第1部-13話「過去の願いと今の願い」
「姉さん、これで何度だよ」
呆れた声で弟である暁人が言う。
病院のベッドの上で壁に凭れ掛かりながら私は、悪びれもなく軽く笑う。
「ごめんて」
私の言葉を聞いて、暁人は大げさにため息をついた。そして無言のままに立ち上がり、窓をカラカラと開いた。
春の匂い―若草、桜、新しい命の匂いと、心地いい暖かな風がふわりと花弁と共に部屋に舞い込む。淡い桃色を帯びているようなその優し気な風に私は目を細めて窓の外を見やった。
突き抜けるような青く広がっている空に舞い上がる桜の花弁は、遠い昔に見た劇の紙吹雪の様で胸が躍るが、私の視界の端にいる彼は、全く持って同じ気持ちではないのだろう。
私は入院をしたのはこれで5度目。
体が弱いというわけではなく、全てにおいて“誰かを助けようとした”事故によるもので、今回は歩道橋の階段で転んで落ちそうになった子供を助けようとして階段から落ちてしまった。
どうも当たり所が悪かったらしく、3日間昏睡状態だったようで。私的には体は痛いが、善く寝たという感覚でしかないのだ。先程までその助けた子供の母親が見舞いに来ており、何度もお礼を言われ、医療費を負担するという話も出たがそれは丁重にお断りされて頂いた。それよりも、子供に美味しいものを食べさせてほしい。
明日は職場の人がお見舞いに来ると先程暁人が言っていた。恐らく、いつ復帰できるのかという話だろう。私的には骨は折れていないし、頭を強く打っただけなのですぐにでも復帰できそうなものだが、医師に止められるだろう。
入院は5度目だが、入院をしない怪我はよくあるため毎回同じ医師が担当するようになった。その医師は私が「もう退院していいですよね?」と問いかけると必ず「後1週間は様子を見てください」と返答してくる。どうも、意見が合わないがいつも心配してくれるのはとても嬉しい。
ふと、外を見つめている暁人を見る。
私よりも少し明るい焦げ茶の髪が揺れて目を見ることができない。だが、どこか雰囲気が暗い。
「これからは、気を付けるよ」
「それ、何度目だよ!」
1人部屋なので声の音量は気にしなくていいからなのか、それともすっかり病院であることを忘れているのか、声を荒げた暁人は私を睨んだ。
正直、心配してくれることはとても嬉しい。
「姉さんはいつも誰かの為に何かして、仕事だっていろんな人の仕事を請け負ってるから帰りが遅いんだろ!槇原さんから聞いたよ!」
槇原とは同期で時折飲みに行く仲だ。
心の中で槇原に対し恨み言を言いながら、暁人の言葉を受け止めていく。
全て、私を心配してくれる言葉だった。
言葉を重ねていくごとに、暁人の瞳からは涙が溢れ陽を浴びて輝きながら床に落ちていく。暁人の声にかき消されなければ落ちる音が聞こえてしまうのではないかという大粒の涙。
暁人が泣きじゃくり始めたあたりで、私は彼に笑いかけてその涙を拭おうと手を伸ばした。
「もう、泣かないの。来年から大学生でしょ?ほらほら」
いつの間にこんなに大きくなったのかと、手を伸ばしても暁人の顔には届かずにベッドから降りようとした。
「やっぱり、あの事気にしてんのかよ」
まるで縫い留められてしまったように体が硬直し動けなくなってしまう。辛うじて首だけを動かして、暁人を見た。
窓からの風が、太陽が彼の顔を隠す。
「あれは姉さんの所為だって思ってるんだろ?罪の意識で姉さんは誰かを助けようとしている。誰かを助けて死のうとしてる」
影になって彼の表情は見えない。
「―それで許されるとでも思っているのかよ」
※
「っは・・・!はっはっはぁ・・・」
アウローラが目を覚ますと自室のベッドの上で、部屋の中はすっかりと暗くなっていた。あの後どうなったという疑問が浮かぶより先に胃の中身が突如として逆流し、ベッドから転がり落ちながら浴室へと駆けこんだ。
壁に備え付けられている洗面台に顔を突っ込み、嘔吐した。
何度も嘔吐きながら、それでも吐き気は治らず、胃の中身を全部出してしまおうと喉の奥に指を差し入れ胃の中身を吐き出す。吐き出るのは胃液のみで、胃酸の匂いがつんっと鼻につき気持ち悪い。
洗面台の鏡には髪が乱れたアウローラ・プラティヌムの姿。何度もゲームの周回をするたびに見ていたあの美しい顔がそこに在るというのに、自分が中に入っていると感じるだけで忌むべき対象に見えてくる。
「くそったれ・・・くそ・・・くそっ!」
前世の様に毒づきながら洗面台を何度も殴りつける。
痛みからなのか、前世の記憶を夢で見た所為なのか、それとも自分がアウローラ・プラティヌムに成り切れておらずフロースとルミノークスを危険な目に合わせたからなのか・・・いいや、その全ての気持ちがごちゃ混ぜになり涙が溢れて止まらない。
頭の奥で、弟の言葉が木霊する。
「違う、違う」と呟きながら、洗面台からずるずるとずり落ちて、床にペタンと座り込む。
「私は許されたいから誰かを助けたいわけじゃない。ただ、誰かを助けていたいだけ。今は、皆が大好きだから助けたいだけ」
『姉さんが考えている未来に姉さんはいる?』
弟の声が聞こえたような気がして、周囲を見渡すが月の白い光が差し込む浴室には誰もいない。
「私は・・・」
生きてフロースとルミノークスを守りたい。それが、自分の願いで今まで頑張っていた理由。
『それは本当?自分の本当の願いを叶えるために利用しているだけではないの?』
今度は“前世の自分”の声が聞こえた気がした。
声を振り払うように近くにあったタオルを投げた。それは遠くへは行かず、すぐそばにはらりと床に落ちた。
「・・・・・・」
浴室に静寂が訪れる。
窓の外の白く輝く月を見つめて、アウローラは小さく笑った。
「あぁ・・・そうか」
独り納得したような言葉を呟き、ただ静かに微笑んだまま立ち上がる。ふらりとした足取りで寝室へと戻ると寝巻から白いスラックスに白いジャケットという男装のような衣服を纏い、髪を結い上げた。
怪我は既に感知している。恐らくミールス辺りが治療をしてくれたのだろう。
「・・・アウローラ・プラティヌムの姿をしても、私は私。それ以外何者でもない。前世の記憶、前世の罪に囚われている私のまま。私がこの世界にやって来たのは、この罪を償うためなんだね。きっとそうだ。そうに違いない。なのにフロースとルミノークスを危険な目に合わせてしまったから、誰かがきっと怒っているからあの日の夢を見せてきたんだ」
ベッドサイドに置かれた鞘に入った細身の剣を腰のベルト刺す。
これは今年の誕生日にアルスがくれたもので、毎日磨いて手入れをしていた。
訓練用の剣とは違う重みを感じながら、勉強机の上に散らばった聖女の資料と本棚から一冊の本を取り出して慣れた手つきであるページを開いた。
“大精霊の集い”
そう題が付いたそのページは何度も読みこまれたように本に癖がついていた。
「なら、もっと強く成らないと。全てを守れるように、どんなことがあっても戦い続けられるように」
大精霊の集いが今まで目撃されてきた場所を頭の中に叩き込み、聖女の資料ももう一度読み込んだ。
「大精霊なら、聖女の事も何か知っているだろうし、戦えば強く成れる。魔物を探して倒すよりも一番これが手っ取り早い」
ゲーム内でもゲリラクエストとして発生する大精霊との訓練には大量の経験値やその場でしか獲得できない魔法や技があった。現実であるこの世界には経験値やレベルという概念はないが、それでも、大精霊相手と成れば少しは訓練になるはずだ。2枚の紙にさらりと軽くメモをして片方をポケットにねじ込んで、片方を机の上に乗せて飛ばないように重しを置いて窓を開けた。屋敷の中を移動して両親が起きてしまえば申し訳ないと思ったからだ。窓から外に出れば、音もあまりたたないだろう。
机の上に本や資料をそのままにアウローラは窓枠に手を掛ける。テラスもあるのだが、テラスの窓は両開き式、この窓は上にスライドして開くもの、より音の少ないこちらの方を選んだ。
結構な高さだが、何度か飛び降りたことはあるため恐怖心は全くない。足に強化魔法と衝撃軽減をかけて何のためらいもなく飛び降りた。降りる直前に風の操作魔法でクッションを作り、さくっと草を踏む音だけが静かな夜に消えた。
大精霊の集いが行われるのはここから少し先の湖。確か、そこはゲームでフロースと光の大精霊のイベントがあった場所だ。今日もいるのかどうかは分からないが、それでも行ってみる価値があるし、何故だが、今日はいるだろうという確信もあった。
大きな満月が夜の世界を照らす。
前世の月と同じ色、同じ形、同じ大きさ。ビルの屋上で煙草を吸いながら、見たそれと同じだ。
「・・・?」
微かに何かを忘れているような感覚に陥る。ポケットや腰にあるポーチを探るが、何も忘れたものはない。
一体何なのだろうと首を傾げながら、アウローラは夜の世界を駆け出した。
この時から、アウローラの願いはすり替わっていたのだろう。
“自分が生きてフロースとルミノークスを助けたい”という願いから、“命を投げ出しても皆を助けたい”という願いに。
本人はその願いが変わったことと、自分自身の前世からの根本的な願いを理解せずにただ愚直に強く成ろうと、夜の世界をかけているのだ。
*
アウローラがフロースとルミノークスとの買い物中に怪我をした。フロースとルミノークスはアウローラのお陰で外傷はないが、フロースは薬を嗅がされて昏倒していたらしい。彼女等は暫く宮廷魔法士の医療班による検査と保護の為に王城に滞在することとなった。
何があったのかという話は軽くクラースの耳に入ってきたのだが、アウローラがどのような容体なのかは知らされていなかった。アウローラの容体を知ったのはフロースが目を覚まして、彼女等2人が落ち着いて会話ができるようになってからだ。それも、クラースが婚約者だから知らされたというわけではなく、フロースがカウンセリングをしている宮廷魔法士にアウローラはどうしているかと質問をして判明したのだ。
「アウローラ様はその・・・今意識不明のままご自宅に。命に別状はないようですが・・・」
丁度そこにフロース達の見舞いにやって来たノヴァとインベルもその言葉を聞いて、全員が息を呑んだ。
クラースは宮廷魔法士に掴みかかりそうになり、周囲の騎士に止められた。
「てめぇ!なんでそれを言わねぇんだ!!それになんでここの医療班はアウローラを診ねぇんだ!おい!てめぇらも知ってたのか!?」
抑えている騎士達に振り返り睨み付けた。
彼等はふいと視線を逸らして、目を伏せる。
「・・・聖女お二人の命が優先なんだ。それにアウローラちゃんは既に騎士として認知されている。王城の医療施設を使えるのは王族か特別な地位の人間だけだ」
「なら騎士団の医療施設を使えばいいだろ!」
「それもできないんだ。アウローラちゃんは騎士と認知されているが正式な騎士団の一員ではない。だから、騎士団の医療施設を使うことは出来ないし、襲撃した仲間がアウローラちゃんへ報復する可能性も否定できないから一般の医療施設も使えない。だから、自宅が一番安全なんだよ」
「~~~っくそったれ!!」
騎士の腕を振り払い、壁を殴る。
「私達がアウローラ様の御自宅に行くのはだめですか?プラティヌム伯爵家の方々にはご迷惑になりますが、そこで―」
「それは出来ません」
フロースが宮廷魔法士に言うが彼女が言い終える前にきっぱりと否定した。
「宮廷魔法士の治療班は如何なることにおいても個人の自宅に行くことは出来ません。宮廷魔法士及び騎士団の所有権は王族にありそれらの行動は国王の意志、国の意志です。個人の自宅に行くとなると、国がその個人を贔屓していると思われても仕方がありません。それはあまりいい風評というものではないのです」
フロースが悲し気に俯き、それをそっとルミノークスが抱き寄せた。何もできないことに泣きそうになるフロースを抱きしめるルミノークスの手にも力が入る。恐らく彼女も同じ思いなのだろう。
クラースは舌打ちをして部屋の外へ出ようとするが、騎士に呼び止められた。
「クラース君!」
「んだよ。その理屈で言うと王城の手伝いやら何やら頼まれたらするが、俺は王城の人間でも騎士でもなんでもねぇ。フロースとルミノークスがもう大丈夫ってんだったら、俺は婚約者の傍にいる」
ちらりとフロースとルミノークスを見ると、彼女等は頷く。
「わたくし達はもう大丈夫ですわ。早くアウローラ様の元に」
「クラース様、お願いします」
「俺も行く」
「僕も行くよ」
ノヴァとインベルもクラースと共に行こうとするが、騎士に止められる・
「ノヴァ様、インベル様、アウローラがとても大切な友人だということは重々承知しておりますが、王位継承権をお持ちの二人が婚約者でもない貴族女性の御自宅にお邪魔するのはご遠慮していただきたく。どうか、ご理解を」
「・・・・」
今にも暴言が口から出てきそうな表情になっていくノヴァだったが、インベルが肩に触れて首を緩く左右に振るのを見ると大きく息を吐いた。そして固い表情のまま「アウローラを頼むよ」と言い、クラースは力強く頷いた。
背を向けて部屋を出る直前2人の小さな会話が聞こえてくる。
「今までで一番王位継承権が要らないって思ったかも」
「はは。同感だ」
そんな会話を背にクラースは王城を駆け、庭園を駆け、プラティヌム伯爵家に辿り着いたのはすっかり夜が更けた後だった。
夜更けの訪問は失礼になるかという考えも浮かばず扉をノックしようと思ったところで、玄関の扉が開いた。
出迎えたのは、アウローラの侍女であるミールス。相変わらずタイミングがいい、というわけではなく来ることを知っていたようで「お待ちしておりました」と静かに言う。
通されたのはアウローラの事実の隣にある空き部屋。
そこには憔悴しきっているマグナと固い表情のままのアルスがただ祈るように座っている。
中に入るとアルスとマグナが顔を上げる。
「クラース君。いらっしゃい」
「さっき第三王子殿下から連絡が来たの。クラースが来るからよろしくって。ごめんなさいね。アウローラ、まだ、目が覚めないの」
マグナの声が震える。
カエルムの姿が見えないとクラースが探す。
カエルムは学園卒業後騎士団に入団したはずだ。彼の事だから一番に帰ってきていると思っていたが、姿はない。
「カエルム様は現在遠征中でございます」
いつの間にかお茶を用意していたミールスが机のティーカップを置きながら答えた。
「・・・アウローラの容体はどんな感じなんですか?」
クラースが質問すると、アルスは暗い声で答える。
「右肩に2本矢が刺さって、それを自分で無理やり抜いたから炎症が起きていてね。傷はミールスが塞いでくれたんだけど、さっきまで高熱が出ていたんだけど、今は落ち着いている。あと背中を強く打ち付けたみたいで、背中にいくつか内出血があって、背骨は無事だ。もう少ししたら意識を取り戻すと思う。アウローラの部屋は念のため侵入防止の防御結界をマグナが張ってくれた」
思ったよりもずっとひどい怪我でなぜ自分が傍にいなかったのだと悔やまれる。そこからどういう状況だったのかをアルスが淡々と説明してくれた。
犯人は既に捕まえて尋問中、背後の組織を捜索中で今はまだ何もつかめていないらしい。
あれこれ話をしているうちに、壁で静かに佇んでいたミールスがぴくりと動き、アウローラの部屋の方向をじっと見つめた。どうしたんだろうと全員がミールスの注目した直後、慌てた様子でミールスは部屋を飛び出した。
後に続いて3人が廊下に飛び出すと、アウローラの部屋の扉を開いたまま固まっているミールスがそこにいた。
ミールスの横をすり抜けてクラースが部屋の中に入ると、そこはもぬけの殻だった。
上下開閉式の窓は開かれたままで、ベッドはアウローラがはい出たような跡のままだった。その上に白い寝巻用のワンピースが脱ぎ捨てられたままだ。
「アウローラ!?」
アルスとマグナが慌てて部屋に入り、部屋中を探すがやはりいない。するとミールスが机の上で何かを見つけた様で一枚の紙を手に取り全員に見せて来た。そこの紙にはただ一言。
“いってきます。大丈夫です”
とだけ書かれていた。既にインクは乾き、しばらくたっているということが見て取れる。
「何が大丈夫だあのバカ娘!」
アルスはそれだけ言うと部屋を飛び出して探しに行ってしまった。マグナはというと力が抜けたようにその場にへたり込み、ミールスがそれを慰めている。
アウローラは一体どこに行ったのか。何かヒントがないかと見るが、机にある資料も本も何をアウローラは見ていたのか分からない。小さく毒づきながら本を捲っていると、ある1ページだけ異様に本に癖がついているページがあった。そこに書かれているのは大精霊の集いについて。
「大精霊は月に1度満月の夜更けに集会を行う。その場所は世界中にある湖のどこかである・・・確か今日は満月。まさか!?」
まさかアウローラはこれに行ったのではないだろうかと考え付く。
いや、この状況がそうだと告げている様だ。
「でも湖なんて、沢山あるぞ」
他の国に今からアウローラが行くとは考えにくいし、他国に行くには申請が必要になる。だからこの光の国のどこかだと思うのだが、全く持ってどこかは分からない。
頭をガシガシと掻きながらクラースはぽい場所を考える。
「ここから西の方角にある林に古びた教会がある湖があります。恐らくそこかと」
ミールスのその言葉に驚き、振り返る。
何故知っているという疑問が浮かんだが、ミールスの険しい表情に何も言え無くなる。
「お早く。アウローラお嬢様をよろしくお願いします」
「・・・すまん。必ず連れて帰る」
クラースはそう言ってアウローラが出た窓から飛び降りて、そのまま駆け出して行ってしまった。その姿をミールスは見つめて、祈るように呟いた。
「どうか、無事で」




