ている。正直、こんなに怪しまれているとは思っていなかったのだが、昨日のことがあるししょうがないだろうと肩を落とす。
アウローラは振り返り「クラース」と名を呼ぶ。
「ごめん。クラースは少し席を外してもらえる?」
「はぁ!?なんでだよ!コイツ何するか分かんないんだろ!?」
事前にクラースにはアウローラの予測を話していた。
ウェリタスは恐らく、アウローラが聖女に対し悪意がある行動を取ろうとする気持ちが少しでもあれば捕らえる、もしくは命を奪ってくる可能性があるという予測だ。
彼が、心配してくれるのはとても嬉しいが、だからこそ、この話をクラースに話すわけにはいかない。
「ごめんね」
「・・・俺は、お前にとって邪魔なのか?除け者にするのか?」
珍しく弱弱しい声に、アウローラの胸が痛んだ。
アウローラは首を左右に振って悲し気に笑う。
「君が大切だから、聞いてほしくない」
クラースが一瞬目を見開く。そして、アウローラの頭を軽く撫でてから彼は話が聞こえない場所へと歩いて行く。その際に小さな声で「目の届く範囲にはいる」と言ってきた。
アウローラはミールスにも視線を送る。彼女は静かに頭を下げて、クラースの元へと歩いて行った。
「私はいいのか?」
アウィスが問うと、アウローラは頷いた。
「さて」とアウローラはテーブルの上に肘を置いて手を組み、その上に顎を乗せた。
ウェリタスは、ふんっと鼻を鳴らす。
「いいのか?アンタ一人になって。その様子じゃ、コラリウム家がどういうものか知っているんだろ?」
「えぇ勿論。知っている。それにしても、別に無理してそんな言葉づかいをしなくてもいいよ。慣れた方で、ね」
ウェリタスは目を丸くしてから、喉を鳴らして笑う。そして、ドカッと椅子に深く腰掛けてふっと笑う。
「あら?どこまで知っているのかしらこの子は。国王陛下が危険視するのもよくわかるわぁ」
ウェリタスの口から出たのはそんな言葉だった。先程とは打って変わって女性らしい口調、そして、女性らしい仕草。アウローラは全く動じていないが、アウィスはその急変ぶりにたじろぐ。その様子を見て、ウェリタスはふふっと笑う。
「光の大精霊様。あたしはウェリタス・コラリウム。コラリウム公爵家の長男で、この光の国の影。よろしくね」
投げキッスをするウェリタスに、思わずアウィスはアウローラのすぐ後ろに移動してしまう。「振られちゃった」と何も気にしない様子でウェリタスはけらけらと笑い、アウローラに向き直る。
「それで?可愛い騎士さん。貴女はどこまで知っているのかしら?教えて頂戴な」
アウローラはティーポットに砂糖を入れてぐるぐるとかき混ぜて、一口飲む。まだ熱いそれを飲んで息をつくと、再び砂糖を入れてかき混ぜながら答える。
「コラリウム公爵家。光の国建国以来王族につき従う影。影武者、暗殺、諜報、命令されれば如何なることも遂行する者たち。表向きの仕事は国家の運営、及び他国との外交。植物に関する知識が代々受け継がれている。そして、本来コラリウム公爵家には男児は産まれない。産まれてはならない。というところまでかな」
「・・・あら、意外と知っているのね」
アウローラの説明に軽くウェリタスは引きながら、ため息をつく。
「出所はまぁ後で調べるとして。そうね。あっているわ。説明省けて結構楽ね」
「コラリウム公爵家の事情は私もある程度知識としてあるが、その男児は生まれないというのは初耳だ。いや、以前の光の大精霊は知っていたのかもしれないが・・・記憶が受け継がれていない。どういうことだ?こいつは男だろう?」
アウィスは混乱しながらアウローラとウェリタスを見る。
私から言ってもいいが、という視線をアウローラはウェリタスに向けると、彼が肩を落として口を開いた。
「いいえ。アウィスの記録か正しいわ。コラリウム公爵家には男児が産まれないという記録がないというのは正しいの。コラリウム公爵家はね、男児が産まれた場合は間引くのよ。つまり殺しちゃうの。アウローラちゃんは知っている様だけれど。ホント怖いわ、この子。何で知っているのかしら?これ、身内しか知らないことのはずなのよ」
「何故、間引く?」
「簡単に言えば、暗殺とか諜報とか、そういうのには女性の方が適任なの。男性はどんなに頑張っても男性にしかなれないでしょ?線が細くても、女性の様に丸みを帯びても、完璧な女性にはならない。だけれど、女性は男性になることができる。服装を変えて、体形を変えて、姿を変えることができる。だから男は必要ない。だから間引くの」
淡々と説明する言葉を聞いて、アウィスは絶句している。
要らないから間引く。まるで物のような扱いだ。
「あたしはね。両親があたしを生かすために、産まれたのは女の子ですって元老院の人たちを騙したのよ。小さい子って性別見た目であまりわからないじゃない?だから、必死に女の子らしい格好をさせて女の子みたいに育てたの。それで成長を遅らせる薬を植物で作って時間を稼ぎながらいつか来る、男性になるその時までにどうにかすると決めてね。結局、どうにかなったのはほんの最近の話だけど」
ウェリタスは年齢を偽って入学してくる。先程ウェリタスが語ったそれが、理由だ。
改めて聞くと重い話だなと感じてアウローラは頭を下げる。
「ごめん。軽く立ち入っていい話ではなかったね」
「いいのよ。事実だし。今はもう、男として育てられているしね。言葉遣いは、沁みついてしまってるけど」
「言葉遣いは別にいいんじゃない?その言葉遣いは、両親の愛の形でしょ?」
さらりと言ったアウローラの言葉に、ウェリタスはぷっと吹き出して笑う。なぜ笑っているのか理解できないという風に、アウローラは首を傾げる。
「ふー・・・あぁ分かったわ。貴女、そういう子なのね。知識は確かに危険だけれど、貴女自身危険はないのね。うん、わかったわ。では、本題に行きましょう?貴女、あたしを捕まえたかった理由があるのでしょ?その本の事で」
ウェリタスはテーブルの上に置かれた青い背表紙の本を指さした。アウローラはその本を一瞥してから、それに触れ、ずいっとウェリタスの方にそれを寄せた。
「これを差し上げるよ」
「あら?いいの?まぁどうせあたしをここに呼ぶために蒔いた種だからなくなっても貴女は痛くも痒くもないのでしょうけど」
「いいえ」
きっぱりと彼女は否定した。
あまりのはっきりとした言葉に、ウェリタスの動きが止まり眉を顰めた。そして、それに手を伸ばそうとしたとき、その本はついっとアウローラが自身に引き寄せた。
「一つ、お願いがあるの」
「・・・一体何かしら?」
「本を必ず国王陛下に渡して。必ず」
「・・・わかったわ」
アウローラの視線にウェリタスはたじろぎながらも、アウローラの真っ直ぐな視線にただ頷いた。
「じゃあ行くわね。それじゃ」
あまり対象と仲良くしてはならないと思い、僅かに後ろ髪引かれながらもウェリタスはその場を後にする。その背中を、アウローラは静かに見送った。
「別にクラースがいてもよかったのではないか?」
別にクラースが傍に居ようとも、別段問題がなかったはずだ。コラリウム公爵家の仄暗い話はあったものの、クラースを遠ざけるほどの事だっただろうか。
アウローラはウェリタスの背中を見送って、小さく呟く。
「ううん。必要はあったよ」
すると、クラースが近づいてきてアウローラに尋ねた。
「あいつもう行ったのか?・・・ていうか、アウローラ、あの本渡さなかったのか?」
クラースはアウローラの椅子のすぐ隣に置かれた籠に入れられている鮮やかで真っ青な背表紙の本を持ち上げてしげしげと見つめる。アウィスは黙ったままその本を見て、アウローラを見る。彼女はというと、明るい笑顔のまま答えた。
「要らないってさ。だますために蒔いた種だろーって。今までの剣とか魔法の訓練内容を記録していた本だから、大切なのは本当なんだけどねー」
「どれどれ・・・うーわ、すげーびっしり書いてる」
「なんでちょっと引いてるのよ!」
クラースは「悪い」と言いながらスコーンに手を伸ばして口に入れる。アウローラは彼に座るように進めて、ミールスは新しいお茶を用意し始めた。
その様子をアウィスは静かに見つめているのだった。




