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ムスリナムの名

「キミがこれから皆のリーダーになるんだよ」


 そうラド様に言われたとき、これはとんでもない事になったと思った。

 何となく皆に背中を押されるままに『選挙』というものに出ることになり、成り行きで『議員』というモノになった。そう、たまたま成り行きで。

 私の人生には『たまたま』とか『何となく』が多い。今回も『選挙』に出ることになったのは、皆が私の名前を()()()()覚えていたのがきっかけだった。

 たまたま裏街に現れたラド様につかまり、たまたま命令された伝言を裏街の皆に伝えただけの成り行きで……。



 それは私がまだ裏街の住民だった頃の話。

 裏街と表を繋ぐ通用門を掃除していた私は、妙に勝気なヒトの子供に声をかけられた。

「ねぇキミ、伝言を頼まれてくれないかな」

 黒い髪に黒い瞳、かわいい顔をしているが顔も手も傷だらけで、喧嘩っ早いのか、怪我をした腕を麻布で釣っていた。自分の胸くらいしかないちっちゃくて弱そうな子。

「聞いてる?」

 裏街の中でヒトの子を見るのは珍しいので、ついこの子の事情を想像していると、やはり勝気な口調で催促してくる。

「は、はい!」

「ありがとう、じゃ裏街の皆に伝えて。『命をかけてもこの裏街の奴隷から自由になりたい人はペペルヴォールの裏通り集まって』これを出来るだけ多くの裏街の者たちに伝えるんだ」

「はぁ、はい……」

 命令されたらその通りに実行する、それが裏街の決まりだ。

 だから私はこの伝言を言われるがままに伝えた。何も考えず、何の意思もなく。

 命令されたらやる。それが習慣だから。

 それがラド様との出会いだった。


 伝言を終えて通用門に戻ると、まだラド様がいた。もう暗いというのにこんな荒んだ街にヒトの子がいるなんて。

「あ……、あのう、終わ――」

 驚く私の話など聞きやしない。

「キミも裏街を出るだろ?」

 まるで当然のようにラド様に言われて、何も考えずに首を縦に振った。

 習慣だからだ。

 ご主人に命令されたら首が縦に動く。表の住人に言われたら首を縦に振る。そこにラド様が言う『意志』はない。そうやって裏街で十年生きてきた。

 本当に十年かは分からない。なにせ裏街には暦が無い。ただ私が奴隷になった時に泣き声を聞いたご主人の坊っちゃんがヒトの歳で十ほどの顔を窓から見せたのだから、たぶんそうなのだと思う。

 ヒトは私達と違って、なかなか大きくならない。



 奴隷には表奴隷と裏奴隷がいる。どういう子が表奴隷なり、どういう子が裏奴隷になるかは分からない。ただ一緒に捕まり表奴隷になった友達とは、その後二度と会うことはなかった。

 あの子はまだ生きているだろうか。

 今でも思い出す。

 獣化度の低い、目だけがリスの女の子。クリクリとした真っ黒い瞳が裏街の隙間に振る慈雨のようにキラキラと輝く可愛い子だった。

 向こうは私の羊毛がお気に入りだった。よく抱きついてきて「ふわふわー」とシジュウカラのような声をあげた。


 お互いお気に入りの友達だったが名前は知らない。

 知らないのではない、私もあの子も名前が無かった。

 私たちは親なし子だ。そういう産み捨てられた子達は裏街の片隅に集められてエサを与えられる。

 羊系とリス系の半獣人の私達は草だけでも生きていける。だが、与えられるのは木の根っこだけで、これが食事ではなくエサだというのは学のない私でも理解できた。

 それでもお腹が空いて死にそうになるので、文句を言わずに二人で渋い木の根を食べた。

 ラド様の瞳を見ると思い出す。

 あの頃、泥を落とし合いながら木の根にかじりついた小さな黒い瞳の微笑みを。



 私のムスリナ厶の名はご主人から頂いた名前だ。後で知るがム・スリ・ナムは、ムの年に仕入れた三番目の奴隷という意味だそうだ。

 それでも「おい」でも「お前」でもない私だけの名前をもらったのは嬉しい出来事だった。だから名前をくれたご主人に逆らった事はない。

 だがご主人も奴隷頭も私達には厳しかった。

 私に与えられたのは裏街の掃除。

 奴隷頭に言われるがままに何でも運ぶ。ゴミ、屎尿、死体。やらないとご飯がもらえない。

 朝起きる。奴隷頭の男に挨拶をする。命令通りに掃除をする。暗くなったら奴隷頭の元に戻り頭を下げる。ご飯をもらう。そこらで寝る。

 その繰り返し。

 だから考えるという事を忘れていた。ラド様に怒鳴られるまでは。



 ラド様は小さいのにとても怖い。ご主人よりも奴隷頭よりも裏街の乱暴者よりも怖い。

 分かりませんと言うと怒る。

 無理ですと言うと怒る。

 ならば何も言わなければもっと怒る。

 とにかく怒る。選挙というものに出ると決まったとたん、ラド様は急に私たち六人に厳しくなった。私達だけがいつも怒られる。でも奴隷頭と違い叩くことはない。

 そして知らない難しい言葉を言う。

 政治、議会、主体性……。

 私は文字すら読めないと言うのに。


 そんなラド様だが、しばしば私たちだけにお菓子をくれる。とても甘いお菓子だ。

 甘いお菓子は好きだ。口の中でとろけると胸がふわっと軽くなって雲になった気持ちになる。

 香りだけで顔が緩む。

 小さい頃から何で鼻があるのだろうと思っていた。それはこんなお腹が空くような香りを嗅ぐためだ。断じて腐臭の元に駆け寄るためじゃない。


 選挙に出る事になり、私は『公約』という得体のしれぬモノを考える事になった。公約とは『願いと約束』のコトらしい。

 そんなコトなど考えた事もない、出処も分からぬ願いを何処から見つければよいのか。


 余りに分からないので恐る恐るラド様に質問をする。

「こ、公約のご命令ですが、私はどのような事を、す、すれば良いのでしょうか」と問うと、ラド様は「命令じゃないけれどね。キミの自由に考えるといいよ。キミがこの村で叶えたいこと、こうしたいと思っていること、そんなのを思うままに描いてごらん」

「叶える……描く」

「ああ、絵を描くことじゃないよ。夢さ」

「夢……」

「あれ? 夢ない? せっかく奴隷から開放されたんだ。今までやれなかったこと、やりたかったことがあるでしょ」

「……ご飯が食べたいので、ラド様の命令が欲しいです」

「僕の命令? ご飯? ああそういう仕組みだったかぁ。それは忘れていいよ、命令はもうないんだ」

「なら私のご飯は」

「自分達で用意する」

「そんなっ、ムリです」

「ムリじゃないよ。アキハですら作れるのだから。やってみたら案外できるものさ」

「できません! ご命令を」

 ラド様は急に難しい顔をして私を睨む。

「むー、こりゃ根深いなぁ。冷たいようだけど、ならここで餓死だね」

「そんな! ラド様、意地悪しないでください。ご命令なら何でいたしますから」

「命令命令って、そんなものはもうないんだよ!」

「で、でもわたし!」

「ああもうっ、じゃ最後の命令だ。命令を待つな! 自分で考えて自分で動け! それが最後の命令だ!」

 フンっと鼻息の荒いラド様をみて、そういう事なのだと分かった。私が私のご主人なのだと。そして私達が私達のご主人なのだと。


 何をしたいか分からないのに、私は何かをしなければならない。そして私が何かをしないと皆は私のせいで今までよりも更に飢えてしまう。

 恐ろしい事だ。なんて恐ろしいことなのか。

 ラド様はさっきまであんなに怒っていたと言うのに、もうケロッとして「じゃキミの夢を楽しみにしているよ。三日後に聞くから」と言い残してスタスタと何処かへ行ってしまう。

 その後ろ姿を呼び止めることさえ、この時の私には出来なかった。



 三日三晩寝ないで夢という茫洋とした何かを考えて、結局なにも浮かばず、ラド様と約束した日の朝になったので、怒鳴られる覚悟さえ決まらぬままに村の真ん中の炊き出し場に向かう。

 村には数千人からの住民がいるが、食事は配給になっている。日が昇り暫くすると魚板が鳴ってヴィルドファーレン村の朝の炊き出しが始まる。ラド様はその前に私達を呼び出すのが通例だった。


 羊毛のまとわりつく湿った朝もやの中、ラド様の声が耳を突き抜けて頭に響く。

「ムスリナ厶の夢は」

 聞かれて口を閉ざす。


「なんでもいいさ。思いついたことでいい」

 ラド様は気が短い。鼓動が五つ打つ間に答えないと大抵、怒声が飛んでくるが、この時のラド様は私をじっと見つめて答えを待っていた。

 しっかり見据えた瞳。

 ご主人の坊ちゃんと変わらぬ歳だから十歳くらいだろうか? だが、この人はそうとは思えぬ大人の顔をしている。

 その顔が気張りながらも、どこかに優しさを湛えてこちらを見ていた。

 どうしても私の口から答えを聞きたいのだ。


 だから、私は昨日からずっと心に浮かんでは消える言葉を手繰り寄せる。


「もう……怒られない日を送くりたい……」


 言い終わってから怖くてラド様の顔を見られなかったが、ラド様は何を思ったが、「いいね。ムスリナ厶の夢は美しい。キミの羊毛のように柔らかそうで暖かそうだ」と嬉々として言う。

「……いいのですか」

「もちろん。そういうシンプルなのか刺さるんだよ。じゃ、具体的そのために何をするか考えてね。明日までに」

「えっ」

 それっきりラド様は興味は別の人に移ってしまう。



 それからは怒涛のような要請の日々があり、私は人生の中で最も迷いの時間を過ごし、気づけば『選挙』で選ばれて『議員』というものになっていた。

 その後もラド様に難題をふっかけられて、怒鳴られ、飽きられられて、なんとか応えて、褒められて、頭を撫でられて、今までの何も無かった私の人生は、朝つゆに絡まる羊毛の様にごちゃごちゃに彩られていく。

 ときには結果を焦るあまり、奴隷頭のように皆に命令をして無理働かせて、ラド様に殺されるかと思うほど烈火のごとく怒られたりもあった。それでも今ここに議員という役割を辞めさせられずに続けている。


 議事会館の円卓に上がる数々の問題は、数か月前の私が見たら異世界の話しばかりだ。

 学校、福祉、税金、法律……。

 この村はまさに異世界なのだと思う、あの日私はラド様に異世界に連れて来られたのだ。

 もう戻ることはない。だから私はこの世界で生きて生きて生きる。



 『議事会館』

 それは、わたし達が自力で稼いだお金で材料を買い、私達の力だけで作った初めての建物。

 この建物が出来た時、ラド様はなぜか肩を震わせて泣いた。

 正直言うと隙間だらけで、全然いい出来じゃない。

 竣工したとき、こんなボロ屋敷が出来てしまい、またラド様に怒られるかと思ったのに。


 それは朝焼けが綺麗な日だった。

「ムスリナム、キミの名前には奴隷という言葉が入っている。でも僕の国では『ム』は『無い』という意味なんだ。だからキミの名前には既に『奴隷じゃない』という意味があったんだよ。そしてキミはこうして皆の力だけで、こんな立派な建物を作って、本当に名前通りに自らの意思で人生を歩み始めた」

「いえ、やはり私達の力ではこんなボロボロの建物しかできませんでした」

「美しいよ」

「え?」

「何より尊い。僕の目には魔法局よりも王城よりも尊いよ」

 そういって怒りんぼのラド様は目を細めて議事会館を見て、私の手を両手でくるんで力いっぱいに握った。


 私は議員会館の円卓に付くと、ラド様が声を震わせて言った言葉と握った手の小ささと震えた背中を思い出す。

 あの瞬間にラド様は私達に全てを託したのだ。それは鈍感な私にも分かった。


『キミ達はもう何でもできるんだ』

 その一言に全てを込めて。



 また朝が始まる。

 さあ今日はどの問題を解決しようか。飲料水の濾過機も大きくしなきゃいけない。子供達の先生もいつまでもリレイラ様に頼れないし、畑の開墾もある。

 やることは山積みだ。


「ようムスリナム、おはよう」

 ハブルの議員が議員会館に目を擦りながら入ってくる。

「遅いわよ、ンナジャブ。議会は夜明けからって言ってるでしょ!」

「怒んなって、人間ってのは朝に弱いんだって」

「もう、そういう時だけ人種を出すんだから」

 わたし達のいつもの挨拶にもう一人、パーンの老人が加わる。

「ムスリナムさん、今日はおやつに甘葉を持ってきましたぞ。おや、ンナジャブ、眠そうですね。お目覚めに一枚いかがかな?」

「食うかよ! ナマだろそれ」

「おやおや、人もキャベツはそのまま食べるでしょうに」

「ハブルは好き嫌いが激しいねぇ」

 ガウベルーア人の若い女性が、まだ外にいるというのに窓の外から冗談を投げかける。

「そりゃガウベルーア人も同じだろ。エミンの姉さんよ」

 まったく朝から騒がしい。今日も騒がしくて、混乱で、絡まった羊毛みたいな日が始まる。


 わたしの名前はムスリナム。

 奴隷ではなくなった者。

 けど本当に無くなったのは、私の人任せの生き方だ。

 もう『たまたま』も『何となく』も私の人生にはない。だって私はいま、私の意思でヴィルドファーレン村の議員をやっているのだから。

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