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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

攻撃一投、ロマンを貫け!

作者: まき

 今度こそ。

 今度こそ、そう、今度こそだ。

 そんな思いを秘め、男はあるグループに声を掛けた。まさに一世一代の告白、男の固い決意を込めて、多大な希望と期待と大志を抱いて、自らの運命を左右する決定的な告白をした。


「俺を――パーティーメンバーに入れてくれないか!?」

「あ、間に合ってます」


 鎧袖一触、男は膝から崩れ落ちた。



 古くから世に伝わる『魔法』という力は、主に攻撃魔法と支援魔法に分けられる。攻撃魔法は読んで字のごとく、対象を攻撃する魔法だ。支援魔法は味方の能力を一時的に上昇させたり、敵の能力を下降させたりと、味方にとっての支援となることを為すための魔法である。

 この世界でどちらが重要かといえば--それは支援魔法である。

 支援魔法が使える人材が味方に一人でも居れば、戦況は大きく変わる。場合によれば凄腕攻撃魔法師よりも、中堅支援魔法師が居る方が重要だと言い切る人が居るくらいには、支援魔法の確固たる強力さが世に知れ渡っているのである。

 しかし、攻撃魔法の強さ、格好良さ、ロマンに惹かれ、王道を逸脱する人間も存在してしまうのであった。



「ここのヤツらはロマンっつうモノを分かってねェ!」

 男が感情のままにジョッキをテーブルに叩きつけると、何人かの客が男を一瞥した。

 男は薄茶の髪を短く刈り揃え、体格も良く、筋肉質であることが見て取れる。整えられた顎髭と彫りの深い顔立ちが、男臭い風貌を作り出していた。

「支援支援シエンシエンって、呆れるほど聞いたっつのに! あとスカイって誰だよ!?」

「まあまあ、それが普通なんだって。グレンだって仲間の生死と収入が懸かってるのに、適当にパーティーメンバーを選んだりしないだろ? あとスカイは有名な支援魔法師だな」

 男――グレンに相対するマッチョがそう宥めた。

 マッチョはグレンなんか比にならない程の筋肉を有していた。鍛え抜かれた浅黒い筋肉がその下にあることが一目で分かる、膨れ上がった衣服が物々しい。圧倒的迫力と重量感を持った体を、比較して明らかに小さいであろう椅子にこれまた硬そうな尻をちょこんと乗っけている。

「そりゃそうだけどよ、あぁーもどかしい、こりゃねぇぜ」

「軒並み断られたんだっけ?」

「そーなんだよ。アイツら、俺が最初に声をかけたパーティーとの会話を聞いてたらしくてな、俺が攻撃魔法しか使わないと知ったらもうバッサリ」グレンはわざとらしく肩を竦めた。「口を開けばもう鳴き声みたいに支援支援って。噂にゃ聞いてたが、首都は支援魔法第一主義がすげぇな。ホリック、お前はどうだった?」

 マッチョ――ホリックは、少し考える素振りを見せた。

「いや、俺はなんともなかったな」

「マジで?」

「ああ。俺は元々剣もそれなりだったから、支援魔法を習得して、前衛で魔法剣士としてやってるよ」

 友人の対応能力の高さに、グレンは「なるほどなぁ」と感嘆の声を上げた。

「やっぱ俺も支援魔法を……あ~、でもなぁ……」

 グレンは頭をガシガシと掻くと、手に持つジョッキをぐっと呷った。

「まあ、今まで貫いてきた信念を壊すのは、なかなかに苦痛を伴うからな。結局はグレン、お前の判断次第だよ」



 討伐者、という職業がある。

 その職業を語るには、まず魔王という存在から説明せねばならない。

 魔王とは、出自不明、正体不明の謎に包まれた存在である。ただ一つ人々が分かっているのは、魔王が人間を滅ぼそうとしていること。

 魔王は魔獣と呼ばれる、人類に仇なす獣たちを独自に生み出し、世界各地にばらまいた。魔獣は次々と人々を襲い、殺め、混乱の渦に叩き落した。人類としてはそれをただ黙ってみている訳にもいかない。

 そこで生み出されたのが、討伐者という職業だ。

 国はそれぞれ討伐者統括局を設立し、そこで腕に覚えのある人材を募り、”討伐者”と名を付け魔獣への対抗策とした。

 それからは次第に討伐者の数が多くなっていき、統括局の管理が難しくなっていったとき、考案されたのがパーティ制度である。

 二人以上六人以下の集団をパーティとし、魔獣討伐をパーティ単位で行うことと定めたのである。

 そういう訳で、討伐者はパーティを組まないと討伐報酬も貰えず、路頭に迷ってしまうようになった。


「なのにパーティ組めないのは本当に一大事だよなぁ……」

 グレンの哀愁漂う声がテーブルに吸い込まれる。

 討伐者に人気らしいこの酒場は人の行き交いが絶えない。グレンとホリックが囲むテーブルを何人もの客が横切り、項垂れるグレンを一瞥し、そのままどこか憐れむような表情を向けて去っていく。騒然たる室内の殆どはそんなこと一切気にせず、勝利の美酒に酔いしれていた。

 ホリックもついついグレンを憐れに思って、慰めてやろうと口を開いた。

「俺のパーティーメンバーに、お前を入れてやるよう説得してやろうか?」

 その言葉に瞠目したグレンは、すぐにキッパリと首を横に振った。

「うんにゃ、それは止めてくれ。お前がここで築いた人間関係をわざわざ複雑にすることでもないし、急に移籍を要請してきた地元の支部も責任あるし、そもそもこれは俺の問題なんでね」

 泰然とそう言い張ると、ニッと笑みを浮かべた。

 ホリックの顔から心配の色が消えることはなかったが、呆れたように溜息をつくと、こちらもニッと悪戯っ子のような笑みを作った。

「それじゃ、田舎町から都会に出てきた垢抜けないオッサンの門出を祝って、ここは俺の奢りとしますか!」

「ちょ、まて、俺知ってるからな! お前に借りを作ったらヤベェって――」

「まあまあ、返しはお前の活躍ってことでよろしくな」

 ウッと押し黙ったグレンに、ホリックはその巨体に見合わず、カラカラと軽快に笑った。



 事の始まりは一通の封書だった。

 討伐者稼業の休養として自パーティが設定した日に、ゴロゴロダラダラと家で過ごしていたグレンは、その差出人をみて目を剝いた。

 討伐者統括局オリエント支部。グレンの住む田舎町、オリエントを含めたいくつかの田舎町に住居を構える討伐者たちご用達の支部である。討伐証明を持ち込んで給金を貰いに行き、その足で新しい依頼を受ける場所だ。

 そんなところから、どうして、一体。浮かび続ける困惑を無視して、グレンはとりあえず中の書類を確認した。

 その時のグレンの怒号は、今でもご近所の語り草らしい。

 記されてあったのは、ここドーヴィル国の首都、ドリヴィアにある統括局本部所属になれという要請だった。理由説明言い訳一切無し。支部に問い質しに向かったところ、あれよあれよという間にグレンはドリヴィア行きの馬車に乗らされていた。家に残していった筈の祖父母が馬車前に待機していて、尚且つ貴重品と魔法具が入った荷物一式を手渡され、家族ぐるみの犯行だと気づいた時にはもう遅かったのである。祖父母の涙を堪える様子に、グレンはこっちの方が泣きたいくらいだと叫びたくなった。

 ホリックはグレンの元パーティメンバーだ。ホリックが言うには、家庭の事情で首都に移住しないと行けなくなったらしい。一年前にグレンたちパーティメンバーでホリック一家を見送ったのが懐かしい。

 到着したドリヴィアでホリックとの感動の再会を果たしたと思えば、その隙を突かれ、本部職員に連行された。半ば強制的に移籍書類にサインを行い、晴れてグレンは本部所属となった。が、その後お役目完了とばかりに放置されたのである。笑顔で書類を受け取った職員には「それではよい討伐者稼業を」と一言掛けられて終了。ここでも理由説明言い訳一切無し。あまりの理不尽さに本部丸ごと爆破してやろうかと考えてしまうグレンであった。

 とにもかくにもパーティに入らなければ稼げないので、パーティを組もうと、統括局に併設されている酒場の募集掲示板を覗き、グレンの琴線に触れたパーティに声を掛けたのだが――結果はお察しである。

 首都は魔法体系の発達が著しく、設備も整っている。そこでの研究によって、首都では支援魔法の更なる有用性が強く広まっているのである。故に、『攻撃魔法はもう時代遅れで支援魔法より劣る』という感性が討伐者の間に根付いてしまっているのである。

 哀れ、グレンは攻撃魔法しか使えない人間だった。

 いや、グレンの自己申告によると――使えないのではなく使わないのだ。

 男グレン、三十二歳。幼少期は英雄譚を好んで読んだ男。好きな英雄譚はドリヴィア魔法記という最強の攻撃魔法を操る英雄が主人公の物語である。さらに言えば、グレンは自分の心に正直だった。

 そう、ロマンと夢を心に燃やし、堂々と正統派魔法師から道を外れた人間の一人だった。

 グレンにとってより不幸だったのは、最初に声をかけたパーティリーダーの性格が少しばかり悪かったことである。

 グレンが攻撃魔法しか使わないと申告すると、これまでニコニコと話を聞いていたパーティリーダーの表情が一変し、蔑んだ目で、いかに攻撃魔法より支援魔法のほうが優れているかというご高説を垂れてきたのである。これには気が短いグレンも一瞬でプッツンと糸を切った。口汚く言い合う両者の会話は勿論周りに筒抜けだった。口論が終わった後に、再び他のパーティに加入希望を伝えても、バッサバッサと断られるばかりだった。こういう時に討伐者間の情報伝達は何故か早いのである。もう既にグレンの所業と困った信念はその酒場全体に広まってしまったのである。

 意気消沈の末、トボトボと外に出たグレンを待ち構えていたのはホリックだった。グレンの表情に何が起こったのかを把握したホリックは、その包容力のある心と筋肉でもってグレンを慰めるため、普通の酒場へと飲みに連れて行ったのである。



 この怒涛の一日の、翌日。

 宿屋に泊まったことでグレンの財布の中身はもう僅か。正直昨日はホリックに奢ってもらわなければ立ち行かなくなる事態であった。名残惜しく耳元で財布を振ってみても、銅貨一枚分の音しかしない。銅貨一枚で買えるものといったら、チンケな野菜一つしか買えやしない。宿屋にもう一泊するなんて以ての外だ。グレンは路頭に迷う自分を想像して、一人背筋を震わせた。

 どうにかしようにもまずはパーティ結成からである。根気よく、攻撃魔法を寛大に受け入れてくれるパーティを探そうと、グレンは決意新たに宿屋を出発した。

 統括局本部へ向かうまでに露店がいくつかあり、それを横目で見たグレンは、もし見つけられなかったら……と地面にボロ布を敷いてその上に座る自分を想像し、もう一度背筋を震わせた。商売上手とは決して言えない自分に辻商いは無理だとその考えを一蹴し、どことなく早足で本部へと向かった。

 本部に入ると、もう既に魔獣退治を終えたパーティがちらほらといた。中にはこんな朝から魔獣の首を討伐証明として持ち込んでいるパーティもいて、血気盛んな奴らだとグレンは溜息をついた。そして、再び酒場という名の戦場へ相見えようと足を踏み出した。

 そのときであった。

「……居たっ! おぉーーい、グレンさぁーーーん!」

 甲高い女性職員の声がロビーに響き渡った。

 グレン。はて、グレンとは? グレンさん、敬称が付いているということは人名だろう。奇遇なことに、自分はグレンという名だ。呼び止められることをしたか?

 思考を巡らせるグレンに、パタパタと足音を立てて近づいた女性職員は、「コッチです!」と問答無用でグレンの手首を掴むと、その細腕からは想像もできない力でグレンを引っ張った。グイ、とグレンの肩甲骨が前に引っ張られ、大の男は少女によってあえなくバランスを崩した。

「ちょ、おい、待てよ!」

「あ、すみません! でも急ぎの用なんです! 何しろ相手方が気難しくって」

「そんなやつのとこに呼ぶなよ!」

 体制を立て直し、女性職員と同じスピードで走っていると、目の前に見えたのは――、

「ウソだろ局長室!?」

 グレンの驚愕の声が虚しく響く。女性職員は構わず走り抜けると、その勢いのまま物々しい扉を開け放った。

「局長! 連れてきましたよっ!」

 平凡に討伐者をやっていれば縁もゆかりもないはずの局長室だ。それも本部。ドーヴィル国全ての統括局支部を束ねる存在、討伐者にとっての王――それが本部局長だ。グレンにとっては会ったことはもちろん、声すら聞いたことのない天上人である。

 天と地を分かつ重厚な扉が開ききったとき、グレンの目にまず留まったのは、ラベンダーの艶やかな髪色だった。長い手足に、贅肉などは一切見当たらないプロポーション。背丈はグレンより少し低いくらいで、扉に背を向けて凛と立っている。体つきからしておそらく男だろう。すわ局長か、と思ったが局長ならば豪奢な椅子にでも座っているはずだと考えを改める。ラベンダーの男は急に開け放たれた扉に全く頓着せず、前を見据えていた。

「ご苦労だった。しかしその嵐のような勢いはどうにかならんのか……。まあいい、討伐者グレンよ、前へ」

 唐突に呼ばれた名前に肩が跳ねた。傍目にも混乱している様子のグレンを勇気づけるかのように女性職員が背中を押す。グレンが女性職員の顔を見ると、申し訳なさげにちょろっと舌を出して目を合わせようとはしなかった。

 観念するしかない。

 腹を括ったグレンはおずおずと前へ進み、高そうな調度品が居並ぶ真っ只中を通り抜け、ラベンダーの男の横に並び立つ。扉からは男が影になって椅子に座す人物を見ることは叶わなかったが、いざハッキリと姿を目にすると、中々驚くべきことがあった。

(子供……?)

 正確には、少年と明確に時期を言い分けるべきであろう。本部局長という国の討伐者全員を束ね上げる人物のために用意された椅子は、十歳前後であろう容姿の少年に陣取られていた。

「やはり、お前もか。儂を少年だと思っているだろう」

 思わず片頬が引き攣り、固まったグレンをよそに、局長の椅子に座る少年はつらつらと話し始めた。

「先に言っておくが、これは呪いによるものだ。決して若干十歳にして局長に上り詰めた天才児、とかそういう括りでないことは理解してほしい」

 そう言ってヒラヒラと片手を振ると、この話は終わり、とばかりに目を閉じ、次の瞬間にはグレンと視線を合わせた。

「さて、先に詫びねばならぬことが一つあるな。今回は無茶な移籍要請をしてしまってすまなかった」

 そう言って頭を下げる局長に焦ったグレンは、いやいや、と手を振る。

「頭下げられるほどの迷惑はしてませんって! 大丈夫です!」

 自分より立場の高い人に頭を下げられると、妙に焦るし心臓はうるさいしでロクなことが起こらない。正直とてつもなく迷惑だったが、ここで本音を語りだそうものなら不敬と称されるのはグレンの方である。当たり障りのないような言葉で場を凌いだが、少しだけ本音を出せば慰謝料くらい欲しかったとは後のグレンの弁であった。

「そうか。そう言ってもらえると助かる。……さて、自己紹介をまだしていなかったな。儂は討伐者統括局本部局長、ブレイドだ。今は呪いによってこんなチンケな姿だが、実年齢は六十を優に越えているからな、そこを頭の隅にでも入れておいてくれ」

 局長は背丈に似合わないニヒルな笑みを作ると、そのままラベンダーの男

の方へ向き直った。

「さて、話の整理はできたかね? 反対意見があるなら聞こうじゃないか」

「……嫌ですね。局長も悪い御人だ、私の過去なんて知っておいででしょうに」

 ラベンダーの男は恨めし気に答えた。柳眉を僅かに歪ませて、チラリとグレンに視線を向ける。

「あー、スイマセン、俺はどうして呼ばれたんですか?」

 グレンの短気が出た。なにせ自らの衣食住が今日に懸かっているのだ、うかうかすることはできない。最も局長が唐突な移籍要請の詫びに、グレンにピッタリのパーティを斡旋してくれるなら別なのだが――、

「ああ、それなのだがね、ここに着いてから人脈も知名度も無いからパーティ加入や結成にには苦労するだろう? だからちょいと斡旋してやろうかと思ってね」

 グレンは脳内で思い切り拳を天に突き上げた。自分の願望がそのまま形を成したことに極大級の感動を覚えていた。荒ぶる感情のままに叫び転げまわりたい気分だったが、ふと局長の目を見ると、はた、と歓喜が底へ沈んでいった。局長の瞳には先ほどには無かった鋭さがあった。

「さて、ここからが本題だがね」

 ラベンダー男は何も言わない。粛々と進められる空気感に、妙なざわつきが這いよるようだった。局長の瞳がキラリと光った。

「君たち二人に、パーティを組んでもらいたい」

「――ハァッ!?」

 一瞬、時が止まった。少なくともグレンにはそう感じたし、空気が凍り付く様子を肌で感じた。まあ実際に止まることはないわけだが、つまりはその言葉はグレンにとってそこまで衝撃だったということだった。

 隣で溜息をつく音が聞こえた。グレンが油の切れた機械みたいにギギギ、と男を見ると、やれやれと言いたげな顔で局長を見つめていた。

「局長、私にももう一度説明をお願いします。貴方を論破する道筋を企てたいので」

「と、隣が言うことはサッパリだが、俺にも詳しく説明してもらえますか!?」

 常識の埒外だ、とグレンは思った。魔獣は恐ろしい。人間は一度死んで生き返られる訳じゃない。それならパーティ人数限界まで人を集めるのが生を求める姿として正しきものではないのか。グレンが今まで生きてきた世界はそういうものだった。なのに二人きり。もはやパーティではなくタッグではないか。ぐるぐると思考が回り巡り、説明を求めるために出した声は半分悲鳴のようなものだった。

「まあまあ、そう急くでない。主題は同じだ。君たち二人だけでパーティを組んでもらいたい。――そう、魔王討伐のために」

「魔王、討伐……?」

 男の困惑の声が漏れた。グレンは元来さほど良くない頭をフル稼働して話を聞くことに注力しているため、声を漏らす余裕は無かった。

「そうだ。君たちも聞いたことはあるだろう? 魔獣は、人類滅亡を目論む魔王によって生み出され続けている、と」

「……勿論です。が、どう関係が――」

「だから、急くでない。いいか、近年、パーティは規定ギリギリの六人まで詰め込むというスタイルが横行しておる。いや、これはまあ良いのだ、怖いのは誰でも同じなのだから。……問題は、人数の肥大化による連携の取りずらさだ」

「連携の、取りずらさ……?」

「ああ。人数が多く、それでいて連携もしっかりできている、というパーティならば良いだろう。しかしその多くは中堅からベテランだ。初心者、討伐者なりたてのヒヨっこたちは、まだそういった感覚を掴めてはいない。なのに、中堅やベテランのパーティに入りづらいからと言って初心者のみで六人パーティを組もうとする。お前たちもよく知っていると思うが、魔獣の多くは森に生息する。初心者が受ける最初の依頼は比較的安全な山間の探索だが、時たま弱い魔獣が群れを成して襲う時もある」

 淡々とした語り口調に、この先何があったのかを想像するのは容易なことであった。

「初心者、それも六人いる。統率なんぞ執れるわけもない。初心者パーティ全滅、または半壊の報が、ここのところ急激に増加しているのだ」

 誰もが皆、討伐者という職に夢を見る。事務的な仕事よりも、尊厳を踏みにじられるような仕事よりも、格好いいし稼ぎもいい。何より人を守る仕事だからこそ、強さを手に入れ身近な人を守る自分を夢想しては憧れる。

 だが実際のところ、討伐者という職はとてもシビアなのだ。まず最初に命を懸けなければならない。稼ぎだって、初心者の頃のちゃちな依頼では雀の涙ほどだ。諦念を抱かずに進み続け、尚且つ努力を怠らず、実力を手に入れた者のみが強さも稼ぎも手の内にある。そんな厳しい世界なのだ。

「大体、討伐者という職には、所謂『訳アリ』の奴らが集まるのでな。必死に稼ごうと初心者の内から身の丈に合わない依頼を受ける奴も居る。それも合わせ、無念の内に死んでいった初心者が急増しているのだ。統括局としちゃあ、何もしないのはお門違いってやつでな」

 局長は背丈に合った笑みを浮かべると、グレンとラベンダー男、二人を同時に指差した。

「という訳で、だ。お前たちにタッグを組んでもらい、右も左も分からない初心者たちに、少人数で動く手本っていうのをやってもらいたい」

「……は」

 グレンは注力して局長の話を聞いていた。一意専心、一所懸命。しかしそう在ってもグレンには困惑と疑問しか浮かばなかった。クエスチョンマークだけがピョンピョンと頭の上に飛び出している。

「すみません、もう一度聞いてもあまり意味が分かりませんでした」

 横の男も男で、ぴしゃりと意見を述べている。局長という立場に怖気づくこと無く、真っ直ぐ、ストレートな意見をそのままぶつけていた。怖いもの知らずなのか、建前くらい言えるようになれよ、とグレンはこっそり男の将来を憂いた。

「まァー意味が分からなくてもしょうがない。しかし手本役、つまりは教師役を立てることは本部と支部の局長会議で決まったことなのだ、しっかりやってくれ」

「いや、私が分からないのはそこではありません。何故その教師役とやらに私とこの男を選ばれたのですか? 面識も無く、声も聞いたことが無く、遠目で見たことすら無いというのに」

 それはまさにグレンが物申したいこととピッタリ一致していた。うまく言語化できなかったグレンはしたり顔で頷くことで雰囲気づくりに努めていた。

「……ああ、それはな、いい機会だったからだ」

「いい機会……とは?」

 今までの悠然とした話し方とは打って変わって、やや自信なさげに口にした言葉に、グレンも男も首を傾げた。

「当然知ってるだろうが、ここドリヴィアでは、魔法形態において支援魔法の一本化が進みすぎている」

 局長が低い声で語りだした内容に、グレンは目線を落とした。その事実は、昨日で嫌というほど体感していた。

「魔法は支援だけじゃない。攻撃のための魔法だってある。儂は攻撃魔法を信仰するような命知らずじゃああるまいが――」局長の目が一瞬グレンに向けられた。「まあ、少なくとも共存が普通で、それが強い魔法の姿だっていうのが儂の考えなのだ」

「要領を得ない語り口ですね。核心からおっしゃってください」

「全く、気が短い子供よな。……まあ良い。グレン君、ここに居る彼は恐らく、ドーヴィル一……いや、世界一の支援魔法師だと言っても過言ではないだろう。彼の名は、スカイ」

 その名を聞いて、グレンは思わず目を見開いた。呼び起される昨日の記憶、その口論のさなかで何度もスカイの名を聞いたのだ。如何に支援魔法が大切か、そしてそれを証明するスカイの功績をつらつらつらと挙げていき、そして今度はちくちくちくと攻撃魔法の欠点を論う、相手のパーティリーダーとの激しい論争がそのままフラッシュバックした。

「おや、その顔は既にスカイのことを知っているのかね? さて、スカイ、彼はグレン君と言って、もうこの国でも数少ない攻撃魔法師なのだ」

「攻撃魔法師……」

 スカイはそう呟いてグレンを横目で見やると、みるみるうちに形のいい眉を顰め、如何にも不満げに声を漏らした。

「もう一度言いますが、私たちに何を期待していらっしゃるのですか」

「それはな、魔法の可能性だよ」

 毅然と言い張った局長に、毒気を抜かれたようにスカイは目を見開いた。

「…...もうこれ以上の私的な感情による質問は控えてもらおう。何をすればいいかは、先ほどグレン君を連れてきた局員に聞いてくれ」

 局長が女局員を指差すと、彼女はぺこりと一礼した。

「急に呼び出してしまってすまなかったな。直ちに伝えた職務に当たってくれ」



「あー……自己紹介でもすっか?」

 いたたまれない、という裏を含んだ提案に、スカイは不本意を隠さずに頷いた。

「よし、さっきも聞いたと思うが、俺はグレン。隠しても意味ないから言うが、まあ、攻撃魔法師と呼ばれるものに分類されてる」

「……そうですか。僕はスカイ。支援魔法しか使いません」

 相も変わらず険しい顔のままだった。どうすっかな、と片手で髪を掻いた後、グレンはやけに明るい声で、「そうか、よろしくな!」とにこやかに言った。ついでに握手待ちの姿勢もとった。

「よろしくするつもりはありません」

 あえなく一刀両断された切り口に、昨日散々見たな、とグレンは謎の感慨を覚えた。

「先に言っておきます。僕がこうして貴方と組んでいるのは局長の命令だからです。……僕は攻撃魔法師が嫌いなんです。本来ならばこうして言葉を交わすことなど有り得ません。せいぜいすれ違うことが関の山でしょう」

「攻撃魔法師が嫌い、ね」

「ええ、ええ、そうです。それが分かればこのミッションは僕一人でやらせてください」

 ラベンダーの髪をそよと振り乱すことなく、琥珀色の怜悧な瞳を不穏に煌めかせてそう宣言した。もうこれは命令だな、とグレンはどこか冷静な部分で呟いた。ください、ではなくやらせろ、なのだろう。

「わりーけど、それはできねぇな」

「何故ですか? ……いや、答えは分かっています、局長命令だから、でしょう?」

「ご明察。そこまで分かってんなら、ちょっとくらい我慢しろよ?」

「理解と納得は別物です。僕自身はまだこのミッションに納得していない」

 最低限の説明だけをされて追い出された局長室の前にいつまでも佇んでいるわけにもいかず、二人は渋々と――主に一方が――階下の酒場に移動した。二名のうち片方は有名人とあって好奇の視線は多かったが、それを一身に受ける有名人のほうはそんなこと気にもせず、グレンをチラリとも見ずに堂々と歩いていた。まるで自分とコイツは関係ないですと言わんばかりの態度に、グレンは額に青筋を立てないよう必死であった。

 いざ顔つき合わせて話し合いをしようとするも、スカイは殺伐とした空気感しか出そうとしない。さらにスカイは注文すらしなかった。律儀に麦酒を注文したグレン一人だけが孤独にちびちびやっている、という何とも形容しがたい雰囲気の中、とうとうグレンは耐え切れず会話を切り出したのだった。

「まぁったく、強情なヤツだなぁ! こういう自分にとって嫌な仕事はな、パパッと効率的にやって一瞬で終わらせるモンだぜ?」

「少なくともこの仕事は一瞬でできませんし、そもそも僕はこれを嫌な仕事なんて言ってません」

「は?」

「内容・意図ともに歓迎すべきものですが、いかんせん相方だけは承認しかねる仕事です。よって相方を排除すべきだと僕は考えました」

「メ、メンドクセェ!」

 思わず声に出てしまった心の声にしまったと口を押えるも時すでに遅し。グレンの目にはギラギラとおっかない顔つきをした美丈夫が映っていた。

「もういいです」

「ちょ、おい」

 呆れたように嘆息したスカイは、そのまま流れるように席を立った。数秒後にグレンもうるさい音を立てて立ち上がると、グラスも上着も何もかも放ったままで駆け足でスカイを追いかける。

「コラッ!! お二人とも、なんでか仕事内容を聞きに来ないなーと思って探し回っていたら……! なに会って早々仲違いしてるんですか!?」

 酒場の出口に立ちふさがるようにして、見覚えのある女局員が仁王立ちしていた。今まさに出口から外へ出ようとしていたスカイは、割り込んできた女局員に恨めし気な視線を送る。

「そんな目で見つめても、ここは退きません! ほらほら、もう一度席に座ってください!」

 女局員はスカイの肩を掴んでグルリッと反転させると、そのまま背中をグイグイと押しやって、あろうことか抵抗する成人男性スカイの手を片手で封じ込め、こともなげにグレンの元までスカイを連行してきた。

「ハイ、グレンさんも座ってくださいね。全く、なんで喧嘩してるんですか?」

「……喧嘩でも、仲違いでもないです。僕とこの人は元々仲良くもないし、これからもするつもりはありません」

「えー!? そうなんですか!? じゃあどうしましょう、これじゃあ局長からの任務が達成できません……うぅ」

 まさかこれほどまでとは思ってもみなかったのか、目を白黒させて大仰に飛び上がって見せた女局員は、急にしおしおと項垂れた。

「どうしましょうどうしましょう、せっかく昇進するチャンスだったのに……」

「え、えーっと、すまんな? こいつが意地張っててなかなか――」

「どさくさに紛れて僕を貶そうとしないで下さい」

「へいへい、ま、とりあえずは話聞くとこからじゃねーか?」

「だから僕は納得なんて」

「話聞いてくれるんですか!?」

 さめざめと落ち込んでいた姿が嘘のように目をキラキラさせながら食いついてきた女局員に、グレンの頬がひくりと引き攣った。女局員はなおも言い募ろうとするスカイの口を一思いに押さえ、さあさあさあ、と喜色満面の笑みで口を開いた。

「よろしくお願いします、あ、私の名前はアメリアです! で、まずはですね――」



 雑然とした部屋の中に、澄んだ声が響く。

「はい、こちらを向いてください。これから貴方たちに、魔法というものがどのようなものなのかを簡単に説明したいと思います」

 ――まずはですね、講習をお願いしたいのです。

 アメリアと名乗った女局員の声がグレンの頭の中に響いた。

 アメリアの勢いは凄まじく、機嫌の悪いスカイさえも思わず閉口して話を聞いてしまうほどだった。それでも納得はしていない、と口煩く言っていたスカイであったが、次々とまくし立てられる『お願い』の内容と、断るそぶりを見せた時のアメリアの悲痛な顔つきにどうやら根負けしたようで、渋々、本当に渋々という態度であったがその任務を承諾した。

 まず最初に、と言われたのは魔法についての講習だった。

 ――最近の新人には、魔法がどのようなものか、またどのような原理で起こっているのかが分かっていない人が多いんです。

 なので、支援魔法、攻撃魔法についてそれぞれが教授して欲しい、ということが初めに頼まれたことだった。

「ふむ、ざっと十人程ですね。貴方たちは今月から討伐者になった新人だとお聞きしました。では、貴方たちのなかで、魔法の力というものが具体的にどういうものなのか分かっている人は居ますか? 挙手して下さい」

 十秒ほど待つも、未だ静まり返ったままだった。

「全く、これは基本知識です。仕方ないですので、教えて差し上げましょう――」

「あ、あの!」

 スカイの呆れを多分に含んだ声を遮るか遮らないかのタイミングで、声変わり前だと思われる少年の声が飛び出してきた。

「なんですか?」

「え、と……。ま、魔法は、空気中の『魔素』と呼ばれる粒子によって引き起こされる現象のことです」

 そのたどたどしい答えに、教卓に立つスカイはスッと目を細めた。

「……ほう、正解です」

「よ、かったぁ」

 少年の安堵の声が漏れてしまったところで、スカイは再び口を開いた。

「魔法の認識については、今の答えで十分問題はありません。魔素と呼ばれる大気中の粒子……それが魔法の基となっています。では、どうやって魔法が発生するか、分かる人は居ますか?」

「……はい、あの、体内にある魔力と魔素が共鳴し、それによって魔力で魔素を操ることで魔法を起こします」

「また貴方ですか。ああ、いや、良いのです。よく知っていましたね」

 先程答えた少年が、今度はやや滑舌よく答えた。これにはスカイも少々面食らったのか、声には驚愕の色が乗っていた。

「完璧な答えです。ここまで知っている人はそうそう居ません。……まあ、討伐者にとっては常識なのですが」

 皮肉気な声に新人たちの背筋が震えた。

「では、本格的な解説といきましょう。まず、魔法は魔力と魔素、この二つの要素で成り立っています」スカイは黒板に小さな丸をいくつか描いた。「魔素とは、先の説明にもあった通り、大気中に大量に存在します。酸素だとか、二酸化炭素だとか、そういったものと似たようなものだと考えてください」

 今度はデフォルメされた人間の絵を描き、その中に同じような小さい丸をいくつか描いた。

「次に、人間の体の中にある魔素のことを魔力と呼びます。この魔素は空気中に放出されることも無く、人が生まれてから死ぬまで、ずっと身体の一部として存在します。なので、魔素が人の力となったもの、即ち魔力と呼ばれるのです。ただし、魔力は酷使すると魔素の操作が出来なくなっていくので魔法を使いすぎないようにだけ注意して下さい。この疲弊感をコストと呼ぶこともあります」

 言い終えると、人間の絵の中に描かれた魔力を表す丸から矢印を出し、最初に描いた魔素を表す丸にそれを伸ばした。

「この魔力と魔素が共鳴する――つまり、接続リンクすることが魔法を使う第一段階です。魔法に素養がある人は、ここまでをほぼ無意識で行っていることでしょう」

 スカイはチョークを置き、軽く手を払うと新人たちに向き直った。

接続リンクさえしてしまえば後は自分自身の想像力と判断力が物を言います。例えば……炎を出したい、となれば、どんな炎かを想像しなければなりません。どんな色で、どんな揺らめきで、どんな熱さで、どんな影響を周りに与えるかなど、自分の想像する炎が出た後のことを明確にイメージし、それを魔素との接続線パスに上手く乗せなければなりません」ここで、スカイがグレンに目配せした。「では、一度見せていただきましょうか」

「……俺?」

「貴方以外誰がいるんですか、早くして下さい」惚けたようなグレンの声を冷徹に処理し、刃物のような眼光で相手を睨みつけた。

「ハイハイっと……『ファイア』」

 グレンがそう唱えた瞬間、グレンの開いた右掌の上に小さな火が灯っていた。掌が燃えているという訳ではなく、ちろちろと燃える火はグレンの掌から少し浮いていた。

「今聞いたように、魔法を使うためのプロセスを簡略化できる『詠唱』という方法があります。接続リンクしている魔素は特定の言葉に反応することが解明されているので、それを応用し、手軽に魔法が使える詠唱が生み出されました。現在ではこの方法を使う人が大多数です」

 スカイはもう一度グレンに目配せすると、今度はグレンも心得たようで、それに合わせて掌の火を消した。

「さて、一般的に討伐者として使用する魔法は支援魔法と攻撃魔法の二つに分けられます」

 スカイは再び黒板の方を向き、攻撃、支援、と間を開けて書き込んだ。

「支援魔法も攻撃魔法も、役割としては読んで字の如く、です。そして、討伐者として活動する魔法師において最も重要とされているのは、支援魔法です」

 その言葉にグレンが目を伏せたのを知ってか知らないでか、スカイは淡々と続けた。

「理由は明白です。誰だって死にたくないでしょう?」

 時は二十年前にまで遡る。一人の魔法研究者が発表した論文によって、魔法師界隈に激震が走った。

 『支援魔法を用いたダメージと、攻撃魔法のみ用いたダメージの大小』。そう銘打たれた論文には、支援魔法による強化を施した剣戟が与えるダメージと、強化を施さずに、使用した支援魔法と同じコストが掛かる攻撃魔法が与えるダメージとでは天と地ほどの差があることが記されていた。つまり、攻撃魔法をチマチマ打つよりも、その攻撃魔法と同コストがかかる支援魔法の強化が入った剣や弓や魔法の方が強いという訳である。

 この論文が出る前は攻撃魔法だけを専門とした攻撃魔法師が多く存在していたのだが、この論文の発表後は瞬く間に攻撃魔法と支援魔法のどちらも扱う混合魔法師が数多く誕生した。討伐者は稼ぎが本人たちの実力に懸かっているのだ、効率を求める心は誰しもが持っている。

 それからは最初期に乗り換えを行った魔法師たちの評判によって、支援魔法の評価は鰻上り。次々と混合魔法師が覇権を握っていき、それまでの攻撃一投の風潮は見る影もなくなった。

 そして、現在に至るまで、雀の涙ほどの数しかいなかったはずの支援魔法専門の支援魔法師の台頭が始まり、今度は支援一投の風潮が確立されていったのである。

 支援魔法の強化は多種多様の種類があり、優秀な魔法師は三つ四つの強化を一度に掛けることすら出来るという。それによって剣士や盾役……いわゆる前衛職の死亡率がグンと減少し、討伐者全体としてのレベルも向上した。こういったことから、支援魔法を使える人材がいるパーティは安全に、さらに安定的に魔獣討伐を行うことができるという思想が一世を風靡しているのである。

「――貴方たちは全員、魔法師を志望する新人であると聞いています。よって、現在の状況、また趨勢を鑑みて、貴方たちには支援魔法師の道に進むことをお勧めします」

「オイちょっと待て、攻撃魔法と支援魔法のメリットデメリットをそれぞれ言ってから決めさせてやれよ!」

 淡々と、全く荒立たない水面のように話された一方的な提案に、さしものグレンも抗議した。攻撃魔法をこよなく愛するグレンは、今の説明は真実だと理解し口は出さないでいたものの、結構な鬱憤は溜まっていた。それに追い打ちをかけるように発せられた攻撃魔法を軽視するような発言にプッツンとキレてしまったのである。

「何故ですか? 現状をしっかり理解していますか? まあ、未だ攻撃魔法師という化石職である貴方には耳を塞ぎたくなるような言葉がたくさんあったとは思いますが」

「そ……そういうことを言ってんじゃねーよ!」

「じゃあ何ですか? 分かりやすいようにハッキリ言います。攻撃魔法のみを用いるのはもう時代遅れです。”今の”魔法師は支援魔法中心で、ささやかな護身用に攻撃魔法という構成が主流で、最も効率のいいものです。支援魔法を使っていれば自然と攻撃魔法の操作は覚えます。それとも貴方は――」

 ――新人のスタートダッシュを潰そうとでも思っているのですか?


 その言葉に、とうとうグレンは黙りこくった。握った拳がぐつぐつと煮えたぎるように震えている。

「あの、……一つだけ、質問いいですか」

 ポツンと落ちてきた声に、ハッとグレンは表情を取り直した。スカイの問題に二回とも答えていた人だった。

「なんだ?」

「気になったんですけど、その……せ、先生はどうしてそんなに攻撃魔法を推すんですか? 今では殆ど活躍も聞かないのに」

 恐らく、悪意は無く、無意識の無垢な疑問によるものであることは見て取れた。しかしまた、その疑問はこの教室に集まる新人魔法師の総意であるだろうことも、同時に肌で感じ取ってしまえたのだ。グレンは、何も言えなかった。混在する信念と無垢なる疑念、そして目前に集まる、次世代を担う新人たちのよりよい未来。どれを選び抜けば良いかちっとも分からなくなって、辛うじて出せた答えは自身の信念とも憧憬とも、はたまた雛たちの将来とも嘘をつくような、只の誤魔化しであった。

「さあ……なんでだろうな」

 自分に嘘をつくな。何処からかそう聞こえた気がした。



 ――それからもう一つ、実地訓練をお願いしたいのです。

 有頂天外のアメリアも、この時ばかりは真剣な顔つきになって、わざわざ作ってきたであろう資料をグレンとスカイに配布した。

 ――イニチア山。主に新人討伐者が狩場にする山です。今回はそこで、索敵の仕方、隊列の組み方、音を立てにくい歩き方や魔獣と会敵した時の周囲の空間確保の仕方などを教えてやってください。あと一番重要なのが――。

(魔獣からの逃げ方、ね)

 教室から出発した一行はおよそ二十分ほどの行軍を経て、イニチア山と呼ばれる山の麓に到着した。

 陽はまだ天に在り燦々と辺りを照らしているが、山の内部は鬱蒼と生い茂る木々によって満足に日光が差し込まれていない。薄暗い山道を一瞥したスカイは何事か唱えると、新人たち十人とスカイ自身の右肩にポウと光る玉が現れた。

「す、すっげぇ!」

「俺もいつかこんな風にサラッと魔法出せるようになって、彼女からカッコイイって言われてーなぁ」

「まずお前彼女居ないだろ」

 俄かに浮足立った新人たちを横目に、グレンは自らの右肩を見た。長年愛用してきたワイルドな一張羅の肩口が見えるだけだった。ならばと反対側も見た。こちらには昨日の酒盛りで零したシミが見えた。暖かな光はどこにもない。

 アイツマジでぶれねーな、と遠い目をしそうになるグレンであったが、そんなところを見られたらまたチクチクと嫌味を言われるに違いない。慌ててキリッとした表情を取り繕い、自身の魔法で同じような光の玉を出現させた。その大きさは皆よりも一回りほど大きいものであったことを追記しておく。

 浮足立った空気を切り裂くように、スカイが一発手を叩いた。

「さて、これからは皆さんに実地訓練を行おうと思います」

 音によって現実に引き戻された新人たちの顔つきがグレンのようにキリリと引き締まった。

「よろしい、区別をしっかりとつけられるのは最低条件です。ここからは実際に魔獣と会敵することもあります。いくら少々魔法が扱えるからと言って、ゆめゆめ油断などしないように」

 スカイの厳しいお言葉に、新人たちは一様に頷いた。

 グレンは、これもう俺要らねぇんじゃないか? などと我慢できない疑念を抱いたが、しかし局長命令なので大人しく殿を務めた。

 イニチア山が新人の狩場になっている理由は至って簡単で、魔獣が弱いからである。最近分かってきたことだが、魔獣にも生殖機能があり、ある程度は自分たちの種だけで繁殖するらしいのだ。そうして生まれた子が自立するときに真っ先に向かう山がこのイニチア山である。なのでまだ戦闘経験が少なく、そして体格も小さくて動きもそこまですばしっこくない魔獣が、この山に生息する魔獣の大半を占めている。新人はこの山である程度の戦闘技能をつける、というのが本部所属の討伐者たちの鉄則である。

「ここで重要なのは森の歩き方、つまりは隊列の組み方です。森は周囲が見えずらく、敵襲時に簡単にスペースを確保したりすることができません。よって歩いているときの並び順や並び方が重要なのです」

 新人たちは相槌を打ちながらスカイの話を聞いている。その様子を、グレンは後ろから見ていた。

(物凄く厭味ったらしくて性格頑固で面倒くさくても、やっぱ世界一の支援魔法師って呼ばれるだけのことはあるな。悔しいが、教え方が上手い)

 論理的、かつ筋道立っていて一つ一つ分かりやすい説明は、既にある程度の知識はあるグレンであっても、新しく知識が組みなおされていく感覚を覚えた程だった。内心舌を巻く。

 木々が騒めいた。スカイの目がスッと細くなる。

「……! 皆さん、何か感じますか?」

「いえ、特には何も……」「いや、なんか嫌な予感がするような?」「お、音がする!」

 唐突な問いかけに頭を捻らせた新人たちは、それぞれが己の感覚を口にする。

「魔獣の気配を感じ取る方法は二つ。一つは五感で感じ取ること。そしてもう一つは――」

「勘だよ! ホラ来るぜッ!」

 グレンが新人たちの方に手を翳すと、新人たちの前に半透明の剣が現れ、一瞬後に鈍い衝撃音が辺りに鳴り響いた。

 噛みついた”それ”は荒れ果てた毛並みを逆立て、血走った眼で全体に目を走らせると、ぎらついた牙を隠しもせずに低く唸った。

「魔獣……」

 誰かがそう呟いた。

それは紛れも無い魔獣であった。四本足で、大まかな見た目はまるで猪のようだ。グレンも見たことがあった。魔獣グランガル、そう名付けられた魔獣の幼体はどうやら一匹のみで行動していたようだった。

さて、どうするか。倒す道筋を考え始めた矢先、スカイの怒号が飛んだ。

「思考を止めるな! 落ち着いて、事前に決めた陣形を取れ!」

──そうだった。これは新人のための訓練だ、邪魔するもんじゃねェな。

新人たちへのフォローはスカイに任せ、グレンは敵が追加で来ないかに注意を割いていた。

「『マジックパワー・エンチャント』!」

「『スピードダウン』!」

詠唱が次々に行われ、パーティの攻撃役には強化、魔獣グランガルには弱体化の魔法が掛けられていく。攻撃役の新人魔法師は体から薄紅の光を淡く放ち、魔獣は体から薄紫の光を淡く放っていた。バフ・デバフが上手くいっている証拠だ。

「よっしゃあやるぜ! 『スラッシュ』!」

血気盛んにそう叫ぶと、彼の手の平から風の刃が生まれ、向けられた魔獣の方へと風を切って飛んで行った。

魔獣はいきなり生まれた凶刃に戸惑いを隠せなかった。この魔獣が幼体であり、魔法師との交戦経験が無かったことによって、意識外の攻撃に対応できなかったのである。刃は魔獣を容赦無く切り裂いた。深い傷を残すどころか、その勢いの強さに魔獣の右足が切り飛ばされるほどだった。

数秒間、必死に喘ぎもがいていた魔獣はその後ピクリとも動かなくなった。スカイが完全に息の根が止まったかを確認し、新人たちに向かって頷くと、そろって勝利の歓声を上げた。

「やった……やったぜ! 初めて魔獣を倒した!」

「お、オレ、あんなにスラッシュの威力出たの初めてだぞ! 支援魔法さまさまだな!」

「右足吹っ飛ばしたのチョーカッコ良かったぜ! やるじゃんお前!」

それほどでも、と頭を掻く今回の立役者に、新人たちの笑いが降りかかる。思えば最初の緊張はもう霧散しているようで、今は少し浮かれすぎているが、良い雰囲気が出来ていた。このメンバーでの絆も深まり、どうなるかと思っていたが新人たちにとってはいい研修になったのではないか──、そう考えたところで、グレンはふとスカイを見た。

(こいつにとっちゃ不本意なモンだったろうがな)

あからさまに嫌われている態度に傷つくとまでは行かないが、多少モヤっとした気分になってしまうのは仕方がないことである。しかもグレンはスカイに対してこれといって何もしていないのだ、攻撃魔法師だからというだけで憎しみの情をぶつけられるのは理不尽というもの。

相も変わらず表情の読めない顔を晒しているスカイになんとなく微妙な気持ちになってしまって、誤魔化すように項を掻いた。

グレンはスカイの過去なんて知らない。もしかしたら有名なのかもしれないが、この都市に来てまだペーペーのグレンが知る由もない。故郷では気の良い仲間のおかげで攻撃魔法師だと後ろ指を刺されることなんて無かったが、ここは違う。攻撃魔法師であるだけでパーティ加入を尽く断られ、あまつさえ暴言まで吐かれ、ついには謂れのない憎しみをもぶつけられるこの街は、一体攻撃魔法に何をされたというのだろう。グレンは自身の未来を憂いた。頑張ってくれ、未来の俺よ。


そう、誰もが注意散漫になっていた時だった。


「グオオォォォオッ!!」

たった一つの雄叫びが、大地を激しく揺るがした。

もはや条件反射のように戦闘へと意識が切り替わる。さっきまでの思考は全てゴミ箱へ捨て、周りの魔素へ意識を接続リンクさせる。グレンがスカイの方へ何事か叫ぼうとした時、スカイはもうそこに居なかった。

「早く、撤退時の隊形になって下さい!」

もしかするとスカイは誰よりも早く新たな敵の存在に気づいていたのかもしれない。一早く新人たちの傍に移動していたスカイは普段からは想像できないような切羽詰まった声をしていた。

「は、ハイ!」

その様子にただならぬ事態であると気づいたのだろう、ある者は震え声で、またある者は上擦った声で、焦りと困惑が色濃く滲み出た返事をした。

グレンはスカイに駆け寄った。

「オイ、ここは逃げるしかねェ、殿は俺がする」

スカイはその言葉を鼻で笑い、刃物のような眼でグレンを睨んだ。

「僕が逃げるとでも? 貴方の方こそ逃げた方がいいんじゃないですか?」

「おっ前なあ!」

とうとう声を荒らげたグレンは、そのまま相手の胸倉を掴もうと手を伸ばして……留まった。

「……とにかく、今はそんなこと言ってる場合じゃねェだろ! 今の雄叫び聞いたんなら分かるよな! アイツァ絶対B級以上の魔獣だ!」

魔獣にはランクが存在する。

一番下はE級。そこから上にどんどん上がってA級が最上級の脅威度を誇る。しかし何事も例外はある。“最高級”の脅威度を持つ魔獣はS級のランクを与えられるのだ。

グレンの経験からして、魔獣の脅威度をざっくりと判別するにあたってまず指針となるものは声量である。鳴き声の声量が大きければ大きいほど体も大きく、筋肉量も多い。なのでグレンはまず魔獣の第一声を聞く。

そんなグレンだからこそ分かったことがある。

 この叫びは、異常だ。

 これまでにグレンはA級までの魔獣の叫びを聞いてきている。魔獣に個体差があり、体の大きさイコール強さでは無いことはもう体感済みだ。しかしある程度の指標にはなる。

 その中で聞いてきた叫びのどれよりも、今回のものが群を抜いて大きかった。

 もう十年以上のキャリアがあるグレンの脳は、その事象に対してすぐさま異常の判断を叩き出した。

 こちらのパーティは急造、さらに二パーティ分の人手はあるといっても十二人中十人は新人魔法師であり、庇護の対象である。実質動ける人材はグレンとスカイしかいないのだ。さらに魔獣の戦力は未知数、少なく見積ってもB級ほどの力を持つ魔獣であることは間違いない。

 新人たちを守りきり、尚且つ自分らも生還するには逃げの一手しかない。

 思考がそこに落ち着いたグレンは(一応)年下であるスカイを先に逃がし、自身が殿となって逃亡する案を伝えようとスカイに寄ったのだが、スカイの目にはもう闘志が灯っている。

「貴方、意外と軟弱者なんですね。ずっと時代遅れ魔法を使い続けてるものなので、勝手に一本芯の通った人だと勘違いしていました」

 スカイは口調を崩さない。自信ありげに胸を張り、シャンと背筋を伸ばした姿に、グレンの奥歯を噛み締めた。

 昔からそうだった。

 カッコ良さやロマンを行動における芯としているのに、肝心なところでその意思が弱い。仲間たちはきっと見て見ぬ振りをしてくれていたのだろう。しかし、孤高の魔法師は無視なんてしてくれないし、それを見つけると嬉々としてそこを突きに来た。

 グレンは臆病な人間であった。

 ある意味で人間らしく、また彼の憧憬の先にある人物達とは程遠いものだった。

(あァそうだな。俺はやっぱり臆病で軟弱者で、あの時の約束なんざ、守れるわけがなかったってことか――)

 脳裏に過ぎる二つの灰色。名も知らぬ鳥が鳴いている。曇天の下、一人の少年が泣いている。

「さて、貴方はお荷物ですので、新人たちと共に退避を。いつまでも居られては非常に邪魔です」

「……ッ!」

 その声で、グレンの意識は山中に帰ってきた。グレンが一瞬惚けていたのを感じ取ったのか、スカイの声音には有無を言わせずに押し切る意思がありありと滲み出ていた。

 それを最後に、スカイはグレンに背を向けた。グレンの方などもう見向きもしない。

(……アイツは優秀だ)

  グレンもスカイに背を向けた。お互い背を向けあって、別々の方向に歩みを進めた。

「新人、隊形は組んだな? すぐ出発するぞ」

 準備の是非を問わず、グレンはすぐさま新人の背中を押した。一刻も早い撤退が必要だった。

「スカイ先輩は?」

 先輩。スカイが聞けばどんな反応をするだろうか気になったが、グレンはその欲求に引っ張られることなく、流暢に答えた。

「スカイは殿だ。大丈夫だ、後から来る」

 言い終わるが早いが、もう一度最後尾の新人の背中を強く押した。

「早く行くぞ」

 スカイは去っていくグレンらを、最後まで見ることは無かった。



「ここまで来れば……!」

 完全に下山するまであと十分程のところまでグレン一行は辿り着いていた。道幅はだいぶ広く、視界も先程までよりは明るい。

 グレンは道中何回繰り返したか分からない動作をした。首をぐるりと捻って、グレンたちが逃げてきた場所を仰ぎ見た。

(アイツは優秀なんだ。あの局長に世界一とまで言わしめるようなヤツなんだぜ? 俺が心配するのはお門違いってヤツだ)

  グレンは視線を元の位置に戻すと、首を横に振った。余計な思考は捨てた方が吉だ。


――グレン、本当にそれでいいの?

  誰かの声が、問い掛ける。女性の声のようにも聞こえた。

――グレン、貴方自身は、どうしたいの?

(どうしたい、って……)

――自分自身に抱く卑屈なイメージに閉じこもらないで。

――貴方自身で、貴方自身の勇気を否定しないで。

――貴方自身が貴方自身に、勝手なレッテルを貼らないで。

 殻に入らないで。自分でラベルを付けないで。自分を自分で分別してどうするの。

 貴方の心に問いかけて、正直な気持ちを、加工しない、そのままの気持ちを――貴方は今、何を思っているの?

「ッ!」

 頬を誰かに叩かれたかのようだった。

 グレンの心臓が血潮を送り出している。当たり前のことだが、今はそれが一際強く感じられた。

 脳裏に過ぎるのは、教室での一幕。グレンはきっと、夢を追いかけている振りをして、大人の部分に縋っていた。

 スカイに見下されたままでは、終われない。

(ありがとな)

 グレンは心に問いかける声の主に、静かに感謝を伝えた。

 グレンは立ち止まった。目を伏せて、一度深呼吸した。

「どうしたんですか?」

 急に立ち止まったグレンを訝しんで、一人が声を掛けてきた。

(落ち着け、グレン)

「俺は、ちょっくら山登りに行ってくるぜ」

「や、山登り?」

  混乱しているであろう新人たちに申し訳なく思うも、グレンは自分の意志を優先した。

「ああ。お前ら、あと十分くらいで出口に辿り着く。ここからはお前らだけになるから、スカイから教わったことをちゃんと思い出して、最後まで油断せずに行けよ」

 じゃあな、とそう告げ終わると、グレンは走り出した。

 目指すは中腹、スカイが戦う場所へ。



 走り出してからグレンの心を占めるのは心配と不安と後悔だ。

 まず心配が、スカイが死んでいないだろうかということだった。非常に最低な話だが、スカイがもし既に死んでいた場合、グレンは骨折り損だ。そして魔獣がまだその場に留まっていた場合、グレンはコロッと殺られてしまうだろう。

 不安は、無策で突っ走っていることについてだった。心の声に問われるままに飛び出したグレンは、最悪の状況を一変させるようなトンデモ作戦など考えてもいないし、そもそも考えつくだけの頭脳がない。また、敵の規模が知れないのも不安要素の一つだった。

 後悔は、分かりやすい。

(俺はアイツより年上だってのに! バカか俺は!)

 未来ある若者一人を、死地に放り出してきたことだった。

 今グレンが足を必死に動かしているのは、この後悔の情が背中を押しているからだ。心配も不安も、もちろん恐怖もある。だけどそれが何だと言うのか。自分が犯した罪くらい自分で拭えなくて、何がロマンだ。

 贖罪、というのも烏滸がましい。ただの尻拭いに、自己満足のためにグレンは走っていた。


 幸いにして、交戦しているであろう場所に近づいていくと、地面が揺れるような感触が伝わった。さらに近づけば、重く響く衝撃音も聞こえてきた。スカイはまだ戦っている。

 安堵したのも束の間、グレンは血の気が引くような思いがした。

(静まり、返った?)

 先程までグレンの鼓膜を揺らしていた衝撃音が、突然聞こえなくなったのである。更に言えば、振動も伝わって来ない。途端に感じた寒気に、身の毛がよだつ思いがした。思わずグレンは立ち止まった。

 木々は棒立ちで、ざわめき一つ起こらない。グレンの目の前に続く道が、闇に閉ざされているように暗く感じた。太陽の輝きはここまで届かない。鬱蒼とした木々の集まりは、地獄へと誘う門のようだった。

(ここで負けたら、さっきと一緒じゃねーか)

 両頬を一発思い切り叩くと、ジンジンとした痛みが広がった。ゴクリと唾を飲み込むと、それからまたグレンは走り出した。

 その時が訪れたのは、再び走り出してから、意外と直ぐだった。

(近い)

 唸り声が風に乗って聞こえてくるまでに、グレンは接近していた。まだ姿は見えない、が、すぐ近くに居るだろうことは明らかだった。

(まずはスカイを探さねーと)

 最大限に注意を払いつつ、辺りを探っていく。

 交戦の音が無くなったとすれば、それはスカイが死んでしまったか、それとも身を隠しているかだ。あのプライドの高さから、そうそう逃げるなんてことはないだろう。スカイは生きているとしか信じることのできないグレンは、勿論草木の影を一つ一つ探っていくしかないのである。

 そうやって影になる場所をざっと探し回っていると、“それ”はやって来た。


「グオオオォァァァアアアアッ!!」

 脳を直接揺さぶるような雄叫びに、グレンは耳を塞ぎ、歯を食いしばった。

 グレンの想像以上だった。

 噛み締めたはずの奥歯が、思わぬ迫力に弛緩した。そのまま歯の根が噛み合わずカチカチと音を鳴らしてしまいそうになるのを気力で押さえつけると、そのまま木陰に移動し息を潜めた。

 次の瞬間――爆発でも起きたかのような衝撃が、地面と共にグレンをも震わせた。

素早く、動ける範囲で辺りに目を走らせるも、発生源であるだろう魔獣の姿は見当たらない。何が起こったのかも、正直分からなかった。ただ理解出来たのは山が揺れたということだけ。

 相手の所在地を把握していないことに、妙に焦りだけが振り積もっていく。どこから飛び出してくるか分からないびっくり箱のように、いつどこでどのように敵が出てくるのか、グレンには全く想像がつかなかった。

胸を叩く心臓が暴れ回り、その音でバレやしないかとグレンは少し心配した。どんなに気を張り巡らせても、森の静寂には変わりがない。爆発のような衝撃が嘘だったかのように、グレンを包む植物の香りは不変であった。

 そして、もう一度。爆発のような――いや、グレンにとっては天変地異のような衝撃でもって、山が揺れた。

「ひっ」

 思わず漏れ出た声に、グレンは慌てて手で口を塞いだ。心臓の鼓動が体の隅々まで響き渡り、耳の奥が煩く叩かれる感覚につられて、服の内側は蒸し蒸しとしていた。清涼な風が嫌に気持ちよかった。

 話は変わるが、グレンは元来、短気な性格だ。歳を重ねるにつれてその性格は緩和されていっているのだが、緊急時や焦りが強い時は、落ち着いたはずのその性格が表面化する。だからこの時グレンは悪手を打ってしまった。

(敵の姿を一刻も早く見つけないと)

 グレンは身を潜めていた木陰から、目が出る位のちょっとだけ、そろりと顔を出した。

 その瞬間、グレンの目と、何かの目が合った。


「グウウウゥゥウオオオアアッ!」

 グレンが木陰に身を戻すも、魔獣の一撃は強靭で剛強たるものだった。あっさりと立ち尽くす木々を薙ぎ払い、グレンの身体は魔獣の眼前に晒された。

「チッ!」

 グレンは咄嗟に、岩を魔獣の頭頂部に生み出し、落下させ魔獣の頭を打ち付けた。岩は人間の上半身ほどの大きさで、ゴッという重い音が響き渡ったと同時に、グレンは駆け出した。

(無詠唱で魔法使うのはやっぱキツいな)

 あの岩一つを生み出すのに絶大な想像力を働かせたグレンは、精神的な疲れの方が勝っていた。

「っつーかまだスカイの野郎を見つけてねェじゃねーか」

 ここに来た目的を思い出し、読めと言われた高く積み上がった本の山に、もう三冊積まれた気分だった。

 後ろから追ってきていないことを確認し、足を止めてスカイ捜索の道筋を思索する。

 途中でアクシデントはあったが、居そうな陰は殆ど確認したはずだ。もしくは転々と場所を変え、奇襲を狙っているのだろうか。もしもそうであれば、探索による発見は困難である。発見するには――

(俺が魔獣の近くに居るしかない、か)

 グレンはそう思考を完結させた。

 奇襲を仕掛けるときは必ず姿を表すだろう。そこを狙う――というのも何だが、サポートすれば良いのだ。

 ほんの少し関わっただけで、グレンはスカイの性格も、好きなものも、恋人の有無も知らない。だけど一つだけ。これだけなら、この短い間に嫌というほど見てきた。

(アイツは、プライドが天より高い)

 引き受けると言った敵の前から、逃げるはずがないのだ。


(さて、どうするか……)

 いくら腹を括ったと言っても、結局のところグレンは無策であったし、策を講じられるほどの性分ではなかった。基本的にグレンに一貫してある策といえば『突っ込んで何とかする』のみで、アレンジを加えるのも『何とか』の方ではなく突っ込む方法を考える。

 なので今回もまずどう突っ込んでいくかを思案していた。

 真正面から行くのはまず考えて不可能。側面から向かうのも、魔獣の視界の範囲がまだ定かではないので避けるべきだ。背後からは、まず背後に回るまでに魔獣にバレてしまいそうだ。

(上は、どうだ)

 魔獣の頭上から降ってくる作戦。これは中々、冴えているのではないか。

 落ちた後どうするんだよ、という心の声はグレンの自画自賛に敗北して、まず聞こえていなかった。

 そして、幸か不幸か、グレンは是と決めたら即行動する人間だった。

 まず、敵の頭より高い位置に上らなければならない。

 グレンは支援魔法系統についてはからっきしであるので、空中に足場を作り出すなんてことはできない。確認した魔獣の大きさは想定よりも少し小さめで、周りの高々とそびえる木々よりも高さは低かった。ならばグレンがやるべきことは一つであった。

 グレンは手頃な木に当たりをつけて、えっさえっさと登り始めた。

 ここいらの木々は太陽の光が入って来づらいほどに密集している。なので一本の木に登ってしまえば、後は木から木へと飛び移って移動すればよい。そして魔獣らしき影を見つけたら、向かってくる方向の木で待ちかまえ、通り過ぎる際に魔法をお見舞いする。ついでに護身用の短剣やらを突き刺してやればいいだろう。というのがグレンの作戦であった。

 早速登り切ったグレンは木々を乗り移って移動していく。まずは来た方向へと引き返してみようと思い、そこへ戻っていると、――居た。

 四足の獣。兎よりも長い耳をズルズルと地面に引き摺り、漆黒の毛並みに身を包んだ毛むくじゃら。その高さは成人男性を優に上回り、全長においても、グレンが三人分繋がってやっと届くかどうかという具合であった。何より目を引くのは異様に発達した尻尾だろう。筋肉の塊のように太く、ゴツゴツとした岩のような質感の尻尾が、五本目の足のように臀部に搭載されていた。のそのそとした動きだが、攻撃時に巨体に見合わぬ俊敏さを見せたことはまだグレンの記憶に新しい。油断は、できない。

 少しづつ近づく巨体に見つからないように、呼吸を最小限にし、木の幹の陰に蹲って少しでも小さくなろうとする。またもや激しくなってきた鼓動に、手に汗が滲んだ。

 爆発までとはいかないが、それでも少しの振動を起こす足音が徐々に近づいてくるのを待つ。後何歩位なのかを推測するため、グレンは必死に耳を働かせた。

(あと少し……もう少し……今! ここだ!)

 丁度ほぼ真下に魔獣の気配と足音が感じられたとき、グレンは一思いに木上から飛び降りた。

 そして、何にするか必死に考え抜いた魔法を放った。

「『アイリーズ』!」

 グレンが唱えると同時に、魔獣が首をぐるりと回して、グレンをその視界に収めた。不気味に輝く緑の瞳がグレンを射抜く。しかし今、グレンはそんなことに構っている場合ではなかった。

「凍……れェェェェッ!」

 グレンの頭に、情景が広がる。詠唱の力で僅かに凍った魔獣の右足から、じわじわと氷結の波が広がっていき――遂にはその全体を丸ごと覆う。冷気は? 厚さは? 凍り付いた後の魔獣の動きは? 脳内で全てを想像していく。

 そして、その想像に従うように、凍り付いた右足から、氷の膜がどんどん広がりを見せた。気が付いた魔獣が抵抗する素振りを見せるが、もう遅い。

 完全に氷の彫像と化した魔獣を前に、グレンはほっと安堵の息を吐いた。

「し、しんどいなこれ……」

 如何なる天才・秀才であれ、頭をフル回転させることは疲労感が凄まじい。天才児でも何でもないグレンなら尚更である。そのまま倒れこむようにして尻もちをつき、お気に入りのズボンが汚れてしまうことなど気にもせず、日差しも碌に入ってこないような山の中で、激しい疲労感と確かに感じる達成感に一人酔いしれていた。

(さて、スカイをどう探すか)

 押し潰されるような緊張感から解放されたからか、全ての物がぼんやりとしか見えない中、最後に残った課題をどうしようかと漠然と考えた。

 元々どのような考えで動いていたのか。疲労で仕事を放棄しようとする脳みその尻を叩き、ゆるゆると思考が回っていく。

(そういや、元々はアイツが奇襲を仕掛けてくると踏んでサポートしようっつぅ話だったじゃねーか)

 それがグレンの諸突猛進具合によって、何故か氷漬けにしてしまったのである。これでは奇襲しようにもできないだろう。こりゃ悪いことしちまったな、とそこまで考えて、はたと立ち止まる。

(ん? アイツは俺なんかにみすみす獲物を横取りされることを黙って見てられるタイプか?)

 攻撃魔法師への反感、敵対心、憎しみ。悪感情を抱いている相手に狙った物を盗られるところを、仕方ないなと見ていられるようなプライドの造りではなかった。

(ということは、まだ身を潜めている必要がある……? それともまだ、)

 ――終わっていない?

 ピシリ、という音が、グレンの耳に届いた。

 反射的に、グレンは自分が今さっき作り上げた氷の彫像を仰ぎ見た。

 ピシリ、ピシリ。何かに罅が入っていく音が、少しずつ大きくなっていった。

 そして、ガラスが砕け散るような音と共に、魔獣が氷の中から再び現れた。

 グレンが精魂込めて作り出した氷はまさしく木っ端微塵に破壊され、その欠片は薄闇を反射して火山灰のようにヒラヒラと降り積もって、消えていった。

 魔獣は氷漬けにする前と全く変わらない様子で、少しだけ自身の体の動作チェックをする素振りを見せた後、毛むくじゃらの体を膨らませ、咆哮を上げた。

「グゥォオオオオオオオアアアッ!」

「が、やっべ、『アイリーズ』!」

 慌てて詠唱するグレンは、少しでも時間稼ぎになればと、魔獣の前足と地面とを溶接するように凍らせた。

 しかし魔獣はそれをものともしなかった。力任せにちゃちな拘束を引き千切ると、すぐさまグレンへと駆け出した。

「ちょ、はや」

 言い切る前に、グレンは一発”もらって”しまった。

 魔獣が振り回した長い耳が、丁度脇腹にクリーンヒットしたのである。重い衝撃にグレンはたまらず吹っ飛んだ。その先は、運よく低木の茂みであった。

 パキパキパキ、とグレンを受け止めた低木の弱弱しい枝が折れていく音が連続する。衝撃はそれでほぼ吸収されたようで、静止できたグレンはポトリと低木の側面から地面に落ちた。チクチクと細い枝が肌を掠める痛みはあるものの、長年愛用してきた一張羅のおかげでグレンに外傷は殆ど見受けられなかった。

 しかし、最初の一撃は別だった。

(いってえな……これぜってェに青痣になるだろ)

 下手すれば肋骨の一本くらいは折れているかもしれない。とにかく燃えるような痛みが攻撃を受けた脇腹を中心に膨れ上がっていた。

(クッソ……下手打った、次どうすっかな)

 今も魔獣は近くに居る。とにかく早く起き上がらねばと仰向けになると――。

「あ」

「嘘でしょう」

 視界の隅に、薄闇に染まるラベンダーの色が見えた。

 目が合った彼は苦々しい顔で、見つかってしまったと疎ましそうにそう言った。

「おま、探したんだぞ!?」

「こっちは探されたくありませんでした」

「いやそんな真顔で言うなよ……」

 グレンがゆっくりと上体を起こすと、スカイはグレンから離れようとしていた。

「ちょ、待て待て待て! 俺にいい考えがあるんだ、聞いてけよ」

「はぁ?」

 スカイは足を止めて振り返った。一応聞いてくれる体ではあるらしい。

「協力だよ、協力。一緒にあの化けモン倒そうぜ」

 瞠目したスカイに気を良くしたグレンは、「お前が俺に強化掛けて、俺が攻撃する、でどうよ?」と更に言葉を続けた。

「……馬鹿だ馬鹿だと思っていましたが、――アンタ、本気ですか?」

「アンタとは何だよアンタって」

「もうアンタに最低限の敬意すら払う価値がないことに今更気づきました。もう一度言います、馬鹿ですか?」

 スカイはわざとらしく溜息をついて、呆れた様に首を振った。

「それでも敬語は外さないんだな……。っつーか、これが一番合理的だろ? 二人居るんだから、それぞれができることを全力でやればスグ終わる」

「アンタ、記憶力もないんですか? 何度も言ったでしょう、僕はアンタと組むこと自体が嫌だと――」

「今、そんな我儘言ってる場合か?」グレンの声がワントーン低くなった。

「ッ!」

 意表を突かれたように、スカイは押し黙った。反論するための言葉が飛び出そうとアクセルを踏んでいる。しかし喉元に張られた正論の膜が、それを妨害していた。

「お前のプライドがこの山よりもも~~っと高い所にあるってことは大体分かってる。嫌いな攻撃魔法師の手を借りるのが、給料取られるよりも嫌だってことも分かってる」

 だけどさ、とグレンは続けた。

「お前が無茶して一人で負けたら、世界の損失だぞ? 世界的な支援魔法師が死んだとありゃあ、世間にどう響くかも分かんねェ。しかも倒せてないから次に来る他の新人も危ねェ」

「……アンタは、黙ってて下さい」

「俺だってご高説垂れて説教できる立場じゃねェよ。正直、年下のお前を置いて逃げちまったこと、これからもずっと後悔するだろうよ。……時間がねェ、作戦立てンぞ」

 立ち上がったグレンがスカイに歩み寄っていくと、スカイは俯いた。

 スカイは地面をジッと見ていた。形のいい手指がぎゅっと丸められて、不細工に作られた拳がブルブルと震えていた。そよと流しているラベンダーの髪が、バサリと地面に向けて垂れ下がっていた。

 グレンはスカイの様子に首を傾げながらも、近づくことを止めなかった。

 やがてジャリ、とグレンが土を擦った足音を立てると、バッとスカイが顔を上げた。

「クソォッ!」

 およそスカイの見目からは想像できない言葉が、口汚く発せられた。

 それから、スカイは真横にある木の幹を、思いっきり殴った。

「……は?」

 グレンは開いた口が塞がらなかった。いきなりの暴挙に脳がキャパシティオーバーを訴えたのだ。

 スカイは止まらない。とち狂ったと思う程の豹変ぶりだった。いっそその樹木が可哀想に思えてくるほどに、スカイは容赦なく殴りつける。シャラシャラと木の葉が擦れて、何枚かがヒラヒラと落ちてきた。

「おいスカイ、一人で解決できるだろ! 何を迷ってるんだ! 動け僕!」

 ひとしきり殴って、スカイは息荒く自身を鼓舞した。

 必死だった。グレンには理解できないスカイの過去が、そこにはあった。最初のクールな印象などどこにもない、ただ求める者がそこに居た。

「オイ! 手ェ真っ赤になってるだろ、何があったか知らねェが――」

「ウルサイ!」

 しゃがれた声でスカイは叫んだ。あまりの剣幕にグレンはウッと立ち止まる。

 そこに、もう聞きなれてしまった足音が聞こえた。

(ウソだろ、今このタイミングでかよ!)

 あの魔獣が迫ってきていた。

 その音に、弾かれるようにスカイは走り出した。飛び出していった方向は、足音が聞こえてきた方だ。

「待てよこの野郎! おい!」

 スカイはグレンの怒号をも意に介さない。明らかに我を失っている様子に、背中を冷水が伝う感覚がした。

(~~ッ、クソッ!)

 脇腹の痛みを我慢しながら、グレンはスカイの後を追うため走り出した。



 案の定、と言うべきか、スカイは魔獣と対峙していた。

(というかスカイのヤツ、支援魔法師なのにどうやって攻撃すんだ?)

 それは至極素朴な疑問であった。しかしその答えは直ぐに分かった。

「『ウォリア』!」

 スカイの詠唱とともに、魔獣とスカイの間に一枚の透明な壁が出現した。

 魔獣はグレンに行ったと同じように長い耳を振り回すも、全てその壁に阻まれた。

 スカイはそれに目もくれず、もう一度詠唱した。

「『ウォリア』……ァァァアッ!」

 最初の詠唱で、小さな透明の障壁を魔獣の首元に作った。そして、後はイメージによるものだろう。スカイの雄叫びに呼応するように、障壁が真下へと細長く伸び、障壁は魔獣の首を寸分違わず貫いていた。

 傷口から血がポト、ポト、と垂れていた。完全に貫通しきった障壁は役目を終えてその姿を消した。残ったのは、哀れな四角形の傷口のみ。深すぎる致命傷に、魔獣は呻き声一つ上げず、倒れる。

 この時は、グレンも、スカイだってそう思ったに違いない。


「ガアアアァァァアアアッ!!」

 脳天を揺るがす咆哮が、放たれた。

「ッ!?」「なッ!」

 動いていた。首から血がボトボトと滝のように垂れているにも関わらず、魔獣は生命の糸をまだ紡いでいた。如何なる魔獣であっても、獣は獣。首を断てば死ぬ。今回の傷は首を完全に断つものではなかったが、半分以上は胴体と繋がっていないはずだった。

(再生している……?)

 正面から見ているスカイには分かりにくいだろうが、魔獣の斜め後ろ辺りから見ているグレンには、首に空いた穴がじわじわと塞がっていくのが見えた。

「ウッソだろ……」

 諦念にも似た気持ちが口から零れ出る。再生能力を持っている魔獣とは交戦経験が無かった。恐らく、スカイも。

(まずもってリーチがズルイ、またあの耳攻撃をやって来たら――って)

 首はもう完全に修復されている。スカイは障壁での攻撃に意識を割いたせいで、スカイと魔獣とを分け隔てていた障壁が無くなっていた。

 ――マズイ。

「危ねェ!!」

 魔獣が頭を振り乱す。それにつられて、凶器足り得る耳が乱暴に暴れだした。

 スカイは咄嗟に障壁を張ろうと、現象のイメージの組み立てを試みた。しかし、間に合わない――その一言が、スカイの頭を過ぎった。

 人間の反射として、スカイは目を瞑った。訪れるべき一瞬後の痛みに備えるために、またせめて無様に吹っ飛ばされることは避けたいと、全身に力を入れた。

 ――一向に、その痛みと衝撃は訪れなかった。

 スカイの耳にくぐもった音が届いたのは、丁度その時だった。

 恐る恐る細く目を開けたスカイは、その光景に瞠目した。

「あ、んた、何してるんですか?」

 グレンが、スカイの前に立ち塞がっていた。

「勘違いすんな、これで貸し一つだ」

 グレンは巨大な岩をスカイの前に発生させ、岩でも衝撃を受け止めきれなかった時の為に自身が岩とスカイの間に入っていた。

 結果岩はお役目を果たして粉砕。辛うじて衝撃は全て受け止めてくれたのか、グレンに新たな打撲は無かった。

 グレンは呆けた顔のスカイの腕をぐいと掴むと、「行くぞ!」と呼びかけて魔獣から逃げ出した。

「作戦会議だ、さっそく借りを返してもらうぜ」

「……はあ、仕方がないですね」

 スカイは幾分か冷静になったような顔つきで、グレンから顔を逸らした。

 そして力任せにグレンの手を振りほどいてから、グレンに追従した。



「作戦はこうだ! お前が俺に支援魔法を掛ける! 俺は攻撃魔法を撃つ! 終了!」

「……アンタ、知人から考えなしの単純野郎って言われません?」

 逃げ出して数分程度走った後。手ごろな低木の陰に二人そろってしゃがみ作戦会議と相成った。

 そこでグレンから提案された、抜け過ぎていてもはや作戦とも言えないようなシロモノに、スカイは辟易して額に手を当てた。

「るっせェな! じゃーなんか他に案ねーのか?」

「そうやって直ぐ人を頼る。ちょっとは自分で考えて下さい……と言いたいところですが、時間も無いですし、足りないところは僕が埋めてあげます」

「おぅ……あ、ありがとな」

 思わぬ反応にグレンはたじろいだ。グレンの知るスカイはこんな素直な反応を返すような輩ではなかった筈だ。いくつもの反論が返ってくることを想像して身構えていたグレンは何故か拍子抜けした気分になった。

「別に、アンタのことを認めたわけではないのでご安心を。一応これが『借りを返す』という名目上での協力なので、こちらも最低限の協力をしなければという義務感からのものです」

「あ~ハイハイ、じゃよろしく頼むわ」

「アンタねぇ、それが人に物を頼む態度ですか……!」

 スカイの顔が怒気に歪む。青ざめたグレンが慌てて宥めようと「スマン!」と謝るがお構いなし。もう一度怒号が飛び出すかのようにスカイが口を開いて――フッと閉じた。

「まあいいです。時間が無いので手短に説明しますね」

 スカイはグレンから顔を逸らしてそう言った。それに関してグレンが何か言う暇も無く、これ以上言い合えば脱線の末二人まとめて魔獣の餌食になってしまいそうなので、グレンも真摯に聞く体勢をとった。

「まず――」



 魔獣はのそりのそりと歩いていた。自らの”狩り”の経験で、こうやって普段の動きを鈍重に見せていれば、攻撃時に見せる本来の動きに獲物がついていけず、簡単に狩れることを分かっているからである。

 相変わらず木の葉や草本などはそよそよと風に揺られ、シャラシャラと心地よい演奏を響かせていた。平和な森だ。魔獣にとっては、だが。

 魔獣は、今回の獲物は一味違うな、と自身の動物的感覚によって獲物の実力を把握していた。いつも来る獲物は、討伐者成りたての新人たちばかりだからである。

 魔獣種識別名コードネームラビー。世界でもまだ発見の報が無い、新型の魔獣である。

 幼体の魔獣が次々と死んでゆくこのイニチア山で、被害拡大防止のために実験投入されたラビーは、逃亡した獲物が自身の情報を広めることを防がんと、一歩一歩、グレンたちの在り処に近づいていた。

 ――と、そんな中。

「来ましたね、兎野郎」

 ラベンダー色の髪を風に靡かせ、魔物の進行を立ち塞ぐように腕を組んで仁王立ちする男がいた。

 逃がした獲物が、自分の方からやって来た。その事実に、手間が省けたと歓喜した魔獣は、愚鈍な歩きを止め、先程までとは似ても似つかない俊敏な走りを見せた。

「ッ!」

 同時にスカイも走り出す。純粋な速さでは魔獣の方が上だろうが、スカイは山の障害物を、スピードを落とさずアクロバティックに対応しているのに比べ、魔獣は障害物にぶつかりつつ進んでいるような有様だ。結果として、速さは五分五分であった。

 やがてもう一人の人影が見えてきた。

 そちらの男は腰に手を当ててキメ顔を晒している。魔獣は前を走る男の若干苛立った雰囲気を自然と感じ取った。心なしか地を蹴る力も強くなっていたようだった。

「アホ面晒してないで集中してください! 癪ですが任せましたよ!」

「アホ面とはいただけないが、おうよ、いっちょ任せろ!」

 男二人が何か言い合っていた。そしてラベンダーの男がもう一人の男を抜かし、その後ろについた。しかし魔獣にはそんな事全く関係がなかった。言い争って油断している二人を踏みつぶしてやろうかと、更にスピードを上げた。

 魔獣にできる最大限を放出する。速く、速く、もっと速く! 生い茂る草木も頑強な岩もすべて薙ぎ飛ばし、瞬きの間もないほどの速さで男に詰め寄った魔獣は、その驚愕の表情を見て、狩りの成功を確信し――

「そう簡単にやられるかっての!」

 ――自身の体が前に進まないのを、一瞬遅れて自覚した。



「――まずは、僕が囮をします。理由は一番消耗が少ないからです。反論はしないで下さい」

 早口でグレンの異議を封じたスカイは、その勢いでまくしたてた。

「アンタはここで待機していて下さい。僕がここに魔獣を連れてきます。――って、何そんな顔してるんですか」

「あ、いや、申し訳ねェなーと」

 しかめっ面を隠すように二パッと笑ったグレンを、スカイは煮え切らない顔で唸った。

「……余計なお世話です」

「お前、ホントにブレねェな」

「そこも長所ですので」

 スカイはフンと鼻でグレンを嘲笑うと、もう一度神妙な顔つきに戻った。

「話を戻しますよ。そこで、僕とアンタがバトンタッチです。そうですね、アンタ――」

 ――魔獣の足止め、できますか?



「随分舐めやがってスカイの野郎……!」

 グレンは不敵に笑った。足の先からふつふつと湧き上がる高揚に全身を浸し、一ミリでも後退すれば崖から転落するような場面にも関わらず、身に滾る闘志を燃やす。抑えきれぬ熱を放つ体は興奮に奮い立ち、猛る心は赴くままにパッションを叫ぶ。不思議と、自らを抑する恐怖は消えていた。

 地面が震える。追いかけっこが始まったのだろう。グレンは自然と心に浮かんだ憂いを、頭を振って消滅させた。スカイは”やる”のだ。

 ほどなくして、グレンの目に小さな人間が見えてきた。それが近づくほどに、もう見慣れてしまったラベンダーの色がハッキリと視認できる。

 そしてその背後には、魔獣。遠目から見ているので分かりづらいが、恐らくとんでもないスピードで向かって来ているだろうことはグレンにも何となく理解できた。

(よくアイツあんなに速く走れるな……あ、身体強化掛けてんのか)

 見る見るうちに二つの影は近づいてくる。グレンは格好良く登場するためにも、腰に手を当て、足を肩幅に開き、そして胸を張った。口上を叫ぼうかと思ったが、寒気を感じたので止めておいた。

 アホ面云々の件を終えた後、グレンはとうとう神速的な速さを見せる魔獣と相対した。相対、と言っても、その時間はコンマ一秒にも満たない。

「そう簡単にやられるかっての!」

 グレンは想像した。

 創造するは、剣。

 脳裏に何度も思い描いた、英雄譚の物語。総てを薙ぎ払い、総てを受け止める、伝説の巨剣。

 形状は? 装飾は? 材質は? 硬度は?

 英雄譚を呆れるほど読み込み、人生に於いて最も活発で活動的で、学習能力が高い時間をそのことに費やしたグレンは、そんなもの、何回も妄想済みなのだ。

 憧れを道標に、蓄え続けた欠片を凝縮させる。光り輝く天上人、その遺物の一端を現出させんと大気が蠢く。

(――ここが勝負の決め所!)

 闘志満々、意気衝天。チャンスをモノにするのは、いつだって大胆不敵に笑ってきたヤツだった。

 勇め。唸れ。叫べ!

「来い! アンタギガス――!」


 ”それ”はグレンの身長も、魔獣の身長をも軽々と超えていた。

 天に向かって一直線に伸び、壁のように立ちはだかる鋼鉄。飾り気の無い、無骨なデザインの柄はおおよそ人間が持てるような大きさではない。

 巨剣アンタギガス。英雄マルブスという巨人が用いたとされる――巨人のための剣である。

「ヨッシャ!」

「油断しないで下さいよ! 『グラディオン・マギ』『グラディオン・マギ・エクト』! それから……『ディグラディオン・マーク』」

 スカイがグレンに向けて魔力強化の魔法を掛け、魔獣に向けて身体能力弱化の魔法を掛けた。

 グレンは己の内に存在する魔力の量が目に見えて増大したのをすぐに感じ取った。アンタギガスを持続させるための制御が格段に楽になり、それでもまだ余りある魔力が内に渦巻いている。

 まさかここまでとは。味わったことのない感覚に、体表がが快哉を上げていきり立つ。

「最後に……『ウォリア』!」

 障壁が、グレンの前に作られた。それから次々に、魔獣の周りを囲むようにして障壁が展開されていく。我に返った魔獣が叫び暴れているが、もう遅かったのだ。袋の鼠は生を掴まんと必死にもがいていた。

「今です!」

「あぁ!」

 グレンは巨剣を消滅させた。

 ――再生能力があるのならば、再生する余地も与えずに丸ごと消滅させるしか方法はないでしょうね。

 作戦会議の時のスカイの論が頭を過る。小山のような魔獣を、一撃で霧散させるような、そんな攻撃。そんなもの――。

(アレしかねェよな!)

 光り輝く天の御業。それは地を割き海を割る、勇者の一撃。

 溢れる生命の迸りが宙を駆け抜け、信念の下に塞がる障害を一線に薙ぐ。

 そんな、”最強”の名を冠する一撃。

 グレンの手元へ一途に収束した聖光の煌めきに、スカイは目を見開いた。そして、ほんの一瞬、考える素振りを見せた後――

「ハァ、金輪際こんなことは起こり得ないと思ってくださいよ!」

 叫びを上げて、スカイはグレンをサポートする体勢に入った。まだ使っていない魔力をグレンの魔力と接続リンクさせ、その動きを円滑なものにする。

 スカイにとっては、ここまでサービスするつもりは無かった。けれども、何か、全身全霊を尽くしたこの先にある何かを、見てみたいと思ってしまった。下唇を噛んで嫌々やっている雰囲気を出しながらも、その口角が

上がっていることにスカイ自身、気づかなかった。

 グレンはその行動に動揺したものの、決して創造を止めなかった。スカイのサポートのおかげで聖光は更に輝きを増し、小さな太陽のように眩く、そして熱を放っていた。

「――へっ、奇遇だな。俺もされるつもりねェーよッ!」

 かくして光線は放たれた。

 まさしくそれは天を震わす一撃。

 グレンから放たれた、聖光を纏った光線の一撃は空を焼き、魔獣の元へと伸びていく。

 逃げられぬ兎は指を咥えて見ているしかない。――いや、きっとその光景を脳が処理する暇もなかっただろう。

 巨大な光線は障壁を無いもののように破り抜け、そのまま易々と魔獣を飲み込み、光に埋もれてその姿は見えなくなった。光線はそんなもの意にも介さず、林冠を突き抜け、蒼穹広がる空へと突き抜けた。きっとそれは町の人々も目にすることだろう。神々しいまでの眩さに目を細め、口をあんぐり開けて誰もが足を止めて山を見つめるだろう。確かにそれは、人々の心に残ることとなったのだ。

 やがて光線が消えていくと、魔獣がいた場所には塵一つ残っていなかった。

 光線が消し飛ばして作り出した木々の隙間から陽光が差し込んでくる。山に乗り込んでからそこまで時間が経っていないことに二人は愕然とした。

 二人は何かに吸い寄せられるかのように陽の差し込む下へと歩き出した。のろのろ、よたよた。何とか歩いて、陽の下に倒れこんだ。全て出し尽くした二人は、何年か年を取ってしまったような気分だった。

「……なんか、十年ぶりに日光を浴びたような気分です」

「奇遇だな、俺も同じだ」

「そんなに奇遇奇遇言わないでください、同じような人間だと思われたら堪りません」

「うるせェなぁ」

 眩しさに目を細めて、全身に陽を浴びる。二人とも、歩けるような体力はもう無かった。

「……すみませんでした」

「あ? なんで謝ンだよ」

「初めの方、流石に言い過ぎたかなと思って」

「ああ~、あの時ね」

 グレンに、木造の教室が思い起こされた。妙にボロッちい造りで、ギィギィ床を鳴らして進んだ先に、若い顔ぶれが並んでいた。そこでスカイに、辛辣とも言える言葉を吐かれたのだ。湧き上がる悔しさ、不甲斐無さ、そしてそれに隠れて潜んでいた諦念。

 グレンはゆるゆると頭を振った。

「もう、気にしてないし、寧ろ感謝してる」

 あれが無ければグレンはきっとスカイを助けに行っていなかっただろう。あれはきっとグレン自身にも責があった話なのだ。

「……それならいいですけど」

「なあ、お前」グレンは気になっていたことを聞こうと、間髪入れずに問うた。「なんでさ、攻撃魔法師が嫌い――いや、憎んでるんだ?」

 スカイは仰向けの姿勢から寝返りを打った。そしてグレンに背を向けて、淡々とした声で答えた。

「アンタが知るべきことではないでしょう」

 その声は凪いだ海のようだった。グレンは今ようやっと、浅瀬に入ることを許されたようだった。深い場所には、まだまだ遠い。

「そうか」

 まあ、もう別にコイツと組むことはないだろうな、とグレンは何となく思考を放棄した。今はただ、太陽を見ていたかった。

「新人のヤツら、応援を呼んでくれてたらいいんだがな」

「さて、どうでしょうね」

 スカイが、フッと笑う気配がした。グレンはニヤリと、悪どい笑みを浮かべた。

「天下のスカイ様でも、笑うときがあるんですねェ?」

「そりゃ、人間ですからね」

 確かにそうだ。グレンは我に返った。

「早く助けに来てほしいですね」

「さて、到着はいつになるんだろうな」

 二人は笑った。片方は豪快に笑って脇腹の痛みを思い出し悶絶した。もう片方はささやかに、息の抜けるような笑いだった。


 救助の到着が二時間も後だということを、二人はまだ知らない。

ずーーーっとメモ帳の中で眠っていたので、書き上げられていた一章だけを供養のつもりで投稿しました。

なかなか下手な文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。


続きは気が向けば書きます。

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