それでも護りたい
ライカが街の空気の異常に気づいたのは官舎もほど近くなってからだった。
裏街も今日は何やら騒がしく、それはてっきり自分とイオがパーンの騎士団メンバーを集めに裏街に来ているのが、広く知れ渡ったからだろうと思っていた。
だが、スカウトしたパーン達を伴い官舎に戻る道すがら、西門に通じる大通りに汚れた多数の足跡を見つけて考えが変わった。
何かイヤな予感がする。
イオと顔を見合わせると、彼は良く分かったもので小さく頷いてから顔を歪めてすっと匂いを嗅ぐ。
こうすると匂いの輪郭が際立つ。しゅにんは『フレーメン反応だね』と言ったが、聞いた事のない言葉なので意味は分からない。
「イチカさんの匂いがする。それと裏街の臭いも」
イチカの匂い? 裏街の臭いは分かったが自分にはイチカの匂いは分からなかった。
だがイオは自分と同じネコ系。しかも自分より獣化度が高く匂いの嗅ぎ分けには自信がある。そのイオが言うのだから間違いないだろう。
回らない頭で考える。
この道は官舎に通じているがイチカが良く行く市場には繋がっていない。ここにイチカに匂いがあるのは少し変だ。
ならばイヤな予感は的中だ。イチカはこの大通りを通って西門に向かった。こんなに黄昏時分になってから。
「西門に行ってみるにゃ。イチカの匂いが気になる」
直感を信じて官舎に向かう足をそちらに切り返す。
胸が騒ぐのもパーン特徴らしい。ヒトはそれほど勘が働かないとアキハは言っていたが、パーンは仲間の気持ちに共感したり、ヒトよりはるかに危険の予感に鋭い。
危ない事が起きる時は全身の毛が逆立つようなゾワゾワとした感じがする。もっともこれも猫系の特徴で猿系のザファやウサギ系のシャミは違うのかもしれない。
いずれにしても、こういう時は直感に従った方がいい。
西門を出て焦げ茶色に重くなっていく地平線の先に向かう。
何かが変だ。そう感じるのは沢山のヒトの臭いのせいか。それとも喧騒の気配が残る街道のせいか……。
それらを敏感に感じながら足を進める。
「イオ、匂いは?」
「しない。風があるから流れたのかもしれない」
「イチカは城外に出たかな」
「大通りの匂いは結構濃かった。でも西門を出た瞬間から匂いが切れてる。それにこんな夕方にイチカさんが一人で外に出るかな」
「しゅにんやリレイラの匂いは?」
「分からない。ヒトの匂いは紛れやすいし、リレイラさんの匂いはイチカさんに近いから」
こんな夜にイチカが城外に出ているなんて考えにくい。それとも三人一緒に? 理由が思い当らない。こんな時、自分の頭の悪さが嫌になる。考えるのは本当に苦手だ。それは自分の役割じゃない。
「思い違いかにゃ……」
ライカは明かりが漏れる西城門を振り返った。
門の向こうからは暖かな明かりと、鶏肉の焼ける匂いがふわりと漂ってきた。
「ラド・マージアを断罪する!」
日没の地を這う明かりに鈍く光る刀身が、これから辿るだろう軌跡を剣先に抱いて掲げられていた。
カレスの発言は脅しではない。
この男は自分を断罪するチャンスをずっと伺ってきた。そのためにロザーラを使い、反逆と読める材料をかき集めて、組み上がらないパズルを無理やり繋ぎ、ありえない答えを導き出したのだ。
その類まれな胆力は普段の仕事でこそ発揮して欲しいが、残念ながら冤罪を仕立てるために如何なく発揮されている。
そして全てが揃った今、彼が「断罪という名の怨み晴らし」を止めるなどありえなかった。
「カレス様、お止めください! ラドに反逆の意図はないのです。ただパーンを救いこの国を護るために――」
後ろ手を押さえながらもイチカが哀願する。
「この国を護る?」
「ええ、全ては狂獣とシンシアナ帝国から王国を護るため、騎士団を再結成するためです。ですからその剣を下ろして膝を詰めてお話をしましょう。きっと誤解だと分かる筈です」
カレスはもったいぶって顔を作る。
「ふむむ……私は女子供には寛大な方だと自負している。弱き者を助けるのは貴族の務めだからな。よかろうその願いを叶えてやろう。まずそのガキの膝から切り落とす、そして次にその不愉快な首を刎ねてくれるわ!!!!!!」
「カレス様!!!」
「貴様! もし主任を切ったら殺す! 炭も残さぬ程に焼き殺してやる!」
「ひゃはっははは、ならやるがいい、今すぐに! だがその前に私はガキを殺す、それでも良ければ自慢の魔法を詠唱してみるがいい!!!」
リレイラは血が出るほど唇を噛む。悔しいがカレスの言う通りだ。持ち上げた剣を振り下ろすに一秒もかからない。だが詠唱はどんなに早くても三秒はかかる。しかも標的に手を差し向け顕現先を示さねばならない。
「もはや間に合うまい、さらばだ因縁のラド・マージア!!!!!!」
耳をつんざく奇声に合わせて振り下ろされたと思われたカレスの剣。
だが声に反してカレスの掲げた手は動かなかった。
愉悦に歪んだ眉をピクリと動かし背中に意識を集中して気配を読んでいる。
にわかに背後が騒がしい。
慎重と計画は復讐達成の必須条件だ。綿密に計画し確実に実行する、だが大胆であってはならない。復讐に繋がる道は糸のように細い。その糸から滑り落ちないように慎重に慎重を重ねて一歩を踏み出す。それが大難を小難にし、何者かに足元を掬われない唯一の方法なのだ。異変に敏感なのは慎重であるための嗅覚に他ならならない。
カレスは己の復讐持論を脳内で展開し勝手に納得すると隣りに立つ男に声をかける。自分で背後を確認したいが振り上げた拳の先から視線を離すわけにはいかない。
「おいお前、背後で何があった? 何を騒いでいる」
……男の答えはない。
「返事をしろ、何があった?」
横からバタリと音がして男が倒れたのが分かった。何かあったのは間違いない。これはさすがに自分で確認せねばならぬと思い視線を動かした瞬間、カレスは驚きに飛び上がる。
巨大な猫目の双眸がこちらを睨んでいる!
瞬きの音すら聞こえる距離に顔がある。
だが気配などまるでなかった。
いつから居たかすら分からない。
その猫目が瞬間的に消え、目にも留まらぬ早さでカレスの空いている腕を取り動きを制すると、腰にある革ホルダーから鋭利な棒手裏剣を抜き取り首に突き立てる。
「お前だなイチカを連れ出したのは」
潜めたライカの声がカレスの脳を直接震わす。
少し遅れてレイベランダーの報告が転がり込んできた。
「ルドール様ーーー、半獣人が突っ込んできやした! 猫のやつです。恐ろしい早さですり抜けていきやがって! こっちに――」
その続きの報告は不要と悟り男は固まる。
ライカにとってこの程度の群衆を抜けるなど造作もない。
捕まえようとしても無駄だ。猫系のパーンの身のこなしならば散漫に棒立ちする人など木立をぬける風のようにすり抜けられる。
避け難いヤツにはわざと体当たりし、体を捻って体を入れ替えて抜ける。そして抜けがけに相手を突き飛ばし、失ったスピードを取り返して更に加速する。
捕まえよう伸ばした手は掌底で弾く。殴りかかろうとする血気盛んな奴は軽く避けて後ろ蹴りだ。
それらを一連の所作のようにこなし、一射の矢となって突き進んできた。
ライカは手裏剣でカレスを止めると辺りを見渡す。
正面、四つん這いに押さえられている少年はラド。頭から血流している。
その後ろに男に押さえられたリレイラとイチカ。怪我はしていないが腕を後ろに縛られ不自由な状態だ。
アキハ、ロザーラ……は居ない。仲間はこの三人だけだ。
あとは全て敵。ほとんどはレイベランダーだ。ならば武装は手持ちの木材とあってもダガー程度だろう。
「母さん! どうしてここに!」
「西城門に戻ろうとしたとき、シャミの耳がしゅにんの声を聞いた。しゅにんがイチカと一緒の時に大声を出すなんて変だと思った」
ウサギ系のシャミの聴力は一級だ。まるで未来予知のように先の音を聞き分ける。その耳が遥か彼方のラドの声を拾ったのだ。だが風に紛れながらもここまで聞こえてきたラドの声に違和感を感じたのだ。
「さすがです母さんっ!」
「しゅにんは大怪我をしているな。やったのはお前か、しゅにんをイジメるヤツは絶対ゆるさないぞ!」
「誰が許して欲しいと言った。ほざけ猫半獣、笑えぬこと言う」
「しゅにんを離せ!」
「それは出来ぬ相談だ」
「なら本当にやるぞ。ライカをあなどるな!」
ライカは握りに力を込めて手裏剣をカレスの喉に強く押し当てる。手裏剣の先はスルスルとカレスの喉に沈んでいき、皺が寄った皮膚を伝って血が筋となって流れ出る。
相当痛い筈だがカレスは顔一つ変えず殺意を剥き出しにしてライカを睨みつけた。状況はさっきよりも悪い、相手が魔法士ならば自分に分があったがこうなれば先に自分がやられるかも知れない。
「おい、そこのレイベランダー。そのガキの首を刎ねろ。救国の名誉を貴様にくれてやる」
「あっしですか?」
「そうだ、おっと猫。お前は動くな。動けば即、ガキを殺す。私を殺しても、そのレイベランダーがお前の好きなラド・マージアを殺す」
ライカはラドとレイベランダーとカレスを順に見て距離を測る。
「おい、その男! 動けばコイツを殺す。次にお前を殺す! 必ずだ!!!」
ライカの殺気のこもった声で殺すと言われて男の足は止まる。
もし、もう一歩この男がラドに近づけば、カレスを捌いてからだと男に飛びかかってもラドは救えなくなるところだった。
三すくみだ。
リレイラはライカがカレスを押さえているので魔法が使えない。
カレスはライカに押さえられており剣は振れない。
レイベランダーは死を恐れて動けない。
一瞬にして場は膠着状態に陥ったが、この閉塞を打ち破ったのはラド。
「ライカ違う! 殺すな! この人達は敵じゃない!」
意外な制止にライカは手裏剣を突き付けたままラドを見た。だが表情は動かない。
「しゅにんやイチカやリレイラを捕まえているのに敵じゃないのか。しゅにんを捕まえる奴は悪い奴だ。悪い奴は敵だ。敵をやっつけるのがライカ達の役目だろ」
「違うんだ! 意見や考え方が違ってこうなっただけなんだ。違いは悪い事じゃない! 僕らは殺しあっちゃいけないんだ!」
「でもシャミが『殺す』って聞いちゃったから、ライカは一緒に来た仲間達に戦闘開始のサインを出しちゃったぞ」
ダメだ! それは最悪の展開だ。
夜のとばりが落ちかけた遠方をみると、集まったパーン達がレイベランダーや市民の目の前に迫り、雄叫びを上げてまさに飛びかかるすんでである。
もはや言葉は届かない、ならば!
「リレイラ魔法照明弾を上げろ! 天空で急膨張させて爆音を出すんだ! ライカ! そいつはもういい、リレイラを押さえている奴な何とかしろ!」
「わかったにゃ!」
ライカにとってラドの命令は絶対だ。ライカはひょいとジャンプするとカレスの横っ腹を蹴って、リレイラを押さえる男に飛び掛かる。当然、男は突然の体当たりを避けられずライカと共に倒れ込む。
「リレイラ、詠唱!」
「はい!」
急展開だがギリギリ状況に対応できた何名かのレイベランダーが、何かの魔法を詠唱し始めたリレイラを止めようして左右から襲い掛かる。
はたして詠唱が早いかレイベランダーの手が早いか。
そして両陣営が激突は止められるのか?