死者の行進
ラドはこの世界の血のなせる技に驚いていた。
リレイラが近接戦に挑むのは初めてだと思うが、それなりに修羅場を踏んできたラドより上手に戦えたからだ。
冷静で目がいい。的確に避け、隙きを見つけて確実に攻撃をしかける。
イチカの印象が強くて、ホムンクルスは近接戦が苦手だと思い込んでいたが、思えば彼女の血の半分はライカだ。パーンの俊敏さと柔軟さを持っていてもおかしくはない。
だが、残り半分はホムンクルスだ。力は強くないので一撃で敵を屠るとはいかない。
イチカは民間人を鼓舞してなんとか火の魔法を使わせている。それでも飛んでくる魔法弾は打ちっぱなしのゴルフ練習場程度。目に見えて敵が減った感じはしない。
しばしば火の魔法に照らされる彼女の銀の髪がボサボサに乱れている。
形相も必死だ。余裕なんてこれっぽっちもない。
そんなギリギリの戦闘が半時は過ぎる。
背中からリレイラの荒い息づかいが聞こえる。
「リレイラ、大丈夫か?」
「はい、少々疲れを覚えています。土の盾を維持するのに魔力を流し続けていますから。それより主任は」
「僕も、息が、上がってきた」
ちらっと向こうを見る。
「ライカ!!! あとどのくらいいる!」
遠くラドの声を認めたライカが大声で答えを返す。
「まだまだだ。半分も減ってないぞ」
返事を返すが、こちらを見る余裕はないらしい。照明弾の明かりに照らされるライカの横顔は返り血を浴びて赤い入れ墨をしたようだ。
そのライカが叫ぶ。
「後方ーーー! 援護ーーー」
熱くなったライカの叫びはよく聞くが、切羽詰まったライカの叫びは初めて聞いた。
援護を期待されているレイベランダーと市民は怯えてまともに戦える状態ではない。気持ちで敵に飲まれては使える魔法も使えない。
戦わなければ死ぬ。それは分かっているはずだ。だが、その思いに反して体は震えて動かない。それほど人は合理的に作られていないのだ。
戦いは乱戦になってきている。
多くのパーンが負傷し力をふり絞っても、どうにも押し返せない状態になってきている。
負けるのか。
いや負けは死を意味する。この世界に来て死を意識した事がないといえば嘘になる。この世界の命は軽いのだから。
ホムンクルス工場の襲撃、サノハラスの街道の戦い、サルタニア事変、どれもあわや命を落とすかもしれない状況だったが、今回は今までとは比較にならない危機を感じる。
本当に全滅するかもしれない、それもここにいる全員を巻き込んで。
そしたら裏街のパーン達はどうなる。
カチャは家がなくなるが大丈夫だろうか。
アンスカーリは……それはどうでもいい。でもアキハは。アキハはどうなる。王都に一人きりだ。市民権のないあいつは、今は自分と親方の庇護のもとにいるが、自分がいなくなれば自立する道を絶たれる。
死ねない。
絶対に死ねない。
「もうひと押しだ! 敵の圧は落ちている! 勝利は近いぞーーー」
子供の頃に観た何かの戦争映画で、同じようなセリフを言う将校がいた。
その時は『なんでこんなあからさまなウソをつくんだろう』と、秋葉と話した。秋葉は『兵隊の士気を上げるんでしょ』と淡々と言ったが、それは違う。
あれは自分の心が折れてしまわぬよう自分にかける呪文なのだ。
終わりがない、いつ終わるか分からぬ極限の中で、正気を保つには自分に呪文をかけるしかない。
気づくと、支援の火の魔法が止まっていた。
コゴネズミが自分の腕に噛み付くのを胸元に隠したグラディウスで喉を掻っ切りひっ剥がす。
背中にいるはずのリレイラの動きを感じない。
傷だらけのライカとイオが、イチカを守っているのが見えた。
イオがここにいるということは、多分ライカは陣形を何度か立て直し、そのたびに陣は小さくなりついに視界に入るサイズまで追いやられたのだろう。
照明弾は落ちて久しい。
墨を落とした世界には、数名の市民が灯すライトの魔法の明かりだけが点々と存在していた。
だが明かりは弱々しく、あっという間に黒に飲まれていく。
ラドはひゅんひゅんと突き出る槍を左手で受け、上がらない腕で右から攻めてくるコゴネズミを払う。拍子に剣がすっぽ抜けた。握力がもう続かない。その動揺を悟られたか、コゴネズミが逆に槍を引いた。
ラドは掴んでいた槍先に引っ張られ前のめりに倒れていく。
考えていなかった。コゴネズミといえ、そのくらいの事はやるだう。
前に倒れ込む景色が恐ろしくスローモーションで見える。
視界に入った矢じりは黒曜石で黒く鋭く光っていた。それは粗末な蔓草で固定されており、彼らは石器時代の我々なのだと思った。
こうやって狩りをし、徒党を組んで大きな獲物を狩る。それは人が得意としてきたことではなかったか。
棍棒を持ったコゴネズミも見えた。大きく振り上げ、今まさに振り下ろさんとしている。
その相手は自分。
――あれは頭に向かうコースだ。僕はあれに殴られて脳漿部をぶちまけて死ぬ。多分死ぬ。
末期の瞬間とはかくも冷静なものなのか。
ラドはゆっくり目を閉じる。
その閉じゆく視界の片隅に放物線を描く軌跡が見えた。幾本もの尾を引く垂れ柳のような。
それが着弾し火炎が起きる。
驚いたコゴネズミが「ぎゃっ」と叫び一瞬止まる。そして――。
「ギギャーーーーーーー」
とびきり大きな声がした。
ラドは奇声をあげるコゴネズミの棍棒の一撃を崩れながらも僅かにかわして肩に強打を受ける。
ゴボっと鈍い音がして激痛が走るが致命傷ではない。そのまま前に倒れるも諦めずに片手で火だるまとなったコゴネズミの胸を突いて思いっきり押す。
敵はたまらず後ろに倒れる。その開けた視界の一等高い位置から何かが駆けてくるのが見えた。
それは巨大な黒い影。
その影がスラリと煌めく長竿を引き抜く。
すると進路にいたコゴネズミは、巨大な影を崇拝するモーゼのワンシーンように道を開く。
「ボス……」
剣先を構えた高さは、ちょうど自分の首の位置。
ラドは網膜に白刃の揺らめきを焼き付け、ここに全てを封じられた事を理解した。
後方にコゴネズミ。前にはボス。自分は肩をやられて戦うこともできない。
そしてどこにも逃げることのできない敵陣のど真ん中にいる。
両手がするんと落ちた。
そのラドをめがけて影が猛然と迫る。
そして五スブはある刃先がこちらを向くのが見えた。
「ふせぇぇぇ!!!!!!」
虚脱し仰向けに倒れ行くラドの耳元を、切っ先が唸りをあげてかけ抜ける。
閉じ行くラドの目には、自分の髪の毛が幾本も切られて宙を舞うのが見え、そして――。
その斜め後ろでコゴネズミの首と、茶色に錆びた剣が空高くに舞うのが見えた。
仰向けに倒れたゆく向こうに見たのは、柳状の火の魔法に照らされた走り過ぎていく白馬と、腰を上げて鞍にまたがる髪の長い少女の横顔だった。
「あ、き……は」
アキハはキタサンをとって返えしラドを馬上にすくい上げる。
一方、通り過ぎざまにキタサンから飛び降りた親方は、人とは思えぬパワーで雪かきでもするようにコゴネズミを薙ぎ払い進路を作る。
それでもキタサンに迫る敵はおり、アキハは落馬するのではないかと思うほど鞍掛から身を乗り出し、剣を振るってコゴネズミを仕留めて行く。下からすくい上げる一刀の後には、耳に残るコゴネズミの叫びと宙を舞う獣の首。振り下ろせば二つに分かたれた肢体が飛び散る。
そうして力押しで馬を進め、アキハはライカとイオが戦う戦場に合流する。
僅かな明かりに目を緑に光らせたライカの激しい息遣い。
「はぁはぁ……アキハ、来てくれたか……」
ライカは続かぬ息で、ただそれだけを言い、傷だらけになった革なめしのアーマーの腰に手を当てた。
「イチカ、無事だったのね」
「はいっ、私は無事です」
と言ったものの、イチカの瞳には涙が溜まっていた。なんで泣いているかは分からない。
イオはどちらが自分の陣営か分からなくなった乱戦の戦場に牙を剥き、唸り声をあげてアキハを威嚇する。激しい戦闘に高揚し半狂乱に陥っていのだ。
「落ち着きなさい! 落ち着きなさいイオ!!! あんたの味方は誰!!!」
アキハの鋭い声に、フーフーっと息を吐いたイオが剣を下ろす。
「すみません。取り乱しました」
「イオ、状況は?」
「はい、パーンの仲間が何十名か亡くなったと思います。市民の被害はかなりかと」
イオは逆立ったたてがみを震わしてアキハに大雑把な報告をする。
ラドはその報告にただ力なく頷いて答えなかった。我が身も死を意識するほどの戦いなのだ。アキハ来ていなかったら……。
「あの援軍はどこから……」
ラドの弱々しい質問にアキハは力強く答える。
「ラドの家に集まってたんだよ。魔法士もいる。皇衛騎士団の募集を見てきた市民やパーンのみんな」
「そうか。そういう物好きもいたんだ。もう少し早く集まって欲しかったけれど」
「敵は総崩れよ。もう片付くと思う。でも酷い戦い……レリイラは?」
きょろきょろとあたりを見るアキハの目がこちらを向くと、イチカもライカも目をそらす。
「ラド?」
「分からない。僕が気づいた時には、もう僕の背中にはいなかった」
「ちょっと何よそれ! あんたがついてて何やってんのよ!!!」
アキハはラドの胸ぐらを掴んで、へたり込むラドを高々と釣り上げる。ラドは抵抗せず、なすがままに肩の痛み顔をしかめた。
「ごめん」
ラドには、それしか言えなかった。
「ごめんって、なによ……」
「アキハ、ラドをおろしてあげてください。怪我をしてます」
イチカはゆっくりアキハに近づき、ラドを釣り上げるアキハの震える手に、そっと冷たい手を添える。まだ戦いは続いているというのに、死人のように冷たい手にアキハはイチカの緊張と極限を感じた。イチカにして魔力を極限まで使う戦いだったのだ。
その背後で親方が振るう大ぶりのロングソードが、一気に四匹のコゴネズミをぶった切り、血の噴水を上げていた。
それを見たアキハは何かを悟ったように、ラドを静かに降ろした。
「私こそ、ごめん……」
「アキハさん! 東側のコゴネズミは大体掃討しました。今、乱戦になっている北側を各個撃破中です」
「ありがとう。わたしも行く」
どこの誰か分からない女性がアキハに的確な報告をして、アキハと一緒に北側の戦場に向かう。北側には逃げまどっていた市民がいたはずだ。彼らはどうしただろう。生きているだろうか。
南側をあらかた片づけた親方が、背中の警戒を怠らずラドに話しかける。
「命拾いしたな、後であいつに礼でも言っとくんだな」
遥かに巨躯から睥睨して親方が言う。
そう感じるのは、自分の矮小さを嫌というほど自覚したからだろう。騎士団なんかやってて何も出来なかった自分。
「……はい」
小さく答える。
「おい、そっちのたてがみのヤツは南の警戒をしろ。俺はこのネコと西を潰しに行く。おい動けるか」
「ああ、なんとか」
ライカが眼光鋭く西を見る。
「ぼ、僕も行く」
「てめぇは、腕折ってるだろ、ボンコツは邪魔だ。いらねぇ」
「でも」
「行くぞ、ネコ!」
ラドは誰もいない暗闇の中に、ただ一人ぽつんと残された。
掃討にはそう時間はかからなかった。
北側の戦場から戻ってきたアキハが指示を求めるので、ラドは怪我人を探してここに集めること、近くのコゴネズミの息の根を確実に止めることをアキハに頼む。
マージア騎士団のパーン八名は全員無事だった。やはり訓練を積み、軽装といえ武装している組織は違う。
ライカが連れてきたパーンの仲間は二十三名が不幸にも落命してしまった。生き残った者もみな何処かしら怪我をしている。それでも仲間になると言ってくれた。
いきなりこんな事になり申し訳なく、それ以上にライトの魔法に照らされた静かに目を閉じる亡骸にかける言葉がなく、込み上げる慚愧の思いを抑えきれなかった。
レイベランダーと市民の被害はもっと多い。
マージア騎士団の誘導によりラドの周りに集まった人達は、明らかにここに来たときよりも少ない。そして地に転がる骸、骸、骸。
もともと何名いたか分からないが、百名近くのレイベランダーと市民が亡くなったと思う。
彼らがここにラドを連れて来なければ、彼らがラドの警告を受け入れていれば、そして彼らが一緒に戦ってくれれば、この被害はなかったはずだ。そう思うと申し訳なさと同じくらい、生き残っている人々に対して怒りが沸き起こる。
その怒りを吐き出そうとしたとき、涙目のイチカの声がさく裂した。
「みなさんが私達を信じてくれれば、そして戦ってくれたら、この人達は死んでいないんです!!!」
誰もがしゅんと縮こまる中、イチカの声は凛と響く。
「命を何だと思ってるんですか! 平和はタダじゃないんです!!!」
それに対してかろうじて反論の声が上がった。
「俺たちは確かにあんたらに反対したが、ここに連れてくるって言い出したのはルドール様で」
「大人なら自分の行動に責任をお持ちなさいっ!」
ビシッと言われて二の句が継げない。どこからともなく「パラケルスの魔女……」と囁きが聞こえた。
それは至言だ。イチカがこんな怖い子だったなんて知らなかった。
「イチカもういいよ、彼らだってこうなるとは思っていなかったんだ。そういえばカレスはどうした?」
ラドが聞くとレイベランダーも市民の誰もが首を横に振る。最後に見たのは這う這うの体で逃げ出すカレスの姿だ。
「僕が一緒に戦えと言ったときヤツは腰が抜けていた。逃げたか。死んだか。運が良ければ今頃は王都だろう」
市民はバツ悪そうに地面に正座し顔を伏せた。
「主君! リレイラさんを発見しました!」
声の方からはリレイラをおんぶしたイオが駆けてくる。
「無事か!」
「わかりません」
ライカが街道警備の制服を脱いで地面に敷いてリレイラを横たえる。
リレイラをじっと見るライカはかろうじて団長の自覚を保ち、ボロボロ泣きながらも声を出さぬよう口を一文字に結んでいた。
自分の娘だ。今すぐ抱いてやりたいに違いない。だが団員の前で平等であろうとするライカは、自分の娘であってもそれはできないと思い健気に頑張っている。
「ラド……」
アキハの促しを受けてラドがリレイラを診る。
「脈は分からない。息は……」
鼻に耳を近づけてみる――。
「人口呼吸をする! 心臓マッサージも!」
「は、はい?」
「ライカ、胸のここを押すんだ。手はこう重ねて、僕がいいと言うまで鼓動の早さで押せ!」
ライカは涙を振り払ってリレイラにまたがり胸を押す。
ラドはリレイラの首を持ち上げ気道を確保して鼻を抓む。
――まだ温かい、この寒さで体温を感じるんだ!
肩の痛みなんて関係ない。小さい体に思いっきり空気を取り込み、リレイラの唇に息を吹き込む。
それを何度繰り返しただろうか。
「あっ!」と言ったのはアキハかイチカか。
リレイラがびくっと動き、拍子にラドの頭におでこをぶつけてきた。
人工呼吸を止め鼻に耳を当てる。
「息が微かにある!」
「リレイラ!」
ライカの嗚咽が聞こえて、結んだ口元がふるふると震え歪むのが見えた。
ラドはリレイラから離れて、ライカの手を取ってリレイラから降ろす。
「看病はライカが一番だ。団員の世話をするのは団長の仕事だろ」
ライカは無言で頷き、リレイラが横たわる枕元に膝をつき、そっと頭をなでた。
「よく頑張ったな」
「多分魔力欠乏症だったんだ。未完成の魔法照明弾を何発も上げたし、土の盾を作って僕の背中を守ってくれた。火の魔法だって使ってるんだから」
リレイラがふわっと目を覚ます
「か、かぁさ……ん」
「リレイラ……」
「すみません。最後まで戦えませんでした」
「謝ることはないぞ、リレイラはしゅにんを守り通した」
「期待に応えられなくて、親不孝です」
「生きているだけで、親孝行にゃ」
リレイラの瞳が細かに痙攣しながらラドを捉える。
「リレイラ無事で良かった」
「主任……すみません。最後の照明弾を上げた瞬間に意識が飛んでしまいました」
「いや不幸中の幸いだった。意識を失ったからコゴネズミはリレイラを襲わなかったんだ。もう死んだと思って」
「多分そうだと思います。主任が教えてくれたことはみんな本当です。主任は私の師匠です」
「リレイラ、無理に喋らないで。もうお休みなさい」
イチカはさっきとは打って変わって優しい口調でリレイラの話を切り、何度も何度も彼女の震える手をさすっていた。
「動けるものは、けが人を助けて歩け。王都に戻る」
ラドの指示にそれぞれは声なく立ち上がり、王都に向けて歩き始める。
その姿は、知らぬ者がみたら夜闇を彷徨う死者の行進に思えただろう。
それほどボロボロでひどい戦いだった。